エンディングで画面は天上界へと変わる。

相変わらず水槽のようなもので、天上界からそれを眺めている女神ヘラ。
ヘラが水槽に手をかざすと、水面に写っていた下界は消えて見えなくなる。以下、ゼウスとヘラの会話。

「このゲームは私の勝ちでしたね」とヘラ。
「どこへ行く?」
「ゲーム板を片づけに・・・」
「まだ早い。しばし航海を楽しませてやろう・・・だがこれで終わりではない。ジェイソンには新たな冒険がある。ゲームを続けよう」

つまり、「今までの冒険は全て神々の卓上のゲームで、人間はその駒に過ぎなかった」というのがこの映画のオチ、というわけです。ギリシャ神話でも神々の嫉妬や痴話ゲンカのとばっちりを受けるのはいつも人間なのである・・・


最後に神話と映画の主な違いをいくつか挙げてみます。

一番大きな違いは、『黄金の羊毛皮』を取りに行く目的。神話では元々国の所有物であった物を取り返しに行くという正当な理由があるのですが、映画では、自分が国王になるために民衆の信頼を得ようとして他国に奪いに行くという設定になっています。

映画では溺れるペライアスを助けてジェイソンが片方裸足になるが、神話では女神ヘラが老婆に変身し、心優しいジェイソンがその老婆を背中にのせて川を渡る時に片方が脱げてしまう。

神話では岩同士がぶつかる『吠える岩』の場面では、白い鳩を飛ばし、タイミングを計って通り抜けるのだが、映画では海から『トリトン』が現れ、岩と岩を手で押さえてアルゴー船を助ける。

神話ではタロスは等身大の像だが、映画では40メートルもある青銅の巨人として登場する。

神話ではヒュラス(ハイラス)はニンフ(妖精)が誘惑して池に引きずり込んでしまい行方不明になるが、映画では哀れにもタロスの下敷きでペシャンコ。

神話ではメデイアがヒュドラや青銅のタロスを倒すが、この映画ではイアソンが倒す。

神話のメディアは、弟を殺したりペライアス王を毒殺したりする敵にすると怖ろしい魔女であるが、映画にそういう描写は全く無い。

この映画は、ハリーハウゼンが自分の作品の中で、最も気に入っている作品だそうです。なかなかギリシャ神話の雰囲気も壊さずにうまくまとめられた映画だと思います。しかし、物語などあまり重視せずに、童心に帰って特撮とハリーハウゼンの職人芸を楽しむというのが、この映画を一番楽しめる見方かもしれません。

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