人間の恐怖
エイリアンの侵略行為は激しさを増す。人類に対抗手段は見つからない。パニックを起こした人々が町を破壊し、車を奪い合う。
民家で火星人の血液を入手したフォレスター博士はそれをロッキー山脈の研究所へ運び、その血液から火星人の弱点を探そうとする。これが人類に残された唯一の希望であった。
しかし、研究所へ移動する途中に暴徒と化した人々にトラックを奪われてしまう。
ここでは極限に追いつめられた人々の人間の本性をむき出しにした行動が描かれる。人間の利己主義。自分の利益だけを追求する人間の性。
自分だけ助かれば、というエゴイズムが侵略者から地球を救う最後の希望まで奪ってしまい、結局人類は自分で自分の首を絞めることになるという人間の愚かさがこの場面で描かれています。見ていてとても悲しくなるシーンです。
自然の驚異
人類最強の武器である核兵器の使用でも対抗できず、教会で神に祈っても効果はなく、宗教も何の助けにもならない。もはや人類に打つ手は無いのかと思われた時、侵略者の宇宙船は次々と落下し始める・・・奇跡が起きたのだ。
ここでナレーションが入り、この映画は唐突にエンディングを迎えます。
「火星人は大気中のバクテリアに抵抗力がなかった。地球上の空気を呼吸し始めた彼らは病菌におかされ始めた。終わりは素早く訪れた。世界中でマシーンが止まり、墜落した。人類の知恵や努力を超えた火星人を倒したもの。それは、神が地上に作り出したた最小のものであった。」
落下した宇宙船に人々が恐る恐る近づくと、円盤の下部が開きそこから火星人の腕が現れるのだが(全身を見せなくて大正解)、赤い皮膚が緑色に変色するという視覚効果によって火星人が息絶えるのを表現したこの場面は映画のラストを飾るに相応しい出来映えで、突如として訪れた結末に説得力を持たせる事に成功している・・・と思う。
最初に「神の使いである牧師」を殺した火星人が、最後には「神が地上に作り出したた最小のもの」によって撃退されてしまうというなんとも皮肉なエンディング。
バクテリアという最小のもの解決されるという唐突な結末は、見る人によって評価が分かれるかもしれません。いいアイデアだとは思いますが、あれほど進んだ科学を持つ火星人が、自分たちが呼吸できる環境かどうか調査すらしなかったのか・・・と考える人もいるでしょう。しかし、原作では巧みな伏線により不自然さを感じさせないラストになっているのはさすがH・G・ウェルズ。
この映画には、あらゆる映画に必ずといっていいほど出てくる「悪役」が存在しない。
例えば、ディズニー映画などで必ず憎たらしい顔をした主人公の敵役が出てきて、最後には主人公に殺されてしまう、といったお約束。
例えば、一人で軍隊の決定に逆らい、主人公を裏切り、現場を混乱させる悪役など。
こういった輩が存在しない為、映画を見ていて非常に心地よいのです。純粋に侵略SFとして楽しめる作品になっていて、こういう映画は意外と少ないのではないでしょうか。