映画はアルゴスの王女ダナエが、神々の王様ゼウスの子供を産んだところから始まる。映画ではどのようにして、ゼウスとダナエが交わったのかという描写は無い(女神たちの台詞で説明)のですが、ゼウスの女たらしはギリシャ神話と同じ。

ダナエが子供を産み、怒り狂ったアルゴスの国王アクリシウスは、ダナエとその子供を木箱に入れて海へ流してしまう。この行為がゼウスの怒りを買うこととなり、海神ポセイドンに命じて大洪水を起こさせ国民すべてが海の藻屑と消えることになっていまう。その後、ゼウスの加護を受けたダナエと息子のペルセウスはセリポス島に流れ着き、無事健やかに育っていた。おもしろくないのは女神テティスだ。
彼女の息子カリボスは神から授かった能力を悪用した罪でゼウスの怒りをかい、怪物の姿に変えられてしまっていた。ペルセウスとカリボスの境遇の違いに嘆き悲しむテティスは、ゼウスへの恨みから成長したペルセウスを彼の知らない都市へと連れ去ってしまう。

あまりにも醜い話で、神々の行為に不快感を覚える人もいるでしょうが(特にゼウスの行為は滅茶苦茶)、ギリシャ神話に描かれた神々は人間以上に人間的で、気紛れで嫉妬もするのだということは『アルゴ探検隊の大冒険』のところで書いた通りです。でも、この映画のゼウスのわがままぶりはちょっと行き過ぎかなぁ・・・全ての元凶はゼウスにあるのだから。

嵐の中、アクリシウスが木箱を海へ流すシーンは、実際に嵐が来るのを待って撮影したとの事。良く見ると、打ち寄せる波にびびってしまい、後から録音したと思われる台詞と役者の動きが一致していません。アクリシウスが演説中に声が裏返るのには大爆笑。


海神ポセイドンが大洪水を引き起こすために放ったのが、海の怪物がクラーケン。
神話では巨大なタコやイカの姿で描かれていることが多い怪物ですが、ハリーハウゼンが造型したクラーケンはどことなく『地球へ二千万マイル』のイーマを思い出させる風貌となっています。

大洪水のシーンですが、この辺りの合成が原因で1981年製作にも関わらず、もっと昔の映画だと思っていたのかもしれません。この映画全体に言えるのですが、合成シーンの不自然さがやけに目立つのはどうしたことか。特にクラーケンを放つ時の海底にいるポセイドンの合成シーンはあまりにも雑で、色の不自然さばかりか動きまで一致しておらず、ハサミを使用した切り抜きのようです(苦笑)。これを最初に見た時の脱力感は忘れる事ができません。
しかし、このシーンは合成だけではなく、実際に大量の水を使用した場面もあり、一瞬画面に映るだけですが、本当に人が流されている。かなり危険なスタントに思えるのですが、怪我人は出なかったのでしょうか?

驚いたのが、名優ローレンス・オリヴィエが神々の王ゼウス演じている事。さすがはオリヴィエ、やはり役者が違う・・・と言いたいところなのですが、何だか微妙。個人的にどうしてもこの役のローレンス・オリヴィエには往年の貫禄、というものを感じることができません。椅子に座ったローレンス・オリヴィエのうしろから、わざとらしい程の電気的な後光(レーザー光線か?)がさしているのには思わず笑ってしまいました。

製作がコロンビアからMGMに変わった事により、予算が大幅に増え、その予算には有名な映画俳優を起用するための費用も含まれていたそうです。それによりローレンス・オリヴィエのみならず、クレア・ブルームやマギー・スミス(最近ではハリーポッターの魔女先生役が有名)、バージェス・メレディス(主人公を助ける劇作家の役)などの有名俳優を多数出演させる事が可能になったのです。グランド・ホテル形式とまでは言えないでしょうが、今までのハリーハウゼン作品には見られない豪華キャストで、セットの中で演じる有名俳優たちを見ていると舞台演劇を見ているようです。なんだかハリーハウゼン作品らしくない・・・不思議な違和感があります。神々の衣装のせいでしょうか? 女神たちが神話で語られているほど美人でないと感じるのは私だけ? 特に美の女神アフロディーテはミスキャストかな。主人公の二人に有名な俳優を起用しなかったのはどういう理由があったのか、このあたりはハリーハウゼン作品らしいですね。