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インビジブル・インベーダーズ/Invisible Invaders


インビジブル・インベーダーズ/Invisible Invaders (1959)

訳すと「透明の侵略者」とでもなるのでしょうか。

監督は『恐怖の火星探険』(1958)や『暗闇の悪魔・大頭人の襲来』(1957)のエドワード・L・カーン

主役であるアメリカ軍のジェイ少佐を演じているのは、『S.F.第7惑星の謎』(1961)や『金星怪人ゾンターの襲撃』(1966)などB級SF映画ではお馴染みのジョン・エイガー

舞台は軍備拡大競争に明け暮れる50年代時代のアメリカ。

核実験中の爆発により、研究者の一人であるノイマン博士が死亡するという事故が起る。責任者であるぺナー博士は核開発の中止を訴えるが、却下され辞任を決意。葬儀の後、悲観に暮れるのぺナー博士の前に死んだはずのノイマン博士が現る。

その正体は、コミュニケーションを取るためにノイマン博士の死体に乗り移ったエイリアンであり、ぺナー博士に「24時間以内に人類が降伏しなければ地球への侵略を開始する」と地球人に警告するようにと告げる。

彼らは別の銀河系からやってきて、2万年前から月を支配しているのだが、全てを透明にする技術により地球からは何も見えないのだという。博士だけの言葉では埒が明かないと分かると、エイリアンは地球人の体を乗っ取り、自ら地球人に警告を発するという手段に出る。

だが人類は降服せずにエイリアンと戦う事を決意。怒ったエイリアンは世界中の死者を蘇らせ、地球への破壊活動を開始。

世界中の科学者が、対エイリアン用の兵器を開発すべく集結し、ここに開戦の火蓋が切って落とされた。

大体こんなストーリーなのですが

宇宙人であり、透明人間でもあり、さらにはゾンビでもあるという侵略者、というアイデアはちょっと凄いかも・・・

この時代によくあるホラーだかSFだか分からない音楽も良い雰囲気です。

主な登場人物


生き返ったノイマン博士(左上)この人はデヴィッド・キャラダインのお父さんですね。ぺナー博士(右上)。ぺナーの助手ラモン博士と娘のフィリス(左下)。主人公のジェイ少佐(右下)

科学者がみんな人相悪い・・・

ゾンビの映像はなかなか印象的なものでした。

基地のモニタに映るゾンビ集団


全員が背広姿というのが気になりますけど・・・

青白い顔でよろよろろ歩くその姿は、どう見ても『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)あたりに影響を与えていると思われ。

50年代のB級作品という事もあり、やはり突っ込みどころは満載であります。

笑って済ませられるものがほとんどですが、これはちょっとひどいなぁ、と思ったのがエイリアン自ら地球人へ警告する場面。

ホッケーの試合場や野球場で実況席のアナウンサーの首を絞め、マイクを奪い取って人類に語りかけるという・・・

観客は簡単に信じて大パニックになるのですが、こんなやり方では普通イタズラと思われるだけでは・・・?


その後の侵略者の破壊活動は、全部ストックフィルムの流用。というか、ほとんどがニュース映像と思われます。

廃ビルの爆破シーン、台風、火事、洪水、火事、火事、火事、火事、火事・・・・・火事、と。こんな感じです。

(ーー;)

個人的にストックフィルムの映像大好きな私ですが、今回ばかりはアホらしいので、画像は無し。

そして迎えたクライマックス

もちろん最後は地球人がエイリアンを撃退するのですが、その方法というのが・・・

古い映画では定番の「音」(^^;)

捕らえたエイリアンが非常ベルの音に苦しむのを見た博士が音波銃を作り、地球側が反撃を開始します。

そして、ブクブクと泡になって消滅するという、ベタな死に方をするエイリアン


ゴーストバスターズみたいです。

そしてワゴンの上には音波銃を構えたジェイ少佐が!

この姿で円盤と戦い、世界を救うという・・・

しかもたった4人で

でも

アイデア自体は、もしかしたら予算があればとても良い映画になったのでは、と思わせてくれるものでした。

この映画は67分という短さ。

個人的に好きでない人間ドラマがほとんど無かったので、テンポよく見る事ができました。

と、一応褒めておきますか。

恐竜時代


古い記事を削除しての再アップ。これは『恐竜時代』(1969)のビデオパッケージです。

ハリーハウゼンの『恐竜100万年』(1966)に続いてハマー・プロが製作した恐竜映画。

監督ヴァル・ゲスト、原案はJ.G.バラード

この作品は英語ではなく、セリフは全て「原始人語」。しかし、適当にしゃべっているわけではなく、この映画のために作られた、ちゃんと意味を持った言語なのだとか。

73通りの意味を持つ27語だそうで、同じ言葉にしか聞こえないのに、字幕で色々な日本語に訳されている部分が多かったのがちょっと気にはなります。

「アキータ、アキータ、アキータ」

『不思議惑星キン・ザ・ザ』の「クー」みたい・・・

ストーリーは

生け贄として捧げられた山間部族の美女サンナが海に落ち、海岸部族に救われる。ハンナが生きている事を知った山間部族の長は引き渡しを要求。サンナは岩山へと逃げ込み、偶然恐竜の卵が孵化した時に居合わせたため、恐竜の親子と仲良くなる。平穏な日々が続いたが、やがて追手が現れて・・・と。まぁ、あまり中身はないです。


時代設定が古い映画を見ていると、現代に生まれた事に本心底感謝したくなります。生贄って、こんな理不尽な死に方をする時代に生まれなくて本当に良かった・・・

そんな事よりも

この作品の素晴らしい所は、ジム・ダンフォースが手がけた特撮に尽きます。
言い換えれば、それ以外に見所はほとんど無いという事ですが・・・

ハマー・プロはハリーハウゼンに特撮を依頼したのですが、ハリーハウゼンは『恐竜グワンジ』の準備に入っていたためこれを断り、代役として参加したのがジム・ダンフォース。
その結果、ハリーハウゼンが担当した前作を遥かに凌ぐクォリティのストップモーションを完成させてしまったのです。

その映像の一部がこれ。ストップモーションとは思えない滑らかさです。


http://palladion.fantasia.to/dino02.mp4


ちなみにこの恐竜は架空のもの。カニの動きも見事ですが映像が暗すぎるのが残念。
ダンフォースがこの作品のストップモーションに費やした時間は、9か月とも1年以上とも言われています。手作業で一コマずつ画面に擬似的にブレを付けて、ストップモーション特有のフリッカーを最小限に押さえたその映像の出来栄えは素晴らしく、ダンフォースの前作『ラオ博士の七つの顔』に続き、アカデミー特殊効果賞にノミネートされます。
ストップモーションに限って言えば、完全にハリーハウゼンのテクニックを超えちゃっています。これなら「カクカク怪獣」って揶揄されることもないでしょうね。

しかしながら、こういった作品を見るだびにハリーハウゼンの凄さを再認識してしまうのです。ハリーハウゼン作品って、特撮部分だけでなく映画としても十分に面白いですから。

おそらくこの作品、一般的な評価では最低映画の部類に入ってしまうのではないでしょうか。
原案を担当した作家のJ.G.バラードもそんな事言ってたようですね。

一部のファンを除けば、この映画の見どころってやっぱりこっち方面かな・・・?


近未来予想2010


近未来予想2010

2104年となりました。

私の世代の感覚では、いつの間にやら「近未来」になってしまったわけで・・・

『鉄腕アトム』や『未来少年コナン』など、子供の頃にマンガや映画で見た近未来もすでに過去になってしまいました。

『ブレードランナー』の時代まであと少し。

自分自身、まさか2014年に子供の頃とほとんど変わらない生活をしているなど予想もしなかったですね。
数年前に生まれ故郷に戻り再就職。物心ついた頃から存在する近所の定食屋で懐かしい味のトンカツ定食を食べているとは・・・

以前、1980年の人が予想した21世紀の事を書きましたが、今回は、雑誌『ニュートン』1922年2月号増刊『近未来予想2010』で予想された21世紀。

専門的で難しい事がよく分からなくても読むのが楽しくて毎月買っていた『ニュートン』も最近ではほとんど読まなくなってしまいました・・・

この本では、21世紀初頭から中頃まで幅広く予想し、それらの「実用化予想時期」が書かれているのが面白いです。

この手の本を読んでいていつも思うのが

「本気で予想」したのか、「希望的観測」なのか、それとも著者が思い描く「夢の未来」なのか

という事

おそらく全部でしょうけど・・・

全て真剣に考証されたものだとしたら爆笑ものですよ、この本。

パート1は巨大プロジェクト編

いきなりシド・ミードが描いた未来の東京のイラストが見開きで掲載されています。


それに続いて「ピラミッド型空中都市」、「800階建て高さ4000メートルの超複合都市」、「大都市地下空港を結ぶ地中飛行機」、「月面に建設された青少年研修センター」などのイラストが続きます。

尋常ではないスケールの大きさは、もー完全にSFの世界ですね。なんだか子供向けの本みたい・・・

でも

例えば地下に飛行場を作るのは「都心から空港までのアクセスが便利」とか「空気抵抗などを考慮すると消費エネルギーが少なくて済む」など、それぞれにきちんと理由があるようです。

ほとんどが「構想」だけで終わってしまっているものばかりですが、これは「夢の未来」に属するものと考えて良いのかもしれません。

ところで

これらのイラストを眺めていると「斜めのデザインが多い」という事に気付きます。

SF映画でもそうなんですけど、ピラミッド型のデザインってよく見かけますね。
建物だけでなくドアや通路までが三角形だったりとか。

素人考えでは、空間的な問題や人が移動する事を考えると一番効率的なのは「キューブ型」のような気もしますが、日照問題や構造上の強度の問題とかを考慮すると巨大建造物はピラミッド型になったりするのでしょうか?
まさかSF的で格好イイから、なんて理由ではないでしょうが・・・

無制限に予算を使えると仮定して、技術的にはどこまで可能なのか、というのが知りたいものです。

パート2は地球環境編

「地球温暖化による気候変動」、「オゾン層の減少」、「酸性雨による被害」、「化学物質による生態系への影響」などについて語られています。

正確に予想しているというよりも「警告」ですね。

パート3は日本社会編

「経済成長率は2〜3%台になる」、「5人に1人が老人になる」、「年間総労働時間は1700時間程度」、「人口の28%が東京圏に集中する」、「女性の晩婚化」、「人口減少」 などなど

さほど予想するのは難しくないのかもしれません。
程度の差こそあれそういった傾向にはあるような気もします。

それにしても、深刻な問題が多いですね。

私が学生の頃「将来は週休3日になる」とか「1日5時間程度の労働で済む」とかいった話もありましたが、そんな気配すらありません・・・

医学の進歩により寿命が延びて「治らないけどなかなか死なない」時代が来たら大変な事になりそうです。
5人に1人どころか半分以上が老人になったりしたらどうするのでしょうか?

パート4の超技術編とパート5の近未来トレンド・リサーチ編

これは面白いです。

今見ると懐かしいとさえ感じる「当時の最先端技術の写真」と、こうなっていくであろうと思われる「未来予想のイラスト」がてんこ盛り。


「バーチャルリアリティシステム」、「超並列コンピューター」、「知能ロボット」などは、どの程度で成功といえるのか、またどこまで実用化が進んでいるのかといった事は素人には分かりにくいですね。画像左下は「まばたきで打てるワープロ」

実用化されているかどうかが一般人でも分かりやすいもので言えば

「テレビ電話」、「時速500キロで走る超電導リニアモーターカー」、「人工知能により航行するインテリジェント船」、「東京ドーム30個分の超大型エアドーム」、などがあります。

(ー'`ー;)ウーム・・・・

ちなみに月面基地の実用化予想次期は2020年だそうです。

月面基地って、むしろ少年時代の方が身近に感じていた気がしますけど・・・?


それはSF映画の見過ぎ!

自分自身の生活で最も変化した事は何か、というのを、数十年単位で考えてみると

「インターネット」と「携帯電話」

これに尽きます。携帯電話が無かった時代を思い出せないほど生活に密着しています。

でも、これってどちらも実用化される以前にSF作品で見かけた事がありませんね?

電子辞書の進化型のようなものや、データベースのようなものは想像できても「各家庭の末端機器によるネット検索」という事は思いつかなかった。

また

テレビ電話やトランシーバーの進化型は想像できても「個人が小型の電話機を所有する」という事は思いつかなかった。

という事なんでしょうか? ちょっと不思議な気もします。

小説では皆無ではないと思いますが、映画ではほとんどがテレビ電話。『ブレードランナー』でもお店に備え付けの電話でレイチェルと話てましたね。

数千年先、あるいは何万年も先の人類がもっと進化した時代に生まれたかった・・・と考える人もいるでしょう。

SFファンならあるいは、人類滅亡の直前に生まれたかった、とか

「科学の進んだ宇宙人から見た地球人は低級動物である」という概念はしばしばSF作品のネタにもされますが、未来の地球人から見ても原始人ですからね。自分も時々そういった事考えます。

でも

少なくとも「未来がある程度予想できる時代」に生まれて良かったとは思っています。

自分の周りが日々変化しているから「このまま進歩し続けたら未来はどうなるんだろう?」って考えるわけです。
生まれてから死ぬまで、ほとんど変化のない世界で生活していたと考えられる時代の人などはおそらく「未来を想像する」という概念すら無かったのではないでしょうか?

「30年後?このまんまだっぺ?生きてっかなぁ?」

この程度かも・・・

キャプテン・シンドバッド


これは『キャプテン・シンドバッド』(1963)のビデオパッケージです。

同名の映画がありますが、これはバイロン・ハスキン監督の作品。

『宇宙戦争』 (1953)をはじめとするジョージ・パルとの共同作品や、『宝島』 (1950)などで有名な人ですね。

主役のシンドバッドは何と、宇宙家族ロビンソン(1965〜1968)のお父さん、ガイ・ウイリアムズ!

ところで、シンドバッドといえば

以前ブログで4回に渡って『アラビアンナイト』のシンドバッドについて書いた事がありました。

原作では船長でもなければ、剣を振り回して戦う事もない。職業は商人であり、多くの映画で描かれるヒーロー像とは程遠いというわけです。

で、

その時に「一番原作に近いのは何か」ということで、カレルゼマンのアニメ作品『シンドバッドの冒険』(1972)を挙げたわけです。


私にとってシンドバッドといえば、勿論ハリーハウゼンのシリーズ。

若き日のジム・ダンフォースは『シンドバッド7回目の航海』を製作中のスタジオにハリーハウゼンを訪ねた際、『シンドバッド7回目の航海』に使用されるさまざまなモンスターなどを見て、「この作品はシンドバッド映画のスタンダードにはならないだろう」と思ったらしい。

といった事もその時に書いたのですが・・・

原作との違いは考慮しないとして、実際のところ、シンドバッド映画の決定版って何なのでしょうか?

該当作品無しとか?

いつからシンドバッドが剣を振りかざして悪党と戦うヒーローとして描かれ始めたのか。
アニメか子供向けの絵本あたりが最初なのかもしれませんが、ちょっと分かりません。

実写版では、1946に『船乗りシンバッドの冒険』という作品があって、この時すでに姫を守る冒険家として描かれています。
ちょっと軽薄で女ったらしのようなシンドバッドはヒーロー然としたものではなく、やり手の詐欺師を思わせる振る舞い。
しかし、むしろこちらの方が原作には近いような気がします。
映画としてはすごく面白かったです。

ヒロイン役はモーリン・オハラ

この時代の女優さんは独特の美しさがありますね。

原作にも巨人や怪鳥がでてくる事だし、いっそのこと、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のようなセンスと特撮ででシンドバッドを描いてくれたら、それがすぐにでも決定版になりそうな気もしますが・・・

話を『キャプテン・シンドバッド』に戻さねば(汗

今でもDVDのタイトルに「シンドバッド」の文字を見かけると迷わずレンタルして見てしまほど好きなので、つい話がそれてしまいます。

この作品もご多分にもれず、お姫様を助けるヒーローとして描かれております。

そんなわけであまり書く事ないんですが・・・

ガイ・ウイリアムズ演じるシンドバッドに関して言えば、ハリーハウゼンのシリーズで演じたどの役者さんよりも、違和感なく見る事ができました。


あくまでもヒーローとしてとらえるならば、個人的にはガイ・ウイリアムズのシンドバッドが最も適役だったような気もします。

作品に関しては、前出の『船乗りシンバッドの冒険』あたりと比べるとさすがに1960年代なりの特徴はあります。

荒唐無稽さが数段増しており、アドベンチャーというよりも、完全にファンタジーの世界。


「心臓を別な場所に保管してあるから不死身」という設定

心臓や心が別な場所にあるという話は童話や映画でも時々見られる設定なので、この映画がオリジナルではないと思いますが、おそらく私がこの設定を最初に見たのはこの作品。

なので、結構インパクトがあったのを覚えております。

ドラゴン、お姫様、邪悪な君主、魔法使いなどなど、ファンタジーの定番キャラクターも多数登場。

とくに印象的だったのは、塔のてっぺんに保管された心臓を守る巨大な手


大きな大きなハリボテの手が人差し指を立てて、「チッチッチッ」と・・・

冒険物とはいえあまりシビアな映画ではないので、遊び心いっぱいの作品、と受け取るか子供じみてバカバカしいと解釈するかは人によって様々でしょう。

ヒーローがヒロインを守り、悪党を退治してめでたしめでたしという、フツーすぎる作品。

でも、この映画のエンディングの魔法使いのおじいちゃんの一言が大好き。

映画の中盤、魔法使いのカルゴが、明日処刑される運命のシンドバッドとお姫様を3分間だけ会わせる魔法を使います。

いろいろあって、映画の最後

シンドバッドと結婚して幸せになったお姫様が言います。

「カルゴが見せてくれた夢と同じだわ」

そして魔法使いの一言

「あれは夢ではなく、私の予言だったのです」

というわけで

いかにもファミリー向けの作品ですが、それなりにツボを押さえた作品と言ってもいいかもしれません。

最後に、この映画で一番驚いた事


この状態で、像が頭を踏み潰すという処刑方法 (((( ;゚Д゚)))

色々な処刑方法が図解付きで解説されている本を昔持っていましたが、こんなムゴいのは見た事ないんですけど・・・

原始獣レプティリカス


シドニー・ピンク監督の『原始獣レプティリカス』(1961)

そろそろブログに書こうかなぁ、なんて考えている矢先にDVDの発売を知り、「じゃあ止めとこう」と思ったまま現在に至る作品。

脚本のイブ・メルキオーは、私の中ではハリーハウゼンやジョージ・パルに並ぶ存在であります。

工事現場から発見された古代生物の細胞組織が研究所で再生を開始。巨大な怪物へと成長し、コペンハーゲンの街を破壊し始める、というフツーのモンスター映画。

昔は何度もテレビで放送されていた懐かしい作品で私は2、3回は見た記憶があります。

ブログには格好のネタなので、今では多くの方が感想など書かれていると思います。

と、

ここまで書いて、ネットで検索して他人の評価などをみてみると

やはり、といいますか、怪物の特撮の出来の悪さに非難集中。映画自体の評価も10段階評価で3程度、といった印象ですね・・・


まぁ、確かにこれでは(^^;)

レプティリカスに食われるおじさんが紙にしか見えないという・・・

レプティリカスの口から発射される毒液?のようなものの合成技術もお粗末なもので、画面に緑の液体をペチャッてひっかけたような映像は脱力もの。昔の映画の洪水とかのシーンで人が波にのみこまれるアレと同じですね。

唾吐いてるみたい・・・

私は特撮の良し悪しで映画を評価しない性質なのですが、そんな私でもあまりにも露骨な手抜きを見せられると、SFというジャンルが舐められているようで、さすがにあまりいい気持ちはしないというのもまた事実。

この作品を観賞した多くの人が東宝怪獣を連想し、レプティリカスの動きを見て、日本の操演怪獣のレベルの高さを再認識したことでしょう。

そういえば

中には、ウルトラマン以下のような評価をしていた方もいたのですが・・・

私の個人的な意見では

どれだけ操演がヘタだろうが、どれだけ醜かろうが、のぞき穴がバレバレの着ぐるみ怪獣よりはるかにマシ!!

まぁ、これは怪獣だけに限った話ですけど・・・

あの「のぞき穴」って子供の目から見ても明らかすぎて、興ざめしたのを覚えています。

特撮が酷いのは認めざるを得ないけど、結構面白いと思うんですねどね?

まぁ、明らかに名作とは呼べない映画でも、何故かツボに入ってしまい何度見直しても退屈しない作品、というのは誰にでもあるかと思います。

これは私にとってそんな作品の一つ。人には勧めませんけど・・・

でもこの作品、目に焼き付いてしまうような印象的なシーン多数ありです。

何故好きなのかという自己分析も兼ねて、好きなシーンをまとめてみると


・掘削機に絡まった状態で発見される怪物の肉片(やけにリアル)

・研究所に冷凍保存された怪物の一部(これまたリアル)

・爆弾攻撃をしたら飛び散った肉片から無数のレプティリカスが再生してしまうという設定(細胞が不死身)

それにしても

軍人と科学者の意見対立というのはSF映画では定番ですね。
多くの映画で「破壊する事しか考えられない馬鹿」という描かれ方をする軍人さんがちょっと可哀そうではあります・・・


その結果とられた作戦が

・薬剤をつめたバズーカ砲を、口めがけて打ちこむ作戦

そして怪物の死後には

・爆弾攻撃により海底に残された怪物の一部が動き出す場面(復活をにおわせる演出)

こうして書いてみると、後のモンスター映画や東宝映画にも影響をあたえたのでは? と思えるシーンが結構見受けられます。

実際どうなのか分かりませんが、1961年という制作年を考えると、あながち間違いでもないような気もしますが、どうなんでしょう?

特撮の出来はともかく

デンマーク軍の協力による、実物の戦車などを利用したド迫力の戦闘シーンは必見!

これ、結構凄いです。ミリタリーファンではない私でも見とれてしまうほど。この映画の一番の見どころってもしかしてココかも?


それゆえにレプティリカスの特撮とのギャップが際立つというのは困ったものですが・・・

群衆が逃げ惑うシーンと、それに伴うスタントシーンもなかなかのもの


可動橋から次々と人間が川に落下して行くシーンには驚かされました。怪我人とか出なかったのでしょうか?

というわけで

色々な意味での衝撃映像が満載の作品ではありました。

特撮がヒド過ぎるので評価を下げているものの、アイデア自体はそれほど悪くないのでは、と個人的に思っている作品であります。

あと、印象的だった映像といえば 

やけに呑気なデンマークの観光ツアーみたいな映像。

怪物が出現するまでの間、時間をもてあました将軍を現地の人が案内するという設定なのですが、結構長かったです、これ。

B級作品で時々見られるパターンですが、こうゆうの好きなんです・・・


The Puppetoon Movie/パペトゥーン・ムービー


ブログ再開

私たちの印刷業界は年末に仕事が忙しくなるにも関わらず、この時期に、であります。

というわけで

復活第一弾は、HPでも取り上げてますが、久々に観賞したジョージ・パルの『The Puppetoon Movie』 (1987)

クローキーのガンビー君が、ジョージ・パルの初期短編集を紹介するという趣向のDVDで、1930年〜40年代制作された人形アニメーション(パペトゥーン)が多数見られる作品です。

「パペトゥーン」というのは聞きなれない用語なので、いちおう説明しておきますと

「パペット」(立体人形)と「カートゥーン」(アニメ映画)を合わせた造語。ジョージ・パルが自分の作品を呼ぶのに使った名称で、ハリーハウゼンの「ダイナメーション」と同様に、ジョージ・パルが手掛けて初めて仕様されるべき言葉というわけです。

次に今更ですが「ストップモーション」との違いについて

同じ人形アニメでありながら、「アーマチュア」と呼ばれる骨格の入った一体の人形を少しずつ動かして撮影するストップモーションに対し「パペトゥーン」は、あらかじめポーズを作っておいた人形やそのパーツを必要な数だけ用意して、それらのパーツを入れ替えながら1コマずつ置き換えて撮影する、というもの。

1作につき数百から数千体ものパーツがあるのだとか・・・


ストップモーションが「いかにリアルに見せるか」を追及したのに対し、あくまでアニメとして見せようとしているのがわかります。

画面の中で縦横無尽に歌って踊る人形達。木彫りの人形がゴムのように変形したり、踏み潰された登場人物が風船のように膨らんで元の姿にもどったり、といったストップモーションでは不可能なカートゥーンチックな映像は必見。

さすがに時間をかけて撮影されただけの事はあります。

おなじコマ撮りでも大分テイストが違うので、ストップモーションが好きでもこのパペトゥーンは好きではない、という人がいても不思議ではありません。


素朴で優しげな映像です。いわゆる牧歌的とでもいいましょうか。でも、多くの人は「古臭い」とか「時代遅れ」といった感想を抱くのかもしれませんね。今となってはこういった映像を楽しめる人って少ないんだろうなぁ、と感じます。

個人的には、何故かサイレント映画の匂いすら感じてしまったという・・・

この頃の作品のスタッフに、オブライエンやハリーハウゼンがいたのも有名な話。

大変な手間とコストがかかるためほとんど使われなくなった技術であるとの事ですが、後の『親指トム』(1958)や『不思議な世界の物語』(1962)などでは効果的に使われていました。

ティム・バートンの長編アニメなどを見ていると、一部で同じような手法を使っているように見えますね。

ところで

制作された時代が30年代から40年代という事もあり、実はかなり風刺がちりばめられていると思われるのですが、例によって私はそんな事には無感心(笑)

登場キャラにやたらと黒人が多いののも何か意味があるのでしょうか・・・?

そういえば

自分が子供の頃って、ハリーハウゼンやパル作品以外にもストップモーションの映像ってかなり頻繁にテレビで放送されていた印象があります。

クリスマスのお話で、少女が煙とともにモンスターに変わる映像など目に焼き付いているのですが、その作品が何だったのか、今となっては知る由もありません・・・

このDVDは日本では未発売の輸入版でなのですが、英語が堪能でなくとも十分に楽しめるものとなっています。

ボブ・ベイカー(『巨大アメーバの惑星』のコウモリグモや『未知との遭遇』のエイリアンをなどを作成し、動かしていたことで有名な人です)のインタビューも収録されるなど、見どころもたくさん。


これは英語が聞き取れないと厳しい(苦笑)

様々なキャラクターが登場する『The Puppetoon Movie』ですが、一番の発見は、特典映像の「The ship of the Ether」でアンパンマンによく似たキャラクターを見つけた事。


あまり意味ないですけど・・・

猿の惑星


久しぶりの更新ですが、この数ヶ月間は身内の入院などいろいろありまして、ブログどころではなかったのであり、書く気力も出ず

と日記には書いておこう

自分のブログなんてやっている場合ではなかったものの、相変わらず映画はたくさん観賞しておりました。しばらくは他の方のブログ拝見したり、いろいろなサイトで皆さまのコメント読んだりと、それなりに映画を楽しんでおりました。

他にやる事も無いし・・・

再開後の一発目は、自分はまず書くこと無いだろうと考えていた『猿の惑星』(シリーズ)

いろいろなサイトを見ていて感じたのは、何故そんなに斜に構えて映画を見るのかなぁ、という事。

「1億総評論家」なんて言葉もありますが・・・

もっと単純に映画という娯楽を楽しめないのかなぁ? などと、ちょっと不思議な感覚すら覚えたほど。なんでこれを素直に楽しめないんだろう? 損してない? とか。

自分のブログで「この映画がいかに駄作であるか」を延々と語ってみたり、あげくには脚本家や監督を無能呼ばわりしたり??

まあ、本気でそう思っているのか、十分楽しんだ上で「自分の批評」を楽しんでいるのか分かりませんけど・・・

でも

駄目だった箇所を批判した後に、ちゃんと自分の意見を述べているブログは好感が持てますね。
なるほど、そういった見方もあるのか、と参考になります。

そういえば、私は掲示板の類は好きでない、といった事を以前に書いた覚えがあるのですが・・・

やはり、今回も公共の掲示板での無意味な論争には辟易させられました。

映画の好みなんて人それぞれ

価値観が全く違う者同士が相手の映画の見方を批判、そしてお互いが中傷合戦を展開。こんなものは第三者から見たらナンセンス以外の何物でもないと思うのですが・・・

これって当の本人たちは気付かないものなのでしょうか??

ε=( ̄。 ̄;)フゥ

いきなり話が大幅にそれましたが・・・

こんな当たり前の事を長々と書いてしまったのも、私がブログで取り上げるほとんどの多くが、あまり一般的には評価されないであろう作品だから、というのも一因かと。
このブログで取り上げた作品ばかりではなく、自分のお気に入り作品を「ゴミ映画」のように評しているコメントを見かけると、さすがにカチンとくることも・・・

それ以前に、マイナーすぎる故にコメントゼロの作品も多数

( _ _ )

えーと、気を取り直して『猿の惑星』ですが

GW中に久しぶりに通して観賞したのですが、やっぱり楽しめました。

この作品に関して言えば、子供の頃に見て感じた事と、現在の感想がほとんど変わっておりません。
これはちょっと珍しい事なのですが、それだけこの作品が単純で分かりやすい作りである、という事かも?

そういえば、自分のブログで映画を星の数で評価したりしている方がいたので、その真似をして10段階でも。
一作目を10点満点として、以降は7点、9点、8点、7点、といったところ。うーむ、我ながら甘すぎです。

5作品もあるので、個人的なプチ感想

『猿の惑星』(1968)

映画の前半で人間狩りをするゴリラの映像が画面に大映しになった時の衝撃は未だに忘れられません。猿に支配される主人公テイラーの苦悩がひたすら描かれるのですが、全く飽きることなく画面にくぎ付け。喉を怪我したテイラーがようやく猿に向かって言葉を発する。この後どーなるの? 全編を通してスリル満点の展開と衝撃のラスト。文句無しに面白かった。そのラストシーンがそのままDVDのジャケットになっていたのもある意味衝撃でしたが・・・

『続・猿の惑星』(1969)

スリリングな展開は前作同様に楽しめました。あまりスケール感のない爆弾を「神」と崇めるミュータントたちを見た時は「そんなバカな?」と思いましたが(苦笑)
言っている事も何だか頭悪そうで・・・。最後はテイラーが爆弾のスイッチを押して地球は消滅。

ここまでは、明らかに続編を意識していませんね。スタッフは続編を作るつもりは無かったのに、あまりの人気で続編の制作が決定したものだから、つじつま合わせに苦労したのだとか。うろおぼえですが、こんな話を何かの本で読んだ記憶があります。

『新・猿の惑星』(1971)

地球が消滅する直前に修理した宇宙船で脱出した三匹の猿が偶然1970年代の地球にやってくる、というかなり強引な設定のお話。
あの猿がそんな短期間で宇宙船を修理???
当時は制作側の事情なんて知る由もないので、子供心にも「そんなバカな」って思っちゃいました。
最初は人類に歓迎されるコーネリアスとジーラ。前半のユーモラスな描写はそれだけで十分楽しめるものでした。後半のムードは一変して、人類にとって危険な存在であると判断された二匹の逃亡劇となります。
悲惨なラストが多いこのシリーズの中でも最も後味の悪い結末。最後のコーネリアスの断末魔の叫び声のすさまじさといったら・・・。前半が楽しかった分尚更、ですね。
この作品以降は続編を意識した作りになってます。

『猿の惑星・征服』(1972)

第一作目の猿と人間の立場が入れ替わったような展開。ロディ・マクドウォールの演技は素晴らしかったですね。第一作のチャールトン・ヘストンに負けず劣らず、シーザーの悲しみや苦悩がダイレクト伝わり、感情移入させられます。
この程度で人間が征服されちゃうの? もっと強力な武器は?って感じたのは、作品自体にスケール感があまりなかったせいかも。

『最後の猿の惑星』(1973)

それなりに面白かったです。
この後、第一作目につながるのですが、どうして人間は喋れなくなったのでしょう?
4作目からの数年間での猿の進化の早さには唖然としましたが・・・

というわけで

私はどの作品も好きではあるのですが、ちょっと問題だなぁ、と思うのは、これらの感想はすでに子供時代にも感じていたという事。

小学生の目で見てこれだから、一般的に続編以降の評価がそれほど高くない、とうのもある意味納得するしかありません。当時の大人達が馬鹿馬鹿しいと一笑に付していてもおかしくありませんね。

でも、このシリーズに関しては設定の矛盾点を指摘しても、あまり意味が無いような気がするんですよね・・・

その辺りに目をつぶればかなり上質のエンターテイメント作品だと思うし、子供の頃に一作目を見て以来、次々とテレビで放送され、現在まで何度も観賞し楽しませてくれたたこのシリーズには今でも感謝の気持ちしかありません。

『ヒューマノイドの創造物』Creation of the Humanoids


『ヒューマノイドの創造物』(1962)

この映画の舞台は核戦争後の地球。
地球の人口は激減し、ほとんどの人間が放射能の影響で不妊症となってしまった近未来。
生き残った人間たちは緑の皮膚を持つロボットを作り、それらを労働力とし再建への道を模索していた。
高い知性を備えたロボットたちは人間に忠実であったが、しだいに進化し、中には自我を持つ者も現れ始めた。
ロボットに取って代わられる事を恐れた一部の人間は「生身の人間の同盟」を結成し、ロボットたちを「クリッカーズ(リモコン)」と呼び監視するようになる。

えーと

この作品はこれまでに見た作品の中でもそうとう変わっています。異色中の異色。

全体の9割以上が会話なんですね。3つか4つほどセットを用意して、延々と役者さんたちの会話劇が続くので舞台劇を見ているような印象でもありました。物語はなんのメリハリもなく淡々と進みます。

というわけで

見る機会が少なそうな作品なので、私も淡々と最後のオチまで書いてしまおうか、と。


ロボットに協力し、人間そっくりのヒューマノイドを開発するレイヴン博士。
「生身の人間の同盟」に研究所に踏み込まれ、研究内容が明るみに出そうになった博士は「私を殺せ」とヒューマノイドに命じる。「研究内容が知られれば弾圧が始まりロボットたちの立場が危うくなる」と考えた博士は自らが犠牲となり秘密を守ったのだ。

研究内容は知られなかったものの、ヒューマノイドが人間を殺したという事実は大問題。

今後のロボットたちの監視方法などを話し合うため、「生身の人間の同盟」幹部のクレイグスらは集会を開く。
弾圧か全面対決か。そんな折、クレイグスの妹エスメがなんと召使であるロボットのパックと恋仲になっているという知らせが届く。

まさか幹部である自分の妹が・・・

怒り心頭のクレイグスはエスメの家へと乗り込むが、エスメのロボットに対する想いやロボットがいかに優れているかを延々と聞かされ、クレイグスの表情は次第に複雑なものへと変わっていく。

そこに現れたのがエスメの友人であるマキシンという女性。マキシンに以前から恋心を寄せていたクレイグスはエスメを説得できないままマキシンと家を出る。
お互いが気に入り恋を語らう二人。すると突然緑色のロボットが現れ、二人を彼らのアジトへと連行してしまう。

そこで彼らを待っていたのは、なんと、若返った姿のレイヴン博士。死んだはずの博士が何故ここにいるのか? やがてレイヴン博士の口から二人に衝撃の真相が語られる・・・

で、その「衝撃の真相」ですが・・・

なんの「演出」も「タメ」もなく、物語の核ともいえる「どんでんがえし」をいとも簡単にばらさしてしまう映画って本当に珍しいです。

普通の会話の中で唐突に語られるものですから、そっちの方にびっくりしてしまったほど。

そんなわけで

その衝撃の真相とやらもここに書いてしまいましょう。

その場に居合わせたロボットの口から発せられた一言

「クレイグス、あなたはロボットなのです・・・」

ガ━━(゚д゚;)━━ン!!

実はクレイグスとマキシンは共に数ヶ月前の事故により死亡しており、手術をしたレイヴン博士の手により本人達も知らぬままヒューマノイドにされていたのでした。
信じ堅い表情のクレイグスであったが、ロボットが手にしていた短剣でクレイグスの心臓を一突きすると、血液ではなく緑色の液体が流れ出す。

個人の記憶、個性、能力などの全てが移植され、生殖能力をも備えた人間型ヒューマノイド。

二人は完璧な性能を与えられた最初の人間型ロボットであった・・・


ロボットを監視する立場の人間が実はロボットで、というのはなんとも皮肉な結末ではあります。

この映画って実は奥が深くて風刺やメッセージ性に富んだ作品なのかも知れません。小説だったら面白そうです。

あとは個人的な感想をぼちぼち

ロボットという言葉を発明した「R.U.R.」のカレル・チャペックが脚色を担当。そのせいかちょっと「R.U.R.」に似ています。カレル・チャペックの「R.U.R.」を脚色した作品であるため、ロボットが団結するといった所や、「新世界のアダムとイブ」を思わせるラストシーンなどに類似点が見られます。

映像から分かるのは、ものすごい低予算であるということ

段ボールのようなセットと会話劇はちょっとだけ旧『スタートレック』を思わせます。

でも、セットの配色や照明などはどれもかなりシュールなもので、「アート」って感じですね。これはなかなか良いです。不思議な前衛芸術を見せられているような印象でした。

他の映画からの流用が多いのがちょっとオモシロイ。ロボットの進化をあらわした映像ですが


見た事あるやつが(^.^) ハリーハウゼンの円盤の宇宙人がロボットとして流用されています。

緑のロボットの衣装は『宇宙水爆戦』のメタルーナと同じですね?

BGMは、多分『宇宙戦争』とか『禁断の惑星』からの流用。あるいは単にパクリか。
まぁ、これはSFっぽくて良い雰囲気でした。

先に書いたように大部分が会話なので、特撮を必要としない数少ないSF映画の一つ、という事も言えます。

最後に真相が語られるあたりは『人造人間クエスター』を思わせる展開。

自分がロボットだと気がつかないあたりは『ブレードランナー』のレプリカントと同類ですね。

ロボットに自分を殺す命令をするのは『アイ・ロボット』

自分より優れたロボットを開発するのは『スクリーマーズ』でも見られました。

( ̄。 ̄)

なんだか不思議な気分です。こうして書いているとあまりにも色々な映画を連想しているのが面白い。

もっとも「この作品が後の映画にインスピレーションを与えた」というのは考えにくいですけど・・・

1962年の映画にしては洗練された印象で、70年代か80年代初期の作品のようなテイスト。まぁ、色々な意味で楽しめる作品ではありました。

地球の支配者が人間からロボットに取って代わられるという事を示唆したエンディング。

演出次第ではとんでもない名作になった気もするのですが・・・


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