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インビジブル・インベーダーズ/Invisible Invaders


インビジブル・インベーダーズ/Invisible Invaders (1959)

訳すと「透明の侵略者」とでもなるのでしょうか。

監督は『恐怖の火星探険』(1958)や『暗闇の悪魔・大頭人の襲来』(1957)のエドワード・L・カーン

主役であるアメリカ軍のジェイ少佐を演じているのは、『S.F.第7惑星の謎』(1961)や『金星怪人ゾンターの襲撃』(1966)などB級SF映画ではお馴染みのジョン・エイガー

舞台は軍備拡大競争に明け暮れる50年代時代のアメリカ。

核実験中の爆発により、研究者の一人であるノイマン博士が死亡するという事故が起る。責任者であるぺナー博士は核開発の中止を訴えるが、却下され辞任を決意。葬儀の後、悲観に暮れるのぺナー博士の前に死んだはずのノイマン博士が現る。

その正体は、コミュニケーションを取るためにノイマン博士の死体に乗り移ったエイリアンであり、ぺナー博士に「24時間以内に人類が降伏しなければ地球への侵略を開始する」と地球人に警告するようにと告げる。

彼らは別の銀河系からやってきて、2万年前から月を支配しているのだが、全てを透明にする技術により地球からは何も見えないのだという。博士だけの言葉では埒が明かないと分かると、エイリアンは地球人の体を乗っ取り、自ら地球人に警告を発するという手段に出る。

だが人類は降服せずにエイリアンと戦う事を決意。怒ったエイリアンは世界中の死者を蘇らせ、地球への破壊活動を開始。

世界中の科学者が、対エイリアン用の兵器を開発すべく集結し、ここに開戦の火蓋が切って落とされた。

大体こんなストーリーなのですが

宇宙人であり、透明人間でもあり、さらにはゾンビでもあるという侵略者、というアイデアはちょっと凄いかも・・・

この時代によくあるホラーだかSFだか分からない音楽も良い雰囲気です。

主な登場人物


生き返ったノイマン博士(左上)この人はデヴィッド・キャラダインのお父さんですね。ぺナー博士(右上)。ぺナーの助手ラモン博士と娘のフィリス(左下)。主人公のジェイ少佐(右下)

科学者がみんな人相悪い・・・

ゾンビの映像はなかなか印象的なものでした。

基地のモニタに映るゾンビ集団


全員が背広姿というのが気になりますけど・・・

青白い顔でよろよろろ歩くその姿は、どう見ても『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)あたりに影響を与えていると思われ。

50年代のB級作品という事もあり、やはり突っ込みどころは満載であります。

笑って済ませられるものがほとんどですが、これはちょっとひどいなぁ、と思ったのがエイリアン自ら地球人へ警告する場面。

ホッケーの試合場や野球場で実況席のアナウンサーの首を絞め、マイクを奪い取って人類に語りかけるという・・・

観客は簡単に信じて大パニックになるのですが、こんなやり方では普通イタズラと思われるだけでは・・・?


その後の侵略者の破壊活動は、全部ストックフィルムの流用。というか、ほとんどがニュース映像と思われます。

廃ビルの爆破シーン、台風、火事、洪水、火事、火事、火事、火事、火事・・・・・火事、と。こんな感じです。

(ーー;)

個人的にストックフィルムの映像大好きな私ですが、今回ばかりはアホらしいので、画像は無し。

そして迎えたクライマックス

もちろん最後は地球人がエイリアンを撃退するのですが、その方法というのが・・・

古い映画では定番の「音」(^^;)

捕らえたエイリアンが非常ベルの音に苦しむのを見た博士が音波銃を作り、地球側が反撃を開始します。

そして、ブクブクと泡になって消滅するという、ベタな死に方をするエイリアン


ゴーストバスターズみたいです。

そしてワゴンの上には音波銃を構えたジェイ少佐が!

この姿で円盤と戦い、世界を救うという・・・

しかもたった4人で

でも

アイデア自体は、もしかしたら予算があればとても良い映画になったのでは、と思わせてくれるものでした。

この映画は67分という短さ。

個人的に好きでない人間ドラマがほとんど無かったので、テンポよく見る事ができました。

と、一応褒めておきますか。

恐竜時代


古い記事を削除しての再アップ。これは『恐竜時代』(1969)のビデオパッケージです。

ハリーハウゼンの『恐竜100万年』(1966)に続いてハマー・プロが製作した恐竜映画。

監督ヴァル・ゲスト、原案はJ.G.バラード

この作品は英語ではなく、セリフは全て「原始人語」。しかし、適当にしゃべっているわけではなく、この映画のために作られた、ちゃんと意味を持った言語なのだとか。

73通りの意味を持つ27語だそうで、同じ言葉にしか聞こえないのに、字幕で色々な日本語に訳されている部分が多かったのがちょっと気にはなります。

「アキータ、アキータ、アキータ」

『不思議惑星キン・ザ・ザ』の「クー」みたい・・・

ストーリーは

生け贄として捧げられた山間部族の美女サンナが海に落ち、海岸部族に救われる。ハンナが生きている事を知った山間部族の長は引き渡しを要求。サンナは岩山へと逃げ込み、偶然恐竜の卵が孵化した時に居合わせたため、恐竜の親子と仲良くなる。平穏な日々が続いたが、やがて追手が現れて・・・と。まぁ、あまり中身はないです。


時代設定が古い映画を見ていると、現代に生まれた事に本心底感謝したくなります。生贄って、こんな理不尽な死に方をする時代に生まれなくて本当に良かった・・・

そんな事よりも

この作品の素晴らしい所は、ジム・ダンフォースが手がけた特撮に尽きます。
言い換えれば、それ以外に見所はほとんど無いという事ですが・・・

ハマー・プロはハリーハウゼンに特撮を依頼したのですが、ハリーハウゼンは『恐竜グワンジ』の準備に入っていたためこれを断り、代役として参加したのがジム・ダンフォース。
その結果、ハリーハウゼンが担当した前作を遥かに凌ぐクォリティのストップモーションを完成させてしまったのです。

その映像の一部がこれ。ストップモーションとは思えない滑らかさです。


http://palladion.fantasia.to/dino02.mp4


ちなみにこの恐竜は架空のもの。カニの動きも見事ですが映像が暗すぎるのが残念。
ダンフォースがこの作品のストップモーションに費やした時間は、9か月とも1年以上とも言われています。手作業で一コマずつ画面に擬似的にブレを付けて、ストップモーション特有のフリッカーを最小限に押さえたその映像の出来栄えは素晴らしく、ダンフォースの前作『ラオ博士の七つの顔』に続き、アカデミー特殊効果賞にノミネートされます。
ストップモーションに限って言えば、完全にハリーハウゼンのテクニックを超えちゃっています。これなら「カクカク怪獣」って揶揄されることもないでしょうね。

しかしながら、こういった作品を見るだびにハリーハウゼンの凄さを再認識してしまうのです。ハリーハウゼン作品って、特撮部分だけでなく映画としても十分に面白いですから。

おそらくこの作品、一般的な評価では最低映画の部類に入ってしまうのではないでしょうか。
原案を担当した作家のJ.G.バラードもそんな事言ってたようですね。

一部のファンを除けば、この映画の見どころってやっぱりこっち方面かな・・・?


キャプテン・シンドバッド


これは『キャプテン・シンドバッド』(1963)のビデオパッケージです。

同名の映画がありますが、これはバイロン・ハスキン監督の作品。

『宇宙戦争』 (1953)をはじめとするジョージ・パルとの共同作品や、『宝島』 (1950)などで有名な人ですね。

主役のシンドバッドは何と、宇宙家族ロビンソン(1965〜1968)のお父さん、ガイ・ウイリアムズ!

ところで、シンドバッドといえば

以前ブログで4回に渡って『アラビアンナイト』のシンドバッドについて書いた事がありました。

原作では船長でもなければ、剣を振り回して戦う事もない。職業は商人であり、多くの映画で描かれるヒーロー像とは程遠いというわけです。

で、

その時に「一番原作に近いのは何か」ということで、カレルゼマンのアニメ作品『シンドバッドの冒険』(1972)を挙げたわけです。


私にとってシンドバッドといえば、勿論ハリーハウゼンのシリーズ。

若き日のジム・ダンフォースは『シンドバッド7回目の航海』を製作中のスタジオにハリーハウゼンを訪ねた際、『シンドバッド7回目の航海』に使用されるさまざまなモンスターなどを見て、「この作品はシンドバッド映画のスタンダードにはならないだろう」と思ったらしい。

といった事もその時に書いたのですが・・・

原作との違いは考慮しないとして、実際のところ、シンドバッド映画の決定版って何なのでしょうか?

該当作品無しとか?

いつからシンドバッドが剣を振りかざして悪党と戦うヒーローとして描かれ始めたのか。
アニメか子供向けの絵本あたりが最初なのかもしれませんが、ちょっと分かりません。

実写版では、1946に『船乗りシンバッドの冒険』という作品があって、この時すでに姫を守る冒険家として描かれています。
ちょっと軽薄で女ったらしのようなシンドバッドはヒーロー然としたものではなく、やり手の詐欺師を思わせる振る舞い。
しかし、むしろこちらの方が原作には近いような気がします。
映画としてはすごく面白かったです。

ヒロイン役はモーリン・オハラ

この時代の女優さんは独特の美しさがありますね。

原作にも巨人や怪鳥がでてくる事だし、いっそのこと、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のようなセンスと特撮ででシンドバッドを描いてくれたら、それがすぐにでも決定版になりそうな気もしますが・・・

話を『キャプテン・シンドバッド』に戻さねば(汗

今でもDVDのタイトルに「シンドバッド」の文字を見かけると迷わずレンタルして見てしまほど好きなので、つい話がそれてしまいます。

この作品もご多分にもれず、お姫様を助けるヒーローとして描かれております。

そんなわけであまり書く事ないんですが・・・

ガイ・ウイリアムズ演じるシンドバッドに関して言えば、ハリーハウゼンのシリーズで演じたどの役者さんよりも、違和感なく見る事ができました。


あくまでもヒーローとしてとらえるならば、個人的にはガイ・ウイリアムズのシンドバッドが最も適役だったような気もします。

作品に関しては、前出の『船乗りシンバッドの冒険』あたりと比べるとさすがに1960年代なりの特徴はあります。

荒唐無稽さが数段増しており、アドベンチャーというよりも、完全にファンタジーの世界。


「心臓を別な場所に保管してあるから不死身」という設定

心臓や心が別な場所にあるという話は童話や映画でも時々見られる設定なので、この映画がオリジナルではないと思いますが、おそらく私がこの設定を最初に見たのはこの作品。

なので、結構インパクトがあったのを覚えております。

ドラゴン、お姫様、邪悪な君主、魔法使いなどなど、ファンタジーの定番キャラクターも多数登場。

とくに印象的だったのは、塔のてっぺんに保管された心臓を守る巨大な手


大きな大きなハリボテの手が人差し指を立てて、「チッチッチッ」と・・・

冒険物とはいえあまりシビアな映画ではないので、遊び心いっぱいの作品、と受け取るか子供じみてバカバカしいと解釈するかは人によって様々でしょう。

ヒーローがヒロインを守り、悪党を退治してめでたしめでたしという、フツーすぎる作品。

でも、この映画のエンディングの魔法使いのおじいちゃんの一言が大好き。

映画の中盤、魔法使いのカルゴが、明日処刑される運命のシンドバッドとお姫様を3分間だけ会わせる魔法を使います。

いろいろあって、映画の最後

シンドバッドと結婚して幸せになったお姫様が言います。

「カルゴが見せてくれた夢と同じだわ」

そして魔法使いの一言

「あれは夢ではなく、私の予言だったのです」

というわけで

いかにもファミリー向けの作品ですが、それなりにツボを押さえた作品と言ってもいいかもしれません。

最後に、この映画で一番驚いた事


この状態で、像が頭を踏み潰すという処刑方法 (((( ;゚Д゚)))

色々な処刑方法が図解付きで解説されている本を昔持っていましたが、こんなムゴいのは見た事ないんですけど・・・

原始獣レプティリカス


シドニー・ピンク監督の『原始獣レプティリカス』(1961)

そろそろブログに書こうかなぁ、なんて考えている矢先にDVDの発売を知り、「じゃあ止めとこう」と思ったまま現在に至る作品。

脚本のイブ・メルキオーは、私の中ではハリーハウゼンやジョージ・パルに並ぶ存在であります。

工事現場から発見された古代生物の細胞組織が研究所で再生を開始。巨大な怪物へと成長し、コペンハーゲンの街を破壊し始める、というフツーのモンスター映画。

昔は何度もテレビで放送されていた懐かしい作品で私は2、3回は見た記憶があります。

ブログには格好のネタなので、今では多くの方が感想など書かれていると思います。

と、

ここまで書いて、ネットで検索して他人の評価などをみてみると

やはり、といいますか、怪物の特撮の出来の悪さに非難集中。映画自体の評価も10段階評価で3程度、といった印象ですね・・・


まぁ、確かにこれでは(^^;)

レプティリカスに食われるおじさんが紙にしか見えないという・・・

レプティリカスの口から発射される毒液?のようなものの合成技術もお粗末なもので、画面に緑の液体をペチャッてひっかけたような映像は脱力もの。昔の映画の洪水とかのシーンで人が波にのみこまれるアレと同じですね。

唾吐いてるみたい・・・

私は特撮の良し悪しで映画を評価しない性質なのですが、そんな私でもあまりにも露骨な手抜きを見せられると、SFというジャンルが舐められているようで、さすがにあまりいい気持ちはしないというのもまた事実。

この作品を観賞した多くの人が東宝怪獣を連想し、レプティリカスの動きを見て、日本の操演怪獣のレベルの高さを再認識したことでしょう。

そういえば

中には、ウルトラマン以下のような評価をしていた方もいたのですが・・・

私の個人的な意見では

どれだけ操演がヘタだろうが、どれだけ醜かろうが、のぞき穴がバレバレの着ぐるみ怪獣よりはるかにマシ!!

まぁ、これは怪獣だけに限った話ですけど・・・

あの「のぞき穴」って子供の目から見ても明らかすぎて、興ざめしたのを覚えています。

特撮が酷いのは認めざるを得ないけど、結構面白いと思うんですねどね?

まぁ、明らかに名作とは呼べない映画でも、何故かツボに入ってしまい何度見直しても退屈しない作品、というのは誰にでもあるかと思います。

これは私にとってそんな作品の一つ。人には勧めませんけど・・・

でもこの作品、目に焼き付いてしまうような印象的なシーン多数ありです。

何故好きなのかという自己分析も兼ねて、好きなシーンをまとめてみると


・掘削機に絡まった状態で発見される怪物の肉片(やけにリアル)

・研究所に冷凍保存された怪物の一部(これまたリアル)

・爆弾攻撃をしたら飛び散った肉片から無数のレプティリカスが再生してしまうという設定(細胞が不死身)

それにしても

軍人と科学者の意見対立というのはSF映画では定番ですね。
多くの映画で「破壊する事しか考えられない馬鹿」という描かれ方をする軍人さんがちょっと可哀そうではあります・・・


その結果とられた作戦が

・薬剤をつめたバズーカ砲を、口めがけて打ちこむ作戦

そして怪物の死後には

・爆弾攻撃により海底に残された怪物の一部が動き出す場面(復活をにおわせる演出)

こうして書いてみると、後のモンスター映画や東宝映画にも影響をあたえたのでは? と思えるシーンが結構見受けられます。

実際どうなのか分かりませんが、1961年という制作年を考えると、あながち間違いでもないような気もしますが、どうなんでしょう?

特撮の出来はともかく

デンマーク軍の協力による、実物の戦車などを利用したド迫力の戦闘シーンは必見!

これ、結構凄いです。ミリタリーファンではない私でも見とれてしまうほど。この映画の一番の見どころってもしかしてココかも?


それゆえにレプティリカスの特撮とのギャップが際立つというのは困ったものですが・・・

群衆が逃げ惑うシーンと、それに伴うスタントシーンもなかなかのもの


可動橋から次々と人間が川に落下して行くシーンには驚かされました。怪我人とか出なかったのでしょうか?

というわけで

色々な意味での衝撃映像が満載の作品ではありました。

特撮がヒド過ぎるので評価を下げているものの、アイデア自体はそれほど悪くないのでは、と個人的に思っている作品であります。

あと、印象的だった映像といえば 

やけに呑気なデンマークの観光ツアーみたいな映像。

怪物が出現するまでの間、時間をもてあました将軍を現地の人が案内するという設定なのですが、結構長かったです、これ。

B級作品で時々見られるパターンですが、こうゆうの好きなんです・・・


The Puppetoon Movie/パペトゥーン・ムービー


ブログ再開

私たちの印刷業界は年末に仕事が忙しくなるにも関わらず、この時期に、であります。

というわけで

復活第一弾は、HPでも取り上げてますが、久々に観賞したジョージ・パルの『The Puppetoon Movie』 (1987)

クローキーのガンビー君が、ジョージ・パルの初期短編集を紹介するという趣向のDVDで、1930年〜40年代制作された人形アニメーション(パペトゥーン)が多数見られる作品です。

「パペトゥーン」というのは聞きなれない用語なので、いちおう説明しておきますと

「パペット」(立体人形)と「カートゥーン」(アニメ映画)を合わせた造語。ジョージ・パルが自分の作品を呼ぶのに使った名称で、ハリーハウゼンの「ダイナメーション」と同様に、ジョージ・パルが手掛けて初めて仕様されるべき言葉というわけです。

次に今更ですが「ストップモーション」との違いについて

同じ人形アニメでありながら、「アーマチュア」と呼ばれる骨格の入った一体の人形を少しずつ動かして撮影するストップモーションに対し「パペトゥーン」は、あらかじめポーズを作っておいた人形やそのパーツを必要な数だけ用意して、それらのパーツを入れ替えながら1コマずつ置き換えて撮影する、というもの。

1作につき数百から数千体ものパーツがあるのだとか・・・


ストップモーションが「いかにリアルに見せるか」を追及したのに対し、あくまでアニメとして見せようとしているのがわかります。

画面の中で縦横無尽に歌って踊る人形達。木彫りの人形がゴムのように変形したり、踏み潰された登場人物が風船のように膨らんで元の姿にもどったり、といったストップモーションでは不可能なカートゥーンチックな映像は必見。

さすがに時間をかけて撮影されただけの事はあります。

おなじコマ撮りでも大分テイストが違うので、ストップモーションが好きでもこのパペトゥーンは好きではない、という人がいても不思議ではありません。


素朴で優しげな映像です。いわゆる牧歌的とでもいいましょうか。でも、多くの人は「古臭い」とか「時代遅れ」といった感想を抱くのかもしれませんね。今となってはこういった映像を楽しめる人って少ないんだろうなぁ、と感じます。

個人的には、何故かサイレント映画の匂いすら感じてしまったという・・・

この頃の作品のスタッフに、オブライエンやハリーハウゼンがいたのも有名な話。

大変な手間とコストがかかるためほとんど使われなくなった技術であるとの事ですが、後の『親指トム』(1958)や『不思議な世界の物語』(1962)などでは効果的に使われていました。

ティム・バートンの長編アニメなどを見ていると、一部で同じような手法を使っているように見えますね。

ところで

制作された時代が30年代から40年代という事もあり、実はかなり風刺がちりばめられていると思われるのですが、例によって私はそんな事には無感心(笑)

登場キャラにやたらと黒人が多いののも何か意味があるのでしょうか・・・?

そういえば

自分が子供の頃って、ハリーハウゼンやパル作品以外にもストップモーションの映像ってかなり頻繁にテレビで放送されていた印象があります。

クリスマスのお話で、少女が煙とともにモンスターに変わる映像など目に焼き付いているのですが、その作品が何だったのか、今となっては知る由もありません・・・

このDVDは日本では未発売の輸入版でなのですが、英語が堪能でなくとも十分に楽しめるものとなっています。

ボブ・ベイカー(『巨大アメーバの惑星』のコウモリグモや『未知との遭遇』のエイリアンをなどを作成し、動かしていたことで有名な人です)のインタビューも収録されるなど、見どころもたくさん。


これは英語が聞き取れないと厳しい(苦笑)

様々なキャラクターが登場する『The Puppetoon Movie』ですが、一番の発見は、特典映像の「The ship of the Ether」でアンパンマンによく似たキャラクターを見つけた事。


あまり意味ないですけど・・・

猿の惑星


久しぶりの更新ですが、この数ヶ月間は身内の入院などいろいろありまして、ブログどころではなかったのであり、書く気力も出ず

と日記には書いておこう

自分のブログなんてやっている場合ではなかったものの、相変わらず映画はたくさん観賞しておりました。しばらくは他の方のブログ拝見したり、いろいろなサイトで皆さまのコメント読んだりと、それなりに映画を楽しんでおりました。

他にやる事も無いし・・・

再開後の一発目は、自分はまず書くこと無いだろうと考えていた『猿の惑星』(シリーズ)

いろいろなサイトを見ていて感じたのは、何故そんなに斜に構えて映画を見るのかなぁ、という事。

「1億総評論家」なんて言葉もありますが・・・

もっと単純に映画という娯楽を楽しめないのかなぁ? などと、ちょっと不思議な感覚すら覚えたほど。なんでこれを素直に楽しめないんだろう? 損してない? とか。

自分のブログで「この映画がいかに駄作であるか」を延々と語ってみたり、あげくには脚本家や監督を無能呼ばわりしたり??

まあ、本気でそう思っているのか、十分楽しんだ上で「自分の批評」を楽しんでいるのか分かりませんけど・・・

でも

駄目だった箇所を批判した後に、ちゃんと自分の意見を述べているブログは好感が持てますね。
なるほど、そういった見方もあるのか、と参考になります。

そういえば、私は掲示板の類は好きでない、といった事を以前に書いた覚えがあるのですが・・・

やはり、今回も公共の掲示板での無意味な論争には辟易させられました。

映画の好みなんて人それぞれ

価値観が全く違う者同士が相手の映画の見方を批判、そしてお互いが中傷合戦を展開。こんなものは第三者から見たらナンセンス以外の何物でもないと思うのですが・・・

これって当の本人たちは気付かないものなのでしょうか??

ε=( ̄。 ̄;)フゥ

いきなり話が大幅にそれましたが・・・

こんな当たり前の事を長々と書いてしまったのも、私がブログで取り上げるほとんどの多くが、あまり一般的には評価されないであろう作品だから、というのも一因かと。
このブログで取り上げた作品ばかりではなく、自分のお気に入り作品を「ゴミ映画」のように評しているコメントを見かけると、さすがにカチンとくることも・・・

それ以前に、マイナーすぎる故にコメントゼロの作品も多数

( _ _ )

えーと、気を取り直して『猿の惑星』ですが

GW中に久しぶりに通して観賞したのですが、やっぱり楽しめました。

この作品に関して言えば、子供の頃に見て感じた事と、現在の感想がほとんど変わっておりません。
これはちょっと珍しい事なのですが、それだけこの作品が単純で分かりやすい作りである、という事かも?

そういえば、自分のブログで映画を星の数で評価したりしている方がいたので、その真似をして10段階でも。
一作目を10点満点として、以降は7点、9点、8点、7点、といったところ。うーむ、我ながら甘すぎです。

5作品もあるので、個人的なプチ感想

『猿の惑星』(1968)

映画の前半で人間狩りをするゴリラの映像が画面に大映しになった時の衝撃は未だに忘れられません。猿に支配される主人公テイラーの苦悩がひたすら描かれるのですが、全く飽きることなく画面にくぎ付け。喉を怪我したテイラーがようやく猿に向かって言葉を発する。この後どーなるの? 全編を通してスリル満点の展開と衝撃のラスト。文句無しに面白かった。そのラストシーンがそのままDVDのジャケットになっていたのもある意味衝撃でしたが・・・

『続・猿の惑星』(1969)

スリリングな展開は前作同様に楽しめました。あまりスケール感のない爆弾を「神」と崇めるミュータントたちを見た時は「そんなバカな?」と思いましたが(苦笑)
言っている事も何だか頭悪そうで・・・。最後はテイラーが爆弾のスイッチを押して地球は消滅。

ここまでは、明らかに続編を意識していませんね。スタッフは続編を作るつもりは無かったのに、あまりの人気で続編の制作が決定したものだから、つじつま合わせに苦労したのだとか。うろおぼえですが、こんな話を何かの本で読んだ記憶があります。

『新・猿の惑星』(1971)

地球が消滅する直前に修理した宇宙船で脱出した三匹の猿が偶然1970年代の地球にやってくる、というかなり強引な設定のお話。
あの猿がそんな短期間で宇宙船を修理???
当時は制作側の事情なんて知る由もないので、子供心にも「そんなバカな」って思っちゃいました。
最初は人類に歓迎されるコーネリアスとジーラ。前半のユーモラスな描写はそれだけで十分楽しめるものでした。後半のムードは一変して、人類にとって危険な存在であると判断された二匹の逃亡劇となります。
悲惨なラストが多いこのシリーズの中でも最も後味の悪い結末。最後のコーネリアスの断末魔の叫び声のすさまじさといったら・・・。前半が楽しかった分尚更、ですね。
この作品以降は続編を意識した作りになってます。

『猿の惑星・征服』(1972)

第一作目の猿と人間の立場が入れ替わったような展開。ロディ・マクドウォールの演技は素晴らしかったですね。第一作のチャールトン・ヘストンに負けず劣らず、シーザーの悲しみや苦悩がダイレクト伝わり、感情移入させられます。
この程度で人間が征服されちゃうの? もっと強力な武器は?って感じたのは、作品自体にスケール感があまりなかったせいかも。

『最後の猿の惑星』(1973)

それなりに面白かったです。
この後、第一作目につながるのですが、どうして人間は喋れなくなったのでしょう?
4作目からの数年間での猿の進化の早さには唖然としましたが・・・

というわけで

私はどの作品も好きではあるのですが、ちょっと問題だなぁ、と思うのは、これらの感想はすでに子供時代にも感じていたという事。

小学生の目で見てこれだから、一般的に続編以降の評価がそれほど高くない、とうのもある意味納得するしかありません。当時の大人達が馬鹿馬鹿しいと一笑に付していてもおかしくありませんね。

でも、このシリーズに関しては設定の矛盾点を指摘しても、あまり意味が無いような気がするんですよね・・・

その辺りに目をつぶればかなり上質のエンターテイメント作品だと思うし、子供の頃に一作目を見て以来、次々とテレビで放送され、現在まで何度も観賞し楽しませてくれたたこのシリーズには今でも感謝の気持ちしかありません。

『ヒューマノイドの創造物』Creation of the Humanoids


『ヒューマノイドの創造物』(1962)

この映画の舞台は核戦争後の地球。
地球の人口は激減し、ほとんどの人間が放射能の影響で不妊症となってしまった近未来。
生き残った人間たちは緑の皮膚を持つロボットを作り、それらを労働力とし再建への道を模索していた。
高い知性を備えたロボットたちは人間に忠実であったが、しだいに進化し、中には自我を持つ者も現れ始めた。
ロボットに取って代わられる事を恐れた一部の人間は「生身の人間の同盟」を結成し、ロボットたちを「クリッカーズ(リモコン)」と呼び監視するようになる。

えーと

この作品はこれまでに見た作品の中でもそうとう変わっています。異色中の異色。

全体の9割以上が会話なんですね。3つか4つほどセットを用意して、延々と役者さんたちの会話劇が続くので舞台劇を見ているような印象でもありました。物語はなんのメリハリもなく淡々と進みます。

というわけで

見る機会が少なそうな作品なので、私も淡々と最後のオチまで書いてしまおうか、と。


ロボットに協力し、人間そっくりのヒューマノイドを開発するレイヴン博士。
「生身の人間の同盟」に研究所に踏み込まれ、研究内容が明るみに出そうになった博士は「私を殺せ」とヒューマノイドに命じる。「研究内容が知られれば弾圧が始まりロボットたちの立場が危うくなる」と考えた博士は自らが犠牲となり秘密を守ったのだ。

研究内容は知られなかったものの、ヒューマノイドが人間を殺したという事実は大問題。

今後のロボットたちの監視方法などを話し合うため、「生身の人間の同盟」幹部のクレイグスらは集会を開く。
弾圧か全面対決か。そんな折、クレイグスの妹エスメがなんと召使であるロボットのパックと恋仲になっているという知らせが届く。

まさか幹部である自分の妹が・・・

怒り心頭のクレイグスはエスメの家へと乗り込むが、エスメのロボットに対する想いやロボットがいかに優れているかを延々と聞かされ、クレイグスの表情は次第に複雑なものへと変わっていく。

そこに現れたのがエスメの友人であるマキシンという女性。マキシンに以前から恋心を寄せていたクレイグスはエスメを説得できないままマキシンと家を出る。
お互いが気に入り恋を語らう二人。すると突然緑色のロボットが現れ、二人を彼らのアジトへと連行してしまう。

そこで彼らを待っていたのは、なんと、若返った姿のレイヴン博士。死んだはずの博士が何故ここにいるのか? やがてレイヴン博士の口から二人に衝撃の真相が語られる・・・

で、その「衝撃の真相」ですが・・・

なんの「演出」も「タメ」もなく、物語の核ともいえる「どんでんがえし」をいとも簡単にばらさしてしまう映画って本当に珍しいです。

普通の会話の中で唐突に語られるものですから、そっちの方にびっくりしてしまったほど。

そんなわけで

その衝撃の真相とやらもここに書いてしまいましょう。

その場に居合わせたロボットの口から発せられた一言

「クレイグス、あなたはロボットなのです・・・」

ガ━━(゚д゚;)━━ン!!

実はクレイグスとマキシンは共に数ヶ月前の事故により死亡しており、手術をしたレイヴン博士の手により本人達も知らぬままヒューマノイドにされていたのでした。
信じ堅い表情のクレイグスであったが、ロボットが手にしていた短剣でクレイグスの心臓を一突きすると、血液ではなく緑色の液体が流れ出す。

個人の記憶、個性、能力などの全てが移植され、生殖能力をも備えた人間型ヒューマノイド。

二人は完璧な性能を与えられた最初の人間型ロボットであった・・・


ロボットを監視する立場の人間が実はロボットで、というのはなんとも皮肉な結末ではあります。

この映画って実は奥が深くて風刺やメッセージ性に富んだ作品なのかも知れません。小説だったら面白そうです。

あとは個人的な感想をぼちぼち

ロボットという言葉を発明した「R.U.R.」のカレル・チャペックが脚色を担当。そのせいかちょっと「R.U.R.」に似ています。カレル・チャペックの「R.U.R.」を脚色した作品であるため、ロボットが団結するといった所や、「新世界のアダムとイブ」を思わせるラストシーンなどに類似点が見られます。

映像から分かるのは、ものすごい低予算であるということ

段ボールのようなセットと会話劇はちょっとだけ旧『スタートレック』を思わせます。

でも、セットの配色や照明などはどれもかなりシュールなもので、「アート」って感じですね。これはなかなか良いです。不思議な前衛芸術を見せられているような印象でした。

他の映画からの流用が多いのがちょっとオモシロイ。ロボットの進化をあらわした映像ですが


見た事あるやつが(^.^) ハリーハウゼンの円盤の宇宙人がロボットとして流用されています。

緑のロボットの衣装は『宇宙水爆戦』のメタルーナと同じですね?

BGMは、多分『宇宙戦争』とか『禁断の惑星』からの流用。あるいは単にパクリか。
まぁ、これはSFっぽくて良い雰囲気でした。

先に書いたように大部分が会話なので、特撮を必要としない数少ないSF映画の一つ、という事も言えます。

最後に真相が語られるあたりは『人造人間クエスター』を思わせる展開。

自分がロボットだと気がつかないあたりは『ブレードランナー』のレプリカントと同類ですね。

ロボットに自分を殺す命令をするのは『アイ・ロボット』

自分より優れたロボットを開発するのは『スクリーマーズ』でも見られました。

( ̄。 ̄)

なんだか不思議な気分です。こうして書いているとあまりにも色々な映画を連想しているのが面白い。

もっとも「この作品が後の映画にインスピレーションを与えた」というのは考えにくいですけど・・・

1962年の映画にしては洗練された印象で、70年代か80年代初期の作品のようなテイスト。まぁ、色々な意味で楽しめる作品ではありました。

地球の支配者が人間からロボットに取って代わられるという事を示唆したエンディング。

演出次第ではとんでもない名作になった気もするのですが・・・


THE CRAWLING EYE


THE CRAWLING EYE(1958)

今年の正月は8連休。

相変わらずの読書と映画観賞に夢中になりすぎてブログは放置・・・

生活感の無い私のブログは正月など無かったかのように地味な作品で再開いたします。

これほどのマイナーな作品は久しぶり。日本ではテレビ未放送、DVD未発売でありますがこれはなかなか良い映画ではないかと。

この作品はイギリス製で映画の舞台はスイス。

オープニングは雲ひとつない晴天の中、登山をする三人の男達のショット。先に登った一人が「霧が立ち込めてきて見えない、ちょっと待て、何かが近づいてくる」と言い始める。姿が見えないので残された二人が訝しんでいると上の男は悲鳴を上げながら落下してしまう。慌てた二人が命綱を引き上げてみると、残されていたのは無残にも首が引きちぎられた男の死体であった・・・

いきなり観客の度肝を抜く残酷描写(当時としては、ですが)の直後、迫力満点のスコアと共にオープニングタイトルが入ります。


画面は変わり、山岳地帯を走る汽車の中。国連の科学者アランと偶然乗り合わせた若い姉妹サラとアン。アンはスイスの山並みを眺めているうちに、突然意識を失ってアランの膝の上に倒れこんでしまいます。
実はアンにはテレパシー能力があり、山に潜む邪悪なものを察知しショック状態となってしまったのでした。
知らないはずの「首なし殺人」について語るアン。科学者アランもまた「首なし殺人」の件で友人のクレヴェット博士に呼ばれ、現場へと向かう途中なのでありました。

というわけで、役者が揃ったところで物語は本題へと突入します。

まぁ、その、あまりストーリーを追っていてもアレなんで、かいつまんで書いてしまうと

・研究所で調査を続ける博士たち。たちこめる「霧状の雲」に何か秘密がありそうだ。

・山が気になって仕方が無い様子のアン

・その後も起こる「殺人事件」

・事件に巻き込まれたと思われた男の奇跡の生還。しかしその男はすでに死んでおり、何者かによって操られていたのだ! あやうく殺されかけるアンだが、危機一髪アランに救われる。

・やがて「霧状の雲」が活動範囲を広げ、非難する村人たち

・そしてついに怪物が霧の中から姿を現し、クライマックスはホラー映画からモンスターパニック映画へ・・・

と、まぁこんなところ。

モンスターの造形やテレパシーが使えるといった設定、制作年代などを考えると安直なB級映画を連想するかもしれませんが、同時代の格安アメリカ映画と比べるとホラー要素が強く、日本で見ることができないのはちょっと勿体ない作品であると思っています。
古典と呼ぶにふさわしい作品ではあると思いますが、時代を超越するほどの「何か」があるかと言われると、正直それほどの作品とは・・・


しかし、SFでありながら古典的なホラーを思わせる霧を多用した演出と緊張感のあるストーリー展開はなかなかのもの。
美しいロケーションと可憐な女性たちの存在が作品をいくぶん上品なものにしていたように感じます。

写真で見るとモンスターの造形はちょっと安直な気もしますが、物語の独創性とあいまって、霧の中から現れた時の威圧感はかなりのものでした。


このモンスターを見ていて思い出したのですが

以前、進化論関連(だったかな?)の本で大真面目に地球外生命体の姿形を検証した記事がありました。

それによると

私たち自身が宇宙人のサンプルでもある

目が二つなのにもちゃんとした理由がある。五官などの器官は脳の近くにあるはずだ。平行進化と呼ばれる理論がどうたら。視覚などの器官も光の法則から考えて・・・

などなど様々な検証が延々と続き、そこから導き出された結果は

惑星の大きさや重力などの関係で体型に違いが生じると考えられるものの、高等生物であれば地球上の生命体とそう大差ないであろう、というもの。
異常にグロテスクであったり、SF映画で出てくるベタベタニョロニョロのものは考えにくいとの事。

高度に進化した生物ならば、目や鼻、ましてや心臓などが両足の先に付いているなどという事はありえない。非常に機能的でスマートな形態となるはずだ、という事らしいです。

確かに一つ目宇宙人がいるのなら、地球にもそんな生物がいてもおかしくないですからね・・・

というわけで

残念ながら?この映画のように目玉とか脳味噌むき出しの弱点だらけの生物は存在するハズもない、という事ですね。
想像力が豊かだったのか、知識が乏しかったせいなのか、この当時のエイリアンの造形は個性的でした。
現在こんなエイリアンをデザインしたら観客の失笑を買いそうですね。
言い方を変えればデタラメという事ですが、この時代のエイリアンやモンスターには今でも心惹かれます・・・

ところで

現在「エイリアン」というものを象徴するデザインといえば「グレータイプ」というやつでしょうか? キャラクターグッズなどを見ていても感じるのですが、いつの間にかエイリアンといえばグレータイプというのが頭に刷り込まれてしまったようです。私自身「宇宙人」と聞いても「タコ型の火星人」を連想しなくなりましたから。

もともと実際の目撃談にも「タコ型の宇宙人を見た」といった報告は無く、大昔から目撃例といえばBEMやグレータイプが多かったようですが。

大幅に話がそれたところで、あとは書くこともないのでおしまい・・・

あ、最後にこの映画の結末ですが、集団で襲ってくるモンスターの迫力は見ごたえ十分でしたが、空軍の爆弾数発であえなく撃沈。
一応地球侵略を企む異星人という設定らしいのですが、隙だらけで弱すぎ。知性ある生物というよりは山に住みついた妖怪の類にしか見えませんでした。
この結末のおかげで名作になりそこなったような気がします。中だるみもなく結末まで一気に魅せたのにちょっと残念。

バットマン(1966)


前回からのシーザー・ロメロ(ジョーカー役)つながりで『バットマン』(1966)

志村けんに見えなくもないですけど・・・

私が『バットマン』の実写作品を最初に見たのはティム・バートン版でした。

その後しばらくして初めてどこかのチャンネルで(WOWOWだったかも)1966年版を見た時のはかなりの衝撃を受けたものでした。

最初に頭をよぎったのが

「ティム・バートン版以前はこれが皆のイメージするバットマンだったのか?」ということ。

コメディタッチの軽いノリ、というよりも悪役も含めて能天気過ぎる作品なのですが「バットマンだからシリアスな作品に違いない」という先入観があったので、死ぬほど笑ってしまいました・・・

一人で見ていて声を出して笑ってしまう作品ってそう多くはありません。

ただ

この作品の場合、監督が意図的に笑いを取ろうとした部分と意図せずに視聴者の爆笑を誘っている部分が未だに私には区別出来ないのであります。

バットマンとロビンのやたらとハイテンションな動作は意図的に笑わそうとしたとは思えないのですがどうなんでしょうか?


アダム・ウェストの動きがやけにクネクネしたオーバーアクションなのが気になります・・・

まんまるの爆弾を頭の上に掲げて港のあちこちを駆けずり回るシーンなどは涙を流しながら笑ったものです。

有名な「バットマンのテーマ」をバックに国連のビルまで走って向かうシーンには「先に電話くらいしろよ!」とツッコミを入れつつ、まともに画面を見ていられないほどの大爆笑。

監督の狙いなのか真面目にやってるのか・・・

この作品以前にも『バットマン』は映像化されていたようで


上が The Batman (1943年)で下がその続編 Batman and Robin (1949年)だそうです。ダークな雰囲気はコミックで見かけるバットマンのイメージとそう大差無い気もします。

これらの作品は映像を見た事が無いので比較できませんけど、写真で見る限りでは1966年版のマヌケぶりが群を抜いているなような気も・・・

そういえば

バットマンがらみの作品でアダム・ウェストとバート・ウォードが本人役で登場するメイキングのような物もWOWOWで見たような気がするんですけど、アレ何だったのか・・・?

バットマンといえば、登場する数々のメカが作品ウリの一つであり、この作品に登場するバットモービルのデザインは秀逸でした。

手元の本によると

1955年に開催されたモーターショー用に製作されたコンセプトカー「リンカーン フューチュラ」をベースに、劇中車の制作で有名な社ジョージ・バリスによって改造され、その洗練されたデザインはバットマンシリーズの中でも特に高い人気を誇っている。

との事

なるほど、比較してみると


どちらも美しい、見事です。

関係ないけど、劇中車では私は「マッハロッド」が断トツで好きでした、特に前期型。

格好イイといえばオープニングの格好よさも必見でありますが、本編は全編ツッコミどころ満載の107分間。

まぁ、コントだと思って見ていたらそれほど笑えるシーンではなくとも、ある程度真面目に演技しているのでそのお間抜けぶりがツボに入ると・・・といったところでしょうか。


とぼけたキャラの憎めない悪役たちも安心して見ていられるし、何よりバットマンとロビンが仲が良いのが助かります。

ティム・バートン版はともかく、『ミスター・フリーズ』あたりになると、クライマックスに仲直りするまでずーっとバットマンと喧嘩ばかり。ロビンのセリフのあまりの馬鹿馬鹿しさには唖然としたものです。

と、書いていて今思い出したのですが

1966年版はバットマンとロビンが仲が良すぎて同性愛に見える、と視聴者から指摘があったのだとか。それが理由でバットガールを登場させたとの事。TVシリーズ見てないから何の事やら分かりませんけど・・・

死の大カマキリ/The Deadly Mantis


前回からの巨大生物つながりで『The Deadly Mantis』(1957)

1950年代では定番の巨大生物映画。書籍などでは『死の大カマキリ』とという邦題で紹介される事が多い作品です。

ユニバーサル映画であり、制作は『大アマゾンの半魚人』(1954)、『宇宙水爆戦』(1954)のウィリアム・アランド。
監督は『地球へ2千万マイル』 (1957)、『シンバッド七回目の航海』(1958)、『月世界探険』 (1964)などのハリーハウゼン作品でお馴染みのネイザン・ジュラン!!

にもかかわらず、日本では劇場未公開。ビデオ・DVDとも未発売なのですね。

まぁ、面白くないし売れない、と判断されたのでしょうが・・・

この作品のストーリーをちょっと端折って書いてみますと

・レーダーに映る謎の飛行物体。その後基地や輸送機が襲われる事件が多発

・事件現場で軍が謎の物体を発見。科学者や古生物学者が分析を始める

・どうやら巨大な昆虫らしい、「これはカマキリに違いない」という結論に

・正体が判明すると同時に巨大カマキリが大暴れを開始

・あちこち襲撃しながらついに首都ワシントンへと飛来。軍隊との攻防戦が始まる

・最後は軍隊の攻撃を振り切ってトンネルの中に逃げ込んだところを、毒ガスで退治されて、THE END

というわけで

もー典型的な50年代の映画。平均中の平均。逆に言えばそれほど悪くもないのですが・・・

巨大生物といえば

大きく分けて「放射能の影響により巨大化したもの」と「元々生息していた生物が復活したもの」の二種類があります。

この作品は後者で、原因は火山の爆発。

こんなでっかいカマキリがかつて存在していた、という設定はともかく、北極で氷漬けになっていたというのがちょっと意味不明・・・

ハリーハウゼンの『水爆と深海の怪物』とかもそうだったんですけど、「長い眠りから覚めた」だけなのに「放射能で巨大化した」と間違った解説をしている書籍が多いのには驚かされます。「あんたたちプロでしょ?」っていつも思っちゃいますよ。
『ゴジラ』とかの設定が頭に刷り込まれていて、よく調べもしないで書いているのでしょうかね?

それはともかく・・・

この映画の巨大カマキリは雑誌のスチルなどにはよく載っていたのでモンスターファンには結構有名かもしれません。


巨大カマキリと聞いて私たち日本人が真っ先に思い出すのが『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』 (1967) に登場したカマキラスでしょう。

私はカマキラスのファン(笑)

昔から着ぐるみ怪獣が好きでは無かったという事もあるのですが、十数名のスタッフで操演したというカマキラスの動きを劇場で見た時は大いに感動したものです。


デフォルメされたデザインではなく、ほとんどカマキリがそのまま大きくなっただけという造形なのですが、これがかえって大きなインパクトを与える要因になっていたような気がします。

そんなカマキラスの大先輩にあたるのがこのDeadly Mantisで、こちらもほとんどそのままカマキリ。
かなりの迫力でどことなくニヒルな印象。なかなか格好いいんですよ、これが。


普通に評価したら掃いて捨てるほどあるモンスター映画の一つなのでしょうが、このモンスターの造形は特筆もの。一部本物のカマキリを使用しているものの、ほとんどシーンでリアルに作られたものが使用されています。
操演なのか機械仕掛けなのかわかりませんが、巨大なカマキリがゆっくりと迫ってくるカメラアングルや飛行シーンの重低音の羽音の迫力など、B級映画と舐めていたら予想以上の出来栄えに驚かされました。細部まで作りこまれたその造形は芸術的であります。

それ以上に驚いたのが、「どこから声出してんだ?」と思わせるカマキリらしからぬ鳴き声だったんですけどね。ほとんどウルトラ怪獣のようでした。

そして、この映画で大量に使用されるストックフィルム。


あまりにも作品に違和感なく溶け込んでいて、どこまでが本当のロケだか分からないほど。低予算映画という事を知らないで見たら超大作に見えてしまうかも? 数あるB級映画の中で最も多くストックショットが使用された作品かもしれません。空母の映像とか凄すぎ・・・

ただ

この巨大カマキリ、滑空シーンがほとんどで、最後は地下トンネルに逃げ込んだところをあっさりと毒ガスで殺られてしまいました。巨大生物映画ではお馴染みの「街を破壊するシーン」がほとんど無いのがモンスター映画としては致命的のような気がします。

でも、どこか一つでも自分の中で名シーンと感じられる部分があればそれで良いのです。

ネイザン・ジュラン監督の作品って、この作品も『ジャックと悪魔の国』(1962)もそうなのですが、ハリーハウゼン作品以外はなんとも微妙な出来栄えですね・・・

ハリーハウゼンファンの私にしてみれば、漠然と大御所のようなイメージがあったのですが、普通に考えたらB級専門の監督さんといったところでしょうか。

ハリーハウゼン作品ってやっぱり監督の力量よりもハリーハウゼン自身の力によるところが大きかったのだなぁ、と改めて感じる次第です。

巨大生物の島(1976)


『巨大生物の島/巨大ネズミの襲撃』(1976)

えー、これはバート・I・ゴードン監督の動物パニック映画。

しかし、2週ぶりの更新でこの作品とは・・・

この島の生物は化け物だ! 農場から湧き出る物質を食べて巨大化したハチやニワトリやネズミの大群が人間を食い殺そうと襲ってくる! SFホラーの名職人監督バート・I・ゴードンが1976年に放ったヒット作がこれだ。

とビデオの裏側に書いてあるのですが・・・

舞台はとある離島。主役(襲われる人たち)は休暇でやってきたフットボール選手のモーガンとその一行。
地面から湧き出た「謎の白い液体」を飲んだ動物が巨大化し観光旅行にやってきた人々を襲う、というシンプルなお話。

この白い液体が原題でもある「神様の食物」(THE FOOD OF THE GODS)というわけです。

昔テレビで放送されましたね、これ。懐かしいです。何度も放送された『巨大蟻の帝国』と違って一度しか見た記憶がありませんが、映画の冒頭からこれでもかとばかりに登場する巨大生物は迫力満点であります。

トカゲに背びれをつけた恐竜などに感じた脱力感はあまりなく、この作品はかなりのインパクトでした。


蜂、鶏、芋虫、ネズミ。芋虫がやけにリアルなんですけど・・・

ところで

バート・I・ゴードン監督を崇拝している人っているのですかね?

ひたすら接写と合成のみのシンプルな特撮。

他の映画監督がこの人の事をどう思っているのか聞いてみたいものです・・・

まぁ、サービス精神が旺盛に感じられるのはこの監督さんの良い所かもしれません。ある種の熱意というか、作品に対する情熱のようなものを感じてしまうのですが・・・これって勘違い?

蜂、鶏、芋虫はあくまでも巨大ネズミが現れるまでの伏線に過ぎず、映画の後半は主人公たちと巨大ネズミとの生き残りをかけた戦いが繰り広げられます。


(((( ;゚д゚)))アワワワワ

鉄砲で撃たれるネズミ

爆破されるネズミ

感電するネズミ

溺死するネズミ

現在だったら造作なくCGで描ける描写も全て実写。

あの、完全に裏返って水に浮いてるのがいるんですけど・・・

ネズミたちに演技指導できるハズもないし、撮影の現場ってどんな空気だったのでしょうか。

撃たれるシーンはペイント弾っぽいですね? 実弾でないとしても衝撃で吹っ飛んでいるし、痛みで逃げ回るネズミが痛々しい。

まぁ、野生のネズミって今でも駆除される運命とはいえ、今見るとさすがに可哀そうでなりません。自分の子供時代を思い出してみるとやっぱり残酷だったんだなぁ、と感じます。自分自身結構酷い事した記憶もあるし(汗)

今となっては残酷描写ばかりが気になってしまうのですが、作品の出来自体はそれほど悪くないと思っています。

見慣れた生物なので陳腐に見えてしまうシーンもありますが、合成とカメラアングルが上手く決まった時などは尋常ではない迫力を醸し出していました。

ひたすら生物を巨大に見せる事に徹したMr.BIGの面目躍如、と言いたいところですが・・・


( ̄" ̄;)・・・

ここでも裏返って浮いてるのが・・・。関心ばかりもしてられないし、困った作品ですね、これ。

散見される御都合主義はさておき、ホラーっぽいロケションや作品のテンポはそれなりに良かったし、役者さんの演技も良かったです。『スタークラッシュ』 (1978)ではなんだか滑稽な印象だったマージョー・ゴートナーもこの作品では真に迫った演技を見せてくれてます。

実寸大のネズミ思いのほか良く出来てたし、ラストもなかなかのインパクト。

容器から流れ出した「神様の食物」を牛が口にし、子供たちが給食で牛乳を飲むというシーンで映画は終わり。


子供のアップの静止画にエンドロールがかぶさる静かなエンディング。これから起こるであろう悲劇を想起させるラストにはゾッとさせられました。

色々な意味での衝撃作。残酷描写はともかく、パニック映画としては及第点以上の評価でも良いかと。

実はこの作品がMr.BIGの代表作なのではないか、とも感じているほど・・・

今となっては(昔から?)「動物虐待映画」と言っても良いのでしょうが、当時の大人たちはいったいどんな思いでこの映画を見ていたのでしょうか?

相当叩かれたという話も聞いた事が無いし(私が知らないだけ?)やっぱりネズミだから同情されなかったのか・・・?

原潜vs.UFO/海底大作戦


『原潜vs.UFO/海底大作戦』(1959)

舞台は近未来。旅行や物流の要地となった北極海で、原因不明の沈没事故が多発し航路が閉鎖される。アメリカ海軍は原因を究明するため、原子力潜水艦タイガーシャークを派遣。調査を続けたタイガーシャークは、やがて海底に潜んでいた円盤と遭遇するが・・・

というお話なのですが

原案のアーヴィング・ブロックとジャック・ラビンは、私が大好きな作品『クロノス』 (1957)のコンビ。アーヴィング・ブロックは『禁断の惑星』 (1956)の原案も手がけているので、この作品にも期待せずにはいられません。

『クロノス』の時、その印象を「ゴジラ+ウルトラセブン」と書いたのですが、この作品も大方同じような印象。

UFOと宇宙人

地球侵略

ミニチュアを駆使した特撮

などなど

タイガーシャークという名前もそうなんですけど、何の根拠があるのか「エイリアンの仕業に違いない」と、いきなりに真相にたどり着いてしまったり、敵の宇宙船に「サイクロプス」という名前をつけてしまうあたりも日本のテレビSFっぽくてなんだか微笑ましいです。

ストーリーははいたってシンプル。上に書いたあらすじ+UFOとタイガーシャークの一騎打ちでほとんど全部。単純明快とはこの事ですね。タイガーシャークのクルーたちの人間関係を描いたドラマ部分などを省略したら、それこそテレビの30分枠に収まってしまうのでは? と感じるほどでした。

乗組員同士の確執やラブコメっぽいノリのドラマ部分は私的にはちょっと鬱陶しかったです。SF映画でごく普通の日常を見られるのって、どうしても好きになれません・・・。最初からドラマとして描きたかったのか、尺を引き延ばすための時間稼ぎか? まぁ、どうでもいいです。


この作品の邦題でちょっと思い出したのですが

日本では、UFO=宇宙人の乗り物という概念が定着してますが、外国映画を見ているとUFOというのはあくまでも未確認飛行物体の事を指しているのが分かりますね。エイリアンなど全く関係の無い『未知への飛行』(1964)などでもUFOという言葉が飛び交ってましたから。この映画でも「フライングソーサー」と言ってます。

パイロットが「UFOを見た」と言っているインタビューを、いかにも「宇宙人実在の証拠」のように扱う日本のテレビ番組ときたら・・・

話が脱線しましたが

宇宙人といえばこの作品に出てくるエイリアンは見どころの一つ


タコのような胴体の上に巨大な一つ目。巨大な球体の中から超能力で円盤全体と一体化して戦う姿は結構斬新でした。文字通りこの映画の目玉。
雑誌のスチルとか予告編集といった類のビデオには良く登場していたので結構有名かも?

うーん、この宇宙人もなんとなくウルトラっぽい気もしますけど・・・。「何とか星人」って名前が似合いそうです。

さらには

魚雷などの武器が効果なしと見るや、潜水艦でUFOに体当たり。もう、映画とは思えないテキトーぶり

で、タイガーシャークの先端が見事に円盤内部へと貫通しているという・・・

普通に見たら単なる低予算のドタバタSFでしかないのでしょうが、私はこの作品嫌いじゃありません。

惑星間飛行が可能な円盤に体当たりして勝てるハズもないのですが、この短絡的思考と御都合主義がやっぱりウルトラっぽくて愛おしさすら感じてしまいます。


全体的な印象は、良くも悪くもいかにも50年代だなぁ、といったところ。

冒頭のナレーション

新聞の大見出しと定番のペンタゴンの空撮

SFっぽくもありホラーっぽくもあるスコア

低予算の定番、たくさんのストックフィルム(この映画やけに多いです)

小型潜水艇やUFO内部の巨大な球体、エイリアンの造形など、低い予算内でしっかりと作ろうとしているのが感じられるので、レベルの低い特撮も不快なものではありませんでした。

良く言えば、シンプルながらも冒険映画のツボを抑えた作品という事になるのでしょうか。案外面白かったです。


この作品のストックフィルムの格好よさは抜群。タイガーシャークと形が全く違いますけど・・・

回転


ジャック・クレイトン監督の『回転』(1961)

ホラーはあまり好きではない私ですが、もちろんある程度は見ています。

映画を見る回数があまりにも多いので、ホラーっぽいのもたまに目にすると言った程度かもしれませんけど・・・

これまでに見たホラー映画といえば

『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』や同監督の『フロム・ザ・ダークサイド』などの短編。

『エクソシスト』

有名な『13日の金曜日』などは、第一作目と『 ジェイソンX』(2001) のみ観賞

ブログにも書いた『妖女ゴーゴン』とか、最近では『サイレント・ヒル』など。

あとは、

もう思いつきません・・・

まぁ、なんだかんだ言っても、ホラーテイストのSFやファンタジーなども含めれば結構見てますね。

血だらけのグロいやつは全く駄目で

『ソウ』などはパート1があまりにも面白かったので、パート2以降も全部見たのですが、進むにつれ画面を正視できなくなってしまいました・・・

たびたび目をそらしながらもシリーズ最後までなんとか観賞。

話が続いてしまうのだから、見たく無くてもしょうがない(ー_ー#)

私のホラー映画の知識は恥ずかしながらこの程度

というわけで

この『回転』もたまたま観賞したのですが、非常に印象に残った作品でもありました。

何故、わざわざこの作品を書こうと思ったのか、と言いますと・・・

私の頭の中にあるホラー映画のイメージとほぼ一致するのがこの作品だから。 

これ、あくまでも個人的な基準(^^;)

私の中では、ホラー映画というのはこういった作品を指す、という事ですかね。

人によって恐怖の対象って全く違うでしょうし、ホラー映画というものを明確に定義することも当然出来ないと思うのですが、個人的には非常に高く評価している作品であります。

特撮を駆使したり、大きな音を出してびっくりさせたりする映画とは違い、まー、単純に怖かったですね、これ。

でも

そういうのが好きな人にとっては少々退屈かもしれませんね。「セックスしたカップルは真っ先に殺される」といった類のホラーが好きな人からみたらどうなんでしょう?

ストーリーは遅々として進まないし・・・

そのストーリーですが

主人公の女性ギデンス(デボラ・カー)が家庭教師として優しい家政婦さんと可愛い子供たちがいる裕福な家庭にやってくる所から物語は始まります。


ホラーとしては定番の「屋敷物」

簡単に言ってしまえば、昔この屋敷で不幸な死を遂げた幽霊達が子供たちを操り悪影響を与えていると考えた主人公が、悪霊を追い払うために孤軍奮闘する、というお話。

こうして文章で書いてしまうと何の変哲もない作品のようですが(実際そうなのかも知れませんが)これは面白かったです。

で、この映画の何処が良いかと言うと

先に書いたように、爆音や造形で怖がらせる映画ではなく・・・

あの・・・、上手く言えません(苦笑)

何というか、人間が本能的に怖がる部分をピンポイントで刺激されるとでも言ったらよいのか・・・

最初は「何かがおかしい」といった、ほんの些細な違和感

一見無邪気そうな子供達の奇妙な言動。子供たちの無邪気な行動も見方を変えると・・・

やがて少しずつ不可解な出来事が起こり始め、「この屋敷には何かいる」という主人公の疑惑がやがて確信に変わるまでの描写は見ごたえがありました。

いかにも怪しげといった人物を登場させる事無く、それでも次第に視聴者の恐怖感を煽る演出も見事だったし、デボラ・カーの演技も凄かったですね。途中で「もしかしたら主人公が狂人だった、というオチか?」と思っちゃいましたよ。

「かくれんぼ」という遊びを利用して主人公に屋敷を探索させるシーンなどは秀逸。

怖がりの私など、音楽、視聴者への暗示方法と幽霊を映すカメラアングルだけで震えあがってました・・・


この映画も「音」が印象的な作品で、子供が口ずさむ歌 オルゴール 鳥のさえずりなどが効果的に使われていました。

結末はちょっと気になったのですが・・・

まずは、家政婦さんが霊に憑かれた少年と主人公を二人きりで屋敷に残す事にあっさりと同意した事。

まぁ、この映画の結末のためにはそういう舞台が必要だったという事で・・・

「子供に幽霊の名前を言わせる」という方法で霊から解放するのですが、

何故主人公は自分の力で幽霊を退治できると確信していたのか、また何故あんな方法で霊は去ったのか、そして何故霊が去ったあと子供は死んでしまったのか? 

いささか不可解な点もあり、多くが謎のままで終わってしまいます。
この結末と後味の悪さが府に落ちない人も多いのではないでしょうか?

まぁ、ちょっと気になったものの、そんな事は大した問題では無い、とも思っています。

意図的に謎めいた結末が用意された作品やリドルストーリーなどはあまり好まないのですが、だからといって全ての映画やその結末にに明確な答えを求めるなんてあまり意味の無い事ではないか、とも個人的には思っているので。これは深読みが苦手な私の言い訳か・・・?

個人的な嗜好の話に終始してしまいましたが、客観的にみてもこの映画は間違いなく良作ではある思います。

バンデットQ


ここ最近相変わらずの激務。なんとか仕事の合間の休日に東京まで「特撮展」とやらを見に行ったものの、入場まで3時間以上も待たされると聞き、あえなく轟沈。

隣りの公園でおにぎりを食べてそのまま帰省・・・

午後から出かけたのでそんな時間無いって! というようりも、3時間以上も並ぶ気が無かったんですけどね・・・

というわけで

気がつけばブログをひと月も放置してしまいましたが、今回は大好きな『バンデットQ』(1981)

テリー・ギリアム作品のほとんどがツボ。一番好きな作品を決めるのは極めて難しい(そんな事する必要も無い)のですが、もしかしたらこの作品を選んでしまうかも、というほど大好きな映画です。

日本での劇場公開の際、重要な部分がカットされているという事が当時からいろいろな雑誌で取りざたされていましたが、そもそも当時私が住んでいた田舎では上映すらされなかったので関係なし。テレビ放送も見ていないので、観賞するにはビデオの発売を待つしかありませんでした。

あらすじをビデオパッケージの裏側から

イギリスのとある静かな住宅街に住むケビン少年の部屋に、ある日突然6人の小人が出現する。彼らは創造主に仕えていたが、タイム・ホールの場所を示した地図を盗み出し、この地図を手にあらゆる時間・場所にワープして盗みを働こうとしていたのだ。このタイム・ホールとは神が6日間で世界をを創った時に、つい見落としてしまったエア・ポケットのことなのだ。「地図を返せ」と追ってくる創造主。6人の小人達と共にケビン少年も逃げ出した。18世紀のイタリアでナポレオンに出会ったり、ギリシャの砂漠でアガメムノン王を助けたり、突如タイタニック号の甲板に現れたり…。ケビン少年の時空を超えた大冒険が次々に繰り広げられる。しかし、行手には、悪魔が地図を横取りしようと少年達を待ち構えていた・・・

ストーリーだけ読んでみると、夢や冒険がいっぱい詰まったファンタジー映画っぽいのですが、テリー・ギリアムがそんな映画を撮るハズもなく、いや、確かに冒険映画なのですが全く型にはまらないというか、それだけでは終わらないというか・・・


そういえば

何かの本で「この作品を傑作とか面白いとか言っていると頭を疑われるので要注意!」のような事を誰かが書いていたのを思い出しました・・・

まぁ、評価されにくいのも分かるような気もします。この監督さんの独特の世界観はツボに入らない人にとってはあまり面白くないのかもしれません。ケビン少年、一緒に冒険しているというよりも、巻き込まれてるだけだし(笑)

個人的には「傑作」という評価ですが、一般的にはどうなんでしょう? 「珍作」といったら失礼だし・・・「怪作」?

おそらく『未来世紀ブラジル』(1985)あたりも、そうとう評価が分かれているんじゃないですかね?

私の場合は何というか、言葉では言い表せない不思議な魅力を感じてしまうわけでありまして・・・

とにかく大好きな作品なので、思った事をあれこれと

R2D2の中に入っていたケニーベイカーさんが素顔で出演している事でも有名ですが、まずは邦題の「Q」

冒険する「Q」たちって・・・。というか80年代なのにこのセンス? 私が知らないだけで、何か意味があったのでしょうか?

自分の寝室から冒険が始まる、というのが良い。凄く良いです! タンスから小人たちが現れ、壁がタイムホールとつながる冒頭シーンがたまらなく好きでした。

映像は面白いですね、この作品。美術が素晴らしいしスケール感もなかなかのもの。もう見ているだけで心躍ります。私などはストーリーや冒険といよりも、映像そのものにワクワクしてしまいました。


帆船を帽子のように頭に載せた巨人の映像などはビデオやDVDのパッケージにも使用されています。この映画を象徴するシーンなのにストーリー上ほとんど意味がないという・・・?

これ見た時「あ、モンティ・パイソンだ!」って

そういえば、昔はビデオ屋に「『空飛ぶモンティ・パイソン』いっぱいありました。好きだったなぁ・・・

あらすじの通りに物語は進み、いくつかの解釈が出来そうなラストシーンとなります。

なんでも日本公開の劇場版では、ハッピーエンドに見せたいという配給会社の意向により、ケビンの両親が爆発して消えてしまうシーンがカットされていたのだとか。大冒険が終わり、自分の世界に戻ってきてめでたしめでたし、と。

この映画もう30年も前ですか・・・、こんな事が許されたんですね。

で、いまさらながらオチの解釈ですが

私の場合、最初見た時は単純に「火事で両親を失った少年が、冒険を通して一人で生きていくために必要な経験と勇気を得たのだ」と思っていました。

映像で見た事は全て実際に起こった事

であり、これから一人で生きていかねばならなくなった少年に、神様が粋なはからいをしてくれた、といった解釈ですね。神様の「彼は残り、戦いを続けるのだ」というセリフから漠然とそう思ってました。

ところが

手元の本には、物語はケビンの「夢」だった、としっかり書いてあります・・・

まず「火事で両親を失った」という現実があり、正気を失いかけた少年が「現実逃避として見た夢」を映像化したものがこの作品というわけ。

つまり、両親が爆発して消えてしまうのも含めて「少年の頭の中の物語」だった、というもの

最初にこの本の記事を読んだ時、ちょっとだけがっかりしたのを覚えています。

確かに冒頭からそれらしい伏線はいくつか見られます。

冒険前にキッチンでケビンが古代ギリシャの話をしていたり、劇中に出てくるものとケビンの部屋の写真や小物との一致、そしてケビンが目を閉じて眠りに入った次の瞬間から冒険が始まるといった展開、などなど・・・

『未来世紀ブラジル』とか『バロン』を見ているとこっちの解釈の方がギリアムの意図に近そうですね。

なんでも三作合わせてギリアムの「夢の3部作」だそうです・・・

夢オチが好きではない私は、今でも「現実に冒険したのだ」と思いながら観賞しております。

まぁ、どんな解釈であろうが映像美は堪能できるし『バンデットQ』のヒットにより、テリー・ギリアムが長年あたためていた『未来世紀ブラジル』の制作へとつながったのだから、それだけでもOKです!


なんとなく『オズの魔法使い』っぽいですね?

燃える昆虫軍団


パニック映画が流行した1970年代には繰り返しテレビで放送されていた『燃える昆虫軍団』(1975)

放送されるたびに怖いもの見たさでしっかりと鑑賞していた記憶があります。

強烈なインパクトがあった作品、と言いたいところですが、単に私がゴキブリなどが大嫌いなのでそう感じただけかも知れません。

今までに見た映画の中で最も怖い、というよりも、トラウマになりかねないほど気色悪かった作品の一つです。

今ひとつテンションが上がらないのですが、どうしても自分のブログに残しておきたい作品でもあるわけで・・・

まずはあらすじをビデオパッケージの裏側から

タッカー農場に異変が起きた!! 地震による地割れから火を吹く昆虫が這い出して人や獣を次々に襲い始めたのだ。調査に乗り出したパルミーター博士は昆虫達が炭素を食物にしており、動物を焼き殺しては燃えかすを食う事を知る。そして、家もろとも妻までも焼き殺されてしまった博士は復習の鬼と化して昆虫絶滅の研究に打ち込むが…。

という作品なのですが

映画全編を通してひたすら昆虫と戦うといった内容ではなく、ちょっと異色な作品と言ってもよいのかもしれません。

映画の前半は、地震により地下から出現した発火能力を持つ昆虫が人間や動物を襲い始めるが、気圧の変化に対応できずに自ら滅んでしまうところまでが描かれています。

普通の昆虫パニック映画ですが、発火する昆虫というアイデアがいいですね。いかにも70年代風でありながら、それなりに洗練された映像も良い雰囲気です。

そして映画の後半

その生き残りを捕獲した生物学の博士がゴキブリと交配させた結果、発火能力と高度な知能を持ち合わせた新種が誕生してしまい、逃げ出した昆虫達に博士が襲われる、という展開。

次第にマッドサイエンティスト物のようなテイストになってきます。

研究シーンでも本物のゴキブリを画面いっぱいに映すものだから、気持ち悪くて・・・

気持ち悪くて、いつものように画像編集が出来ないので youtube で見つけた予告編をリンクしておきます。

虫が嫌いな人は見ない方が良いです。



リンクが切れた場合はこちらで

http://palladion.fantasia.to/bugtrailer.mp4

この作品がどのように評価されているのか知りませんけど、人によって評価が分かれそうな作品だなぁ、と感じます。

まず、虫が大丈夫な人と嫌いな人では、おそらくこの作品の見方が全然違うでしょう?

また

後半いきなりマッドサイエンティスト物へと路線変更するのも、「飽きさせないための工夫がされている」と解釈するか「一貫性がなく意味不明」と感じるか?

さらには

進化したゴキブリが知能を持つという設定


爆破シーンを見つめるゴキブリ。集団で壁に「We live」と文字を描くゴキブリ・・・

「もしかしたら現実に起こるかも」といった恐怖を感じるか、「いくらなんでもやりすぎ」と苦笑してしまうか?

昔はメチャメチャ怖かったです、これ。

そもそもゴキブリが生理的に駄目な私がこの映画を客観的に評価するのは不可能であります・・・

昆虫が嫌いなものの、個人的にはなかなか見ごたえのある作品だと思っていました。


教会での地震のシーン

まともな科学者が常軌を逸脱した精神状態になる過程の描写や役者さんの狂気の演技

地割れの部分が真っ赤に輝き、昆虫達が地下から飛び立つシーン

本当に虫が発火しているように見える特撮

猫が襲われるリアルなシーンや昆虫自体が焼け死んでしまいそうな迫力のある出火シーン

などなど

この映画には「良く出来ているなぁ」と関心してしまうシーンも少なからずありました。

映画のラストは定石通り、科学者が自ら生み出したモンスターに襲われて破滅。昆虫ともども地割れから地下に転落して THE END となります。

昆虫達が絶滅したのかは微妙・・・

最後に

この映画につかわれたゴキブリですが

多分これ。やっぱり苦手な人は見ない方が良いかと。

Gromphadorrhina portentosa

このゴキブリ、ペット用なんだとか・・・

この作品見た後には飯が食えなくなりますよ、ホント。気持ち悪いので、早く次の記事を書かなければ・・・

前世紀探検


前世紀探検(1954)

仲良しの四人組が見つけた洞窟は、前世紀への入り口だった・・・

というわけで

この作品は、時間の河を遡って古生代へと旅をする仲良しの四人組のお話です。

冒険日記を手作りしているシーンで映画は始まり、主人公の回想シーンでで映画が進行するというのはゼマン作品ではお馴染みの手法。

いつもながら、心ときめくオープニングであります・・・

最年少のイルカという子が三葉虫の化石を見つけたのが全ての事の始まり

「本物が見たいなぁ」

そんなイルカに本物の三葉虫を見せようと、四人の少年たちが生きた三葉虫を見つけるために代世界を冒険していくという内容の作品です。
河を上れば上るほど前世紀に行くという設定になっていて、ボートに乗った少年たちが河を上っていくと、周りの風景が、第三期、中生代、古生代と変化していき、マンモスやプテラノドン、そして恐竜などが順番に登場するという趣向。


私はこの手作り感にはとっても癒されてしまいます。

1954年という製作年を考えると監督の意図は違うのでしょうけど・・・

この作品、「ロストワールド」のように地上に生き残った太古の世界を発見した、という物語ではなく、タイムスリップして過去へと時間を遡っているという設定なのだと思います。

ご多分にもれず、私も古代の生物に憧れた時期がありました。ほとんどの男性は少年時代に恐竜図鑑とか食い入るように眺めたのではないでしょうか?

そんな子供の夢をそのまま映像化してしまったような作品ですね。

この映画の面白いところは、少年達がなんの疑いも持たず「河を遡れば過去に行ける」と考ているところ。

で、実際その通りに物語は進行します。

探検をすればそこに恐竜がいる、というのが前提で話が進んでいるのがなんとも不思議ですが、「いくらなんでもありえない」と突っ込みを入れるような作品でもありません。

ファンタジー作品によくある「大人には見えない」世界とでも解釈しておけば良いのかもしれません。

どういう年齢層を狙って映画を製作しているのですかね、この作品?

古代の生物などの解説を少年達のセリフを通して視聴者に提示したりしているので、おそらく若年層かと・・・

恐竜以外の古代生物もたくさん登場


この作品に出演しているのは四人の子供のみ。これはこの映画の大きな特徴の一つで、大人が一切登場しないというのは非常に珍しいですね。

なので

冒険といっても、それほど危険な目にも遭わないのです。子供だけなので激しいアクションなどあるはずもなく、沼に落っこちたり、豹の襲われそうになって逃げたり、定番のプテラノドンの空襲に遭いボートから落ちたりといった程度のものでした。

実際、博物館、テーマパークのアトラクションでも見ているかのように物語は進みます。

もしかしたら

ストップモーションの生物達を映像として見せるのが目的? とも思えるほど。

少年達が動物園かサファリパークにでも行くかのように冒険を始めるのも、自分の少年時代を思い出してちょっと「こそばゆい」ような「おもはゆい」ような・・・

そして最後にはシルル紀に到着。命の源である海にたどり着き、生きた三葉虫を発見して冒険はお終い。


全ての子供達と子供の心を忘れていない大人達へ捧ぐ・・・

この作品もそんなコピーにふさわしい名作でした。

あと

やっぱりストップ・モーションはいいなぁ、と。

何故か心惹かれます

子供心に「これってトカゲじゃん」とかショックを受けた映画とは大違い。

ところで

物心ついた時からリアルなCGの恐竜などを見ている若い人たちにとって、大人になって懐かしいと感じる映像ってどんなものなのでしょうか・・・?

未来世界


『未来世界』(1976)は名作『ウエストワールド』(1973)の続編

ロボットの反乱事件により閉鎖していた巨大レジャーランド「デロス」が、未来世界(フューチャーワールド)を加えて新たにオープンした。ある事件をきっかけに、なにやら陰謀めいたものを感じた敏腕記者のチャックは、女流キャスターのトレーシーと共に「デロス」に向かう。そこでは招待された世界中の要人を本人そっくりののロボットとすり替え、世界を牛耳ろうとする博士達の恐るべき陰謀が進行しつつあった。真実を知ったチャックとトレーシーは「デロス」からの脱出を試みる。秘密を知られた博士達は、それを阻止すべく彼ら二人のクローン人間を送り込み、本物対クローン人間の死闘が始まった・・・

昔見た時は面白かったのにしばらく経って再見したら全く印象が違っていた」という経験は誰にでもあると思うのですが、私にとってこの映画はまさにそのような作品。

そもそも『ウエストワールド』の続編であるという事も知らず、全く別の作品として見ていた訳で、先に見たのも『未来世界』の方だったと記憶しています。

昔テレビで見た時は、エンディングも含め私にとってはかなり印象的な作品となりました。本物対ニセモノって単純に面白かったですしね。

ところが『ウエストワールド』の続編というのを念頭において見てみると、これがイマイチ乗れないというか、悪くない映画だとは思っているんですけど・・・


まず第一に

わずか三年後にデロス再開、という設定に無理があるような気がしてしまいます。

そんなに早く再開できるの?

あれほどの事件があったのに何故そんなに無邪気に楽しめるの?

とか、どうしても考えちゃいます。

さらに

クローン人間ってそんなに従順なのかなぁ?

とか

クローンを作った時点で主人公を生かしておいたのは何故? とか、

あ、これは殺してしまったら映画が成立しなくなってしまうので仕方がないですね。

前作よりも話が壮大になった分だけ、余計に粗が目立つような気がします。

オペレーターが全てロボットだったり、精巧なロボットばかりでなく、クローン人間を製造する技術まで持っているという・・・

視聴者に「いくらなんでもありえない」と思わせてしまったらダメでしょう? 小説だったら完全に失格ですけど、映画ならOKですかね・・・?

これほど重大な秘密があるにも関わらず警備が甘すぎで、主人公達の侵入を容易に許してしまうのもマイナス。

もうちょっと先の未来の話にしておけば印象も変わったのかもしれませんけど・・・

登場するロボット達にしても「人間と区別がつかないロボット」ではなく、どーしても「ロボットのフリをしている人間」に見えてしまうのには困ってしまいました。

前作でのユル・ブリンナーは本当に凄かった・・・

さらにさらに

何かの冗談としか思えない東洋人とのチャンバラシーンや、前作でガンマンロボットを演じたユル・ブリンナーの登場シーンなどはほとんどが茶番に見えて仕方がなかったです(苦笑)
悪夢的な感覚を演出したかったのか、何かシュールな映像でも造りたかったのか・・・?


このユル・ブリンナーの顔 (-_-;)
どうしても出演しなければいけなかったのでしょうか・・・?

そして、この映画のクライマックスとなる本物の人間対ニセモノの人間

当然勝つのは本物の人間なのですが

それまで、大汗かきながら必死の形相で逃げ回っていた本物が、勝ったとたんニヒルに微笑んでその場を立ち去る・・・

いかにも「本物は殺されてしまいました」と思わせるこの演出が、ちょっとわざとらしくて苦笑してしまいました。

そこそこ楽しんだ作品の割には批判が多いなぁ、と反省。

『続編』というのを意識しすぎかも?

設定自体は面白いのですが、脚本やストーリーがちょっと稚拙かなぁ、というのが素直な感想でもあります。こっちにはマイケル・クライトンは関わっていなかったのですかね?

でも

スケール感はなかなかのものだったし、セットなどは前回を上回る規模で見ごたえがありました。
チャックが廃墟になった西部世界を探索するシーンなどは、「続編」と知ったからこそワクワクできたのだと思います。

個人的に一番の見どころだったのは

ヒロインを演じたブライス・ダナー(*・・*)


この女優さん、特別美人だとかセクシーというわけでもないと思うのですが、『刑事コロンボ/黒のエチュード 』(1972)で犯人の奥さんを演じているのを見て「かわいいなぁ」ってずっと思っていたので、この作品でもずっとこの人ばっかり見てました。

そういえば、『宇宙人ポール』(2010)で元気なところを見せてくれてましたね。

ここでは書きませんけど『宇宙人ポール』はすっごく楽しかった・・・

話を戻して

映画のエンディングですが

「デロス」内で主人公二人の味方となった技師のハリー(本物の人間)

相棒のロボットが何か鍵を握っているのかと思いきや、カードの相手をしているだけで出番はおしまい。ハリーもニセモノのチャックにあっさりと殺されてしまいました。

先に書いたようにクライマックスは本物対ニセモノの対決で、殺されたと思われた本物がデロスからの脱出に成功。

秘密を知った本物の人間を逃してしまったので、いずれ真相が暴かれデロスは滅ぶだろう、というのを匂わせた時点で映画は終了します。


電車に乗り込む直前のピーター・フォンダの勝ち誇ったポーズ。最初に見た時は痛快でしたねこのエンディング。

でも、現在は

デロスを作り上げたほどの組織力なら、電車内でチャックを捕らえる事ぐらい簡単なんじゃあないかなぁ・・・なんて、微妙な余韻を残すのみであります・・・

バック・ロジャース


『バック・ロジャース』は1939年に製作されたシリアル(連続活劇)

テレビシリーズではなく、劇場で上映されていたやつですね。

連続活劇といえば、真っ先に『フラッシュゴードン』を思い出しますが、こちらの主役を演じているのも『フラッシュゴードン』と同じく水泳のオリンピック金メダリストとして有名なラリー・バスター・クラブ。

飛行船の事故により雪山に墜落したバック・ロジャースと相棒のバディ。雪山の寒さと新開発中のガスの作用により仮死状態となった二人が目を覚ましたのは500年後の未来。地球がキラー・ケーンという独裁者の圧政下にあると聞かされた二人は反乱軍に加わり、援軍を求めて土星へと向かうのであった・・・

だいたいこんなストーリーなのですが

私の世代でバック・ロジャースといえば、昔テレビで放送されていたこの作品を思い出す人も多いのではないでしょうか。


『25世紀の宇宙戦士キャプテン・ロジャース』(1979)

ツーショットの写真が腹話術に見えるんですけど・・・

まぁ、この作品はいずれ書くとして、話を1939年版に戻しますと

今回参考にしたのは『Planet Outlaws』というDVD。これは12話分237分のオリジナル・シリーズを70分程度に編集して劇場公開したとされる作品なのですが、編集で大幅にカットされているので、展開が速すぎてほとんどついていけません。

昔はテレビシリーズを編集して劇場公開するパターンって結構ありましたね。

1939年版のオープニング



ストーリーは特に語るほどでもないので、あとは感想と気が付いた事をいくつか・・・

かなり面白いのが飛行機(宇宙船)同士の空中戦。

モーターボートかセスナ機のような効果音とモクモクと真上に上がる排煙が特徴。

ロケット噴射ではなく、ほとんど花火ですね。ほとんど不時着にしか見えない乱暴な着陸の仕方にも笑わせてもらいました。

ほとんどが大気圏内のドッグファイトで、宇宙空間を飛行するシーンでも周囲が雲だらけという・・・

すげー近くから攻撃して外してるし(爆笑)


着陸している宇宙船のデザイン、ほとんど電車に見えます・・・

この作品の突っ込みどころの多さは尋常ではないのですが、1939年の作品に突っ込むのも野暮な気がするので、あとは省略。

一つだけ言わせてもらうと

肝心な時に必ず不調になる無線機

この演出多すぎです!

無線機が通じないという理由だけでバック・ロジャースは連絡のために何度も土星まで往復するはめになるのですが、無線機の修理が先だろうって何度も突っ込みたくなります。

まぁ、無線機が通じたら土星への冒険シーンが減ってしまうという単純な理由なのでしょうが・・・

ところで

古いSF作品には、単純に「これ欲しい!!」と思うアイテムがたくさんありました。

タイムマシンや物質転送機、それぞれの指に違う武器が仕込まれた手袋、腕時計型通信機、光線銃やロボット、インタロシタ・・・

これは自分が子供だったという理由だけではないような気がします。

現在のSF映画にも欲しくなるようなアイテムはありますが、科学的考証がしっかりしているので大掛かりな物が多く、とても手が届かないといった印象。

この作品にも色々なアイテムが登場しており


無重力ベルト

物を透明化する光線銃

小型のリニアモーターカーのような乗り物

洗脳ヘルメット

遠くの物を映し出すモニター

などなど

昔の方が科学的考証が適当だった分だけ発想が自由だったのは明らかですね。ドラえもん状態というか・・・

そういえば

作戦室から見える未来都市は、以前にブログ書いた事もある『五十年後の世界』からの流用ですね。『フラッシュ・ゴードン』からの流用もチラホラ見られます。主人公のバスター・クラブが流用に見えてしまうのも困ったものですが・・・

最後に

バック・ロジャースが危険な目に遭いながら何往復もしてようやく味方につけた土星人

結局、土星人は反乱軍と協定は結んだものの実際の戦いに関与してくるシーンは皆無で、ほとんどバック・ロジャースと相棒のバディの活躍で独裁者を倒してしまったという・・・

今見ても色々な意味で楽しめる作品ではありますが、さすがに「最後に正義は勝つ!」といった他愛ないヒーロー物のストーリーに夢中になる事はできませんでした。

今はSFも認められ「SFは子供が見るためのもので、大人になったら卒業すべき」と言う人も少なくなりましたが、この作品を見ていると、昔そのように言われていた理由が良く解る気がします。

私はそんなB級作品からも一生卒業できない気がしますが・・・

火星人大来襲


『火星人大来襲』(1966)

気が付けば、前回の更新から約一ヶ月が経ちました。

だいたいこの時期からクリスマスのパンフレットなど作らなければならないのでこんな事になるのですが、とりあえず仕事がひと段落したので久々の更新であります。

似たような邦題の作品もありましたが、これはラリー・ブキャナンの作品。

ラリー・ブキャナンといば、ロジャー・コーマン作品などをテレビ向けにリメイクし、もともと低レベルな作品をさらに粗悪な作品にしたことで有名ですが、ロジャー・コーマンよりも何故かブキャナン作品の方が性に合ってしまう私はやはり頭がちょっと変なのか・・・? 子供の頃から繰り返しテレビで見ていた記憶もあり、何故か憎めないんですよねブキャナン作品って。

そういえば

もう10年以上も前になりますが、ブキャナン作品が立て続けにテレビ東京で放送された事がありましたね・・・

この映画の原題は『Mars Needs Woman』

ほとんど女性が生まれなくなってしまった火星を滅亡の危機から救うため、火星人の男が5人の地球人女性を拉致しようとするお話。

5人って少ない気もしますが、とりあえず火星からやってきた5人分の伴侶、と解釈しておきますか・・・

地球に来ての嫁さん探しというと、東宝映画の『地球防衛軍』を思い出します。

火星人からのメッセージを受信してからしばらくは円盤やらどこかの施設やらが映されます。

一番上の画像がそれらのシーンなのですが、なんとなく『プロジェクトUFO』っぽい雰囲気は悪くないですね。

続いては「火星人に対して先制攻撃を仕掛けるようとする地球軍」という設定で数々の記録映像が流されます。


何だか良く分からないですけど、メチャメチャカッコいいです。

記録映像が楽しいというのもB級映画をやめられない理由の一つですね。今となっては皮肉にもこれらの記録フィルムがこの映画最大の見所ではないかと思われます。

やがて、とある工場に潜入してそこを活動拠点とした火星人。

円盤から次々と火星人がその姿を現します。


まさか懐中電灯を持って現れるとは(^^;)

頭部にアンテナがある宇宙人ってコントにしか見えないのですが、私の世代がこういった姿の宇宙人をモデルにしたコントを先に見てしまっているだけの事で、もしかしたらこの映画が製作された1967年当時の人達にとっては、これでもちゃんと宇宙人に見えた、と解釈してよいのでしょうか???

映画の後半は、地球の女性を物色する火星人の行動が延々と描かれるのですが、やっぱりコントに見えてしまうという・・・

実体化(テレポーテーション)するシーンなどが馬鹿馬鹿しいほどの原始的なトリック撮影なのもコントっぽく見える要因の一つかと思われ。

どうやって女性を誘拐するのかと思ったら、5人がそれぞれ夜の街に繰り出し街中の女性を物色。催眠術をかけて自分たちの潜入場所へ連れて帰るというもの。ストーカーっぽい行動には苦笑せざるを得ません。
映画の冒頭で数人の女性がいきなり姿を消されるシーンはいったい何だったのか???


ガソリンスタンドのレジからくすねた小銭を活動の資金源とし、空港で車泥棒、洋服屋さんで変装用のスーツとネクタイを盗み出したりと、火星人の行動がとにかくセコい。

一番ツボに入ったのは、火星人がガソリンスタンドのオヤジに見舞った必死の首筋チョップ・・・

トミー・カーク演じる火星人のリーダーが美貌の女性科学者に目をつけるのですが、その眼つきを見たとたんにオチがある程度読めてしまいました。案の定2人は恋に落ち・・・というやつですね。


最後はあっさりと円盤の所在地を知られ、軍隊に攻め込まれた火星人たちは誘拐した女性をそのまま残してあっさりと退散。
火星人のリーダーは、火星では忘れ去られた『愛』という感情に目覚め、女性科学者は愛してしまった火星人と涙のお別れ、という結末。

特撮も脚本も低レベル。馬鹿馬鹿しいと感じる人がほとんどだろうけど、作っている方はかなり真面目なんだろうなぁ、とも思える作品でした。

個人的には、2人がプラネタリウムに入り、壊れたテープの代わりにトミー・カークが火星を語り、観客から拍手をもらうシーンなどは結構好きでした。

最後は拉致された女性たち


キャンパスクイーン、画家(学生?)、スチュワーデス、ストリッパーといった面々。なんとなく共通点があるようで似ているような気も・・・? ラリー・ブキャナン監督の趣味なのかも。

ストリッパーのシーンが無意味に長かった(サービスのつもり?)のと、それを眺める火星人の顔がとても印象的でした。

惑星X悲劇の壊滅


『惑星X悲劇の壊滅』(1958)

この映画の原題は『Queen of Outer Space』

恐ろしげな邦題にあるような悲劇とか壊滅といった話ではなく、暴走した宇宙船がたどり着いた惑星は、男が一人もいない女だけの惑星で…というお馬鹿な設定の映画です。
しかもこの惑星、未知の惑星という設定にでもしておけば良かったものを、実は金星で普通に人間が住める環境だったという・・・。

男を全滅させ、この惑星の女王に君臨する仮面の女王イラーナ。彼女に捕えられた宇宙船の乗組員は、女王イラーナを快く思わない女性科学者タリアの助けを得て脱出に成功。反乱軍と手を組んで地球の破壊を企む女王の陰謀を阻止しようと立ち上がる、という非常にシンプルなもので、これといって特筆すべきものは無かったように思います。


こういうのも結構楽しいですね(*・・*)

ちょっと映画の内容に触れてみますが

女性科学者タリアを演じているのはザ・ザ・ガボールという女優さんなのですが、これほど科学者に見えない人も珍しい

というよりも、制作側の確信犯的なキャスティングとしか思えません。

エロ路線というか・・・

この人が女王様の方が良かったのでは、と思わせるものの、あまりにも醜い顔という設定ではこの人に演じさせるわけにはいきませんね。
B級作品でお馴染みの俳優さんたちの中、ザ・ザ・ガボールさんだけはある意味別格だったのかも知れません。

ただ、この人よりも脇役の方が明らかにスタイルもルックスも上、というのが微妙・・・

監督のエドワード・バーンズさん、多くのシーンで映画からの流用や実写フィルムを使用しているようです。

特撮やセットは自身の作品『終わりのない世界』(1956)から。

衣装は『禁断の惑星』(1956)と同じ。おそらく流用。光線銃も『禁断の惑星』のと似ているが・・・?

「明らかに全員死んでるだろう」と思わせる、ロケットが雪山に突っ込むシーンは『火星超特急』(1951)の別テイクを流用したのかと思いましたが、良く見るとロケットの形が微妙に違うのでオリジナルの特撮のようですね。

これは『火星超特急』と双璧をなす大爆笑の不時着シーンでした。

他にも爆笑シーンは数多く


動かないハリボテを相手に必死の演技をする俳優さん、というのも低予算映画によくあるパターンで、ちょっと切ないです。

さらには

ロケットの形が出発前と全く違う(違いすぎ)

漫画レベルの光線の描き方

尋常ではない宇宙船の揺れ方(ほとんど縦になってる!)

外観が月のようなクレーターだらけの金星

雪山に不時着したのに、探索シーンはいきなりジャングル(雪原は省略という事で?)

人気のない惑星でいきなりピヨピヨと鳴りだして隊員を驚かせる効果音が笑いのツボにはいり

脱出シーンはまるで子供のかくれんぼ。全員が同じタイミングで壁際の溝に隠れるシーンは爆笑もの

うーむ、あまり酷いのでこの辺りでやめておきますが、映画全編を通して苦笑と爆笑の連続でツッコミどころも満載の作品となっております。

結末は

予想通り反乱軍が悪の女王を倒して一件落着、と。最後の乱闘シーンはほとんどコントにしか見えませんでしたけど・・・

最後は乗組員と現地の美女で何組かのカップルが成立。皆で楽しそうに抱き合ってキスをしまくって THE END


うーん、悪くないです、この映画。

ほんと、下らないけど・・・

最後に

この映画で一番驚かされたのが、原案のベン・ヘクトと脚本のチャールズ・ボーモントの存在。

原案のベン・ヘクトは『白い恐怖』(1945)『汚名 』(1946)『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)『ンキー・ビジネス 』(1952)『武器よさらば』 (1957)など、ミステリーからコメディ、反戦映画まで有名な作品を挙げていたらきりがないほど多くの脚本を手掛け、アカデミー賞を受賞したこともある大御所作家。

脚本のチャールズ・ボーモントはテレビシリーズ『ヒッチコック劇場』(1955〜1961) 『ミステリーゾーン』(1959〜1965) やジョージ・パルの『ラオ博士の7つの顔』 (1964) 『不思議な世界の物語』 (1962) などの脚本も手がけた一流の短編作家。

そんな二人がこの作品の原案と脚本を担当していたという事実は、私にとってある意味衝撃でありました。
脚本が歪められてしまったのか、実は結構楽しんで書いていたのかは分かりませんけど、結果的にエロおやじの妄想を映像化したような作品となってしまいました。

惑星の男どもが使用した爆弾により醜い顔になった女が、それを恨んで男を皆殺しにした、というのも凄い設定ですが、地球の電波を傍受して英語までマスターしている金星人が「地球人が金星を侵略しようとしている」と勘違いしているのもおかしな話。

この作品はかつてテレビで放送されたのですが、私が子供の頃には「支配者が女族」といった類の作品ってかなり多かったような気がします。

女だけの島、女だけの国、女だけの惑星。そしてほとんどの場合、劇中では子供の姿が見当たらないという・・・
「国」や「惑星」というよりも「一つの村」程度にしか見えないというスケール感の無さはどの作品にも共通していたように思います。

「どうやって子孫を残すの?」などの疑問など全く持たずに見ていた少年時代が懐かしいです。
まぁ、そういった疑問に答えている作品もありましたけど、当時は意味が分かりませんでした・・・

これから先、もうこういった能天気な作品が作られる事はないのでしょうね、当たり前ですけど。


男にふられて一人部屋で泣き崩れる女王様、ちょっとだけ可哀そうでした・・・

海底1万リーグからの妖獣


The Phantom From 10,000 Leagues『海底1万リーグからの妖獣』(1956)

この作品、もうずいぶんと前にDVDが発売されていましたが、まだ売っているのでしょうか。予算は10万ドル程度だそうで、私のブログでは『標的は地球』以来の低予算映画であります。

久しぶりのブログ更新なのに、またこんな作品を

と、微妙な心境になっておりますが・・・

それはともかく

「冒頭の10分間で観客をあっと言わせるようでなければ、その映画は駄目だ」

と言った監督さんがいましたね。誰だか忘れてしまいましたけど。イブ・メルキオールだったかな?

この作品では、冒頭でいきなり映画の主役とも言えるモンスターがその姿を現わします! これは珍しいパターン!!


もしこれで観客を食いつかせようと意図したならば、完全に逆効果だと思いますけど・・・

そして、このモンスターに襲われた漁師の断末魔の余韻とともに、画面はオープニングタイトルへと変わります。

私はオープニングタイトルまでの数分間ですっかり見る気が失せてしまったのですが・・・

冒頭にこのヌイグルミ見せられて、これからの展開に期待しろという方が無理ですよね。ポスターも酷いけど、実際は人間サイズだし。

着ぐるみの水中モンスターといえば多くの人が『大アマゾンの半魚人』 (1954) を真っ先に思い浮かべると思いますが、本当の生物のように優雅な泳ぎ見せてくれたギルマンに比べ、このモンスターは水中で直立のままふらふらと動くだけ。なんとか手をぐるぐる回すのが関の山というありさま。スタントマンが身の安全が気になってしまうほど。

制作年代を考えると二匹目のドジョウを狙ったのかも知れませんが、映画の最大のウリとも言えるハズの怪物がこれではちょっと・・・。楽勝で逃げ切れる、と思えるほどの迫力の無さはモンスター映画としては致命的。

ストーリーもいたってシンプルで、海洋学研究所のキング博士の実験により生まれた怪物が海辺にすむ人々を襲うという、ものすごくスケールの小さいお話であります。


調査に来た海洋学者のスティーヴンス博士がキング博士の娘ロイスと恋に落ちたりと、ベタな展開。そして、最後は爆弾で怪物を殺そうとしたキング博士が爆発に巻き込まれて THE END となります。

普通に真面目に作られてるけど、それが災いして物語が平坦になってしまったという印象。
ほとんどドラマだったので、私にとってはちょっと退屈な作品ではありました。

やはり、というか低予算の悲哀が漂うシーンも多数あります

怪物いるというのに、あまりにも無防備な軽装で調査に向かう二人・・・


低予算映画を象徴するようなシーン。これはマヌケすぎでしょう。

そういえば、冒頭の漁師の船や怪物に食われる役目のカップルが海に出ていくシーンなど、全部同じボートだったような?

そして

なにも解決できずにすごすごと引き下がる二人


博士の実験対象が海で見つけた亀(何故か普通の陸ガメ)というのもなんだか・・・

ところで、この映画の怪物って、元は何なのでしょうか?

放射能実験の対象にされる亀にモンスターの映像がオーバーラップされるという事は、もしかして亀?

えーと

もしかしたら、この映画の最大の見どころなのかもしれないのが次のシーン


お色気シーン、というほどのものでもないですけど、この映画のヒロイン、ロイス嬢役のキャシー・ダウンズの着替えのシーンです。

ところで

キャシー・ダウンズといえば、不朽の名作『荒野の決闘』 (1946)の淑女クレメンタインを演じていた女優さんですね。

西部劇ファンにとっては忘れられない女優さんの一人ですが、こんな作品に出演していたとは驚き。

MY DARLING CLEMENTINE はいい曲ですよね。日本語のは酷いけど・・・

と、色々と書いたものの

それなりにB級テイストを楽しみつつ観賞してしまう私・・・

そういえば、B級映画を語る時に誰かが言ってたのを思い出しました。

「こんな映画、私が見なければ誰が見るんだ!」

自分のようにB級作品を見る人間がいなければ、ほとんどの作品が幻のままで終わってしまう、という意味ですね。

なるほど

まぁ、確かにそういった温かい目線で観賞できる人じゃないと無理ですね、この作品は。

うーむ、久しぶりに西部劇が見たくなってきました。

Dr.フー in 怪人ダレクの惑星


『Dr.フー in 怪人ダレクの惑星』(1965)

Dr.フーといえば、英国のSFテレビシリーズ。かなりの長寿番組で、気がつけば新しいシリーズが新キャストで放送されている印象があります。

この『怪人ダレクの惑星』はテレビシリーズの人気悪役ロボットが登場する映画版。

ピーター・カッシング演じるDr.フーと二人の孫バーバラとスーザン、そしてバーバラの恋人イアンが「ターディス」と呼ばれるタイムマシンを誤作動させてしまい未知の惑星に到着。そこは核戦争後の世界で、金属の防護服に身を包んだ好戦的なダレク族と友好的なサール族が住んでいた。好奇心が災いしダレク族に狙われる羽目になったDr.フーはサール族と協力してダレク族に立ち向かう。

えーと、私はこの作品はビデオで初めて見たのですが

困った事に、実はこの劇場版以外のDr.フーを全く知らないのであります。

テレビで何度か目にした事はあるのですが、何故か全く引き込まれる事なく、全てスルーしてしまったという・・・

SFファンでありながら、「見た事はある」といった程度。やはりタイムトラベル物って性に合わないのかなぁ?

というわけで

Dr.フーに関する知識がほぼゼロであり、この作品も最初はワクワクして見たものの、期待したロボットにあまり魅力を感じる事なく、特別思い入れがあるわけでもないので、ほとんど語りたい事が無くて困っております。

あ、これロボットじゃなかったですね。

・・・そんな事よりも

何と!

私が大好きだった『人造人間クエスター』がスティングレイから発売が決定したというニュースが!!

まさか『人造人間クエスター』がDVD化されるとは。そういえば、以前ブログで『人造人間クエスター』の事を書いた時にリメイクが進行中との情報があったのですが、その後どうなったのでしょうか?

実際に映画化にこぎつける作品以上に企画段階でお蔵入りしてしまう作品の何と多い事か。これもそのパターンかもしれません。

とにかく注文しなくては!

えー、話をDr.フーに戻します


この作品で思った事といえば

「ターディス」の中は結構素敵ですね。ただ、ホームセンターで売っているようなグッズが小道具として使われているのはどうなんでしょうか?

好々爺のピーター・カッシングは楽しかった

ダレク族って消防士みたい。強いのか弱いのか良く分からないし。攻撃されて「たすけてぇー」と叫ぶ姿がなんだか可愛くて手の動きもキュートでした。声はえらく耳障りでしたね。日本人が良くやる宇宙人の物真似みたい。「ワレワレハ、ウチュウジンダ・・・」というやつ。

おかしなメイクのせいで善人に見えないサール族。お姉キャラかと思った。

あとは

フツーに面白かったです。悪くないけど、微妙。



今思い出したのですが、この映画でも私が好きではない演出が見られました。

全員一緒に行動した方がいいのに手分けして探索するとか、明らかに危ない行動を取るというやつ。
SFでも良くありますよね。「ここを動くんじゃないぞ」といって女性を一人きりにして自分が何処かへ行ったりとか・・・
残された女性が襲われるのがすぐ分かっちゃう。わざとらしくて大嫌いなんですよね、これ。

・・・まぁ、こんなところでしょうか。

ちなみに手元の本によりますと

テレビシリーズと映画では設定が異なっている。「ターディス」を発明したのはDr.フーではなく、惑星ガルフレイズに住む「時の支配者」という種族。ドクターはこれを盗み出し、正義のためにいろいろな惑星の事件に干渉してしまったため、記憶と顔を変えられて「ターディス」とともに地球に追放されてしまったのだ。
ドクターは何年かに一度、「時の支配者」の裁判を受け、その都度顔や年齢を変えられてしまう。この設定に伴い主役のドクターを演じる役者も何年かに一度交代している。

との事

はぁ、そうですか、なるほど。


(;´Д`) そんな馬鹿な・・・

スペース・ウルフ -キャプテン・ハミルトン-


『スペース・ウルフ-キャプテン・ハミルトン-』は1977のイタリア製SF映画。

地球に届いた怪電波の発信源の調査に向かったキャプテン・ハミルトン。
降り立った惑星でクルー達は、巨大コンピューター(ロボット)によって奴隷化された異星人と遭遇する・・・

というわけで

『スタートレック』っぽいストーリーはちょっと面白そうです。

自主制作の匂いのする数少ない作品の一つで、特撮、脚本、演出、音楽、など全てが低レベル。低予算のB級SF映画に対してかなり好意的な私が見てもちょっと辛かった作品であります。

1977年ですか・・・

SFに対する愛情のようなものが感じられれば、また違った印象になるのでしょうが、SFファンを舐めているとしか思えない適当ぶりと安直さはとても『スター・ウォーズ』と同年代に作られたとは思えません。

まぁ、『スター・ウォーズ』が凄すぎたっていうのもあるのでしょうが、それを差し引いてもズバリ「駄作」ですね、これは。

批判しようと思えばいくらでも言えるのですが、この作品を褒めろと言われても

無理無理

と言いながらも、ロボットや宇宙船も出てくるわけで、根っからのSFファンならばそれなりに楽しめない事も無い、かも?

感想も力が入らないので適当に

まずはオープニング

テーマ曲とか効果音はファミコンみたいです。その音楽をバックに宇宙空間を漂うキャプテン・ハミルトンの宇宙船。

このレトロ感、嫌いじゃないぞ、と思って見ていると、あまりの大ざっぱさに次第に怒りがこみ上げてくるという・・・

だいたい記録装置がビデオテープっていうのがこの作品の手抜きを象徴しているように思えてなりません。

衣装のデザインも苦笑もの。体のラインがはっきり見える衣装は『スペース1999』っぽいです。女性がノーブラなのもB級作品の悲哀を感じさせます。女優さんたち恥ずかしくなかったのかなぁ?

俳優の多くがポルノ男優っぽく見えるんですけど・・・

怪電波をキャッチして、調査に向かうのに最適な場所にいたのがハミルトンの船だけという、この展開を見てもやはり『スタートレック』の影響を受けて作られたのではないかと。たぶん。

しかし、

別の任務が終わったばかりで了承できない、だの、行けだの行かないだのとハミルトンと上層部とのやり取りが延々と続き・・・

やっぱり駄目だ、この作品(苦笑)

テンポ悪すぎ。不要のシーンがやたらと長かったりするのは駄作に良くあるパターンで、何度も何度も

「もういいから、早く次のシーンに行ってくれよ」

と心の中で訴える羽目になります。編集がおかしくて話がつながらないシーンもあるし・・・


ところで

未来のSEXは肉体を必要としない、という設定のSF映画って多いですね。そのSEXに使う道具? はデススターみたいでした。

惑星に降りたハミルトン一行が出会った原住民がこれ


ほとんど劣化版スタートレックと言ってもいいような有様。写真では分かりにくいですが、耳とんがってます。

ロボットの襲撃シーンは結構気に入ってます


突っ立ったまんまのハリボテだけど、そのたたずまいは神々しく、クルー達との攻防、爆破シーンなどはなかなかの迫力でした。

下の写真、立ちションしてるように見えなくもないですが・・・

映画のクライマックスではハミルトン達の前にドーンと立ちはだかり、大演説を行います。

なんでも、このコンピューターは銀河征服を計画しており、損傷を負ってパワーを失った自分を修理させるためにハミルトン達をこの惑星におびき寄せたのだとか。

宇宙船の内部も敵のロボットも同じようなデザインなのが気になる・・・

しかしこのコンピューターの声

一応それっぽくエフェクト処理されているのですが、声優さんの息継ぎする音(しゃべる前に息を吸う音)がずーっと聞こえていたのには大爆笑してしまいました。言葉で伝えられないのが残念です。

これ以降の展開は支離滅裂


銀河を征服する予定の巨大コンピューターは、何か小さな部品のようなものを投げ込まれただけであっさりと自爆。

それに伴い惑星自体が爆発し、そこの住民は全滅。

と思ったら、仲良くなった一人だけがちゃっかりと宇宙船に乗り込んでクルーの一員に。自分以外の全住民が滅びたのにニコニコと談笑しております。

その後

クルーの一人がコンピューターに憑依されていて危機はまだ去っていなかった、というどんでん返しがあります。

憑依された乗組員の風貌は意味不明。歯がドラキュラみたいに尖ってるという・・・

だんだんホラー映画っぽくなってきました。

襲われた女性クルーを助けるため、憑依された乗組員立ち向かったのは、なんと原住民の生き残り!

二人が戦っている隙に女性クルーを部屋から連れ出したキャプテン・ハミルトン。そのまま部屋のエアロックを解除し、二人は宇宙空間へ投げ出されてしまいます。

こんな解決方法が許される作品があったとは・・・

全ての危機が去り、ようやく地球へ帰還できる、と思ったのもつかの間

こんどは宇宙船のコンピューターが敵のコンピューターに乗っ取られていた事が判明します。

ありがちですけど、どんでん返しその2、というわけですね、

船内に響くコンピューターの声と恐怖にひきつるキャプテン・ハミルトンの顔のアップで映画はおしまい。

最後は完全にオカルト映画に

演出次第では、驚愕のエンディングというのも可能だったような気もしますけど、この監督さんにSFは無理だったのかなぁ、という印象の作品でした。

ちょっと失敗。次はもっとお気に入りの作品にしましょう。

縮みゆく人間


『縮みゆく人間』(1957)

前回の「短編映画ならではの結末」といった話からこの作品を連想してしまいました、これは長編映画ですけど。

この映画はタイトルどおり、放射能を浴びた主人公スコットが次第に縮んでいく、という物語。放射能の影響を描いた作品が数多く作られた1950年代。
巨大モンスター全盛の時代という事を考えると、当時としてはかなり異質な作品だったのではないでしょうか?

この作品、昔から評判良いですね。書籍やビデオなどでの評論家のコメントも好意的なものばかり。
今見ても色あせない特撮、感動的、優れた作品、傑作との評価多数。
実際かなりシビアな作品ですね、これは。

で、私がどう感じたか、というと

これは

最初に謝っておかなければならないのかもしれませんが

ほとんどがコントに見えてしまったという・・・

巨大なセットの中で人間が動き回るという、非常にシンプルな特撮。
まぁ、これならば色あせるという事がほとんど無いというのも納得です。

ガリバー旅行記をはじめ、巨人や小人を題材にした物語や映画はこの作品以前にもこれ以降にも数多く存在します。
ただ、この作品が他と決定的に違うのは

「だんだん小さくなっていく」

というところでしょう。

つまり小人になる前のちょっと小さいだけの段階までもが描かれているという・・・

これが私の場合、笑いのツボに入ってしまったのですが、

誰もいない椅子に向かって話しかけている(そのように見えるアングル)あたりから、もう次の場面が想像できてしまいます。この場面に「ジャジャジャアァァーン」と恐ろしげな音楽がかぶせられ、The Incredible Shrinking Man が初めてその姿を現わします。



ヾ(≧▽≦)ノギャハハハハ

あの、ちょっと言い訳をさせてもらうと、ですね

この映画よりも先に「奥様は魔女」を見ていたのがいけなかったのだと思います。エンドラの魔法でダーリンが次第に小さくなっていくという、この映画にそっくりな話があったものですから(苦笑)

気がついたら服がブカブカだったり、体が小さくて車の運転もままならなかったり、動物に襲われたり、などなど、あらゆるシーンでスコットとダーリンがオーバーラップしてしまうという・・・

本当に真面目な映画なのに、悲しそうなスコットを見ていると思わず笑みがこぼれてしまいます。


ちょっとだけ自己嫌悪・・・

えーと、「奥様は魔女」は忘れる事にして

それでもやはり、これって名作なのかなぁ? という印象はぬぐいきれません。

最初は呑気にも体が縮んでいる事を夫婦共々なかなか確信が持てないのですが、医者に検査してもらったら6〜7センチも小さくなっていたのです。

あの・・・、普通それだけ縮んだら明らかに目線が違うでしょう?

その後、人形の家に住むほど小さくなったスコットにとっては全てが脅威となり、映画の後半は猫や蜘蛛に襲われる様子が描かれサスペンスを盛り上げます。

それにしても

いつまでも猫などを飼っていたら危険だという事くらい気付かなかったのでしょうか?

巨大猫に襲われるというサスペンスよりも、奥さんの浅はかさに腹が立って仕方がありませんでした。

その後奥さんはスコットが猫に食べられてしまったと勘違いしてしまい、ますます主人公は窮地に陥ってしまいます。

少しは探せよ(怒)

ヒロインなのにちっとも美人じゃないし・・・


その後、さらに縮み続けるスコットはマッチ箱に住み、水浸しの床で溺れかけたり食料を求めて木の箱をよじ登ったりと大冒険が続きます。

腹が減ったスコットはネズミ捕りに仕掛けられたチーズを発見! 飢えを凌ぐには最高の御馳走だ!!

思案の末、落ちていた釘を罠に投げ込むと上手い具合に罠が作動したものの、その弾みでチーズが排水溝にコロンポトン、でまたまた大爆笑。

一度ツボに入ってしまうと、全てがコントに見えてしまうという悪循環・・・


スコットが死んだと思いこんでいる奥さんは、引っ越しを決意し家を去ってしまいます。

絶望の中、体がさらに縮み続けるまま、主人公のナレーションとともにこの映画はエンディングを迎えます。

名作との評価も、もしかしたらこのエンディング故なのかもしれません。

強烈に印象に残る、また静かな余韻を残す、そしてちょっと考えさせられる(哲学的と言っても良いかも)終わり方。

さらに体は縮み続け、ついには見えなくなって、THE END

なのですが

この後スコットどうなるのか?

科学的考証はさておき、

これは・・・縮み続けるけど無にはならないって解釈で良いのでしょうか?

主人公の運命やいかに

一種の無限後退のようなオチとも解釈できるのですが、私の場合、視聴者の想像にゆだねられるエンディングって、あまり好きにはなれないんですよね。

以前書いたリドル・ストーリーなどもそう

オチが思いつかなくて、シュールな方向に逃げたような気がするし、何となくスッキリしないと言うか・・・

まぁ、感じ方は人それぞれだし、オチをはっきり提示しないからこそ名作になった作品もありますからね。

で、この作品を皆さんがどう評価されているのか気になって前もって検索してみたのですが・・・

やはり名作との評価が大勢を占めており、私のような感想を持った人は皆無だったようです。

何だかロクでもない事ばかり書いてしまってスイマセン。私にとってはちょっと不幸な作品となってしまいました・・・。原作を読んでいないのも不覚であります。

ジム・ヘンソンのストーリーテラー


『ジム・ヘンソンのストーリーテラー』(1987)

このブログにしては新しい作品ですが、SFテレビ・シリーズか短編作品でも書こうかなぁ、なんて考えていて、ふと頭に浮かんだのがこの作品。

ところで

多くの人が言っているように、一話完結のテレビ・ドラマや映画といえば、その「意外な結末」というのが大きな魅力の一つでしょう。

長編映画では間違いなく却下されるようなオチ、例えば主人公が死んでしまっても良いわけですから、もう何でもありの世界。救いようのない結末でも許されのは小説と一緒ですね。

なので

私も商業映画に飽き足らないと感じた時には、救いを求めるように短編作品を立て続けに観賞することがよくあります。

『トワイライト・ゾーン』、『アメージング・ストーリー』、『レイ・ブラッドベリ劇場』などなど。

一話完結というのがミソですね。

『ロアルド・ダール劇場』はちょっと期待外れだったかも。そういえば主人公が変わらない『ヒッチハイカー』なんてのもありましたね・・・

タイトルを挙げていたらきりがないので、この辺りでストップ

で、この『ストーリーテラー』ですが

先に挙げた作品とはちょっとジャンルが違うのですが、私の中では短編、長編問わず、全ての映像作品の中でもオールタイム・ベストの一つなのであります。

暖炉の前に座ったジョン・ハート演じる語り部(ストーリーテラー)が、ヨーロッパの民話・昔話をマペットの犬に語って聞かせる、という独特のスタイルの作品。

類似した作品がほとんどないですね、これ。

いつ見ても、何度見ても

「いやぁ、これは良くできているなぁ!」と感心させられてしまいます。

語り部の部屋にある小物を利用した場面転換などの演出は秀逸でした。陶器などに描かれた人物や背景が動き出したと思ったら、次のシーンとオーバーラップするという・・・

言いたい事全部書いてたら何日もかかってしまうので、感想も超短編で

この作品は全9話。DVDとビデオでは順番や邦題が違うようです。


第1話「ハリネズミのハンス」HANS MY HEDGEHOG

ハンスの容姿を見た時、子供向けのおとぎ話では終わらせない、という制作者の意図を見たような気がしました。お母さんが可哀そう・・・

第2話「恐怖を知らなかった少年」FEARNOT

体がバラバラの男を見た時、全然似ていないのに何故か昔の妖怪図鑑などに載っていた「さかさ男」という妖怪を思い出しました。
怖いもの見たさで図鑑を眺めてはガタガタ震えていた少年時代を思い出します。
冗談ではなく、マジでこれまでの人生で最も怖かったのが「さかさ男」

第3話「最後の一話」A STORY SHORT

ウィットに富んだお話が楽しい。これまた全然似ていないのに、ボッカチオの『デカメロン』を連想してしまいました。
しかし何故に物乞い・・・?

第4話「幸運の持ち主」THE LUCK CHILD

本当に単なる「幸運の持ち主」の話。何の努力もしないで王様の地位を手に入れるという・・・。何が言いたいのか良く分からないけど話は面白いです。キュートなグリフィンが見られただけでも満足。

第5話「兵士と死神」THE SOLDIER AND DEATH

これが一番好きかも。残酷な話だけど何度見ても面白い。善良そうな兵士にこの仕打ちは酷い・・・。古典落語の「死神」


第6話「本当の花嫁」THE TRUE BRIDE

これもまぁ、幸運の持ち主のお話ですね。面白いけど特に感想は無し。それにしても良くあれほど不細工で不愉快なキャラクターを思いつくものだなぁ、と変な所で関心してしまいました。

第7話「三羽のカラス」THE THREE RAVENS

片手だけはカラスのままって、とんでもない不幸では? ご愛嬌では済まない気がするんですけど・・・

第8話「運命の指輪」SAPSORROW

汚い衣装の姫に対する王子の態度は酷い。綺麗な衣装で現れた姫には一目ぼれ。姫が王子の求婚を断ればすっきりしたかも・・・。唯一あまり好きになれない話。

第9話「心のない巨人」THE HEARTLESS GIANT

短編ならではの結末が・・・。うーん、一番好きなのはこっちかなぁ・・・。

というわけで

すごくテキトーな感想ですが・・・(汗)

物語そのものは単純なものも多いのですが、素晴らしい映像作品であるという事は間違いないでしょう。
魅力的なキャラクターデザインと優れた演出のおかげで何度見ても飽きる事のない魅力ある作品となっているような気がします。
ジョン・ハートの語りも見事でしたが、聞き上手な犬の存在も忘れられない作品でした。

悪魔の発明


悪魔の発明(1957)

監督、脚本はカレル・ゼマン

人類に役立つエネルギーの開発を進めるロック教授と助手のハルト。大富豪ダルティガス伯爵はお人好しの教授を騙し、スポンサーとなり、その研究を超兵器開発に利用しようとする。伯爵の企みを知ったハルトは研究施設のある孤島からの脱出を試みるが・・・

と、ゆーわけで

「その時の体験は全て本にまとめた・・・」

という主人公の回想で映画は始まります。いつもながの心ときめくオープニング。

この映像、誰が見ても古い本の挿絵を連想すると思われます。これはもう、あからさまに「動く挿絵」

あるいは

テリー・ギリアムのファンはモンティ・パイソンを思い出すかも。実際、影響与えているんですかね・・・?

『彗星に乗って』はSF創世記の映像を意識したのでは、と感じたものですが、この『悪魔の発明』ではそれよりも遥か昔、それこそ19世紀の挿絵の世界をそのまま映像化しようと試みたのでは、と思えるほどノスタルジックな作風になっています。

銅版画風に描かれた背景と実写のセット、それに切り絵を使ったアニメ、ストップモーション・アニメ、実写の人間や動物などを合成して作られたその映像は、それはもう「凄い」の一言。

この独創性と摩訶不思議な映像を楽しめるか否かはその人次第・・・でしょうね、やっぱり。


実写とアニメの境界が分かりにくいのも、この作品の特徴といえるかも知れません。

とは言っても普通と逆で

アニメ部分がリアルで実写に近いのではなく、実写部分と人間がアニメに近いとでもいいましょうか、二次元の世界に無理無く取り込まれ動き回っているようで、これが何とも不思議な感覚を味わえるのです。

実写の方が簡単なのでは? と思える部分までアニメで描かれていたるするので、意図的にかなりのこだわりをもって作られた映像なのでは、と感じます。

人力飛行機や飛行船、巨大な潜水艦の装備とそこから眺める海底の風景、水中自転車、海賊と帆船、気球、近代的な工場や研究所、ラストに登場する超兵器・・・。私は最初から最後まで魅了されっぱなしでした。


えーと、この映画を一言でいうと

通常の映画で味わうものとは全く別の種類の「感動」を与えてくれた作品

という事になります、私にとっては・・・

絵が素晴らしく、細部まで描きこまれた映像は、全てのシーンが芸術作品のような味わいでした。実際、当時の衣装や室内の小物などを見ているだけでも十分に楽しめるほど。


うーむ、珍しく褒め言葉しか出てきませんけど、この作品に限って言えば、普通の映画批評をするなんて野暮な気がしてくるんですよね・・・

野暮を承知で言わせてもらうとすれば

冒険劇の割には、ストーリー展開がのんびりしているので、ドキドキ感があまり無い事や、サイレント映画を思わせるほどセリフが少ないシーンも一部あったりして、よく見ていないと、物語が分かりずらいかも? などといった点は多くのゼマン作品に共通している事ですが、見る人によっては欠点と映るかもしれません。

でも

ジュール・ヴェルヌに心酔し、ジュール・ヴェルヌに心酔したカレル・ゼマンにも心酔している私にとっては全く欠点とはならないんですけどね・・・。絵として魅せる事を最重視しているのかも?

ところで、映画の原題は「破滅的な発明」といった意味だそうですが、「破滅的な発明」=「爆弾」という発想は時代を感じさせますね。

私などは「悪魔の発明」といったら、もっと自然の摂理に反するような恐ろしいものを想像してしまいます。子供の頃読んでいた『謎のタイムトンネル/不死の世界を発見した』アラン&サリィ・ランズバーグ (著)の影響かも。

この本にはクローン技術やマヤ文明の事が書かれていて、読んでいて結構怖かったものです。信じ難い話ばかりですけど。

そういえば、この本のエピローグに「五千年ごとに一つの文明が終息する」というマヤ文明の民話一節が書かれていて、現在の文明が終息する日付は2011年の12月24日なんだとか。

昨日ですね・・・(^^;)

地球の危機


地球の危機(1961)

北極をテスト航海中の原子力潜水艦シービュー号がヴァン・アレン帯の炎上に遭遇。シービュー号の設計者であるネルソン提督は核爆発の衝撃による鎮火を提案するが、自然消滅説を支持する国連の科学者たちと意見が対立。自説を信じるネルソン提督は地球の危機を救うべく、シービュー号を出航させるが・・・

といったストーリーの作品なのですが

アーウィン・アレンはこの映画の成功をきっかけに、テレビシリーズ『原子力潜水艦シービュー号』 (1964〜1968)を企画し大成功を収めます。

もともとアレンは『海底二万マイル』を撮りたかったらしいのですが、ディズニー版が存在したためにオリジナルを考案して生まれたのがこの作品だそうです。

後にヒット作を連発し、名プロデューサーとなるアレンの原点とも言える記念すべき作品ですね。

後のアレン作品に見られる、良い意味での荒唐無稽さはそれほどでもなく、フライング・サブなども登場しませんが、L・B・アボットのちょっとレトロな特撮は見どころ十分だと思います。

さて

私にとってこの映画は特別思い入れのあるものではないのですが、何かと思うところが多い作品なのであります。

まずは、とてもSF映画とは思えない能天気、ではなくて、嵐の前の穏やかさを思わせる甘い歌声で始まるオープニング

で、その歌が終わると同時に海面に急浮上するシービュー号


いやぁ、格好いいですねー! シービュー号のプロポーションが良いこともあり、とても美しいシーンに仕上がっています。

おそらく誰もが突っ込みを入れたくなるでしょうけど、この角度・・・

そして舞台は艦内へと変わり、ネルソン提督と部下が視察に来たお偉いさんにシービュー号の設備を見せて回るシーンへと続きます。

狭くて暗いという、閉所恐怖症に陥りそうな潜水艦のイメージとは全く違う空間がそこには描かれていました。


多彩なセットと、窓から見える海底の風景・・・良かったです。全部セットで作ったのか、一部は本物の施設でロケをしたのか分かりませんが、あたかもそこにシービュー号が実在しているかのような錯覚さえ覚えるほど素晴らしかったです。

登場人物と一緒に観光でもしているような気分で映画を見ていると、空を覆う炎に遭遇。シービュー号のクルーは国連へと向かいます。

ここから物語は急展開を見せ、シービュー号のクルーたちはヴァン・アレン帯にミサイルを撃ち込むべく、発射地点へ向かって航海を開始。以降はネルソン提督と、ミサイルの発射を阻止しようとする人たちとの攻防がメインとなります。


ネルソン提督の意見が頭ごなしに否定され、誰にも聞き入れてもらえないのはちょっと歯がゆい展開なのですが・・・、まぁ解決方法があまりにも突拍子もないものなので仕方が無いですね。

目的地に到着するまでに待ち受ける数々の試練とは

・機雷

・巨大生物(イカ)の襲撃

・巨大生物(タコ)の襲撃

・難破船の発見とそれに伴うクルーの士気の低下

・提督を精神病患者扱いする精神科医

・提督と対立し、指揮権を剥奪しようと試みる艦長

・作戦を阻止しようとミサイル攻撃をしかける国連艦隊

・部屋を燃やされ命を狙われる提督

・「神の意思に逆らうな」と爆弾で脅迫する男

舞台が艦内に限られているので、これらは視聴者を飽きさせないための工夫なのでしょうけど、よくまぁこれだけ次から次へと・・・

後半の大部分は疑心暗鬼で泥沼化する人間関係が描かれているのですが、せめて船長くらいは提督の理解者であって欲しかったです。

裏切り者は誰か? といったサスペンスはちょっとだけ楽しめましたけど。

そして、この映画の最後のあっけなさは特筆物。

ミサイル発射に成功すると、あっという間にヴァン・アレン帯は消滅。「やったぞ」「おめでとう」「さぁ、急いで帰ろう」でTHE END

あの

その後の地上がちょっと気になるんですけど・・・

難破船で帰国した脱艦者たちって、どう考えても生きて帰れるとは思えないんですけど?

まぁ、いいです(´・ω・`)

そういえば

古い映画を見ていると、どこでも平気でタバコを吸ってますね・・・

『刑事コロンボ』などでも、コロンボだけではなく鑑識までもが平気でくわえタバコで指紋採取してたりとか。

この作品でも提督は場面が変わるたびにタバコに火を付けていたような印象すらあります・・・

最後に

私個人にとって最大の見どころとなったのが、出演している俳優さんたちでした。


豪華、と言っても良いのでしょかね・・・

ネルソン提督はSFファンには『禁断の惑星』のモービアス博士でおなじみのウォルター・ピジョン

ネルソン提督の唯一の理解者はピーター・ローレ
世界屈指の科学者にはどうしても見えないんですけど・・・

ネルソン提督の秘書は『かわいい魔女ジニー』のバーバラ・イーデン

映画の冒頭でトランペットを吹いていたのはフランキー・アヴァロンですね。
「ヴィーナス」や「ホワイ」などのヒット曲を知っている人も多いでしょう。オープニングの甘い歌声はこの人だったのですね。トランペットも名手である本人の演奏によるもの。

精神科医の役はジョーン・フォンテイン

私は『レベッカ』 (1940)でジョーン・フォンテインを知ったのですが、これまでに私が見た全ての女優さんで最も綺麗だと思ったのがこの人。ヒッチコック作品のヒロインは皆綺麗でしたが、私の中ではこの人が一番。

年はとりましたが、相変わらずお美しい・・・

というわけで、

ラストシーンでの彼女の扱いだけは絶対に許せんのです( ̄  ̄メ)


黒い蠍


えー、今更ですが今回は『黒い蠍』(1957)

esmeさんのコメントがきっかけで久しぶりに『キング・コング』(1933)を鑑賞し、勢いで『コングの復讐 』(1933)も鑑賞。さらにはピーター・ジャクソン版キング・コング(2005)も見て、ついでに『黒い蠍』も見てしまったという・・・

ついでとは言っても、この作品結構好きです。私はテレビ放送を見逃していたので、この作品をちゃんと見たのはわりと最近の事なのです。あまり多くは無い「社会人になってから見た古典SF映画」の一つというわけで・・・

; ̄ロ ̄)!!

私の言う「最近」とは、ここ10年位、いや15年位前でも最近のような気が・・・

で、「だいぶ前」というと20年位、でしょうか。

25〜30年以上も前の出来事が「昔は・・・」という感覚。

どーでもいい事ですけど、年取ったって事ですかね・・・?

ところで

ウィリス・H・オブライエンの『キング・コング』はやはり面白いですねぇ。これほどの作品でも批判する人っているのですね。私にはさっぱり理解できませんけど。

1933年の作品を「古臭い」って・・・

そんなの見る前から分かりきった事だし、そんな事で評価をしていたら70年代くらいまでは全部古臭いじゃないですか?

うーん、その時代ならではの映像も含めて楽しんでいる私にはやはり理解できない感覚ですね・・・

ところで

ピーター・ジャクソン版も結構好きです。『コングの復讐 』は・・・

まぁ、気が向いたらそのうち書くかも(・。・)y─┛~~

話を戻して『黒い蠍』ですが

この映画の舞台はメキシコの田舎町。火山の噴火によって蘇った古代の巨大蠍が都会に現れ大暴れ。軍隊との攻防を繰り広げる、といった非常にシンプルなストーリーの作品です。

以下は完全に個人的な好み丸出しの感想ですが

この映画は「おぉーすげぇぇ」って感じる所と「オイオイ、それは無いだろう・・・」って感じる部分のギャップが大きかった印象があります。テンションが上がったり下がったりと忙しい映画でした。

凄いところは

巨大蠍が本当に、あまりにも巨大だった事とストップモーションの動きがかなり出来が良かった事。最初に見た時には結構驚かされました。

人間などひょいと一つまみ。さらには電車や戦車を投げ飛ばし、手を伸ばしてヘリコプターまで捕まえてしまうという凄まじい暴れっぷり。
そして、ハサミの間でもがき苦しむ人間やヘリコプターのプロペラの回転までストップモーションで描かれているという緻密な職人技。


地底での蜘蛛や尺取虫?の動き、蠍との対決シーンも素晴らしかったです。
このシーンは『キング・コング』でカットされた場面を蘇らせようと、当時のモデルを使用して撮影し直したのだとか。
この「地底探検」のシーンの持つ独特の悪夢的な感覚はSFファンのツボに入ること請け合い。

ハリーハウゼンの『巨大生物の島』(1961)を見た時にも感じたのですが、昆虫類や節足動物の動きってやっぱりストップモーションに向いてますね。同時期の傑作『放射能X』 (1954) と比べても、モンスターの迫力に関しては比べ物にならない程素晴らしい出来栄えです。

これらの仕事のほとんどが、助手のピート・ピータースンの手によるものだそうです。この作品の蠍では分かりませんけど、ピータースンのアニメは水中で動いているような滑らかさが特徴です。DVDの特典映像は必見!


で、良くなかったところは

あまりにも出来の悪い合成。蠍の体が透けて見えるしおかしな位置で途切れるし・・・

ガキが不自然にストーリーに絡んでくるところ。何も出来ないくせに「手助けがしたかったんだよぅ」とかイラつくんですけど。大まかなプロット自体は悪くないと思うのですが、突っ込みどころ多すぎです、この作品。

ヒロインが好みでないところ…( ̄  ̄;)
どことなく肝っ玉母さんっぽい雰囲気の人がチト苦手。老けて見えるだけですかね?
あと『黒い絨氈」のエリノア・パーカーとかも肝っ玉母さんに見えて仕方なかったです。

同じ特撮カットの使い回しが多すぎ。
まぁ、これは個人的には何度も見ることが出来て、逆に嬉しかったという・・・でも、別角度で撮影したり、トリミングを変えただけで違うシーンに見せようとしているのがバレバレでちょっと切なかったです。

もっとも不愉快だったのが、蠍の顔のどアップ挿入があまりにも多いところ。
しかも躍動感が皆無でストップモーション用の蠍と顔が違いすぎ(怒)


かなりの間抜け顔・・・

下手な演出の典型、いや、もしかしたら編集段階でそうなってしまったのもしれませんが、コマ撮りのシーンになると2〜3秒後には決まってこの顔が挿入されるのでウンザリしましたよ・・・

蠍の暴れっぷりで燃えて、顔のアップで萎えて、特にクライマックスはその繰り返し。

こうして書いてみると、見どころはストップモーションによる特撮だけのような気もしますけど・・・

まぁ、実際そうかもしれません…( ̄  ̄;)

でも、人間ドラマを中心に描いたモンスター映画も多い中、コマ撮りでこれだけ見せてくれる作品はちょっと珍しいです。

暴れっぷりは怪獣っぽかったですけど、単に巨大生物として描かれているとことは、やはりアメリカ映画だなぁ、といった感想でありました。


五十年後の世界


五十年後の世界(1930)

この映画の舞台は1980年のニューヨーク。映画が製作された1930年から見た50年後の世界が描かれているというわけです。

注目すべきは

SFとしては世界初のトーキー(発声映画)であるという事!

で、尚且つミュージカルでもあるという・・・

ミュージカル映画をあまり好まない人は

「どうしてそこで歌うのかなぁ?」

と、多くの場合そう感じるものだと思います。

もちろん、楽曲やダンスシーンが素晴らしく、苦手な人が見ても十分楽しめる作品も数多くありますが、この映画はSF作品なわけで・・・

見終わった後の感想としては、歌う場面は全てカットして欲しかったなぁ、と。

まぁ、本格的にトーキーが流行りだした時代の作品なので、大人の事情とかでミュージカルを取り入れざるを得なかったのかも知れませんけど。

えーと、あらすじを一応書いておきましょう。

仮死状態だった男が、最新の技術により1980年に蘇生する。人々が全て番号で呼ばれる世界で、男はシングル0と呼ばれ、J21という青年と出会う。J21には愛する女性LN18がいたが、1980年には結婚相手は法廷が決める事になっており、ライバルのMT3に有利な判決が下される。その決定を覆すためには、何か優れた業績をあげなければいけない。J21に残された時間は三ヶ月あまり。そこでJ21は、友人のRT42と共に火星行きのロケットに乗り込む事を決意する。密航者のシングル0を含めた三名は無事火星に到着。最初は歓迎された三人であったが、火星人同士の内紛に巻き込まれ囚われの身となってしまう。

かなり荒唐無稽で、あらすじだけでも突っ込みどころがありますけど・・・

で、なんとか脱出して地球へと戻り、その功績が認められ、J21はめでたくLN18と結婚することになってめでたしめでたし。

この作品、いくぶんコメディータッチで描かれているものの、ちょっと中途半端な印象。いっそのこと、50年後に生き返った男の珍行動を主題にコメディーにしたほうがよかったかも知れません。

でも、ストーリーはともかく

この作品は非常に面白かったですo(・∇・o)

舞台が1980年という事は、映画全編が1930年の人が考えた未来像で描かれているという事でもあり、その未来観とデザインが非常に楽しかったという事。

なので、私は最後まで飽きる事無く見ることが出来ました。


番号で呼ばれる住民(ペット含む)

交通手段は車ではなく飛行機

テレビ電話

死体蘇生術

針のない注射器

食料ばかりか飲料までもが錠剤となっている

自販機で購入できる人工培養された子供

などなど

1980年どころか2011年現在でもほとんどが実現していないものばかりですね。

映画自体が科学的考証が皆無だという点から判断すると、1930年の人が本気で50年後にこのような未来が実現すると考えていたとは思えませんけど、どうなんでしょうか?


実験室のネオン管とか、なにやらブクブクいってる試験管類って50年代くらいまでは定番でした。

壁や窓が斜めになっているデザインも60年代までは良く見かけたものです。明らかに機能的ではないのですが、当時としては未来っぽさを表現するのには効果的だったのでしょう。

1970年代以降の近未来映画にはこういったデザインはほとんど見られなくなってしまいました。

そして愛を語る場面で歌う恋人達


あー鬱陶しい(-"-;) 普通の会話にしておけばいいのに・・・

あとは

映画後半の惑星間ロケットと火星探検のシーンもこの作品の見どころの一つ。


女性たちのダンスシーンは古い映画のキャバレーみたいでした。火星人が、優れた科学力を持っておらず、比較的野蛮な人種として描かれていたのはちょっと残念でしたけど。

というわけで

この映画は、アカデミー美術賞にノミネートされたほど評価されたわけですが、興行的には失敗作に終わってしまったそうです。

この時代にセットだけでも25万ドル、全体で110万ドルの予算って凄いですね・・・

その後、これらのセットはユニヴァーサルが買い取り、連続活劇『フラッシュ・ゴードン』(1936)や『バック・ロジャーズ』などに流用されたそうです。デザインが評価されたのか、少しでも予算を回収しようとしたのか、おそらく両方。

その後この宇宙船は『フラッシュ・ゴードン』のザーコフ博士のロケットとして大活躍していました。後部からモクモクと煙を吐き出して飛行するシーンが思い出されます。

宇宙水爆戦


『宇宙水爆戦』(1955)

先日、たあさんのコメントによりDVDが発売されている事を知り、無性に見たくなったので久しぶりに鑑賞。といっても半年ぶり位ですけど。

で、古い記事は削除して改めて書いてしまおうかと。

大好きな作品だったので評価が気になって検索してみると、好意的なレビューを書いている方が多くて安心しました。このDVD発売を心待ちにしていた方も多いようで、なんだか嬉しくなってしまいました。

惑星間戦争に巻き込まれ、拉致されメタルーナ星に連れて行かれた科学者が、善良なメタルーナ星人の助けを借りて地球へ帰還するまでを描いた作品です。

やっぱり面白いですね、この作品。

子供の頃からこの作品は別格で、どういう理由かワクワク度が他の作品と段違いだったのを覚えています。

何故、それほどまでにこの作品に魅了されたのか、というのは自分の中でちょっと不思議だったのですが・・・

非常にテンポがいい、というもの画面に引き込まれた理由の一つだと思うのですが、いつも感じていたのは、これは男向けの作品だなぁ、という事。

まぁ、SFの多くは男子が好むものですが、この作品は特にそういった印象。


前半のインタロシタを組み立てるシーンなんて、何が出来上がるんだろうってそれだけでワクワクしたものです。
組み立てが終了して三角形のモニターが現れた時は感動しましたね、自分で作ったわけじゃないのに・・・。

この感覚はほとんどの女の子には解らないんじゃあないかな? なんて思うのですが、どうなんでしょうか?

映画の前半は地味ながらもミステリアスな展開で、視聴者を上手く惹き付けているといった印象。

そして、惑星間戦争というスケールの大きさもSF少年の冒険心を刺激していたのは間違いないでしょう。

映画の後半、敵の攻撃をかいくぐってメタルーナ星に円盤が着陸するシーンなんて、言葉では言い表せないほど感動たものです。なかなかのスケール感で、このシーンは今見ても血が騒ぎます!

後に本で知ったのですが、30メートル以上もあるセットでガソリンで爆破シーンを演出していたのだとか。

宇宙空間にタイトル文字といったシンプルなオープニングやジョセフ・ガーシェンソンの音楽、さらには研究室の雰囲気なども含め、全てが私のツボに入ってしまいました。

荒廃したメタルーナが何故これほど美しく見えるのか・・・


この映画が有名なのは、映画の最後に登場するメタルーナ・ミュータントのおかげかもしれません。映画は見たことはないけど、このモンスターは知っている、という人も多いのではないでしょうか?

SF関連の書籍でも多く取り上げられ、もはやこの映画のシンボルと言っても良いでしょう。


そのメタルーナ・ミュータントですが、最初の脚本、ジョセフ・ニューマン監督の設定には登場していなかったそうです。

脚本に物足りなさを感じたプロデューサーのウィリアム・アランドの意向で、急遽メタルーナ・ミュータントが登場する事になったとの事。

で、そのモンスターを出すことを条件に映画会社側が製作に合意したのだとか。

このあたりの経緯は書籍によって書いてある事が違うのですが・・・

この時代のSF映画にモンスター登場は必須であり、不自然にならない程度に最初の脚本にモンスターの登場シーンを付け足した、というのは事実のようです。
そのために、映画の終盤に瀕死の重傷の状態でちょっと登場するだけになってしまったというわけです。

もっと活躍してほしかったと見る向きもあるでしょうが、個人的には、これでよかったのでは? と考えております。
映画全編を通して大暴れしてしまったら、逆にこれほどのインパクトは残せなかったかもしれません。
重症を負っていなかったらどうだったんだろう? といった幻想と、活躍しなかった分もっと見たかったという願望が残ったのが結果的に良かったのではないか、と。

ぬいぐるみ丸出しのスタイルで走り回ったら幻滅していた可能性も・・・

名デザインのメタルーナ・ミュータントですが、その容姿は典型的なBEM。

ちなみにBEMとは、パルプマガジンによく描かれていた「大目玉の怪物」(Big Eyed Monster)の事で、初期のSF作品に登場する宇宙人の総称となっております。

このモンスターをデザインしたのは『イット・ケイム・フロム・アウター・スペース』(1953)の一つ目宇宙人や『大アマゾンの半魚人』のギルマンも手がけているミリセント・パトリック。

一体につき二万ドルで計三体作られたそうです。

さて

この映画を語る時にどうしても触れておきたいのが、1972年のカリフォルニア海岸で起こった「アメリカ軍によるUFO撃墜事件」

この事件には決定的な証拠があり、旅行者が偶然、炎を上げながら海に落下する物体を八ミリカメラで撮影していたというのです。このフィルムを分析した航空写真の専門家は「トリックではなく、みずから発光した未知の物体が爆発したフィルムである」と結論づけた、というもの。

『宇宙水爆戦』のラストシーンで、メタルーナの円盤が燃えながら海に墜落する場面を覚えている人も多いでしょう。

旅行者が八ミリで撮影したとされるフィルムが、実はこの映画のワンシーンだったというのがこの事件のオチだったという・・・

そのシーンがこれ


映像を分析した航空写真の専門家って・・・

本当に信じていたのですかね?

あまりにもお粗末な話ですが、こういったUFO関連の目撃談にはよくある話で、あまり知られていないSF映画のセットや映画のワンシーンにエイリアンの死体を合成したものが証拠写真として出回る事も珍しくありません。

まぁ、よく考えてみれば本物の専門家が映画のフィルムに騙されるわけもないし、事件そのものがUFO信者のでっち上げだった、と考えるのが正解かもしれません。

というわけで

私の中では非常に評価が高いこの作品。

古いだけあって突っ込みどころも多いですが、それはそれで楽しむとして・・・


三角形のインタロシタ、空飛ぶ円盤、惑星メタルーナ、そしてメタルーナ・ミュータント。名作という言葉は似合わない気もしますが、私たちをイマジネーションの世界に誘ってくれる良質の古典SF映画だと思います。

もし、メタルーナ・ミュータントが登場していなかったら、この作品はSF映画史に名を残す事が出来たのか?

まぁ、残ったとは思いますが、このモンスターがこの映画の名声(そんなものあるのかわかりませんけど)を決定付けたのは確かでしょう。

で、やっぱりメタルーナ・ミュータントのフィギュア持っているのです。

以前に秋葉原で見たものは、あまりにもリアルすぎて買うのを止めてしまったという思い出があります。

下の画像は、引っ越して部屋が広くなったので、四年ほど前に衝動買いしたわりと新しいもの。それほど精巧ではないですけどまあまあお気に入ってます。ハリーハウゼンとブリキのロボットが多数を占める中、脳みそむき出しのモンスターは浮きまくって置き場所に困っております・・・


親指トム


八年ぶりくらいに熱にうなされ死ぬかと思った・・・

そんな中、布団から頭だけ出してのぞき見した作品が『親指トム』(1958)

「親指くらいの大きさでもいいから子供が欲しい」

木こりの夫婦の願いから生まれた小さな息子トム(ラス・タンブリン)が、金貨泥棒の濡れ衣を着せられた両親の無実を証明するために、村の若者ウディ(アラン・ヤング)と手を組んで二人組みの泥棒(ピーター・セラーズ&テリー=トーマス)を退治するまでを描いたファンタジー作品。

製作、監督はジョージ・パル

これはグリム童話版の『親指トム』を原作とした映画で、パル作品の中でも、もっともファンタジー色が強い作品の一つ。

その映像・ストーリーは、結末も含めて、どことなくディズニー映画を思わせますが、特撮シーンなどを見ているとその違いは一目瞭然。ちょっと不思議なテイストの作品です。

子供向けすぎるきらいがあるし、あまりにもメルヘンチックな作風なので、そういった意味では好みの分かれる作品であると思います。

私にとっても、なかなか手にとって鑑賞してみようという気が起こらないのですが、いざ見始めると面白くて止まらなくなってしまうという・・・

しかし劇中のセリフを聞いていると、単なる子供向け作品ではない、というのは明らかだし、これは名作と言っても良いのかもしれません。

「怒ったまま夜を迎えるな」の文字が刻まれた鳩の置物が登場するシーン

とか

寂しそうに旦那が言った一言

「持ち主のないオモチャは、オモチャのない子供同様 悲しいね」

など

冒頭のこれらのシーンを見ただけで、「これは名作に違いない」と確信する単純な私・・・

ちょっと残念だったのは

木こりの夫婦がそれほど善良そうに見えない点


「刑務所を出たばかりの男と、そんな甲斐性なしをふて腐れた表情で迎える妻」というシチュエーションに見えて仕方が無かったです。

実際、奥さん何で旦那が帰ってくるなり怒ってるのか?

見た目で判断してはいけないのでしょうが、もうちょっと優しそうな顔の役者さんだったら・・・

えー、ストーリーはシンプルで捻りの無いものでしたが、小さなトムにとっては全てが脅威であり大冒険でもあるわけです。

見ている者を飽きさせない楽しい仕掛けも満載。

中でも最大の見所は、トムと彼を歓迎するオモチャたちが繰り広げるダンス・シーン(ミュージカル)でしょう。


「君が来るまでここは寂しい場所だった・・・」

うーむ、このシーンは素晴らしいです。カラフルな色彩ですが、ビデオが古くて映像が汚いのが残念です。

パペトゥーンの技術により命を吹き込まれ踊りだす玩具たち

周りに幸せを振りまくようなとびきりの笑顔とアクロバチックなダンス。ラス・タンブリンはこの役にピッタリでした。ダンスがアドリブっぽいところがなにげに良かったです。

この作品全体を通して披露されるラス・タンブリンのアクションがこの作品を大人の鑑賞に堪えうるものにしていると言ってもいいかも。

「大人が来たぞー!」の号令で、玩具たちが元の位置に戻って動きを止めるシーンなどは『トイ・ストーリー』そのままでちょっとオモシロイ。

これは、プロジェクト・アンリミテッドの初期のお仕事であり、ウォー・チャンとジーン・ウォーレン、ドン・セイリーンらがアニメーターとして名を連ねています。

アカデミー特殊効果賞を受賞したのも納得の出来栄えでした。


役者さんといえば、ピーター・セラーズが泥棒役で出ているのも見逃せません。

キャリア初期の仕事ですね。デブ? それとも変装?

ウディ役のアラン・ヤングはパルの次回作『タイム・マシン』で主人公の親友のおっさんを演じている人ですね。この作品では若く見えます・・・

何度も言いますけど、パルの作品ってキャラクターに対してイラつく事が少ないから好きなんですよね。

うん、これはディズニー映画との決定的な違いでもあります。

しかしながら

おとぎ話のように、めでたしめでたし、と大団円を迎えてのエンディングはやっぱりディズニー映画を思わせます。

ウエディングケーキの上でトムがダンスを披露するラストシーンも微笑ましいものでした。

オスカーを受賞した特殊効果

親しみやすくて覚えやすい音楽

パルの全盛時に作られた、子供から大人まで楽しめるファンタジー映画。

これがDVD化されていないなんて、ちょっと勿体無いです。

アトランチスの謎


ネモ船長で思い出したついでに『アトランチスの謎』(1978)

製作総指揮は1960年代にテレビでヒット作を連発した名プロデューサーのアーウィン・アレン。
『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)など、映画でも大成功を収めたものの、パニック映画のブームが過ぎ去るとその後は低迷が続き・・・
そんなアレンが、再びテレビ界へ戻って来た時期に作られた作品です。

映画の舞台は現代(1978年)
100年の人工冬眠から目覚め、伝説の大陸アトランティスを目指すネモ船長が、アメリカ海軍からノーチラス号の修理と乗組員を得る見返りとして、世界征服を企む悪の組織と戦うことになる、というもの・・・

えーと

大好きなアーウィン・アレンにも関わらず、この作品にはイマイチ乗れないのですが・・・

「奇想天外」というよりも「子供だまし」といった印象。

まぁ、そのあたりの境界って人によって様々だと思うのですが

・ネモ船長が実は冷凍冬眠で生きていた

・ジュール・ヴェルヌの本が作者の自伝だったという設定

・レーザー光線や電子バリアーを使用するノーチラス号

・黄金の仮面をつけている悪の手下ども

・人を洗脳するヘッドバンド

これらの設定、やっぱりダメです。マンガっぽいというか、幼稚というか・・・

ジュール・ヴェルヌの愛読者であり、彼の創造したネモ船長のファンである私からすると、ネモ船長を題材にした映画としては残念ながら最低の部類、ですかね。

「ルパン三世」のような軽いノリとアクションをネモ船長のキャラでやられても感情移入など出来ません。

それならば

ネモ船長ではければ普通に楽しめたのか? というと

これまた微妙ですね。

舞台設定はアレンお得意の「海底物」なのですが、チープな海底版『ギャラクティカ』といった印象です。


私には『スター・ウォーズ 』(1977)のヒットにあやかろうと製作されたB級SFの一つにしか見えませんでした。

あ、実際そうなのかもしれませんけど。

艦内の通路での銃撃戦は『スター・ウォーズ 』そっくりだし、影響を受けているのは間違いないかと。


このシーンで音楽までパクッていたのには吹き出してしまいました。

特撮がふんだんに使用されていたのはアレンらしくて良かったと思います。スタッフにはL.B.アボットの名も。

俳優さんたちの顔ぶれも楽しく

ネモ船長役はホセ・ファーラー

悪の天才科学者カニングハムはバージェス・メレディス。こういう人が悪役だとイライラしないので良いです。

アトランティスの長はホルスト・ブッフホルツ。西部劇ファンにはお馴染み。あまりの若さにビックリしました。

他にはバール・デベニングやメル・ファーラーなど個性的な役者さんも。

ネモ船長といえばノーチラス号ですが


特に感想は無し・・・
敵艦は『スペース1999』のイーグルを改造したものですね。

そんなわけで

映画の前半は悪の天才科学者カニングハムとの攻防戦がメインとなっています。

特撮がチープなのは個人的には全く気になりません。もともとアレンのテレビ・シリーズなんてチープなものでしたから。

ただ、この映画、脚本が・・・

前半の戦いが一段落してから、幻のアトランティス大陸までわずか2分弱というあっけなさには苦笑。そして、アトランティスの描写は最高評議会の会議室のみという・・・

アトランティス人はいきなり泳いで潜水艦に乗り込んでくるし、最高評議会メンバーはネモ船長を敵と決めつけ「殺せ、殺せ」を大合唱。なんだか野蛮人みたいでした。

セリフもどこか変で

100年も寝ていたネモ船長が
「以前にはこんなところに機雷は無かった」

とか

味方のスパイが乗り込んだノーチラス号を機雷に誘導しておいて
「ネモを狙ったのだ」
って、言い訳にもなっていないし・・・

突っ込みどころの多さでは、数あるSF作品の中でもトップクラスかもしれません。

でも

たくさんのアレン作品に思い出があるファンとしては笑うに笑えないです、これ。

この後、さらなるヒット作を生み出したという実績でもあれば「アレンでもこんな作品を作ることがあるんだなぁ」で済まされると思うのですが・・・

「夢よもう一度」であっけなく轟沈、といったところですかね?

嫌いな作品ではなく、ある程度は楽しめましたけど、ファンとしてはちょっと切なくなる作品でもありました。

ネモ船長と海底都市


『ネモ船長と海底都市』(1969)

まずはあらすじをビデオ・パッケージの裏側から

19世紀末、リンカーン大統領の意を受けてヨーロッパに向かった上院議員らを乗せた客船が沈没。わずか6人の乗客が生き残り、ネモ船長率いる〈ノーチラス号〉に救われ、美しい海底都市へと連れていかれるのだったが・・・。ジュール・ヴェルヌの原作を元に、SFXの技術の粋を駆使した海洋冒険映画。

というわけで

この作品はヴェルヌの『海底二万里』の設定を借りたオリジナル・ストーリーの映画。

えーと、私の場合ですね

地底や海底に別世界が在るという設定、あるいはノーチラス号という言葉の響き

これだけでも映画に感情移入できてしまいます。

我ながら本当に単純だなぁ、といつも思うのですが・・・

小学校時代に図書館で読んだジュール・ヴェルヌがトラウマにでもなっているのですかね? 悪い意味ではなく。

で、映画の出来はどうなのか、と言いますと、これが何とも微妙な・・・

オリジナル・ストーリーとはいえ、設定・キャラクターともディズニー版『海底二万哩』(1954)を意識してつくられたのでは、と感じてしまうところからしてちょっと微妙。

・船の難破

・ノーチラス号による救出、

・金塊などは貴重品でもなく、いくらでも採れる

・地上への帰還を禁じられ、ネモ船長と対立

・金を持ち帰ろうとする姑息なキャラクターの存在

ほとんど同じです・・・

ディズニーにしてはハードな作風だった『海底二万哩』にヒロインと子供を追加して、よりファミリー向けにした印象です。

これは、何と言えばいいのか・・・

アクの強さみたいなものを全く感じないというか、何と言うか、あまりにも普通すぎるといいますか・・・

あ、そうだ! 中途半端なんですよ、この作品。あらゆる面において。

って、ずいぶん失礼な事を言っているような・・・

例えば海底都市テンプルメア


海底世界の優れた科学力、地上の人間には想像も付かない別世界、ユートピアを表現したかったのでしょうが、残念ながら全てが中途半端な印象。

これらのシーンで視聴者の度肝を抜くような美術、デザインを見せる事ができたら良かったのでしょうが、出来上がったものはスケール感に乏しく、観光ホテル程度にしか見えないのが残念。
ペンギンや演技をするオットセイがいるし、ユートピアのイメージも安直すぎて、仮装パーティーにしか見えないし・・・

続いてはノーチラス号


このデザイン、好きです。ただ、内装がそれはど目を見張る出来ではないので、やっぱりこれも中途半端な印象を与えてしまいます。

でも

水中の場面はなかなか素晴らしかったです。クライマックスでのノーチラス1号、2号によるアクションシーンはなかなか見ごたえのあるものでした。

水中撮影にはかなり力を入れているようで、建設シーンや水中牧場も素晴らしい映像でした。これらはこの映画の見どころの一つと言って良いでしょう。

あと、役者さんですが

ネモ船役のロバート・ライアンはともかく、この映画のヒーローでもある上院議員役がチャック・コナーズというもの微妙


ミスキャストとまでは言いませんけど、顔がでかくて四角くて、ちょっとゴツ過ぎるというか・・・

さらには

子役の演技が下手すぎ

水と空気を作り出す装置のヘンテコなデザイン

閉所恐怖症の患者が圧力計を操作しただけで、街全体が壊滅状態

エイが巨大化しただけの怪物

などのトホホなシーンも多数・・・

でも、決して出来が悪い映画ではないと思っています。お勧めはしませんけど。

ノーチラス号のデザイン、金色に輝く海底都市テンプルメアと内部の描写

これらは私の単純な脳みそを心地よく刺激してくれました。安心して見ていられるという事もあり、じつはお気に入りの作品だったりします。

えー、最後に

この作品を見るたびに必ず思い出す事が二つあります。

一つは『緯度0大作戦』(1969)

この手の映画を見ていていつも思うのは、ここに永遠に住めと言われたら自分だったらどうするかなぁ、という事。

で、「緯度0」は住んでもいいけど、「テンプルメア」は狭すぎて嫌だなぁ、と。

二つ目はチャック・コナーズを見ている時に必ず浮かぶ「天知茂」の顔。

あまり似てないですけど・・・

地球最後の日


もー三週間も休日なしで疲れました・・・

仕事が一段落したところで、地球最後の日(1951)

地球にザイラとベラスの二つの惑星が接近。ベラスは地球に衝突するが、通過するザイラは地球と非常に良く似た環境であることが判明する。人類はザイラへの移住を計画し、ロケットの製作に取り掛かるが、乗れるのはわずか四十名のみ。地球最後の日にくじ引きが行われ、搭乗者が決定するが・・・

というわけで、

オープニングのナレーションでは聖書の一節が引用される、現代版「ノアの箱舟」ともいえる惑星の衝突による世界終末を描いた作品です。

製作は月世界征服(1950)で世界中にSFブームを巻き起こしたジージ・パル。
特撮はパル作品でお馴染みの巨匠ゴードン・ジェニングス、アーク号のデザインなどの美術はアルバート・ノザキ、マット画はシェスリィ・ボンステル

後に最高傑作『宇宙戦争』(1953)を生み出したメンバーですね。

ちなみに原作となったフィリップ・ワイリーとエドウィン・バーマーの小説は『ディープインパクト』(1998)の原作にもなっているようです(クレジットされていないとの事)

他のジージ・パル作品同様、これも大好きな映画です。

ただ、地球規模で起こる天変地異の話にしてはスケール感が今ひとつだったような気が・・・

アメリカ国内だけの話かと勘違いしそうなほど

パニック映画の割にはスペクタクルシーンはそれほど多くなく、どちらかといえば人間ドラマがメインの作品。

劇中のセリフから、各国で宇宙船が建造されているというのが分かるものの、実際に描かれていたのは、宇宙船の建造に携わったほんの一部の人間のみ。

もっともアカデミー賞を受賞しただけあって、少ないながらも特撮シーンはなかなか見ごたえはありました。


一部の人々のドラマに終始した印象があるにも関わらず、ドラマがあまり好きではない私が見ていても、決して飽きるという事はありませんでした。

パル作品がよほど性に合っているのか・・・?

いや

性に合っているというよりも、不快なキャラがあまり登場しないので、あまりイライラする事無く見ていられるということかも。

これは、ほとんどのパル作品に共通していますね。

さらに

冷静に考えてみたら「そんな馬鹿な」と思えるプロットでも、不思議と違和感を感じさせない、というのもパル作品に共通するところでありまして・・・。科学的考証に基づいたシーンを随所に挿入したりして、荒唐無稽な物語にリアリティを持たせる、本物っぽく見せるのが上手い、とでも言いましょうか。


荒唐無稽さとリアルさが程よくミックスされた印象があります。こういったパルの演出にはいつも関心してしまうのですが、そう感じるのって自分だけですかね?

でも

この作品に飽きがこない理由はそういった部分ではなく、単純に流線型の宇宙船が大好きなだけかも。

時々画面に映し出されるアーク号の姿を見ているだけで、もう夢心地というか・・・

未完成のアーク号も美しい。そして発射シーンは何度見ても血が騒ぎます。


(* ̄。 ̄*)

ところで

天体衝突をテーマにした作品の先駆的存在、というよりも映画としてはこれが世界初? まして、衝突を回避出来なくて地球を見捨てて脱出するというのも珍しい。箱舟に乗るのが全員白人というのも、なんだか・・・

日本人には絶対に作れない映画ですね、これ。日本的にはやっぱり『妖星ゴラス』(1962)のように大団円を迎えないと。南極に巨大な噴射口を作って、地球を移動させるという・・・

さて、そんなわけでアーク号は無事ザイラに到着します。


希望にあふれた新しい人類の出発を表現したと思われるこのマット画。

子供心に「これ、絵じゃん!」て思いましたけど・・・

天体画の巨匠シェスリィ・ボンステルが何故銭湯の絵のような作品を描いてしまったのか、というのは以前私なりに分析しておりますので

CHESLEY BONESTELL(シェスリィ・ボンステル)

各国から脱出に成功した人々が新惑星に集う、くらいの派手なエンディングにしてほしかったですね、この作品。

たしかリメイクの話を聞いたような気がするんですけど、どうなったのでしょう?

イット・ケイム・フロム・アウター・スペース/それは外宇宙からやって来た


イット・ケイム・フロム・アウター・スペース/それは外宇宙からやって来た(1953)

天文学者のジョンと恋人のエレンは、砂漠に墜落する巨大な隕石を目撃する。翌日ヘリコプターで隕石の調査に赴いたジョンは、クレーターの底で宇宙船と思われる物体を目撃。突然の落石により、宇宙船が埋もれてしまったため、誰にも話を信用してもらえないジョンは、一人で調査を続ける。やがて住民の失踪事件が多発するようになり、ようやく保安官も捜査に乗り出すが・・・

監督がジャック・アーノルド、製作はウィリアム・アランド、そして原案がレイ・ブラッドベリ

この顔ぶれならば、ある程度のレベル、面白さは保証されたようなもの・・・かも?

実際、それほど悪くないというか・・・

後のB級SFでもお馴染みの役者さんが多く出演しているのもちょっと楽しいです。オープニングでは隕石を吊ってある糸が思いっきり見えてますけど。

・SFでありながら怪奇ムードたっぷりの音楽

・なかなか宇宙人の姿を見せない事によって得られる効果

・宇宙人目線のカメラワーク

・人間の姿を借りる宇宙人

・宇宙人がしゃべると何故か声にエコーが

・目撃談を誰にも信じてもらえない主人公

こうして書いてみると、今となってはなんでもない事ですけど、この作品が作られた1953年という時代を考えると、その後の多くの作品のフォーマットになったのではないでしょうか?

宇宙人の目的が侵略ではない、というのも珍しいですね。

目的は故障した宇宙船の修理(笑)

失踪事件というのは、その人に成りすまし、修理の部品を調達するために人間を監禁してしただけだったという・・・

要領わるいですね、この宇宙人

宇宙人の目的が分からないまま進行する前半部分は、サスペンスの盛り上げ方もなかなか上手いなぁ、と感じていたのですが、侵略でないと分かってしまった以上、視聴者にとってもはや宇宙人は怖くも何ともないわけで・・・

それ以降は、真実を訴える主人公と、それを全く信用せずに状況を悪化させるだけの保安官とのやり取りがメインの人間ドラマの様相を呈してまいります。


このドラマ部分は、監督自身も語っているように、人間の未熟さに対する風刺の意が込められているのですが

うーん、ちょっとイラつくパターンの作品ですね。

主人公が誰にも理解されずに、嘲笑されながら悪戦苦闘する物語ってあまり好きではないので・・・

ところで、この宇宙人

高度な科学を持った生物にもかかわらず、その容姿はというと


妖怪?

しかも、移動するときらきらした物体が地面に残るという・・・。ほとんどナメクジですね。

このエイリアンをデザインしたのは『宇宙水爆戦』のメタルナ・ミュータントや『大アマゾンの半魚人』のギルマンも手がけているミリセント・パトリック。

侵略目的でもなく、友好的というわけでもなく、偶然地球に不時着してしまった宇宙人。

やはり宇宙人は外敵であったほうが盛り上がりますけど、こんな作品があってもいいよなぁ、なんて

地味な展開と少ない特撮シーンゆえに突っ込みどころも少なかったような・・・

何度も繰り返し見たくなるような作品ではありませんけど、なかなかの秀作ではないかと思っています。


やっぱりこの映画も前に三人

彗星に乗って


えー、今回書こうと思ったのは、前回のブログを書いている時に思い出した『彗星に乗って』(1970)という作品です。

唯一無二の作品である『不思議惑星キン・ザ・ザ』に何か近い作品はないものか、と思い巡らせていたところ、内容も雰囲気も全く違うこの作品を連想してしまいました。

共通点といえば

好き嫌いがはっきりと分かれそうな作品

唯一無二という言葉は当てはまりそう

ゆったりしたペースと、どこかトボけた印象

ある種の夢の中にいるような感覚を味わえる

癒されもする

よく分からんけど、おそらく風刺がちりばめられているのでは? と思えるところ

などなど、などなど

繰り返しますが、似ても似つかない映画です。

「私が若き将校だった頃、多くの事件に出会った。今思えば夢のような出来事だ。その一つに奇想天外な宇宙の出来事がある。その思い出も色あせた絵葉書にのみ残っている。」

という主人公の語りで映画は始まります。

内容をビデオ・パッケージの裏側から引用すると

1888年、アフリカのフランス領アルジェリア。フランス軍の若き中尉は、町で見かけた絵葉書の黒髪の美女にひと目惚れ。誤って海に落ちた彼を助けてくれたのは、なんと絵葉書の美女だった。その時、謎の彗星が地球に急接近、大地震とともに、町がまるごと彗星に吸い上げられてしまう。遠ざかっていく地球の影。そこは、前世紀の恐竜や翼手竜が住む世界だった…。
『盗まれた飛行船』に続くヴェルヌ原作SFの映画化。アラビアンナイトと宇宙SFが組み合わさったかのような視覚効果、ゼマンの色彩方術が冴えるファンタスティック・アドベンチャー。

というわけで

地球上で争っていた人々が彗星での新生活を余儀なくされ、再び地球へと戻ってくるまでを描いた作品です。


カレル・ゼマン監督の作品は私のブログでも何度か取り上げていますが、この作品もお気に入りの一つ。

絵葉書を一枚ずつめくって見せるオープニング。そして、絵葉書の美女と出会い・・・

ちょっと脱線しますけど

子供の頃に絵葉書、あるいは絵画など何でも良いのですが、それらの作品を、じーっと眺めているうちに、実際にその世界に入って行けそうな錯覚にとらわれた経験ってないですかね?

私の場合、実家の壁に掛けられていた水墨画の世界が、今にも動き出しそうな気がして、そこに入って行けそうな気がして、長時間空想の世界に浸っていた経験などがあります。

床に置いた鏡の中に入って行けそうな気がして、思わず足を突っ込んでみたりとか。

私が変なガキだったのか、そういう経験のある方が結構いるのかわかりませんけど・・・

そういった意味でも、この映画は私にとって非常に共感できる作品となっているわけです。

基本的には、アニメと実写の人間の合成。荒唐無稽で科学的考証など皆無。寝ている時の夢をそのまま映像化したような作品です。

で、そのアニメの部分は、銅版画風だったり、古い挿絵風だったり、人形アニメだったりするわけですが、そんなゼマンの手法が、ファンタジー色が強いヴェルヌの作品に非常に良くマッチしているという印象。


えーと、ですね

ジョルジュ・メリエスのトリック撮影を意識し、SF創世記の作品を思わせるこの映像を斬新と取るか、安っぽいと取るかはその人次第、でしょうか。
まぁ、絵そのものは古めかしいものなので、特に斬新というわけではなく、映画全体をその絵で表現した、という手法が斬新であったという事は言えるかもしれません。

昔、この作品を隣で見ていた人の苦笑が忘れられません・・・

というか、許せん( ̄W ̄;)

バックの絵がショボくて、合成はお粗末、あまりにも作り物然としたストップモーションの人形

その人の目には、そう映ったのは明らか。

さらに

物語の展開が起伏に乏しく、設定やそのスケールの大きさの割には、今ひとつ冒険心を刺激されません。ワクワクするような展開でもないので、それほど感情移入できるとも思えません。

見る人によっては、これらの全てが欠点と映ってしまうのかもしれませんが・・・

でも、

結果的に凡庸な展開になってしまった映画とは違い、この監督さんの場合、意図的にこの独特の世界観を作っているのあって

私の場合、これが完全にツボに入ってしまったという・・・

SFでありながら、おとぎ話の絵本を見ているような感覚が心地よく、どこか懐かしい雰囲気。

手作り感ったぷりのゼマン・ワールドには本当に酔いしれてしまいました。

ヒロインが可愛いのもいいですね(*・・*)

フィルターによって目まぐるしく色が変化する画面はちょっと鬱陶しかったですけど・・・


コミカルな描写はあるものの、これほど奇想天外な物語を、シニカルでありながらちょっと切ない物語として描いたカレル・ゼマンは流石。

絵葉書ではじまり、絵葉書で終わる

青年と絵葉書の美女との実らない恋物語は、大人のための寓話といった趣です。

独特のカレル・ゼマン・ワールドに魅了さるか、いまさらこんなの、で終わってしまうかはやはり人それぞれでしょう。
良い本を読んできる時のようにイマジネーションを刺激されたい方にはお勧めの一本であります。


不思議惑星キン・ザ・ザ


ブログを一度も更新しないまま夏休みも終わってしまいました。

夏休みとは

やる事が溜まっていて、普段より忙しいものなり・・・

映画もいっぱい見ましたけど( ̄ー+ ̄)y-'~~~

で、今回は久しぶりにのんびり、ゆったりと鑑賞したソ連製の映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986)

街に買い物に出かけた建築技師ウラジーミルは、バイオリンを持った青年ゲデバンに、「自分の事を異星人だという男がいるので来てほしい」と声をかけられる。
話を全く信用しないウラジーミルが男の持つ装置に触れた次の瞬間、二人は広大な砂漠の真ん中に立っていた・・・

というわけで

キン・ザ・ザ星雲の惑星ブリュクにワープしてしまったウラジミール(おじさん)とゲデバン(バイオリン弾き)が、価値観の全く違う異星人たちに翻弄されながら、地球へ帰ってくるまでを描いた作品です。

ちょっとロード・ムービーっぽい感じ、ですかね。大宇宙を又にかけた壮大なスケールの。

最初に見た時から完全にツボで、大好きだったんです、この作品・・・

ボロクソに言われてるかと思ってネットで色々と検索してみたところ、SFファンの間で結構評判が良いのには驚きました。これほど皆が好意的なレビューを書いているのならば、私は書くのやめようかなぁ、と思ったほど。

この映画を面白いと感じる自分のセンス、頭がどうかしているのでは、といった懸念があったものでちょっと安心しました。

もっとも、こんな映画に目を付けてDVDを買うなんて、一部のSFファンだけでしょうけど・・・まぁ、いいです。

この作品の何が面白いのか、と言うと


月並みな言い方をすれば、その独特の世界観に魅了されてしまった、という事なのですが・・・

現実逃避ができるという事も、私にとっては大きなポイントであります。

睡眠中に見る解釈不能な夢、あるいはその逆で、起きている状態で見る白昼夢のような感覚とでもいいましょうか・・・

そして、砂漠や無造作に立ち並ぶ無骨な建築物と、そこに現れる飛行物体などがかもし出すリアル感。

寓話の世界に入り込んだような錯覚を覚えずには・・・

・・・あら?

現実逃避とリアリティーって完全に矛盾してますね・・・

うーん、でも、とにかくそう感じたものですから。砂漠の遥か彼方から現れるペペラッツ(宇宙船)は感動ものでした。

でも、やっぱり文章では言い表せないですね、この作品。まとめようとしても、支離滅裂になりそうだし、もーあとは適当に書いてしまいましょう。

えー、おそらく社会的な風刺を多く含んだ作品と思われますが・・・

よくわかりません

ところで

コメディー作品、ですよね、これ? 

なんの予備知識も無く、邦題に『惑星』の文字が入っているというだけでレンタルしたのがこの作品との出会いで、それ以降もコメディーと思って鑑賞した事って一度もありませんでした。

あまりにも理不尽、怒りを通り越してもう笑うしかない、といった状況で大真面目に演技する役者さんたちには大いに笑わせてもらいましたけど。
あまり馴染みが無いですけど、ソ連では大御所の役者さんたちだそうですね。

見ているうちに、なんだかものすごい芸術作品のような気がしてくるのが不思議。

ゆったりとしたテンポで進む物語。不思議な間合いのセリフや演技。シュールなデザインの建物や車。そして、尋常ではない脱力感・・・

意図的にこの世界観を作り出したのだとしたら、この監督さん天才なのでは、と思ってしまいます。


見事に気勢をそがれるトボけた音楽

これまでに見たことも無いワープ・シーンの衝撃

鉄クズを組み立てたような砂漠の中のセット

ゲデバン(バイオリン弾き)のとぼけたキャラクター

赤いステテコ様

鼻に鈴を付けたままの熱演

「クー」

どれもいい味だしてます。

脱力を通り越して、癒されてしまう私の感覚ってやっぱり変なのか・・・?

独特の世界観を楽しむだけの映画と思っていたら、ちょっと感動的(感傷的?)なラストを迎えるという・・・


この映画のエンディング大好きです。

とにかく唯一無二。他に類を見ないというのは、まさにこの映画の事。類似の作品を挙げろと言われても絶対に無理ですね。
ハリウッド映画などでは絶対に味わう事のできない不思議な感覚が楽しめる作品。

もしかしたら、この映画の一番の価値ってそんなところにあるのかも知れません。

馬鹿馬鹿しい、下らないで終わってしまうか、脱力感が癖になり、至福の時を過ごせるか・・・

ツボに入るかどうかで評価が真っ二つに分かれそうな映画です。

人類危機一髪!巨大怪鳥の爪


えー、前回のコメントで宣言した通り、今回は空の怪獣つながりで『人類危機一髪!巨大怪鳥の爪』(1957)

この映画、おそらくマニアの間では、原題の“THE GIANT CLAW”の直訳である『巨大な爪』というタイトルで知られていた作品ではないかと。
「予告編集」といった類のビデオや、雑誌などでは良く目にしたものですが、どうやら日本でもDVDが発売されているようです。

監督フレッド・F・シアーズ、製作サム・カッツマンは、ハリーハウゼンの『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)のコンビですね。

ストーリーは、ニューヨークに現れた巨大な怪物がアメリカの軍隊と攻防戦を繰り広げる、というもの。

それだけ、ですかね・・・

ほとんど捻りのないストーリーなので特に書きたい事もありません。作品自体は意外とマトモだなぁ、といった印象。

俳優さんたちの熱演もあってか、ドラマ部分もそこそこ緊張感のあるものだったし、ストックフィルムの流用なども効果的だったと思います。B級SF作品ではお馴染みの顔ぶれがあちこちに・・・


原因不明の事故が続発し、原因を探っていくうちに次第にモンスターの全貌が明らかになる・・・

というのはこの手の作品では定番ともいえる演出。

ピンボケの写真などを映しておいて「何か写っているぞ」「これは何に見える?」などといったやり取りでサスペンスを盛り上げる、というアレですね。

この作品では、観測気球のフィルムを集めてモンスターの正体を探ろうとします。

皆が固唾を呑んで見守る中、観測気球のフィルムのスライドショーが始まると・・・


( ̄  ̄! ...

はっきりと写ってます。見事な連続写真で!

しかも、最後の一枚はどアップでカメラ目線という・・・

私は、このバカ面とバックに流れる恐ろしげな音楽のギャップがツボに入ってしまい、しばらく笑いが止まりませんでした・・・

そういえば

サム・カッツマンはこの鳥をハリーハウゼンのストップモーションで作ろうとしたのですが、予算の都合で適わなかったのだとか。

建物が崩壊するシーンで、いきなりストップモーションが出てきたのでびっくりしたのですが、これは『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』から流用したもののようです。

正体が判明したこれ以降は、出し惜しみなし。映画全編を通してそのバカ面を披露してくれます。その暴れっぷりの凄まじいこと・・・。人を食べるシーンは、昔のドリフのステージみたいでした。


前回のブログで、アメリカでは「怪獣」という概念が無いせいか映画に登場するモンスターがあまり強くない、といった事を書いたのですが、この鳥はとにかく強い。人類側の兵器では全く歯が立たないという設定になっております。

なんでもこの鳥、宇宙からやってきた生物で、体をバリアーで覆っているため、身ミサイルなどは跳ね返してしまうのだとか・・・

宇宙からやってきた巨大モンスターという発想自体は当時としてはかなり斬新だったのではないでしょうか。宇宙怪獣なんて日本の専売特許かと思っていたら、1957年にこんな作品があったとは驚きです。

でも、ぜんぜん怖くないんですよね、この怪物。

顔も間抜けなら動きも雑で、ほとんど操り人形そのまんま。人間を噛み砕いた時の「コリッ」という音が何とも情けないやら・・・

先に、作品自体は意外とマトモ、と書いたのですが、やはり、というか、この作品も突っ込みどころは満載。

細かいところは仕方ないとして、この作品について私が声を大にして言いたいのは

「その設定おかしくない?」とか

「そこで、そのセリフな無いんじゃないの?」といった、脚本に関する部分の不自然さがやたらと目立つ、という事!

DVDが発売されているので、興味のある方には是非見ていただきたいなぁ、と。

ヾ(-_-;) オイオイ、って絶対に突っ込みたくなりますよ(笑)

まぁ、買っても損は無い作品だとは思いますけど。色んな意味で。

この映画には、B級作品でしか味わえない楽しみが詰まっています!

と、ちょっとだけ褒めたところで

久しぶりにこの作品を見て感じた事とえいば

ハリーハウゼンが参加していたら、全く違った作品、違った評価になっていたのかもしれないけど、この映画はこれでよかったんじゃないかなぁ、という事。こういう映画があってもいいよなぁ、と。

ストップモーションだったら、これほどの暴れっぷりは望むべくも無いでしょうし、あまりにも情けないモンスターにしても、その個性的な造形(というよりも顔ですね)のおかげでSF映画史に名を残した、という面は否定できません。

映画史上もっともブサイクなモンスター、という不名誉な称号もついてきましたけど・・・

あ、顔といえば、上のポスターにも鳥の顔が描かれていないのですが、これって何か理由でもあるんですかね?

ハリーハウゼンとの再度の競作が実現しなかったサム・カッツマン。エンパイア・ステート・ビルのシーンは『キングコング』へのオマージュだったのかも。


それにしてもデカイです。もしかしてアメリカ映画史上最大?

空の大怪獣Q


『空の大怪獣Q』(1982)

まずは、この作品のストーリーをビデオパッケージの裏側から。

「Q」とは

“Quetzalcoatl”アステカ文明の神獣で翼のはえた蛇のこと

マンハッタンの高層ビルで窓拭きをしていた男が、突如窓に叩きつけられ首を切断された。二人の刑事が捜査に派遣されるが、二人は全身の皮をはぐというアステカ文明の儀式と同じ方法を使った殺人事件を別件で担当していた。高層ビルを舞台に次々と襲われ殺される事件が続発。やがて巨大な翼のある怪物が姿を現す。同じ頃、小心者の悪党クインは忍び込んだビルの屋上に巨大な巣と卵を発見する。アステカ文明と怪物との関連は?街は怪物出現でパニック状態に。モンスター・ホラーの傑作「Q」ついに日本登場。

「オリジナル予告編付き」

という映画ですが

この作品、少なくとも二回はテレビで見た記憶あります。画面が古臭いので、70年代の作品かと思っていたら1982年の作品だったのですね・・・

私のようなストップモーション・アニメのファンにとってはデビッド・アレンが特撮を担当した、という事で知られている作品かもしれません。ランディ・クックがケツァルコアトルをデザインし、デビッド・アレンがアーマチュアを製作。

ところが

モンスターの登場シーンがあまりにも、あまりにも、あまりにも少なく、ストップモーションで動かされたモンスターを堪能するには至らず・・・残念です。

えー、この作品を見ての感想は、何と言ったらよいのか、その

何を見せたい作品なのかよく分からないので・・・

とりあえず、この映画の主役モンスターの「Q」について。


都会のビルの屋上に巣を作り、卵まで産んでいるのに誰も気づかないとは・・・

それはさておき

ケツァルコアトルといえば、人間の姿で描かれているというイメージがあったのですが、この作品ではほとんど「ドラゴン」のような造形で登場。

うーん、デザインが面白くない、気色悪いだけ。こんなのフィギュアがあっても飾りたくないですね・・・

やっぱりハリーハウゼンは別格!

こういうモンスター映画を見るたびに同じ事言ってますね、私・・・

映画全編を通して古代アステカとの関係をほのめかしてはいるものの、ケツァルコアトルが単なる怪物だったのか、神の類だったのかという描写は無かったように思います。

「Q」目線の空撮映像はよかったですが、マシンガンであっさりやられてしまうとはちょっと弱すぎ、かな? 予算の関係で特撮のパートが少なかったのかもしれませんけど。

もっとも予算に関係なく「人間側の兵器が効かない」といった描写は海外の映画ではほとんど見られません。どんなに凶暴なモンスターでも、あくまでも恐竜の延長線上、といった印象です。

日本のように「怪獣」という概念が無いから、と考えて良いのでしょうか?

なにしろアメリカ版では「ゴジラ」がミサイルを打ち込まれて死んでしまうのですからね・・・

あと、海外のモンスターを見ていていつも思うのが、声がシンプルだなぁ、という事。

「ギャー」とか「ガァァー」とか動物が吠えているといった印象のものがほとんど。これもおそらく同じ理由(怪獣という概念が無い)でしょうけど。

まぁ、これは日本と比べて個性が無いという訳ではなく、リアルさを主眼に置いているからでしょう。

「怪獣」ってやっぱり子供向け作品の概念だと思うので。

・・・脱線したので、話を映画に戻します。

次に作品の内容なのですが


サスペンス・タッチで始まり、別々に進行する二つの事件が、アステカ文明の儀式という接点から次第にリンクし始める。謎を追って進められるプロットは良かったし、前半部分はなかなかテンポもいいなぁといった印象。

でも、肝心の「謎」の部分が映画を見る前からバレバレなので・・・

正体が明らかにされないモンスターの件も含め、これではサスペンス・タッチで描く意味がありませんね。

サイコホラーっぽい演出もちょっとグロいだけで中途半端。なかなか全貌を現さない「Q」にしても、あえてモンスターを見せない事によって恐怖感を煽る、といった効果を意図的に狙ったとも思えません。

結局、この作品で描かれていたのは、クインとその恋人ジョーン、そしてシェパード刑事たちの間で繰り広げられる人間模様がほとんどだったという・・・

この映画の主役は「Q」では無く、クインだったのですね。

このクインという悪党、とても視聴者が感情移入できるタイプの人間とは思えないんですけど?

小心者とはいえ「憎めない」とか「愛すべき」とかいった類の悪役ではなく、本当のダメ男。なんでこんな男に惚れるの? みたいな。

人間のクズのような男の描写を延々と見せられて、結構ストレスが溜まりましたよ・・・

低予算映画だから特撮のパートが少ないというよりも、監督さんが元々こういった人間ドラマをメインに描きたかったとしか思えないほどの充実ぶり(ちょっとだけ嫌味含む)

・・・あ

また書いている作品のこと全く褒めていませんでした。結構好きな作品で、5〜6回は見ているのに・・・

まぁ、いいです。DVD未発売も納得の作品なので。

あと、思った事といえば

キャンディ・クラークは結構かわいいなぁ、とか

役者さんたちが皆プロレスラーみたいだなぁ、とか

ラストの「Q」の落ち方は「キングコング」を意識しているのかなぁ? など

あとは特になし。

そういえば、クインのピアノ演奏を聴いて、なぜかロバート・ジョンソンを思い出してしまいました・・・

地球爆破作戦


『地球爆破作戦』(1970) 原題 COLOSSUS: THE FORBIN PROJECT

先日、近所のレンタル店に行って初めて知ったのですが、この作品DVD化されていたのですね。調べてみたら、三年前にはすでに発売されていたようで・・・

まずは内容ですが

アメリカの国防のために開発された巨大コンピューター「コロッサス」
「思考する能力は無い」というフォービン博士の考えに反し、やがてコロッサスは自我を持ち始める。
「地球の平和のためには人間を支配下に置くことが必要」と考えたコロッサスは、同時期にソ連で開発された巨大コンピューター「ガーディアン」との接続を要求。
命令に逆らう人間は抹殺され、自分の能力を誇示するためソ連の都市をミサイルで攻撃するコロッサス。
果たして人間側にコロッサスを止める手段はあるのか・・・

というわけで

この作品、私はなかなかの傑作ではないかと思っていたのですが、久しぶりに再見してみて

思ったとーり、やっぱり面白かったです。

ちょっと単調すぎるかなぁ、といった印象ですが、これはリアルさを追求した結果かもしれません。

SF作品っぽい特殊効果もほとんど無く、この手の作品にありがちなホラー映画のような演出は皆無。音楽も明らかにホラー映画のそれではなく、スパイ物のような雰囲気でした。これもリアルさを追求した故かもしれませんが、このあたりに物足りなさを感じる人もいるでしょう。好みが分かれそうな作品です。

映画のほとんどがフォービン博士とコロッサスのやりとりに終始しているので、この地味すぎる展開ゆえに、SFファン以外の一般的な評価は佳作といった程度かもしれません。

なので

あれこれ書くような内容の作品でもないので、ちょっと思った事をいくつか

まず『地球爆破作戦』という邦題ですが、コンピューターによるミサイル攻撃の描写はあるものの、爆破作戦とは大げさ。これでは全く違う展開を想像してしまいますね。地味すぎる内容ゆえに、視聴者の興味を引こうと付けられた邦題かもしれませんが、かなりの違和感。

コンピューターの反乱がテーマの作品は数多くありますが、この作品はなかなかリアル。地味ながら、非常に良く出来た作品ではないかと。
実際は反乱を起こしたわけではなく、人類を保護するために最良の方法を考え出し、それを感情抜きで実行に移しただけだったという・・・
荒唐無稽といった印象が全く無く、最初に見た時にも、いつか現実に起こりそうな話だなぁ、と感じたのを覚えています。

なんだか、コロッサスと同じような事を考える人間が実際にいるような気がして・・・

ただ、国防のシステムを全てコンピューターに任せる、というのは将来的にもちょっとあり得ない気もしますけどね。

コンピューターが前半はしゃべらないで、文字で会話するというのも映画にリアリティーが感じられた一つの要因かも。

その巨大さは、今みると尋常ではないんですけど。


ガシャガシャガシャと音を立てながら、長い紙を吐き出すコロッサス・・・

なんだか、懐かしい雰囲気です(´∀`)

映画の最初から絶えず画面に映し出されるレトロチックな機械類がたまりません。

リアルといえば

映画に登場するこれらのコンピューターや施設って明らかにセットだけではないですね? おそらく当時の本物のコンピューターが数多く画面に登場しているのではないでしょうか。

次は役者さんたちでも


チャールズ・フォービン博士を演じたエリック・ブレーデンはバッチリと固めた髪形と太すぎる眉毛が印象的。顔の造形のみで私の記憶に刻まれた、数少ない役者さんの一人です。それ以外に特に感想は無し。

大統領役のゴードン・ピンセントは・・・知らない役者さん。誰かに似てるけど思い出せない。

マーカム博士役のスーザン・クラークは『刑事コロンボ/もう一つの鍵』(1971)の憎たらしい女社長役(犯人)の人ですね。
コロンボの敵役といえば、大御所が多いのですが、何故この人が抜擢されたのか不思議なんですけど? コロンボ犯人役で本気で憎たらしいと感じたのは、この人だけです。

役者さんに全く思い入れが無いからテキトーだこと・・・

というわけで、十数年ぶりに鑑賞したこの作品

みるみる知識を吸収し進化を遂げるコロッサスや、そのコロッサスが次々と人間に要求を突きつける、あるいは脅迫を繰り返す、といった描写に関しては非常にテンポが良く、フォービン博士とコロッサスの頭脳戦、駆け引きは非常に面白いし、ユーモラスなやりとりなども十分に楽しめました。



人間側の考えが全て見透かされている、という設定にも関わらず、サスペンス性といった部分がちょっと弱いかなぁ、といった印象でした。

先に単調と書いたのはこの辺りの事なんですけどね・・・

万策尽きた人間側の敗北を思わせるエンディングは、この当時としては非常に珍しいのではないでしょうか。

テレビ放送を通じ、自分が支配者となった事を宣言するコロッサス。

人類は黙ってそれを受け入れるしかないのか・・・

これもまた一種のリドル・ストーリー(物語の結末を伏せて、読者の想像にまかせる手法)といってもいいかもしれません。このエンディングに至る数分間はかなりゾッとさせられるものでした。コロッサス目線のカット割り、素晴らしいです・・・


ところで

このDVDには、当時の日本語吹き替え版が収録されていました。

フォービン博士の声って山田康雄さんだったのですね。あまりに面白くて、全編吹き替えでもう一回見てしまいました。当時のテレビ放送でどこがカットされたのか分かるので、これまた面白かったです。

SOS地球を救え


前回スタンリー・キューブリック監督について書いたのですが、スダールさんから、あのアンソニー・ドーソンが『2001年宇宙の旅』の特撮スタッフに入る予定があった、との情報が・・・

信じるかどうかは…( ̄  ̄;)

それならば

というわけで、今回はアンソニー・ドーソンの監督デビュー作『SOS地球を救え』(1960)

そんな話はデマに決まっている、と思っている人も、この作品を見ればもしかしたら信じられる、かも・・・

( ̄" ̄;)…

えーと、この作品は、現在DVDが発売されています。

思いっきり手抜きをして、公式サイトからストーリーをコピペにて紹介!

時は21世紀、人類は既に太陽系外にも進出していた。若きレポーターのロイは、スペースマン(外宇宙飛行士)の取材のために宇宙船BZ−88号に乗船する。彼には知らされていない極秘任務を帯びた航海であった。それは、故障により強烈な光子放射線を放ちつつ、地球帰還コースを航行する光子力宇宙船アルファ2号を止めることであった。もし、アルファ2号が地球の軌道に達すれば、地上は焼き尽くされて人類は滅亡してしまうのだ。スペースマンたちの努力も空しく、光子放射線が妨げとなってアルファ号に近づくことができない。ミサイルすらも着弾前に爆発してしまう。なす術は無いのか?まさに地球SOS!

といったストーリーに、司令官、女性隊員、レポーターのロイの三角関係を絡めたのがこの作品。

三角関係で女を取られ、美味しいところは全て主人公に持っていかれる冴えない司令官という、掃いて捨てるほど良くあるパターンの作品です。

発売中のDVDのことは分かりませんが、私の所有する輸入版の映像の汚いこと・・・

次の画像は宇宙空間のシーンですが


『2001年宇宙の旅』と比べても決して引けを取らないこの美しさ・・・
とは言いすぎですけど、宇宙ステーションや流線型ロケットBZ888号など、登場するメカ類はなかなか格好イイし、全てが宇宙空間でのシーンというのも良い。

オープニングから連発される特撮映像は何度見ても燃えます!

そして、宇宙ステーションの住人たちが全て番号で呼ばれるという設定

うーむ、なかなか斬新です。

さて、先日同じアンソニー・ドーソン監督作品である『惑星からの侵略』のズンドコぶりを紹介しましたが、デビュー作であるこの『SOS地球を救え』でもすでにすでにその片鱗はうかがえます(笑)

番号で呼ばれる人々の背中にはでっかくその番号が・・・


この番号がマヌケすぎて、シリアスなシーンでも集中できないんですけど・・・

そもそも、何故番号で呼ぶのかという必然性も分からないし、この監督さんの作品を見ていて感じるのは、とにかく設定とか演出がいいかげんだなぁ、という事。

テキトーというか、大雑把というか・・・

あと、いつも思うのは、デザインは良いけど特撮は駄目、という事

言い換えると

静止画はそこそこ格好イイが、動いている画面を見るとズッコける、という事でもあります。
つまり、実際に映画を鑑賞してみると、特撮の出来は『2001年宇宙の旅』には遠く及ばないという・・・

爆笑、苦笑シーン多数ありですが、やっぱり文章では伝わらないので・・・
ちなみに宇宙空間での移動速度が速すぎるのは全ての作品に共通しております。

しかし、この作品が作られたのは1960年

今回、再見して「これがデビュー作とはちょっと凄いのでは?」とあらためて思いました。さすがにイタリアSF界の第一人者と呼ばれるだけの事はある、と。

かなり真面目に作られた作品という印象なのですが、字幕が無いDVDでの鑑賞なので、細かい所を理解できないためにそう感じるだけかもしれませんけど・・・


SF最後の巨人


『SF最後の巨人』(1975)

この映画は、当時としては珍しい、今となっては珍しくもなんとも無い、荒廃した近未来を描いた作品です。最後の楽園を目指す、みたいな。

なんだか内容が誤解されそうな邦題ですけど・・・

舞台は疫病により死滅への道をだどる2012年のニューヨーク。人々はそれぞれ小さなコミューンを作り、わずかな食料を巡り争っていた。
暴力的なキャロットをリーダーとしたグループに悩まされるバロン(平和を望むグループのリーダー)は、この町に流れ着いたカーソン(ユル・ブリンナー)を用心棒に雇い、戦いに備える。
家族が待つノースカロライナ沖の安全な島へ行く途中だというカーソンの話を聞いたバロンは、妊娠中の自分の娘と汚染された土地でも育つ野菜の種子をカーソンに託し、地下道から二人を脱出させようと試みるが・・・

というわけで

この手の作品が大好きな私ですが、この作品に特に思い入れは無く、嫌いではないといった程度で、後の『マッドマックス』などの方がよっぽど好き。

私はこの映画を子供の頃にテレビで見たのですが、おそらく私がユル・ブリンナーという役者さんを最初に見たのがこの作品。

その時は格好いいとは思わなかったですね・・・

子供の頃は、マルコメみそみたいなハゲのオッサンといった程度の認識しかしていませんでした。今見ても、この作品に限ってはそれほど格好いいとは思いませんけど。特に後姿が・・・


60歳にしては若いし凄い体だけど、子供の目で見るとじーさんに見えてしまうのは仕方ないですよね・・・?

この映画の特徴として、銃やライフルといった飛び道具が出てこない、といった事が挙げられます。
このあたりは、監督が『燃えよドラゴン』(1973)のロバート・クローズであるという事が関係しているのかもしれません。

そして、ユル・ブリンナー演じる主人公がとにかく強い、強い!
ピンチに陥るシーンなど皆無で、短いナイフを武器にひたすら悪役を殺しまくります!

ブルース・リーだって多少は苦戦するというのに・・・

でも、これほど主人公が強いにも関わらず、ナイフで、グサッ、グサッ、と刺し殺すのが生々しすぎて、爽快感は今ひとつ・・・

うーん、それほど強そうに見えないんだよなぁ、裸のユル・ブリンナー。表情とかはさすがに格好イイですけどね。
そういえば、「ウエストワールド」の時にユル・ブリンナーって他の作品でもロボットっぽいと書いたのですが、この作品もまさにそんな印象。

服を着るとやっぱり格好イイです。葉巻をこよなく愛する男。


さて、荒廃した近未来を描いたこの作品

死滅に向かう人類、追い詰められた人間の本性むき出しの行動、といった、世界の終末っぽい雰囲気はそこそこ堪能できるものの、特にこれといった見せ場もなく、あっさりとラストを迎えてしまった印象もあります。


これも主人公が強すぎる故?

いや、これはおそらく監督さんの演出があまり上手では無いという・・・

追手から逃げ切った二人は地下道から地上へと戻ります。


その後にいくつか挿入されている静止画が、時間の経過を示す演出だったと思われます。

二人がそこを歩くシーンとかを写してくれないし、地上へ出てすぐに二人が海岸線を歩くシーンで映画が終わったものだから、最初に見た時は「パラダイスまでの距離はわずか二駅分程度? 近すぎ!」とか思っちゃいましたよ・・・

でも本当は、長い旅路の末にようやく海岸にたどり着き、目的の島はもう目の前だ、という意味のエンディングだった、と解釈して良いのでしょうね?

なんか分かりにくいし、やっぱり盛り上がらないんですよね。

この監督さんって、ブルース・リーのおかげで有名になったけど、うーむ・・・

モノリス・モンスターズ


大きな仕事が一段落したので、毎週の更新を目指して夜更かし!

とりあえず今回は『モノリス・モンスターズ』(1957)

隕石と共に地球へと飛来した、黒い結晶状の生命体。
水晶を思わせるその怪物は、水をエネルギー源とし、増殖を繰り返しながら町へと向かう・・・

えーと、この作品ですが

上の写真からも想像がつくと思いますが、ここに登場するモンスターは自らの意思を持って行動するわけでもなく、ましてや吠えるわけでも、攻撃を仕掛けてくる事もありません。

水を吸収すると、物凄い勢いで成長し、ビルほどの高さになった時点で自らの重さに耐えられずに崩壊。
そして、崩壊したカケラがまた増殖と成長を繰り返す、というもの。

だから、町へ向かうと言っても、なだらかな斜面のその先に、たまたま人の住む町があったというだけの事なんですけどね。

その成分に触れた人間が石化してしまうという設定も含め、アイデアは面白いですね。『人食いアメーバ』の結晶体版といったところでしょうか。

SF史上最も単純なモンスター

私は何故か『ウルトラQ』のマンモスフラワーを思い出しましたけど。

まぁ、こんな相手なので、人々が逃げ惑う描写も無く、人間ドラマやこの結晶体の弱点を何とか見つけようとする研究者たちの描写が物語の中心になっております。


でも、これは非常に面白かったです。

物語がシンプルで、奇をてらった演出が無い分だけ、逆に現実味や説得力があったというか・・・

この映画の舞台はとある砂漠の田舎町。

迫りくる危機とはいっても、雪崩や竜巻といった規模のお話なので、町の人々の不安がとても生々しく身近に感じられた、というのもドラマ部分を楽しめた理由の一つかもしれません。
そして、有効な成分が見つからず増殖を続ける事態になったら、やがて地球規模での危機が訪れる、という潜在的な恐怖感・・・

と、まあ、これは私個人の感想ですけど

そびえ立つ巨大化したモノリスと、それが崩壊し農場を押し潰すシーンが特撮としては唯一の見どころですが、少ない特撮も効果的に使われていた印象で、無機質なモノリスの怖さがダイレクトに伝わってくる、なかなかの秀作ではないかと思っています。


シュールな画が素晴らしいです。ルネ・マグリットの作品みたい・・・

えっと、サスペンス性という点では今ひとつですかね? 『アンドロメダ…』と同じような設定なんですけど・・・

いや、『アンドロメダ…』と比較すること自体が間違いですね、すいません。

放射能による巨大生物が全盛のこの時代に、アイデアだけ?でこれほどの作品を作ったというのは、それだけでも評価に値すると思います。

しかしながら、やはりこれは1950年代の低予算映画。なかなかの秀作とはいえ、やはり、というか欠点もあります。

こまかい事はさておき

宇宙から飛来した謎の生命体が相手であるにも関わらず、田舎在住の地質学者と保安官、そして知り合いの教授のみで解決してしまうというのはどうなんでしょう?

で、発見した有効手段というのが「塩水」なんですけど

隕石の落下地点の上流にはダムがあり、ダムと隕石の間には都合よく塩鉱まであるという・・・

ダムを爆破して、塩鉱を飲み込んだ水がモノリスになだれ込んで万事解決。

低予算ゆえに、政府や軍隊を登場させるのが難しかったのかもしれませんが、ちょっと都合よすぎですね(笑)

でも、この映画面白かったですよ。

・ナレーション付きのオープニング

・ニュース番組のアナウンサーにより現状が視聴者に説明されるという手法

・有効な解決策が見つかり、一気に収束へと向かう物語

などの古いSF映画では定石ともいえる演出もどこか懐かしい雰囲気だったし。

あ、古い映画で良く見かけるといえば


車の前に三人・・・

これってどうしてなんでしょう? まぁ、どーでもいいですけど。

今回はあまり書く事がなかったですけど、最近の流れでもしもDVD化される事があったら買っても損は無い作品だと思います。

あと、リメイクして欲しいなぁ、と。

この作品、現在の特撮技術ならば、舞台を田舎町から都会へ移してのパニック巨編としての撮影も可能ではないかと・・・

大都会を破壊するモノリス・モンスターも見てみたいです。

惑星からの侵略


『惑星からの侵略』(1965)

この作品を監督したアンソニー・M・ドーソンは、粗悪作品濫造型の監督とも、イタリアB級SF&ホラー映画の第一人者、とも言われる不思議な御方。
初期の作品である『SOS地球を救え』(1960)や『地球最終戦争』(1961)が日本でもDVD化されているので、順番からすると次はこの『惑星からの侵略』では?と密かに期待しております。

この映画、昔テレビで一度だけ見た記憶があります。
しかし、覚えているのはサングラスの男、カバンに入った縮小人間、全体的に赤っぽい色彩とちゃちな特撮といったところで、ビデオで再見するまでストーリーどころか主人公の顔すら忘れていました。

まずは、ストーリーをビデオパッケージの裏側から

ファン待望、サスペンス・タッチのSF映画。時は2015年。惑星デルフォスの狂った科学者が、人体実験用に地球人を特殊液で縮小化し、誘拐するという陰謀を企てた。その陰謀の影には、太陽系・民主連合の政治的支配力と、企業連合の巨大な経済力の対立が暗躍していたのだった。惑星デルフォスの陰謀の陰謀を暴くため、宇宙ステーション「ガンマ・ワン」の長官マイケル・ハルステッドが調査に乗り出した!

という作品なのですが

好きか嫌いかと聞かれれば「大好き!」
で、作品の出来はどうかと聞かれたら「最低」と答える他ありません・・・

「製作者の意図していない部分で視聴者の爆笑を誘ってしまう」

というのはB級映画にはありがちですが、この作品はそれを極めてしまった印象。

子供の頃に見た時は、それなりに怖かった印象も残っていたのですが・・・

同じ頃に作られた『さまよえる惑星』(1965)や『SF惑星大戦争』(1967)なども似たようなレベルだし、私のブログでも取り上げた事のある『スターレジェンド』(1987)は比較的マトモな作品でしたが、ツッコミどころが満載という意味では一緒でした。

さて

この作品では特撮が多用されているのですが、

その特撮技術は目を覆いたくなるような有様で、そのミニチュアのちゃちさといったら・・・。ほんの一瞬だけ『サンダーバード』を彷彿とさせますが、ほぼプラモデルと言って良いでしょう。

この映画の見どころの一つ、カバンに詰められ誘拐された縮小人間の姿がこれ


SFファンを馬鹿にしてるのか(-"-;)

そもそも、何故人間を縮小しなければならないのか、という理由も明確にはされていませんでした。

これに象徴されるように、この作品は意味不明な演出のオンパレード!
特撮シーンの多さに比例するかのようにツッコミどころも満載で、一分おきにツッコミを入れる事も可能なのでは、と思えるほど。

オープニングの宇宙空間でのシーンでは

つっかえ棒で宇宙船のドアを固定、下手糞なパントマイムにしか見えない無重力シーン、移動速度は速過ぎてウルトラマンみたい・・・

のっけから笑わせてくれます。

さらには

遅すぎる未来の車、ライターのような炎を出すレーザー銃、一本のワイヤーで吊るされた飛行経路が全く意味を成さない円盤、円盤から救出用の縄梯子、夜のシーンなのに青空、格闘シーンはなぜか敵も味方の全員が「拳法使い」、サングラスをかけ忘れた悪役、

もう書いていたらきりが無いので止めましょう・・・

このズンドコぶりは必見。はっきり言って、あのエド・ウッド監督作品以上の楽しさです。


マッド・サイエンティストのヌルミはバルカン人みたいですね・・・
文章と写真だけでは面白さ?が伝わらないので、もしDVDが発売されたら、是非とも購入をお勧めしたい作品であります。

あの

この作品を好きなのは、そういった理由ではなく(^^;)

流線型の宇宙船や建造物、背景、小道具などのレトロなデザイン、その色彩とファッションなど、独特の世界観は十分楽しめます。


これらのデザイン、特に女性のファッションって、当時のイタリアの流行をモチーフにしたのかもしれません、勝手な想像ですけど。

あまりにも小さい悪役の帽子の秘密は、このあたりに隠されていそうな気が・・・

バックに流れる音楽が素晴らしいので、画としては見ごたえ十分。その脱力感も含めて癖になってしまいそうです。

誉めるところ、これくらいしか無いですけど・・・

主人公の部下の役でブレイク前のフランコ・ネロが出演しているのは、個人的にはポイント高し! ジャンゴ、格好よかったです・・・

ヒロインは可愛かったですが、映画の冒頭で酔っ払って醜態をさらす、という演出が全く意味不明(怒)

さらに

拳法の達人という設定だったので、クライマックスではその設定を生かして大活躍か? と思いきや、気絶している間に救出されるだけだったという・・・


そのクライマックスというのがまた脱力ものヽ(  ̄д ̄;)ノ

敵のほとんどが丸腰であるという事に気がついた主人公が取った行動は、名づけて「突破作戦!」
たった三人の捕虜が武器も持たずに暴れまわり、敵味方入り乱れての大乱闘に発展。
誰一人武器を使う者はおらず、悪役の投げた物体が主人公をかすめてある機械を直撃。それが引き金となりやがて基地全体が大爆発を起こしてしまうという・・・

ご都合主義、ここに極まれり!

で、最後は旧「ルパン三世」の最終話のような方法で脱出してめでたしめでたし。もう唖然とするしかありません。

ここまでやれば、もはやファンタジーです・・・

ドクター・モローの島(1977年版)


今更という気もしますが、今回はH・G・ウェルズの古典SF小説を映画化した『ドクター・モローの島』

えーと、私の世代で『ドクター・モローの島』といえば、子供の頃にテレビで見た1977年のやつですね。

あまりにも有名な物語なので、ストーリーは無視して個人的に思った事をどんどん書いてみましょう。

いや

やっぱり、せめてあらすじだけでも一応書いておきましょう!

嵐によって難破したレディ・ベイン号の機関士、アンドリュー・ブラドックは救命ボートで太平洋の孤島へと流れ着く。
そこには、学会を追われた遺伝子学の権威であるモロー博士と数人の使用人たちが住んでおり、住む動物たちを使い、恐るべき実験を行っていた。
秘密を知ってしまったブラドックは島からの脱出を試みるが、それを察知したモロー博士に捕らえられ、実験台とされてしまう・・・

これは

社会的に、何かこう・・・、深いテーマを持っているような気もしますが、そういう見方とは全く無縁な私。

私の所有する脳みそは、難しい事を考えるのが苦手・・・

と、いうわけで、まずは俳優さんたちから


バート・ランカスターのモロー博士は結構気に入っています。
風格漂う演技。冷静でありながら、ほんの時たま見せる狂気の表情。
狂気というよりも、短気なだけに見えなくもないですけど・・・

島へと流れ着いた若者は、「骨格で演技をする男」マイケル・ヨーク!
かなりの熱演でした。何故かこの人を見ると懐かしい気持ちになります。

獣人たちのリーダーはリチャード・ベースハート
『シービュー号』のネルソン提督。『刑事コロンボ』のファンにとっては「ロンドンの傘」犯人役が印象深いでしょう。
このメイクで、もはや誰だか分かりませんけど・・・

そしてヒロイン役のバーバラ・カレラ

と、個性豊かな役者さんの演じるキャラクターは、どれも印象に残るものばかりでした。

ところでこの映画、私にとっては良くも悪くも印象に残る作品でして

良い所は

人間の掟を叫ぶ洞窟の場面

宙吊りにされたモロー博士とそれを囲む獣人たち

躍動感に溢れた、本物の虎との格闘

などの名場面(と言っても良いと思う)

特にクライマックスでの、炎の中で本物の動物たちを相手にした大立ち回りは大迫力! このスタントだけでも一見の価値ありだと思います。

怪我人出なかったんですかね?


ちょっと残念に思った所

島や屋敷の雰囲気がイマイチ。なんだかあまりにも普通っぽくて、ホラー映画特有の雰囲気はあまり感じられませんでした。

モロー博士が自分の理想に燃えるのは分かるんですけど、最終的に何であんな実験をするのか、というのも良く分からないんですけど・・・

さらに残念だったのは

メイクというよりも「仮装」といった印象の獣人たち

これらの獣人達の特殊メイクを担当したのは『猿の惑星』(1968)のジョン・チェンバースなのですが

体型が人間そのままだったから、こういった印象になったのかもしれません。なんか、チューバッカみたいなのもいるし・・・

イウォーク族とイメージが被るのは私だけでしょうか?

そういえば、ジョン・チェンバースってミスター・スポックの耳を作った人?

確認しようと思って検索しても何も出てこないし、John Chambers Mr.Spockで英語検索してもそれらしい記事は無いし・・・私の記憶違いかもしれません。

で、最も残念だったのは

これは作品の出来とは無関係ですが、ビデオ版であのラスト・シーンがカットされていたという事!

ラストのオチが分かっていても、ドキドキしながら「さあ、この後だぞ!」って思っていたら、いきなりのエンド・ロール・・・

ハッピーエンドになっていて、マジでズッコケましたよ。

ビデオ・パッケージの裏には、しっかりと写真まで載っているのに・・・




調べてみたら現在発売されているDVDでも同じらしいですね。日本での劇場公開版は今は見る事が出来ないそうです。

最初に見た記憶ではもっと怖かったような、と思ってネットを見ていたら、こんな画像もありました。




(((( ;゚Д゚)))

ヒロインも実はモロー博士の実験動物で、時間の経過により獣の顔に戻ってしまう、という驚愕のラスト。

テレビ放送を見ていた世代の人たちにとっては、あの驚愕のラストがあってこその作品だったのではないでしょうか?

私の場合、ラスト・シーンがカットされていたという衝撃が、子供の頃に見た結末の衝撃を上回ってしまいました・・・

まぁ、結末が変わっていても見どころは多いし、今でも時々鑑賞する大好きな作品ではあります。

クロノス


『クロノス』(1957)

地球上のエネルギーを集めるため、宇宙人によって送り込まれた巨大ロボットと人類の攻防を描いた作品で、監督はあの『蝿男の恐怖』(1958)のカート・ニューマン

ストーリーはいたってシンプルなのですが、1950年代に限定すれば、トップ10に入るほどお気に入りの作品です。

ところで

クロノスと聞いて真っ先に思い出すのが、ギリシャ神話に登場する天空神ウラノスと大地の女神ガイアの末っ子クロノスでしょう。ゼウスのお父さんですね。
ガイアによって「自分の子供に世界の支配権を奪われる」と予言されたクロノスは、それが現実になるのをのを恐れ、生まれてくる子供達を次々と飲み込んでしまったとされています。
おそらくこのクロノスから名前をとったものと思われ・・・

で、この作品のどこがそんなに好きなのか、というと

まずはオープニングの宇宙から飛来したUFOの映像!(上の写真にあります)

そのバックに流れる音楽がいいなぁ(* ̄。 ̄*)

未知の宇宙空間からの恐怖そのもの。これ、マジで素晴らしいです。

これだけでテンションが上がりまくるなんて、つくづく単純だなぁ、と自分でも思うんですけどね・・・

あとは、

どことなく、円谷とか東宝っぽい雰囲気が妙に懐かしい、とでも言いましょうか・・・

私の受けた印象はゴジラ+ウルトラセブン


・海の彼方に現れる巨大な発光物体

・古い映画ではお馴染みの、新聞の見出しを大写しにして現状を説明するという演出

・破壊されるミニチュアの街並みや逃げ惑う人々

この辺りがゴジラっぽくて、さらに

・地球の資源を集めるために送り込まれた巨大ロボットと人間に憑依する宇宙人という設定

・不自然なほど多すぎる星とクルクルと回転しながら画面を横切るシンプルな円盤

・作戦室?の透明なガラス

・ドライアイスの煙や、取り付かれた人間の顔が明るくなったり暗くなったりする演出

こういった所がウルトラセブンっぽいなぁ、と感じるのですが・・・

「巨大な敵」という共通点があるので、同じようなテイストの作品になるのも当然かもしれません。

懐かしいテイストでありながら、着ぐるみが登場しない、というのがなによりも嬉しいです。

私、中に人間が入ったぬいぐるみを見ると萎えてしまうので・・・

ところで

宇宙人に取り付かれた人間と言えば、日本的な演出ではほとんどの場合「無表情」となるわけですが、この映画の場合は



ΣΣ( ̄◇ ̄;)!オォ!?

分かりやすいというか、さすがにアメリカ人は表情豊かですね・・・
ずっとこの表情でウロウロしているものだから、怪しすぎます。

あとは

当時の最先端と思われる機械類が画面に多く登場すのもなかなか楽しいです。

さらに

低予算映画の定番アイテム、ストック・フィルムの流用も、それ自体が見どころと言ってもいいほど


これってドイツのV2ロケットですよね? あまり詳しくないので他は何だか分かりませんけど、それでも楽しい。見る人が見れば貴重な映像なのかも?

それでは最後にこの映画の主役

動くデザイナーズ・マンション、巨大ロボットのクロノス


なかなか良いです。無機質さがイイ!

これ、日本人がデザインしたらおそらく手足を付けてしまうでしょう?

移動シーンはアニメーションを使用。テレビゲーム並の効果音がショボくも懐かしい雰囲気・・・

部分的に使用されているストップモーションでは、ジーン・ウォーレンがアニメートを担当、モデル製作がウォー・チャン。後にプロジェクト・アンリミテッドを設立するコンビです。

金属の塊にしては重量感がイマイチだけど、あらゆるエネルギーを吸収しながら街を破壊するシーンはなかなかの迫力。
外国映画では珍しい「巨大ロボット」の登場は、この映画が初めてと考えて間違いないでしょう。

前例が無い割には、監督の手腕もなかなかのものだなぁ、と関心してしまいました。

この映画、何度見ても血が騒ぎます(`・ω・´)

恐怖のSF戦争


久しぶりの更新です・・・

今回は、『恐怖のSF戦争』(1970)というテレビ・ムービー!

地球を惑星連邦の一員に迎えようとする平和的なアルゴンと、地球人の奴隷化を企むザナン。
地球の支配権を争う彼らはそれぞれ三名ずつの戦士を地球へと送り込み、人間の姿を借りて一定のルールに従い決闘をする。
もちろん人類は地球外の惑星連邦国家でそのような戦争が行われている事など知る由も無い。
一人、また一人と双方の戦士が死んで行く中、最後に生き残ったのは・・・

というわけで

低予算丸出しの作品ながら、そのアイデアとストーリーで、昔に見た映画の中でも私にとってはかなり印象深い作品であります。

高度な文明を持つ国同士が戦争をしたら、双方とも壊滅的なダメージを負ってしまうため、代表者を選出して戦わせる

これはSF関連の作品では良く見られる設定で、様々な作品にこのアイデアが流用されています。

『旧アウターリミッツ』、『スタートレック』にも同じようなエピソードがあったし、以前に書いた『ロボ・ジョックス』(1986)も代表者による戦争物。『キノの旅』といった日本のアニメでも似たようなアイデアが使われていました。

で、一番最初にこのアイデアを使った作品って何だろう? と考えてみたのですが・・・

よく分かりません(´・ω・`)

小説では、フレドリック・ブラウンの短編で『闘技場』(1944)というのがありましたけど、やっぱりこれかなぁ?

両惑星間の戦争に介入したきた、より高度に発達した種族により、一名ずつの戦士が選ばれ、それぞれの惑星の運命を背負って対決する、というお話。
球体状の未知の生命体と対峙した男の戦いを描いた作品ですが、これはなかなか面白かったです。

話を映画に戻しますと

お互いが相手を見分ける手段として用いられるのが、特殊なレンズを使用したサングラス。

『ゼイリブ』(1988)を思い出しますが、このアイデアもすでに『アウターリミッツ』で使われていました。

という事は

私の場合、『アウターリミッツ』や『スタートレック』よりも前にこの作品を見てしまったので、元ネタを知らない分新鮮に映ってしまっただけ、とも考えられるのです・・・

でもこの作品、自分でも不思議なくらい印象に残るシーンが多いのです。


敵が近づくと鈴虫のような音を出して知らせる小さな機械(あまり性能良くないなぁ、と思っていましたが、そういうルールなんですかね?)

お灸のようにセットすると、死んだ相手を消滅させてしまう道具(インベーダーみたい)

などの小道具から

人間の姿を借りているとはいえ、全然強そうに見えない戦士たち

といったどうでもいい事まで、いちいち記憶に残っています。

さらに印象的だったのが

偶然この戦争に巻き込まれ、ロイド・ブリッジス演じるアルゴン人と恋に落ちる人間の女性を演じていたアンジー・ディキンソン


1931生まれだから、この作品の時時点では38才か39くらいですね

若いなぁ・・・、この時は可愛かったですね(*´∇`*)

で、ミステリーファンとしては、当然『殺しのドレス』(1980)が印象に残っているわけで

10年で急に老けたなぁ、という印象。40台前半までが若すぎたんですけどね。

次第に人数が減っていくだけ、というあまりひねりのないストーリーなのですが、最後はどうなるんだろう?ってドキドキしながら見ていたのを覚えています。

全ての敵を倒し、勝利したアルゴンだったが、人間と思っていた女性が実は・・・といったオチも当時としてはかなり衝撃的でした。

そして、人類の運命を暗示させて終わるラストシーン。

立ち去る女性の真の姿を地面に落ちたサングラス越しに見せる、というショットは秀逸の出来だったと思います。


というわけで、

アイデアそのものは、昔から良くあるパターンを踏襲しているにすぎないのですが、それでもお気に入りの作品である事に変わりはありません。
低予算ながら、というよりも、低予算が良い方向に作用したような印象すらあります・・・上手く言えないのがもどかしいですけど。
シンプルで分かりやすいという事ですかね。

えーと、最後に

この作品の原題は“THE LOVE WAR”というのですが

この意味はいったい?

日本人である私には理解できないような意味でもあるのでしょうか?

これが一番気になります・・・

ウエストワールド


前回書いたロボットの叛乱つながりで思い出した作品。今回は1973年の『ウエストワールド』

有名な作品でSFファンには馴染みがあるので、いまさらストーリーを書くまでもないでしょう。

巨大遊園地デロスの人間そっくりのロボットたちが制御不能となり、人間たちを殺し始める、といったお話。

一言でいうと『ジュラシックパーク』のロボット版ですね。

『ジュラシックパーク』の原作者でもあるマイケル・クライトン自身がが監督と脚本を担当しています。

えー、私事でありますが

私が好きな映画のジャンルは

「SF」と「ミステリー」が同率一位

で、三番目に好きなのが「西部劇」ヽ(≧▽≦)/

なので、

私の場合、舞台が西部時代であり、ガンマンごっこが体験できるという設定のこの作品には最初からのめりこんでしまったわけで・・・

映画の前半は、無邪気にはしゃぐお客さんと一緒に楽しんでしまいました。

というわけで

この作品は大のお気に入り。

名作? かどうかはちょっと微妙ですけど・・・

さて、

「ロボットの反乱」と紹介される事が多いこの作品ですが、機械が自我を持ち始めたという訳ではなく、単なる故障でしたね・・・。結局、ロボットが暴走した原因が視聴者に提示されるようなシーンは無かったように思います。

まぁ、そういった設定だからこそ、映画にリアリティがあったとも言えます。

園内での小さなトラブルに始まり、反乱が始まりそうな兆しがあちこちで見られるようになる、という演出も緊張感があって良かったです。
なんとなく現実に起こりそうな気もするし、どこまでも追いかけてくる殺人ロボットは、その理不尽さゆえに恐ろしさが際立っていたような気がします。

この作品は、CG技術が使われた最も初期の作品としても有名です。

1973年にCG?

と思っていたら、使用されたのはロボット側からの視点だそうで・・・


撮影した映像をモザイク処理しただけのようですが、これは結構効果的でした。

この作品がリアルに感じられた理由として、遊園地の裏側であるコントロール・ルームや、夜間に壊れたロボットを回収するスタッフなどが、かなり丁寧に描かれているという点が挙げられます。

特にロボットの修理工場は、この作品の見所の一つ。


子供の頃に見ていて「こんなのでちゃんと動くわけないじゃん」って思いましたけどね・・・

人間側の主役、リチャード・ベンジャミン


70年代そのもの、って顔とこの髭のおかげで、ある意味この映画で最も印象に残っているんですけど・・・

さて、この映画の一番の見所は

やっぱり「荒野の七人」そのままのイメージでロボットを演じていたユル・ブリンナーということになるのでしょう。


格好イイですねぇ・・・

銀色の目をした元祖「ターミネーター」の迫力はすさまじかったです!

毛が無くて、これほど格好良い役者さんってなかなかいませんよね。

もっともユル・ブリンナーは自分で気に入って頭を剃っていたわけですが、元々オデコがそうとう広い人だったので『ウエストワールド』の時点では本当に禿げていた可能性が大!

また余計な事を・・・

しかしこの作品、ユル・ブリンナーの魅力におんぶにだっこ、という気がしないでもないのです。

名作かどうか微妙と言ったのはこの点。

もし、他の役者さんだったら?  と考えてみると・・・、この作品がこれほど面白いものになったのか、ちょっと疑問。

ユル・ブリンナーって他の作品を見ても、元々ロボットっぽい印象があるんですけど・・・?

だから名演というよりは、まさに適役といった印象です。
しかし、よくまぁこんな役を引き受けましたね。ノリノリで演技してるようにも見えますけど。
クライトン監督自身が起用したそうですけど、衣装まで同じで、ほとんどセルフパロディ。一歩間違えばギャグなのに、そうならなかったのは演技力の賜物なのでしょうか?

それまで無表情だったロボットがニヤリと笑うシーンはかなり不気味でした。

でも

最初に見た時一番怖かったのは、実はこれだったんですけどね・・・


続・禁断の惑星/宇宙への冒険


今回は名作『禁断の惑星』(1956)の続編『続・禁断の惑星/宇宙への冒険』(1957)

ロビー・ザ・ロボットがその後に出演した映画、としてのみ語られる事が多い作品です。

そういえば、禁断の惑星のリメイクの話はどうなったのでしょうか?

えーと

映画の舞台は、とある軍の研究施設。
地下9階に設置された巨大な軍事用コンピュータが自我を持ち始め、手始めに科学者の子供ティミーを洗脳し、解体されていたロビー・ザ・ロボットを組み立てさせる。
ロビーを配下に加えたコンピュータはティミーを人質にし、人工衛星を乗っ取り、世界を支配しようと企てる・・・

といった話なのですが

まずこの作品の舞台は未来ではなく「現代」

で、何故ロビーが20世紀にいるのか、というと

タイムマシンを完成させた科学者が、23世紀からロビーを現代につれて帰ってきたそうです・・・


あからさまに二匹目のドジョウ狙いであるこの映画

それでは、作品の出来はどうなのか、というと

うーん・・・

この作品を見て最初に頭に浮かんだのは、子供だましという言葉。

ロビー・ザ・ロボットの人気にあやかって

となると、やっぱりこの程度の映画になってしまうものなのかなぁ、と

この時代に本格的に「意思を持ったコンピューターの叛乱」を描いているのは他に類を見ないので、それだけでも凄い事なのですが・・・

前にも書きましたけど、1957年といえばスプートニクが打ち上げられた年ですね。

自我に目覚めたコンピューターと人工衛星を結びつけるというアイデアや設定は悪くないけど、演出と脚本がそうとう悪いんだろうなぁ、といった印象。名作になれる要素を持った作品だっただけにちょっと残念。

鑑賞していて感じる違和感、違和感、違和感・・・

これがこの映画の特徴といってもいいほど

たとえば

ロビー・ザ・ロボットという明確な証拠があるにも関わらず、未来旅行を信じない人々

23世紀からやってきたロボットを研究もぜすにほったらかしの科学者たち

そのロビーよりも現代のコンピューターの方がはるかに優れているという設定

ロビーが動き出しても全く興味を示さない科学者や軍人たち

ティミーの母親に至っては

「さっさと出て行きなさい、シッシッ!」

理解不能なシュールなコントでも見させられているような気分になります。

コンピューターとの接触により何故か天才少年となるティミー

天才になった子供に驚きもしない父親

ロビーが作った飲み薬で透明になるティミー少年

それでも

「まぁ、そのうち元に戻るだろう」と言いながら、奥様とベッドで戯れる呑気な父親

などなど

登場人物全員の頭がおかしいとしか思えないほどの酷い脚本・・・

さらに

次なる犠牲者に忍び寄る影

アンテナがクルクルと回転してるんですけど・・・

こういった演出も、愛嬌たっぷりのロビー君ではまるで迫力に欠けます。


そういえばこのティミー少年役のリチャード・エヤー

『シンバッド七回目の航海』(1958)で、妙に気の抜けたランプの精を演じていた子でした。


さて、悪の手先となったロビー君ですが

映画のラストでは、ロビー君が鉄人28号的な存在(良いも悪いもリモコン次第)から、鉄腕アトム的な心を持ったロボットに変化するシーンが描かれています。

無理やりロビー君をヒーローに仕立て上げ、少年との心の交流を描いたという、なんとも他愛ない作品でありました・・・

この映画で嬉しかった事!

それは映画の冒頭

タイムマシンで23世紀から戻った科学者の研究室の壁に『禁断の惑星』のクルーたちの絵が飾ってあった事。


その後、無事地球へと帰還できたんだなぁ、と

でも、よく未来の人がロビーをすんなりと渡したものですね。

実はこれがこの映画で最初に感じた違和感だったのですけど・・・

大怪獣出現


前回に続いて「二番煎じ」というキーワードから思いついた映画

それは『大怪獣出現』(1957)

原爆実験の影響で海底から現れたモンスターと海軍との戦いを描いた作品なのですが、この映画のフォーマットになったと思われるのは、私の中では名作の部類に入る『放射能X』(1954)

放射能と怪物、といえば1950年代の定番プロットですが、この映画はストーリーもほとんど『放射能X』と同じ。

・原爆の影響でモンスター出現

・全ての駆除に成功したと思われたが、生き残りが逃げだす

・科学者によるカタツムリの生態を記録したフィルムの上映

・巣を見つけて破壊しないと大変なことになる

・目撃情報を頼りに怪物を捜索

などなど・・・

サスペンスフルな展開も『放射能X』を思わせます。

この映画、私が子供の頃繰り返しテレビで放送されていた(最低でも三回は見たような記憶が?)のですが、「メギラ」という名前が付けられてるという事は、つい最近、DVDが発売されるまで知りませんでした。

調べてみたところ、日本での公開当時すでにその名前が付けられていたとの事。

ダサい名前・・・

怪獣の名前といえば

どうして日本の怪獣は最後に「ラ」が付くものが多いのでしょうか? 「○○ゴン」とか。

宿題の怪獣シュクラに、教育ママの怪獣ママゴン

あまり興味ないからどーでもいいですけど、たぶん東宝とか円谷の影響、という事なのでしょう?


で、メギラですが

ウルトラマンだか、ウルトラセブンに似たような顔の怪獣が・・・?

名前が思い出せない( ̄  ̄;)

なんだか今回は独り言のようになってきましたが

さらに思った事でもたらたらと・・・

えーと

伏線がわざとらしくて、先の展開が読みやすいのもこの映画の特徴。

このあたりが名作にはなれない原因のような気がしてなりません。なかなかの秀作なんですけどね。

ヒロインの子供が研究室に入り、「ウサギさん、寒いの?」とメギラの卵を保存している水槽の温度調節用のメモリを一気に上げてしまう所など、何度みてもムカつくんですけど・・・

あとは

死体置き場で冷やしたサンドイッチを勧めるドクターと、呆れ顔で「結構」という主人公

とか

隙をみては母親に私用電話するオペレーターのお姉さん

とか

18ヶ国語を話せるという怪しげなオッサン

などの笑えないギャグ多し・・・

数年前、WOWWOWで久しぶりにこの映画を見た時に気づいた事

主人公を演じているのがティム・ホルト!

B級映画専門の無名の俳優さんだと思っていたら、あの『黄金』(1948)でハンフリー・ボガートと競演していたティム・ホルトだったとは・・・

主人公がたくましい若者ではなく、小太りのおっさんというの妙にリアルで、どうしてこんな中年男が綺麗なヒロインとのロマンスを演じているのか不思議でならなかったのですが、これで納得。

しかし、格好良かった西部劇俳優も太りましたね・・・


WOWWOWで見た時に気づいた事、その二

映画の中では「クレイカ」と呼ばれていた大怪獣が毛虫ではなく、カタツムリであるという事

原爆実験の影響で海底に亀裂が入り、水が流れ込んだために大昔の怪物の卵が孵化した、という設定。

これって、昔流行したシーモンキーみたいなもの?

結局、カタツムリなどの軟体動物と生態が似ているというだけで、放射能によるカタツムリの突然変異というわけではないのですね。

この写真はちょっとだけカタツムリっぽい


つぶらな瞳がちょっとだけ可愛い・・・

この怪物のフルスケール・モデルを作ったのは、オーガスト・ローマンという特撮マン。あの『白鯨』(1956)の鯨を作った人物で、SF作品では『燃える大陸』(1951)や『ジャックと悪魔の国』(1962)『バーバレラ』(1967)などにも参加。

と、手元にある本に書いてありました。

なるほど

ハリボテではなくいかにもラージ・スケール・メカニカルといった印象で、作り物というのは分かってしまうものの、かなり迫力のあるシーンに仕上がっているのは『白鯨』と共通するところでもあり、特撮マンとしては油の乗った時期の仕事だったのかもしれません。

そのデザインは秀逸で、造形・重量感・インパクトのどれをとっても良く出来ています。蒸し焼きにされ、力尽きるシーンなど、本当に生きているようでした。

この大怪獣のインパクトもあり、私にとってこの作品は懐かしいだけでなく、50年代を代表するモンスター・ムービーという位置づけになっております。

クライマックスはまさにモンスター版『シャイニング』


恐怖のワニ人間


『恐怖のワニ人間』(1959)

人間の抑圧された記憶を催眠状態で蘇らせるという研究をしている精神科医。ある時彼は興味深い被験者を見つけ、友人の医師を呼び、被験者をベッドに寝かせて実験を開始。被験者となった看護婦のジェーンは驚くべき体験を語りだすのだが・・・

というわけで

名作、あるいはヒット映画が作られると必ず作られるのが、その作品の二番煎じ、あるいはバッタ物と言われる映画。

この『恐怖のワニ人間』は明らかに前回書いた『蝿男の恐怖』(1959)の二番煎じ。

とは言ってもこの作品は『蝿男の恐怖』と同じ20世紀フォックスが訳あって作らせたという低予算映画なので、ある意味由緒正しいというか、完全はバッタ物とは言えないような気がします。

妻であるジェーンの回想シーンで進行する物語や、怪物そのものが怖いわけではなく、怪物化した男の苦悩を描いているという点も『蝿男』と同じ。

正しくは『ワニ人間の悲劇』

全体的にそれほど悪くない出来だなぁ、といった印象なのですが、これはまぁ、全体の構成そのものを『蝿男』から拝借しているので、一定のレベルはクリアしている、と感じるのも当然かも知れません。

正直、結構好きなんです、この作品。

辺りが沼地だらけの田舎に建てられた豪華な屋敷と研究施設も、ホラー映画の舞台としてはなかなか良い雰囲気だし。

『蝿男の恐怖』と比べるとまぁ、アレですけど

ワニの再生能力を応用した新薬による治療で怪我から回復したものの、お約束の副作用により、次第にワニ化が進行する主人公ポール


変身する過程のメイクは皮膚の質感もなかなかリアルに出来ています。凄い迫力・・・

被験者の姿も個性的で結構不気味


実は、個人的に最も印象的だったのがこのシーン。かなりゾッとしたのを覚えております。

そして生死を賭けた治療に失敗し、ワニ人間と化してしまったポール


ショッカーの怪人ですか(^^;)
実験台もそれっぽいし。しかもこの構え・・・

この被り物を作ったのは『蝿男』のメイクも担当したディック・スミスという人物。

これだけワニそっくりに変化したのなら、ワニとして第二の人生を送れるのでは?

と馬鹿な事を考えているうちに・・・

ワニ男に変身したポールはヤケクソになり、妻の制止を振り切って沼地へと逃げていきます。

自分の姿を水面に映し、両手で顔を覆い絶望するポール

何の必然性もなく本物のワニと格闘を始めるポールとそれを見て絶叫するジェーン

ポールが底なし沼にはまり、ぶくぶくと沈んでいくシーンでジェーンの回想シーンは終わります。

どれほど役者さんたちが熱演しようとも、被り物のせいでほとんどコントにしか見えないんですけど・・・


で、エンディングは

ジェーンの話を録音したテープを前に、険しい表情で話し合う二人の精神科医。

「見かけは正常だが、ジェーンは記憶喪失によって心の安定を保っているのだ」

「だが、今はまだ話すべきではないだろう」

という結論に落ち着いたところで、エンドマークが出て映画は終了。

うーむ、なんとも微妙な・・・

まぁ、いいか、としか言えないような終わり方でした。

ところで

屋敷の使用人を演じていたロン・チェイニー・ジュニアが結構いい味だしてました。

映画全編を通して奇行を繰り返すロン・チェイニー・ジュニア。

その存在感を見ていると、なんだか彼のための映画だったような気がしてなりません。

私にとってこの映画の主役は、間違いなくこの元祖狼男!


蝿男の恐怖

昨日のブログで私の町の写真を載せたところ、何人かの友人が電話やメールで連絡してくださいました。

心配かけましたが、私は元気です。連絡の取れない知人もいないし、ほぼ通常通りの生活です。

灯油が手に入らないのは困りますけど・・・今後の復旧に期待。

ところで、計画停電の件ですが

避難生活をしている人々がいる被災地を停電させた、という事で、森田健作千葉県知事の怒りはすさまじかったですね・・・

というわけで、私の地元は今後、停電の対象にはならないようです。

仕事のスケジュールが滅茶苦茶で、ちょっと時間ができたので、久しぶりに大好きな古典SFの話でも。

今回選んだのはSFホラーの古典『蝿男の恐怖』(1958)


原作はジョルジュ・ランジュランの小説「蝿」

この作品はあまりにも有名で、いまさらストーリーを書くまでもないでしょう。昔は繰り返しテレビで放送されていたし、しつこいくらいに。

私はこの作品、何度見ても感心してしまいます。映画として非常に良く出来ているなぁ、といった印象。

まずはサスペンスタッチで描かれている前半部分。

映画の冒頭で、視聴者はいきなり殺人現場を見せられる事になります。

若い科学者アンドレが、上半身を50トンものプレス機で押し潰されて殺害される。現場から逃げる姿を目撃されたのは彼の妻であるエレーヌ・・・

なぜエレーヌは最愛の夫を殺さなければならなかったのか?
そして、なぜそのような奇妙な殺害方法をとらなければならなかったのか?
プレス機が二回作動していた理由とは?
研究所の機械は全て破壊され、書類は灰と化していた。
そして蝿に異常なまでの反応を示すエレーヌ・・・

物語の前半部分でいくつかの謎が視聴者に提示され、エレーヌの回想シーン(告白)によって次第に真相が明らかにされていく・・・という筋書き。

ミステリーで言うところの倒叙法というやつですね。動機探し。

一応内容を書いておくと

物質転送装置を完成させたアンドレは、自らの転送にも成功する。ところが一匹の蝿が装置に紛れ込んでいたため、アンドレと蝿は融合し世にも奇怪な蝿男が誕生してしまう・・・

というお話。

上記の謎は、全て証拠隠滅の為の行動だった、というわけ。

まぁ、邦題などから真相は簡単に推測できてしまうし、それほど謎を追って進行するプロットというわけでもないのですが、何度見ても面白いのはやはり出来の良い映画という事なのでしょう。

70万ドルという予算は当時としても完全なB級作品ですね。

詳細は忘れてしまいましたが、研究室の機械類は他の映画から流用した、というのを何かで読んだ記憶があります。

ところで、

蝿男のメイクですが、というよりも被り物ですかね?


ちょっと微妙ですが。邦題も含めて、何だか仮面ライダーみたいな・・・

でも、これ、凄く怖かったんですけど。特に髭みたいなのがプルプル動いているのが・・・。いくら低予算とはいえ、やっぱり仮面ライダーの怪人と一緒にしてはいけませんね。

そういえば

エレーヌがアンドレの身を案じて布を取るシーンで初めてこのメイクが露になるのですが、監督のカート・ニューマンがこのシーンの撮影まで、エレーヌ役のパトリシア・オーウェンズに蝿男のメイクを見せなかった、というのは有名な話ですね。


私がこの映画で印象に残っているのは、さまざまな効果音。映画の印象を一言でいえば、音の怖い映画、といってもいいほど。

オープニングの音楽にかぶさる蝿の羽音

蝿の羽音は劇中何度も使われ、サスペンスを盛り上げるのにも効果的でした。

油圧プレスの重厚な音

食事の時にアンドレがミルクをすするシーングロい音では、いやでも布の中身を想像してしまいます。

転送に失敗し空中にこだまする猫の鳴き声にはかなりゾッとさせられました。

そして物質転送装置の作動音!

ブーンという低い音で始まり、次第に大きくなり最後は爆発音で終わるというもの。ネオン管などの意味なし視覚効果も加わり、こっちの心臓もドキドキするほど。何だか良く分からないけど、とにかく機械っぽくて凄い。こういうレトロな効果音には何故かワクワクしてしまう私・・・

ただ、起動する時の「チーン」というのが、どうしても電子レンジを連想してしまいますけど。

さらに

長い、ながーいフラッシュバックが終わり、現在に戻って映画のクライマックス

これは、音というよりも声ですけど

あの「人の頭を持つ蝿」の
「HELP MEEEE・・・ NOOOOO」
という叫び声はまさに悪夢。


強烈インパクトでした。映画を見た夜は、寝る時に耳元でこの声が繰り返され困ってしまうほど・・・

この声と人面蝿を目撃した警部の行動にも驚かされます。

唐突に大きな石を投げつけて、つぶしてしまうのですが・・・

子供の頃は「どうして助けないんだ!」という怒りと「せっかくの証拠が・・・」という憤りでなんとも言えない後味の悪さを感じていたのですが,大人になってから見たら、妙に納得してしまいました。

後味の悪さという点では同じなんですけどね・・・

映画のラスト

アンドレの兄役のヴィンセント・プライスが、残された息子に言うセリフがとってもよかった。

良くも悪くも、強烈な余韻を残して終わる作品でした。

この映画はSFホラーでありながら、サスペンスでもあり、恋愛ドラマとしても一流の作品だと思います。


SF作品としては、よくこんな設定を思いついたものだなぁ、感心してしまいます。原作者に感謝ですね。

最後に、何となく微笑ましいメイクのシーン。床屋さんみたいです。


ドラゴンスレイヤー


過労の中の更新は久しぶりに鑑賞した『ドラゴンスレイヤー』(1981)

今回は、またまたビデオパッケージの裏側の解説から

ドラゴンにいけにえとして捧げられた少女を救出するため、ただ一人、猛然と立ち向かう少年がドラゴンスレイヤーとして成長していく過程を、ファンタスティックに描いたアドベンチャー・ムービーの未公開傑作。
クリーチャー製作に『コクーン』のケン・ロールストンと『グレムリン』のクリス・ウェラス『ET』のデニス・ミューレン、視覚効果に『ネバーエンディング・ストーリー』のブライアン・ジョンソン、そして特殊効果を『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『グーニーズ』のILMが担当したSFXの超大作だ。

というわけで

この作品は、ジョージ・ルーカス率いる特撮集団ILMが『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980)に続いてSFXを手がけた作品として知られています。

以前に私のブログでも、ゴー・モーションの技術が最初に使われた作品としてちょっとだけ触れています。

ストップモーションとゴー・モーション

当時、特撮関連の雑誌では革命的な特撮技術を使った傑作、として取り上げられながらも、結局日本では映画上映されませんでした。

理由は分かりません。まぁ、受けないと判断されたからなのでしょうけど・・・

その後、テレビ放送はあり。

ストーリーは

年老いた魔法使いウルリクとその弟子ゲイレンが、処女を生贄として捧げる習慣のある村人たちに依頼され、ドラゴン退治に向かう、というもの。

剣と魔法のお話。本当に他愛ない、というか、劇場公開が見送られたのも分かるような気も・・・

ヒネリがまるでないストーリーはシンプルそのもので、今見ると逆に新鮮に映るかもしれません。

ビデオパッケージに書かれている、「いけにえとして捧げられた少女」

ゲイレンが村に到着した時点での生贄は、その国の王女様なのですが、救出は失敗。あっさりと殺されてしまいます。

普通はお姫様がヒロインで、ドラゴン退治のヒーローと結ばれる、というのが定番なのですが、この作品でのお姫様の扱いはひどかったですね。殺された後は、無残にもドラゴンの子供に食べられちゃって・・・ちょっとグロいシーンでした。

さらに

結局、ドラゴンを倒したのは主人公ではなく、偉大なる魔法使いである師匠がドラゴンともども自爆。自らの命と引き換えにドラゴンを葬り去るという壮絶な結末でした。

少年がドラゴンスレイヤーとして成長? してたかなぁ?

まぁ、日本版ビデオのパッケージに突っ込みを入れてもしょうがないか・・・

特撮の粗を目立たせないようにするために、ドラゴンが登場するシーンは暗い場面ばかりに設定されているのですが、それが映画全体のムードを決定付けてしまっているようです。
それ以外でも夜間のシーンがやたらと多く、全体的に暗い映画だなぁ、といった印象なのですが、この作品のかもし出す独特の雰囲気は、私は大好きです。

そういえば

この映画には、スターウォーズ・シリーズでパルパティーンを演じていたイアン・マクディアミッドが出演してました。


神に祈って、その祈りも空しく、あっさりと殺されてしまう神父さんという役柄は、映画でやたらと良く見かけるパターンの死に方ですね・・・

それよりも

やはりこの映画の最大の見所は、ILMが作り上げたドラゴンでしょう!

ドラゴンが登場する映画は数多く存在しますが、私的にはこの映画のドラゴンが造形、動き、インパクト、どれをとてもベストの出来栄え。
全ての映画の中で、私が最も好きなドラゴンがこれ。


当時の雑誌でもよく取り上げられていた写真ですが、この姿の美しいこと・・・

正確には「ワイバーン」(翼を持つドラゴンの中で二本足のもの)ですかね。

『帝国の逆襲』ではトーントーンに擬似的にブレをつけて、フリッカーを感じさせない自然な動きを実現したのですが、その技術をさらに進めて作られたのがこのドラゴン。

映画の予算1600万ドルの内、約25パーセントが特殊効果のために使用され、実物大の物を含めて、16体ものモデルが製作され、飛ぶシーン、這うシーン、火を吐くシーンなど、それぞれの場面によって、油圧で動くもの、操演、ゴー&ストップモーションなど多くの技術が使い分けられたそうです。

悪魔を思わせる登場シーン

主人公を追いかけ、あの巨体で洞窟内を這い回るシーン

炎を吐くシーン

ミレニアムファルコンを思わせる滑空シーン

どれをとっても絶品!


この映画では炎がとても効果的に使われている印象があります。

特にドラゴンがかなりの長時間炎を吐き続け、それを盾の後ろで主人公がひたすら耐え続ける場面

これは珍しい

思いっきり息を吸い込んで、いかにも咽の奥から炎を吐き出しているといった印象で、炎を吐く時間の長いこと!

アクションは少ないものの、かなり見ごたえのあるシーンになっています。

手間と経費がかかりすぎる技術ということで、ドラゴンの登場シーンが少ないのがちょっと残念・・・

現在ではCGで描かれ、これ以上に滑らかな動きをするドラゴンも見られますが、初めてこの映画を見た時には、その動きに相当驚かされました。

長い映画の歴史の中で、そのクリーチャーの動きに度肝を抜かれたシーンっていくつかありますが、これもそんな作品の一つ。

そういった意味では、私にとっては非常に印象深い作品なのです。

このドラゴンを見るだけでも価値のある作品です。それ以外に見所が無いとも言えるのですけど・・・

あ、触れるのを忘れていましたが、

この映画のヒロインは、男装してドラゴン退治の依頼にやってきた村の鍛冶屋の娘。

このキャラは結構面白かったですね。可愛かったし。

女であるという事がばれてしまうシーンでのヌードが本人のものかどうかは残念ながら不明


黒い絨氈


『黒い絨氈』(1954)

1901年の南米を舞台に、生活を脅かす人喰い蟻マラブンタの大群から農場を守るために奮闘する農園主と新妻の姿を描いたパニック映画で、ジョージ・パル(製作)とバイロン・ハスキン(監督)はあの名作『宇宙戦争』(1953)のコンビ。

原題はTHE NAKED JUNGLE

蟻の大群が通ると、ジャングルが丸裸にされてしまうという意味でしょうか。

さて、そんなタイトルからも分かるとおり、一応はパニック映画なのですが・・・

モンスターや巨大クリーチャーを期待していると、ちょっと違います。

いや、ちょっとどころかまるっきり違う

物語の前半、というよりも映画の大半は夫婦間のメロドラマに終始。

帰れだの残るだの、二人は合わないだの、そんな展開が1時間以上も延々と続き・・・

で、映画も残り20分程度になった頃、ようやく人喰い蟻との攻防戦が始まるという展開。

でも

結構、面白かったです(・∀・)

痴話喧嘩に辟易しながらも意外と退屈しなかったのは、演じている役者さんたちのおかげかも?


農園の主人を演じているのはチャールトン・ヘストン。
19歳の時からジャングルを開拓し15年。富と名誉を築き上げ、プライドが高く相当ワガママな性格。
まだ若かったせいか、後の映画で見せるような貫禄、というか風格はまだまだ。でもやっぱり格好いいし、そこにいるだけで絵になるのは流石。

花嫁募集の広告を見て、志願してこの地にやってきた妻はエリノア・パーカー。
頭が良くて美しく、ジャングルでの生活に物怖じしない度胸もあるという完璧な女性を演じています。

仕事一筋で女性を知らない主人公(つまり童貞ということ)と離婚暦のある妻(男性経験あり)

この二人が、お互いの顔も知らずに結婚を決めたという・・・

この特殊な設定のせいか、ドラマ部分も不思議と楽しめました。

潔癖症で何でも新品を好む主人公が、離婚暦のある妻を中古品扱いするくだりには愕然。

なんでも新品しか家には入れない主義だそうで・・・

お前が触るまでこのピアノは新品だった

とか

どうしても過去の男性関係が頭から離れないから出て行ってくれ

とか

ありえないような暴言を連発( ̄∇ ̄;)

100年も前ならこういう事も実際にあったのですかね?

実は、こういった痴話喧嘩のシーンがこの映画で最も印象に残ってたりします。

こんな事ばかり書いていますが、男心や女心が上手く表現された素晴らしいシーンもいっぱいありますよ。

えーと

映画も残り30分を切った頃、ようやく農場に向かって行進を続けるマラブンタの軍隊を発見


数十キロにも及ぶ軍隊蟻の群れ。これが邦題の黒い絨氈。マット・ペインティングというのがバレバレですけど、なかなかの迫力でした。

ジャングルという限られた物資しかない状況で知恵を絞って蟻と戦う主人公。

特撮が多用されていな事と特殊な舞台設定のせいか、今見てもあまり古さを感じさせないし、後半もなかなか面白かったです。

マラブンタとの戦いで、農場や財産の全てを失った主人公に残された唯一の物は

別の言い方をすれば

主人公は全てを失ったが、妻の愛は勝ち取ったのであった、というようなオチの作品でした。


怖いシーンや、体がむずむずするようなシーンはあるものの、やっぱりこの作品は恋愛物と言ったほうがいいかもしれません。

ところで

この映画を見て誰もが疑問に思うのが、本当にマラブンタってこんなに恐ろしい生き物なのか? という事でしょう。

昔は単純に全部信じてましたけど。

軍隊蟻の恐ろしさを描いたドキュメンタリーなどがテレビでも特集されたりしますが、刺されると熱が出て苦しむ、とかそんな程度だったような気がします。
せいぜい動物の死骸を数日かけて食べつくすとか、犠牲になるのは動きの遅い昆虫や爬虫類、というのが実際のところかもしれません。

この作品では、全てを食べつくしながら驚異的なスピードで移動し、襲われた人間は一日で白骨化ししてしまうという・・・

そう考えると、やはりこの作品はSF映画のジャンルに入れてもいいのかと、思い・・・ました。

デモン・シード


この画像は、私が所有する『デモン・シード』(1977)のビデオパッケージです。

パッケージの裏面に書かれていたあらすじがなんだか変(面白い)だったので、今回はその文章をそのまま掲載。

コンピューターが生殖能力を持ち、女を犯すとき・・・
大型コンピューターが家庭用電気器具になるごく近い未来、「デモン・シード」は血も凍る現実となる。
アカデミー賞女優ジュリー・クリスティが演じる心理学者の夫はコンピューターに熱中する科学者、家事から防犯までコンピューターに管理させる夫に強い不満を抱く。
科学者が新しく開発したコンピューター・プロテウスIVは自らの細胞と生殖力を持っていた。
家庭のコンピューターを乗っ取り、自らを増殖させるプログラムを組んでジュリーを閉じ込め、金属の腕でかき抱いてレイプ、精液をインプットした。
コンピューターの頭脳と女性の肉体が合体して恐るべき新しい生命が、今誕生しようとする。
最先端技術と恐怖が結合した驚異のスクリーン・ホラー。

何だかちょっと違うような? まぁ、設定とストーリーは分かりますけど・・・

えーと、この作品は奇抜な設定ではありますが、決してエロを売り物にしているわけではなく、真面目なSFサスペンス/ホラー映画です。

エロといえば

主人公がアーム付きの車椅子型ロボットに首を絞められて失神、そのままベッドに拘束されるあたりは見方によってはちょっとだけエロチックかも、といった程度。

あと、ジュリー・クリスティがちょっとだけヌードになっていたのですね・・・

この映画に関しては、細かい粗よりも伏線の張り方や演出などの方が印象に残っていて、個人的にはなかなかの傑作だと思っております。


次第に自己主張を始めるプロテウスIVと、次第に周囲に流れはじめる不穏な空気など、ホラー映画としての恐怖感の煽り方も見事! ジェリー・フィールディングの音楽も相当怖い。

「いつ箱から出してくれる?」

このセリフにはゾッとしました。

実体化したプロテウスIVのデザインもいいですね。

人工知能プロテウスIVの声を担当したのは俳優のロバート・ヴォーン。

この人、悪役も結構多いんですけど、不思議と悪人ヅラって思った事ないんですよね。


ただ、いつも何かをたくらんでいそうなカオだなぁ、と。

そういった意味でもプロテウスIVにはピッタリ。

セキュリティシステムを上手く利用しスーザンを閉じ込め、外部からの侵入者をもを巧みに阻止するプロテウスIV。

脱出を試みるスーザン。このあたりのサスペンス性は、舞台がコンピューター制御のハイテク住宅ならでは!

ジュリー・クリスティの熱演も必見。

関係ないけど、やたらと巨大なフロッピー・ディスク!


物語は進み・・・

自宅の端末にプロテウスIVが侵入した事に気づいた科学者は家に戻るが、すでに時遅し。

プロテウスIV自体はシャットダウンされ、機能を停止したが、合成精子を体内に注入されたスーザンはプロテウスの子供を妊娠。
28日という短い期間ですでに出産した後だった。

機械と人間の間に生まれてきた子供の異様なまでのグロさ・・・


これだけでも十分に怖かったのですが

生身の人間を守るためのプロテクターのようなものだと気づいたアレックスが、それらを丁寧に剥がしていくと

え? 中身は普通の人間!?

あぁ、良かった・・・、と思った次の瞬間、その子供が思いっきり低音のしゃがれ声で

"I'm alive."(私は生きている)

(((( ;゚д゚)))アワワワワ

このシーン、最初に見た時は尋常じゃないほど怖かったんですけど・・・

私的にインパクトのあったエンディングとしてはベスト10には入るかと!

最後に

ストーリーとは全く関係ないのですが、アレックス博士が乗っていたスポーツカー


最初に見た時から車種が気になっていたのですが、特定できず。

「まぁ、改造しているから元の車が何か分からなくても仕方ないか」といった程度に考えていて、長年謎のままだったのですが・・・

普通に市販されている車でした。


ブルックリンSV-1(BRICKLIN SV-1 )なかなか格好イイじゃあないですか!

スバル360を米国に輸入した人物が作り出したスポーツカーで、カナダで1974年から75年までの間にに2854台生産されたものである事が判明。

多くのトラブルを抱えた車でその後会社は倒産してしまったとの事。

あー、すっきりした! インターネットに感謝です。

『サーキットの狼』を直撃した世代の私としては、こんな所も気になっていたのでした。

タイム・アフター・タイム


『タイム・アフター・タイム』(1979)

舞台は1893年のロンドン。
主人公であるH.G.ウェルズが友人達を自宅に招き、タイムマシンの完成披露を行うところから映画は始まります。
ところが、その友人の中の一人が、当時ロンドンを震撼させていた切り裂き魔ジャック・ザ・リッパーで、彼は完成したばかりのタイムマシンを奪い、未来へと逃亡してしまう。
責任を感じたウェルズはジャック追い、自身もタイムマシンで未来に旅立つが・・・

えー、以前私はブログで、複雑なものが多く真面目な作品ほど矛盾点が気になってしまう、という理由から、時間旅行を扱った作品はあまり好みではない、という事を書いてしまいました。

それではこの作品はどうなのか、というと・・・

面白いです。でも

やっぱり多少のストレスは感じてしまいます(´・ω・`)

そこは警察の力を借りるところだろう!

とか

ここでタイムマシンを使わなくてどーするんだ(怒)

とか、

さらには、切り裂きジャックが逃亡する前、あるいは、彼が到着するよりも前の未来にタイムスリップすれば、すぐに捕まえられるのに・・・

などなどなど、

ただ、それだと物語が10分程度で終わってしまうので・・・

仕方ないのかなぁ?

でも

「不完全なタイムマシンなので一定の時間(例えば100年単位)でしか移動できない」といった設定でも加えていたら、もっと説得力のある作品になったのではないでしょうか?

まぁ、この手の作品でそんな事を突っ込むのも野暮というもの。そのあたりに目をつぶって鑑賞すれば非常に面白かったです。

見所もたくさんアリで

まずは役者さんから。主人公のH.G.ウェルズを演じたマルコム・マクダウェル

マルコム・マクダウェルといえば『時計じかけのオレンジ』(1971)のアレックスですが


『タイム・アフター・タイム』での妙にオドオドした演技は必見ですね。
自分が思っていた未来像と現実とのギャップに驚きを隠せないウェルズ。
比較的シリアスな作品でありながら、軽いコメディータッチで描かれているところが楽しい。
カルチャーギャップによる珍行動で笑いを取るところは、この手の映画のお約束ですが、本当に面白い。
派手なお姉さんを見つけて何故かメモを取ったり、映画に驚いて座席の下に隠れたり。その他にも実在の人物ならではの仕掛けなども随所に見られ、もしかしたらこの映画で一番の見所はこの辺りかもしれません。


最初にH.G.ウェルズ役の候補に挙がったのは、リチャード・ドレイファスだったそうです。『未知との遭遇』(1977)で地球人代表として円盤に乗っていったヒト。

うん、リチャード・ドレイファスの方が合っていたかも。マルコムのH.G.ウェルズはちょっと貧相すぎる気が・・・

切り裂きジャックを演じたデヴィッド・ワーナー


この人悪役でしか見たことないんですけど、個人的には『トロン』(1982)のサークが印象的でした。

ヒロイン役のメアリー・スティーンバージェン


ヒロインにしてはあまり美人じゃないなぁ、と思っていたら、映画のクライマックスで切り裂きジャックがウェルズに「彼女は特別か? それほど美人でもないし。そう思わないか?」と言っているのには笑ってしまいました。
まぁ、これは日本語字幕での事ですが。実際にも「俺には彼女の魅力は分からないが、お前はどうだ?」程度の事は言っています。
彼女はこの映画の撮影中にマルコム・マクダウェルと恋に落ち実生活でも結婚(後に離婚)

映画に登場するタイムマシン


このレトロなデザインはジョージ・パル作品の『タイム・マシン/80万年後の世界へ』(1960)へのオマージュだそうです。最初見た時、マネしようとして失敗したのかと思いました・・・
時間旅行をするシーンの特撮は、この時代にしては珍しい光学合成というやつですね。ウルトラマンみたい。

実在の小説家H.G.ウェルズを主人公にしたこの作品では、ウェルズが実際に『タイムマシン』を発明していたと、いう設定になっています。

小説『タイムマシン』を書く前の物語というのがポイント!

ウェルズといえば、科学や技術の先見性に富んだ想像力豊かな作風から「タイムマシンで未来を見てきた男」などと評されるほど。

この映画では、実際に未来社会を訪れた経験と知識がウェルズに多大な影響を与え、後に世界大戦や宇宙旅行、女性解放などを予見した作品を発表することになる

といったなかなか洒落たオチが用意されています。

映画を見終わる頃には、多少の矛盾点(致命的な矛盾かもしれませんけど)はすっかり忘れて楽しんでいました。

サスペンスとしても、恋愛ドラマとして見てもなかなか良い出来だと思います。タイムトラベル物としてはお勧めの一本!

タイムトラベル映画


えーと、今回は特定の作品ではありません。たんなる思いつきで、時間旅行を扱ったSF映画について。

名作から珍作、ハードなものからコメディまで、ありとあらゆる作風が存在するのがこのジャンル。

時間旅行といえば、タイムトラベルに伴い生じる矛盾。いわゆるタイムパラドックスというやつですが、これには大きく分けて三つの考え方があると思われます。

その1
過去に干渉すると、歴史が変わってしまうという考え方。

その2
歴史は絶対に変える事はできないという考え方。
タイムトラベラーによる過去への干渉自体が、すでに歴史に組み込まれているために結果的に何も変わらないという考え方もあります。

その3
過去に干渉すると別の流れができるという考え方。パラレルワールド。

これを有名な親殺しのパラドックスに置き換えて考えてみると

その1
両親を殺すと、その瞬間に自分も消滅する。

その2
何らかの妨害が入り、どうしても殺す事ができない。

その3
親を殺した後、未来へ戻ると別の世界になっている。

といったところでしょうか。

時間旅行を扱った映画を思い出してみると

タイムパラドックスによって起こる不測の事態。予断を許さない状況の中で、次々と起こる予想外の展開。この危機を回避するためにとるべき行動は? そして、その行動がもたらす結末とは?

といったように、ほとんどの作品がこういったサスペンス性を重視した作りになっている事が分かります。

このパラドックスこそがタイムトラベルを扱った映画の醍醐味となっているわけですね。

ただ

私はこのジャンルはあまり好きではないのです。

なんだか、ややこしくて・・・

特に最近の作品は、複雑すぎて一回見たでけでは理解するのが難しいものが多いですよね? 昔の映画はもっと単純でしたけど。

さらに、

この手の作品には、必ずどこか辻褄が合わない部分があるでしょう? まじめに作られた作品ほど、どうしても矛盾点が気になってしまうものです。

まぁ、実際にはタイムトラベルが不可能なので(おそらく)、タイムパラドックスに対する明確な回答が無いのは当然。映画も皆が納得できる作品が作られないのも当たり前の話なんですけどね・・・

シリアスなものでお勧めの作品は

『12モンキーズ』(1995)あたりはどうでしょうか? これは、良くできているなぁ、といった印象でしたが。


ところで、映画でのタイムトラベルの方法には大きく分けて二つのパターンがあります。

その1
タイムマシンなどの機械が存在し、主人公が自分の意思で時間と目的地を決めてタイムトラベルをする方法。やはりこの設定だとなるべく矛盾がないように脚本を書くのは相当難しいと思われます。

その2
偶発的な事故、あるいは未知の力により、主人公の意思とは関係なくタイムトラベルを起こしてしまうもの。

そういえば、名作『タイムマシン』(1960)は両方の要素がありましたね。

まぁ、タイムトラベルなんてありえないことなので、ファンタジーとして気楽に楽しめれば・・・

個人的な好みは、理屈ぬきで楽しめるコメディ的要素が大きい作品。

そんな馬鹿な、といった演出ももすんなりと受け入れられる『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985) や、なんだか見ていて微笑ましい『スター・トレック4/ 故郷への長い道』(1986)などはいいですね。

ちなみに私の一番好きな作品はこれ


歴史の試験に合格するために、歴史上の人物を電話ボックス型のタイムマシンで現代につれてくるという『ビルとテッドの大冒険』(1989)も面白かったけど、お勧めはその続編である『ビルとテッドの地獄旅行』(1991)

「互いにサイコーたれ!」

二人が広めたロックの思想がが世界を支配している2691年。それを快く思わない一部の人間が、過去に戻ってビルとテッドの抹殺を図るというお話。

前作がアホ映画ならば、続編は意味なしギャグ満載の超お馬鹿映画といったところ。

この作品を見た時、他の映画での鬱憤が一気に晴れる思いがしましたよ。時間を自由に行き来できるのに「どうして先回りしないのかなぁ?」とか、よく思っていたので・・・

未来の自分が時間をさかのぼり、思い通りに武器や仕掛けをセットして悪玉と対決!

これを堂々と実写映画でやるとは・・・

クライマックスでの

「私にもその手は使える」と銃を取り出す悪玉に対し

「一つ考え違いをしたな。時間を仕切れるのは勝者だけだ。お前の銃も俺たちの演出さ!」

と言うと、銃が玩具にすり替えられていたといったやりとりは最高!

さらには

大舞台に立ったビルとテッドが

「しまった、まだ下手なままだった」

といって16ヶ月の集中特訓後、現代に戻ってきてステージで見事な演奏を披露するというエンディング。

おまけに子供まで作って戻ってくるというお気楽ぶり・・・

そうそう、タイムマシンはこう使わなくちゃ! と思ったものです。力技で納得させられてしまったような・・・

この映画のおかげで、未だにキアヌ・リーヴスといえば、この作品のイメージ。えびぞりのエアギターでピロピロピロ・・・


ソイレント・グリーン


久しぶりの更新となりました

えーと、私はだいたい月に20本程度の映画を見ているのですが、この二週間で見た映画は三本程度・・・で、そのうちの1本がこのソイレント・グリーン。

年をとるのが嫌になり、生きているのが辛くなるような作品・・・

他に書きたい作品いっぱいあるんですけど、見ちゃったので今回はこれ。

前回、『人造人間クエスター』について書いたのですが、SFサスペンスつながりでこの作品を思い出し、久しぶりの鑑賞。

監督は『海底二万哩』(1954)や『ミクロの決死圏』(1966)のリチャード・フライシャー。

チャールトン・ヘストン、エドワード・G・ロビンソン、チャック・コナーズ、ジョセフ・コットンなどスタッフ・俳優人はかなり豪華なメンバーですね。

ジョセフ・コットンを見ると『緯度0大作戦』(1969)のマッケンジー艦長を思い出します。

舞台は人口増加と食料不足にあえぐ2022年のニューヨーク。

海のプランクトンを原料とし、食糧不足の切り札となるべく開発された合成食品ソイレント・グリーン。これを製造するソイレント社の幹部が暗殺され、チャールトン・ヘストン演じる刑事ソーンはその捜査の過程で、ソイレント・グリーンに関する驚愕の事実にたどり着く。

衝撃の結末という意味ではオチを書いてはいけない作品なのですが、有名な作品で既にネタはバレバレになっているだろうし、まあ、これは書いちゃってもいいでしょう。

「皆に伝えろ、ソイレント・グリーンは人肉だ。絶対に阻止しろ!」

ソイレント・グリーンの正体を知ったソーン刑事の絶叫が、野次馬にかき消されて THE END となります。

秘密が視聴者に提示された時点で映画は終了。これは一種のリドルストーリー(物語の結末を伏せて、読者の想像にまかせる手法)ですね。

傷を負ったソーン刑事は無事なのか? 真実は人々に伝わったのか、それとも隠蔽されたのか? 伝わったとすれば、飢えた人々の選択は?

かなり恐ろしいその後の物語も想像できるわけで・・・

最も有名なリドルストーリーといえば、フランク・R・ストックトンの『女か虎か?』でしょう。ミステリーファンには馴染みのある作品なのですが、これは面白いですよー!

参照 リドルストーリー 〜結末なき物語〜 http://kuroneko22.cool.ne.jp/ridoru.htm

このリドルストーリーというやつ、名作もあれば中には単に作者が何も思いつかなかっただけでは? と思える作品も多いし、消化不良になるので私はあまり好きではありませんが。

話を映画に戻して

この作品、一部のファンの間では名作扱いされてたりするのですが・・・うーむ、どうなんでしょう?

社会的なテーマを持ち娯楽性を全て排除した作風なので、評価の対象になるのも分かるような気もしますが、はっきり言って映画としては相当出来が悪いと言わざるを得ません。

安楽死させられた人々が人肉として再利用されている、という結末も衝撃といえば衝撃なのですが、いくらなんでもそれはありえないだろう、と思えてしまうのがちょっと・・・

知っている人間全員を口止めして、真実を隠し通すなんてまず無理でしょう?

映画でもよく中だるみという言葉が使われますが、この作品は全体がそんな印象。

ダラダラとメリハリなく物語りが進行。

これって、もしかして意図的にそれを狙ったのですかね?

サスペンスも全く盛り上がらず、淡々とストーリーは進行します。

未来的な小道具は一切なし。未来的な建物も乗り物も全く登場しないので、たんなる低予算映画にしか見えないんですけど・・・

予算は400万ドル程度。ほとんど俳優さんとエキストラのギャラでしょうか?

えーと

悪役に追われるソーン刑事が本部に連絡をするシーンでは

「交換手、警察につないでくれ」

「今、話し中です」

って(;´Д`)

舞台は2022年ですよ! せめてトランシーバーのような通信手段でも思いつかなかったのかなぁ? 

ソイレント・グリーンの正体に気づいた老人ロス(ソーン刑事の同居人)が、人生に絶望したのか、自らホーム(高齢者を安楽死させる施設)へと向かいます。

なぜその前にソーン刑事に話さないのか?

そうする事により、ロスの最後の瞬間を共有するというドラマを演出。さらにはソイレント・グリーンの正体判明を先送りにし、サスペンスを盛り上げるためなのでしょうが・・・

ちょっと不自然すぎます(´・ω・`)

老人が死亡する直前に真相を聞かされたソーン刑事は裏づけを取るためにソイレント社の工場へと向かうのですが、見ている方が拍子抜けするほどあっさりと進入に成功。

あと気になった事といえば

極度の食料不足にもかかわらず、結構デブがいる事。

配給にもれて怒り狂う、丸々と太ったおばちゃん・・・

なぜこの作品の評価が高いのか?

私にはさっぱり分かりません(×_×;)


と、まぁ、色々と書いてきましたが、


見ていてドキッとするような場面が多く、またそれらのシーンがものすごく強烈な印象を残す、というのがこの映画の不思議なところ。

良い意味でも悪い意味でも、です。


映画の冒頭で語られる地球温暖化。

この作品のヒーローであるはずの警官がやたらと職権を乱用する事。演じているのがチャールトン・ヘストンだからなおさら。

足の踏み場もない状態で階段に雑魚寝している失業者たち。

若い女性を「家具」として部屋に置く事。

「本」の代用品として存在している老人たち。

暴動シーン。エキストラ多いなぁ、やせっぽちばかりを集めればリアリティがあったのに。主人公のチャールトン・ヘストンも体格良すぎでしょう?

その暴動鎮圧に使用される重機。ショベルカーを使用して人間を掬い上げ、ゴミのようにトラックの荷台に放り込むシーンの凄まじいこと・・・

イチゴのジャムが一瓶150ドル!

ホームでの安楽死。ちょっとイメージが安直すぎる気もしますけど。

そして、ベルトコンベアーを流れる人間の死体。

どれも鮮明に記憶に残っています。

しかし、

仕事が激務で疲れきっている時にこれを見たのは明らかに失敗。

次は見ていて元気になれる映画にしましょう。

人造人間クエスター


『スター・トレック』のG・ロッデンベリーが製作総指揮・原案・脚本を手掛けた『人造人間クエスター』(1974)

TVシリーズとして企画されたもののシリーズ化はされなかったため、100分のパイロット版だけが残され、それは日本でも何度かテレビで放送されました。

私がこの作品を見たのは何度目かの再放送と思われますが

これは本当に面白かった! SFテレビ・ムービーとしては最高傑作の一つではないでしょうか。


「プロジェクト・クエスター」のプレートがはられた研究室に横たわる完成目前のアンドロイド・クエスター

このアンドロイドを、科学者たちがプログラミングで起動させようとするで場面で映画はが始まるわけですが、最初の数十分、研究施設のシーンでは、物語の伏線となるいくつかの謎が視聴者に提示されます。

クエスターを製造したバスロビック博士は現在行方不明。なぜ博士は失踪したのか? 生きているならば何処で何をしているのか?

バスロビック博士以外の科学者には、クエスターの構造を理解できない。これほどの知識を持ったバスロビック博士とは何者なのか? また、何の目的でクエスターを製造したのか?

これらの謎で視聴者を引き付けつつ、実験は続き・・・

暗号化されていたクエスター用のプログラムを解読しようとして、データの半分を消失してしまったため、新たなプログラムを試したがクエスターは全く反応せず。仕方なく半分が消失した不完全なデータを使用するものの、実験は失敗。

と、見せかけておいて

その夜、自ら目覚めたアンドロイドは残りの作業を自分で行い研究所から脱走してしまう、という筋書き。

自分が何のために生まれてきたのか、という肝心な部分のデータが欠落していたため、クエスターはバスロビック博士の助手であったロビンソンの協力を仰ぎ、「創造主」である博士を探し「自分に課せられた使命」を遂行するために旅立つ・・・

というよりも、「逃走した」と言ったほうがしっくりきますけど。

謎を追って進められるプロットと、限られた時間内に博士に会わないと秘密厳守のため体内に仕込まれた原子爆弾が起動していまうという二重、三重のサスペンス。

面白い・・・、本当に無駄の無い脚本とといった印象。

そして映画のラスト

クライマックスでは、バスロビック博士の正体と、クエスターが作られた目的とその驚くべき使命が明らかになるのですが・・・


なんでもこの作品、リメイクの話が進行中との事なので、衝撃のラストは一応書かないでおきます。

シリーズ化を前提に作られた作品なので、自分の使命を知ったクエスターとロビンソン博士の探求の旅は今始まったばかりなのだ・・・、みたいな終わり方なのですが、先に書いた通りシリーズ化は見送られてしまいました。

その理由は長くなるので省略

いや、簡潔に

簡単に言うと、作品の基本設定の変更を主張するNBCテレビとロッデンベリーの対立。

これまた、ありがちな理由・・・

NBC側がロビンソン役は要らないと言い出し譲らなかったため、それに納得できなかったロッデンベリーが企画から去ってしまったとの事。

作品を見た者からすると、ロビンソンは不要というNBCの主張が全く理解できないんですけど・・・

さて、最後にこの映画の主役アンドロイド・クエスターですが

『スター・トレック』のファンにとっては、TNGのデータ少佐のモデルとして有名? かと思われます。データ少佐の表情や動作、話し方などは、クエスターの演技を参考にしたのは明らか。


というよりもコピーしていると言ったほうが正解かも。自身がスーパー・コンピューターである点や、女性が望めば男性としての機能も有している、といった設定まで同じ。

TNGでは『人造人間クエスター』で描かれていたのとそっくりな場面がいくつかあります。

まずは、アンドロイドが人間の女と愛し合う場面。

第1シーズン『未知からの誘惑』でデータがターシャと一夜を共にするシーンがそれ。まだ影響力のあったロッデンベリーの計らいでこのシーンが実現したとか。

さらに

第2シーズン『ホテル・ロイヤルの謎』では、カジノでいとも簡単にサイコロの目を操るスーパー計算機ぶりが描かれていて、これまたそっくり!

トレッキー必見の演技を見せるロバート・フォックスワースは『奥さまは魔女』のサマンサ役エリザベス・モンゴメリーの最後の夫。クエスター以外では『新・刑事コロンボ/おもちゃの兵隊』の犯人ブレイリー大佐が印象に残っています。

というわけで

私にとってほぼ完璧な作品である『人造人間クエスター』ですが、強いて不満な点を挙げるとすれば・・・

起動したつるつるのクエスターが、人間の姿になるために自分で耳や鼻、そして口を取り付ける(造形する?)シーン

型のようなものを押し当てジュジューってやると鼻、口、耳の完成。

って、いくらなんでもそれは、ほとんどタイ焼き・・・

これ


まぁ、そんなシーンも作品全体の出来を考えるとたいした問題ではありません。

リメイクが実現すれば、これらのシーンも現在の特撮技術でじっくり見せてくれるでしょう。

ただ

基本設定だけは絶対に変えないでほしい。ド派手なアクション・シーンが挿入されるのは目に見えてますけど・・・

恐竜の惑星


原子炉が故障した宇宙船からシャトルで脱出した乗組員たちは、近くの惑星に不時着。そこは恐竜が生息する太古の地球そっくりの惑星だった・・・

というわけで、今回は『恐竜の惑星』(1978)

タイトルそのまんま、生き残りのために乗組員たちが恐竜と戦う、といったストーリーの映画です。

恐竜のストップモーションを主に担当したのはクローキー・プロ出身で『フレッシュ・ゴードン』や『スター・ウォーズ』などにも参加していたアニメーター、ダグ・ベズウィック。
ジム・ダンフォースがマット画を提供。デニス・ミューレンは合成のアドバイザーとして参加。
それ以外のスタッフもほとんどが特撮マンで、恐竜好きの特撮マンが集まって、恐竜ファンのためだけに製作したような作品であります。

製作・監督を務めたジェームズ・K・シェアの指示により、予算のほとんどがストップモーションの特撮に費やされたというこの映画には、ティラノサウルスやアパトサウルスはもちろん、巨大クモなども含めて7〜8種類もの恐竜が登場。特にティラノサウルスは、動き、造形ともにこれまで映画に登場した恐竜の中でも最高傑作の一つ。

ディノニクス(もどき?)のような小型恐竜が登場するのは当時としては画期的だったのではないでしょうか?


全編を通して、コンスタントに登場する恐竜たち。

恐竜映画のスタンダードになってもおかしくない作品、と思われるのですが、一部のSFファン、あるいは恐竜ファンに知られるに止まっている印象です。

その理由は、映画を見れば一目瞭然

確かに恐竜の造形や動きはそれなりに良くできているのですが、ドラマ部分の酷さは、これまでに見た映画の中でも・・・、というよりもこれ以上に酷い作品を挙げる事ができません。

『猿の惑星』(1968)をパクった不時着シーン。やたらと早く沈む宇宙船。

この映画のヒロインかと思った最も綺麗な女優さんは、映画が始まってわずか五分後に恐竜に食べられちゃうし・・・

この人たち本当に役者さんなの?って思うほど不器用で滑稽な演技。未来的なスペース・スーツのつもりなのだが、痛すぎる衣装。

シンセサイザーの鍵盤を適当に押して、それらしい音をだしただけとしか思えない、やたらと耳障りな効果音。

このサイテーぶりはある意味必見ですよ! 恐竜のアニメーションを見せたいだけで、他はもうどーでもよかったとしか思えないんですけど・・・

ちなみにこの映画に登場する奇妙な形をした岩場は、スター・トレックのロケ地として有名なバスケス・ロックス自然公園。

この映画は、『原子怪獣現わる』(1953)のリドサウルスが出てくる事でも有名。


なんだか、やけに小さいような・・・、完全にティラノサウルスの引き立て役。

レイ・ハリーハウゼン自らアニメートした、という話もあるのですが、これは嘘でしょう。日本版のビデオ・パッケージにそう書かれていたことから、こんなデマが広がったのだと思われます。

やたらと気になったのが

この惑星に存在するティラノサウルスは一匹だけ、という設定で話が進んでいるとしか思えないシナリオ。

恐竜を退治するか救助を待つかで揉める一行

仮に一匹だけだとしたら、場所を移動すれば済むことだし、たくさんいるなら戦ってもきりが無いし・・・

一人、また一人と恐竜に殺され

凶暴なティラノサウルス退治に成功した時には、九人いた登場人物も五人となっていました(男三人、女二人)

そして、時は流れ


幸せそうに原始生活を送る五人と一人の子供。結局、救出されることなく月日が流れ、子供までできちゃって・・・

変なエンディング

そりゃないだろう、と思うと同時に、まぁ、こういうのもアリかな、とも。

大作映画ではありえないような結末が見られるのも低予算映画の良いところ。と、私は本気でそう思ってます。

ロボット大襲来


『ロボット大襲来』(1954)の原題は“Target Earth”

この邦題と、街を破壊する巨大ロボットが描かれたポスター

実際の映像とのギャップが物凄いことになっております。こんなシーンどこにも出てこないんですけど・・・

ところで、この映画の邦題はほぼ直訳の『標的は地球』だったハズですが、いつから『ロボット大襲来』になったのか?

まぁ、どうでもいいことです

えーと、映画はノーラ・キングという女性がベッドで目覚めるシーンから始まります。
水道も電気も使えない事を不審におもったノーラが外に出てみると、そこは全くの無人。途方にくれるノーラの前にフランクと名乗る男(リチャード・デニング)が現れるが、彼も何が起こったのか全く事情が飲み込めていなかった。二人は情報を求め、市の中心部へと向かうのだが・・・

うーむ、この前半部分のサスペンスと緊張感は素晴らしい。

ミステリー仕立てのプロットと無人の大都市がかもし出す独特の恐怖感、これはもしかして傑作では・・・?

ちなみに無人の大都市は、早朝のロサンゼルスでロケされたそうです。交通規制など無く、人がいない隙を見計らっての撮影は低予算ならでは。


この作品はちょっと違うぞ、と思ったのもつかの間

軍隊が登場し、金星から送られてきたロボットによる地球侵略が始まったのだと真相が解ってからの後半部分は、あまりにも普通の低予算作品でした。

結局、寝ていたり酔っ払ったりしていて、避難命令に気づかなかった人が街に残されてしまったというだけの事で、残された数名のサバイバルを中心に物語は進行します。

この映画に登場する金星ロボットは、SF関連の書籍、特にロボットを扱った本にはよく載っていたので、見たことがある人は多いと思います。


ビルに映し出される巨大ロボットの影。
しかし、これだけ近くにいるのに物音一つせず。
恐怖に顔が引きつる男の目線の先には


等身大じゃあないですか。しかも極端なO脚。どうやったら、あんな影が出来るのか・・・演出があまりにもヒドすぎます。

雑誌のスチール写真ではそれなりに畏怖を感じさせたロボットではありますが、実際に動いている姿を見てみると、まぁ、ある意味期待通りといいますか・・・

カチャッカチャッという足音は玩具のようだし、ピストルで撃たれて、ピクッと反応するのがとってもキュート。とても冷酷な殺人ロボットとは思えません。

押し倒せば絶対に起き上がれないと思われるその動きはでは、観客の恐怖感を煽るのは不可能というもの。主人公たちを追って階段を登るその姿のドンくさい事・・・

低予算映画の悲哀をこれほど感じさせるロボットも珍しいのではないでしょうか。

で、最後にどうなったのかというと

弱点を発見した軍隊によってロボットが一掃されてしまう、というのがこの映画の結末。

ある特定の周波数の音波に弱い

でかいスピーカーを使用してのエイリアン撃退は、『マーズ・アタック!』(1996)のようなエンディング。


ハリーハウゼンの『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)や日本の東宝作品ででも見られるように、音波で撃退するというのは昔のSF映画では良くあるパターンでした。

ちなみに、この映画の予算は10万ドル。この当時でも相当安いですね?

でも、何処に10万ドル使ったのかさっぱり解らんのですけど・・・

宇宙征服


『宇宙征服』(1955)

製作ジョージ・パル、監督バイロン・ハスキン。あの名作『宇宙戦争』(1953)のコンビによる作品なのですが、娯楽性に富んだ前作から一転、人類初の有人火星探査を描いたハードSFとなっております。

同じパル作品の『月世界征服』(1950)に近い雰囲気。

ただ目的地が火星に変わっただけ、という気がしないでもないのですが・・・

火星に行って、しばらくの間調査をして、地球に帰還、と。荒唐無稽さも一切無ければお色気も無し。

ストーリーはシンプルそのものなので、順を追って思った事でも

( ̄△ ̄)y─┛


オープニングは宇宙ステーションと完成間近のロケットの映像

宇宙ステーションの回転が速すぎるのが気になりますが、いかにも空想科学映画といった雰囲気は二重マル◎

映画の前半、月探検の準備が進む宇宙ステーションでは、ストレスから精神を病んでしまうクルーを中心とした人間ドラマが描かれています。

宇宙という特殊な空間での男たちの葛藤と苦悩

この作品のテーマってもしかしてこれ?

そして目的地が火星に変更され、今度は火星探検の指揮官であるメリット大佐を中心に男たちの苦悩と葛藤が描かれ・・・

目的地の変更を告げるためにはるばる地球からやってきたフェントン教授を演じているのは『地球へ2千万マイル』(1957)のウィリアム・ホッパー。

目的地の変更に伴い、乗組員の希望者を募るくだりでは、私たち日本人にとって、とても奇妙で不可解なシーンを目にする事になります。

乗組員に志願したイモト(ベンソン・フォン)という日本人が、その理由と任務の重要性を語る場面。

大まかに次のような事を語っているのですが・・・

「日本は戦争をしました。天然の資源を持っていなかったがために強いられたのです。資源に乏しい日本では、人々は紙でできた家に住んでいます。スプーンやフォークを作るための金属が無いので、日本人は箸で物を食べます。我々が滅びないためには他の惑星へ行って資源を探さなければなりません。だから私は火星探検に志願致します!」

(゚Д゚;)

ま、いいか・・・

半世紀以上も前の映画だし

えーと、乗組員の一人にロス・マーティンいるのに注目!

テレビ・シリーズ『ワイルド・ワイルド・ウェスト』のゴードン役や『刑事コロンボ』の『二枚のドガの絵』の犯人役などで有名なロス・マーティンは、この作品が映画デビュー作。

さて、いよいよ火星に向けてロケットが出発

加速によって乗組員たちの顔がゆがむ描写は凄まじいの一言。


笑い殺す気か、と。

このシーンのために乗組員に女性がいないのか、女性がいないのでこのシーンが実現したのか・・・

無重力で浮き上がって頭をぶつける、密航者の発見、機体の故障、船外に出ての修理、乗組員の事故死(ロス・マーティンでした)と宇宙葬、隕石の飛来を間一髪かわすなど、この手の映画ではお約束のシーンが続き・・・

いよいよ火星に到着


フライング・ウイングのような形のロケットの胴体部分がせり上がって、帰還用のロケットが現れるシーン。

おぉー、これはカッコいい

火星のシーンのマット画は、パル作品ではお馴染みの天体画家、チェスリー・ボーンステルによるもの。

調査中には、水不足、メリット大佐の発狂、大地震などの問題が起こり、生き残りのために奮闘するクルーたちの姿が描かれます。

大地震により傾いてしまった宇宙船を、ロケットの噴射で地面を崩し、垂直になったところでエンジン全開。

なんとも乱暴な方法で危機を脱し、地球へと帰還するところで映画は終わります。

大掛かりなミニチュア・セットとマット画による特撮。やたらと合成の粗が目立つものの、1950年代にしてはシリアスすぎる内容は、ひょっとして『2001年宇宙の旅』のルーツはこんなところにあるのかも? と思わせてくれる良質の映画でした。

暗闇の悪魔・大頭人の襲来


『暗闇の悪魔・大頭人の襲来』(1957)

地球侵略のためアメリカの小さな田舎町に飛来しエイリアンが、地元の若者たちに退治されるまでを描いた作品。

「警察や大人になんか任せてられるか、俺たちで宇宙人を退治しようぜ!」

宇宙人vs若者、というストーリーは当時の流行で、以前に書いた『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)』(1958)などもこのパターンでした。

監督は『エイリアン』の元ネタとされる『恐怖の火星探険』(1958)のエドワード・L・カーン。製作は『金星人地球を征服』(1956)などのロジャー・コーマン作品を手がけたジェームズ・H・ニコルソン。そして映画会社はAIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)

というわけで

1950年代に乱造された、典型的なドライブイン・シアター向け格安モンスター・ムービーの一つなのですが・・・

低予算映画という枠の中だけで考えれば、なかなかの良作ではないかと。


絵本で始まり、絵本で終わるというのもなかなか洒落ています。エンディングでは、絵本をめくる手がエイリアンのモノに変わるという・・・

他の映画と決定的に違うのはコメディ・タッチで描かれているという事。

台本が良くなかったため途中からコメディに変更された、という理由からかちょっと中途半端な印象も受けますが、これは結果的に成功だったように思います。

・たったの数名による地球侵略(低予算映画にありがち)

・飛来した宇宙人の弱点は「光」(地球を侵略すること自体が無謀)

・円盤を降りてうろちょろしている所を車に轢かれ(不注意すぎ)

・近所の牛に襲われ(不運か?)

・溶接用のガス・バーナーで宇宙船を破壊され(こんな強度で宇宙空間を?)

・若者の自動車に囲まれ、ヘッドライトを浴びせられて全滅(もはやノーコメント)

と、あまりにも酷い設定・ストーリーなのですが

「間抜けな宇宙人の受難を描いたコメディ」として見るなら、まぁなんとか・・・

その間抜けな宇宙人と円盤のデザイン、造形を担当したのがポール・ブレイズデル。

円盤のデザインはどこかキャディラックなどのテールフィンを思わせます。ドライブインに集う若者を意識して、というのは私の考え過ぎでしょうか?

頭部が巨大なエイリアンは雑誌などでの露出が多く、映画の内容は知らなくても、このエイリアンは見たことあるという人も多いのでは。


ちなみに上記の『恐怖の火星探険』と『金星人地球を征服』のモンスターもブレイズデルの作品です。不細工で不気味、でもどこか滑稽で愛嬌があるのがブレイズデルのエイリアンの特徴。

エイリアンと牛の対決シーンは映画最大の見どころで、爪を指から伸ばし、臨戦態勢で牛と睨み合うシーンはかなりの迫力。

武器は持っていないのか? という疑問は置いておくとして・・・

この映画はポール・ブレイズデルの才能によって救われた映画かもしれません。

エイリアンのキャラが一人立ちしている印象もありますが、個人的には1950年代を代表する作品ではないかと思っています。

名作という意味ではなく、絵に描いたようなB級ムービーという意味で・・・


頭のデカイ宇宙人と円盤、車でキスをすることが大好きな若者たちによる宇宙人退治、他の映画では見たこともないサル顔の役者さんと印象に残らない主人公、そして69分という上映時間の短さ・・・

愛すべきB級映画とはこういうもの

しかし、単にB級と切り捨ててしまうにはちょっともったいないような・・・。SFファンであれば是非とも押さえておきたい作品の一つだと思います。

2300年未来への旅


『2300年未来への旅』(1976)

私はこの作品を結構気に入っていたのですが、ある本にはっきりと「失敗作」と書かれているのを目にして、「あれ? そうなのかなぁ・・・」と思ってネットで検索してみると

本当にあまり評判が良くないのですね(^^;)

ストーリーがお粗末だの、チャチな特撮だの散々な言われようで・・・

確かに見ていると突っ込みどころ、というか疑問点のようなものが次から次へと出てくるし、ドラマ部分がかなりお粗末なのも事実。まぁ、私自身もこれを名作とか傑作などという気は全くありませんが、この独特の世界観・・・

私は大好きな作品です。ここはなんとしても褒めたいところ。

この映画の舞台は2274年の近未来。
地上は荒廃し、人々はコロニーと呼ばれるドーム型の巨大都市に住んでいた。
コンピューターに管理されたその都市では、人口抑制のため、すべての者が30歳になると「再生(生まれ変わり)の儀式」という名目で抹殺されてしまう運命にあった。
ほとんどの住民は生まれ変わりを信じ、儀式を当然の事として受け入れていたが、その寿命に満足できない者の中には、ドームの外にあるという聖域(サンクチュアリー)への逃亡を試みる者もいた。
脱走者たちを取り締るサンドマンの一人であるローガン(マイケル・ヨーク)は、聖域の調査をコンピューターに命じられ、自らが脱走者となりドームからの脱出を試みる・・・

という話なのですが

まずは、この映画のスタッフとキャストをまとめて

監督は『80日間世界一周』でアカデミー賞にノミネートされたマイケル・アンダーソン、プロデューサーは『ミクロの決死圏』『電撃フリント・シリーズ』のソウル・デヴィッド、音楽は巨匠ジェリー・ゴールドスミス、特撮は超ベテランの実力者L・B・アボット。

これらの豪華スタッフに

主演マイケル・ヨーク、ヒロインにはジェニー・アガター、人気急上昇中のファラ・フォーセット、『ナイル殺人事件』(1978)以降は名探偵ポアロのイメージが強いピーター・ユスティノフなど、俳優陣も充実。

これほどのメンバーが揃っていながら、B級のオーラを出しまくっているという不思議な作品。

900万ドルという予算は、当時としは決してB級ではないと思うのですが。

うーむ

このチープさはただ事ではない・・・

まずはこの映画を見ての率直な感想から

色々な要素を詰め込みすぎて、編集で失敗。不自然なシーンが続出。

または

元々の脚本が悪く、意味不明なシーンが続出。その結果、突っ込みどころ満載の作品に。

そこでロボットが出てくるのに何の意味があるの? とか、喧嘩のシーンちょっと長すぎない? とか、プログラムに無い返答をされただけで自爆してしまう程度のコンピューターが管理していたの? とか、最後みんな何処から出てきたの? 皆さん笑顔なんですけど事態を飲み込めてるの? とか

何と言うか、その、次のシーンへの移行が不自然だったり、ある場面がしつこいほど長かったりと・・・

中でも最も気になったのが

ローガンは「あくまでもコンピューターの命令に従って脱走者になったのか」それとも「管理社会に疑問を持ち、自分の意思で脱走者になったのか」また、自分の意思だとすれば「どの時点で見切りをつけたのか」というのがハッキリとしないところ。

コンピューターに寿命を削られ、トチ狂って訳がわからないまま行動しているようにしか見えないのは、映画のヒーローとしてはちょっと見ていて辛かった・・・

・・・

全然褒めていないようですが、私はこの映画大好きです。

この映画の素晴らしいところとしては

まずは特撮を手がけたL・B・アボット

20世紀フォックスの特殊効果主任を務めたL・B・アボットは、パニック映画の巨匠と言われたアーウィン・アレンの特撮スペクタクルを支えた実力者。
主な特撮作品には『蝿男の恐怖』(1958)『地底探険』(1959)『地球の危機』(1961)『原子力潜水艦シービュー号』(1964〜1968)『ミクロの決死圏』(1966)『ドリトル先生不思議な旅』(1967)『猿の惑星』(1968)『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)『タワーリング・インフェルノ』(1974)などがあり、

このSFXマンを語ってしまうと、それだけで終わってしまいそうなのであえて省略。

この作品は、この年のアカデミー賞の撮影賞、美術監督・装置賞にノミネートされ、特撮を手がけたL・B・アボットは特別業績賞(視覚効果)を受賞しています。

ドームに囲まれた未来都市


ミニチュア丸出し、オモチャにしか見えませんね・・・

ドーム型の都市なんて、クラゲの死体かと思いましたよ(苦笑)

古いSF漫画やパルプ雑誌でよく目にするデザインなのですが、これが実写版となると意外と少ない。漫画チックなキラキラした未来都市を実写化するというのが、それだけ難しいという事なのでしょうか?

ショッピング・モールを改造したようにしか見えない内部など、あまりセンスがいいとは思えないんですけど・・・


よくこんなのでアカデミー賞取れたなぁ、と思って調べてみたら、この年のライバルはあのリメイク版『キングコング』だったのですね。この作品の公開が1年遅れていたら、アカデミー賞などとは全く縁が無かったでしょう。

なにしろ1977年といえば

『スター・ウォーズ』、『未知との遭遇』といったSF超大作が立て続けに公開された年ですから。

結局ここでも褒めてませんが、次

ジェリー・ゴールドスミスの音楽

さすがに映画音楽の巨匠が手がけただけの事はあります。

ドーム内で使用される未来的な電子音楽と、ドームの外でのオーケストラをハッキリと使い分けるなど心憎いばかり。

えー、この人を語ってしまうと、それだけで終わってしまいそうなので、やっぱり省略。

ヒロイン、ジェシカ役のジェニー・アガター

ずぶ濡れになったローガンとジェシカが服を脱いだ直後に、慌しく毛皮をまとう場面で見せた無意味なヌード。
なんでも、R指定を避けるためにヌードシーンの大部分がカットされてしまったのだとか。

えーと、不適切なシーンをカットしていない完全版のDVD希望。

SF映画の重要な要素のひとつであるロボットも登場


無意味な言動と行動、この作品のチープさに拍車をかけるためだけに出てきたような・・・

まぁ、色々と書いてしまいましたが、ドーム型の未来都市、透明チューブの中を走る車などは、ちょうど私の世代がSF少年だった頃に思い描いた未来都市そのままの映像。それを実写で見る事が出来ただけでも感動モノだったわけです、私にとっては・・・


・・・(;´Д`)

宇宙原水爆戦・人工衛星X号


『宇宙原水爆戦・人工衛星X号』(1956)はスイス/イギリスの合作映画。

あまりにも強力すぎて地上での実験が出来ない新型のトリトニウム爆弾。
それを宇宙空間で爆発させるという任務のもと、四人の乗組員たちが実験ロケット「スターダスト号」で宇宙空間へと飛び立つ。
爆弾をロケットから切り離し、実験は成功するかと思われたが、スターダスト号と原爆の質量が相互に作用し、原爆は機に張り付いてしまう。
一定時間後、爆発するようにセットされた原爆が爆発すれば、全員の命はない。乗組員たちはこの危機をどう回避するのか・・・

というわけで

宇人類初の有人宇宙飛行と宙空間での核実験をテーマにした作品で、至って真面目に作られた映画ですね、これ。

邦題からは、全く別の内容を想像してしまいますけど・・・

えーと、世界初のカラーSF映画といえば、1950年にジョージ・パルが製作した『月世界征服』ですが、もしかしたら、英国ではこの映画が初のカラーSF映画かもしれません。

ちゃんと調べたわけではないので、はっきりとは分かりませんけど。


優雅に大空を舞う爆撃機の映像(これは美しい!)で映画は始まり、爆撃機が降り立った基地でのとっても長い記者会見のシーンの後、それぞれのパイロットの人間ドラマが延々と続き・・・

宇宙に出発する頃には映画の半分が過ぎていました。

宇宙空間でのトラブル発生後は、スターダスト号内部で極限状態に置かれた人たちのドラマが始まり、と

ドラマがあまり好きではない私にとってはちょっとシンドイ場面も多かったのですが、1950年代の作品にしては良く出来ているなぁ、といった印象でした。

映画007シリーズのマネーペニー役で有名なロイス・マクスウェルがこの映画のヒロイン。


特ダネをつかむため機内に忍び込み、一緒に宇宙空間へ旅することになった記者を演じています。
こんな大事な実験機に簡単に忍び込まれてしまう警備の甘さに唖然・・・

それより気になったのが

この時まだ20代って老けすぎじゃないか? という事。綺麗な人ですけどね。

この映画の特撮を手がけたのはウォーリー・ヴィーヴァーズ。

『2001年宇宙の旅』(1968)の特殊効果マン(special photographic effects supervisor)として、ダグラス・トランブルとともにクレジットされている、あのウォーリー・ヴィーヴァーズです!

スターダスト号は格好良かった。


発射台はサンダーバード2号、飛び立つシーンは『地球最後の日』(1951)に酷似してます。

当時のアメリカ産SFとはまったく違う雰囲気が楽しめるのがこの作品。能天気なところが全く無い、かなりシリアスな作品でした。

ただ、

限られた時間内でどうやって危機を回避するのか、といったサスペンスよりも、明らかに人間ドラマを中心に描いたこの内容では、SFファンの関心を引くのはちょっと難しいのでは? とも感じましたけど。何故『宇宙原水爆戦』などという邦題になったのか、なんとなく分かるような気がします。

最後に

乗組員たちが爆発の危機をどうやって回避したのか、というと

全員が死を覚悟した船内。
お約束どおり恋に落ちた主人公とヒロインが熱いキスを交わしている間に、この事態を招いた事に責任を感じた科学者二人が船外に飛び出し、宇宙服のロケットを点火。なんと爆弾を抱えて機から離れるという荒業を敢行します。それを見た主人公、「二人の犠牲を無駄にするな」とばかりに、なんのためらいも無くエンジン点火。爆弾を宇宙空間に残し、一路地球へ。やがて宇宙空間で大爆発が起こり、エンド・マークとなるわけですが・・・

なんだか、素直に喜べないような微妙なエンディングでした。

ラオ博士の7つの顔


この汚い画像は、私の所有する『ラオ博士の7つの顔』(1964)のビデオ・パッケージです。

水道設備の老朽化のため、財政危機に陥ったアメリカのとある小さな町が舞台。
近いうちに町に鉄道が通るため、土地価格が高騰するという情報を得ていた不動産業者のスタークは、「町を救うために自分が丸ごと土地を買い上げる」という話を住民たちに持ちかける。何も知らない町の人々はこの申し出を巡り、賛成派と反対派に別れ議論を繰り返していた。そんなある日、ラオ博士と名乗る老人が現れ、サーカスを開催。

娯楽の少ない町にサーカスがやってきた!

住人たちは挙ってサーカスのテントに詰め掛けるが、その出し物は一風変わったものばかりで・・・

原作はチャールズ・G・フィニーの小説『ラーオ博士のサーカス』で、ジョージ・パルの監督としては最後の作品となります。これも昔はテレビで何度か放送されたものの、現時点ではDVD化されていないようです。
この作品の時代設定は、車のデザインやその他の小道具から判断すると、20世紀初頭あたりでしょうか。衣装も含め西部劇の匂いがプンプンと・・・

西部劇と東洋の神秘が融合したファンタジックな世界。それにサーカスの持つ特異な雰囲気が加わり、モンスターが現れ、と
荒唐無稽なようで、しっかりとしたストーリーがあり、「いい話だなぁ」と感動できるのがこの映画。

私はこの映画の持つ不思議な魅力の虜になってしまい、何度繰り返し見た事か・・・


というわけで、この作品の見どころですが

まずは、主演のトニー・ランドールが、サーカス一座の団員の全てを一人で演じている事。
これは後になって知った事で、テレビで見ていた当時は全く気がつきませんでした。上のビデオのパッケージは全員トニー・ランドール。

1.ラオ博士、いい味だしてます! ピーター・セラーズとイメージがオーバーラップするんですけど・・・

2.ギリシャ神話に登場する牧人と家畜の神パーン

3.同じくギリシャ神話からゴーゴン

4.呪いのせいで嘘が言えない占い師
結婚を夢見る中年の女性と、情け容赦なく残酷な未来を語る占い師とのやり取りは最高。

5.おいぼれた魔法使いマーリン

6.雪男?

7.ガラガラ蛇
これは、人形アニメでした。観客席に座る素顔のトニー・ランドールを入れて七人としておきましょう。

というわけで

現在の健全なサーカスと違って、いかにも見世物小屋、サーカスの持つ非日常的な雰囲気を上手く生かしたこれらのシーンは必見。
登場するキャラクターに無駄が無く、それぞれが重要な役割を演じているのには関心してしまいました。

このあたりの見事さは、脚本を担当したチャールズ・ボーモントの力によるところが大きいのかもしれません。
『ヒッチコック劇場』や『トワイライトゾーン』でも腕を振るった短編作家の力量がこの作品を魅力的なものにしている、と考えられます。

続いてこの映画のヒロイン、バーバラ・イーデン


SF・ファンタジー関連では『地球の危機』(1964)、『不思議な世界の物語』(1962)、『気球船探険』(1962)などに出演していますが、どれも印象が薄くて・・・
『かわいい魔女ジニー』(写真右)で知っている人が多いかも。
バーバラ・イーデン演じるお堅い女教師アンジェラがパーンに誘惑され、セクシーな女性に変化するくだりは、ジョージ・パル作品らしくないお色気シーン。

これって誰か他の人が演出したんじゃないの?

しかもこのシーンの後、あらゆる場面でアンジェラが欲求不満の未亡人のような描かれ方してるし・・・

ネッシーのようなモンスター


映画のクライマックスに登場し、嵐の中で暴れまくるネッシー。
頭部から7つの顔が生えてくる場面を覚えている人も多いのではないでしょうか。ストップモーション・ファンには感涙もの。
この映画で最も印象的だったこれらの特撮、アニメーションを手がけたのは、ジム・ダンフォース。
この作品はアカデミー特殊効果賞にノミネートされ、ダンフォースの名声は不動のものとなりました。

ちなみに、この年の受賞は『メリー・ポピンズ』

この『メリー・ポピンズ』、実は・・・

今までに見た映画の中で、最も見た回数が多いのがこの作品なのです。

まぁ、どーでもいい事ですけど

やたらと会話のシーンが多いものこの映画の特徴の一つ。

ラオ博士とエド、魔法使いと少年、がらがら蛇とスターク、スタークと占い師、どのシーンでもウィットに富んだ会話が楽しめます。
意味深、意味不明、奥が深い、理屈っぽい、説教くさくてヤダ、とまぁ、人によって感じ方はさまざまでしょうが、個人的には、ラオ博士が言葉巧みに相手をけむに巻く話術は最高だなぁ、と。

サーカスに憧れ、一緒に働きたいという少年に

「見方次第では、世の中全てがサーカスなのだよ。草や木が育ち、鳥が歌い、月の光が砂漠を照らすのも、誰もが楽しめるサーカスなんだ。手に砂を握った時、その手の中には自然の神秘と驚異がある。生きている事の素晴らしさを知る時、いつでも君はドクター・ラオのサーカスの一員になれるんだ。」

と諭すくだりは、心温まる名場面。

この町はもう終わりだ・・・。そんな寂れた町に現れた一人の老人が、住民たちに少しばかりの幸せを与えて去っていく・・・

いい映画です

思わず「ラオ、カムバァァーック」といいたくなるラスト・シーン


マーシャン・クロニクル/火星年代記


先日、ネットでこんなニュースを発見しました。

1950年に発表されたレイ・ブラッドベリの傑作SF小説「火星年代記」が、米20世紀フォックス製作で映画化される可能性が出てきた。
米ロサンゼルス・タイムズ紙によれば、「プレデター」シリーズや「アイ, ロボット」などSF映画を多く手がけてきた同社のプロデューサー、ジョン・デイビスがこのほど、「火星年代記」の映画化権を獲得したという。
同作は、火星に移住した人類を描いた連作短編集。80年に一度、マイケル・アンダーソン監督、ロック・ハドソン主演でTVミニシリーズとして映像化、日本でもDVDリリースされているが、これまで劇場映画化されたことはない。

と、ゆーわけで

今回はその1980年の『マーシャン・クロニクル/火星年代記』

えー、最初に原作についてですが

私はレイ・ブラッドベリの大ファン。

そして

全てのSF小説で一番好きな作品は? と聞かれたら迷わずこの『火星年代記』を選びます!

1950年に出版された原作は、26のエピソードが連なって一つの長編となっている、いわゆる連作短編集というやつ。

初めて火星に到着した地球人が消息を絶つという事件に始まり

伝染病による火星人の滅亡、地球人の移住、火星人の生き残りとの接触などが描かれ、地球に核戦争の危機が迫ると、植民者たちは地球へ呼び戻され、火星を放棄します。理由あって火星に残された少数の人々は、夜空に閃光を放ちながら燃えさかる地球の姿を目撃。核戦争により地球の文明は滅びてしまいます。

それから20年の時が過ぎ、生き残ったある一家族が再び火星への移住を計画。そして、自らが新たな火星人となる・・・というエンディングまで、それぞれ主人公が違う独立した物語として描かれています。

各話には1999年1月から2026年10月までの年月が付記されているので、時の流れが非常に把握しやすく、読みやすいのが特徴といえます。

この作品では、SFでは今や古典的とも言えるアイデアが数多く用いられています。

宇宙船、予知夢、テレパシー、記憶・潜在意識の実体化、時間の歪みによる異次元との交錯、肉体を超越した意識だけの生命体、ロボット、地球最終戦争、伝染病による種の滅亡、科学の暴走、地球最後の男、などなど・・・

すごいなぁ

もうこれだけでもお腹いっぱい、といったところですが

これらのアイデアといかにもSF的な小道具類がブラッドベリの手にかかると・・・

ブラッドベリといえば、その詩的で幻想的な作風から「SF界の吟遊詩人」などと呼ばれていますが、この作品も本当に読んでいてため息が出るほど美しい。その独特のテイストに酔いっぱなし・・・。うーむ、原文で読めるほど英語が堪能でないのが本当に残念です。

まぁ、私がいくら文章で書いたところでその魅力は伝わらないので、万が一にもSFファンでこの作品を読んでいない方がいたら一読をお勧めいたします。エンディングも感動的だし、はっきりいって完璧な作品でしょう、これは。

ちなみに、別の短編集に収録されている作品で、この『火星年代記』のエピソードともいえる作品がいくつかあります。
『火の玉』、『荒野』などの短編がそれで、全エピソードが26だったり、27だったりと発売された年代、出版社などにより異なる場合があります。

原作の話が長くなってしまいました。

それでは、映画の方はどうなのか、というと

三部構成で約300分。いくつかのエピソードが省かれているものの、かなり原作に忠実に作られています。


おそらく、原作のファンでこの作品に満足した人はあまりいないのではないでしょうか。

うーん、でもこれは仕方がない。個人的には、TVムービーとしては上出来かな? といったところ。原作への思い入れが強すぎて客観的な評価は不可能だと思われ・・・

ただ、原作を意識してとても丁寧に作られているところは好感が持てたし、満足できなくても失望するほど酷い出来ではないと思います。

原作にはないプロローグが付け加えられ、ロック・ハドソン扮するワイルダー大佐のナレーションで物語は進行します。
このワイルダー大佐が全編を通しての主人公に設定されているため、原作では27年間の物語が、映画では数年の話になっており、多少スケールダウンしている感は否めません。

原作と比較しながら見るのも面白かったし、原作ではそれほどはっきりと描写されていたわけではない火星人の服装や住居、都市などのデザイン、セットも神秘的でよかったです。やけに上品というか・・・

この映画の監督は『80日間世界一周』(1956)のマイケル・アンダーソン。一応巨匠と呼んでもいい監督さんなんですかね? SF関連では『ドクサベージの大冒険』(1975)や『2300年未来への旅』(1976)といったビミョーな作品を監督しています。
大どんでん返しのミステリー『生きていた男』(1958)もこの監督でした。これは・・・、ここで語る事ではないので省略。

主演のロック・ハドソンは好演ですね、さすが! コーネリアス(ロディ・マクドウォール)や『スペース1999』のバリー・モースなどSFファンにはなじみの俳優さんが出演しているのも見逃せません。

映像化されなかった「第二のアッシャー邸」というロボットが登場するエピソードがあるのですが

この手の話を見聞きしていつも思うのは、人間と区別がつかないほど精巧なロボットを作るのって相当難しい事ではないのか、という事。

どれほど科学技術が進んでも、ブラックホールの謎が解明されワープ航法が可能なほどの未来でも、たとえ、物質転送装置や重力遮断装置が発明されようが、現在のSFがほとんど現実になったとしても・・・

本人と区別がつかないロボットとタイムマシンを製造するのだけは絶対に無理

そんな気がするのですが・・・、どうなんでしょう?


長くなりましたが、最後に原作者のレイ・ブラッドベリはこの作品をどう思っていたのか、というと

1979年9月に放送予定だった『火星年代記』は記者会見での原作者による不評を考慮し一旦棚上げ。1980年1月まで放映が延期された、というエピソードが残っています。

これはブラッドベリが記者会見で「これは、ヒドイものだ。極めて退屈だ。」といった趣の発言をしたのが原因だとか。

よほどガッカリしたのですね・・・

ほかのインタビューでは、特撮の出来について「あまりにもみすぼらしかった。ロケット、砂船は哀れなくらい小さなオモチャに見えた」と語っています。

たしかに(^^;)

しかしブラッドベリは、この棚上げとなった期間を「やり直すチャンスだ」と前向きに捉え、自ら編集作業に加わります。

そしてようやく放送日を迎えた『火星年代記』を友人たちと自宅で見たブラッドベリは

「夜が更けるにつれ、私たちはあまりにも深く失望したので、ビールを数ガロンも飲んだ・・・」

との事 ( ̄_ ̄|||)

本を読んだ誰もが感じているかも知れませんが、これは活字で読んでこその作品、ブラッドベリのテイストを味わう作品であって、それを映像で表現するのは相当困難だと思うのですが? 映画でこの原作のファンを納得させるのはほとんど不可能だと思いますけど。ましてや原作者ともなれば・・・

でも本と映画はまったく別モノ。映画もそれほど悪くなかったですよ。逆に原作を知らない方がそれなりに楽しめるのかなぁ・・・?

この映画にはそれほど思い入れがないので、リメイクに期待!

宇宙の怪人


『宇宙の怪人』(1959)

原題は“FIRST MAN INTO SPACE”

映画はY-12と呼ばれる実験ロケットの打ち上げシーンで始まります。
テストパイロットのダン・プレスコットは「宇宙へ行った最初の人間」の称号を得るために命令を無視して予定高度を超えて宇宙空間へと飛び出す。
謎の物体と遭遇したロケットはコントロールを失い地上へと墜落。
ダンの兄で実験の責任者でもあるチャックは墜落した実験機を発見するが、ダンの死体は見つからなかった。
やがて墜落現場近くの農場で牛が殺されるという事件が発生。続いて血液銀行が襲われ、犠牲者となった看護婦の傷口から牛についていた物と同じ物質が発見される・・・

宇宙へ行ったパイロットがモンスターになって戻ってくる、というのはSF作品ではお約束のストーリーで、ハマー・プロの『原子人間』(1955)や『ウルトラマン』のジャミラなどと同じパターンですね。

えーと、ジャミラで思い出したのですが

先日、十数年ぶりにウルトラマンとウルトラセブン、ジャイアント・ロボなど、子供の頃に見ていた特撮作品をレンタルで鑑賞しました。旧作100円とかだったので。

特撮が大好きな私。懐かしい作品を楽しく鑑賞できるかなぁ、と思っていたら

さすがにもう駄目でした・・・

こんなに幼稚だったのか、と唖然。

どんなにサイテーなSF作品であっても、最初から子供をターゲットに作られたヒーロー物とは違うんだなぁ、というのを実感した次第であります。今度の休日は『ウルトラQ』でもレンタルしてみましょう。

さて、

宇宙開発の犠牲者となりモンスターと化してしまった主人公の悲劇を描いた作品は数多くありますが、

この作品が他と決定的に違うのは、ダンは宇宙開発の犠牲者であるものの、この悲劇は自らの名誉欲が招いたものであるという事。

他の作品の同情すべき犠牲者と違い、勇気があるもののやたらと軽薄さが目立つ性格のダン。パイロットとしての腕はいいものの、少々性格に難あり。映画の中では、はねっかえりのような描かれ方をしています。


その蛮勇ゆえに怪物となったダンと、一連の事件がダンの仕業である事を確信した弟思いの兄の葛藤を描いたドラマ部分は見ごたえあり。

この映画は一味違う・・・

かなりマイナーな作品ですが、これは結構面白かったです。

監督のロバート・デイは『ターザン大いに怒る』(1960)などのターザン・シリーズで有名ですが、『絞殺魔甦る』(1958)、『悪魔の白衣』(1958)、ハマー・プロの『炎の女』(1965)などのホラー、サスペンス、SF作品も手がけています。

見せ場の一つであるモンスターを造型したマイケル・モリスは、後にハマー・プロ作品や『エレファント・マン』(1980)などに参加するメイクアップ・アーチスト。


この造型、怖すぎ・・・
パイロットが着ている宇宙服?ごとモンスター化してしまい、片方の目と口元(歯)だけにかろうじて人間の面影を留めているという・・・。で、また監督の演出が上手いのですよ。これ見たら夜中にトイレに行けなくなりますよ、ホント。

体に取り付いた物質のため、地上ではまともに呼吸する事が出来ず、血液を求めてさまよう吸血鬼のような怪物となっていたが、わずかに人間だった頃の知性が残っているダン。
科学者たちによって高圧チャンバーへと誘導されたダンは記憶を取り戻し、なんとか会話が出来るようになると、自身の身の上に起こった事を兄に語り始めます。

モンスター化した人間が最後に正気を取り戻す、というのも珍しいですね。

そして、見守る恋人に最後の一言

“I am sorry, I just had to be the first man into space”

と言い残し、床に崩れ落ちて息絶えるのでした。


このラスト・シーンが悲しくて、不覚にも涙が出そうになりましたよ。

まさかこんなB級SFで泣かされるとは・・・

玉石混交の50年代SF映画。これほどシリアスな作品も中にはあるのです。意外な掘り出し物でした。

金星人地球を征服


ただでさえ更新の遅い私のブログ。仕事が激務のため二週間ぶりとなりました。

先週、時々お世話になっているヤフーのオークションストアから一通のメールが来ました。

その内容とは

○○さん。“金星ガニ”でお馴染みの「金星人地球を征服」のDVDを出品いたしました。

ですと(^^;)

ついにDVD化されましたか・・・、ビデオがあったので買わなかったけど。

というわけで、今回はその『金星人地球を征服』(1956)

この作品の製作と監督のロジャー・コーマンについてはもはや説明不要。B級SFファンで知らない人はいないほど有名な監督さんなのですが、私のブログでロジャー・コーマン作品を取り上げるのは今回が初めて。

その理由は、単純にこの監督さんの作品をあまり面白いと思った事が無かったから・・・いや、面白い作品はありました。ただ、どういうわけだかこの人の作品が性に合わず、愛着もわかないのです。

ロジャー・コーマン作品のテイスト、味わいがまったく理解できない私・・・

自分自身、あまりにも不思議だったのでその理由を考えてみたところ

これ、あくまでも個人的な感想なのですが、ロジャー・コーマン監督の作品が「手抜き」に見えてしまうのがその理由ではないかと。

時間も予算も無い中、一生懸命作った結果トホホな出来栄えとなってしまった作品と、最初からお金をかけるつもりのない作品の違いというか・・・

実際、ロジャー・コーマン監督ってそれなりの予算がある場合には手堅く作る印象があるし、SF以外の作品では結構面白いなぁ、と思う作品があります。
SF作品に関して言えば、特にSFに思い入れなど無く、簡単に商売になるから撮っているという印象。
間違った認識かもしれませんけど、少なくとも私自身はそう感じてしまっている、という事です。

前置きが長くなってしまいました

で、この『金星人地球を征服』なのですが

内容は・・・邦題通りの侵略物。ストーリーなどどうでもいいです。

若き日のリー・ヴァン・クリーフや『スパイ大作戦』のピーター・グレイヴスなどが見られるのは楽しい。


侵略方法は、コウモリのようなものを使用して人間の意志と人格をコントロールしてしまうという、いわゆる「ボディ・スナッチャー物」なのですが、肝心のサスペンスは全く盛り上がらず。

有名な「金星ガニ」をデザインしたのはポール・ブレイズデル。この人については長くなりそうなので、機会があったら改めて書こうかなぁ、と。

ちなみに、日本では金星ガニと呼ばれているこのモンスター。設定上はカニではなく、高い知性を持つ金星の真菌(カビとかキノコの事)だそうです。

しかし・・・

本当にお馬鹿な映画ですね、これ。爆笑と失笑が交互にやってくる感じ。

洞窟を拠点として、たった一匹で地球侵略を目論む金星人。唯一の武器が両手の大きなハサミとは、どう見ても知性的には見えない。

この金星ガニがコウモリのような怪物を操って人間を襲うのですが、そのコウモリって金星ガニのスカート、というか股の部分から飛び立つのですが・・・

最初に見たとき金星ガニがウンコしてるのかと思いましたよ。

ライフル銃が効果なしと見るや、ほとんど動かない相手に肉弾戦を挑んで殺される軍人。

ピーター・グレイヴスは金星人に洗脳された科学者達をなんの躊躇いもなく射殺。

とにかく、あらゆるシーンで「もっと他に方法があるだろう」と思える所がこの映画の特徴、と言ってもいいほど。

映画のクライマックスは、リー・ヴァン・クリーフと金星ガニの一騎打ち!


この緊張感の無さ・・・

そして相打ちで両者とも死亡。バズーカ砲も効かない金星ガニが小さいガスバーナーであっさりとやられてしまうのには唖然。

エンディングで人間の尊さのような事を大真面目にスピーチする中、でっかいハリボテと添い寝する名優リー・ヴァン・クリーフ。ほとんどコントにしか見えないのが悲しすぎる・・・


4Dマン/THE 4D MAN


『4Dマン』(1956)のテレビ放送時のタイトルは『SF4次元のドラキュラ』だそうですが、テレビ放送を見逃していたので記憶に無し。

で、レンタルビデオで鑑賞したのですが、その時のタイトルは『4Dマンの恐怖・怪談壁抜け男』

ひどいなぁ、これ(笑)

「壁抜けが出来たからって何なのよ! 何もいいことありましぇ〜ん」というコピーと脱力系のイラストが忘れられません。洋画なのに怪談って・・・

そういえば一時、こういうイラストのパッケージって流行ったような?

えーと、そんな事よりもストーリーですが

「どんな物質をも貫通させる」という技術の研究に没頭するトニー。
ある時、自分のミスで建物を出火させてしまい、研究所を失ったトニーは、兄のスコット(同じく科学者)を頼り研究施設を訪れる。
そこで自分の研究を再会したトニーは、あろう事か兄の婚約者リンダ(リー・メリウェザー)に一目惚れ、恋仲になってしまう。
恋人を取られたスコットは自暴自棄となり、弟の実験装置を持ち出し勝手に作動させ、その時偶然物質を通り抜ける能力を身に付ける。
その能力を使い気ままな行動をとるスコット。
だがその能力を使には、膨大なエネルギーを消費し、自らの老化を招くという副作用があった。
他人に触れその生気を吸い取る事によって、自分は生き延びる事ができるという事に気付いたスコットは、4次元の怪人「4Dマン」となり、次々と人間を襲い始める・・・

たしかに「ドラキュラ」であり「壁抜け男」でもあります。

トンデモな科学が当たり前のように映画化されていた1950年代ならではの作品。リアリティも何もないのに何故か惹かれてしまうのが不思議です。

この作品の製作ジャック・H・ハリス、監督アーヴィン・ショーテス・イヤワース・Jrといえば『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)』(1958)のコンビですね。

音楽やBGMがSFっぽくない所とか、作品全体の雰囲気、クライマックスの盛り上げ方とかも良く似ているし、「THE END」が「?」で終わるところも同じ。さらには突っ込みどころが満載な所まで・・・

まぁ、とにかくこの人が作るB級作品には、何故か不思議な味わいがあります。


あとは、思った事

けっこう真面目に作られているなぁ、というのが第一印象。

映画の前半は、スコットとトニー、恋人のリンダの三角関係に終始。これはかったるかったなぁ、こういうのはちょっと・・・

あからさまに恋人の前で別の男とイチャイチャするリンダ。兄が怪物になってしまうための伏線とはいえ、不愉快な描写が続きます。そのため物語が進まず、兄が特殊能力を身に付けた時点で映画の半分が過ぎてました。

発明した本人ではなく兄が怪人になってしまうというのはちょっと意外。

恋人に裏切られた挙句、怪人となってしまったスコットの悲壮感や、弾丸までがすり抜けてしまうため無敵となった「4Dマン」がどのように最後を迎えるのか、といったあたりをもうちょっと丁寧に描ければ名作になったような気がします。

誰もが「自分にこんな能力があったらどうするか?」って考えるところは「透明人間」のアイデアに通じるものがあるし・・・


これ見た時、東宝の『電送人間』とか『ガス人間第一号』を思い出しましたよ。

あまり怖くないなぁ、地面を貫通してマグマに溶かされて終わりかな? などと馬鹿な事を考えながら鑑賞しつつ・・・

それほど悪くないな、と。なかなか面白かったです。

最後に

この映画で最も印象に残ったのが、元のフィアンセに無理矢理キスをするシーン。

その直後二人の唇の間に閃光のようなものが・・・

おぉ、これはまさにスペース・バンパイアのような! 生気を吸い取るシーンの特撮、ではなくて、ただのヨダレですかね、これ?


キャット・ウーマンの嫌がる顔は何を意味するのか・・・

ゴッグ


1954年に製作された『ゴッグ』は、世界で初めて本格的にコンピューターの恐怖、反乱を描いた作品であると言われています。

舞台はミューメキシコの砂漠の地下に建造された広大な研究所。

宇宙ステーション建設のための研究が行われているこの施設の全ての装備は、ノヴァック(NOVAC)と呼ばれるコンピューターによって制御されていた。そのノヴァックの手足となって働くのが、ゴッグとマゴッグと呼ばれる二台のロボット。施設内で次々と起こる原因不明の死亡事故。その謎を解明するために二人のエージェントが送り込まれる。

コンピューターの反乱、と言えば誰もが「自我を持ち始めた機械」を連想するでしょうが、この作品は、敵国がコンピュータを乗っ取って研究所の科学者を殺そうとする、といった内容であり、機械が自分の意思で何かの目的を持って殺人を犯すといったものではありません。

とはいっても

この時代に「コンピュータ社会に対する不安」を描いているとは、やはり画期的な作品である事に違いありません。

この映画は1950年代に量産されたティーン・エイジャー向けの作品ではなく、明らかに大人をターゲットにした作品だと思われます。
製作のアイバン・トアースは科学的描写の正確さを売りにしており、この作品もしっかりと科学的考証がされていいるようです。
実際、SF映画にありがちな奇をてらったデザインなどほとんど無く、フィクション部分よりも当時考えられていた最先端の科学がはるかに多く画面に登場します。


で、作品としてはどうなのか、というと

とにかく真面目に作られた映画だなぁ、という印象なのですが、いくら科学的描写が正確とはいっても、半世紀以上も前の作品。今見ると・・・どうでしょう?

そして25万ドルという低予算。推して知るべし、といったところでしょうか。

致命的なのは、こういったテーマの作品では最も重要な要素の一つであるサスペンスが全く盛り上がらないところ。

これは予算とは無関係。

映画の前半、エージェントが研究所で科学者の説明を聞くシーンにやたらと時間を費やしているのはどうした事か? SF映画というよりも科学技術館に訪問した客が講義を聞いているような雰囲気で、これが映画の半分以上を占めています。ストーリーが全く進まず、映画も残り15分となった頃にようやく二台のロボットの反乱に気付くという・・・

台本が悪いのか、監督さんの演出が悪いのか? おそらく両方。画期的なテーマの作品なのにその恐怖が上手く描かれてなく、はっきり言って凡作。まぁ、客観的に見て駄作というほど酷くはなく、好みの分かれそうな作品です。

私は、どちらかと言えば好きなので、あとは個人的に印象に残った事でも

まずは、オープニングとエンディングに使用されたレトロなイラスト。


これはいい雰囲気です。

次はこの映画のヒロイン。


実験室で科学者の助手を務めている女性がヒロインかと思ったらあっという間に殺されて、あれ? と思っていたら次のシーンで登場するキツイ顔をした女性エージェントがこの映画のヒロインでした。

助手のお姉さん(写真左)の方がよっぽど魅力的だと思うのは、好みの問題なのでしょうか?

「新しいアルミニウム合金」でできているという反重力ベストのテストシーン。


あはは、これは間抜けなシーンです。反重力というよりも、軽業師のアクロバットにしか見えないんですけど。しかも笑顔でポーズ決めてるし。
女性が男性を持ち上げるシーンでは、男性の上半身が映らず。明らかに鉄棒にでもぶら下がっているというコントのようなシーンには笑ってしまいました。
この当時でもワイヤーの技術はあったはずなのに何故こんな事を・・・?

最後はこの映画の主役とも言える、ゴッグとマゴッグと呼ばれる二台のロボット。


キャタピラにマジック・ハンドのようなものが付いたそのデザインは個性的でいいですね。

ただ、

静止画では分かりませんが、実際に動いているのを見るとこれが陳腐というか・・・

あらゆる部品がふらふらと動くその姿はまるで重量感が無く、とても金属製とは思えません。ほとんどプラモデルみたいでした。
ポスターにも描かれているように、クライマックスではこの二台のロボットと死闘を繰り広げるわけなのですが、机の上に逃げれば大丈夫じゃないの? って思えるくらいの迫力の無さ・・・これも低予算ゆえ?

オマケに敵国スパイの飛行機。


最後に撃墜されて終わるこの飛行機。これって流線型の宇宙船では?

今回は写真が多かった

結局こういうの嫌いじゃないという事ですかね・・・

謎の空飛ぶ円盤


『謎の空飛ぶ円盤』(1950)は、マイケル・コンラッドが監督、製作、脚本、主演の全てを一人でこなした作品。

と聞けば、これはもう絵に描いたようなB級映画であるという事が分かるわけですが・・・

注目すべきは、この作品が製作された年。

1950年といえば「空飛ぶ円盤(UFO)」という概念ができたケネス・アーノルド事件からわずか三年後。

それでは「空飛ぶ円盤」が初めて映画に登場したのは? と考えてみたところ・・・

テレビ・シリーズでは『Bruce Gentry』(1949)という「空飛ぶ円盤」が登場する連続活劇が存在したようですが、映画としてはこの『謎の空飛ぶ円盤』が最初ではないかと。

たぶん

しかもこの作品が作られたのは、まだSFブームが本格化する前の事です。UFOという題材を扱った最初の主要作品であり、SF映画史にその名を残していても不思議ではない映画のはずですが、その類の本やビデオでこの作品を目にする事はほとんどありません。

それは何故か?

実際に映画を見てみると、その理由が分かるような気が・・・

アメリカ合衆国の全域で目撃される空飛ぶ円盤。ワシントンD.C.に呼び出されたマイク・トレント(マイケルコンラッド)はその謎を解明するため、女性エージェントのヴィー・ラングリーと共にアラスカへと向かう・・・

といった内容なのですが

オチを最初に言ってしまうと、これは他の惑星から飛来した円盤ではなく、ソ連が極秘に開発していたもの。


つまりこの映画は、侵略物でもなければ宇宙SFでもなく、どちらかといえばスパイ物に近い作品なのです。

ある意味これは興味深い、というか非常に珍しい映画ですね。

たしかにUFOが目撃され始めた当時は、宇宙人の乗り物という考え方とは別に、どこかの国の秘密兵器なのでは、という説も多かったようですが、実際にこういう設定の映画が存在していたのは驚きです。

それでも内容がよければ、まだ救われたのでしょうが・・・

見せ場であるはずの円盤の登場シーンがトータルでも数十秒程度だったり、格闘シーンがわざわざ相手のパンチを待っているのか、というほどわざとらしかったり、もう書くのが面倒くさいほど全てが酷い。

これでは、映画史に名を残すどころではありません。

ただ、当時の目撃例を忠実に再現したと思われる円盤の飛行シーンは結構迫力がありました。

えーと、

この作品、全く楽しめなかったのか、というとそんな事はありませんでした。

最大の見どころは、この映画全編で見られるアラスカの風景。

このアラスカのシーン、主人公がちゃんと映っているので流用フィルムばかりではなく、実際のロケしたものが多く使用されているようです。

ほとんど映画の半分くらいを占めるのでは、と思われるほど多く挿入されている風景のショットは素晴らしく、まるでドキュメンタリー映画を見ているようでした。実際、アラスカの風景を見せたいだけじゃないの?って思わせるほど不自然なくらい多いのです。

ただ、そのせいで物語が全く進行しないんですけど・・・。この監督一体何がしたいのかさっぱりわからん。

空飛ぶ円盤が描かれたポスターと、原題の“THE FLYING SAUCER”から想像されるような内容を期待していると落胆する事間違いなしですが、

アラスカの風景を撮ったドキュメンタリー映画として鑑賞するとなかなか面白いという、なんとも不思議な作品でした。

SF映画だという事を忘れていまうほど美しいアラスカの風景ショット!


火星着陸第1号


古いSF映画のファンにはたまらないデザインのポスターは『火星着陸第1号』(1964)

えーと、SF作品にも細かく別けると色々なジャンルがあるわけで・・・

地球侵略、モンスター、タイム・トラベル、近未来などなど。中でも私が好きなのは、宇宙SFというやつ。別の惑星を舞台にした作品、あるいは宇宙探検物とでも言えばいいのでしょうか。
未来を描いたはずなのにノスタルジーを感じさせる、というのも私が古いSF作品が好きな理由の一つで、特にそれが顕著なのが宇宙SFというジャンル。
地球ではない別の惑星の風景、宇宙船の外観と内部、さらには光線銃や無線機などの小道具まで、未来的でありながらもレトロなデザインを堪能するのも古典SFを見る時の楽しみの一つなのです。
いわゆるレトロフューチャー。昔の人が考えた未来像を見るのって本当に面白い。

いきなり前置きが長くなりましたが

この『火星着陸第1号』もそんなレトロなデザインが多く見られる作品です。


宇宙船「エリナーM」は、流星群により予定のコースを外れ火星に不時着。宇宙飛行士のドレイパーとペット(実験用か?)の猿は、わずかな酸素と食料でのサバイバル生活を余儀なくされる。ある日、ドレイパーは一人の異星人と出会う。彼は火星の鉱物を採掘するために送られてきた奴隷であった。脱走を計り逃げてきた異星人に敵意がない事が分かると、ドレイパーは彼をフライデーと名付け、共同生活を始める。異星人はフライデーの居場所を突き止め、攻撃を仕掛けてくる。住居を破壊され、異星人の追っ手から逃げながら食料と水を求める苦難の旅が始まった・・・

昔テレビで放送された作品の中でもとても印象深い作品の一つで、“ROBINSON CRUSOE ON MARS”という原題からも分かる通り、これは『ロビンソン漂流記』の舞台を火星に置き換えた作品です。

さて、この作品にはいくつかの見逃せないポイントがあります。


テレビ・シリーズ『バットマン』のアダム・ウェストが出演していました。
火星に不時着した時点で事故死してしまうという脇役だったのがファンとしてはちょっと残念。

監督はあの名作『宇宙戦争』(1953)のバイロン・ハスキン。
SF・ファンタジー関連の作品では『宝島』(1950)、『黒い絨氈』(1954)、『宇宙征服』(1955)、『キャプテン・シンドバッド』(1963)などを監督しています。

そして、脚本を手がけているのが、イブ・メルキオール。
何故かこの人が絡んだ作品は不思議とツボにはまるんですよねぇ・・・。監督作品である『巨大アメーバの惑星』(1959)をはじめ、脚本を担当した『原始獣レプティリカス』(1961)、『S.F.第7惑星の謎』(1961)、『タイム・トラベラーズ』(1964)、『バンパイアの惑星』(1965)など、どれもお気に入りの作品ばかり。

監督が同じという事もあってか、異星人の円盤が『宇宙戦争』のものとソックリ。
特撮担当が違う人のせいか、全く異なるイメージで多少デザインも変更されています。光線を連射し、火星の岩肌を破壊しながら迫り来る姿はかなりの迫力で、この作品の見どころの一つ。そのすばやい動きは『宇宙戦争』のものとはまた違った怖さを感じさせました。

岩だらけの地表、火山の爆発、寂しげな夜景から雪景色まで、季節によって変化する火星の描写はとても美しく、見ていて飽きる事がありません。地表シーンのロケ地はカリフォルニアのデス・バレーだそうです。

大宇宙に一人ぼっち、というシチュエーションの映画って何故か惹かれるものがあります。
『サイレント・ランニング』(1972)や『惑星ソラリス』(1972)、『第5惑星』(1985)など、この手の作品には傑作が多いような気がします。
登場人物が少なくてストーリーがシンプルな分、観客を飽きさせないための工夫がなされているからでしょうか?

この『火星着陸第1号』も、酸素を生み出す鉱物の発見、機材を利用した砂時計の製作、相棒の猿が食料や水の発見に一役かったりと、物語が単調にならないための工夫が随所に見られました。客観的に見て、傑作とは言えない出来ですけど・・・

最後にレトロなデザインの宇宙船やメカ。


脳内麻薬物質が激しく分泌されるような快感。やっぱりいいなぁ、こういうの・・・

マックィーンの絶対の危機


『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)』(1958)は、隕石と共に飛来した宇宙生物が人間を襲うというモンスター・パニック映画。

昔は何度もテレビで放送されていた、とっても懐かしい作品です。

最初は小さな塊だったブロブ(ブヨブヨのしずくといった意味)が人間を飲み込み、みるみるうちに巨大化していく。最初にその存在に気付いたスティーブは警察に行くが信じてもらえず、自ら恋人や仲間と共に捜索を開始。人々がその存在に気付き、警察や軍隊が動き出した時には、映画館を飲み込むほどの大きさになっていた・・・

ところで、この映画のタイトル『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)』って全く記憶にないんですけど・・・

『人喰いアメーバの恐怖』

テレビで見ていた人にとっては、こっちの方が馴染みがあるかも。何時から『マックィーンの絶対の危機』になったのか。

スティーヴ・マックィーンの出世に伴い劇場公開された時か、あるいはビデオ発売時にマックィーン人気にあやかって、という事なのか私は知りませんが、まぁどーでもいいです。

この映画で印象に残る事といえば

まずはオープニングのテーマソング。

とてもモンスター映画とは思えない陽気、というか呑気な主題歌を作曲したのは、あのバート・バカラック。

なるほど、確かに言われてみれば、ですが・・・

バカラックの一番有名な作品は、『明日に向って撃て』(1969)の主題歌「雨にぬれても」あたりでしょうか。ちなみに私のお気に入りはエルビス・コステロの歌う「I'll Never Fall In Love Again(恋よ、さようなら)」これもたしかバカラックの作品だったと記憶しています。

えーと、

次はこの映画の主役、手作り感たっぷりのジェリー状のモンスター。


被害者が増えるたびに大きくなっていく、人を飲み込と赤っぽく色が変わり、通気口を通ると黒っぽくなったり、などの演出は結構効果的で、昔はそれなりに怖かったものです。

ビニール系の素材に着色したものを使用した、と何かで読んだ気がしますが詳細は分かりません。

主役を演じたスティーヴ・マックィーンですが


とてもティーン・エイジャーには見えないなぁ、と思って調べてみたら、スティーヴ・マックィーンの生まれは1930年の3月。この映画の製作が1958年だから、撮影時には若くても27歳ごろという事になります。

それにしても見事な老けっぷりは、ほとんどオッサンと言っていいかも・・・

さらに


左上の画像。映画館のシーンでは『禁断の惑星』のポスターが! 映画のタイトルは「吸血鬼とロボット」

右上の画像は若者達が映画館に集結するシーン。一人がおもいっきり滑って転びそうになっているのは爆笑もの。普通NGでしょ。

下の二枚の画像は、映画館から避難する群衆のシーンなのですが、良く見るとエキストラのほとんどが笑ってます・・・

わずか24万ドルで製作されたというこの映画。

製作のジャック・H・ハリスは『4Dマン』(1956)や『最後の海底巨獣』(1960)、『マックィーンの絶対の危機』の続編となる『悪魔のエイリアン』(1971)などのSF作品を制作している低予算専門のプロデューサー。

おそらく1950年代に多く作られたドライブ・イン・シアター向けモンスター映画の一つだと思うのですが、意外と良く出来ているなぁ、といった印象でした。

被害者の死体が無いので悪ふざけだと思われてしまい、若者達が協力して・・・、といったプロットや、キッチン・ダイナーに閉じ込められたマックィーンらの脱出劇、そして“THE END”のタイトルが形を変えて「?」マークで終わるという思わせぶりなエンディングなど、おぉー上手いなぁ、と思わせるシーンが結構ありました。

若き日のマックィーン目当てで見るものいいのですが、彼の名声に頼らなくても、充分に鑑賞に堪えうる作品だと個人的には思っております。

巨大蟻の帝国


巨大蟻の帝国(1977)

この映画の製作と監督は、本物の生物を合成で大きく見せたモンスター映画を連発し、Mr.BIGと呼ばれたバート・I・ゴードン。

バート・I・ゴードンの最高傑作は何か?

単なるビルの写真の上に実物のイナゴを這わせただけという、驚愕の特撮を披露した『終末の兆し』(1957)

爆弾の放射線を浴び巨大化、凶暴化した人間の悲哀を描いた『戦慄!プルトニウム人間』(1957)

Mr.BIGらしからぬファンタジー映画『魔法の剣』(1961)

えーと

傑作と呼べるほどの作品が無さそうなので・・・

バート・I・ゴードンの代表作は何か?

私の世代となると、『巨大生物の島』(1976)か『巨大蟻の帝国』(1977)あたりかなぁ、と。

作品の出来は前年の『巨大生物の島』の方がずっとマシな気もしますが、今回書くのは『巨大蟻の帝国』

代表作には程遠い出来栄えの作品なのですが、昔は良くテレビで放送されていて、個人的に最も印象に残っているのがこの『巨大蟻の帝国』なのです。

実際、この作品ってかなりの回数が放送されていましたよね?

映画の内容は、別荘地の下見に集まった人々が、海に廃棄された放射性物質の影響で巨大化した蟻に襲われる、というもの。

何とか逃げ延び、民家を見つけた一行がパトカーで町へ到着するのだが、どうも人々の様子がおかしい。
実はこの町の住人は、女王蟻のフェロモンによって洗脳、支配され、蟻のために働く奴隷となっていたのでした。

昆虫が大嫌いな私にとっては、子供の頃はそれなりに怖かったのですが、今みるとちょっと・・・

たとえば、「この作品を褒めろ」とか言われても

私にはとても出来そうもありません(笑)

ストップモーションのファンの私にとって、実際の動物を合成して大きく見せる、という手法には全く魅力を感じないのです。

えーと、褒めるのが難しいので、適当に思った事を綴ってみましょう・・・


この作品の主人公や犠牲者たちは、リゾート地に集められたごく普通の人々。

というわけで

巨大生物との知恵比べや武器を駆使して戦う攻防戦などの見せ場があるはずもなく、ただひたすら逃げ惑うのみ。

どちらかといえばホラー映画っぽい演出。逃げては殺され、洗脳され、ひらすらそれの繰り返しで盛り上がりに欠けます。

しかも、次に殺される人があまりにも分かりやすい・・・

蟻目線、最初は怖かったけど、こればっかしでしつこい。

実写との合成が無いと単なるどアップにしか見えない蟻の映像はどうかと思いますけど。もっと高速度撮影して、ゆっくり再生して重量感を出せばいいのに・・・

あまりにも作り物然としたハリボテの頭部で恐怖感を出そうとしても、それは無理というもの。
カメラをあまりにも激しく揺さぶってハリボテの出来の悪さをごまかそうとするなど、こんな子供だましの特撮では、とても大人の鑑賞に堪えられるとは思えません。

この作品の見せ場の一つが、巨大な砂糖工場に蟻の行列が集うシーン。


蟻に演技指導できるはずもなく、上に登ろうとする奴や空中で手足をバタバタさせる奴、さらには反対方向に引き返す奴もいて動きがバラバラ・・・

あとは

音楽は完全に『ジョーズ』のパクリですね。

ヒロイン役のパメラ・シュープ、結構可愛いなぁ・・・

などなど


えーと、批判的な事ばかり書いてしまいましたが

映画の冒頭に蟻の生態を映し出した記録映画を見せ、蟻の持つ知能とその恐ろしさを視聴者に植え付ける。そのナレーションが伏線となり後半の蟻に支配された町の出来事につながる、というのは良いアイデアだったと思います。

蟻の習性やその恐ろしさを活かした設定とストーリーの展開は見事。

ただ、凡庸な演出と低レベルの特撮のせいで全てが台無しになってしまった、という印象ですけど。

1970年代後半は動物パニック映画がブーム。1977年といえば『スター・ウオーズ』や『未知との遭遇』が公開された年。

『終末の兆し』から20年、当時と全く変わらない技術で撮影された『巨大蟻の帝国』恐るべし!

時間の浪費とまでは言いませんけど、愛すべきB級映画とも言えないような・・・

謎の大陸アトランティス


『謎の大陸アトランティス』(1961)は、ジョージ・パルが名作『タイム・マシン/80万年後の世界へ』(1960)に続いて製作、監督した作品です。

映画の舞台となるのはもちろんアトランティス。

ギリシャの猟師デミトリオスが、船が難破して漂流していたアトランティスの王女アンティリアを救助するところから映画は始まります。

何日もの航海の末にアンティリアを故国アトランティスへと送り届けたデミトリオスは、野心家の軍務大臣ザレンの策略により奴隷となってしまう。
アトランティスは高度に文明が進んだ国で、人間を半人半獣に変える科学力を持ち、太陽エネルギーを巨大な水晶に蓄え、殺人破壊光線を放つ秘密兵器を製造していた。
この殺人兵器を使い世界征服を企むアトランティス。
王女と恋仲になったデミトリオスは平和主義者のアトランティス人を仲間に引き入れ、奴隷達を扇動し、アトランティスの世界征服を阻止しようと立ち上がる。

といったストーリーなのですが、この作品ちょっと変わっています。

普通アトランティスを舞台にした映画といえば

とうの昔に海の底に沈んでしまったのだが、一部の人間がまだ生き残っていて、海底で独自に文明を発展させていた、という設定の作品がほとんど。

しかし

この作品はまだアトランティスが存在している時代の物語。そのアトランティスが火山の爆発により、一夜にして大海に没するまでが描かれています。

そして生き残った人々が船に乗り、四方八方に散らばってその文明を世界中に伝えていった・・・というのがこの映画のオチとなっています。

これは非常に珍しいですね。

私はこの作品とても気に入っているのですが、ジョージ・パル作品にしてはちょっと荒唐無稽な作品だなぁ、という印象。


夢のシーンで全身青塗りの変なオッサンがでてきたり(ハリーハウゼン作品『アルゴ探検隊の大冒険』のトリトンみたい)

不思議と音楽がアラビアン・ナイト的だったり(これはこれで結構よかったのですが)

アトランティスで行われている人体実験は、誰が見ても『ドクター・モローの島』だし・・・

しかし、プロジェクト・アンリミテッドが担当したスペクタクルな特撮シーンはさすがの一言。ジム・ダンフォース、ジーン・ウォーレン、ウォー・チャンなど、パル作品ではお馴染みのメンバーが参加しています。


魚を模った潜水艦とその窓から見えるアトランティスの風景。古代ギリシア・ローマ風の景色と建造物。巨大な水晶を使った破壊兵器などはどれをとっても素晴らしいデザイン。そして、クライマックスで見せる圧巻のアトランティスの破壊シーンはこの映画の最大の見どころ。

あと

この映画は、他の作品からのフィルムや小道具が多く流用されていることでも知られています。もしかしたら、この事実がこの作品の評価を微妙なものにしている原因かも知れませんけど。

MGMの大作『クォ・ヴァディス』(1951)からは競技場や大地震の場面。『プロディガル』(1955)から寺院の大きな像。パル自身の作品『黒い絨氈』(1954)からは蟻の群がるシーンと一部の風景、などなど。

良く見ると俳優さんの背後に『禁断の惑星』(1956)で使用されたクレル文明のメーターのようなものが・・・


遊び心あり、予算の都合もあり、といったところでしょうか。

昔は何度もテレビで放送されていたものの、パルの作品にしては低めの評価。未だにDVD化もされず、このまま幻の作品になってしまいそうな予感が・・・

SF宇宙船帰投せず!/惑星テラ不時着の恐怖


典型的なB級作品の『惑星テラ』(1973)はアメリカのTVムービー。この映画はたぶんビデオ化もされていないと思います。昔テレビで放送されたことがありますが、覚えている人がいるかどうか・・・

この映画の主人公はネイル・ストライカーという一人の宇宙飛行士。

乗っていたロケットがトラブルに見舞われ墜落。病院のベッドで気がついたストライカーは、体が回復しても外出する事は許されず、どうも様子がおかしいと思いはじめる。
病院を抜け出し、電話をしようとするが知っている番号が見当たらず、とりあえずこの場から離れようと車をヒッチハイクする。
車内から見えたのは、夜空に浮かぶ三つの月。
不時着して地球に帰還したのだと思っていたのだが、そこは地球そっくりの別の惑星だった・・・

というわけで

これは以前に書いた『決死圏SOS宇宙船』(1969)と非常に良く似た設定の映画です。

地球と全く区別のつかない「反地球」に墜落した『決死圏SOS宇宙船』とは違い、住民がテラと呼ぶその惑星は、Perfect Orderと呼ばれる全体主義政府によって支配されており、別の惑星から来たストライカーは、独裁体制の政府に追われる事になってしまう。

政府に反対する科学者の助けを借り、宇宙船を奪って惑星からの脱出を図る主人公の逃亡劇を描いた作品です。

最も印象に残るのが、ちょっとだけ切ないラスト・シーン

追手からは逃れたものの、テラからの脱出に失敗した主人公は海岸に泳ぎ着き、近くにいた夫婦に助けられます。
海の上に浮かぶ三つの月をじっと見つめる主人公。やがて彼は振り返り、歩き始める・・・


立ち去る主人公のバックに三つの月、このエンディングは一度でも見た人なら記憶の片隅にずーっと残っているのではないでしょうか。

この作品は、テレビシリーズのために準備されたパイロット版だそうです。

なるほど

だから、これからもテラからの脱出を目指した主人公の戦いは続くのだ、みたいなエンディングになっているのですね。

どことなく『逃亡者』(1963〜1967)を思わせ、『プリズナーNo.6』(1967〜1968)っぽい所もあるし、まぁ、そういった路線を狙ったのかも知れませんけど。

あとは個人的な感想でも

どうしても触れておきたいのが映画の冒頭、飛行士たちがトラブルに見舞われるシーン。

普通こういう船体が揺れる場面って、カメラを激しく動かして表現しますよね?

なんとこの作品では、俳優さんたちが単に座席の上で、自らガクガクと上下左右に震えていたという・・・

あまりの滑稽さに私は思わず吹き出してしまいました。これは酷すぎる、俳優さんがかわいそうです。

あと印象に残った事といえば

会話の多い映画だなぁ、という事。しかもほとんどが顔のどアップで。

地球とテラの風景が全く同じというのもマイナス。一応違う惑星なのだから、少しは区別したらいいのに。これではビジュアル的な面白みが全くありません。

こういったサスペンス性を持つ作品って、決して嫌いではないし『決死圏SOS宇宙船』と比較さえしなければ、とも思うのですが・・・

えーと、個人的に特に思い入れのある作品でもなく、名作とも思わないし・・・まぁ、懐かしいだけですね、これは。

色々な作品の二番煎じっぽいし、特撮はほとんど使われていないし、シリーズ化されなかったのも仕方が無いのかなぁ、といった印象の作品でした。


俳優さんたちは、そこそこ有名な人が・・・

サイレント・ランニング


『サイレント・ランニング』(1972)

地球上の植物がほぼ全滅してしまった近未来が舞台。
地球緑化計画のもと、わずかな動植物は巨大な宇宙船のドーム内で育てられていたのだが、地球政府から計画の中止とドームの爆破、そして地球への帰還命令が発せらる。植物学者のローウェルは、ドーム爆破の準備をしていた同僚達を殺害し、事故に見せかけて逃亡を図る。

という話なのですが・・・

この映画、公開当時の評価は低く、興行もヒットしなかったそうです。

ロボットとのやり取りとブルース・ダーンの一人芝居に終始する映画の後半を退屈と感じた

あるいは

主題であるはずの環境破壊、自然保護の描かれ方がちょっと希薄で、中途半端。

このあたりが評価されない理由なのでしょうか?

確かに低予算で地味。暗い内容とその独創的すぎるプロットは見る人によって評価が分かれるところでしょう。

誰もが認める名作とは言えないかもしれませんけど、私はこの作品とってもお気に入り。

胸に突き刺さるようなシーンが多く、いつまでも心に残る作品であることは間違いありません。

そして、見終わった後の余韻といったら・・・

この映画を監督したのは、特撮マンのダグラス・トランブル


SFファンならば誰もが知っているSFXのエキスパートは、『2001年宇宙の旅』(1968)でスーパーバイザーを務めた後、『アンドロメダ…』(1971)で特撮を担当。その後『未知との遭遇』(1977)や『ブレードランナー』(1982)などで特撮を担当し、その名声は不動のものとなります。『サイレント・ランニング』の予算はわずかに100万ドル。撮影期間が17日と聞いた時には驚きました。土星周辺での特撮シーンはこの映画の見どころの一つでしょう。

映画のタイトルとヴァリー・フォージ号についてですが


「USSヴァリー・フォージ」というのは、実在するアメリカ海軍航空母艦の名前で、映画に登場する貨物室や居住区などは、実際にその内部で撮影されたそうです。

「サイレント・ランニング」というのは、潜水艦用語で「深く静かに潜航する」という意味。ヴァリー・フォージ号の行動を表す言葉でもあり、これをそのまま映画のタイトルに使用したとの事。

主人公ローウェル


ブルース・ダーン演じるローウェルはひとりよがりで傲慢、やたらと怒りっぽくて融通がきかない性格として描かれています。いくら植物を守るためとはいえ、彼の取った行動はとても正気の沙汰ではありません。

映画の主人公をこれほど歪んだ性格に設定するとは非常に珍しく、これだけでも普通の作品とはちょっと違う、という事が分かります。

ローウェルは相当嫌なやつなのですが、私はそれほど気になりませんでした。

他の乗組員たちが、自然保護などには興味が無い怠け者のように描かれていたので、いつの間にかローウェルに感情移入してしまったのがその理由と思われ・・・勝手に自己分析。

こいつらは殺されても仕方がないような人物だ、といった考えがいつの間にか意識に刷り込まれてしまい、ローウェルの殺人を正当化。まるでローウェルが正義を行ったかのように錯覚してしまったようです。

冷静に考えてみると、いかなる理由があったにせよ、彼の取った行動は許されるはずのない事なんですけど・・・

あと、私がブルース・ダーンという役者さんを好きだ、という事もおおいに関係しているような・・・

三体のドローン


この作品で最も印象に残るのがこの三体のロボットたち。
ベトナム戦争で両足を切断された人が中に入って演じていた、というのは有名な話ですね。
ヒューイ・デューイ・ルーイというのは、ディズニーのキャラクターで、ドナルドダックの甥にあたるアヒルの3つ子から取った名前。
仲間の死を悲しむ様子や、怪我(というよりも破損)したヒューイを心配そうに見守るデューイの姿が健気で可愛い。
そして、一人残されたデューイが宇宙空間を見上げた後、寂しそうに歩くラストシーン・・・感情移入せずにはいられない名キャラクターでした。

えーと、

この作品を見ていて、細かい突っ込みどころがやたらと多いのが気になった人もいるかもしれません。
これは本来特撮マンであるトランブルが、自ら製作、監督、原案、特撮をこなして完成させたという事実と全く無縁ではないような気がします。

何故、政府はいきなり計画の中止を決定したのか? これは見ていて唐突な印象を受けました。えぇ!何で?みたいな。

科学者なのに植物が枯れ始めた理由に気付くの遅すぎ。 「そうか、太陽だ。日光が必要なんだ」って、そんな簡単な事が何故分からなかったのか・・・

そもそも、植物を育てようとする宇宙船が、どうして太陽から遠く離れた位置で行動しているのかも疑問。

電球を太陽の代わりにしたのはいいとして、どれくらい宇宙空間で森は生きていけるのかなぁ?

プログラムで動くドローンに感情はあるのか?

などなど

農作業するのにどーして修行僧のような服装をしているの? みたいなどーでもいい事から科学的な疑問まで、違和感を感じるシーンがかなりありました。

でも、はっきり言って

そんな事は全てどーでもいいのです。

私にとってこの作品は叙情詩(叙事詩ではなく)みたいなもの。

あの悲哀に満ちたラスト・シーンを見ていると、科学的な疑問など何処へやら、です。


デューイが手に持つジョーロの絵で悲しさ倍増・・・

バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター!


『バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター!』(1978)

『極底探検船ポーラーボーラ』から二年後、再びランキン=バス・プロダクションと円谷プロが共同製作した作品で、原題は“THE BERMUDA DEPTHS”

監督のトム・コタニは、前作では共同監督だった小谷承靖氏の英語名。特撮監督は円谷プロの佐川和夫氏。

細かいストーリーなど全く覚えていなくても、エンディングに巨大な亀が出てくる映画、といえば思い出す人も多いのではないでしょうか。

しかし、これは邦題のようなモンスター映画ではなく、ほとんどラブ・ストーリー。ジェニーと島にやって来た青年マグナスのロマンスを中心に描いた作品です。

数年前に不可解な死を遂げた父親の死因を確かめるため、子供時代を過ごしたバミューダに帰ってきたマグナスは、生物化学研究所で働く父の友人達を訪ね、巨大生物の捜索に加わる。
そんな時、マグナスは幼なじみのジェニーと出会う。美しく成長したジェニーに魅かれるマグナスだったが、現地の人たちはジェニーの名前を聞くと顔色が変わり、「彼女には近づくな」と警告する。
ジェニーは200年以上前に海難事故に遭遇し、悪魔に魂を売ることにより助かったのだが、その結果バミューダ・トライアングルで永遠に若いまま生き続けるという悲しい運命を持つ少女だった。

えーと、

簡単に言うと、巨大亀を捕獲しようとする科学者たちがいて、その亀と何かの因縁があるジェニーとマグナスが恋仲になり、板ばさみ状態。

捕獲作戦はちょっと『ジョーズ』っぽい感じ。

作戦は失敗し、二人の仲間は死亡。ジェニーは姿を消し、マグナスは失意のまま島を去る・・・みたいなお話です。

この映画は昔テレビで放送された事があるのですが、おそらくその後のビデオ発売などは無かったのではないでしょうか。DVD化も無し。

というわけで、今回は画像を中心に・・・


これは回想シーン、幼いマグナスとジェニーが海亀の甲羅に二人のイニシャルとハートマークを刻みます。貝殻の首飾りをプレゼントしたジェニーは、亀と一緒に海へと消えてゆく。


とても綺麗に撮影されていたバミューダの風景や海。映画全編に流れるヴィヴァルディの名曲が心地よい。


海から現れ海へと姿を消す、神秘的で可憐なヒロイン。


少女と亀の目が光るシーン。詳細は不明ですが、二人の間には不思議な因縁があるようです。


殺された友人たちを埋葬した墓地に、18世紀に行方不明になったジェニーの墓があった、というシーンが切ない。

島を去るマグナスがジェニーにもらった貝殻の首飾りを海へと投げ捨てると、画面は海中に切り替わります。

そこには悠然と泳ぐ巨大な亀の姿があり、その甲羅にはハートマークと二人のイニシャルが・・・

このラスト・シーンは、一度見たら絶対に忘れられないほどドラマチックなものでした。

最後に短い動画
http://palladion.fantasia.to/THE BERMUDA DEPTHS.mov

アメリカのABCで放送された際には、なんと40%という脅威的な視聴率だったそうです。

悲しき魔女と青年の実るはずのない恋。ちょっとだけ恐いけど、ロマンチックで神秘的な作品でした。綺麗な映像に丁寧な特撮。これは間違いなく名作でしょう!

最後の恐竜/極底探険船ポーラーボーラ


最後の恐竜/極底探険船ポーラーボーラ(1976)は、アメリカのランキン=バス・バスプロダクションと日本の円谷プロの合作の秘境冒険映画。

石油探査船ポーラーボーラが北極で海底変化に遭遇。唯一の生き残りであるチャックによると、北極には太古の恐竜が生き残っている世界があるという。ポーラーボーラの所有者で大石油会社の社長、世界的に有名な狩猟家でもあるマステンは、チャック、女性記者フランキー、日本人の川本博士、マサイ族のブンタと共にポーラーボーラで太古の恐竜世界を目指す。

個人的な感想ですけど

この作品は傑作でもなければ、良作、駄作などでもなく、一言でいって「珍作」

どーも、その、何かが変というか・・・不思議な違和感で溢れております。


オープニングの飛行場のシーンでは、何故か特撮のミニチュア飛行機が登場。これ意味無いでしょ?

表向きは研究目的だが、恐竜ハンティングが目的というのがミエミエのマステン。サングラスの位置、ちょっと高すぎないか?

狩猟目的のマステンを非難する役どころのチャックは、マステンの迫力にのまれっぱなしでどうにも中途半端。

北極へ行きたいがためにマステンと寝る尻軽女のフランキーは、その後マステンとチャックの間を行ったり来たり。

ドラマ部分がちょっと弱すぎるかなぁ、といった印象で、探検隊一行はとにかく仲が悪く、喧嘩ばっかし。

目的地に着いてからは

秘境なのに日本そのままの風景に唖然。上高地の大正池という典型的な日本の風景をロケ地に選んだ理由はいったい? まぁ、綺麗な映像ですけど。

そして原始人を演じているのは、全員が顔を黒く塗った日本人。

恐竜の造型は、その、何と言ったらいいのか・・・、ゴジラの声が微妙に合成されていました。

ほとんど活躍する事なく、真っ先に恐竜の餌食になる川本博士。

投石による恐竜退治は、そんなので上手くいくのかなぁ、って思っていたら、恐竜の頭部にポコーンと命中・・・そんな事でくたばるハズもなく、すぐに復活。

ポーラーボーラまで走って逃げる途中「待って、ちょっと休ませて」とフランキー。良く見るとポーラーボーラまでの距離は数十メートル・・・

劇中に使用されている音楽は刑事ドラマのBGMみたいで、最初に見た時は物凄い違和感がありました。

例えて言うならば

昔の青春映画で恋人同士がエッチしている時に、妙に気合の入った女性ボーカルのアップテンポの曲がバックに流れている時のような違和感。そこは、アップテンポじゃなくて、もっとムードを出すところだろう、みたいな。

分かりにくいですかね・・・

えーと、しょーもない突っ込みばかりしているようですが、やっぱりこういう映画は好きなのです。

この作品の一番の特徴は、着ぐるみによるティラノサウルスの独特な動きかも知れません。


円谷プロの怪獣といえば、ゴジラに代表されるように、いかにも人間的な動作が特徴ですが、この作品に登場するティラノサウルスの首から上がクネクネと曲がって動き、アゴが大きく上下に開くその様子は、あまり中に人間が入っているという事を感じさせませんでした。

最初は、首から上を操演で動かしているのかと思ったらそうではなく、人間の手で恐竜のアゴを操作する方法を考案したとの事。尻尾と小さな手は操演によるもので、こちらも違和感なし。

トリケラトプスは人間が前後に二人入って演じていたそうで、なかなかの重量感。ティラノザウルスとトリケラトプスの対決シーンは、この作品の大きな見どころの一つと言っていいでしょう。

映画の最初と最後に流れる、ナンシー・ウィルソンの歌う主題歌のタイトルは映画の原題と同じ“THE LAST DINOSAUR”

「最後の恐竜」とは、生き残った恐竜の事であると同時にマステン自身の事でもあるという、なかなか洒落たタイトルとなっています。ワンマンで横柄なマステンと「最後の恐竜」をひっかけているわけです。

歌詞は以下のような内容

Few men have ever done
what he has done.
Or even dreamed
what he has dreamed.

His time has passed.
There are no more.
He is the last dinoasaur.

Few men have ever tried
what he has tried.
Most men have failed
where he's prevailed.

His time has passed.
There are no more.
He is the last dinoasaur.

The world holds nothing new in store for him.
And things that startle you & me are just a bore to him.
The spark of life has gone.
His light grows dim.
Can there be something left in the world to challenge him?

Few men have ever lived
as he has lived.
Or even walked
where he has walked.

His time has passed.
There are no more.
He is the last dinoasaur.

彼がやったような事は、ほとんどの人は成し遂げていない
ほとんどの人は、彼のようには生きていない

彼の時は過ぎ去り、もう戻らない
彼こそが最後の恐竜

なんだか切ないですね・・・

映画のラスト

「お願い、恐竜を逃がしてあげて。あれは最後の恐竜なのよ」と懇願するフランキーに

「俺もそうさ・・・」

と言い残し、再び恐竜との戦いに挑むため、ただ一人秘境に残るマステンが格好イイ!


このマステンに感情移入できるかどうかで、この作品に対する評価が変わってくるような気がします。素晴らしいプロットが充分に生かされているとは言えないところがちょっと残念。

この作品は去年(2009年)にDVDが発売されていて、その映像特典が凄い。
監督や特撮監督へのインタビューや、メイキング、音声特典としてオーディオ・コメンタリー、さらにはテレビ放送時の日本語吹き替え版まで収録されている模様。

欲しいけど、いまさらって気もするし・・・

さらにネットで検索したら、こんなの売ってました。


何と投石器付き。ちゃちな造型まで忠実に再現しているところが凄い!

S.F.第7惑星の謎


『S.F.第7惑星の謎』(1961)

「想像力には限界が無い。空想から現実を作り出す能力は、人類の宝であり、それを使って時間と空間を征服した。」

冒頭のナレーションと太陽系の惑星間を突き進むロケットの映像。最初の数分間で私はこの映画に引き込まれてしまいました。

この作品はイブ・メルキオールがAIPから資金を得て脚本を書き、シドニー・ピンクに監督を依頼して製作されたもの。ちなみにAIPとはアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(American International Pictures)の略で、1950年代、60年代に数多くの低予算映画を製作していたアメリカの映画会社です。

シドニー・ピンクとイブ・メルキオールは、『巨大アメーバの惑星』(1959)や『原始獣レプティリカス』(1961)でもコンビを組んでいます。

この映画の舞台は、宇宙旅行が可能となった2001年(笑)

国連政府が地球を治め、戦争も大量殺人も克服した人類(大笑い)は知識を求め、太陽系のほとんどの惑星を探検したが、生命の存在する惑星はまだ発見されていなかった。国連宇宙艦隊により探検は継続され、天王星から発せられる放射線の正体を突き止めるため、五人の調査隊が第7惑星へと旅立つ・・・

うーむ、40年後にはこんな未来が実現していると、本気で考えていたのでしょうか?

天王星に到着した乗組員たちに次々と奇妙な現象が起こります。


ロケットを包み込む奇怪な光と怪しげな声、次々を気を失う隊員たち。気がついてみると手に持ったリンゴが腐っている。一体どれほどの時間が経過したのか? ロケットの着陸地点には緑の大地が突如出現。

どうも様子がおかしい・・・

探検隊が着陸してみると、そこは隊員の一人が子供時代に過ごした思い出の土地にそっくりだった。植物を抜き取ると根が全く無い。一体どうやって成長しているのか? 隊員の一人がリンゴをかじる。ちょっと待て、さっき通った時にはリンゴの木なんて無かったぞ? やがて隊員たちは、自分達を囲んでいる力の場(フォース・フィールド)の存在に気付く。一体ここは何なのか? 外の世界はどうなっているのか?

さらに奇妙な現象は続く・・・

昔話をする隊員たちの背後では、彼らの記憶そのままの環境が現実のものとなって行く。そして、親しげに振舞う女性達の出現。彼女たちは、隊員たちの憧れの女性や昔のガールフレンドだった。

まぁ、こうなってみると、ほとんどの人がカラクリに気が付くでしょうけど。

これらの現象は、潜在意識や願望を実体化できる能力をもった怪物が作り出した幻影で、放射線の正体は、ロケットを奪って地球へ行こうとする怪物の罠だったというわけ。

人間の記憶を実体化する惑星

と聞いて誰もが思い出すのがアンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』(1972)でしょう。

『第7惑星』が『惑星ソラリス』の元ネタになったという説もあるようですが、『惑星ソラリス』の原作が発表された年と『第7惑星』が製作された年は共に1961年。
脚本のイブ・メルキオールが、すでにスタニスワフ・レムの小説を読んでいた可能性も否定できません。

と、ここまで書いて思い出したのですが、

人間の記憶を実体化させるという話は1950年、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』でにすでに書かれていましたね。これより古いので何かあったかなぁ・・・?

話を『第7惑星』に戻しますと・・・

この映画にはジム・ダンフォースがストップモーションで動かした一つ目の怪物が登場します。『ジャックと悪魔の国』(1962)のペンドラゴンのモデルを流用したもので、デザインも同じくウォー・チャンが担当。


しかし、これ・・・

最初は全身毛で覆われたモンスターだったそうですが、AIP側がデザインを気に入らず、モデルの毛を剥がしてしまったためこのような姿になってしまったのだとか。

映画の見どころの一つになるハズのモンスター登場シーンですが、人間との絡みもなくただ単体で動いている様は、いかにも後から撮り直して編集したというのがバレバレ。巨大グモもバート・I・ゴ−ドン監督の『吸血原子蜘蛛』(1958)の流用だし・・・映画のポスターとこれほど違いがあるのも珍しいですね。


それはともかく

地球に帰還するために探検隊一行は怪物退治に乗り出すわけですが、その探検隊の最大の敵というのが、結局のところ惑星に棲む怪物そのものではなく、いわゆる煩悩のようなもの、あるいは自分自身のトラウマである、というのはとてもいいアイデアだったと思います。

この映画は冒頭のナレーション通り、想像力を駆使したアイデアで、低予算ながらもなかなか魅力のある作品となっております。

というよりも

ただ単に私が惑星探検をテーマにしたSFが大好きなだけかも知れませんけど・・・

ロード・オブ・ザ・リング/指輪物語 アニメ版


誰もが知っている『ロード・オブ・ザ・リング』ですが、これは1978年に『指輪物語』としてアニメーション化された作品。監督のラルフ・バクシは、ディズニーが「アニメーション界のプリンス」と呼んだ天才アニメーター。

私のブログでファンタジー作品を扱うのは珍しいのですが、それは私がSF作品ほどファンタジーが好きではないから・・・いや、ファンタジー映画は大好きです。ただSFほど好きではない、というか、ほとんどの映画は一回見れば十分。特に「魔法と剣」の物語は・・・あ、『指輪物語』は面白かったですよ。

ちょっと映画と話ががそれますけど

よくSFとファンタジーの区別が難しいという事を耳にしますが、そんな事はないですよね? 私の中では全く違うジャンルなんですけど・・・

多くの人が言う、SFとファンタジーの違いがはっきりしないというのは「自分が読んだ本や、鑑賞した映画がどちらのジャンルに属しているのか分かりにくい」という事と「SFとファンタジーの境界線がはっきりしない」という事を混同しているだけの場合が多いように思われます。

「現実には存在しない、また存在しえない事柄を扱うのがファンタジーで、現実に存在しうる、また将来いつか存在するようになるだろう事柄を扱うのがSF」と言ったのはSF作家であるフレドリック・ブラウン。

どれほど荒唐無稽な物語であろうとも、その中で起こる事象に科学的な説明をつけるのがSF。たとえその「科学的な説明」とやらが間違っていようが、です。ファンタジーではそれは魔法や魔術による業という事になります。

ある物語で主人公が危機に直面した場合

ファンタジー映画では「魔法世界の法則によって事象が説明され、魔法や魔術で登場人物たちの問題が解決される」という事が多いわけです。

魔法合戦に負けた魔法使いが、別の魔法で窮地を脱して、人間の仲間を魔法で助けて、みたいなのがちょっと、ねぇ・・・こういったのがどーにも私の性に会わないのです。

SFではそういった危機を回避する手段として魔法を用いる事は決してありません。

話を映画に戻して

最初にジャクソン版を見た時、バクシ版アニメをそのまま実写化したのかと思ったほど両者は良く似ています。


これは、どちらの作品も原作に忠実という事ではなく、ピーター・ジャクソンがバクシ版にかなりの影響を受けて『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)を作ったというのが正解でしょう。実際、ピーター・ジャクソンはこのアニメ版をみて『指輪物語』を知り、原作のファンにもなったそうです。

この作品で特筆すべきは、「ロトスコープ方式」で作られた映像。

アニメを作る前に、実際の役者に衣装を着せて演技させ、それをフィルムに撮影。それをベースにして一コマずつセルになぞって丁寧にインクをのせていくというやり方。これは大変な手間がかかりそうです。

結果的に、アニメ版とは別にライブアクションの実写版が存在するという事になるわけで、ロトスコーピングにかかる費用は通常のアニメの約5倍の金額だとか・・・

この方式を最初に用いたのが、『スーパーマン』(1941)で有名なフライシャー兄弟。ディズニーも部分的にロトスコーピングを用いたりしましたが、映画全編に渡って使用したのは『指輪物語』が初めてとの事。


このアニメ版は二部作の前編として製作された作品なのですが、かかった費用を回収できなかったのか、結局続編が作られる事はありませんでした。その結果、『二つの塔』の途中、ガンダルフが復活して仲間と再会、次の戦いが始まるあたりで映画が終了してしまうのです。

そんな理由からか、現在DVD化されたものには当時は無かったナレーションが追加され、戦いに勝利した時点でハッピーエンドとなっています。続編が作られなかった故の苦肉の策とはいえ、かなり強引な印象はぬぐえません。

私が持っているビデオ版とエンディングが違う・・・

公開当時は「ディズニーを超えた」だの「アニメ界に革命をもたらす作品だ」などと言われた『指輪物語』ですが、原作のファンと評論家には総スカンだったようで・・・

確かにそのリアルな映像は目を見張るほど美しいものでしたが、他のアニメ作品をこの映像で見たいか、と言われるとそれはちょっと・・・
リアルなほど良いってものでもないでしょうし、これほどのリアルさを必要としているアニメの題材が他にどれほど存在するのかもちょっと疑問。

しかし、この『指輪物語』に関して言えばロトスコーピングはぴったりの技法だったと思います。風景や色彩、人物の動きなどは素晴らしく、特に群集や戦闘シーンの迫力は圧巻。

『動く絵画』と呼ばれたのそ美しい映像は、背景を見ているだけでも画面に引き込まれる事必至。


地球の頂上の島


『地球の頂上の島』(1973)はディズニー製作のSFアドベンチャーで、原作はイアン・キャメロンの『呪われた極北の島』

舞台は1907年のロンドン。イギリスの大富豪アンソニー・ロス卿が、北極圏で行方不明になった息子ドナルドの捜索をアメリカの考古学者ジョン・アイバーソン教授に依頼する。ドナルドが残した二つの手がかりを調査したところ、それは北極奥地の海岸線とぴったり一致する地図であることが判明。アイバーソン教授とロス卿、船長でありパイロットも兼ねるブリューの三人は、飛行船「ハイペリオン号」で「地球の頂上の島」を目指し北極圏へと飛び立つ・・・

この作品も昔はよくテレビで放送されていましたが、DVD化はされていないようです。ディズニーの実写映画って、こういうの多いですね。
映画関連の書籍でもほとんど取り上げられる事が無い作品なので、どういう評価をされているのかもさっぱり分からないのですが、私は大好きな映画です。

監督のロバート・スティーヴンソンは『うっかり博士の大発明/フラバァ』(1961)、『難破船』(1963)、『メリー・ポピンズ』(1964)、『ラブ・バッグ』(1969)など、ディズニーの実写の娯楽作品の多くを手がけています。これらの作品から大体想像がつきますが、この作品も典型的なファミリー向け冒険映画。

特撮は『ミクロの決死圏』(1966)でアカデミー視覚効果賞を受賞したアート・クルイックシャンクや『メリー・ポピンズ』(1964)のマット技術でオスカーを受賞したピーター・エレンショウなどが担当。

そういえば、最近は聞きませんけど、昔は「ディズニーのSFX」は「頭脳のSFX」だなんて言われていましたね。個人の名前がクローズアップされる事が少ないディズニーのSFXマンはまさに影の実力者。
たしかにディズニーの特撮って、技術そのものが最先端でなくとも、その使い方が非常に上手ですよね? 特撮だけでなく、動物などの使い方も同様で、本当に動物が演技しているように見せるのが実に上手い。

音楽を担当したのはモーリス・ジャール。この人は凄いですねぇ・・・

『史上最大の作戦』(1962)『アラビアのロレンス』(1962)『ドクトル・ジバゴ』(1965)などの名作映画から、『トパーズ』(1969)『危険な情事』(1987)『追いつめられて』(1987)などのサスペンス系作品、さらには『マッドマックス/サンダードーム』(1985)『第5惑星』(1985)などのSF作品まで、尋常じゃないほど幅広いジャンルの音楽を手がけています。

映画の内容はいかにもディズニー、見どころも盛りだくさん。

まずは、なんといってもハイペリオン号


日の出をバックにした出航シーンから、北極圏の氷河の上空を優雅に舞う姿、嵐の中の決死の飛行、そしてクライマックスの大炎上シーンまで、映画全編を通じて大活躍するこの飛行船は、この映画の主役と言ってもいいほど。

そのハイペリオン号から見える地上の光景、アザラシ、一角クジラ、白イルカなどの自然の動物たち。これらの空撮も見どころの一つ。

北上を続けるハイペリオン号は、雲に隠れた謎の島を発見するも嵐と遭遇、氷山に激突し、船長以外は船外に投げ出されてしまいます。
地上に置き去りにされ、歩き続けた探検隊一行は、やがて緑の茂る異郷を発見。
火山の熱によって緑が生い茂った地に、難破船で流されたバイキングの子孫が住みつき、世界から孤立した文明を独自に築いていたのでした。

息子ドナルドとはここで再開を果たすのですが、一行は侵略者と勘違いされ、バイキング達に追われる事になります。

冒険、冒険また冒険といった展開が続く・・・


火あぶりの刑から間一髪逃れ

溶岩に襲われ走って逃げる逃げる

火口から地下の世界へと進入

氷に覆われた世界を歩き続け

流氷で海を渡り

どう猛なシャチの群れに襲われ

やがてクジラの墓場へと到着

そして船長との再会

ハイペリオン号で元の世界を目指すもバイキングとも再会

バイキングの一人が放った炎の弓矢により、大炎上する飛行船

間一髪飛び降りて九死に一生

そして迎えたエンディング

島の存在を決して他言しない事を条件に、一行は島を去る事を許されます。

意外とあっさり・・・

で、考古学者は「ここに残る」と良くあるパターン。

というわけで

あれだけの危機に見舞われながら、探検隊一行が結局最後まで全員無事、というのがいかにも子供向けなのですが、大人の鑑賞にも充分堪えられる正統派の冒険映画だと思います。

この映画を鑑賞して感じるのは、ジュール・ヴェルヌ原作の映画と非常に良く似た雰囲気であるという事。ディズニー製作という事もあってか、さらにファミリー志向が強くなっています。

上の画像からも分かるように、この作品ではマット画がとても効果的に使用されていました。バイキングの島へ到着してからその島を去るまで、風景に多く使用されたマット画は目を見張るような美しさ。

時代を超えるアクの強さというものが感じられないものの、やっぱりディズニーはいいなぁ、ディズニー作品最高! と思える一本です。


飛行船なしで無事帰れるのか・・・

宇宙から来たティーンエイジャー/宇宙からの少年


たまには本当の最低映画でも取り上げてみようかなぁ・・・

というわけで、

今回は、『宇宙から来たティーンエイジャー/宇宙からの少年』(1959)

地球の侵略を企む宇宙人の一人(この人がティーンエイジャー)が、地球人の女性と恋に落ち、仲間を裏切って侵略を阻止する、というお話。

トム・グレーフという人が一人で監督、製作、脚本、撮影、特撮、編集、音楽の全てを担当しています。

ほとんど個人製作ですね、スタッフは勿論いたのでしょうけど。

もっとも、音楽を担当したとはいっても、自分で作曲したわけではなく、劇中で流すBGMを多少のお金を払って使用したという事。

これは本当にサイテーな映画です。これを見たらエド・ウッドの『プラン9』など超大作に見えてしまうほど。


ハリボテの円盤、地球人とは衣装が違うだけの宇宙人、光るだけの玩具の光線銃、モンスターに至っては単なるロブスター、そしてひねりの全く無いストーリー・・・

SF映画では定番の要素が揃っているにも関わらず、見どころも語りたい事も全ありません。ただ、これが結構笑わせてくれるのです。

この作品、以前に私のブログで空飛ぶ円盤の写真を集めた時に、あまりにも滑稽な宇宙人の登場シーンを紹介した事がありました。


円盤のフタ?を開けて宇宙人が登場するシーンは失笑ものですが、これ以外にも、あまりにも可笑しなシーンが続出します。

通勤のような宇宙人の登場シーンから、光線銃で白骨化して崩れ落ちる犬、どうやってバランスを取っているのか不思議なクライマックスのロブスターまで、もう、何と言ったらいいのか・・・

動きがないと面白さが伝わらないので、動画でもどーぞ。

http://palladion.fantasia.to/TEENAGERS.mov

これは、何度見ても本当に酷いなぁ・・・

でも、

はっきり言ってこの作品などまだマシな方です。

円盤が出てきて、合成技術が使用されているだけでもマシ。ほとんどの人が知らないだけで、これより酷い映画などごまんとあります。

劇場公開された映画、レンタル作品、そしてテレビを見ているだけではこんな作品には出会えません。

出会ったぶんだけ時間の無駄かも・・・

ブラックホール(1979年ディズニー版)


『ブラックホール』の舞台は2130年の近未来。NASAの小型探査船パロミノ号が巨大宇宙船に遭遇。それは20年前にブラックホールの調査に出かけ、帰還命令を無視したまま消息を絶った実験船シグナス号である事が判明。ドッキングに成功したクルーがシグナス号内部で出会ったのは、天才科学者ラインハートと彼によって作られたロボットたちだった・・・

2000万ドルの制作費は、当時としてはディズニーの歴史が始まって以来の最高額。150箇所以上にも及ぶマット・アートはこれまた当時の新記録。

この映画で最も印象に残っているのは、

テレビや雑誌での大々的な宣伝と、公開後の評判の悪さ・・・

明らかに『スター・ウォーズ』(1977)の大ヒットで巻き起こったSFブームに乗っかる形で作られたこの作品は、興行的にも失敗し、公開直後から現在まであらゆる雑誌で酷評されてきました。未だにDVD化も無し。

まぁ、その評価も分からなくもないです。

ただ、

前評判とのギャップ、そしてどうしてもディズニーというフィルターを通して見てしまう事によって必要以上に評価を下げている気がするんですけど・・・

たしかに見ていて、ちょっと痛い、というか苦笑させられるシーンが多いのも事実なのですが、単純に面白いと思うんですけどねぇ、私は大好きな映画です。

これほどSF的な要素を詰め込んだ映画も珍しいでしょう。大金をかけた意欲作である事は間違いなく、見どころもたくさんあります。

まずは『007シリーズ』で有名なジョン・バリーが担当した音楽。オープニングのテーマ曲は、それだけで作品に引き込まれるほどの迫力がありました。

全てが宇宙でのシーンであるというのいもイイですよね。
この作品で特撮を担当、「シグナス号」をデザインし、マット・アートを描いたのはピーター・エレンショウという人。ディズニー初の実写映画を作り始めた時のメンバーで、ディズニー作品で多くの特撮を手掛けています。
全てのシーンが宇宙空間という事は、ほとんどのシーンでピーター・エレンショウのマット画が使用されているという事です。
下はその一例ですが、なんと美しいこと・・・


映画の前半、それまで沈黙していたシグナス号が、クリスマス・ツリーのように輝くシーンは鳥肌が立つほど感動しました。

たくさんのロボットが登場するのもこの映画の特徴。引力を遮断するシステムのおかげで、空中をふわふわと移動する姿が印象的でした。


「マクシミリアン」は映画に登場する悪のロボットの中でも、最も奇怪で冷酷な印象を与えたロボットのひとつ。

漫画っぽい動作で、映画全編で愛嬌を振りまいていた「ヴィンセント」
エスパーとヴィンセントがテレパシーで通信するシーンはB級SFの匂いが・・・

『宇宙空母ギャラクティカ』のサイロンっぽい歩哨ロボット

ラインハート博士が作ったというロボット軍団の不気味さは秀逸。ロボットの仮面をそーっとはがすシーンは結構ドキドキしました。
その正体は、博士に改造され意思を奪われたシグナス号の乗組員の成れの果て・・・これは怖かった。

俳優さんたちはユニークな顔ぶれ。お遊びで若い頃と比較してみます。


上から

マクシミリアン・シェル
『遠すぎた橋』(1977)

アンソニー・パーキンス
『サイコ』(1960)
あまり印象は変わりません

イヴェット・ミミュー
『タイム・マシン/80万年後の世界へ』(1960)の時は18歳
『ブラックホール』の時点では37歳のはずですが、ちょっと老けすぎかな・・・

アーネスト・ボーグナイン
マーティ(1955)
この人にも若い頃があったのですね

充実しているのかミスキャストなのか微妙な配役・・・

最後に、この映画の舞台となった、ブラックホールについてちょっと。

だれでも知っているとは思いますが、ブラックホールとは重力が強過ぎるため、光すら脱出することができない星の事です。光さえ出てこられないので、黒い穴(ブラックホール)にしか見えず、観測することもも不可能。

それではどうしてその存在を知る事ができるのか? というと、ブラックホールが周囲に及ぼす影響、周りの空間の歪みなどを観測する事によって、その存在を予測する事ができるというわけです。

この映画では、どのブラックホールが舞台になっているのか明かされていませんが、登場する宇宙船の名前は「シグナス号」でした。

シグナス(Cygnus)とは日本語では「はくちょう座」を意味します。このはくちょう座にある「シグナスX-1」がブラックホールではないかと考えられている星の一つなのです。

これらの事実から考えると、

もしかしたらこの映画の舞台は「はくちょう座」では、と思ったら太陽系からの距離は約6000光年だとか・・・いくら壮大な物語の作品でも、ちょっと無理がありました。

ド迫力のクライマックス、ブラックホールへの突入シーン。
どうしてこの作品が失敗作扱いなのか不思議!?


異次元へのパスポート


『異次元へのパスポート』(1980)

銀河系に大爆発が起こり、巨大なエネルギーが生じた。
平穏に暮らすウィリアム一家に、突然襲った不思議な現象。
UFOや怪奇な怪物が出現、やがてウィリアムの家族は、異次元の世界へ引き込まれて行く・・・

製作はB級作品専門のチャールズ・バンド。以前に書いた『SFレーザーブラスト』(1978)とほぼ同じメンバーによる特撮。天才アニメーター、デヴィッド・アレンがストップモーションを担当しています。

この作品との出会いは、ある一軒のビデオ屋さん

タイトルとビデオのパッケージ、そして裏に書かれているあらすじを読んで、これは面白そうだ! と思い早速レンタルして鑑賞。

しかし、内容はあっと言う間に忘却の彼方。この作品を見たことすら忘れてしまいました。

そして数年後・・・

レンタルビデオ屋に行き、これは面白そうだ! と思いレンタルして・・・と、同じ作品でこれを三回も繰り返してしまった時には、さすがに自分が情けなかったです・・・

こんなアホらしい出来事は最初で最後。

それほどつまらない作品とは思いませんけど、ストーリーらしいストーリーも無く、ラストシーンもほとんど印象に残らなかったので・・・

この映画の見どころは、次々と起こる怪奇現象そのもの、という事になるのでしょう。


・超新星による気象の変化

・家の上空にUFOが現れる

・裏庭にピラミッド状の物体が出現

・少女の寝室にエイリアンが出現

・謎のマシーンが出現、家族を襲う

・モンスターが二体登場

・家ごと別世界へと運ばれてしまう

時間と空間の裂け目に迷い込んだ家族が遭遇する様々な怪奇現象は、それぞれ楽しめるものばかり。

しかし、

話が支離滅裂でわけが分からんのです。

元々は宇宙を舞台に、レーサーたちが活躍するアクション映画になるはずだったものが、予算の都合である家族が異次元から現れたモンスターと遭遇するという内容に変更を余儀なくされたのだとか・・・

(゚Д゚)???

内容の変更というよりも、全く別の話じゃないですか!

ラストは家族全員が再開し、新たな世界で新生活をスタートさせる、というハッピーエンド。


「銀河系が逆さまになった」とか「悪も時間も超越した存在に導かれた」という登場人物のセリフで一応の説明はされていますが、もう何が何だか・・・

完成までに様々なトラブルに見舞われたというこの作品。これ、やっぱり脚本が悪いのでしょうねぇ、はっきり言って駄作・・・かな。

ただ、

デヴィッド・アレンが動かした二体のモンスターたちの動きは、ストップモーション・アニメファン必見の映像。この作品の最大の見どころでしょう。ちなみに名前はウルフ・リザードとトロール・レディ。


暗すぎて良く見えないですけど・・・

火星超特急


いかにもSFファンが喜びそうなポスターのデザインは、1951年製作の『火星超特急』

アメリカ合衆国が火星探査のために、ロケットを発射。目的地にたどり着いた五人の前に現れた火星人の正体とは? そして宇宙飛行士の運命やいかに・・・

この作品、SFブームをおこすきっかけになった『月世界征服』(1951)の大ヒットに便乗する形で作られたのは明らか。雰囲気も似ています。

しかし、可能な限り科学的に正確に作られた『月世界征服』と比べると、科学的考証などはどこへやら・・・

製作期間はわずかに11日! という典型的なB級作品です。

何とか火星に行き着けても、帰れる保障ないという無鉄砲な計画に唖然。なんでも登山で言う頂上征服が至上命令だそうで、人間の命よりも登頂の方が重視されるという設定。

命の保障が無い宇宙探検にも関わらず、悲壮感は全く感じられず。せめて宇宙服ぐらい着てから出発しましょう。

航行中にはお約束のトラブル発生。着陸装置の故障により、火星への胴体着陸を余儀なくされます。


物凄い勢いでロケットは頭から山に垂直に突っ込み、その衝撃で発生した雪崩に巻き込まれるものの、乗組員は全くの無傷という・・・これはもう、ほとんど漫画かコントの世界でしかありえない。

火星探検に出発する乗組員たち。ここでも宇宙服は無く、簡単なマスクだけの装備で出発。着陸地点には、偶然にも火星の総督が住んでおりました。

火星人は地球人を客人として歓迎し、宇宙船の再建を約束します。

地下に建設された火星の大都市。巨大なビルや空中を飛ぶ乗り物などの描写がちょっとイイですね。火星版エデンの園という設定。思いっきり絵ですけど・・・

通路の壁が斜めで、一列でしか歩けないのには笑ってしまいました。宇宙っぽくしたかったのでしょうが、とても機能的とは思えないデザイン。

あ、忘れてました。前から見た火星人がこれです。


どんな宇宙人が登場するのかと期待していたのですが、地球人そっくり。ビデオのパッケージに騙されました。火星人の方がしっかりと宇宙服を着ているのもなんだか笑えます。

火星にいれば火星に従え

というわけで、女性の服装は、全員超ミニスカート。地球の女性も火星人にならってミニスカート。男も火星の服を着用。これでは、はどっちが火星人だか分からん・・・

さて、友好的と思われた火星人でしたが、実は・・・

宇宙船の再建に協力すると見せかけ、発射の直前に宇宙船を乗っ取り、地球を征服しようと計画していたのでした。火星は鉱物の枯渇により滅亡の危機に瀕し、他の惑星に移住する必要に迫られていたのです。

何故、自力で地球へ行かないのか?

高度な文明を持っているにも関わらず、惑星間航行は失敗の繰り返しなんだとか・・・

どういう設定なんだ、それは?

ここから先は、宇宙船を修理して故郷へ帰りたい地球人と、宇宙船の強奪を策略する火星人の駆け引きが見どころ。

というか、一応このあたりが物語りのクライマックスなのでしょうが、イマイチ盛り上がらない。

計画に反対し、地球人の味方をする火星人の助けにより、脱出に成功。火星人の追っ手を振り切り、宇宙船が飛び立ったところで、いきなりのエンドマーク。

えぇ!? これで終わりなの? みたいな・・・

というわけで、

結構真面目に作られている、というのは分かるものの、突っ込みどころ満載というちょっと困った映画なのです。

個人的には、大好きな流線型の宇宙船がいっぱい映っていた、という理由だけでも許せてしまいます。B級SFが好きな人には、ぜひとも観ていただきたい作品ではあります。


世界が燃えつきる日


『世界が燃えつきる日』(1977)

核戦争により地球の地軸がずれ、アメリカはほぼ壊滅状態となる。それから五年後、アリゾナの空軍基地にいた生存者たちが規則的な信号を傍受。自分達以外にも生存者がいるのかを確認するため、二台のランドマスターで発信源であるニューヨークを目指す・・・

この映画の原作はロジャー・ゼラズニイの『地獄のハイウェイ』

旅の途中でさまざまな出来事に遭遇する、ロードムービーといった趣の映画で、核戦争後の世界を舞台にした作品にしては、アクション・シーンも少なく、荒廃した世界の描写もほとんどなし。

冒頭の巨大サソリ、竜巻、人食いゴキブリ、強盗、大洪水といった危機に見舞われるものの、今ひとつスリルが無いのは、旅をするメンバーの顔ぶれのせいでしょうか。

年配の軍人、黒人、若い男、若い女、子供、という典型的なファミリー向け作品のようなメンバーで緊張感を出すのは無理というもの。合成丸出しのサソリは説得力なさすぎ。

しかし、

それらの欠点を補って余りある魅力を持つのが、特製の装甲車「ランドマスター」

砂漠を疾走するランドマスターを見て燃えないはずがない!
昔はよくテレビで放送されていたので、ランドマスターの疾走シーンが印象に残っている人も多いでしょう。


給油も無しで良く走ること・・・

映画では二台登場したランドマスターですが、実際に製作されたのは一台のみ。

この車を作ったのは、SF映画に登場する車を数多く製作しているディーン・ジェフリーズという人。

トレーラーを改造して作られたというこの装甲車は、武器以外は全て実働。ギアは7段、重量は10トン、かかった費用はなんと8000万円以上!

特に印象的だったのが、トライスター・ホイール・システムと呼ばれる12輪駆動の車輪。障害物や段差で地面と接触する車輪が動けなくなると、支柱そのものが車輪のように回転する仕組みだそうで、まぁ、こんなイメージです。


元々は軍用目的で開発されたものらしいのですが、複雑な構造はあまり実用的ではなく、一般的にほとんど見られません。

どのSF関連の書籍でも駄作と評価されている『世界が燃えつきる日』ですが、何故か沢山のシーンが印象に残っていて、個人的には結構好きな作品です。


ランドマスターの勇姿はもちろん、サソリやゴキブリ、ジャン=マイケル・ヴィンセントの笑顔と美しいドミニク・サンダ、そしてあまりにも楽観的なエンディング。

個人的には嫌いじゃないんですけど、このエンディングを見ると、やっぱり駄作かなぁ、と思ってしまいますね。地軸のずれも含め、問題は何一つ解決されていないのに・・・

最後ですが、

1993年製作の『超時空兵団APEX(エイペックス)』という映画に、軍の輸送車としてランドマスターが登場しています。

本当は『世界が燃えつきる日』で崖から落とされて壊される予定だったのですが、続編でも使用できるようにと、その企画はボツになったそうです。『世界が燃えつきる日』の続編が作られなかったため、再度その勇姿を見る事が出来なかったわけですが、こんなところでゲスト出演しているとは驚きです。

ビデオのジャケットにランドマスターが映っていたからレンタルして見たのですが、武器を使用したり、高速で疾走するシーンは一切無し。


兵隊さんたちを迎えにくるタクシーのような扱いでしたが、やっぱり格好イイ。

悪魔の植物人間 THE FREAKMAKER


数十年前、何度かテレビで放送されたものの、現在では明らかに放送コードにひっかかると思われる『悪魔の植物人間(THE FREAKMAKER)』(1973)

この作品は、現在DVDで販売中ですが、タイトルは『ザ・フリークメーカー』となっています。これはおそらく「植物人間」という言葉が「寝たきりの人」を連想させ、差別的だとの判断からでしょう。

内容は典型的なマッド・サイエンティスト物。

人為的に突然変異を起こす事で、人間と植物を融合させた新人類の創造を目論むノルター教授。光と水で成長する植物人間が完成すれば、食料不足の心配は無くなる、というのが彼の考えだった。彼は人体実験を行うため、助手のリンチを使い実験用の人間を次々と誘拐する。リンチは、実験が成功すれば自分の醜い顔を直してもらえる、という条件でノルター教授に協力していたのだった。教授の人体実験の犠牲となった学生たちは、見るも無残な姿に変えられてしまう・・・

狂気の科学、人体実験をテーマにした映画は数多くあれど・・・まぁ、これほど悪趣味な映画も珍しいかと。

実験の失敗から生まれた奇形人間が、リンチの見世物小屋で公開されるくだりなどはもう、最悪。

チベットから来たトカゲ女という触れ込みの奇形人間


気持ちわりぃ・・・でも、どうして植物と合体したのにトカゲになるかなぁ?

陰険、陰鬱、陰惨、とにかくおぞましい映画です。

監督のジャック・カーディフ曰く、この作品はトッド・ブラウニング監督の『フリークス(怪物團)』(1932)へのオマージュだそうですが、結果的に『フランケンシュタイン』と『フリークス』をミックスしたような内容となっています。

巨匠といってもいい実績を持つジャック・カーディフ監督ですが、なぜかこの作品が監督としては最後の仕事となってしまいました・・・


ノルター教授を演じているドナルド・プレザンスは、悪役が多い個性派俳優。『007は二度死ぬ』の首領ブロフェルド、『ミクロの決死圏』で白血球に飲み込まれるスパイ、『刑事コロンボ』の「別れのワイン」の犯人役、『ハロウィン』のルーミス医師役などが有名でしょうか。どうしてこんな作品にでてるの? というのが素直な感想。

奇形のリンチ役はトム・ベーカー。ハリーハウゼン映画のファンとしては、『シンドバッド黄金の航海』の魔術師クーラ役が印象的でした。これだけ特殊メイクしたら元が誰だか分からん・・・

さて、この映画で最も印象的なのは、大挙出演している本物のフリークスたちでしょう。


ヒゲのある女(両性)、針を体に刺しても痛みを感じない男、むくじゃらの猿女、足の骨にカルシウムが無いという逆立ちカエル男、肌がワニのようにガサガサの女、目玉の飛び出す男、全身ガリガリ激やせ女、足の曲がり方が異常な小人などなど・・・

これらの奇形・奇病を患った人々が、見世物小屋で働く人々として出演しているのですが、特殊メイクの植物人間がかすんでしまうほどの存在感は、この映画の目玉と言ってもいいほど。もしかしたら、一部は特殊メイクの人がいたのかもしれませんが、リアルすぎて、実際の見世物小屋ってこうなのかなぁ、と思うとかなりへこみます。

ゲテモノ度数が極めて高い映画ですが、まぁ、こんな作品でもちょっとは良い所もあります。

オープニングのドキュメント作品のような植物の高速度撮影、ノルター教授が学生に講義するシーンで、進化論の基本的な事をしっかりと語っている所などは好感が持てます。

普通はホラー映画として、コワイ物見たさで見るのですが、

例えば、フリークスたちを主人公にして見ると、

ホラー映画としては不要と思われる、フリークスたちの一人の誕生会シーンは、世間から蔑まれたフリークスたちの悲哀が伝わってくる名場面となります。

世界で最も醜い顔のリンチを主役にして見ると、

自分の顔を治したい一心で悪事に手を染めてしまうリンチは、本来仲間であるはずのフリークスたちと対立。孤独なリンチが商売女にお金を払って「愛してる」と言ってもらうシーンは切なく、つい感情移入してしまいます。裏切り者となったリンチがフリークスたちに追い詰められ、犬にかみ殺されるという悲惨な最期を遂げるシーンは涙なくしては見られません・・・

というわけで、この作品が実はなかなかの名作だと思ってるのは私だけ・・・でしょうね、多分。

あと、どーでもいい事なのですが、

異性の裸を見た最も古い記憶って覚えていますか?

子供だった私が、初めて女性のヌードというモノを見たのが、おそらくこの作品。自分が記憶する限りでは、ですけど。

リンチが実験材料である女子学生の服を脱がすシーンが、子供心にも妙にエロチックだったのを覚えています。そういった意味でも私にとっては印象深い作品なのでした・・・


遊星よりの物体X


映画史上初の本格的侵略SFといわれる、『遊星よりの物体X』(1951)

アラスカの氷河で氷に埋もれた円盤が発見されるところから映画は始まります。
氷から掘り起こすために使用したテルミット爆弾が円盤に引火、円盤は爆発してしまうが、氷の中に人間のような形をした「物体(エイリアン)」が残っているのが確認される。
氷ごとその「物体」を掘り出し基地に持ち帰るのだが、やがて氷が溶けるとエイリアンは息を吹き返し、次々と人間を襲い始める・・・

この映画の原作は、ジョン・W・キャンベルの『影が行く』という作品で、蘇ったエイリアンは、ほかの生物に寄生し、どんな姿にも形を変える事ができるという設定。怪物が人間を吸収し、「誰が体を乗っ取られたエイリアンなのか?」というサスペンスがメインの作品なのですが・・・

この『遊星よりの物体X』では、寄生能力も変身能力もなく、血を吸って生きる野菜のような特徴を持った怪物という設定に変更されているため、原作の持つサスペンス性は全て排除され、エイリアン対軍人の一騎打ち、といったSFアクションのような作品になっています。

逃げ場のない基地内での戦い。なかなか姿を現さない怪物。ガイガーカウンターで怪物の位置を確かめるシーンなどの演出は秀逸で、これらのシーンは『エイリアン』(1979)にも影響を与えたと思われます。

そして、ようやく姿を現す「物体X」


悪役プロレスラーにしか見えないんですけど・・・宇宙人らしさが微塵も感じられません。

この映画の特徴の一つとして、SF作品なのに特撮がほとんど使用されていない、という点が挙げられます。

これは、エイリアンを人間型という設定にしてしまったため、単なる大男が大暴れしているだけの作品になっていまったためでしょう。

特撮らしい特撮といえば、映画のラストで「物体X」が電流で焼き殺されるシーンくらいのもの。

高圧電流を流された「物体X」がだんだんとしぼんでいくシーンは、巨人のジェームズ・アーネスと普通サイズの人、そして小人の三人の俳優さんが演じています。足元から煙を出し、放電の稲妻のアニメーションを合成して、「物体X」の最後のシーンの出来上がり・・・

他にこの作品の見どころといえば、登場人物たちの会話や人間ドラマでしょうか。

科学的な探究心ばかりで目の前の危険をかえりみない科学者と、部下の命を第一に考える軍人の対立、今となっては当たり前の演出ですが、両者の怪物に対する見解の相違など、エイリアン(未知の恐怖)へのアプローチの違いが明確に描かれたのも、この作品が最初ではないでしょうか。

ところで、

『冷戦』や『共産主義』といったキーワードで語られる事が多いこの作品では、あからさまに「エイリアン=ロシア人」のうような描かれ方をしています。

ラストのあまりにも有名なセリフ

「空の監視を怠るな!“keep watching the skies!”」というのも、

「ロシアからミサイルが飛んでくるから気をつけろ!」と言っているようなものなのでしょうが・・・

そんな事に興味が無い私にとっては、かえって興ざめ。時代背景とか考えなくても充分に楽しめる作品です。

低予算でもこれだけの作品が作れるという事を示し、この作品以降、エイリアンの襲撃をテーマにした作品が数多く作られるようになりました。

後の作品に与えた影響という点では、SFブームを作ったとされる『月世界征服』(1950)や、原爆によるモンスター映画の原点である『原子怪獣現わる』(1953)に匹敵すると言ってもいいかもしれません。

この作品のリメイク版『遊星からの物体X』(1982)ですが、こっちは原作にも忠実で、登場人物の名前から、ハスキー犬や人間への寄生、誰がエイリアンなのかといったサスペンスから、血液による判別方法、さらには隔離されていた人物が実はエイリアンで、密かに宇宙船を建造していたという設定まで同じ。

違うのは、エイリアンは人の思考を読み取る能力があるという点と、結末くらいのもので、ハラハラ、ドキドキする緊張感はリメイク版の方がはるかに上。そしてモンスターの造型は、まさに特撮マンの腕の見せ所。

原作の設定だけを拝借したオリジナルと、比較的原作に忠実なリメイク版を比較するのはほとんど無意味。どちらも面白いし、完璧に別な作品として楽しめるのが良いところでもあります。

最後は「物体X」の正体、ガンスモークのジェームズ・アーネス


続・恐竜の島


ケヴィン・コナー監督作品の『続・恐竜の島』(1977)

前作『恐竜の島』(1974)で生き残ったタイラーとリサ。彼らが海へ放った瓶入りのメッセージを受け取った友人たちが、二人を救出するために伝説の島を目指して出発する・・・

というわけで、

これは設定や登場人物をそのまま受け継いだ、本当の続編です。

前作同様に、遊園地のアトラクションのような恐竜達も登場しますが、どちらかといえば、恐竜の島に住む原住民たちとの抗争がメインの作品。

この映画の原作は、エドガー・ライス・バローズのの『太古世界シリーズ』第2作『時間に忘れられた人々』で、原題は『THE PEOPLE THAT TIME FORGOT』。ビデオのパッケージにも恐竜の姿はありません。

今回のヒーローは、『シンドバッド虎の目大冒険』(1977)でシンドバッドを演じていたパトリック・ウェイン(ジョン・ウェインの息子)

個人的な感想を言えば・・・これは、私が嫌いなタイプの続編の典型。

これ、あくまでも個人的な意見ですが、

元々続編の予定がなかったのに、作品がヒットしたから作っちゃいました、というのはどうも好きになれないんですよねぇ・・・

前作がお気に入りだったら尚更。

前作で生き残ったタイラーとリサは、ガル族と二年間は平和に暮らしたが、その後ナーガ族に捕らえられ捕虜となり、リサにいたっては処刑されてしまったという設定。クライマックスの火山大爆発シーンでは、結局タイラーも死んでしまいます。

こういうのを全部描いてしまうと、前作の余韻が全部台無し、というか、あのエンディングは何だったの? って事になりませんかねぇ・・・?

最近でいえば、『パイレーツ・オブ・カリビアン』(2003)の続編とか。

まぁ、続編というのを意識しなければ、そこそこ楽しめる作品なのは間違いありません。

客観的に評価してみると、ですね

冒険映画としては及第点、かなぁ・・・といったところ。

足手まといの気が強い女性カメラマンが旅に同行する点や、島からの脱出の際に飛行機が墜落しそうになり、「重いものを捨てろー」といってカメラも破棄されてしまい、証拠がのこりませんでした、といったオチなど、まぁ、ステレオタイプの作品と言ってしまえば、その程度かも。

良く言えば、見事にロスト・ワールト物のツボを押さえた作品。

氷の海を進む調査船、飛行機と翼竜の空中バトル、恐竜との銃撃戦、典型的なお色気担当のヒロイン(原始人)、原住民ナーガ族のとの戦い、ラストの火山大噴火シーンなど、クライマックスまで一気に見せます。


最も印象的だったのは、戦国時代の日本の武士のような鎧を身にまとったナーガ族。髑髏を模った建物に住むナーガ族と探検隊との闘争がこの映画のメインというわけです。

しかし、鎧を着た相手を素手のパンチで倒すとは・・・これほど突っ込みどころが満載な映画も珍しいですが、それも含めて楽しめるのが冒険映画の良い所でしょう。

SF映画とロボット(その2)


前回の続きです。左上から

お色気小娘カレッジへ行く(1960)

アウターリミッツ(1963〜1964)
『ロボット法廷に立つ』で殺人犯として裁かれるロボット。意思を持ったロボットが登場。

火を噴く惑星(1962)
人間以上の能力だが思考能力は無い、という意味では本当にロボットらしいロボット。

宇宙大戦争 サンタvs.火星人(1964)
ブリキの玩具・・・

ロボットの魅力って色々あると思いますが、鉄の塊、ブリキ、頭の上のアンテナ、ガチャガチャと歩く、といったようなイメージの、いわゆる無骨さに惹かれる人も多いでしょう。

野暮ったくて洗練されていない、そんなレトロ感たっぷりのロボットが見られるのはこの時代まで。

1960年代後半から70年代になると、2001年宇宙の旅(1968)のHALや地球爆破作戦(1970)のコロッサスなどの人工知能がSF作品に登場。ウエストワールド(1973)もそうでしたが、コンピューターの反乱というテーマの作品が目立ちます。

古き良き時代のドラム缶型ロボットはほぼ姿を消しましたが、コンピューター(人工知能)とロボットは別物。まだまだ人間型ロボットも健在です。


フレッシュ・ゴードン(1974)
この時代のドラム缶型はパロディ映画ならでは。股間のドリルを回転させながら、敵に襲い掛かる姿は爆笑もの。

2300年未来への旅(1976)
人間を氷付けの標本にしているのだが、意味が分からん・・・

イタリア映画スペース・ウルフ-キャプテン・ハミルトン(1977)
結構不気味でした。人工知能はこの作品にも(右側)

1977年にはスター・ウォーズが製作され、C-3POの影響もあってか、再び人間型ロボットがブームに。その影響は随所に見られます。


スターシップ・インベーション(1977)

スタークラッシュ(1978)
C-3PO型 警官ロボット

アトランチスの謎(1978)
悪そう・・・これはただの仮面だったのか、よく分からんです。

BUCK ROGERS(1979)
テレビでよくやってました、ビビビビビ・・・

ブラックホール(1979)のマクシミリアン
評判悪い映画ですね、面白いと思うのですが・・・

スペースボール(1987)
スター・ウォーズのパロディ映画。C-3PO型メイドロボット。

1980年代以降は、挙げていったらきりが無いほど様々なロボット、コンピューターが登場します。サイボーグ、アンドロイド、ヒューマノイド、レプリカント・・・その呼び方も色々。コンピューター制御の機械まで含めたら、ほとんどのSF作品にロボットが出ている事になってしまいます。

そして、ノスタルジーを感じさせるロボットは完全に姿を消しました。

というわけで、もう画像はありません・・・

最後にアニメから

これは・・・非常に興味深い、というか

ベティ・ブープやポパイなどで有名な、デイヴとマックスのフライシャー兄弟が製作した『スーパーマン』(1941)の中の『機械モンスター(MECHANICAL MONSTERS)』という話にもロボットが「悪の手先」として登場。

これ、初めて見た時にはビックリしました。

両腕が翼に変形し、頭の下のプロペラを回転させながら飛行するその姿は、『新ルパン三世』の最終話に登場したラムダにそっくり。宝石泥棒をする所まで同じとは・・・

このロボット、明らかにラムダや、『天空の城ラピュタ』のロボット兵の元ネタですね。

ちょっと比較してみましょう。上がロボット兵、中がラムダ、下が機械モンスター。


宮崎アニメが好きで、この『スーパーマン』を初めて見る人には衝撃的な画像でしょう。

これは明らかにオマージュですが、盗作、パロディとオマージュの区別って難しい・・・

SF映画とロボット(その1)


前回の『メトロポリス』(1926)には、映画史上初めて本格的なロボットが登場しました。

というわけで、今回はSF映画とロボットの話でも・・・

ロボットの歴史を語る時、必ず最初に出てくる名前が小説家のカレル・チャペック。

カレル・チャペックが1921年に書いた戯曲『RUR』(ロッサム万能ロボット社)の中で、「ロボータ」(強制労働者)と「ロボトニク」(働く者)を組み合わせて「ロボット」という言葉が生み出されました。
この言葉が作られる以前は「オートマタ」や「オートマン」(機械人形、自分で動くの意)という単語が使われていたようです。

次にロボットの定義ですが・・・

チャペックは「働く能力はあるが、考える能力の無い人間に似たもの」と定義したそうですが、現在は、コンピューター制御の装置や工業用の機械、さらには家電製品などの実用品まで、全てロボットと呼ばれる時代。
ロボットの意味があまりにも多様化してしまい、その概念は人によって様々。もはや明確な定義は無いといってもいいでしょう。
辞書で調べて、あぁ、そうなのか、とある程度納得するしかありません。

えーと、ここではあくまでもSF映画のロボットの話です。アイザック・アシモフが小説に書いたようなもの、ですかね・・・

古いSF作品では「人間が作った機械」である事と「人間に似た外見を持ったもの」というのが最も重要であるのは間違いありません。

というわけで、写真でも。

それでは、時代が古い順に、まずは1930年代。例によって、左上、右上、左下、右下の順です。


『殺人光線』(1934)
元祖ドラム缶ロボットで殺人兵器。

『五百年後の世界』(1935)の兵隊ロボット。

『海底下の科学戦』(1936)
他の作品にも流用され、20年以上に渡って活躍したドラム缶型ロボット。

『忍び寄る幽鬼/ファントム・クリープス』(1939)
これがふらふらと動くのです、しかしこのカオ・・・

1930年代のSFではは人間に操られる「悪の手先」というイメージが定着していたようです。

次は


『怪物と猿』(1945)
これもやっぱり「悪の手先」頭の上のアンテナがイイ! 無線操縦ロボット。

『ゴッグ』(1954)
世界で初めて本格的にコンピューターの反乱を描いた画期的な作品。

『火星から来たデビルガール』(1954)
このロボットは、もう、なんと言ったらいいのか・・・

『標的は地球/ロボット大襲来』(1954)

SFブームとなった1950年代は、モンスターのみならず、ロボットが登場する映画も多く作られました。地球の静止する日(1951)や禁断の惑星(1956)などの名作もありますが、ほとんどの作品は低予算丸出しのB級映画でした。

さらに1950年代の作品


『地球の静止する日』(1951)のゴート

『ボウェリー・ボーイズ、怪物達に会う』(1954)はコメディ映画。

『偉大なるトボー』(1954)
世界初のヒーロー・ロボット。

ご存知『禁断の惑星』(1956)のロビー

『クロノス』(1957)
アメリカ映画では珍しい巨大ロボット。地球のエネルギーを吸収し、他の惑星へと転送するという壮大な設定。

『ニューヨークの怪人』(1958)
脳を移植されたロボット。人間の心が残っているのは、『ロボコップ』の元祖とも言える存在。

1950年代は単なる悪の手先というだけではなく、様々なタイプのロボットが生み出されました。そして、1960年代以降は・・・いいかげん長いので次回にします。

あ、一番上の画像ですが、これはジョージ・パルのパペトゥーン作品『Ship of the Ether』(1934)に出てきたロボットです。本文とは関係ありませんが、なんとなく可愛かったので・・・

メトロポリス フリッツ・ラング


1926年にドイツで製作された『メトロポリス』

初期SF作品の最高傑作とされているこの映画の舞台は、製作時から百年後の2026年。

巨大なビルが立ち並ぶ未来都市メトロポリスでは、多くの労働者が地下の工場で過酷な労働を強いられ、一部の上流階級と支配層の人間だけが、楽園のような地上都市で満ち足りた生活を送っていた。ある時、労働者階級の娘マリアが、支配者ジョン・フレーダーセンの家に子供達を連れて現れ「彼らはあなたたちの兄弟です」と言う。
人々はマリアを追い返すが、ジョンの息子フレーダーはマリアを忘れる事が出来ず、マリアを探して地下へと降りて行く。フレーダーはここで初めて過酷な現状を目にし、メトロポリスの真の姿に気付き、父親に労働者階級の待遇改善を訴えるが聞き入れてもらえず、自ら労働者となりマリアを探す。
一方、マリアを危険人物と考えた支配者ジョンは、マリアそっくりのロボットを造り、それに淫らな行為をさせ、労働者の希望を奪おうと画策。
そのロボットを作るのはジョンとは旧知の間柄、マッド・サイエンティストのロトワング。
しかし彼は、このロボットをジョンの望み通りに使うつもりはなかった。マリアのロボットを使い労働者を扇動し、支配者階級の崩壊を目論んでいたのだった。
それぞれの登場人物の思いが交錯し、物語は思わぬ方向へと進んでいく・・・

何かで読んだ事があるのですが、フリッツ・ラング自信はこの作品をあまり好きではないようです。
理想主義すぎて、現実味に欠けるというのがその理由。ラング曰く「おとぎ話」だそうです。

あー、なるほど。

「脳」(知識指導者階級)と「手」(労働者階級)とその調停者である「心」の出現をマリアが予言し、その通りのハッピーエンド。そして、「心」の役割を果たすのはマリアの恋人役のフレーダー、とまぁ、たしかにベタなストーリーですね・・・

手塚治虫氏が言うには

支配者層と労働者階級が、結局愛で結ばれる、という結末が安易過ぎるとの事。

確かに、エンディングで三人が手を取り合うシーンはわざとらしくて苦笑させられましたけど・・・製作された時代を考えたら、これはとんでもない映画ですよ!

そもそもこの映画、ラングがアメリカに行った際にニューヨークの摩天楼に魅せられた事がきっかけで、製作につながったというのだから、これはビジュアルを楽しむ映画と言えるかもしれません。小難しい事は置いといて。


ミニチュアで作られたメトロポリスと旋回する飛行機。その中心にそびえたつバベルの塔など、未来都市の美しいこと! 延々と続く機械の群れ、過酷な労働を強いられすっかり無気力になり、うなだれながら行列を作って歩く労働者たちなどの地下世界の描写も強烈すぎ。

そして、この映画の最大の見どころは、映画史上初めての本格的なロボットの登場とその誕生シーンでしょう。


台の上に寝かされるマリア。そこからロボットにつながる何本ものコード。機械が作動すると数本の円形の光がロボットを包み込み、やがてロボットはマリアに変身する。

「映画史上最も美しいロボット」といわれるだけの事はあって本当に綺麗。登場シーンはほんの数分ながら強烈な印象を残しました。

このシーンだけでも映画を見る価値あり!

マリアに変身した後は、ブリギッテ・ヘルムがロボットのマリアと本物のマリアを演じ分けるのですが、ロボットマリアの鬼気迫る演技の迫力といったら・・・

これ以降のシーンも、妖艶な踊りを見せるマリア、群集の暴動と大洪水など、ビジュアル的な見どころは満載。


エキストラの数は約36000人。22ヶ月の製作期間と過去最大の制作費をかけた結果、映画会社は倒産・・・しかし完成した作品はSF映画の金字塔との評価を得る事になります。

製作された1926年は日本では昭和元年!

当時考えられた100年後の「未来予想図」は、見ていて決して飽きる事はありません。このビジュアル・イメージが、後のSF作品にどれほどの影響を及ぼしたことか・・・「SF映画の金字塔」という評価に完全に納得の作品です。

海底二万哩(1954年ディズニー版)


1954年にディズニーが製作した『海底二万哩』

上の写真は原作者であるジュール・ヴェルヌの生まれた国、フランスで公開された時のポスターです。

舞台は19世紀の半ば、世界各地の海で軍艦が沈没するという事件が多発する。怪物の仕業だと語る唯一の生存者。原因解明のためアメリカ政府は調査船の派遣を決定する。
銛打ちの名手ネッド、海洋学者のアロナクス教授と助手のコンセイユらが乗り込んだ調査船は、怪物の襲撃を受けて沈没。
教授とコンセイユ、ネッドの三人は巨大な潜水艦に助けられるのだが、ノーチラス号というこの潜水艦こそが怪物の正体であり、三人はネモ船長により囚われの身となってしまう・・・

『海底20000マイル』や『ネモ船長』の映画は数多く存在しますが、未だにこのディズニー版を超えるものはありません。それどころか、全ての海洋アドベンチャー映画、数多くあるジュール・ヴェルヌの映画化作品中の最高傑作と言ってもいいでしょう!

・・・というのはあくまでも個人的な感想ですけど(^^;)

まぁ、それほどお気に入りの映画であり、褒め言葉以外が思いつかない、数少ない映画の一つなのです。

ジェームズ・メイソンやカーク・ダグラス、ポール・ルーカス、ピーター・ローレなど、俳優陣も充実。オットセイのコミカルな演技も忘れがたい。


この作品には画期的ともいえる点、いくつかの特徴があります。

その一

侵略SFやモンスターが主流だった1950年代に、あえて海を舞台にした冒険映画が作られたという事。まぁ、これはディズニーの製作ですから・・・らしいといえばディズニーらしいですが、話は悲劇的。感動できるSF作品って珍しい。

その二

ヒロインと呼べる女性が登場しない。これは珍しいですね。色気に頼らないというのは、製作側の自信の表れか? SF映画に恋愛を絡めるのが好きではない私にとっては心地よいものでした。エンターテイメント作品ながら、作品全体にリアリティーを感じるのは、これが理由の一つかもしれません。

その三

ネモ船長が、冷血でねじ曲がった性格の人物として描かれている事。他の作品のネモ船長像とはちょっと違いますが、これはこれで良かったかも。ジェームズ・メイソンの狂気の演技が凄まじかったです。ジェームズ・メイソンといえば、SFファンには同じジュール・ヴェルヌ原作の『地底探険』(1959)での探検隊のリーダー、オリヴァー教授役が印象深いです。

その四

世界初とも言われる本格的な水中撮影。困難を極めた撮影は、水中での葬儀のシーンだけで一ヶ月を要したとか・・・

その五

ラージ・スケール・メカニカルの巨大イカ。このイカだけで制作費は二十万ドル、操作したオペレーターは30人近くもいたとか。こんな大がかりな仕掛けは間違いなく世界初。この大イカを作ったのはロバート・A・マッティという人で、『JAWS/ジョーズ』(1975)のサメを作ったのもこの人。これはアナログ的な特撮としては最高峰だと思いますが、CGを見慣れた現在では微妙・・・


というわけで、

この映画はかなりエポックメイキングな作品だったわけですが、それらの全てを差し置いて、最も記憶に残っているのがノーチラス号。


ある時は海底をゆっくりと浮遊し、またある時は超スピードで疾走し軍艦を撃沈する。ライトをつけて海面に現れた最初の登場シーンから、息絶えるように沈んでいくラストシーンまで、まるでネモ船長の怒りや悲しみが憑依したかのような動きを見せるノーチラス号は、それ自体がまるで意思を持った生物のように見えました。

これは、デザインが魚っぽいのも微妙に影響しているかも・・・

このノーチラス号をデザインしたハーパー・ゴフ(Harper Goff)という人は、『ミクロの決死圏』(1966)のプロテウス号もデザインしています。そういえば、監督も同じリチャード・フライシャーですね。

この作品は、1954年のアカデミー賞で、特殊効果と美術の二部門を受賞。

外観、内装共に他の作品のノーチラス号とは比べ物にならないほどの出来栄えで、今見てもその潜行シーンの美しさには見とれてしまいます。


海底都市 アーウィン・アレン


『海底都市』の製作と監督は、以前にブログでも書いた事のあるアーウィン・アレン。

アーウィン・アレンといえば、TVのSF番組『宇宙家族ロビンソン』(1965〜1968)、『タイムトンネル』(1966〜1967)、『原子力潜水艦シービュー号』(1964〜1968)などを手がけた名プロデューサー。

この作品はTVシリーズ『巨人の惑星 』(1968〜1970)の終了後の1970年の製作です。

その後、映画に進出し、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)、『タワーリング・インフェルノ』(1974年)などを手がけ、パニック映画の巨匠と呼ばれるようになるアレン監督作品だから面白くないわけがない。

と言いたいところですが・・・

実際のところ、アーウィン・アレンを語る時に、ほとんど触れられる事が無いのがこの作品。何故、この時期にこのような作品を? というのが率直な印象。

あらすじは

舞台は2051年の近未来。海底都市の設立者であるマシューズは、大統領の要請により、強力なエネルギー源であるH-128を海底地震による誘爆から防ぐための対策を講じる、という特命を受け、再び司令官の任務に就く。しかし、H-128用の貯蔵庫を建造中に小惑星衝突の危機が迫り、決死の避難作戦が始まるのだが、その裏では、H-128を盗み出そうと目論む一派の謀略が着々と進行していた・・・。

海洋アドベンチャーとしては、可もなく不可もなく、といったところでしょうか。しかし、同じ海洋物としては、数年前に作られた『シービュー号』やその原型でもある『地球の危機 』(1961)の方が明らかに上。

物語の前半部分は、マシューズの司令官復帰を快く思わない人たちとの確執による人間ドラマに終始。そして後半は、小惑星衝突の危機によるドタバタの脱出劇へと路線変更。いきなり衝突まで7時間って・・・

脚本や演出はともかく、いかにもアーウィン・アレンらしい特撮部分はこの作品の見どころです。


キラキラと金色に輝く海底都市。そこを往来する潜水艦や、透明チューブの中を移動する車は、少年時代に夢見た未来都市そのまま。話のスケールの大きさに反比例するかのようなお粗末なセットも含め、まぁ、そこそこ楽しめる内容ではありました。『シービュー号』の飛行潜水艇「フライング・サブ」の登場も、ファンサービスというよりも、予算の都合と思えてしまうのがちょっと悲しい。

この作品には、アーウィン・アレン作品の常連俳優がたくさん出演しています。

主な登場人物はこちら


『タイムトンネル』からはダグとトニー、そして所長さんも。そしてシービュー号のネルソン提督ですね。

次の画像


上はこの映画の主役、マシューズ提督とヒロインのリアです。この二人がやがて恋に落ちるという・・・

スチュアート・ホイットマンは、この人がヒーロー役でいいの? と思える風貌だし、ヒロインのローズマリー・フォーサイスも微妙。まぁ、美人だとは思いますけど・・・

そしてH-128強奪を目論む悪役、ロバート・ワグナー。私はこの映画のビデオを持っているのですが、悪役のワグナーの写真がパッケージになっているのは一体? 主人公のビジュアルに難あり、というビデオ会社の判断でしょうか。

一番印象的だったのが、水中で息が出来るという設定の両棲人間を演じたバール・デベニング。

最初は両方の頬にくっついている物を見て、「おぉー、特殊メイクでエラを付けたんだ!」と思っていたらただのモミアゲだったという・・・

個人的には、リチャード・ベースハートやバール・デベニング、ローズマリー・フォーサイスなど『刑事コロンボ』で見た事がある人が多く出演していたのが一番楽しめました。

宇宙大戦争 サンタvs.火星人


何となくクリスマスっぽくなってきました。

クリスマスとは全く無縁の私のブログですが、今年は何かクリスマス的な映画でも、と考えたのですが、クリスマスを題材にしたファンタジー映画は数多くありますが、SFでは・・・

と考えていて、ふと思いついたのが、1964年製作のアメリカ映画、『宇宙大戦争 サンタvs.火星人』

自分の子供たちを喜ばせようとした火星人が、地球に住むサンタクロースを誘拐して大騒動に、というファミリー向けのSF作品です。

これ知ってる人って、日本に何人いることか・・・

あまり語る事もないので、簡単にストーリーでも


地球の電波を受信して、サンタクロースのオモチャ工場から中継されるテレビを見ているのは火星人の子供たち。

サンタに夢中になっている子供たちのために、地球からサンタをつれて来る事を計画するお父さんたちは、宇宙船で地球へと出発。

地球で出会った幼い兄妹を宇宙船に連れ込み、サンタの居場所をきいた火星人たちはいざ北極へ

あれ? 子供たちが逃げたぞ、ロボットを出動させて兄妹を捕らえるのだ!

というわけで、登場したのがこのロボット


こりゃ、酷い・・・

玩具工場を襲撃しサンタを捕らえる事に成功した火星人ですが、一人だけ火星にサンタを連れて行くという計画に反対する者がいました。

こいつが悪役で、サンタを始末しようとしている、というわけです。

サンタの一行が無事火星に到着してからも、この人物が原因で一悶着あるのですが、結局、反逆者は捕らえられ、地球からやって来たサンタのおかげで、楽しみというものをあまり知らなかった火星人の子供たちにも笑顔があふれて、めでたしめでたし・・・とまぁ、大体こんなストーリーです。

子供たちが水鉄砲や洗車など、玩具を使った攻撃で悪役を撃退するシーンはなんとも大らかというか、能天気というか・・・

さらには、あのロボット・・・

SF作品に登場するロボットとしては最低の部類ですが、ブリキの玩具として見れば、結構いい味だしていると思うのですがどうでしょう?


そういえば、悪役に捕らえられたサンタが、煙突から家に入れるという特技を生かして脱出。サンタが死んだとばかり思っている悪役の前に笑いながら登場する、というのはいいアイデアでした。

ファミリー向けコメディとしては、まあまあ、という気もしますが、一回見れば十分かなぁ・・・


それにしても、どうしてコメディに出てくる火星人って、頭にアンテナ二本なんでしょうか?

SF映画の空飛ぶ円盤


人類は流線型の宇宙船で他の惑星を目指す。それでは宇宙人が地球にやって来る時は・・・

現実はどうか知りませんが、古いSF作品では、ほとんどの異星人が円盤状の宇宙船で飛来します。ロケットでやって来る宇宙人ってあまり見た事がありません。

というわけで、前回の「流線型の宇宙船」に続いて、今回は「SF映画の空飛ぶ円盤」あるいは「UFOの出てくるSF作品」を個人的な趣味で集めてみました。

まずは上の画像、比較的メジャーな作品から、左上、右上、左下、右下の順番

『禁断の惑星』(1956)に登場した宇宙連邦船は唯一の例外。宇宙人の円盤ではなく、地球人の乗り物でした。

微妙に前後があるデザインは『宇宙水爆戦』(1954)のメタルーナの宇宙船。

テレビ・シリーズ『謎の円盤UFO』(1970〜1973)の円盤。どこに人が乗っているのか不思議。

典型的なアダムスキー型の円盤は『インベーダー』(1967〜1968)から。

続いて日本の作品から。日本の特撮映画は円盤の宝庫でした。


東宝作品『怪獣大戦争』(1965)に登場したX星人の円盤。

同じく東宝から『地球防衛軍』(1957)のミステリアンの円盤。

大映作品『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969)のテラ人の宇宙船。

松竹からは『吸血鬼ゴケミドロ』(1968)の円盤。この画像では分かりにくいですが、これもアダムスキー型。四つの突起物を回転させながら、地面を這うように近づいてくる様子は巨大生物を思わせる迫力。これほどUFOそのものの存在が怖い作品はありません。SFホラーの傑作。

続けます


UFOといえばこの作品。ハリーハウゼンの『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)

『地球の静止する日』(1951)でクラトゥが乗ってきた円盤。継ぎ目の全く見当たらない円盤。その出口がスーっと開く様子が格好よかった。

『アウターリミッツ』(1963〜1964)の23話「遊星衝突の危機」に登場した円盤。遊園地のアトラクションが実は本物のUFOだったという・・・右の写真はそれが宇宙に飛び立つシーンのもの。

次第にマイナーな作品に


『ミステリー・ゾーン』(1959〜1965)の「幻の宇宙船」に登場したUFO。本物のUFO写真みたいです。実際にこの話の別のシーンが、円盤墜落の証拠写真として出回るという事件がありました。

巨大ロボットを地球に運んできた『クロノス』(1957)の円盤。

『プロジェクトUFO』(1978〜1979)には葉巻型やラグビーボール型だけではなく、様々な形の宇宙船が登場しました。その中から典型的な円盤の写真を一枚。

『宇宙戦争』(1953)のウォー・マシンにそっくりなのは『火星着陸第1号』(1964)の円盤。ゆっくりと地を這うように移動するウォー・マシンと違い、その動きはまさにUFOのイメージ。監督も『宇宙戦争』と同じバイロン・ハスキンですが、ジョージ・パルは無関係。

最後はSF作品のお約束、最低映画から


史上最低の映画と言われる、エド・ウッド作品『プラン9・フロム・アウター・スペース』(1959)の円盤。糸で吊られた円盤が左右にふらふらと揺れ動くシーンは、リアルさの欠片も感じられません。ただ、私はこれが史上最低の映画とは思えませんけど・・・

『火星から来たデビルガール』(1954)の円盤。爆笑物のロボットも必見。

イタリア/フランス/西ドイツの合作『侵略惑星スケルトン』(1962)から。うーむ、これは最低映画かどうかは微妙・・・

『宇宙からの少年 TEENAGERS FROM OUTER SPACE 』(1959)の宇宙船。地球侵略を目論むエイリアンが現れるのですが、

その登場シーンがこれ


こうやっててっぺんのフタを開けて、ちっともそれらしくない宇宙人が次々と登場するシーンは爆笑もの。いくらなんでもこれは・・・カバン持って通勤してるみたいじゃないですか。この平べったい円盤のどこにそんなに入ってたのか? これはエド・ウッド作品を超える最低映画の一つでしょう。

ふぅー、今回は長くなったなぁ・・・さて、

「空飛ぶ円盤」という言葉ができたのが1947年のケネス・アーノルド事件。それ以前の作品では「フライング・ソーサー」という概念そのものが無かったわけです。
1970年代になると、異星人の宇宙船も「メカ」を重視したデザインとなり、シンプルな円盤は銀幕からほぼ一掃されてしまいます。

そんな理由から、1950年代と1960年代の作品に集中してしまいました。

お皿型の円盤は同じような形でも、見ていて飽きないのが不思議です。子供の頃からの憧れの乗り物だからか、それともそういう世代(年齢)だからか・・・

SF映画に登場する流線型の宇宙船


一年に数回しかない二日続けてのブログ更新

連休で暇なので、SF作品に登場した流線型の宇宙船を集めて、一人で勝手に喜んでしまおうという・・・

上の写真は『地球最後の日』(1951)に登場したアーク号です。

日本でまだSFが「空想科学」と呼ばれていた時代、『空想科学映画』に登場する宇宙船のほとんどは流線型でした。宇宙船に限らず、「流線型のデザイン」は未来を連想させる重要なアイテムだったと言えるでしょう。

しかし、1968年の『2001年宇宙の旅』によって、それまでの「宇宙船=流線型」のイメージは完全に過去の物となり、それ以降の宇宙船はメカニカルで精密なものが主流となりました。

さらに現代では、真空の宇宙空間を移動するのに速度はボディの形状には関係しない、という事が解っています。まぁ、諸説あるようですが、私には良くわかりません。

まずは比較的メジャーな作品から、映画のタイトルは、左上、右上、左下、右下の順に。


ジョージ・パル作品『地球最後の日』(1951)のアーク号の別角度。ザイラに着陸するところ。

同じくジョージ・パル作品から『月世界征服 』(1950)のLUNA(ルナ)

日本映画から『宇宙大戦争』(1959)のスピップ号。東宝作品には流線型のデザインが多く登場しました。

ハリーハウゼン作品から、『地球へ2千万マイル』(1957)に登場した金星探査ロケットの墜落シーン。イーマ竜を地球へと運んできました。

続いて


東ドイツ/ポーランドの合作『金星ロケット発進す』(1959)のコスモストレーター

ソ連映画『火を噴く惑星』(1962)で三機登場するうちの、これはベガ

イブ・メルキオール作品から『S.F.第7惑星の謎』(1961)のエクスプローラー12。移動手段として登場するだけですが、惑星間を突き進む姿は当時のSF作品では定番とも言える演出。

同じくイブ・メルキオール作品から『巨大アメーバの惑星』(1959)のMR-1。これもほとんど移動手段としての登場。
イブ・メルキオールって宇宙船はあまり重視していなかったのか、どちらも面白味に欠けるデザインで、流線型というよりもペンシル型。

かなりマイナーな作品から


ハマー・プロ作品『原子人間』(1955)の探査ロケット。おっと、これは比較的メジャーな作品でした。宇宙生物を持ち帰ってきたやつで、墜落シーンのみ。

『恐怖の火星探険』(1958)に登場した火星探査ロケット、チャレンジ141号。『エイリアン』(1979)の元ネタとされる作品。

『宇宙レンジャー:ロッキー・ジョーンズ』(1954)で主人公が乗る宇宙船。元々はテレビ・シリーズ。

絵に描いたようなペンシル型ロケットは『幻の惑星』(1961)の宇宙船ペガサス。主人公が「小人たち」の世界に着陸するという、宇宙版「ガリバー旅行記」ともいえる内容で、結構面白かったです。

最後は、そんなのだれも知らねぇよ、というような作品から


テレビ・シリーズ『アウターリミッツ』 (1963〜1964)の第六話「生まれてこなかった男」に登場した宇宙船。作品自体はメジャーだけど、こんな宇宙船だれも覚えていないでしょう。『スペース1999』(1975〜1977)のマーティン・ランドーがこのエピソードの主役でした。

『火星探険 ROCKET SHIP X-M』(1950)のX-M号。人類初の有人月ロケットが、軌道を外れて火星に到着してしまうという信じられない設定の作品。着陸シーンでは実写を使用しているため、着陸後とでは宇宙船の形が全く違うという低予算の最低映画。

『人間ロケット』(1953)のAS-1号。人類初の有人ロケットで宇宙に挑戦する物語。これも他の作品からの流用が多く、シーンによってロケットの形が違うという・・・ハマー・プロの作品。

イタリア製のSF映画『ASSIGNMENT OUTER SPACE 』(1960)に登場したBZ-88。日本では未公開で、SFチャンネルで放映された時のタイトルは『SOS地球を救え』。大活躍するBZ-88号のデザインもよく、映画全編が宇宙でのシーン。意外とマトモな作品でした。

こうして並べてみると、邦題に「惑星」がつく作品が多いですね・・・

現在のSF映画でも流線型と呼べるデザインの宇宙船は結構ありますが、この時代の宇宙船はいたってシンプル。レトロでありながら、未来を感じさせるデザインは今見てもワクワクします。

火星人地球大襲撃


前回の『原子人間』『宇宙からの侵略生物』に次ぐ「クォーターマス教授」シリーズの第三弾が前作から10年後に作られた『火星人地球大襲撃』(1967)

ブライアン・ドンレヴィのジジイ化が進んだため、今回はアンドリュー・キアがクォーターマス教授を演じています。

ロンドンの地下鉄工事現場で、奇妙な物体と類人猿の骸骨が発見されるところから映画は始まります。

その物体はダイヤよりも硬い未知の材質で作られており、類人猿は脳だけが異常に発達していた。クォーターマス教授は、その物体が火星から500万年前に飛来した宇宙船であるという仮説を立てる。

一方、この場所は昔から古代から悪魔の出る場所として恐れられており、多くの心霊現象が報告されていた。そして、作業員がその宇宙船の内部で、小鬼の幽霊を目撃するなどの怪奇現象が起りはじめる。

さらに、その物体の中から昆虫のような生物の死体が発見され、調査を進めていくうちに、火星人が地球にやってきた目的と、人類進化の秘密が明らかになっていく・・・

というストーリーですが、これは面白い!!

サスペンス重視のストーリーと演出はかなり楽しめるもので、低予算ながらこれは名作と言ってもいいのではないでしょうか。

発見された宇宙船と、現代でも目撃例が後を絶たないポルターガイストなどの怪奇現象を結びつけるという発想。その怪奇現象から謎が解明されていくという過程も面白い。火星人の思念を通じて、5000年前の火星が映像化されるというアイデア。ミステリアスな展開とクォーターマス教授による謎解き。「地球人の頭脳の進化や本能は、実は異星人によって操作されていた」という設定は当時としては画期的なものだったのではないでしょうか。

残留思念により作り出された巨大な火星人の姿がロンドンの上空に現れるというクライマックスは圧巻で、最後まで目が離せない演出は見事としか言いようがありません。


ナイジェル・ニールの脚本が素晴らしいのでしょう。この人、ハリーハウゼンの作品では『H.G.ウェルズのS.F.月世界探険』(1964)の脚本も担当しています。

この「クォーターマス教授」シリーズですが、どうやら海外では「最終章」というものが存在するらしく、その作品(テレビ・シリーズでしょうか?)のラストでは地球を守るために核爆発の犠牲となって死んでしまうようです。

脚本家のナイジェル・ニールはこれによって続編が作れないようにしたのだとか。

ところで、ハマー・プロのSF作品って独特の雰囲気がありますね。ホラーとSFが見事に融合している、というか、上手く表現できませんけど・・・

ちなみのこの作品は興行的には今ひとつで、日本ではテレビ放送のみ。まぁ、地味といえばたしかに地味。邦題の『火星人地球大襲撃』から連想されるような円盤群の襲来などのシーンも無く、出てくるのはチンケな死体と火星人の残留思念のみ。

この作品の弱点は、やはり特撮のチープさ。あまりにも作り物然とした火星人の死体などは、それだけで作品の評価を下げる一因になっていると思われるほど酷いものでした。

SFXが素晴らしければ、誰もが認める傑作になったのに・・・。5000年前の火星のシーンの特撮、あまりにもチープすぎて笑ってしまいました。手足が全く動かないイナゴが人形劇のように移動するシーンはある意味必見。


原子人間


『原子人間』(1955)はクォーターマス博士を主人公にしたTVシリーズを、ハマー・プロが映画化権を買い取って製作した作品で世界的なヒットを記録。
ホラー映画のイメージが強いハマー・プロですが、この作品の成功でSFにも力を入れるようになり、「クォーターマス」シリーズでは『宇宙からの侵略生物』(1957)と『火星人地球大襲撃』(1967)と二本の続編も製作されました。

人類初の有人ロケットが突如地球に帰還し、ある村に墜落するところから映画は始まります。

三人の乗組員のうち生存者は一人で、他の二名は宇宙船から姿を消していた。
ロケット開発の責任者であるクォーターマス博士が調査に乗り出すが、生き残った宇宙飛行士の姿は次第に怪物へと変化していく。
彼の体には、未知の宇宙生物が寄生していたのだった・・・

未知の生物が体に付着し、地球に帰還。それが怪物に変化して地球が大ピンチ、というパターンは多くの映画に見られるありがちなストーリーと思われそうですが、この作品が作られた1955年当時としては斬新なものだったと思われます。この作品が後の同じパターンの映画のフォーマットになったと考えるのが正解かもしれません。

しかし、特撮に関しては低予算丸出し。

クライマックスとなるウェストミンスター寺院でのシーンではも、タコのように変化した怪物が姿を現すのですが、特に大暴れするわけでもなくゆらゆらと動くだけで、最後は意外と地味に殺されてしまうという・・・

この映画、明らかに特撮などのビジュアル面を楽しむ映画ではありません。優れたサスペンスとストーリーを堪能すべきでしょう。


個人的に好きなシーンその一

乗組員の唯一の生存者であるヴィクターを演じたリチャード・ワーズワースの演技。骨と皮膚が日々変化していく様子の特殊メイクは秀逸でした。

その二

主人公クォーターマス博士を演じたブライアン・ドンレヴィの演技、というか、この作品でのクォーターマス博士の人格。実験を失敗しようが、怪我した男の妻に責められようが、警察に追及されようが全くめげない。気持ちいいほど堂々とした演技。自らの実験の失敗から怪物を生み出し、多大な犠牲を出したにも関わらず、「実験再開だ」の一言を残して現場を立ち去る後姿の頼もしい事! でも見る人によっては腹立つんだろうなぁ・・・

その三

事態を重く見た政府が、ウェストミンスター寺院からのテレビ放送を通じて国民に警告を発する場面。

テレビ放送中に死体が映し出されるという緊急事態が発生。そして寺院に現れた怪物を偶然TVカメラが捉えてしまう。皆が見守る中、TVカメラを通して怪物がその全貌を現す、というゾクゾクするようなサスペンスは見ごたえあり。

この素晴らしい演出に私はマジで感動しました。

低予算だからって、この作品を他の1950年代のB級作品と一緒にしてはいけません。SFファンならは絶対に抑えておきたい一本です!

最後に、「クォーターマス」シリーズの第二作目『宇宙からの侵略生物』についてちょっと。


前作とほぼ同じメンバーで製作された作品で、内容は侵略物SF。

取り付かれた人々は意識を支配され、助けを求めて駆け込んだ警察の警視総監までもがいつの間にかエイリアンに・・・って、これはほとんど『ボディ・スナッチャー』と一緒じゃないですか。

監督のヴァル・ゲストは『ボディ・スナッチャー』の存在も知らなかったって言ってますが、真相はどうなんでしょう?

でもまぁ、面白いです。サスペンス性は前作以上、とだけ言っておきましょう。

第三作目の『火星人地球大襲撃』についてはそのうちに・・・

月世界旅行 ジョルジュ・メリエス


ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1902)といえば、世界初のSF映画とされていて、宇宙SFの歴史を語る本やビデオなどでは必ず真っ先に登場する作品です。そんな理由から、ほとんどの特撮ファンはこの作品を知っていることでしょう。

例えば、宇宙船の発射シーンや擬人化された月に砲弾型の宇宙船が突っ込む場面など


しかし、結末まで知っている人は意外と少ないかも・・・

砲弾型の宇宙船で月へと到着した六人の科学者は、巨大なキノコを発見して大喜び。やがてシレナイトと呼ばれる月の住人に出会います。
戦闘的なシレナイトに襲われた科学者たちは、持っていた傘で対抗。傘で叩くとボンッと煙になって消滅してしまいます。
なんとか追っ手を振り切って、再び宇宙船で地球へと帰る・・・

とまぁ、15分程度の作品なので、あらすじはこんなところです。

映画全編を見ていない人は、発射台が無いのにどうやって地球へ帰ったのか、と疑問に思うことでしょう。私が最初に見た時には、その意外さに結構ビックリしたものです。

想像もしなかったその帰還方法とは、なんと自然落下。

月にある崖の上から宇宙船を落とすとそこが地球の海だった、というのがオチ。地球の上にある(と思われる)月から地球まで落っこちるという・・・なんとも大らかというか、アホらしいというか。そして内部に空気が密閉されていたため海面まで浮かび上がり、蒸気船に発見されて港へと戻って映画は終わり。


こういったリアリティを一切無視した荒唐無稽ぶりは、お客を楽しませようとするメリエスならではのもの。当たり前の事ですが、決して当時の科学水準で考えられていたからではありません。

メリエスは奇術師で、自分の劇場を所有する興行主でもありました。やがて映画作家に転身したメリエスは、さまざまな映画撮影の技法を開発し、映像の魔術師と呼ばれるようになります。そして、その代表作が『月世界旅行』というわけです。

初めて「編集」というものが使用されたのもこの作品で、「複数のシーン」と「ストーリー」が存在した、というだけでも当時としては画期的な事だったのです。

長くなるのでここでは書きませんが、メリエスについて書かれた本などを読んでみると、ショーマンシップに溢れた人物で、非常に優れた芸術家でもあるという事が分かります。

奇術ショーでは大成功を収めたメリエスですが、映画の製作者としては大成しなかったようです。

時代を読むという能力に長けていなかった、といわれるメリエスの作品はステージ・ショーの域を出ておらず、同じような作品ばかりが続き、観客に飽きられるのも早かったとか。

興行主としての視点から映画を作っていたせいですかね?

確かに『月世界旅行』も舞台劇を見ているようですが、私は結構楽しめます。

映画制作で負債を重ねたメリエスは、1912年には映画界から身を引き、ついには破産してしまいます。晩年は駅のキオスクで店番をして生計を立てていたそうで、1938年に極貧のうちに死去したという事です。

この作品が作られた1902年は、日本では明治35年ですか・・・

こういった作品は、当時の観客になったつもりで鑑賞する、というのが一番いいのかも知れません。

キング・コング(1933年版)


監督はメリアン・C・クーパー、ウィリス・H・オブライエンが特撮、ストップモーションを担当した『キング・コング』は、もはや何の説明も要らないほど有名な作品。

そんな理由から私のブログでもあえて取り上げなかった作品なのですが、先日久しぶりに鑑賞しまして・・・

いやぁー、やっぱり面白い。

特撮映画の原点ともいえる記念碑的な作品なのですが、それだけではなく現在見ても十分にたのしめる傑作です。

1933の製作という事を考えると驚異的な映像ですね、これは本当に凄い!!

南海の孤島にそびえ立つ城壁、独特のジャングルの雰囲気、コングや恐竜の出てくるタイミング、映画全体のテンポなど、どれをとってもパーフェクト。音楽も含めて文句のつけようが無いほど良く出来ています。

古さを感じるとすれば、ちょっとギクシャクしすぎのストップモーションくらいのもの。それでも、当時の人は相当びっくりしたことでしょう。モンスターを撮影するカメラのアングルが良いので、ド迫力の映像に仕上がっています。城壁を破って外に出るシーン(一番上の写真がそれ)などは本当にシビれました。


こうして書いていても、当たり前すぎる褒め言葉しか出てきませんので、個人的にお勧めのシーンでも。

コングとティラノサウルスの対決は、ボクシングの経験者でもあり、レスリングなどの格闘技が好きだったオブライエンが、その要素を取り入れる事によって生まれた名シーンです。
コングの動きがボクシングのフットワークのようで面白い。そればかりか、恐竜に対して「片足タックルで倒す」、「背負い投げで投げ飛ばす」、「バックに回って背中に飛び乗って首を絞める」などの戦い方はまるで現在の総合格闘技。モンスター同士の肉弾戦とは思えないようなシーンが続出します。

あと面白いのは、コングの毛並みが風でなびいているように見える事。
これはコングの体毛がウサギの毛皮で出来ていて、ストップモーションの撮影中にモデルを掴むたびに指の跡が残ってしまった、というのがその理由。
これはどのシーンでも確認できますが、ラストのエンパイア・ステート・ビルのシーンが一番分かりやすいかも知れません。災い転じて、というか本当に風で毛が逆立っているように見えて面白い効果になっています。

そういえば、ハリーハウゼンは自身の作品では指の跡が残らないように細心の注意を払い、なるべくカメラの反対側からモデルを動かしたそうです。

もう一つ、

オブライエンの作品にしては珍しくモンスターが「演技」をしている事。ラスト・シーンのコングの表情が切ない。

当時の最新技術を導入して製作された『キング・コング』はRKOを倒産から救い、映画史上最も有名なモンスター、コングを生み出し、レイ・ハリーハウゼンが映画界に入るきっかけを作りました。
この作品が特撮映画に与えた影響は計り知れません、そして続編『コングの復讐』が製作されることになるのですが・・・この問題作については気が向いたら、書いて・・・みようかなぁ、と

他に思った事

ヒロインのフェイ・レイ、絶叫シーンが多いなぁ、絶叫専門の声優さんの吹き替えだと思っていたら、本人の声だそうです。

どうして、オブライエンってモンスターの顔のアップをやたらと挿入するのかなぁ? ストップモーション用のモデルと造型が違いすぎて違和感あるんですけど・・・


妖女ゴーゴン


見た者を石化させるというギリシャ神話のゴルゴンが登場する映画言えば、真っ先に思い出されるのが、レイ・ハリーハウゼンの『タイタンの戦い』(1981)でしょう。

『妖女ゴーゴン』(1964)は、ハマー・フィルム・プロダクション製作、ピーター・カッシング、クリストファー・リーの2大スターが競演している怪奇映画。
何回もテレビで放送されていた事もあり、ゴルゴンといえば、この作品を思い出すも多いのではないでしょうか。

ハマー・フィルムといえば

『フランケンシュタイン』や『ドラキュラ』シリーズなど多くのホラー映画の名作を作りだした製作会社。代表作は、『原子人間』(1955)、『フランケンシュタインの逆襲』(1957)、『吸血鬼ドラキュラ』(1958)、『バスカヴィル家の犬』(1959)、『吸血ゾンビ』(1966)、『蛇女の恐怖』(1966)などなど。
ハリーハウゼン作品では『恐竜100万年』(1966)、以前に紹介したこともある『恐竜時代』(1970)もハマー・フィルムの作品です。

『妖女ゴーゴン』の時代設定は20世紀初頭、舞台となるのはドイツの片田舎バンドルフ村と、その村にある無人のボルスキ城。

この村に住む画家と恋人の女性が相次いで死体で発見されるところから映画は始まります。

ドクター・ナマロフ(ピーター・カッシング)と助手のカルラ(バーバラ・シェリー)が女性の死体を解剖室へ運ぼうとすると、死体は石と化していた。その後、警察の捜索により、画家の首吊り死体が発見されるのですが、警察は画家が恋人を殺した後に、良心の呵責に耐えかね自殺したと結論づけてしまいます。

これに納得いかないのが画家の父親であるハイツ教授。

教授は息子の汚名を晴らそうと独自に捜査を開始するが、古城に潜入した際、ゴーゴン三姉妹の一人、メゲーラに遭遇して全身を石に変えられてしまいます。
完全に石化する前に(この作品ではゆっくりと石化が進行するのです)、ハイツ教授が書き残した手紙を読んだ教授の次男ポールは、カルラの助けをかりて真相究明に乗り出します。

これにポールの恩師であるマイスター教授(クリストファー・リー)が加わり調査を進めていくうちに、驚くべき事実が明らかになっていく・・・

だいたいこんなストーリーなのですが、この作品は単なるショッカー映画ではなく、謎解きの過程も楽しめるという、なかなかの良作だと思います。

ところで

この作品では、メドゥーサ、ティシホニー、メゲーラがゴーゴンの三姉妹とされていましたが、ギリシャ神話では、スステノ、エウリュアレ、メドゥーサとなっています。
神話でのティシホニーとメゲーラは、「ゴルゴン」ではなく「エリニュス」と呼ばれる「復讐あるいは罪の追求の女神」の三人のうちの二人です。
翼を持ち、頭髪は蛇の恐ろしい形相をしている、という点は共通してますが、この作品で何故メゲーラがゴルゴンとして扱われたのかは不明。まぁ、深い意味は無いのでしょうが。

女性コーラスが不気味なオープニングの音楽、ドクター・ナマロフの医学研究施設、怪しげな村人たち、数千年も前からゴーゴンが住み着いているというボルスキ城の不気味さはいかにも怪奇映画といった趣。


ドクター・ナマロフは何故、死体が石化した事実やゴーゴンの存在を否定するのか? 全ての村人たちが真実を避けようとしている理由は何か? 伝説によればメゲーラは人の身体にとり付く事もあるという。村人の誰かの中に入っているとすれば、メゲーラの正体は誰なのか?

推理小説風に秘密が解き明かされる過程は見ごたえあり! 

しかし、

登場人物が少ない事もあり、ほとんどの人が映画の中頃には真相に気付いてしまうでしょうけど・・・

そしてやっぱりピーター・カッシングとクリストファー・リーの対決は見ごたえありますねぇ。

バン・ヘルシング教授vsドラキュラ伯爵

最近のSFファンからすると、モフ・ターキンとドゥークー伯爵ですか。

最後ですが、

ちょっと残念だったのが、ゴーゴンの扱い。あれほどのインパクトある造型(メイク)だったにも関わらず、登場シーンがあまりにも少なく、ただ突っ立っているだけでした。アップで見るとチープさが目立つからでしょうか?
そして、ラストのあっけなさは、『タイタンの戦い』の息詰まるメドゥーサとの戦いと比べるとあまりにも拍子抜け。

ミステリアスな展開が楽しめるこの作品に、クライマックスでのゴーゴンとの戦いがプラスされていたら、なんのためらいも無く「名作」と言えたような気がします。

子供の頃にテレビで見て、最も怖かった怪物の一人がこれ。


でもこれって特殊メイクというよりも、ただの「メイク」ですよね? だから尚更怖かったのかも。その辺に本当にいそうな気がします・・・

プリズナーNo.6(Part2)


前回の続きです。

いきなり余談ですが、上の写真に注目!

『プリズナーNo.6』には『新ルパン三世』の元ネタになったと思われるエピソードが二つあります。

第一話の『地図にない村』と第十三話『思想転移』がそれ。

『地図にない村』の基本設定を拝借したのが、新ルパン三世62話「ルパンを呼ぶ悪魔の鐘の音」というエピソード。
これは、ある村に囚われてしまった次元と五右ェ門をルパンが救出に行くというストーリーで、結末こそ違うものの、次元と五右ェ門がそれぞれ、「106号」「107号」というナンバーで呼ばれているところや、村から脱出を図ろうとする逃亡者を包み込んで殺してしまう球体が登場するところがそっくり!

「ナンバーなんかで呼ぶな! 次元と五右ェ門だ」というセリフにちょっと感動。

『思想転移』は、セルツマン博士の残したした機械で、大佐と呼ばれる男と「No.6」の精神が入れ替えられてしまうという話。
「No.6」は目が覚めると別人となってロンドンの自宅にいた。セルツマン博士を連れ帰らないと元の体に戻れない事を悟った「No.6」は、装置を開発したセルツマン博士の行方を捜すのだが・・・

これは、新ルパン三世139話「ルパンのすべてを盗め」とそっくりな話ですが、もしかしたら原作者が独自に思いついただけで、偶然かもしれません。

閑話休題

主人公のパトリック・マクグーハン氏についてちょっとだけ


彼は『007シリーズ』のジェームス・ボンド役の第一候補で、ショーン・コネリーよりも先にをオファーされていたが断った、というのは有名な話。

『秘密諜報員ジョン・ドレーク』(1964〜1966)で評価されたマクグーハンは、『プリズナーNo.6』では製作総指揮、監督、脚本、主演を全てこなし、その名声を不動のものとします。

映画では『アルカトラズからの脱出 』(1979)での所長役が印象的でしたが、多くの人はTVムービーの『刑事コロンボ』でのイメージがあるかもしれません。
『祝砲の挽歌』と『仮面の男』で犯人役、『さらば提督』と新シリーズの『完全犯罪の誤算』、『復讐を抱いて眠れ』、『奪われた旋律』では監督もやっています。

最後に

現在、『プリズナーNo.6』はDVD-BOXで販売されています。全部で6巻ありますが、全てのエピソードが見れなくてもいいのであれば、バラでも入手可能。

ちなみに、『プリズナーNo.6』は7話完結のシリーズとして企画されたものでした。

第一話  地図にない村

第二話  ビックベンの鐘

第四話  我らに自由を

第八話  死の筋書

第九話  チェックメイト

第十六話 最後の対決

第十七話 終結

これが、元々の企画にあった7話です。

諸事情により全17話となったわけですが、中にはシュールすぎて理解できないような話もあります。

というわけで

DVDを買うとしたら、最初と最後、一巻と六巻は必要ですね。基本的には一話完結なので、これに二巻か三巻のどちらかを買えば十分だと思われます。
四巻と五巻には上記のどのエピソードも含まれていないので、全部見なくてもいい、という人には必要ないかもしれません。

でも、ツボに入ったらハマリますよ、この作品は。

プリズナーNo.6(Part1)


『プリズナーNo.6』(原題は『The Prisoner』)は1967年にイギリスで放映されたTVシリーズで、日本でも何度か放送されていますが、これを見た事がある人は少ないのではないでしょうか。

主人公は、パトリック・マクグーハン演じる諜報部員と思われる男。
上司に辞表をたたきつけ自宅へと戻った主人公が荷物をまとめていると、何者かに催涙ガスを嗅がされて拉致されてしまう。
目が覚めてみると、彼は見知らぬ「村」にいた。
世間と隔離された「村」と呼ばれるその場所では、住人は名前を持たず全て番号で呼ばれ、村の至るところに配置されたカメラによって常に監視されていた。
彼に与えられた番号は「No.6」
姿を見せない支配者は「No.1」と名乗り、その代理人である「No.2」は「No.6」に「情報」を提供するよう強要する。

というわけで、

「No.2」が様々な手段で「No.6」から情報を引き出そうとし、「No.6」は知恵と体力を使って「村」から脱出しようと試みる、というのが基本的なストーリーになっています。

面白そうでしょ?

ただ、

良く言えば、奥が深いという事なのでしょうが、あまりにも難解で不条理。謎が謎を呼ぶストーリーは、見る者の判断よって多くの解釈が生まれ、番組終了から40年経った現在でも、熱狂的なファンがこの作品について論争を続けていると思われます。

『2001年宇宙の旅』みたいなモンですかね?

この作品について本気で語ろうとすると何ページあっても足りないので、今回は私自身の解釈は書きません。というか、良く分からんのですけど・・・

とりあえず、

見た事が無いという人向けに、簡単に書いてみましょう!

管理された社会の中で自由を得るために、個人がいかにして戦うのか・・・これが『プリズナーNo.6』のテーマであると言われています。ようするに社会批判ですね。

以下は、番組冒頭で毎回流れるセリフです。

「ここは何処だ?」
「村だ」
「要求は何だ?」
「情報だ」
「どっちの味方だ?」
「今に判る。我々が欲しいのは情報だ。情報、情報・・・」
「喋るものか!」
「何が何でも喋らせる。」
「お前は誰だ?」
「新しいNo.2だ。」
「No.1は誰だ?」
「お前はNo.6だ。」
「番号で呼ぶな! 私は自由な人間だ・・・」

というわけで、

・「No.6」はなぜ辞職し、彼が持つ「情報」とは何なのか?

・「村」はどこにあるのか?

・「No.1」の正体はだれなのか?

探偵物のような謎解きと、今回こそ「No.6」は脱出できるのか…といったサスペンス性が番組の見どころ。

主人公の素性がはっきりとせず(名前すら明かされていません)、「村」を運営している組織がどこの国なのかも視聴者に明らかにしないまま、物語は進んで行きます。

村からの逃亡を企てる者は、「ローヴァー」と呼ばれる物体に阻まれてしまいます。巨大な風船のような物体は、意思があるかのように動き回り、逃亡者を捕らえます。おそらく機械なのでしょうが、その仕組みは全く分からず・・・シュールとしか言いようの無い存在でした。

難解どころか全く理解不能と思われる話もありますが、全部で17話あるエピソードは、SF、スパイ物、西部劇、不条理劇、サスペンス、アクションとバラエティに富んでいてどれも楽しめるものばかり。

シュールで奇想天外ゆえに、なかなか古びないのもまた事実。今でも十分楽しめると思います。

長くなったので次回Part2に続きます・・・

ハゲ頭の宇宙人


今週も休み無しか、疲れたなぁ。

というわけで、

今回は映画ではなく、雑談のような・・・

宇宙人は禿げ頭

前回書いた『マーズアタック』の脳みそ剥き出しの火星人を見ていて思ったのですが、SF作品に登場する宇宙人ってほとんど禿げ頭ですよね?

爬虫類や深海魚のようなデザインが流行った時期もありました。それでも高度な知性をもったエイリアンか? と思ったりもしたものですが、古い特撮映画には人間タイプの禿げ頭宇宙人がよく登場したものです。

あとは、アンテナみたいのが二本生えているとか・・・

H・G・ウェルズの考えた火星人(上の写真右)

エド・カーティアがパルプ雑誌に書いた宇宙人(上の写真左)

FBIに捕まったエイリアン

解剖された宇宙人

『未知との遭遇』に登場した典型的なグレイ・タイプのエイリアン

こらの宇宙人は全部ハゲ頭。

その理由は、ストレスで禿げたとか、仏教徒であるとかそんなアホらしい理由ではなくて、簡単に言ってしまえば、先入観ですよね。

人間が進化した形態=究極の進化形(宇宙人)=毛が無い

という事

下の写真はアウターリミッツの「狂った進化」より、左が普通の人間で、それが進化したのが右の未来人。


猿から進化した人間は、猿よりも体毛が少ない。さらに進化していると考えられる宇宙人は、もっとたい毛が少ないだろう、という単純な発想です。

寒さをしのぐために、服を着るという事を発明した人類は、次第に体毛が必要なくなった、と。進化論的にはそうゆう事らしいです。

そういえば、H・G・ウェルズの考えたタコ型火星人の形態は、一応科学的根拠に基づいて考え出されたものでした。

高度な知性を持ので頭が大きく、諸器官が無用化し、重力が少ないので足は細いというシンプルな理由がそれ。そのイメージが未だに我々の脳ミソにしっかりと刷り込まれております。

禿げで悩む必要が無くて羨ましい宇宙人たちの写真で今回はおしまい・・・


地底王国


1976年製作の『地底王国』

ケヴィン・コナー監督が『恐竜の島』(1974)に続いて監督した作品で、原作はエドガー・ライス・バロウズの『地底世界ペルシダー』

地底戦車アイアン・モールを発明したペリー博士は、良き理解者である青年デイビッドと共に地底へと旅立つ。しかし、途中で操作不能となってしまったアイアン・モールは、伝説の地底王国ペルシダーへとたどり着く。
そこはメーハー族と呼ばれる鳥人族が、人類を奴隷にして支配している世界だった。人間たちの王女ディアと知り合ったデイビッド達は、人類を救うためにメーハー族が率いる怪物たちに戦いを挑む決意をする・・・

面白そうです、そして当時の宣伝コピーは、

現代科学の粋を集めた地底探検ロケットがついに発見した謎の世界!
そこは不気味な巨大怪獣が人間を支配していた!

地底に広がる別世界というテーマは確実にSFファンの琴線に触れます。そして、B級映画ファンが泣いて喜びそうなビデオのパッケージ。これでは特撮ファンが見ないわけありませんね。

主演はケヴィン・コナー監督の初期SF作品の全てでヒーローを演じている、お猿さんのような肉体派俳優、お馴染みダグ・マクルーア。
王女ディア役には、『シンドバッド黄金の航海』(1973)のキャロライン・マンロー。王女とはいえ、最初は奴隷。『黄金の航海』とほとんど同じイメージでした。
そして、この映画のおとぼけキャラであるペリー博士役を演じているのがピーター・カッシング。カッシングといえば、クリストファー・リーと並ぶホラー映画のトップ・スター。

ケヴィン・コナー監督作品の特徴といえば、海外作品としては珍しく、操演や着ぐるみの怪物が数多く登場するという事。

はっきり言って、この映画でワクワクするのは、冒頭のアイアン・モールの出発シーンまででしょう。直訳すると、鉄モグラ。サンダーバードみたいで格好いいです。


このシーンはこれからの冒険を期待させてくれるのに十分な出来栄えですが、地底王国に到着してからは、これでもか、とばかりに着ぐるみ丸出しの怪物が大挙登場します。


これらを初めて見た時の脱力感といったら・・・

顔がオウムで、体が恐竜の怪物。異常に動きの鈍いカバのような怪物と戦うヒーロー。ワイヤーで吊られてふらふらと空を飛ぶメーハー族などなど。人間よりも一回りだけ大きい着ぐるみ怪獣は、その造型も含めて何だか微妙。

うーむ、いくらなんでもこれでは・・・

出来れば、全てノーコメントで通したい気分ですけど(^^;)

特撮の出来は『ウルトラQ』以下で『ウルトラ・ファイト』よりは上、といったところ。着ぐるみの怪物が昔の『シルバー仮面』や『仮面の忍者赤影』を彷彿とさせる、と言えば知っている人には分かりやすいでしょうか。

弓矢で射られ、落下して爆発する怪物なんて、日本の子供向け番組以外で見たの初めてです。こういうのを楽しめるのって、小学生くらいまでじゃないでしょうか?

あまりにも簡単な地底王国への到着。お色気担当のはずのキャロライン・マンローの出番が少なすぎ。本当にそれで大丈夫か?と思わせるほど大雑把でやぶれかぶれな印象のメーハー族襲撃作戦。舞台が地底のせいもあるが、映画全体を通して画面が暗く、開放感が無いのもマイナス。

しっかりとしたストーリーだった『恐竜の島』や『アトランティス/7つの海底都市』(1978)と比較すると、ゲテモノ度数が極めて高い印象。

地面から唐突にアイアン・モールが現れるという帰還シーンは、いかにも大らかさが特徴のケヴィン・コナー監督作品らしいエンディングでした。


結局、この映画で一番楽しめたのは、ひょうきんな老教授を演じていたピーター・カッシングのコミカルな演技でした。これが『スター・ウォーズ』(1977)のモフ・ターキン総統と同一人物とは・・・

これだけでも、この映画を見る価値はあると思います。ホラー映画でのカッシングしか知らない人は必見!!

ジャックと悪魔の国


今回はプロジェクト・アンリミテッドつながりで『ジャックと悪魔の国』(1962)

ペンドラゴンにさらわれた姫を追って、魔術師の島へと渡った農夫ジャックの活躍を描いたファンタジー作品で、ストップモーションによるモンスターが大挙登場して大暴れする冒険映画。

ハリーハウゼン作品の『シンバッド七回目の航海』(1958)のシンドバッド役であるカーウィン・マシューズと魔術師を演じたトリン・サッチャーが、この映画ではそれぞれ主人公のジャックと魔術師ペンドラゴンを演じています。そして監督も『七回目の航海』と同じネイザン・ジュラン。

登場するモンスターもレイ・ハリーハウゼンもどき・・・


プロデューサーのエドワード・スモールはどうしてここまで『シンバッド七回目の航海』に似た作品を企画したのかはホームページに書いてあるので省略・・・しないでちょっとだけ書いておきましょう。

簡単に言ってしまうと、

ハリーハウゼンは『シンバッド七回目の航海』の企画をエドワード・スモールの所に持ち込んだが門前払い。その後、『シンバッド七回目の航海』は大ヒット。

というわけで、

エドワード・スモールは必死に柳の下で2匹目のドジョウを探したわけですが・・・

ハリーハウゼンに特撮を依頼するも断られ、興行的にも大失敗という散々な結果となってしまいました。

確かに映画の出来は『シンバッド七回目の航海』と比べると雲泥の差。予算の都合もあるのでしょうが、同じ監督、主演俳優なのにハリーハウゼンがいないだけでこうなってしまうのか、という印象。

さて、

この作品の見どころはやはりストップモーションで動かされるモンスターたちでしょう。

サイクロプスもどきのコーモラン、双頭の怪物ガルガンチュア、タコのような善玉シーモンスター、猫顔のペンドラゴンなどなど。

特撮はハワード・A・カンパニーが引き受け、前回のブログで書いたプロジェクト・アンリミテッドに下請けされました。チーフ・アニメーターは当時19歳だったジム・ダンフォース。

ちなみに、ダンフォースはプロジェクト・アンリミテッドの所属ではなく、腕を買われ仕事を以来されていた、という関係。ウォーレンはダンフォースはそりが合わなかったものの、アニメーターとしての実力は認めていた、という事でしょう。

しかしこの映画のモンスターたち、写真で見ても一目瞭然ですが、その造型は褒められたものではありませんね、リアリティも可愛げも無いというか・・・

これらのモデルはジーン・ウォーレンと共にプロジェクト・アンリミテッドを立ち上げたウォー・チャンが製作したものですが、ダンフォースは不満たらたら・・・ソフビ人形のようなモデルを毎日アニメートするのは相当辛かったようです。

この映画の長所は作品全体から感じられる独特の大らかさ、悪く言えば脱力系かも・・・。どこか憎めないし、愛しく感じてしまうのが不思議。私は結構気に入っています。


ジャックと魔術師の戦い。魔法をこれほどキラキラと表現するこのセンスが凄い・・・

最後の海底巨獣


最後の海底巨獣(1960)の舞台はカリブ海。海底で氷漬けとなっていたティラノサウルス(アロサウルスかな?)とブロントサウルス、そして一人の原始人が発見され海岸に引き上げられる。二頭と一人が落雷のショックで蘇り、孤立した島で大暴れ・・・とまぁ、こんなストーリーの映画です。

何度かテレビで放送されていましたね。もう二度と見る事もないだろうなぁ、と思っていたら最近DVD化されました。

お笑い、コメディリリーフ的な扱いの原始人、その原始人と少年の友情物語、恐竜や原始人で一儲けを企む権力者の存在、そしてトホホな出来栄えの特撮・・・あらためて見てみると、絵に描いたようなB級娯楽作品ですね、これは。

まぁ、ストーリーなどどうでもいいです。

この作品の見どころは、やはりストップモーションで動く恐竜たち。クライマックスの恐竜vs重機の戦いももちろんストップモーションで撮影されています。

イフェクツ・アドバイザーとして、ストップモーションの生みの親、『キングコング』のウィリス・オブライエンが参加。恐竜の造型はやはり『キングコング』を造型したマーセル・デルガド。そして、実際に特撮を担当し恐竜をアニメートしたのは、プロジェクト・アンリミテッドのメンバー達。

プロジェクト・アンリミテッドというのは、ジョージ・パルのパペトゥーンのスタッフだったジーン・ウォーレンとウォー・チャンが設立した会社で、あの、ジム・ダンフォースも関わっており、ティム・バーやジョージ・パルの息子デイヴ・パルもそのメンバー。
ジョージ・パル作品をはじめ、『アウターリミッツ』などの特撮も手がけた60年代を代表するイフェクツ工房で、『タイム・マシン/80万年後の世界へ』(1960)ではアカデミー特殊効果賞を受賞。

この映画の為に集結したメンバーの凄いこと!

しかし、

恐竜たちの動きはぎこちなく、その造型は玩具のようでとてもマーセル・デルガドの作品とは思えない。

これは一体どうした事か?

この映画のプロデューサーは低予算映画専門ジャック・H・ハリス。

ハリスはもともと時間と費用のかかるストップモーションには反対で、ウィリス・オブライエンとは対立。しかし、ジョージ・パルに紹介されたプロジェクト・アンリミテッドにもストップモーションを勧められ、仕方なくこの作品でストップモーション採用したという経緯があったのです。

これらの事実から推測すると、メンバーは揃ったものの、ストップモーションで撮影するには時間も予算も無かったという事でしょう。

どんなに優れたイフェクツマンを揃えても、予算がなければこうなってしまうのですよ、とこの作品は私たちに語りかけているようです。


なかなかいい味だしている作品だと思うのですが、はっきり言ってしまえば、わざわざ好んでB級映画を見たがる人にしか楽しめない作品でしょう、私のように・・・

渚にて


私のブログで取り上げるSF作品といえば、モンスターや宇宙人が登場し、流線型の宇宙船で他の惑星に行って、効果音はピコピコピコ・・・

今回は、そういった冒険心をくすぐられるような特撮とは全く無縁の『渚にて』(1959)

もしかしたら、これがSF作品であるという事を知らない人もいるかも知れません。DVDやビデオのパッケージを見て完全にスルーしてたりとか。

出演者の名前の見ると、グレゴリー・ペック、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンスなどSFとは無縁な人ばかりだし、原題は“ON THE BEACH”って、サーフィン映画と間違えそうなタイトル。

しかしこの作品は、核戦争後の世界を描いた作品で、破滅テーマSFの古典的傑作です。ちなみに、『エンド・オブ・ザ・ワールド』(2000)はこれのリメイク。

破滅テーマのSFとはいっても、

核戦争のシーンや都市破壊、暴動やパニックなどのシーンは皆無。この映画では、それらの出来事は過ぎ去った過去という扱いのようです。そんな理由からか、SF関連の本や雑誌でもほとんど取り上げられる事がありません。

舞台となっているのはオーストラリア。北半球は全滅し、生き残った人々が暮らすオーストラリアにも放射能が迫りつつあり、人類の滅亡は時間の問題という設定。

地味で静かな映画、誰もがそう感じるでしょう。

冒頭の幸せそうな夫婦の描写。二人の間には生まれたばかりの健康な赤ちゃんがいて、普通のドラマっぽい作り。人々は普通に通勤し、酒を飲み、バカンスを楽しんでいます。しかし、彼らは残されたわずかな時間を過ごしている、数少ない生き残った人類なのです。

今まさに滅びようとしている人たちが、何事も無いかのように普通の生活を送っているという描写が悲しくもあり、恐ろしい。特に冒頭の幸せいっぱいに見える夫婦の描写は残酷ですよね、妻の「この子は艦長になるわ」というセリフが切ない・・・

人類滅亡の日まであと半年。人類の最後をこれほどまでに静かに、淡々と描いた映画は他にありません。

悲劇的な運命を静かに受け入れる人々。「確実に迫る死」という絶望感の中で、彼らは最後にどのような思い出を作ろうとするのか・・・


で、見どころは、

映画全編(未来が無いからこそ、全てのシーンに意味があるのでしょう)

アメリカから発信された謎のモールス信号を調査しに行く潜水艦(唯一のサスペンス的な要素かも。衝撃の事実が判明)

潜水艦が立ち寄ったサンフランシスコの描写(これは怖かった)

オーストラリアの民謡「ワルツィング・マチルダ」が映画に見事にマッチしております(感動)

故郷に残る者やカーレースに興じる人々・・・

そして、やがて迎える最後の日(;_;)

本気でお勧めの映画の場合、ネタばれのような事はなるべく書かない事にしてるのですけど・・・

とにかく恐い、悲しい、そして美しい映画であるとも言えます。

巨大アメーバの惑星


1959年製作の『巨大アメーバの惑星』の原題は“The Angry Red Planet” 直訳では『怒れる赤い星』となります。

このポスターやビデオのジャケットをみてワクワクしないSFファンはいないでしょう。昔は、繰り返しテレビで放送されていたものです。

製作はシドニー・ピンク、監督はこのブログでも何回か取り上げた事のあるイブ・メルキオール。

アメリカ・ネバダ州の宇宙基地に、連絡が途絶えていた火星探査ロケットが突然帰還するところから映画は始まります。
そして、火星探検のシーンは、唯一五体満足で帰還した女性隊員の回想シーンとして描かれています。

この作品が作られた50年代は、低予算のB級映画が大量に生産されていた時代。わずか十日間で撮影されたというこの映画も一目見て低予算と分かるチープな作り。火星の風景や都市などのまるで立体感の無い絵には唖然としてしまいます。

しかし・・・これは、古典SFの名作と言ってもいいかも知れません。

火星のシーンだけが真っ赤に変化するという手法はなかなか幻想的で恐怖感を煽るのにはかなり効果的だったと思います。夢を見ているような不思議な感覚にとらわれるのが心地よい。その画面の見づらさが幸いしてチープさやセットのアラもあまり気になりません。

これ、シネマジックという手法で結構複雑な工程で製作されているらしいのですが、私にはモノクロ・フィルムにオレンジ色のフィルターをかけただけにしか見えませんけど・・・

多数登場するモンスターたちはかなり個性的。


三つ目の火星人、巨大な肉食植物、目玉がクルクルと回転しながら襲ってくる巨大なアメーバ、そしてモンスター・ファンならば誰もが知っているあのコウモリグモ。

英語では“Bat Rat Spider”

正しくは「コウモリ・ネズミ・クモ」ですね。言われてみればネズミも入っているような・・・

このモンスターが操演で動く姿のインパクトといったら・・・よだれを垂れ流しながら奇怪な声を上げるという、そのあまりにも強烈な印象は今でも脳裏に焼きついております。このコウモリグモの造型だけでも、SF映画史に名を残す事ができるのではないでしょうか。

ところで、チュパキャブラスという未知の生物を知っているでしょうか?
体長は1メートルほどで、赤色の体毛、真っ赤な大きな目、後ろ足で立って歩き、背中には棘とコウモリのような羽が生えているというのがその特徴。

これ、ホームページでも書いた話なのですが、チュパキャブラスとして公表された写真の中に、コウモリグモの顔のどアップの写真があったとか・・・たしかに特徴は似ていますがあまりにもお粗末な話ですね。

話を映画に戻して、

このモンスターを糸で操っているのはボブ・ベイカーという人で、元々はジョージ・パルのパペトゥーンのスタッフで、独立後に自分の会社を設立。このコウモリグモや『未知との遭遇』のエイリアンなどを自ら製作、操作していたそうです。

個人的には大好きな映画なので褒めてばかりですが、やはり50年代に作られた低予算映画。アラや突っ込みどころも満載です。

例えば、

女性隊員がほとんど動かない肉食植物の触手に巻かれるシーンなどはもう、何と言ったらいいのか・・・エド・ウッド監督の『怪物の花嫁』(1955)でタコのヌイグルミと格闘するベラ・ルゴシを思い出してしまいました。

かなりトホホなシーンも多いのですが、何度見てもワクワクしてしまうところがこの映画の魅力の一つ。コウモリグモのシーンだけでも見る価値ありです。


この映画を一言で表現するならば、「悪夢」。ゴキブリよりもクモが嫌いな私にとっては悪夢そのもの。こいつのフィギュアだけは絶対に部屋には飾れません・・・

ミクロの決死圏


1966年製作の『ミクロの決死圏』

物体を細菌大にまで縮小する技術が発明されたが、現時点での持続時間はわずか一時間。それを無限に持続させる方法を発明したチェコの博士が、アメリカに亡命する途上スパイに襲われた。脳内出血で昏睡状態にある彼の命を救うには、外からの手術では危険が多すぎた。そこで考え出された方法は、医師らを潜航艇ごとミクロ化し博士の体内に注入。博士の脳内出血部に到達させ、レーザー光線で治療するというものであった・・・

一時間という時間制限の中、潜航艇プロテウス号が患部を目指して人体内部を冒険するという奇抜なストーリーの作品です。

1970年代から80年代にはよくテレビで放映されていました。監督は『海底二万哩』(1954)のリチャード・フライシャー。

ところで、邦題の『ミクロの決死圏』というのは傑作ですね。
「決死圏」という単語、辞書にも載っていないのですけど・・・造語ですかね、これ?

この映画の最初の見どころは、時間をかけてじっくりと見せるプロテウス号と乗組員のミクロ化の過程でしょう。

人間がミクロ化するという荒唐無稽な設定でありながら、科学的な考証もしっかりとしているというなんとも不思議な映画ですが、実際に体内に入ってからは、次々と予期せぬトラブルに見舞われる事になります。

つまり、乗組員の中に敵国のスパイがいる、という設定ですね。一時間というタイム・リミットと、誰がスパイなのか、という二重のサスペンス。良く出来きた脚本だなぁ、という印象。

そして、この映画の最大の見どころは何と言っても人体内部の神秘的な映像でしょう。


人体ってこんなに明るくて綺麗なのか? 血液薄すぎないか? などという疑問は置いといて、ですね・・・科学的考証などと口にするのは野暮というもの。

原題は“Fantastic Voyage” 

科学的な考証よりも、明らかに見せる事を重視した血管内の特撮は、現在見ても息を飲むほど美しく幻想的です。

よく、サルヴァドール・ダリが美術を担当したと紹介される事があり、私も長い事そう思っていましたが、これは明らかに間違いで、映画と同名の“Fantastic Voyage”というリトグラフ作品と混同され、映画の解説などで間違って紹介されてしまったとの事。

そういえば、ジェームズ・キャメロン製作、ローランド・エメリッヒ監督でリメイクの企画が進行中という話があったのですが、その後どうなったのでしょうか? 血液や液体をリアルに描いたらと思うとゾッとしますけど。

あとは・・・

紅一点、脳外科医の助手役のラクエル・ウェルチも作品に花を添えています。


ラクエル・ウェルチといえば、『恐竜100万年』(1966)が有名。この作品では結構知的な女性に見えますが、やはりお色気担当なのは明らかで、ぴっちりとしたウェットスーツ姿の彼女にまとわりついた抗体を、三人の男達が必死に抗体をむしり取るシーンがそれを象徴しております。

妙にエロチックで、しっかりと乳を触ってる奴もいるし・・・

最後は、誰もが疑問に思ったエンディング。

手術は成功したものの、制限時間ぎりぎりになって、プロテウス号を破棄しなければならない状況に陥ってしまいます。
人間だけは涙腺を伝って無事外へ脱出できたのですが、体内に残されたプロテウス号はどうなったのか? 一時間を超えると膨張が始まり、当然患者を殺してしまう事になります。

これは、アイザック・アシモフの小説を読めば解決されます。

ちなみにこの本は、映画の脚本を元にアイザック・アシモフが小説化した物で、原作ではありません。大きすぎる空気の分子、などの疑問も解消。映画を見た後に読んでも十分に面白いのでお勧めです。

しかし、小説を読んでも解消されない疑問が・・・

プロテウス号は、動脈注射で体内に入り、心臓、毛細血管、リンパ管、耳などを通って患部に到着するのですが・・・何故、そんな遠回りを? 患部の近くに注射すればいいのに、って子供の頃から不思議に思っていました。

これって何か理由があるのでしょうか?

もしかして、患部の近くに注射したら見せ場が全く無く、映画として成り立たないとか、そんな理由だったりして・・・

スターレジェンド


先日、『宝島』(1950)を久しぶりに鑑賞しました。監督は『宇宙戦争』で有名なバイロン・ハスキン。

やっぱり、ディズニー映画は安心して楽しめるなぁ、と。
ちょっと子供向けかもしれませんが、大人でも十分に楽しめる作品です。

それで思い出したのが、1987年製作の『スターレジェンド』

これ、見た人いるかなぁ・・・

どんな内容かといいますと、

ジム少年の母親が経営する宿屋ビリー・ボーンズという謎めいた男が死亡する。
彼が隠し持っていた地図をジムが発見するのだが、そこには伝説の海賊フリントが残した財宝の在りかが記してあった。
ジム少年は、リブシー先生やコックとして雇われたジョン・シルバー、スモーレット船長らと財宝を求め、エスパニョーラ号で宇宙へと旅立つ。

つまり、舞台が宇宙になっただけで、『宝島』そのまんま。黒犬、アロー、ベン・ガンなど、主な登場人物も全て登場し、結末もほぼ同じ。

というわけで、この作品についてあまり語る事はありません・・・ちなみに、テレビ放送時のタイトルは『銀河アドベンチャー/SF宝島』だそうです。

イタリア、西ドイツ、フランス、アメリカの合作という壮大なプロジェクトで、制作費は約31億円。なかなか個性的な俳優さんたちが出演しています。

ビリー・ボーンズに扮するのは、一度見たら絶対に忘れられない顔のアーネスト・ボーグナイン、そして一本足の男ジョン・シルバー役はアンソニー・クイン。どちらも一見怖いけど、笑顔が素敵な俳優さんです。


映画全編に渡って特撮が満載、スケールの大きなスペース・オペラといった趣の作品なので、SFファンならば楽しめる作品である事は間違いありません。


レンタル屋でこの作品に出会い、その後ワゴンセールで1本100円で全4巻を購入!

それにしても、284分って長い、長すぎる・・・

SF/ボディ・スナッチャー


前回、前々回と侵略物SFを二回続けて書きましたが、やはり最後は、侵略SFの金字塔『盗まれた街』を取り上げないわけにはいきません。

舞台はある一つの街。道行く人々の中に次第に無表情な人が増え始め、その違和感に気付いた人々が、自分の家族や恋人が別人になってしまったのではないか、と疑問を持ち始める・・・

ジャック・フィニーのSF小説『盗まれた街』は現在までに4回も映画化されています。

『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956)
『SF/ボディ・スナッチャー』(1978)
『ボディ・スナッチャーズ』(1993)
『インベージョン』(2007)

重量感が全くと言っていいほどない、プラスチックのような「豆のサヤ」が印象的だった1956年版。結構好きでした。

あまり印象に残らなかった1993年版。

2007年の『インベージョン』は、最近見たにも関わらず、内容はすでに忘却の彼方・・・

というわけで、

個人的には1978年に製作された、フィリップ・カウフマン監督の『SF/ボディ・スナッチャー』がお勧め。

オープニングの幻想的で美しい侵略者のイメージ映像、突然現れる人面犬や、体を乗っ取られた人々の怪奇な雄叫びも面白い。
秀逸な効果音も手伝い、見ていてハラハラ、ドキドキ。サスペンス性は抜群でした。

そして、背筋が凍るようなエンディング。

あの雄叫びは今でも耳に焼き付いていて、これには困っております・・・

音響効果を担当したのは、『スター・ウォーズ』でR2D2やチューバッカの声を作りだしたベン・バート。お馴染み「豆の鞘」のデザインは『未知との遭遇』のエイリアンのデザイナーであるトーマス・バーマンとエドワルド・ヘンリックが担当。

しかし、

この映画の最大の見所は、主役級の三人の俳優さんたちかもしれません。

ミスター・スポック役でお馴染みのレナード・ニモイ。見るからに怪しいこの人は、耳が尖っていなくても人間離れした顔してます・・・
ハエ男のイメージが強烈で、科学者役が多いジェフ・ゴールドブラム。ギョロ目が印象的なこの人も人間離れした男前。
そして、主演のドナルド・サザーランド。キーファー・サザーランドの実父ですが、他の二人に負けないほどの強烈な顔・・・

まぁ、よくぞこれだけ顔の濃い俳優さんばかりをキャスティングしたものですねぇ。この三人が一つの画面に納まっている構図はそれだけで恐ろしい。


ツッコミどころが意外と多いこの作品も、彼らの見事な演技合戦で許せる気分になりました。

ちなみに、前作の主役ケヴィン・マッカーシーと監督のドン・シーゲルさんが、この作品にカメオ出演しています。
タクシーの運転手役で出演のドン・シーゲル監督は、普通ならリメイク作品にはケチをつけてもおかしくない立場の人ですが、読んだ脚本を気に入り、しかもこの作品の一番の推薦者だというのだから珍しい事もあるものです。

この映画は、体を乗っ取られた人は無表情になるという設定。感情を表に出さないミスター・スポックが医者の役って、一歩間違えばセルフパロディにもなりかねない設定ですが、ここは上手く処理していて逆に関心してしまいました。

最後に、

もし、原作を読んでいない方がいらしたら、是非とも一度読んでみる事をお勧めします。
自分の身近な人が、そうしても他人に思えてならない。それは、一番親しい人にしか解らない変化だった。疑惑が確信へと変わる恐怖は、じっくりと読める小説ならではのもの。

単純に映画と比較はできませんが、この作品は活字の方が絶対に面白い!

惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!


『惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!』は前回に書いた『宇宙船の襲来』と同じく、エイリアンが人間の体を乗っ取るという侵略物SFで、TV放映時の邦題は『火星人の襲来』、原題は“INVADERS FROM MARS”

この作品は最近DVD化され、1000円程度で入手可能。ネットや大きな店舗ではレンタルもできます。

1953年の製作という事は、ジョージ・パルの『宇宙戦争』と同じ年! これは、もう一つの火星人襲来の物語というわけです。

主人公は天文学が趣味の12歳の少年。

ある日、少年が近くの丘に着陸する宇宙船を目撃。翌朝、父親が別人のように冷たくなり、間もなく母や近所の少女も同じようになってしまう。姿はそのままだが、別人になってしまった事に気付いた少年は、街の住人たちに警告するが・・・

まぁ、こうして書くと典型的なボディ・スナッチャー物ですね。

ちなみに、『スペースインベーダー』(1986)はこの作品のリメイク。ニコちゃん大王みたいなエイリアンが出てくるアレです。下の写真が『スペースインベーダー』のエイリアン。


この映画で特筆されるのは、監督があのウィリアム・キャメロン・メンジーズであるという事。

元々は美術監督として映画界に入ってきたメンジーズが有名になったのは、1924年製作の『バグダッドの盗賊』でした。
古すぎてほとんどの人は見た事が無いと思いますが、モノクロ、サイレント映画ながら、今見ても十分に楽しめるファンタジー映画の傑作です。
バグダッドの町の美しさ、見事な視覚効果とセット・デザインで名を上げたメンジーズは、後に名作『来るべき世界』(1936)を監督します。

そんなメンジーズ監督作品なので、面白くないわけがない、はずですが・・・

個人的な作品の印象は、いかにもSFが怖かった時代の作品だなぁ、というもの。
テンポがいいので、地味ながらクライマックスまで飽きさせる事無く一気に見せます。オチもちょっとひねってあって面白いのですが、全体的にあまりメンジーズらしさは感じられませんでした。

特撮のショボさも含め、レトロなアメリカの雰囲気が楽しめるこの作品はB級SFファン必見の映画です。宇宙空間をバックにしたオープニング・タイトルから作品に引き込まれる事間違いなし。

ソバカス顔の主人公は、典型的なアメリカの子供のイメージ。


宇宙船の襲来


『宇宙船の襲来』(1958)は1950年代に量産された侵略SFの一本で、原題は“I MARRIED A MONSTER FROM OUTER SPACE”

滅亡の危機に瀕したエイリアンが、子孫を絶やさぬために地球の女に子供を産ませようとする話で、当時流行していた、人間の体を乗っ取るという侵略物。

この作品は、過去に何度もテレビで放送されています。雷が光った瞬間に、宇宙人の顔が見えるシーンを覚えている人もいるかも知れません。


原題を訳すと、『私は宇宙からやって来たモンスターと結婚した』

これ、地味な映画です

エイリアンにとって女性とは子供を産ませるための道具に過ぎなかった。しかし、人間の体を乗っ取ってから一年、やがて感情が芽生えて人間の愛を理解するようになるというありがちな展開。

夫が別人になってしまった事に気付いたヒロインが警察に助けを求めるが、その警察官もすでに体を乗っ取られていて・・・というのは『惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!』(1953)や、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956)と全く同じパターン。

地球の女に恋をする、というのもありがちで『ロボット・モンスター』(1953)などもこのパターンでした。

女性を妊娠させるというのは『未知空間の恐怖/光る眼 』(1960)と同じ。

子孫が欲しいエイリアンが、ショーウィンドウで子供の人形を眺めていると、商売女が声をかけます。そして振り向くと怪物の顔が・・・これは、小泉八雲の『怪談』を思わせます。

上映時間79分という短さもあってか、アウターリミッツの一話分といった印象の映画でした。エイリアンの造型も、それっぽい雰囲気。


まぁ、地味ながら色々な要素を含んだ映画、と言いますか、見ていて飽きない不思議な魅力が、この映画には詰まって・・・いる、というのはちょっと無理があるかも。

しかし、

何故か私はこの作品が大好きです。他人にはお勧めしませんけど。

感情が芽生えてきたエイリアンが地球の妻に言います。
「君は変わった・・・遠くへ行ってしまったようだ」って、それが体を乗っ取ったエイリアンのセリフか! 正体がバレてるのだから敬遠されるのが当たり前。

拳銃の弾をもはね返す強靭な肉体のエイリアンが、犬に急所を噛まれただけであっさりと死んでしまうのも不可解。

たった7人の先発隊がやられた結果「地球人は残虐だ」と言って、物凄い数の円盤群が地球から逃げ去るというド迫力のラスト・シーンは違和感たっぷり。

・・・それでは、さらにこの映画の妙に気になる所(突っ込みどころ)を

その一
自分になつかない飼い犬を絞め殺したエイリアン夫が、妻に見つかって一言、「首輪がきつ過ぎて・・・」って、そんなお粗末な言い訳、誰が信じるか。

その二
人格が変わっただけだと思い、一年以上も夫がエイリアンだという事に気付かずに夫婦生活を続けていた事。
これは・・・キス・シーンがやたらと多い事もあり、どうしても想像がそっちに行ってしまいます。最後には本物の旦那さんと一緒になれるのですが、後で気まずい思いをしないのかなぁ、と。一年間も怪物にヤラれ続けた妻の心中やいかに?

その三
人間に化けたエイリアンが湖で溺れる場面で、助けに向かった人間の男が助走を付けて湖に飛び込むのですが・・・
思いっきり、腹を打ってます(^^;)
パーン! という見事な音が格好悪いこのシーンが最も印象に残った映画でした。


プロジェクトUFO/PROJECT U.F.O.


この図はこんにち世界各地で目撃されている未確認非行物体、すなわちUFOである
この事実は人類以外の生物が地球を訪れている証拠なのだろうか?
これはアメリカ合衆国公文書保管局にファイルされているUFO目撃報告に関して合衆国政府が行った調査報告をドラマ化したものである
この物語を御覧になってUFOの存在を信じる信じないは貴方が決めることです

これは『プロジェクトUFO』という番組の冒頭のナレーションです。

1978〜1979年に米国のテレビ局NBCで制作放映されたテレビ番組で、アメリカ空軍のUFO(未確認飛行物体)調査報告書を元に制作されたドキュメンタリー・タッチのドラマ。
プロジェクト・ブルーブックの二人の調査官が、実際にUFOを目撃した人々に会い、事件を検証していくというストーリーでした。

『Xファイル』のような番組が30年近く前に作られていたのですね。

これは、私が今までに見たSFドラマの中でも1、2を争う面白さで、テレビの前に釘付けとなってしまいました。

UFO関連の番組で良く耳にするプロジェクト・ブルーブック(Project Blue Book)ですが、1950年代から1960年代後半にかけて実際に活動していた米空軍のUFO研究セクションで、ブルーブックそのものは架空のものではありません。

元々は、ロシアなどの外国による破壊兵器かどうかを調べる目的で始められたというプロジェクト・ブルーブックには1万3千件ものUFO目撃例があり、その中から信憑性が高いものを番組用に選んだとの事。
番組にリアリティがあったのは、実際にプロジェクト・ブルーブックの調査官だったウィリアム・T・コールマンがスタッフに加わった事も大きかったようです。

目撃談をそのまま映像化したため、さまざまな形状のUFOが登場するというのが番組の大きな見所でした。


ミニチュア・モデルを製作したのはブリック・プライスが経営するムービー・ミニチュアズ。ミニチュア模型専門の会社で、同じ頃には劇場版『スタートレック』も手がけています。
ロボットが『禁断の惑星』のロビーにそっくりだったり、UFOがミレニアム・ファルコンに似ているというのはスタッフのお遊びでしょうか。

番組の基本設定では、UFO(エイリアン)は実在する事になっていました。調査官の二人がエイリアンの存在を確信するものの物的証拠を得る事ができずに、あと一歩でUFOを取り逃がしてしまうという話が多かったのですが、UFO事件の信憑性を調査するというストーリーは、推理小説の謎解きのようでとても楽しかったのを覚えています。

アメリカ3大ネットワークの中でもトップの視聴率だったというこの番組も、日本ではローカル局のみの放送。

というわけで、この番組を知っている人はあまりいないと思われます。実際、友人に話をしても知っている人はほとんどいませんでした。何故、これほどの人気番組がローカル放送? まぁ、私は千葉テレビで見る事ができたからよかったのですけど・・・

CHESLEY BONESTELL(シェスリィ・ボンステル)


ジョージ・パル作品には欠かせない存在だった画家、CHESLEY BONESTELL(シェスリィ・ボンステル)

あまり馴染みの無い名前ですが、SF雑誌や小説のカバー、天文解説書などにもイラストを提供している、知る人ぞ知る天体画家。

日本語にするのが難しい名前で、チェスリィ・ボネステルとか、チェスリィ・ボーンステルと記される事もあります。

1888年の生まれの人が、これほどのSFアートを描けるというのも驚きです・・・

いや、ボンステルの作品をSFアートというのは間違いでした。

ボンステル本人はSFには全く興味が無く、描く作品はあくまでも科学や天文学などをベースにした現実的なもので、SF関連の作品は数多くある仕事の一つに過ぎないのだとか。


そんなボンステルですが、1937年には映画界に入り、ワーナーやフォックス、パラマウントなどのメージャーな会社でもマット・ペインティングを担当。私の好きなジョージ・パル作品にも美術担当として参加、ボンステルの作品も効果的に使われていました。

『月世界征服』の月面着陸のシーン、『地球最後の日』での大都会の水没、『宇宙戦争』のオープニングの惑星も印象的でした。

しかし、ジョージ・パル作品を語る時に、どうしても触れないわけにはいかない一つの問題作があります。

それは『地球最後の日』のエンディング、アーク号が遊星ザイラに着陸シーンで使用された作品なのですが、映画を見た人なら分かると思います。

未来版ノアの箱舟の乗組員たちの前に広がる新天地、エンディングではまるでペンキ屋さんが銭湯に描いたような遊星ザイラの全景が画面いっぱいに映し出されます。

その作品がこれ


(゚□゚) アングリ

これでは全てがぶち壊しですね・・・とても同じ人が描いた作品とは思えません。この映画の時点で63歳のボンステルですが、画家としてはまだまだ衰えるような年齢ではありません。

何故、このような作品が…?

遊星ザイラ以外の写真を見れば分かると思いますが、ボンステルの描く宇宙や惑星は夜間のシーンが圧倒的に多いのが分かります。

黒と赤のコントラスト、そこに差し込むわずかな光による神秘的な作品がほとんど。これらの作品と遊星ザイラの風景を比較すると、その違いは一目瞭然。この映画のために相当無理をして描いたとしか思えないのです。明らかに得意分野ではないと思うのですが・・・

さらにはこの絵、幅が約4.6メートル、高さが約1.6メートルもあったそうです。

ボンステルの宇宙を描いた作品は、普通のキャンバス程度のサイズの物がほとんど。この映画のために特別に巨大サイズの背景画を描いたらしいのです。

慣れない作業をしてしまったという事でしょうか? それともSFにあまり興味が無いボンステルの明らかな手抜きか、とにかく彼の持ち味が全く生かされていません。

誰が見てもわざとらしすぎて、想像力もあまり感じないような作品。しかし、大事な映画のエンディングで、どうしてこの様な絵が採用されてしまったのか? この絵が出来上がった時、ジョージ・パルは何を思ったのでしょうか。

偉大な画家がこの映画のためにわざわざ描いてくれた巨大な背景画、さすがにボツには出来ないか・・・

おかしなおかしな石器人


1981年に製作された『おかしなおかしな石器人』は原始人と恐竜が共存している原始時代を舞台にしたコメディ。

主演は元ビートルズのリンゴ・スター。リンゴ・スターとこの作品で意気投合し、私生活では結婚したバーバラ・バック、シェリー・ロング、デニス・クエイド、『グーニーズ』では頭の弱い大男を演じていたジョン・マツザクなど、結構豪華なメンバーが出演しています。

ストーリーは・・・どうでもいいです。原始時代を舞台にした映画って、似たり寄ったりで面白いと思った事ないんですよねぇ・・・

1981年といえば、『タイタンの戦い』を最後にハリーハウゼンが引退した年。ストップモーション・アニメを多用して恐竜を作り出した作品はおそらくこれが最後でしょう。

というわけで、この映画の見所は、ストップモーションで動かされた恐竜たち。コメディなのでおかしな造型の恐竜ばかりが登場します。

この作品のイフェクツ担当はジム・ダンフォース。プロデューサーがダンフォースの『恐竜時代』(1969)を気に入っていたために全権を任される事になりました。
恐竜たちをデザインし、太ったティラノサウルスや角トカゲなどの彫刻もこなしていたのですが、結局プロデューサーと揉めて途中降板、と言うよりも、降ろされてしまったらしいのです。そんなわけで、クレジットにジム・ダンフォースの名前はありません。
降板したダンフォースは、その後『タイタンの戦い』に参加。ペガサスやディオスキロをアニメートしています。

ダンフォースに代わってイフェクツを任されたのはデヴィッド・アレン。この映画で実際に恐竜をアニメートしたのは、アレンや後にデジタル・アニメーターに転身するランディ・クックらでした。

下の写真は、角トカゲと呼ばれる緑色の恐竜ですが、もちろんこんな恐竜は実際には存在しません。


これは良く知られた話なのですが、監督のカール・ゴットリーブはトリケラトプスを出そうと思っていたそうです。しかし、名前が分からずに「角の生えたトカゲ」と言ったために、そのまんま角の生えたトカゲがデザインされ、採用されてしまった、というのが真相のようです。

この作品のストップモーションの出来栄えは素晴らしく、合成や実写との切り替えのシーンなどの滑らかさは見事なものだと思います。デヴィッド・アレンは本当に細かいテクニック使うなぁ、という印象。ラリったティラノサウルスの演技などは絶品です。

ただ、私の目にはどうしてもソフビの人形に見えてしまうのですが・・・何か軽いなぁ、と言うか、生命が吹き込まれているという感じがしないのは私だけ?

いずれにしても、ハリーハウゼン作品とは違った魅力のあるストップモーションを堪能する事ができるこの作品、モデル・アニメのファンには忘れる事のできない作品の一つです。

放射能X


放射能X(1954)は、原爆実験の影響により、突如出現した巨大蟻の恐怖を描いたモンスター映画ですが、1950年代に量産されたB級作品とは一線を画す傑作。

舞台はニューメキシコ州の砂漠。パトロール中の警察官が一人で荒野を彷徨っている少女を発見するところから映画は始まります。その近くでは、何者かによる連続惨殺事件が発生。
惨殺事件の生存者と思われる少女は、事件のショックから言葉を話す事が出来なくなっていた。しかし、惨殺現場から採取された蟻酸の臭いを嗅ぐなり少女は恐怖の表情を浮かべ絶叫する。

「Them! Them! Them!」

少女の恐れる「Them(奴ら)」とは何者か? 

まぁ、その・・・そのポスターやビデオ・パッケージ、安直な邦題などで、見る前から放射能で巨大化した蟻が犯人というのはバレバレなのですが、それでも何度見ても面白いからこれは本当に傑作なのだと思います。

しかし、上のポスターの顔・・・何かコミカルですが実際は下の通り。


巨大蟻との攻防の後、全ての駆除に成功したと思われたが、巣穴からは新たに生まれた女王蟻が消えていた・・・

サスペンス的な要素を取り入れた演出とストーリー展開、姿を見せない怪物を目撃情報を頼りに追跡し、見る者に恐怖と不安感を与えるという手法は、後のこの手のジャンルの作品に多大な影響を与え、多くの映画のフォーマットとなりました。

あ、ここでちょっと思い出しました・・・

バルカン人のレナード・ニモイなのですが、彼のプロフィールを見ると、この映画に出演しているようです。時代を考えると脇役とかほんのチョイ役と思われますが、それらしい人が見つかりませんでした。顔が違いすぎるのかなぁ?

それよりも、

この映画で特に印象的なのは、巨大蟻が発する「キリキリキリ」という効果音。

「次のシーンで何かが出てくるぞ・・・」という観客の恐怖や不安、緊張感を煽るのに効果的に使用されていたのがこの効果音。
映画を見た事がある人ならきっと憶えていると思いますが、この音・・・ヒグラシにとても良く似ています。

ヒグラシが分からないという方のために、音声だけをアップしてみます。

http://palladion.fantasia.to/HIGURASHI.mov

どーですが、これ。これをもうちょっとゆっくり再生したらまさに映画の巨大蟻でしょう。私の住む地方でも聞く事ができるヒグラシの音ですが、風流なはずのこの音も私にとっては巨大蟻が攻めてきたように聞こええるのでとても怖いのです。

この巨大蟻は巨大なハリボテ、いわゆるラージスケール・メカニカルというやつで撮影されています。
1954年のアカデミー特殊効果賞にノミネートされているのですが、全体像で動くシーンは無く、ふらふらと動く頭部が人を襲うシーンはちょっと迫力に欠けるものでした。
実際の効果はともかく、技術的に非常に高度な事をやってのけた、という事が評価されたのかもしれません。

ちなみに、この年の特殊効果賞はディズニーの『海底二万哩』が受賞しています。こっちは巨大イカでしたが、同じラージスケール・メカニカルでもレベルの違いは明らか。

この作品を見ていつも思うのは、これがハリーハウゼンのようなモデル・アニメで撮影されていたら、もっと効果的に見せる事ができたのでは、という事。
巨大なハリボテを見ていると、なかなかの傑作とはいえ、やはりB級作品だなぁ、と感じてしまうのが残念でなりません。

スタークラッシュ(パート2)


前回の『スタークラッシュ』の続きです、今回は作品の内容でも書いてみましょう・・・

最初に登場する戦艦と宇宙空間はいきなり『スター・ウォーズ』

オープニングの時点で二匹目のドジョウを狙ったバッタもんというのが丸分かり…って、決して馬鹿にしているわけではないですよ。映画は本当に馬鹿馬鹿しいですけど面白い。

突っ込みどころが多すぎて・・・

手のひら型の宇宙要塞(笑)、デザインは格好いいがほとんどプラモデルに見える宇宙船、原色がやたらと多い画面や七色に光る星・・・何かセンス悪くねーか、これ? ありえないし、毒々しい。



宇宙警察に捕まり、奴隷として働く時までビキニ姿。悪漢退治にパイロットとして抜擢され無罪放免となった後もしばらくはビキニ姿のまま宇宙船を操縦・・・
この作品は、お色気路線丸出しです。その点ではジェーン・フォンダの『バーバレラ』(1967)と双璧かもしれません。キャロライン・マンローは着せ替え人形状態。

ちなみにキャロライン・マンローは身長170センチ(B91、W61、H89)だそうです。



ホログラムで登場する皇帝さま、やたらとでかい・・・



アマゾネスの国で戦ったロボット兵士は『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)のタロスのもろパクリ!動き悪すぎ、すっごい下手糞な人形アニメ・・・



マイケル・ナイト登場、若い!



光線中で撃たれても無傷。実は、アクトンは超能力者で不死身だったという衝撃の事実がここで判明。しかし、ゴーレムズと呼ばれる悪の手先と戦い、上腕部に傷を負った程度であっさり死亡・・・これには唖然。
ゴーレムズのシーンもストップ・モーションで撮影されていて『アルゴ探検隊』の骸骨剣士を彷彿とさせます。戦う武器はなんとライトセイバー!



動きがとしゃべりがほとんど人間そのまんまのロボット。たまーに、本当にたまに思い出したかのように、微妙にロボットっぽい(C3-POみたいな)動作になるところが笑えます。中に入っているのはジャド・ハミルトンという人で、キャロライン・マンローの旦那さん。これは夫婦のツーショットです。

というわけで、見どころいっぱいの『スタークラッシュ』でした。これほど荒唐無稽なスペース・オペラも珍しいかも知れません。絶対に見て損は無いと思います。

スタークラッシュ(パート1)


善と悪に分裂した銀河系。女海賊ステラ・スターは善玉の皇帝の命を受け、悪漢ザーザンの宇宙征服を阻止するために、相棒のアクトン、ロボットのヘルと共に宇宙船で冒険の旅に出る・・・

1978年製作の『スタークラッシュ』は『スター・ウォーズ』ブームの真っ只中に製作されたスペース・オペラ。テレビ放送時のタイトルは『銀河戦争・宇宙巨大戦艦スターシップSOS』

タイトルを『ステラ・スターの冒険』にするか『スター・クラッシュ』にするかで公開直前まで揉めていたそうですが、結局ブームに便乗するかたちで『スター・クラッシュ』に正式決定。しかし、その内容は本家とは比べ物にならないようなトホホな出来栄え。

最初に言っておきますが、私はこの作品大好きです。

主役の女海賊ステラ・スターを演じているのは、『シンドバッド黄金の航海』(1973)のキャロライン・マンロー。監督のルイジ・コッツィがレイ・ハリーハウゼンの大ファンで『シンドバッド黄金の航海』を見て彼女に惚れ込んで、この役に抜擢したそうです。


後に『ナイトライダー』で有名になるデヴィッド・ハッセルホフが皇帝のご子息役で出演。皇帝役にはクリストファー・プラマー。なんと音楽は『007』シリーズで有名なジョン・バリーが担当しています。

しかしこの作品、数百万ドルの制作費を投じた大作・・・のはずなのですが、ショボイ特撮を見ていると、情報が間違っていたのかと思わざるを得ません。

ちなみに、この映画は三部作という事になっていて、この『スタークラッシュ』が第一作、『スタークラッシュ』の特撮部分を流用して作られた1979年の『SFスタークラッシュ/銀河パラダイスへの冒険』というのが第三作という事になっています。

監督自身が『スター・ウォーズ』のコピー作品である事を認めているほど随所に影響が見られます。それと、モロにハリーハウゼンを意識したストップモーション・アニメのシーンはファン必見。

よくぞここまで、と思えるほど恥も外聞もなく他の映画をパクっていますが、決してパロディ映画の類ではありません。

随分と長くなってしまったので、続きは次回に書きます。

決して他人には薦められない作品。どうして私はこんな映画にハマったのか・・・

Creation(クリエーション・創造)


前回に続いてウィリス・H・オブライエンの作品を取り上げてみたいと思いますが、今回は幻の名作と言われた『Creation(クリエーション・創造)』

『Creation』は1929年頃に、『ロスト・ワールド』(1925)の続編として企画された作品で、数百枚ものスケッチや絵コンテが準備され、マーセル・デルガドが多くの恐竜のモデルを製作。
スタジオにはセットまで組まれ、製作準備に約一年間を費やしたものの、数分間のテスト・フィルムが撮影されただけで、結局製作中止となってしまった不幸な作品です。

RKOが倒産寸前だった事と、製作資金が思うように集まらなかったのが直接の原因とされていますが、『ロスト・ワールド』の焼き直しのようなストーリーがあまり評価されなかったのも製作が中止となった理由の一つかもしれません。

ほとんど撮影されていないにも関わらず「幻の名作」と言われるのは、この時に準備した『Creation』の要素を多く取り入れて、名作『キングコング』(1933)が生み出されたからでしょう。

古代生物が棲む未開の島という設定は『キングコング』も『ロスト・ワールド』も全く同じ。その中間に位置する『Creation』も当然同じ様なストーリーとなっております。

オブライエンは実力の割りに作品に恵まれなかった、とよく言われます。

ハリーハウゼンが、オブライエンは性格が優しすぎた、というような事を言っていたのを何かの本で読んだ事があります。あまり自己主張をしない人で、映画制作には向いていない職人肌の人だったとか。
確かに、運が悪かったのもあるのでしょうが、その後の作品を見てみると、いつも同じような話で、時代が変わっても恐竜映画にこだわり続けた、というのが一番大きな原因のような気もしますけど・・・

残された数分間のテスト・フィルムですが、これが結構面白い。

下の写真は、撃たれて横たわるトリケラトプスと逃げる男を追い回す親トリケラトプスです。


どちらも、『ジュラシック・パーク』に影響を与えたとされる場面で、特に下の写真は、『ジュラシック・パーク』でジープを追いかけるティラノサウルスに勝るとも劣らない大迫力のシーンになっています。

この映像は、幻の洋画劇場『ウォルト・ディズニー/ウィリス・オブライエン作品集』というDVDで見る事が出来ます。『Creation』以外にも、初期作品が数点収録されているこのDVDはストップモーション・ファン必見のDVDですが、現在ではちょっと入手困難かも。

紹介する作品、こんなのばっかし・・・

The Giant Behemoth(海獣ビヒモス)


こんな作品誰も知らないだろうなぁ、と思いつつ今回取り上げるのは1959年の『The Giant Behemoth』(海獣ビヒモス)

『キングコング』の生みの親、ウィリス・H・オブライエンの最後の作品ですが、日本では劇場未公開。VHS・DVD共に日本未発売なので、邦題が存在しないはずなのですが、SF MOVE Data Bankで調べてみたところ『海獣ビヒモス』となっていました。

ちなみにBehemothというのは旧約聖書に登場する怪物で、カバや水牛がモデルになった水陸両生の動物とされています。

この作品で、実際に恐竜をアニメートしたのはオブライエンの片腕として活躍したピート・ピータースンで、オブライエン自身は監修という立場でした。
ピート・ピータースンは非常に腕のいいアニメーターだったのですが、この作品の頃には持病の多発性硬化症が悪化し、自分で立ち上る事も出来ず、椅子に座ったまま痛みに耐えながらアニメートしていたそうです。恐竜の動きがぎこちないのはそのせいかも知れません。

原爆で目覚めた恐竜がロンドンに上陸、というありきたりの設定。映画が始まってから50分以上も経って、ようやく画面に登場する恐竜は全く個性を感じさせないデザインで、ネッシーのようなごく普通の首長竜。
都会に現れるものの、予算の都合で都市破壊のシーンはほとんど無し。鉄塔を壊すシーンと車を踏み潰す程度で、同じシーンの使いまわしがやたらと目立ちます。

踏み潰す車が毎回同じだったりとか・・・

あとは逃げ惑う人々と歩き回る恐竜の合成シーンが延々と続くという展開。さらには「ピヨーン、ピヨーン」という音を発しながら、放射線のようなもので人を殺すシーンがチープさに拍車をかけております。

実際、この映画の評判はかなり悪いようで・・・書籍『モンスター・メーカーズ』では以下のように書かれていました。

オブライエンのファンから『The Giant Behemoth』への悪評が聞かれないのは、その枯れ果てたイフェクツがあまりにも悲しく、涙をさそうからだろう

o(ToT;): そこまで言うか・・・

最低映画のような言われ方ですが、個人的にはそれほど悪くない、と思っています。この時代に量産されたモンスター映画の平均的なレベル、といったところでしょうか。もっと酷い作品は山ほどあります。あの『キングコング』を生み出したオブライエンの作品という事で、ファンが高いレベルを要求するから、逆に評価が低くなってしまうのだと思います。

それでは、私がこの作品の見どころを写真付きで語ってみましょう!


まずは、ハリーハウゼンの『原子怪獣現わる』(1953)にそっくりなところ。ほんとうに良く似ていると思っていたら、監督は同じユージン・ルーリーでした。リメイクと言ってもいいようなストーリーですが、弟子の映画のリメイクでは逆に評価が落ちてしまいますね。しかも『原子怪獣現わる』と比べると作品のクォリティが落ちるような・・・


左上の写真に注目。この鉄塔を破壊するシーンや放射線での攻撃などは日本の『ゴジラ』(1954)からの影響を感じさせます。これは、気のせいかなぁ? あのオブライエンが本当にゴジラに影響されたのでしょうか? 似ているのは偶然と思いたい。

右上は、発見された巨大な足跡の写真を見せるシーン。自動車がしっかりと一緒に映っているのには笑ってしまいました。どれほど巨大なのかという事の比較の為なのですが、あまりにもわざとらしかったもので。

なかなか姿を現さない恐竜・・・そして、ヘリコプターで恐竜をついに発見。海面に巨大な影が映っているのを双眼鏡で確認!(写真左下)

わはははは! 普通は水面下に黒い影が映るのに、輪郭の白抜きとは・・・これでは殺人現場の死体の跡ですね。この白い輪郭が泳ぐシーンは爆笑ものです。

右下のは海中を泳ぐシーンですが、これは珍しい! 体をくねらせて泳ぐシーンがストップモーションで撮影されています。バタ足で泳ぐ恐竜に注目。

見所を語るはずが、何だかおちょくっているようになってしまいましたが、私はこの映画は結構好きです。

さて、この映画を鑑賞するには、輸入版のビデオかDVD購入するしか方法が無いわけですが、一部だけならば、日本語版で見る事ができます。

以前にブログで紹介した、全部で35本の映画が見られる『インベージョン・アース』(1987)という作品の中で、都市の破壊シーンが取り上げられています。上映作品の一覧には『The Giant Behemoth』(1959)というのはありませんでしたが、たしかにBehemothの勇姿を見る事ができます。ビデオ・パッケージでも間違いってあるのですね。

とは言っても、『インベージョン・アース』も廃盤でレンタルすら出来ない状態。連休で暇なので動画をアップしましょう。レア映像、オブライエン最後の恐竜。

http://palladion.fantasia.to/Behemoth.mov

紀元前百万年


『紀元前百万年』(1940)といえば、恐竜をトカゲやワニを使って表現している事で有名な作品です。この作品の恐竜のシーンは、後に作られた低予算作品のいくつかに流用されています。以前に紹介した『ロボット・モンスター』もそんなB級作品の一つ。

ハリーハウゼンの『恐竜100万年』(1966)は、この作品のリメイク。というわけで、この作品に関する知識はある程度あったのですが、テレビなどで見た記憶も無く、長らく私にとっては幻の作品でした。
最近、B級以下ともいえるマニア向けの作品が続々とDVD化されていますが、『紀元前百万年』もその一つと言っていいでしょう。
どうせ面白くないだろうし、そのうち気が向いたら買って見てみようかなぁ、といった程度に考えていたら近所のレンタルビデオ屋で発見!

どうして、こんなマニア向けの作品がレンタルに?

レンタル屋さんでは、『パイレーツ●●』とか『●●レーサー』とか『キューブ●●』というタイトルの作品が本家のすぐ隣に置かれているのを良く目にします。最近では『紀元前●●』っていう邦題の作品がいくつかありました。おそらく、似たような作品を並べて置いておけば、誰かが興味を示してレンタルするのでは、というのが店側の思惑かと。

しかし、私にとってはこの『紀元前百万年』こそが本命!

というわけで、早速借りてきて鑑賞してみると、これが『恐竜100万年』にそっくり!
リメイク言っても、設定だけが同じで内容は全く違うだろう、と思っていたら、主人公の名前からストーリーまでほとんど同じ。逆に、ここまでそっくりにリメイクするのも珍しいかと。

この作品には、象に特殊メイクをしたマンモス、背びれの付いたワニ、角が生えた巨大なアルマジロなどが登場します。

モノクロで画質が良くないので合成の粗が分かりにくいせいかも知れませんが、思ったよりも違和感が無く、迫力があって面白かったです。

違和感の無い理由としてもう一つ考えられるのが、トカゲやワニがが恐竜らしくない所。

つまり・・・説明がちょっと難しいのですが、

最初に、恐竜をトカゲやワニを使って表現していると書きましたが、本当の恐竜は着ぐるみで撮影されていて、トカゲやアルマジロはあくまでも、大トカゲであり巨大なアルマジロであるという事。よーするに、見ている方は恐竜とは思っていない、という事ですね。


アルマジロが恐竜に見えるはずもなく、異常に大きなアルマジロが画面に登場するものだから、結構迫力あります。人間を追い回すシーンはマジで怖かった。象にでっかい牙を付ければ、それなりにマンモスに見えます。

というわけで、せっかくマニア必見の作品がDVD化されたのだから、これを見ない手はありません。

ロアーナ役のキャロル・ランディスは可憐でした、これでも石器人・・・


ロスト・ワールド


1925年のサイレント映画『ロスト・ワールド』。ストップモーションによる特撮を担当したのは、レイ・ハリーハウゼンの師匠ウィリス・H・オブライエン。この作品が後世に与えた影響は計り知れないものがあるのですが、内容については、ある程度私のホームページで書いているので省略。

というわけで、今回書いてみようと思ったのはこの作品にまつわる一つの大事件。

『ロスト・ワールド』の原作者は『シャーロック・ホームズ』の作者として有名なアーサー・コナン・ドイル。
コナン・ドイルといえば、神秘主義者としても有名で、「コティングレー渓谷の妖精写真」を本物と認め、『妖精出現』という本まで書いてしまったほど。下がその写真です。


これは昔オカルト系の本には必ずといっていいほどよく載っていたものですが、ピンを使って妖精の絵を地面に挿して撮影したというのが真相だそうです。

あのコナン・ドイルがこんな物信じていたのか・・・と思ってしまいそうですが、この写真は後にレタッチされた物で、1917年に撮影されたオリジナルのものはこれほど鮮明に映ってはいませんでした。
オリジナルの物を見た事があるのですが(ネットで画像検索したけど見つかりません)写りが悪すぎて、まぁ、これなら信じても仕方が無いかなぁ、というほど酷いものでした。コナン・ドイルのファンは一安心といったところ。

この時代のオカルト信者にとって天敵のような存在だったのが、アメリカの奇術師ハリー・フーディニ。偽超能力者やインチキ霊媒を暴き続けた事でも有名です。

事件はフーディニが全米奇術協会のパーティーにコナン・ドイルを招いた時に起こりました。

かなり前に本で読んだもので、手元に資料がないので細部は間違っているかも知れませんが、おおまかな話は次のとおりです。

ドイルは出来上がったばかりの『ロスト・ワールド』のテスト・フィルムをパーティー会場に持ち込み、恐竜の映像を公開します。
ちょっとしたイタズラ心で、天敵フーディニを驚かしてやろうと考えただけだったのですが、新聞記者たちはこれが本物の恐竜を撮影したものと信じ込み、「生きた恐竜」のニュースが翌日のニューヨーク・タイムズの見出しを飾ってしまったのです。
その結果、ニューヨーク市民は大混乱に陥った、という話。

うーむ、ちょっと信じられないような話ですが、写真ではなく実際に動く恐竜の映像を見せられてしまい、奇術師たちも否定する事は出来なかったという事でしょうか。その後事件がどうやって沈静化したのか、新聞は誤報を詫びたのかなど、事の顛末はよく分かりません。

これは実際に映画が公開される数年前の事で、ストップ・モーションの技術がまだほとんど知られていない時代。なんだかオーソン・ウェルズの『火星人襲来事件』に似たような話ですね。

『ロスト・ワールド』には実際の動物の映像も使用されていて、それと比較したら恐竜の動きが不自然なのは一目瞭然なのですが、当時の人たちの目には『ロスト・ワールド』の恐竜が本物に見えた、という事ですか・・・


金星ロケット発進す


『金星ロケット発進す』(1959)は東ドイツとポーランドの合作映画。『惑星ソラリス』の原作者スタニスワフ・レムの『金星応答なし』の映画化です。

映画はゴビ砂漠の巨大隕石の落下跡から不思議な物体が発見されるところから始まります。調査の結果、それは金星から飛来した物で、ある種の記憶メディアである事が判明。謎を解くために各国から科学者が集められ、調査のためにロケットで金星へと出発する。

隕石と思われた物は、おそらく巨大な宇宙船が地球に墜落したものであり、金星には知的生命体が存在すると考えられる。しかし何故、金星は沈黙を守っているのか・・・

というわけで、これは結構お勧め。

私が持っている『米国制作版』のDVDでは出演者の声が英語に吹きかえられていて、口と英語が合っておらず、字幕が日本語だからなんだか見ていてちょっと気持ち悪いです。

そんな事はどうでもいいのですが、

当時の他の作品とは一線を画していて、宇宙モンスターや光線銃のような非現実的な物は一切出てきませんが、探査ロケットのコスモストレーター(コスモクラトール)、ロケット内部のメカや宇宙服、放射線に覆われた金星の地表、金星のコントロールルーム、重力場をコントロールする「白い球体」などレトロ感たっぷりなデザインは、こういうのが好きな人にはたまらないでしょう。


映画の前半では、わざとらしいほど国際色豊かな乗組員にハイテク・ロボットのオメガが加わり、科学万能主義を連想させます。しかし映画の後半では、金星が沈黙を守っている理由は、実は核によってすでに自滅してしまったから、という事が判明。なかなかひねりが利いたストーリーだと思います。

核で滅びた金星の廃墟で、乗組員が日本人の女性科学者スミコに「何を考えている?」と尋ねるシーンがあります。スミコは「広島のこと」と答えたハズですが、『米国制作版』では「惨劇を・・・」に差し替えられています。

この作品『ドイツ版』とか『アメリカ版』など数種類存在するらしいのですが、現在(2009年3月時点)780円で入手可能な物は、大幅にカットされたという『アメリカ版』(79分)と思われます。

あとは、個人的な感想でも。

悪役のような人物が登場しないのがイイ!(全員が一丸となって危機に立ち向かうという姿勢は見ていてとても心地よいです)

ちょっとだけ『禁断の惑星』を思い出しました(進歩しすぎた文明により自ら滅んでしまう点やロボットが出てくるあたり)

紅一点の谷洋子さんは目立ちまくり(大和撫子って良くわからないけど、こんな感じなのでしょうか?)

思ったほどオメガが活躍しなかった(天気予報とチェスの相手くらいで、あとは人間の廻りをうろつくだけ、最後は暴走して船員に怪我をさせてました)

三人も犠牲者が出て後味が悪い(ほとんど無駄死に、これに何の意味があるのか・・・)

昆虫型ロボットの動きはあんまりです(糸で吊ってあるのがバレバレでヨーヨーみたい)

コスモストレーターがかっこいい(最初にこの映画を見たいと思ったきっかけがこのデザイン、見とれてしまいました)


あとは、古典的名作といわれる原作『金星応答なし』をもう一度読んでみようかなぁ、と。なにしろ原作は中学生の頃に読んで、衝撃の結末以外は全て忘却の彼方・・・だから原作に忠実なのかもさっぱり分かりません。せっかく原作があるのなら、比べてみなくては。

船乗りシンドバッドの冒険(第四夜)


船乗りシンドバッドの話は今回で最後。これまでのシンドバッドの航海のパターンですが、

異国で商売がしたくて船に乗る
      ↓
船が遭難して、ある島に流れ着く
      ↓
怪物などに遭遇して危機一髪
      ↓
偶然、あるいは自らの機転で一人だけ生き延びる
      ↓
その島の王様に出会って気に入られる
      ↓
再び商売で成功し、バグダッドに戻る
      ↓
遊蕩三昧の日々を送る

ほとんどこれの繰り返し。

第七の航海まで、あと三回シンドバッドは旅に出ます。

背中におぶったら誰も助からないという「海の老人」と呼ばれる人食い、月に一度鳥の姿に変身する悪魔の手先、船をも一飲みするほどの巨大な魚などが登場すますが、残りの航海も似たり寄ったりのお話です。

というわけで、私自身が飽きてきた事もあり、もうこれ以上筋書きは書きません。

最後の第七の航海では27年という年月を費やし、年老いたシンドバッドは旅や冒険に飽きて、これ以降二度と航海に出る事はありませんでした。お金持ちになったシンドバッドが、この世の愉悦や快楽をつくして暮らす、というところで物語は終わります。

さて、最初の趣旨に戻って、最も原作のイメージに近い「シンドバッド映画」は何か、という事ですが・・・

シンドバッドといえば海を舞台にした冒険活劇がほとんど。この類の作品はは原作とかけ離れているという事はもう分かったと思います。

中にはこんなセリフもあります。
「旦那様、私は商人で商売の事以外は何も存じません・・・」
とても、シンドバッドの言葉とは思えませんが、これが現実。

怪物は原作にも結構登場しました。巨大な鳥、巨人、グール(食屍鬼)、巨大な魚、大蛇などですが、シンドバッドは剣を振りかざして戦ったわけでもなく、怯えながらも何とか逃げのびた、といったところ。モンスターが多数登場するハリーハウゼン作品も原作とはだいぶ違います。

私が見た事がある作品に限られますが、一番原作に忠実だと思われる映画はこれ


カレル・ゼマンが1972年に監督したアニメ作品『シンドバッドの冒険』

カレル・ゼマンといえば、以前ブログでも紹介した事がありますが、切り紙を使ったアニメ、ストップモーション・アニメ、アニメと実写の合成など様々な手法を使った作品を作り「幻想の魔術師」と呼ばれたチェコスロヴァキアの監督さんです。
私が知る限り、この『シンドバッドの冒険』で描かれているシンドバッドが原作に最も近いと思われます。
海が恋人で、ちょっと臆病な青年として描かれているシンドバッドは剣を持つ事もありません。船が難破し、遭難の末たどり着いた島で奇妙な出来事に巻き込まれるというストーリーは、ある程度原作に忠実で、ちゃんと七つの話で構成されています。雰囲気は以前にテレビでやっていた「日本昔話」みたいです。


勇敢な船長シンドバッドを期待して見ると違和感があるかも知れませんが、先入観に囚われなければ、物語そのものは結構楽しめると思います。「これが最も原作に近いシンドバッドだ」という事を念頭に置いて見てみるのも一興かと思います。

船乗りシンドバッドの冒険(第三夜)


前回の続きです。上の写真は問題の第四の航海の挿絵ですが、女性を殴りつけるシンドバッドが描かれています。この挿絵の意味するところは・・・

シンドバッドが航海に出発する理由はいつもと同じ。暴風により船は沈み、シンドバッドはある島に打ち上げられます。ここではグール(食屍鬼)を主とした邪教徒に遭遇しますが、難を逃れてこの国の王様に出会います。馬の鞍を作って大儲けし(馬の鞍という物が存在しない国だった)、王様の世話で妻をもらいました。

シンドバッドはこの時点で一度結婚していたのですね。

そして、歓楽の限りをつくした生活を送るのですが、この国には、シンドバッドには受け入れがたい、ある決まり事があったのです。

これが問題の発端。

この国では妻が最初に死ねば、生きている夫を一緒に埋葬し、夫が先に死んだ場合は妻を一緒に埋葬するという決まりがありました。要するに再婚は出来ない、死後であろうと誰も夫婦の仲を裂く事は出来ないという理屈なのです。

シンドバッドの妻は病気で先に死んでしまいます。

水を一ビンとパンを七切れを与えられたシンドバッドは、妻と一緒に洞窟に生き埋めにされてしまいます。そこには先に生き埋めにされた夫婦の死体がたくさんありました。

シンドバッドはこの危機をどうやって逃れたのか。ここからの描写は最悪・・・

パンと水があるうちは数日間は生き延びる事が出来るわけで、そうやってなんとか死なずにすんでいると、次の夫婦が洞窟に埋葬されてきました。
埋葬した地上の人々はシンドバッドが生きている事に気付かずに、生きている妻とその夫の死体を洞窟の中に残して立ち去ります。
シンドバッドはこれ幸いと、死骸の足の骨を手にとって、女のそばに近づき、いきなり脳天を殴りつけました。気を失って倒れた女を二度、三度と殴りつけ、息が止まったのを確認するとパンと水を奪い取ったのです。
なるべく食料を長持ちさせるように努め、こうして長いこと、洞窟に放り込まれた人間を次々と殺めては、食料と水を奪い、命をつなぎとめていたのです。

(((( ;゚д゚)))ガクガクブルブル

上の挿絵はこのシーンのものなのですが、どーですかこの話。あのシンドバッドが・・・というよりもこっちがオリジナル。

洞窟に迷い込んだ一匹の野獣を追いかけて、出口を発見して助かるのですが、その時シンドバッドの手には宝石がどっさり。この国では女性は綺麗にして埋葬する習慣があったので、死骸の首飾りや宝石、装身具をごっそり拝借してきたというわけ。
島の外れに逃げ延びて、通りがかりの船を見つけてバグダッドに帰り、島での出来事は隠し、元通りの道楽三昧の日々を送るのです。

映画のシンドバッドからは想像も付かないような恐ろしい話ですが、これもアラーのみ心なのだとか・・・

まぁ、考え方によってはどうせ死んでしまうのだし、生き延びるためには仕方なかったのかも知れません。

シンドバッドのスタンダード作品は何か、という趣旨で書き始めたのですが、果たして該当作品はあるのでしょうか。シンドバッドのイメージが音を立てて崩れ落ちて行きます。

おそらく、次回で最後・・・

明後日か、一週間後辺りには書きたいと思っております。

船乗りシンドバッドの冒険(第二夜)


カレンダー通りの連休で暇。早くも前回の続きです。今回は実際にシンドバッドはどのような航海をしたのか、という事を書いてみます。

長くなるので思いっきり省略して書きますので悪しからず。

まずは最初の航海から

裕福な商人の家に生まれたシンドバッドだが、父の散財により家庭は崩壊。残った家財を売り払い異国への旅に出ます。そこである島に上陸するのですが、これが島と思っていたら巨大な魚の背中。逃げ遅れたシンドバッドはある島へと流れ着き王様の計らいで商人として再出発。順調に航海を続け、商人として成功しバグダッドに戻るまでが書かれています。

続いて第二の航海

お金持ちになって遊蕩三昧の日々を送っていたシンドバッドだが、ふっと世界を歩き、交易がしたいという気持ちが湧き、また旅に出ますが、今度はある島に上陸した時に船長に忘れられて島に取り残されてしまいます。
この島には巨獣がすんでおり、その巨獣をも餌にするという、さらに恐ろしいルフ鳥と呼ばれる巨大な鳥が存在していました。
ある日、シンドバッドがルフ鳥の卵を発見し驚いていると、そこに親鳥が戻ってきてシンドバッドもろとも卵の上に覆いかぶさり眠ってしまいます。眠っている隙に鳥の足にターバンを巻きつけ、一緒に飛び立ち島からの脱出を図るのですが、鳥が連れて行った場所は大蛇の谷と呼ばれる場所。
その名の通り大蛇が棲む谷なのですが、そこにはたくさんの獣の屍とともに、宝石がいっぱいあったのです。巨大な鷲が屍をめがけて舞い降り、隠れていたシンドバッドもろとも鷲づかみして舞い上がりました。
鷲がある山の頂に舞い降りた時にシンドバッドは体をもぎ離し、大蛇の谷からの脱出に成功します。
大蛇の谷から脱出した最初の人間となったシンドバッドは別の人間に出会い、手に入れた宝石を売り、巨万の富を得てバグダッドに戻ります。

次は第三の航海

贅沢三昧の日々を送っていたシンドバッドは、異郷の空が恋しくなり、また商売の旅へと出発。台風で航路をそれた船はある島へと流れ着きます。この島にはグール(食屍鬼)と呼ばれる巨人が住んでいて、船長も含め多くの仲間が食べられてしまいました。

上の写真がこのシーンの挿絵です。

生き残った者達で協力し、二本の熱した鉄串を眠っている巨人の目に突き刺しなんとか三人が生き延びます。しかし、一難去ってまた一難。今度は大蛇が登場します。

この辺りはかなりの残酷描写が続き・・・結局、生き残ったのはシンドバッド一人だけ。

船に救われたシンドバッドは船長の計らいで商いをする事ができました。ここでシンドバッドは行方不明になった商人の物であるという荷を引き受ける事になったのですが、なんとその行方不明の商人というのはシンドバッド本人の事で、その荷というのが最初の航海で巨大な魚から逃げた時に失った自分の物だったのです。
こうして、自分の荷を取り戻したシンドバッドは順調に商いを続け、巨万の富を得てバグダッドへと帰ります。

だいぶ省略したつもりですが、長くなってしまいましたので、今回はここまでにします。

これまでの航海で、シンドバッドは商人として船に乗っているだけで、船長ではないという事が分かります。また、剣を持っていない事も。
共通しているのは、冒険とはいっても不可抗力で巻き込まれてしまっただけで、決して自分から望んだ冒険では無いという事。登場したモンスターは巨大な魚、ルフ鳥、大蛇、食屍鬼、大鷲といったところ。

これらに出くわしたシンドバッドが怯えたり、泣き叫んだりする描写もかなりあります。頭の回転が速く、危機回避の能力は大したものですが、映画のような精悍さはほとんど感じられません。

航海が続くほどシンドバッドのイメージが崩れていきますが、次は第四の航海です。

この第四の航海というのが問題で・・・

『千夜一夜物語』には想像もできないシンドバッドの姿が書かれています。次こそが『本当は恐ろしいシンドバッド』の物語です。

明日か、明後日か遅くとも一週間後には書きたいと思っております、ではまた。

船乗りシンドバッドの冒険(第一夜)


シンドバッドを題材にした映画は数多くあります。

古い物では『船乗りシンドバッドの冒険』(1946)、上の写真は『宇宙戦争』のバイロン・ハスキンが監督した『キャプテン・シンドバッド』(1963)のビデオのパッケージです。そしてアニメも多く作られています。最近では、TVシリーズの『アドヴェンチャー・オブ・シンドバッド』というのもありました。そして、レイ・ハリーハウゼンの『シンドバッド・シリーズ』。これは大ヒットし、ハリーハウゼンの代名詞とも言えるほど有名な作品となりました。

若き日のジム・ダンフォースは『シンドバッド7回目の航海』を製作中のスタジオにハリーハウゼンを訪ねた事があります。
憧れのハリーハウゼンにレクチャーまでしてもらったダンフォースは感激したものの、『シンドバッド7回目の航海』に使用されるさまざまなモンスターなどを見て、「この作品はシンドバッド映画のスタンダードにはならないだろう」と思ったそうです。

そこで思いついたのですが・・・

本当にシンドバッドらしい映画、シンドバッドのスタンダード作品は何か、という事をちょっと考えてみようかと。

映画や絵本、または子供向けに翻訳された冒険物語でのシンドバッドは知っていても、オリジナルの物語を知らない人は多いのではないでしょうか。

近年、オリジナルのグリム童話を翻訳した本が出版され、いかに皆が知っている童話が脚色されているか、という事が話題になりました。でもそんなのはグリム童話に限らず、聖書やギリシャ神話でも同じ事。シンドバッドの話が書かれている『アラビアン・ナイト』も例外ではありません。

映画では、海の荒くれ者たちを部下に持つ船長であり冒険家、とてつもなく強い剣士、悪と戦うヒーローといった姿が描かれる事がほとんどで、これが多くの人がイメージするシンドバッドだと思いますが、実際のところはどうだったのか・・・

『千夜一夜物語』では船乗りシンドバッドの物語は第537夜から566夜まで。最初に登場するシンドバッドの描写は以下の通り。

白い顎鬚で堂々とした恰幅、顔かたちは品よく福々としていて、見るからに重厚な威厳の備わった、神々しいばかりに気高い一人の老人。

いきなり老人として登場ですか・・・

その老人が過去に経験した摩訶不思議な冒険、最初の航海から最後の七回目の航海までを回想する事によって物語は進行します。ハリーハウゼンの最初のタイトルはこの七回目の航海から付けられたものだったのです。

そういえば、映画ではシンドバッドが何を生業にしているのかという事は描かれていませんね。冒険家とかトレジャー・ハンター、あるいは海賊の類と思っていた人もいるかもしれません。

実際には、異国の人々と交易をしてお金をもうけている商人だったのです。最初にはっきりさせておきたいのは、シンドバッドは船長ではなかったという事。異国行きの船にのった商人の一人に過ぎません。そして、映画で見られるような剣を取ってのチャンバラ・シーンなどは一切ありません。

この時点で、ほとんどこれまでのシンドバッドに対するイメージが崩れてしまいました・・・

七回に及ぶ航海でシンドバッドはどんな冒険をしたのか、という事ですが、長くなりそうなのでまた次回、第二夜として書きます。

明日か、明後日か一週間後になるか分かりませんが、衝撃の事実、本当は恐ろしい「船乗りシンドバッド」について、そして、最も原作のイメージに近い「シンドバッド映画」を勝手に決めてしまおうと思っております。

インベージョン・アース


インベージョン・アース(1987)は地球侵略を目論むエイリアンとそれを阻止しようとする子供たちとの戦いを描いた作品、とは言っても、これはコメディ。

とある田舎町の映画館を占領したエイリアンが、映写室を地球侵略計画の司令室として使用。長時間、暗闇で映像を見せることにより人間の脳機能を低下させ、地球人を洗脳しようと計画する。

というわけで、実はエイリアンが見せるこれらの映像こそが、この映画のメインとなるわけです。

50年代から60年代初頭までのSF映画ばかり、B級からZ級まで、ビデオ・パッケージの説明によれば全部で35本の映画が見られる事になります。

内容が滅茶苦茶で、どういう目的で作られた作品なのかさっぱり分からないのですが、おそらく・・・レトロSFへのオマージュ、あるいはSF映画大全集といった類と考えればいいのではと思います。古い映像を見せるのが最大の目的だとすれば、ファンならばかなり楽しめます。

映像と現実が微妙にリンクしていたり、現実部分では古典SFのパロディが満載なので思わすニヤリとしてしまうシーンも満載。しかも、ボディー・スナッチャーのサヤを利用したエイリアンの侵略計画の名称が『プラン・9』というのだからもう完璧!

しかし、やはりメインはB級SFの映像。断片的にではありますが、未DVD化の作品や昔テレビで見作品、さらには雑誌の写真でしか見た事がないようなモンスターが実際に動くシーンが見られるのだから、マニア必見の映画と言ってもいいでしょう。

この「断片的な映像」というのがポイントで、予告編などもそうなんですけど、本当にしょうもない映画でも面白そうに見えてしまうんですね。この作品がきっかけでB級SFを鑑賞し始めた人って結構いるかもしれません。

以下、上映作品(ビデオ・パッケージより)

IT CAME FROM OUTER SPACE
戦慄!プルトニウム人間
暗闇の悪魔
巨人獣
吸血原始蜘蛛
遊星よりの物体X
ボディー・スナッチャー/恐怖の街
LET'S ALL GO THE ROBBY
宇宙水爆戦
大アマゾンの半魚人
タランチュラの襲撃
キングコング対ゴジラ
金星人地球を征服
THE MOLE PEOPLE
恐怖のカマキリ
怪獣ゴルゴ
地球防衛軍
巨大な爪
世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す
水爆と深海の怪物
3馬鹿大将宇宙の巻
地球へ2千万マイル
原子力潜水艦
顔のない悪魔
THE BRAIN FROM PLANET AROUS
トロレンベルグの恐怖
惑星アドベンチャー・スペースモンスター襲来
人食いアメーバの恐怖
宇宙戦争
放射能X
冷凍凶獣の惨殺
SF第七惑星の謎
巨大アメーバの惑星
空の大怪獣ラドン
巨大猿怪獣

定番の古典から未公開の作品まで幅広く収録されています。そして、めったに拝めないモンスターたち。ちなみにこのビデオ、去年まで近所のレンタル屋にありました。田舎って面白い・・・


偉大なるトボー Tobor the Great


上の写真は『偉大なるトボー』Tobor the Great(1954)という映画のポスターです。別題は『鉄人トーバー』

ビデオのパッケージには、

宇宙探検用ロケットに搭乗するために作られたロボット、トボー。人間の感情を持ち、愛も悲しみも受け入れるトボーは、自分を生み出してくれた博士とその孫を守るため、敢然と悪に立ち向かった・・・

とあります。

ちなみにトボー(TOBOR)という名前はロボット(ROBOT)の逆綴り。

これは未来の物語である。しかし遠い未来ではない、というナレーションで映画は始まります。実際のニュース映像などを流用した画面でオープニングはあくまでもドキュメンタリー・タッチ。このパターンはこの時代に多く見られる手法です。

トボーの秘密を狙う悪役(スパイたち)と、それを阻止してトボーの完成を目指す科学者たちの攻防戦がメインで、トボーの活躍により誘拐された博士とその孫が救出され、最後はめでたくトボーが宇宙探検ロケットのパイロットの座に収まる、というお話。

まぁ、その・・・宇宙探検よりも、人間の代わりを完璧にこなすロボットを開発する方がよほど難しいだろう、と突っ込みつつ、トボーとの通信にテレパシーを使うという設定に昇天。

はっきり言って、あまり面白くなかったです(^^;)

でも、決して見る価値の無い映画だとは思っておりません。今回、この作品を取り上げたのは、ロボットが主演した初めての映画だから、というのがその理由の一つ。

主役級の活躍という意味ではなく、ロボットが主演というのはおそらくこれが初めての作品ではないでしょうか? 

低予算映画のチープさは否めませんが、トボーのレトロなデザインと愛嬌のあるその動作は、それを補って尚あまりある魅力があるのも確かだと思います。


ところでこの映画、SF関連の雑誌や本でもほとんど語られる事のない作品なので、ちょっと気になって検索してみると、

ヤフオクでは出品されていない、アマゾンでは・・・

オォォ(゚o゚;) なんと中古ビデオが2万円で売られていました(2009年3月現在)。この作品もDVD化は期待できそうもないし、ビデオは結構貴重品なのですね、買う人いるのかなぁ?

ロビー・ザ・ロボット二世


またまた『禁断の惑星』ネタですが、映画に実際に使用されたロビー君はその後どうなったのか、という話です。

ホームページの「ロビーがゲスト出演した作品」のページに関係した話なのですが、ロビー・ザ・ロボットのプロフィール的な事、メカがどうなっているとか、そういった話はホームページにも書いていない事でした。

日系人のロバート木下さんがデザインしたロビー・ザ・ロボットは着ぐるみの重量が約45キログラム、意外と軽いのですね。

映画では、トランスポーターに乗るミニチュアなども製作されました。顔部分の電飾やメカを動かすための電源、リモコン用のコードは左のかかとから伸ばしていたとの事。

数本のテレビにゲスト出演した後、1971年にムービーワールド博物館に売却されるのですが、決して良好とは言えない保存状態であったようです。

映画監督で脚本家、特撮造型師もこなす才人で、熱心なロビーファンでもあるウィリアム・マローンがそんな状態のロビー・ザ・ロボットを見かねてレプリカ製作に取りかかります。

そして1973年、「ロビー・ザ・ロボット二世」が誕生。

ロビー二世の映画デビューはなんと、刑事コロンボ『愛情の計算』(1974)。足が無い「MM7」という名前で登場したやつです。上の写真がその勇姿!胸部分がコロンボ用に改造されています。

続・禁断の惑星『宇宙への冒険』や『ミステリーゾーン』、『宇宙家族ロビンソン』に登場したロビー・ザ・ロボットはオリジナルの物で、それ以降の刑事コロンボ『愛情の計算』や『プロジェクトUFO』、『ワンダー・ウーマン』などに出演したのは二代目という事になります。

その後、ボロボロだったオリジナル・ロビーもウィリアム・マローンの手により1982年までに完全に修復されました。

後の『グレムリン』や『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』などに出演したロビー・ザ・ロボットがどっちだったのか気になるところですが、二代目がテレビ出演する際に一部改良が加えられていた事を考えると、原作と全く区別が付かないこれらのロビーは、おそらくオリジナルの物だと思われます。

ウィリアム・マローン・プロダクションに所属するオリジナルと二世のロビー・ザ・ロボットは、現在でもタレントとして活躍中。そういえば、日本の大阪にもそんなのがいたような・・・

最後に、ロビー君とは関係ないのですが、映画の冒頭に登場する「アルテア4」の風景。円盤がゆっくりと右へ移動するシーンにはしびれました。

スタジオの幅を目いっぱい使ったというこのマット画、全長なんと100メートル以上ももあるそうです・・・絶句。これを念頭に置いて、このシーンをもう一度鑑賞してみましょう。


バート・I・ゴードン監督 通称ミスターBIG


1950年代には「放射能による巨大化」物のB級モンスター映画が数多く作られました。

そんな中で一際異彩を放っていたのが、バート・I・ゴードン監督。本物の生物を合成で大きく見せたモンスター映画を連発し、『ミスターBIG』と呼ばれた巨大モンスター映画の第一人者です。

というよりも、

こんな映画を長く撮り続けている監督さんが他にいない、というだけなんですけど。

上の写真の左は、初期の作品『終末の兆し』(1957)のポスターです。『放射能X』(1954)にそっくりなデザインの真ん中にいる怪物は、言われなければ絶対にそうと分からない巨大バッタ。
本物のバッタが合成されて向かってくる様子はかなりの迫力。昆虫嫌いの人にとっては下手なモンスター映画よりもよほど怖かったハズ。『吸血原子蜘蛛』(1958)のクモとか。

巨大化するのは昆虫だけではありません。

上の写真右がプルトニウム爆弾の放射線を浴びた人間が巨大化する『戦慄!プルトニウム人間』(1957)。その続編で、行方不明となっていたプルトニウム人間が実は生きていた、という『巨人獣』(1958)は微妙な体型のオヤジがもっさりとした動きで登場。ビキニ姿の女の子が巨大化して水着が取れるシーンが印象的な『巨人の村』(1965)というのもありました。

1970年代は動物パニック映画がブームでした。というわけで、バート・I・ゴードン監督は再び巨大モンスター映画を撮ります。50年代と全く変わらない手法で!


『巨大生物の島』(1976)は以前にもブログでちょっと書きましたが、H・G・ウェルズの『神々の糧』を原作としたパニック映画。最後のネズミ惨殺シーンは強烈でした・・・昔はテレビで放送されていましたけど、現在ではこんなの撮影できませんね。この映画だったかな、巨大な芋虫が出てきたのは? 原作は何処へ・・・

テレビでよく放送されていたと言えば、『巨大蟻の帝国』(1977)。合成で巨大化した蟻はかなりの迫力でしたが、人を襲うシーンなどのアップは動きの無いハリボテで撮影されるという絵に描いたようなB級作品。

ほとんどの作品がゲテモノ映画と言ってもいいような作品ばかりですが、子供の頃には、結構たのしませてもらいました。DVD化されている作品が少ないので再見するのが難しいのですが、また見てみたいものです。

今回は巨大化物に絞って書いてみましたが、バート・I・ゴードン監督は決して巨大生物の映画ばかり撮影していたわけではなく、1960年代にはホラーとかファンタジーを撮っていました。結構楽しめる作品もあるので、そのうち書いてみようかと・・・気が向いたらですけど。


タイム・トラベラーズ


今回は個人的に一推しの映画、イブ・メルキオール監督作品のタイム・トラベラーズ(1964)

アンドロメダ銀河をバックにしたタイトルだけで、もう私は映画に引き込まれてしまいました。

実験の失敗により偶然に発見してしまった「時の門」を通り抜け、100年後の世界へと放り込まれてしまった三人の科学者。そこで彼らは、核戦争によって荒廃した地球を捨てて、アンドロイドとともに別の惑星へ行くためのロケットを製造しているという数少ない生き残った人類と出会う。

この作品は1970年代頃には繰り返しテレビで放送されていた記憶があります。TV放送時のタイトルは『原始怪人対未来怪人』。時を超えて未来の世界へ行くというテーマは確実にSFファンの琴線に触れるわけで、この作品は憶えている人も多いでしょう。

特にこのアンドロイド。


ホームページのトラウマ作品のページでも取り上げたのですが、この顔、夢に出てきましたよ・・・マジで。

そして、時間の裂け目に落ち込んでしまうというタイムパラドックスを表現したようなエンディング。早回しで2回ほど映画全編を繰り返すというのも結構印象的でした。

ところでこの作品、数年後に作られたTVシリーズ『タイム・トンネル』に良く似ているような気もするのですが、多少の影響を与えているのかも知れません。

それよりも、

この作品の一番の特徴はその特撮の方法にあるといってもいいでしょう。簡単に言ってしまえば、トリック撮影と言うよりもマジック撮影。

例えば、

・壊れたアンドロイドの首を付け替えて、そのアンドロイドがまた動き出す過程が、編集される事無くワンカットで撮影されている。

・定規を作るシーンで、丸い金属の輪が一瞬で四角に変化する。

・グラスの液体に何かを注入すると、グラスの中の液体の量が減っていく(密度が濃くなったという事か?)

・振動を使った瞬間移動装置で、一瞬にして被験者の姿が消える、などなど。

こういったシーンが全て手品、いわゆるイリュージョンというやつで撮影されているのです。

他にも、流線型の宇宙ロケット、瞬間印画、特殊な栄養剤によりあっと言う間に果物が成長する栽培装置などの小物でも楽しませてくれました。

いかにも低予算のB級映画といった作品ですが、見事なアイデアと創造力でファンを楽しませてくれた良質のSF作品だと思います。


禁断の惑星がリメイク決定 その2


『禁断の惑星』のリメイクが決定して以来、なんとも複雑な心境になっておりますが、製作者であるジョエル・シルバーの最新作『スピード・レーサー』(2008)が私の中でかなりのヒット作だったので、ちょっと期待が高まっております。

オリジナルを超えるとか、そういう事は別として楽しめたらいいと思っています。

と、ここで思い出したのですが、以前に『地球の静止する日』について書きましたが、リメイク版『地球が静止する日』鑑賞してきました。

感想は、ゴートがペプシマンみたいだなぁ、と思ったくらいです。私的にはイマイチ。というわけで、ブログにも書かなかった次第です。

そんな事よりも、『禁断の惑星』リメイク決定を記念して・・・というわけでもないのですが、ホームページに『禁断の惑星メカ特集』を追加。久しぶりの更新となりました。

1950年代に作られたこの作品には、当時としては珍しく数多くの魅力的なメカが登場しました。レトロな雰囲気を持つデザインは今見ても新鮮。あらためてメカだけを見てみるのも視点が変わって結構面白かったです。

ストーリー、デザイン、音楽、どれをとっても素晴らしい作品で、早すぎたSF作品と言われる理由があらためて解ったような気がします。

監督のフレッド・マクロード・ウィルコックスが手がけたSF作品はこれ一本のみ! なぜこんなに優れた作品が生み出されたのか不思議?

BS熱中夜話 マニアック映画ナイトに行ってきました


私のホームページとブログを見たディレクターさんからの依頼で、NHKの「BS熱中夜話 マニアック映画ナイト」という番組の収録に参加してきました。上の写真はお土産に貰った番組のTシャツ。

最初に話が来たは、「これは面白そうだ!」、「参加するしかない」と思っていたのですが、取り扱う映画と監督さんのリストを見てビックリ。

監督さんは、エド・ウッド、ロジャー・コーマン、レイ・ケロッグ、ラリー・ブキャナンの四人。

以下作品

・プラン9・フロム・アウター・スペース 新訳版
・ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド
・ロボット・モンスター
・地球最後の男
・大蜥蜴の怪
・血のバケツ
・金星怪人ゾンター
・新・ドラキュラ 悪魔の儀式
・死霊の町
・生ける屍の城(石田一シリーズ)
・女ヴァンパイア カーミラ
・刑事マッカロイ 殺しのリハーサル
・死神の谷 フリッツ・ラング監督作品
・吸血鬼ノスフェラトゥ 新訳版
・カリガリ博士 新訳版
・ロスト・ワールド
・火星から来た デビルガール
・スネーク・オブ・ザ・リビング・デッド 死霊蛇伝説
・アンダルシアの犬
・ゾンビの怒り
・ゾンビッド ティーンエイジ・ゾンビの恐怖
・ヴィンセント・プライスのザ・バット

オイオイ(^^;) これはいくらなんでも、マニアックすぎるでしょう・・・半分位は見た事あるけど。
まぁ、これは版権の問題で紹介できる映画がかなり制限されているので仕方の無い事。

オフ会のような討論の番組との事で、発言は挙手制で皆が発言しなくてもいいという話だったので、気楽に参加してきました。

本番前の番組説明時、「大まかな台本があり、名前を呼んだ方にはできれば発言して欲しい」との事で、ラリー・ブキャナン監督の時に名前を呼ばれちゃったので「それならば」と思っていたら、ゲストの皆さんや他の方々が思っている事をほとんど話されてしまいました。というわけで、私はただの見物人状態。
スタッフの皆さんごめんなさい・・・といってもそれも番組的には想定内の事だったようです。

いかにも大槻ケンヂさんらしいマイペースなトークに大爆笑、唐沢俊一さんの進行も完璧だったし、石田一さんのマニアックな解説にはうなりっぱなし。司会の女性ととゲストの松嶋初音さんも可愛かったです。
司会のビビる大木さんの頭の回転の速さにはビックリしました、マジで。アドリブも含め、あの状況でよくあれほど機転の利いたコメントが出せるものだなぁ、と関心して見ておりました。

あまりにもマイナーな作品が多いので、これで番組が出来るのかと心配していましたが、そんな事は杞憂に終わりました。

収録が一本につき2時間位だったので、44分程度の放送時間では半分以上がカットされてしまう訳ですが、ノーカットで2時間の番組でもよいのでは、と思える程、充実した内容でした。
古いマニアック映画が現代の作品に与えた影響などを検証する唐沢さんの「全ての道はマニアック映画に通ず(だったかな?)」のコーナーは必見ですよ。

分かりやすいウンチクが盛り込まれ、古いB級映画に興味が無い人でも十分に楽しめるし、これを見たらB級映画にハマッてしまうかも、と思わせるような番組の構成には脱帽。皆さんプロだなぁ、と感激した一日でした。

というわけで、放送の予定は『NHK BS2』で、

「マニアック監督ナイト」が1/29(木)の24:00から24:45まで
「おすすめマニアック映画ナイト」が2/5(木)の24:00から24:45です。

怒りの湖底怪獣・ネッシーの大逆襲


今回は1960年代に低予算のリメイクSFを連発したラリー・ブキャナンが1982年に製作した『怒りの湖底怪獣・ネッシーの大逆襲』

さて、ネッシーと聞いてまず思い出すのが、有名な「外科医の写真」上の写真がそれ。90年代に写真を撮った本人が「ブリキの潜水艦でネッシーを作り、水に浮かべて撮って医者に発表させた」と告白して大騒動になったアレです。

波紋や水滴の大きさと比較してもすぐに嘘だとばれてしまうようなこの写真、専門家はとっくに偽者だと判断していたようで、大きさは70センチ位だとか。

謎の生物が目撃され続けているネス湖ですが、そもそもネッシーが目撃されているという事が嘘だとか、写真は本当にネス湖で撮影されたのか、などの疑問を投げかける人もおります。

食料不足で巨大生物の生存は不可能、ネス湖の酸素量や、種の存続に必要な個体数を考えても、存在するとは考えにくいなどなど・・・

イギリス・スコットランドの霧に覆われた神秘的な湖、ネス湖。しかし、確実にロマンは失われつつあります。

話を映画にもどして、

かろうじてロマンが残る時代?に作られたのが『怒りの湖底怪獣・ネッシーの大逆襲』。映画の冒頭、ネッシー実在の証拠として、例の「外科医の写真」が堂々の登場!

そして、映画に登場するネッシーがこれだ!


(゚Д゚) こ、これは・・・

このネッシー君、映画全編を通して首から上しか映りません。胴体は一切映らないのです。絶対に首から下は車輪がついている、と思える歩行シーンは必見! そして、全く動かないハリボテのネッシーに噛み付かれ、もがき苦しむおじさん・・・かなりの熱演ですが、普通即死でしょ。


1982年は『ブレードランナー』や『トロン』、『遊星からの物体X』などが製作された年です。この時代に、こんな映画を撮るとは・・・ラリー・ブキャナン恐るべし。

禁断の惑星がリメイク決定


珍しく、中一日でのブログ更新!

今年の年末は、人生初めての9連休となってしまいました。暇でネットやってたらこんなニュースが・・・

古典SFの名作「禁断の惑星」を、ジョエル・シルバーがリメイク

[eiga.com 映画ニュース]20世紀フォックス映画が、1951年のSF映画「地球の静止する日」(ロバート・ワイズ監督)を、キアヌ・リーブス主演でリメイクした「地球が静止する日」(スコット・デリクソン監督、12月19日公開)をクリスマス・シーズンに全米公開するが、その余波に乗り、ワーナー・ブラザースが、1956年のSF映画「禁断の惑星」(フレッド・マクロード・ウィルコックス監督)をリメイクすると発表した。

((;゚Д゚)オォォー

ジョエル・シルバーといえば、マトリックス・シリーズの製作者。SF作品も数多く手がけているので期待できるかも。最新作はスピード・レーサー(2008)

ところで、私のホームページには禁断の惑星のページがありまして、そこの締めくくりで「この映画は、個人的に絶対にリメイクして欲しくない作品ナンバー・ワンだ。」と書いております。

いつかリメイクされるのでは、と思っていたのですが、とうとうその時が来てしまいましたか・・・

ストーリー自体はどーでもいいのですが、思い入れが強い分、新たなロビー君のデザインが気になります。

そこで思い出したのですが、ロビー君のコレクション写真のページに、まだアップしていなかったコレクションを最近追加していたのです。箪笥で眠っていた物やブログで紹介したロビー君を4点ばかり。興味のある方は見て下さい。


アトランティス/7つの海底都市


この映画は1978年製作。監督は以前にここのブログで、ハリボテ特撮の代表作品として取り上げた『恐竜の島』のケヴィン・コナー。

舞台は19世紀末、アトランティス調査のためバミューダ海域へと赴いた一行は海底都市を発見するが、そこで囚われの身となってしまう。アトランティス脱出を図るがそこに様々なモンスターが現れ・・・という冒険ファンタジー映画。

ケヴィン・コナー監督は私のようなSFファンからしてみると、昔よくテレビで放送されていた冒険SFの監督というイメージが強いのですが、実際には、この『アトランティス/7つの海底都市』が最後のSF作品で、これ以降は全く違うタイプの作品を監督しています。

コップを逆さまにして水に沈めれば、中には水が入ってこないという理屈で作られたチープな潜水艇で、海底都市まで行ってしまうのがなんとも大らかで時代を感じさせます。海底の洞窟を通り抜けて浮上すると、そこに見たこともない世界が広がっている、というのは『恐竜の島』と全く同じ。冒険映画では良く使われる手法ですね。子供心にもワクワクしながらテレビを見ていたのを思い出します。そして、人間たちが労働に酷使されている点や、恋に落ちた女性が海底都市に残る事を選択し、別れる所は『地底王国』と一緒。

潜水艇を襲う巨大なカメヘビ、海洋映画ではお約束の大タコ、ヤスデの怪獣モグダン、巨大化したフジツボの怪物ザルグなど、個性的なモンスターが続々登場。そして、邦題になった7つの海底都市。

一行が発見したアトランティスは、地球の古代文明ではなく、火星からの小惑星が海中に没したもので、火星に帰れなくなってしまった人々が、人類を奴隷としてこき使っている世界だった! 映画の冒頭、原始時代の地球に隕石が衝突するシーンがあるのはそういう事だったのです。

というわけで、ケヴィン・コナー監督のそれまでのSF作品はこの映画のための習作だったのでは、と思わせるほど面白い・・・と私は思う。実際、特撮は非常に良く出来ています。船が大タコに襲われるシーンなどは、ディズニーの『海底二万マイル』を彷彿とさせるし、怪物ザルグなど、ぬいぐるみや操演で動かされているモンスターは円谷プロの特撮のようです。ロスト・ワールド物ばかり撮ってきた監督の集大成とも言える作品となっています。


荒唐無稽なこの作品、今ではB級作品という位置づけなのかもしれませんが、映像を見る限り、かなりお金をかけているようにも見えます、これまでの作品と比べれば、ですけど。こういった観客を楽しませてあげようという作り手の心意気が伝わってくるような作品は大好きです。これは良質の娯楽映画と言ってもいいのではないでしょうか。

大アマゾンの半魚人


ドラキュラ、フランケンシュタイン、狼男などを生み出した怪物映画の老舗、ユニバーサル映画が新たに作ったモンスター映画『大アマゾンの半魚人』

アマゾンのジャングル地帯を探索中の地質学者が、指に水かきがある化石化した生物の手を発見。探検隊を作り調査に向かうと、そこには太古のような原始林が広がっていた・・・

というわけで、彼らの前に半魚人が姿を現すのですが、名前を『ギルマン』というその半魚人に惹かれてファンになった人も多いのではないでしょうか。そのデザインは秀逸で現在でも高い人気を保っています。1954年に公開されたこの映画は大ヒットし、モンスター・ブームに一役買っています。ヒロインに惚れた怪物とその最後は『キングコング』っぽい感じ。

今となっては、半魚人ギルマンのキャラだけが一人歩きしている印象もありますが、この映画はブームに乗って量産されたB級モンスター映画とは違ってなかなかの傑作。『ジョーズ』などのパニック映画にも影響を与えたと言われています。

ヒロインに惚れた半魚人がストーカーもどきの行為をするこの映画が傑作とされているのは、半魚人ギルマンが見せる名演技のおかげでしょう。

この映画で最も印象に残るシーンといえば、なんと言っても泳ぐヒロインを水中から見上げる場面で、ギルマンがヒロインを追いかけるシーン。水上と水面下で二人が並んで泳ぐ画面の構成には本当に驚かされました。背泳ぎで真下を寄り添うように泳ぐ場面は今見てもビックリ。恐ろしくもあり、美しくもありました。


この半魚人のスーツアクターはリコウ・ブロウニングという水泳の選手。酸素ボンベを使わずに滑らかに泳ぐシーンは、本当に半魚人が実在するかのような存在感があります。着ぐるみによる特撮は、どうしても人間っぽくなってしまうという欠点がありますが、これだけは例外。着ぐるみに命が与えられているといっても過言ではないと思います。ちなみに、陸上での半魚人は海兵隊出身のベン・チャップマンという人が演じているそうです。

このモンスターのデザイナーは、女優でもあったミリセント・パトリック。この人は『宇宙水爆戦』のメタルナ・ミュータントもデザインしています・・・これもビックリ。着ぐるみ製作はユニバーサルのバッド・ウェストモアとその仲間たち。日本円にして約350万円なり!

半魚人というのは、アメリカの先住民グアラニー族の伝説に登場する妖怪が元になっていて、それは人魚に近いものとされています。上半身が人で下半身が魚だと人魚、その逆だと半魚人だそうです・・・

現在の私たちが持つ半魚人のイメージを定着させたのは、おそらくこの『大アマゾンの半魚人』ではないでしょうか? そう考えるとやはりこの映画は歴史に残る名作です。サンリオのハンギョドンはこれのパクリっぽい。

この作品は現在でもDVDでの鑑賞が可能。半魚人ギルマンの水中シーンだけでも見る価値ありです。

恐怖の火星探険


前回、『エイリアン』の元ネタという事で『バンパイアの惑星』を取り上げました。そこで出てきたもう一つの元ネタ映画が1958年の『恐怖の火星探険』。

というわけで、ついでだから今回はその『恐怖の火星探険』について。こっちは盗作騒動にまで発展したという、これで有名になってしまったB級の低予算丸出しの映画です。

主人公は火星に不時着したロケットの唯一の生存者であるカラザース大佐。遭難から半年経って火星に救助隊がやってくるのだが、カラザース大佐は自身が生き残るために他の乗組員を殺したのではないか、という疑いをかけられていた。「部下は謎の怪物に全て殺された」という話は信じてもらえず、軍法会議にかけられる事になったカラザース大佐はロケットに乗せられて地球へと向かう。

というわけで、地球へと向かうロケットの中に、その「謎の怪物」が潜入し、次々と乗組員が殺されていくというストーリーが展開されるわけです。この映画のプロットは単純そのものなので、盗作というのもどうかと思うのですが・・・

火星を離陸した後、乗組員たちがそろって食事をとるシーン(女性が二人いるのも同じ)、宇宙船という密室空間で武器を取って戦う乗組員たち、通風孔という狭い場所での惨劇、怪物には炎の攻撃が有効、なるほど確かに色々と似ているところはあります。


いかにも量産されたB級映画といった趣のモンスターの造形が時代を感じさせて微笑ましいです・・・

衝撃的なのはこの映画のラスト、怪物を退治するシーンです!

怪物の弱点は、呼吸量が多い事。船内の酸素の消費が異常に多かったためにカラザース大佐が気づいたのだが・・・火星の生物が酸素を大量に消費ってなんだか不自然なような?

それはともかく、乗組員全員が宇宙服を着て、エアロックを開放! これはまさしく『エイリアン』のラストシーンと同じ! と思ったら、酸素量がゼロとなった船内で、怪物は苦しそうに息絶えるのでした(窒息死)。

これで、エアロックから怪物が放出でもされていたら本当に衝撃のラストだったのですけど、それだったら盗作騒動だけじゃ済まされませんね。

この映画は、特撮秘宝コレクションDVD-BOX【異星人(エイリアン)篇】で見る事ができます。数多く存在するB級モンスター映画の一つですが、『エイリアン』の元ネタという事を念頭において見てみると、結構楽しく見られると思います。


バンパイアの惑星(恐怖の怪奇惑星)


今週は久しぶりに『エイリアン』シリーズ4本を立て続けに鑑賞しました。

感想は、この年月の間にCGは随分進歩したなぁ、と。やっぱり『エイリアン』は面白いです。私のブログ、ホームページはもっと古い映画の話がメインなので、エイリアンの話はここまで。

『エイリアン』で思い出したのが、エイリアンの元ネタになったとされる二つの古典SF作品の事。

一つは1958年の『恐怖の火星探険』。物語が酷似していた事から盗作騒動にまで発展したという作品です。もう一つが1965年の『バンパイアの惑星』。個人的にはこっちの方が好きなので今回は『バンパイアの惑星』についてちょっと書いてみたいと思います。

宇宙を航行中の二隻の宇宙船が、知的生命体からの電波を受信し、ある惑星に降り立つ。調査に向かった船員たちは、そこで朽ち果てた宇宙船と巨大な異星人のミイラ化した遺体を発見する・・・

これ、そのまんま『エイリアン』ですね。下の写真は巨大異星人を発見するシーンです。


随所にエイリアンへの影響が見られる作品ですが、大まかに言えば、未知の生命体に体を乗っ取られ、死んだはずの船員たちが次々に甦るというお話。

惑星に着陸する時、乗組員が突如として凶暴化するという異常事態が発生。船長の活躍で何とか危機を脱出するが、もう一隻の宇宙船は、乗組員同士の殺し合いにより全滅。生き残った船員たちはこの惑星の秘密を探るべく調査を始めるのだが、死んだはずの乗組員の死体は全て消えていた・・・

サスペンス的な要素を持ち、SFとゴシック・ホラーが見事に融合した作品で、低予算ながら良い出来の作品だと思います。この映画の魅力を言葉で表すのは難しいです。SFファンならば、一風変わった独特の雰囲気に引き込まれる事は間違いないでしょう。

コウモリの形をした宇宙船やその内部のデザイン、霧に覆われた惑星の色彩などは素晴らしく、今着るのは恥ずかしいだろうなぁ、と思える衣装も個性的。女優さんたちの魅力も作品の出来に影響しているような気がします。

ここでは書きませんが、エンディングがまた変わっていて、ミステリーゾーンのようなどんでん返しのオチが付きます。

監督はイタリアのホラー映画界の巨匠マリオ・バーヴァですが、脚本に参加したイブ・メルキオールの名前で語られる事が多い作品です。『エイリアン』のファンには是非とも見て欲しい作品なのですが、今のところDVD化はされておりません。

最後ですが、この映画の最大の謎は、何故タイトルが『バンパイアの惑星(PLANET OF THE VAMPIRE)』なのか、という事。血を吸う怪物が出てくるわけでもなく、体を乗っ取られたゾンビが出てくるだけなのに・・・だれか教えてくれないかなぁ。

決死圏SOS宇宙船


ハードSFの傑作『決死圏SOS宇宙船』、原題は DOPPELGANGER(ドッペルゲンガー)

製作は『サンダーバード』、『キャプテン・スカーレット』、『謎の円盤UFO』、『スペース1999』などのジェリー・アンダーソン。
『インベーダー』のロイ・シネス、ハリーハウゼンの『SF巨大生物の島』でネモ船長を演じていたハーバート・ロム、そして『謎の円盤UFO』のストレーカー司令官役のエド・ビショップなど、SFファンの琴線に触れる事間違いなしの俳優さんたちが出演しています。

映画は太陽の反対側に未知の惑星が発見されるところから始まります。

調査に向かった二人の飛行士は事故によりその惑星に不時着、意識を失ってしまう。二人が意識を取り戻すとそこは元の地球で、何故地球に帰還したのかを上司に問い詰められる。原因が分からないまま元の生活に戻るが、ここは自分が住んでいた地球とはどこかが違う・・・

まぁ、こんな内容のお話なのですが、この作品は素晴らしいですよー、「太陽を挟んで地球のちょうど反対側となる位置に地球そっくりの惑星がある」というアイデアそのものはSFでは古典的なものですが今見ても新鮮です。

地球に帰還したものの、今までと何かが違うと感じていた飛行士が、鏡を見て真実に気が付くシーンは印象的でした。この映画も昔よくテレビで放送されていたので、見た事がある人も多いでしょう。


太陽を中心に地球と全く正反対の位置にあるので、決して地球からは見る事ができない、という考え方は「反地球」と呼ばれるもので『ガメラ対大悪獣ギロン』もこの設定の映画でした。ウルトラセブンの『第4惑星の悪夢』という話も同じだったように記憶しています。海外では『惑星テラ』(1973)というのがありました。

この映画は『謎の円盤UFO』に非常に良く似ています。この作品をステップに翌年のテレビシリーズ『謎の円盤UFO』が作られたのでしょう。セットやミニチュア、自動車ばかりでなく、役者さんたちも『謎の円盤UFO』に引き継がれています。そしてシリアスなストーリー展開も・・・『謎の円盤UFO』のパイロット版といった趣です。


サンダーバードで有名なバリー・グレイの音楽は素晴らしく、細部まで作りこまれたセット、ミニチュアを多用した特撮、リアルなロケット打ち上げシーンなどのビジュアル面は秀逸。映画全編にわたって特撮満載の画面は見ていて飽きる事がありません。

最初にハードSFの傑作と書きましたが、スパイ物の要素もあるミステリアスなストーリー展開は他のSF作品とは一線を画しています。惑星へ到着するまでなんと約1時間、映画の半分以上の時間を費やしています。そして衝撃のラストシーン。しかし、そんな展開でも見所がいっぱいあるのがこの映画の素晴らしいところ。DVD化を切に希望。


来るべき世界


アレクサンダー・コルダの『来るべき世界』は1936年に製作されました。原作者のH・G・ウェルズ自ら脚本を手がけています。映画は1940年から始まって、エンディングが2036年。約100年間にわたって人類の未来を描くという壮大な物語。

そいえば、手塚治虫さんの漫画に『来るべき世界』というタイトルの作品がありました。『メトロポリス』、『ロストワールド』など古典SFと同じタイトルの作品がいくつかありますね。決して盗作という事ではなく、内容も全く違います。ちなみに手塚治虫さんは、『来るべき世界』を映画館で見たが、あまり面白くなかったと言っています。特に前半はつまらなくて、何回もアクビをしてしまったと自分の作品のあとがきに書いておりました。

1940年に始まった世界大戦が約20年間続き、1960年代の伝染病の脅威を乗り切った人類が、2036年には理想的な未来都市を地下に建設するという物語。

簡単に言ってしまえば、こんなストーリーです。

古典的名作には違いないのでしょうが、ちょっとマニア向けというか・・・作品のテーマがSFという範疇に収まらないほど深いものであるという事実が、映画を退屈なものにしてしまっているという側面は確かにあります。個人的には近未来映画の最高傑作の一つだと思っています。SFファンに限定すれば、この作品を批判する人などいるはずがない、と信じております。

見どころは、映画終盤の近未来の描写でしょうか。セットは確かに安っぽい感じがしますが、そのデザインは秀逸。
「何を作っているのでしょう?」というクイズ番組のようなシーンが延々と続くのですが、これは未来都市を建設している場面。そして、地下に建設された未来都市『エヴリタウン』が画面に映しだされると・・・

ガラス張りの真っ白な超高層ビル、ビルを縫って移動する流線型の乗り物、チューブで移動するエレベーター、動く歩道にエア・カー、ジャイロプレーン、そして人類を月へと送り込むための『宇宙砲』。これって子供の頃に絵本で見たような典型的な未来都市です。それが実写で見られるのだからSFファンにとっては感涙ものでしょう。


ベタベタの未来都市は、レトロな雰囲気ながら今見ても新鮮。後のSF映画のお手本のようなデザインです。登場人物の背景や、窓の外に広がる風景など随所に素晴らしいデザインが見られるので、細部に注目して見るのもこの作品の楽しみ方の一つだと思います。

最近はレトロコレクションとかで、780円でDVDが入手可能。これは絶対買いです。

ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎


前回、昨日の事ですが、映画の一部にデビッド・アレンの人形アニメが登場するという理由だけで『レーザーブラスト』という作品を紹介しました。

あまりにも酷い作品を紹介してしまったので、今回は全く同じ理由でスティーヴン・スピルバーグ製作総指揮の『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985)を取り上げてみたいと思います。

若き日のシャーロック・ホームズとワトソンの活躍を描いた冒険映画なのですが、初の本格的CG導入作品としても知られ、ILMが特撮を担当。さすがに良く出来ているなぁ、という印象。

この映画には多くの特撮シーンがあるのですが、そのほとんどは登場人物が幻覚に襲われるシーンに集約されています。ステンドグラスの騎士は必見!

さて、本題ですが、

映画が始まってから約1時間、食いしん坊のワトソン少年が手足の生えたケーキに襲われる幻覚を見るシーンがあるのですが、このケーキ人間のアニメを担当したのがデビッド・アレンだったのです。


なんだか短編アニメかコマーシャルのワンシーンみたいですが、人形アニメがコミカルな映像に良く合っています。この映画がもう少し後に作られていたら、このシーンもCGIになっていた事でしょう。

シャーロック・ホームズの設定を借りた原作無視の娯楽映画ですが、個人的にはニコラス・ロウ演じるシャーロック・ホームズもほとんど違和感なく見れましたし、あまり原作のイメージは壊れませんでした。

これがシャーロック・ホームズの少年時代なんだ、と言われるとちょっと微妙ですが、良く知っているホームズとワトソンの冒険だからこそ、感情移入して見る事ができるとも言えます。

ちなみに、脚本家のクリス・コロンバスは『グーニーズ』の脚本も手がけていて、『ハリー・ポッター』シリーズの監督さんです。『ヤング・シャーロック』が『ハリー・ポッター』を監督するための良い勉強になったとの事。そういえば雰囲気が似ているかも。

ホームズとワトソンの出会い、トレードマークの帽子やマント、パイプなどの由来や、ホームズが生涯結婚しなかった理由が明らかになり、映画のラストでは、意外な人物が宿敵モリアーティ教授の正体だったりと、シャーロック・ホームズの原作が好きな人にも楽しめる作りになっていると思います。

あ、もしかしたら生粋の原作ファンにはそういうのが許せないかも・・・

シャーロック・ホームズの熱狂的なファン、シャーロキアンの意見を聞いてみたいものです。続編が作れそうなエンディングだったのに作られなかったという事はやはり評判はイマイチだったのか?

原作に対する愛情が感じられるか、冒涜してる、と解釈するかどうかは人それぞれだと思いますが、私にはお気に入りの一本です。

SFレーザーブラスト


SFレーザーブラストは1978年の作品。

製作はこのブログでも何回か取り上げた事がある低予算のチャールズ・バンド。

達人デビッド・アレンのストップモーションだけで有名になった作品、一般的には無名・・・人形アニメのファン以外の人にとっては見せ場は皆無といってもいいC級作品です。

トカゲ型宇宙人と人間型宇宙人が地球上で戦っているシーンで映画は始まります。
人間型宇宙人が殺されてしまうのですが、その現場に残されたレーザー銃を拾った青年が、次第に人間型宇宙人へと変身してしまい、地球上で破壊の限りを尽くすという映画。

つまんねぇー・・・

破壊する物が自販機とか、結構せこいのが笑えます。最大でも自動車程度。

この作品、その昔テレビ東京で放送されたのですが、なんと唯一の見せ場であるはずのデビッド・アレンの手によるトカゲ型宇宙人が全く登場しなかったのです。

テレビ東京の放送って、30分位はカットされて放送されるのが常ですが、これはあまりにも酷い。駄作の唯一の見せ場を丸ごとカットするとは・・・

顔を白く塗った青年が銃を乱射して街を破壊するだけの作品となってしまったわけです。もうコメントのしようがありません。


というわけで、今回はデビッド・アレンの人形アニメが見られるというだけで取り上げてしまいました。人形アニメが見られる完全版となってDVD化されています。滑らかな動きは見事で、人形アニメのファン必見の作品です。

次はもっとましな作品を取り上げましょう・・・

火を噴く惑星


最近ブログにいろいろとモンスターの特撮方法を書いているうちに、ある作品がパッと頭に浮かんできました。

その作品とは、1962年にソ連で製作された『火を噴く惑星』

この作品では、ストップモーションこそ使われていないものの、ハリボテの恐竜、トカゲを使ったモンスター、着ぐるみの怪獣が全て登場しています。

SF映画に欠かせない要素と言えば、未知の惑星での探検、宇宙船、メカ、モンスター、ロボットなどが挙げられますが、それらの全てを満たした映画が『火を噴く惑星』なのです。

こんな作品は珍しいですね。これは紹介するしかない! しかし、全てが口あんぐりのトホホな出来栄え。B級SFファン必見の映画です。

ソ連の宇宙捜査船シリウスとヴェガは隕石群をくぐり抜けて金星に到着。乗組員たちはロボットのジョンを連れて金星に降り立つが、そこで彼らを待っていたのは巨大な肉食植物や恐竜、モンスターの襲撃であった。一行は水陸両用車に乗り込んで、謎の女性の歌声が響く険しい荒地を探検し、滅び去ったと思われる金星文明の跡を発見する・・・と書くと結構面白そうですが、カルトSFの域を出ないと思われる出来栄えです。特撮の出来が今ひとつ。

まずはロボットのジョン。これはホームページのロボットのページのジョンの項で紹介しております。

実物大の水陸両用車はいかにもクレーンで吊って動かしているようなゆったりした動き。ミニチュアを使用しなかった心意気を評価すべきか? ピョンピョン跳ね回る着ぐるみ怪獣。トカゲばかりか、亀にまで背びれを付けて撮影した金星の生物。地球そっくりの金星の風景。

最も不自然なのが宇宙服を着たままの探検隊。金星の生物が普通に生活しているという事は、人間も呼吸できるという事ではないのか? 

金星の海辺で乗組員一行が焚き火をするシーンは必見。普通に酸素あるじゃん、って誰もが突っ込みを入れてしまうこと必至。

という様に妙な描写がいっぱいの楽しい映画です。

ちなみに、この映画をベースにして『前世紀惑星への旅』(1965)、『金星怪獣の襲撃』(1968)という二本の映画が製作されました。どちらもB級映画の帝王ロジャー・コーマンが版権を購入し、撮り足して再編集したもの。

最後に、映画の冒頭に挿入されている断り書きのようなものをここに書いておきます。

「金星はまだ多くの謎に包まれている。我々が空想で描いたこの未知の世界は現実とは違うかもしれないが、それは未来の人々が確認するに違いない。」

余りにも凄まじい金星の描写は、もしかしたら確信犯だったのかもしれない・・・

ゴジラ(1954年版)


ここ最近、CG以前の恐竜映画の特撮手法を続けてブログに書いてきましたので、今回は具体的に書かなかった「着ぐるみによる撮影」を取り上げてみたいと思います。

着ぐるみと聞いて誰もが思い出すのが『ゴジラ』でしょう。日本の特撮映画の中でも別格、邦画SFの金字塔です。

日本で最初の怪獣映画にも関わらず、その完成度の高さには驚かされます。これ降、日本ではほとんどの特撮が着ぐるみとミニチュアで撮影される事になりました。

ゴジラと言えば、核実験が生み出した怪物ですが、円谷英二さんが最初にイメージしたゴジラは、巨大なクジラの怪物だったそうです。デザインの変更が繰り返され、最終的に原爆のキノコ雲のイメージからボコボコの皮膚を持つあのゴジラの造形が完成したというわけです。

クジラとゴリラを合わせて、ゴジラとネーミングされたのは有名な話ですね。

最初のゴジラは、大人の鑑賞に堪えうるメッセージ性を持つ映画なのですが、ここではあくまでも特撮に焦点を当てて話を進めていきます。

着ぐるみ撮影の最大の利点は、怪獣に重量感を出せるという事でしょうか。これは繊細なミニチュア・ワークの技術があってこそ。ストップモーションでは決して出せない重量感が『ゴジラ』にはあります。
何かの本で読んだ記憶があるのですが、最初の『ゴジラ』のぬいぐるみは100kg以上もあったそうです。中に入った人は動くのがやっとで、そのおかげで重量感が出たものの、撮影中に何度もひっくり返ってしまったという事です。

逆に欠点はというと・・・どうしてもそこに「人間」を感じてしまうという事かもしれません。
最初の『ゴジラ』は比較的人間の気配を感じませんが、それ以降のほとんどの作品では、怪獣の動きがどうしても人間っぽくなってしまいます。
ちなみに海外では着ぐるみによる撮影の事を「スートメーション」と呼ぶそうです。スーツという言葉からできたものでしょう。

ここで気になるのは、着ぐるみが嫌いだったハリーハウゼンが『ゴジラ』をどう思っていたのか、という事。

20年以上も前ですが、ハリーハウゼンはインタビューで『ゴジラ』について少しだけ触れています。それによると、テレビでは見た事があるそうで、最初の『ゴジラ』は面白かったと言っていました。シーンによっては素晴らしい特撮を使っていると思ったが、やはり着ぐるみは好きな撮影方法ではない、といった程度のもの。

まぁ、人形アニメ、着ぐるみともそれぞれ長所と短所があるものですが、着ぐるみではハリーハウゼンの想像力を満たす映像を作る事は出来なかったのでしょう。

恐竜の島

1974年製作の『恐竜の島』


前回のブログでは、CG以前の恐竜撮影の方法は大きく分けて三種類ある、という事を書きました。

ストップモーションによる人形アニメ、人間が中に入った着ぐるみによる撮影、そして本物の爬虫類を使用した高速撮影。

今回はさらに、第四の撮影方法について書いてみたいと思います。

第四の方法とは、巨大なハリボテ、というか、遊園地のアトラクション的な・・・でっかいオモチャのようなアレです。

この撮影方法を駆使した代表的な映画が『恐竜の島』でしょう。恐竜映画としてはスタンダードな作品で、昔はよくテレビで放送されていました。監督のケヴィン・コナーはこの後、「続・恐竜の島」(1977)、「地底王国」(1976)、「アトランティス/7つの海底都市」(1978)という心躍らされる冒険映画を続けて製作。

上の写真は『恐竜の島』に登場するフィギアのような恐竜たち。左側の恐竜はちょっと不自然、尻餅ついてるような…可愛いです。

この特撮技術ですが、格好よく言えば、ラージ・スケール・メカニカルとかフル・スケール・メカニカルとでも言うのでしょうか?

いや、そういう言い方はやっぱり似合いません。『ジョーズ』とか、『海底二万哩』の巨大イカならともかく、この時代の恐竜はいかにもハリボテでした。ハリボテ特撮、当時はこういうのが結構多かったのです。

ハリボテ撮影の特徴は、全く躍動感が無い所。トカゲによる撮影と真逆の印象があります。人間が恐竜に食われるシーンでは、全く動かない口の中で人間だけが悲鳴をあげるという滑稽なシーンが続出。さらに酷いのは、翼竜が全く羽ばたきしないで空を飛んでいる事、お前ら凧か。そして、その翼竜がジェット機のように人間を襲うのが定番のシーンでした。

子供の頃に見てワクワクした恐竜映画ですが、今見ると・・・やはり嫌いではない。

潜水艦、漂流、そして失われた世界での冒険、今でも時々見直したくなる映画です。好きなんですね、こういうのが。


地底探険


『地底探険』(1959)はジュール・ヴェルヌ原作の冒険映画。私が子供の頃はよくテレビで放送されていました。

CGが主流になる以前、恐竜やモンスターなどが登場する映画を製作するのに使用される特撮の手法は、大きく分けて(かなり大雑把に)三つありました。

一つはハリーハウゼンに代表されるストップモーションによる人形アニメ、もう一つは日本のゴジラでお馴染みの着ぐるみによる撮影。

ハリーハウゼンは着ぐるみが嫌いで「エキサイティングな方法とは思えない」とコメントしております。

そして、上記二つ以外の撮影方法が、本物の爬虫類を利用した特撮です。

昔の映画では本物のワニやトカゲ、イグアナなどに背びれなどを付けて高速で撮影して、合成処理で大きく見せた恐竜がよく登場したものです。

子供が見ても明らかにトカゲとバレてしまうその撮影方法は、特撮ファンにはあまり評判がよろしくないようです。トカゲが出てくるのはB級映画、というイメージは決して偏見ではないでしょう。

しかし、例外もあります。

今回取り上げた『地底探険』にもトカゲが使用されているのですが、そこはさすがに20世紀フォックス製作のメジャー映画。エンディングに登場する真っ赤なトカゲはともかく、映画の中頃に登場する恐竜の方はほとんど違和感がありません。


トカゲをこれほど上手く使った特撮は他には無いかも知れません。トカゲによる撮影が抵抗なく受け入れられる作品は珍しいと思います。このシーンはとても良く出来ていて一見の価値ありだと思います。

この作品の恐竜は、実際は恐竜ではなく、ペルム紀に生息していたトカゲ型のディメトロドンがモデル。

下の写真がディメトロドン。


トカゲ型の生物をトカゲで撮影した、というのが違和感が無い理由かもしれませんが、それを差し引いてもなかなかの迫力でした。

アレック役にパット・ブーンを起用したのもよかったと思います。パット・ブーンが恋人のためにピアノを弾き語りするシーンがあります。さすがに上手い。

"Sir(サー)"の称号を与えられたオリバーを称えて、学生たちが歌をプレゼントするシーンは必見。お前ら全員プロだろってほど歌上手すぎ。

原作も楽しめましたが、映画も最高! アイスランドの火山から地底世界へと旅立つ探検隊、そして地底に広がる別世界の映像。冒険心をくすぐられる事間違いなしの大傑作です。

タイムトラベル(時間の中心への旅)


タイムトラベル(時間の中心への旅)

1967年製作、原題は JOURNEY TO THE CENTER OF TIME

過去を映し出すスクリーンの研究に参加している三人の科学者。しかし、彼らが成功したタイムトラベルは24時間以内の過去まで。業を煮やした新しいスポンサーに「24時間以内にタイムマシンを完成させない限り開発資金を打ち切る」と宣告された三人は、スポンサー立会いのもと最後の実験に挑む。焦った三人が安全の基準を超えてタイムマシンを操作した結果、彼らは「時の流れ」の中に迷い込み、5000年後の世界へとタイムスリップしてしまう。現代へ戻ろうと「時の流れ」を逆行した彼らは、今度は恐竜の支配する原始時代へと運ばれてしまう。

三人の科学者は、じーさんと、若い男性、そして恋人の女性という定番中の定番ともいえる設定。

24時間の過去までしか映し出せないスクリーンに不満たらたらのスポンサー。しかし、24時間だけでも凄い事じゃないのか?

「どうせクビならやってみろ!」という無茶の結果、タイムトラベルに成功、という設定もどこかで見たことあるなぁ・・・と思っていたら、この映画は『タイムトラベラーズ』(1964)のリメイクともいえる作品なのでした。

監督のD・L・ヒューイットは『タイムトラベラーズ』で共同原案を担当していて、今度の作品で自らメガホンをとったという事です。タイムパラドックスを描いたエンディングも同じ。冒頭とエンディングにアイデアを拝借しているものの、中盤は全く違った展開になっています。

ちなみに、一番上の写真は日本版ビデオのパッケージですが、映画にこんなシーンは全くありません。

未来と過去から2台のタイムマシンが同じ軌道で出会ってしまい、片方がそれを爆破してしまうというシーンが印象深いです。過去を映し出すスクリーンに一瞬だけ『巨大アメーバの惑星』(1959)のコウモリグモが写るのはイブ・メルキオール繋がりか? 昔テレビで何回も放送されていたので、覚えている方も結構いるかもしれません。

下の写真がそのタイムマシン。ビデオのパッケージの裏側の写真なのですが、上下が逆のまま印刷されています・・・


映画は低予算の典型のようなシーンの連続。

5000年後の未来の映像は『タイムトラベラーズ』の宇宙船のシーンの流用だし、原始時代の映像は『紀元前百万年』(1940)から拝借したもの。

何よりも、全く動かないコンピューターのセットがこの作品の低予算ぶりを物語っています・・・俳優さんたちの熱演が悲しくなるほどに。

しかし、冒頭で科学者がタイムトラベルの理論を語るシーンは本格的だし、『禁断の惑星』を思わせる電子音楽もなかなかイイ。時間旅行をテーマにした作品なので、特撮がショボいのは大きな欠点とはならないでしょう。イマジネーション溢れるアイデアで楽しませてくれる良作であると私は思います。

宇宙戦争


1953年に製作された『宇宙戦争』、原作はH・G・ウェルズ。

私のホームページには「宇宙戦争のページ」があるのですが、久しぶりに鑑賞したので、ちょっとだけブログにも感想を。

やっぱり怖い、私にはトラウマ映画です。ウォー・マシーンの「電気の目」が顔に見える・・・


人間の目は三角形に配置されたものをそれぞれ、目、口として見る習性があるそうです。心霊現象などでもおなじみの、類像現象(シミュラクラ現象)というやつですね。壁のシミとかが人の顔に見えるというアレです。心霊写真の90パーセント以上がシミュラクラ現象によるものだそうです。「電気の目」も思いっきり顔に見えます。

そういえば、この映画を語る時、製作のジョージ・パルや特撮のゴードン・ジェニングスの名前はよく出てくるのですが、監督のバイロン・ハスキンの名前ってほとんど聞きません・・・

そんな事よりも、

『宇宙戦争』の映画化の話はジョージ・パル以前にも結構ありました。

まずは、イギリス人プロデューサーのアレクサンダー・コルダ。結局、彼が製作したのは『宇宙戦争』ではなく、同じH・G・ウェルズ原作の『来るべき世界』(1936)でしたが、これも傑作。

レイ・ハリーハウゼンは予算の都合で『宇宙戦争』を断念しました。H・G・ウェルズ原作の映画では『SF月世界探険』(1964)があります。

『宇宙戦争』といえばオーソン・ウェルズ。ラジオドラマの『宇宙戦争』で有名になったオーソン・ウェルズも監督の候補だったのですが、イメージの固定化を嫌って辞退したそうです。普通だったら喜んで飛びつくところでしょうが、天才は違いますね。賢明な判断でした。

変わったところでは、ヒッチコックが興味を示して、H・G・ウェルズに会いに行ったという話があります。ヒッチコックが『宇宙戦争』? どういった映画にしたかったのでしょうか・・・

ヒッチコック作品を好きな人なら解ると思いますが、彼の作品には「巻き込まれ型」のサスペンスが多いのです。無実の主人公が犯罪に巻き込まれて、ひたすら逃げ回ったりする展開の作品もいくつもあります。『宇宙戦争』もサスペンス的な要素があるので、そういった視点から興味を持ったのかもしれません。

勝手に想像してしまいましたが、ヒッチコックがH・G・ウェルズに会いに行ったのは1930年代の事。サスペンス専門の監督になる前の話かもしれないので、もしかしたら本当にSF作品が撮りたかったのかも・・・というのはやっぱり考えにくいですね。

原作も面白いのでお勧めです。特にラストのオチが腑に落ちない人には是非とも読んでもらいたいです。

地球の静止する日

地球の静止する日(1951)


『サウンド・オブ・ミュージック』などで知られる巨匠、ロバート・ワイズ監督による古典SF映画の名作。

ストーリーをDVDのパッケージから引用すると、

宇宙からの来訪者クラトゥは、全銀河系の要請として地球上の暴力的闘争の即時的中止を勧告するために、銀色のロボット、ゴートをひきつれてワシントンに飛来、合衆国大統領との会見を申し込むがあえなく拒絶される。彼は暴力には否定的だが、強力な力を持っている事を示すため、30分間だけ地球の機能を静止させた。地球の静止する日である。しかし、クラトゥを危険視した地球人は軍隊を派遣して射殺してしまう。物言わぬ巨大ロボット、ゴートが怒って暴れ出し、クラトゥの死体を持ち去るが……。

というお話です。米ソ対立への危機感と核兵器の廃絶というのが背景にあるのは間違いありません。好戦的で愚かな人間を描いています。

この作品は、SF映画ブーム真っ只中の1950年代に製作されたのですが、多くの子供向けのモンスター映画などとは違い、人類と異星人のファースト・コンタクトを描いた本格的なSF映画でした。練りに練られたドラマ部分はロバート・ワイズ監督ならでは。

ドラマ性を重視して作られた作品のため、特撮シーンは少ないのですが、ゴートと円盤の無機質なデザインは恐怖感を煽ります。つなぎ目の全く見えない円盤の一部が開き、静かにタラップが出てくるシーンは秀逸の出来でしょう。


この映画は、ハリイ・ベイツの「主人への告別」という小説が原作とされています。

ところが・・・

映画の企画の方が先行しており、それに見合った原作を後から探したというのが真相。

小説を映画の製作中に原作として採用したために、原作と映画ではストーリーはかなり異なった物となっています。同じなのは、円盤から異星人と巨大ロボットが現れるところまで。

なんとも不思議な映画と原作の関係ですね。


この映画で特筆されるのは、なんと言っても「クラトゥ、バラダ、ニクト」

暴走したゴートを止める異星語「クラトゥ、バラダ、ニクト」はあまりにも有名で、色々な映画でパロディ化されています。呪文だったり、モンスターの名前だったりと。

パロディといえば、リンゴ・スターが自身のアルバムのジャケットで映画のワンシーンをパロディ化したのも印象深いです。


さらに、

音楽を担当しているのは、ハリーハウゼン作品でもおなじみのバーナード・ハーマン。テルミンという電子楽器を効果的に使用して映画を盛り上げています。

テルミン・・・あまり聞かない楽器ですが、世界最古の電子楽器と言われ、最近では「大人の科学」という雑誌のふろくにもなりました。

最後に、

この映画、キアヌ・リーブスが主演でリメイクされるそうです。キアヌが演じるのは、人類に警告を与えるためにやってきた平和の使者クラトゥ。

さて、どんな作品になることやら・・・この地味な作品がどう生まれ変わるのか見ものです。サスペンス的な要素が皆無のバイオレンス映画にならなければいいのですが。

しかし、ゴートのデザインは楽しみです。

オリジナルのゴートは、着ぐるみのシワが気になって仕方がなかったのですが、今回はそのような事は無いでしょう。

SFダンジョン・マスター/魔界からの脱出


1985年製作の『SFダンジョン・マスター/魔界からの脱出』

主人公のコンピュータ技師ポールが、魔法使いに恋人グエンを人質にされ、七つの試練を受けるとう内容の映画。七つの試練はそれぞれ監督が異なっており、主人公が七つのダンジョンを冒険するというオムニバス風の映画となっています。

製作は、以前にもこのブログで名前が出てきた、エンパイア・ピクチャーズの総帥であり、低予算製作で有名なチャールズ・バンド。一応、勢いがあった頃のエンパイア・ピクチャーズの作品という事になるのでしょうか? 数年後には倒産してしまうのですが・・・

主人公が普段使っているデスクトップ型コンピュータが、試練を受ける冒険シーンでは腕輪型の小型コンピューターに変形! レーザー光線を発射し、ほとんどの敵はそのビームで簡単にやられてしまうという・・・突っ込みどころ満載なので、ある意味楽しい映画です。

一番笑ったのは、魔法使いに捕らえられた恋人グエンが磔にされ、主人公が「彼女に手を出すな!」と叫ぶシーン。
ここまではよくある場面ですが、他の映画と違うところは、魔法使いが本当に手を出している所。ヒロインの体をお腹から胸まで触りまくっています。この映画は普通じゃない・・・

今回この作品を取り上げたのは、監督の一人がデヴィッド・アレンであるという事がその理由。内容はどうでもいいのです。

アレンが担当したエピソードには、インドネシアの魔神像というのが登場します。当然それはストップモーションで動かされているのですが、チャールズ・バンドから「『アルゴ探検隊の大冒険』のタロスのような怪物が登場する話を」と依頼されて作ったものなので、その動きはかなりタロスを意識したものになっています。

ファン必見の映像と言いたいところですが、登場シーンも少なく、ちょっと歩き回る程度。主人公のレーザー光線であっけなく崩壊してしまうのは残念。

あまり好きな作品ではないのですが、ハリーハウゼンつながりという事で紹介してみました。

魔神像はこんな顔です。


こういうのを見るたびに、私はハリーハウゼンの偉大さを再認識してしまうのであります。

マーセル・デルガド


マーセル・デルガド(MARCEL DELGADO)

ほとんどの人が聞いた事も無い名前だと思いますが、古い特撮関連の本を読んでいるとこの人の名前をよく目にします。

メキシコ生まれの彫刻家ですが、ウィリス・オブライエンに雇われて、『ロスト・ワールド』、『キングコング』、『コングの復習』などのモデルを彫刻した人です。映画の中では造形担当という事になるのでしょうか。芸術家であるデルガドが作り上げたモデルは非常にリアルに出来ていて、撮影終了後には博物館に飾られていたそうです。

ちなみに、『キングコング』のプロデューサーはデルガドに、「猿と人間、両方の特徴を兼ね備えた造形を」と命じていたそうです。そして、何回か作り直した結果が、あの初代『キングコング』というわけ。

しかし、オブライエンに雇われていたという事は、決して仕事には恵まれてはいなかったという事を意味するのですが、RKO製作部門の解散後にはプロジェクト・アンリミテッドに参加し、ジム・ダンフォースの元で腕を振るう事になります。

まぁ、前に書いたのですが、ダンフォースという人も決して仕事に恵まれていたとは言えないので・・・

アカデミー賞を受賞した『猿人ジョー・ヤング』(上の写真です)のモデルもデルガドの作品。レイ・ハリーハウゼンのアニメーションも見事でしたが、ジョーの緻密な動きはデルガドの造形があってこそだと思います。

ハリーハウゼンはウィリス・オブライエンの後継者ともいえる人物ですが秘密主義だったらしく、ストップモーションに使用されるモデルの中身がどういう仕組みになっているのか一切公開しなかったそうです。

モデルは、機械技師によって組み立てられたアーマチュアと呼ばれる非常に精密な可動式の骨格で出来ていて、それによって正確なアニメーションが可能になるわけですが、長い間その仕組みはアニメーター自身も知らなかったという事です。

ジム・ダンフォースとデビド・アレンがデルガドから『キングコング』のアーマチュアを買い取った時に初めてその仕組みを理解したのですが、彼らはその仕組みを秘密にはせず公開し、それ以降アーマチュアによるモデルの製作が一般的になったということです。

それ以前は単なるワイヤーが中に入ったモデルを使ってアニメートしていたという事です。

デルガードは1901年生まれ。1965年に仕事を引退して、ロサンゼルス(カリフォルニア)で1976年に死亡。『ロスト・ワールド』、『キングコング』、『コングの復習』、『猿人ジョー・ヤング』などが代表作。彼の名前を念頭に置いて、もう一度見てみるのも一興かもしれません。

月世界征服


1950年にジョージ・パルによって製作された『月世界征服』

1950年代といえばSF映画ブーム。冷戦による核の恐怖により様々なモンスターがスクリーンに登場したり、異星人が地球を訪問したりしましたが、実際にSFブームをおこすきっかけになった映画はそういった万人受けする娯楽作品ではなく、可能な限り科学的に正確に作られた『月世界征服』だったのです。

というわけで、今回は初めて本格的な宇宙旅行を扱った記念碑的映画である『月世界征服』を取り上げてみます。

人間が初めて月に着陸してから戻るまでの単純なお話ですが、4人の宇宙飛行士は全て男。しっかりとした科学的考証をおこなっていて、月面の描写などはかなりリアルな仕上がり。アカデミー特殊効果賞を受賞しています。原作はロバート・A・ハインラインの『宇宙船ガリレオ号』で、ハインライン自身も脚本に参加。

画面の奥に向かって傾いた文字が下から上へと流れていくオープニングのキャストクレジットは『スターウォーズ』とほぼ同じ。

ウッドペッカーがアニメーション映画でロケットの原理を説明するシーンは、『ジュラシック・パーク』そっくり。

さまざまな特殊効果が使われたその映像は、現在の目で見ても違和感ありませんが、ストーリーは今見てみるとちょっと退屈かも・・・。本当にこれがSF映画ブームを巻き起こしたのか、と疑問に思ってしまいます。

実際、失敗に終わるのではないかという懸念もあったらしいのですが、映画が公開されてみるとこれが大成功。この映画の成功により勢いを得たジョージ・パルは『地球最後の日』(1951)、『宇宙戦争』(1953)、『タイム・マシン』(1959)といった名作を生み出していくことになります。

まぁ、この時代にこのようなリアルなドキュメンタリータッチの映画が作られたのは奇跡的ではあります。実際の月面着陸よりも20年近く前の作品なのですから。

この映画の特殊効果で個人的に最も印象に残っているのは、ロケットが発射される時に宇宙飛行士たちが、加速の影響を受けて苦しむシーンです。

シートに押し付けられて苦しむ宇宙飛行士の顔がゆがむシーンには思わず笑ってしまいました。普通そんなシーンまでリアルに再現しないでしょう。


この場面では、宇宙飛行士たちの顔に薄い膜を被せて接着剤で貼り付け、そのシーンになると後ろから引っ張って、飛行士の顔をひん曲げてしまうというシンプルな特撮が使われました。清水アキラがテープで鼻を持ち上げるのと変わらないというわけだ。

特撮映画ではお約束の美人宇宙飛行士が登場しない理由は、もしかしたらこのシーンのせいかも?

宇宙水爆戦

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ロボット・モンスター


暇なので本日は初の一日で二度目のブログ更新。

先週のブログで取り上げた『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』の中で『ロボット・モンスター』の潜水服の怪物というのが出てきたところで思いつきました。

今回は映画『ロボット・モンスター』(1953)について。

誰かが持っていたゴリラの着ぐるみを借りてきて、そいつに潜水帽を被せたというチープなモンスターはあまりにも有名・・・かな?

この作品のトホホぶりを書くとキリがないという知る人ぞ知る怪作ですね。エドワード・D・ウッド・Jrの『プラン9・フロム・アウタースペース』と双璧をなす最低SF映画でしょう。

このモンスターの目的は地球侵略。物語が始まった時点で、すでに残された人類は8人!ある一家を残して、すでに人類は滅亡寸前という設定なのですが、とにかくその緊張感のなさには呆然としてしまいます。

潜水帽モンスターが残された一家の若いお姉さんに一目惚れしてしまい、「私には殺せない・・・」

そのお姉さんは、すぐ近くに迫るモンスターの目を盗んで、自分の父親の助手とエッチしてたりとか・・・

ちなみに、冒頭とエンディングに登場するストップモーションの恐竜たちは『紀元前百万年』(1940)という映画からの流用らしいのですが、ハリーハウゼンの『恐竜100万年』(1966)が『紀元前百万年』のリメイクであるという事で、そのタイトルだけは知っていました。


ほんの一部だけでも『紀元前百万年』が見れただけで私は満足です。

あと、この映画の音楽を担当しているのが、エルマー・バーンスタイン。

この人は有名ですよね?

私は『荒野の七人 』(1960)でこの人の名前は知っていました。ちょっと検索してみれば、いかに凄い人かわかります。『ロボット・モンスター』は巨匠の初期のお仕事だったというわけです。

この映画って俳優さんのギャラを除けば、十万円位で作れるんじゃないの?

そんな事を考えながら見ているうちに、唐突にエンディングを迎えて、さらに唖然。

ネタバレになりますが、

夢オチというやつなんです・・・本当に最低ですね、ありえない。全部夢でしたって、映画としてやってはいけない事でしょう? はっきり言って視聴者を馬鹿にしてます。

あまりに酷い出来だと、逆にそれが売りになってしまうという典型的な作品。トホホな映画が大好きな私でも、これはちょっときつかった。

とにかく全編ツッコミどころ満載なので、気の合う仲間と画面にツッコミながら鑑賞するのが正解かもしれません。

ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション


今回取り上げるのは、ジョー・ダンテ監督作品の『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』(2003)

私のホームページには、映画の中のロビー・ザ・ロボットというページがあるのですが、そこで取り上げていなかった作品がこれです。

取り上げなかったのは、最近この映画を見るまで、ロビーが登場しているという事を知らなかったから・・・

この映画では、構長い時間画面に登場しています。

他にも、『宇宙水爆戦』のメタルーナ・ミュータント、『ロボット・モンスター』の潜水服の怪物、『人類SOS』の食肉植物、『惑星Xから来た男』のエイリアンなどが登場し、レトロSFファンには感涙ものの作品となっております。

昔の着ぐるみモンスターがCGで表情を変えるのはなかなか新鮮でした。


というわけで、映画の中のロビー・ザ・ロボットのページにこの作品を追加しました。もうちょっとだけ詳しく書いてありますので、あわせてご覧くださいませ。

カレル・ゼマン


カレル・ゼマン(1910-1989)

この人の名前を聞いた事のある人は、少ないかもしれません。

現チェコスロヴァキアのアニメーション作家で映画監督。ジュール・ヴェルヌの小説をいくつか映画化しています。SFファンにとって馴染みが深い人なのかどうか、私にもよく分かりません。

「幻想の魔術師」、「映像の錬金術師」などと言われており、他に類を見ないファンタジーの世界を堪能できますが、かなり独特な映像なのでダメな人もいるかも・・・

私は映像を眺めているだけでも楽しめましたo(^-^o)

切り紙を使ったアニメ、人形アニメ、アニメと実写の合成など様々な手法を使っています。言葉では上手く言い表せない映像なので、代表作のレンタルをお勧めします。

代表作は、

『クリスマスの夢』(1945)
『鳥の島の財宝』(1952)
『前世紀探検』(1954)
『悪魔の発明』(1957)
『ほら男爵の冒険』(1961)
『狂気のクロニクル』(1964)
『盗まれた飛行船』(1967)
『彗星に乗って』(1970)
『船乗りシンドバッドの冒険』(1971)
『千夜一夜物語』(1976年)
『クラバード』(1977)
『ホンジークとマジェンカ』(1980)

こんなところですが、結構興味を惹かれるタイトルが多いですねぇ、ほとんどの作品がDVD化されています。

アニメーション作品が多いのですが、SFファンにお勧めの作品は『ほら男爵の冒険』(1961) と『悪魔の発明』(1957)あたりでしょうか。どちらも実写とアニメーションの合成でSF・ファンタジー作品に分類してもいいと思います。

下の写真が『悪魔の発明』のDVDです。


冒険、空想科学、レトロ・・・

カレル・ゼマンの作品を見ているとこういった言葉が浮かんできます。

子供の頃にジュール・ヴェルヌの作品を読んでワクワクした経験のある人は多いでしょう。そんな人には絶対にお勧めの映画です。

アーウィン・アレン


私のホームページでは、ハリーハウゼンの『動物の世界』(1955)のプロデューサーとしてちょっとだけ名前が出てくるアーウィン・アレンという人。

50年代に映画の製作をしていたアーウィン・アレンは、60年代にはSFテレビシリーズでヒット作を連発します。

『原子力潜水艦シービュー号』 (1964〜1968)
『宇宙家族ロビンソン』(1965〜1968)
『タイム・トンネル』 (1966〜1967)
『巨人の惑星』(1968〜1970)

このあたりが代表作でしょうか。SFファンにとっては思い出深い作品ばかりでしょう。

ほとんどの作品が冒険、漂流というのが主題になっているのが特徴。そして、冒険半ばで番組打ち切りというお決まりのパターン・・・

『宇宙家族ロビンソン』は視聴率の低下で終了、地球に帰れず。

『タイム・トンネル』は人気があったにも関わらず、製作予算の削減で消滅、現代に戻れず。

『原子力潜水艦シービュー号』はアーウィン・アレンが『巨人の惑星』を後番組として始めたために終了。

そして、その『巨人の惑星』はマンネリ化による人気低下で打ち切り、やはり地球には帰れず。

人気を維持するのって難しいのですね・・・再放送ではありますが、夢中になって見ていました。『宇宙家族ロビンソン』だけはダメでしたけど・・・

70年代には『ポセイドン・アドベンチャー』 (1972)、『タワーリング・インフェルノ 』(1974)といった大ヒット映画を立て続けに製作し、パニック映画の巨匠と言われるようになります。その後もパニック映画を連発して観客に飽きられてしまったのもアーウィン・アレンらしいと言えばいいのか。

その後は、再びテレビシリーズを手がけたりしましたが、以前のようなヒット作には恵まれませんでした。1991年、75歳の時にに心臓発作で死去。

これほど多くのヒット作を世に送り出した人も珍しいですね。『巨人の惑星』だけは、ビデオもDVDも持っていません。もう一回見たい。

ロボ・ジョックス


2007年には日米合作のアニメを実写化した『トランスフォーマー』という映画が話題になりました。

しかし、日本の巨大ロボット・アニメの実写版の元祖といえば『ロボ・ジョックス』(1986)です。

これは、日本のロボット・アニメの大ファンだった スチュアート・ゴードン監督の作品で、製作総指揮がチャールズ・バンド、特撮を担当しているのが、前回のブログで紹介したデヴィッド・アレン。

舞台は戦争が廃止された未来の地球。戦争が無い代わりに、領土争いは全て巨大ロボットの一騎打ちで解決されることになったという・・・とんでもないおバカな設定の映画。CGが無い時代なので、ロボットの戦闘シーンの多くがストップモーションで作られています。

いかにも重たそうなロボットが、ガショーン、ガショーンという感じで、ファン必見の映像となっております。無機質なロボットの動きはストップモーション向きだと思います。『スター・ウォーズ』に登場する帝国軍のウォーカー、AT-ATなどもストップモーションで作られていて、その重量感には感激したものです。

この映画が劇場公開されたのは1990年。同じ年に『ロボコップ2』も公開されていて、こっちにも印象的なストップモーションのロボットが登場していました。ちなみに、動かしていたのはフィル・ティペット。

戦闘シーンではロボットが変形したり、光線やロケット・パンチのような飛び道具があったりしてなかなか見ごたえがあります。
しかし、最後はロボットから降りた生身の人間同士の殴り合いで決着するという・・・よく分からない結末でした。

日本のロボット・アニメをそのまま実写化したというかなりの力作なので、もっと評価されてもいいと思うのですが、ドラマ部分が全てをぶち壊しています。

それにしても、主人公のアクの強い顔・・・マトリックスのエージェント・スミスみたい。これがヒーローではまずいんじゃないの? まぁ、結構楽しめますよ。

デヴィッド・アレン


デヴィッド・アレン

私のホームページでは取り上げていませんが、この人はストップモーションを語る上では欠かす事の出来ない重要人物でしょう。

彼の関わった作品が、過去にほとんど私の琴線に触れる事が無かったもので、不本意ながらブログで紹介という形になってしまいました。

『フレッシュ・ゴードン』(1974)、『異次元へのパスポート』(1980)、『おかしなおかしな石器人』(1981)、『ニューヨーク東8番街の奇跡』(1987)、『ロボ・ジョックス』(1986)、『ウィロー』(1988)などに参加しています。

忘れてはいけないのが、1971年に製作されたフォルクス・ワーゲン社のCM。これは、オリジナルの『キングコング』をパロディーにした1分間のCMで初期の作品ですが、これがデヴィッド・アレンの名を広め、彼の代表作の一つとなっています。

上の写真がそれです。

アニメートしたショットが編集でカットされたり、作品が製作途中で資金不足でお蔵入りになってしまったり、あまり良い作品に恵まれなかったような気がします。

優れたアニメーターだったのですが、彼自身が歴史に名を残すような名作を作ったわけでもありませんでした。

彼が活躍した1970年代から80年代は、ストップモーションが映画で使われていても、ほんの一部分だったりとか・・・そんな時代でした。

しかも出会ったプロデューサーは低予算映画専門のチャールズ・バンド。


彼のライフワークともいえるモンスター映画で『The Primevals』という作品がありました。資金難、あるいはトラブルによりようやく完成が見えてきたのが1990年代になってからの事。最初の企画が始まったのが1968年なので、なんと構想約30年というわけです。

しかし、作品が完成する事無く、1999年にデヴィッド・アレンは54歳という若さで癌のために亡くなってしまいました。

それからもうすぐ10年。『The Primevals』は、チャールズ・バンドが製作を引き継いだらしいのですが・・・私も「これ、見たいなぁ」と期待しながらだいぶ待ちました。アレンのアシスタントであったクリス・エンディコットも映画を完成させたいと思っていたようですが、財政難のために製作は中止されてしまったようです。

ストップモーションとゴー・モーション


ゴー・モーション

あまり聞きなれない言葉ですが、ストップモーションの一種ともいえる特撮の技術で、フィル・ティペットが中心となり、ILMが開発したもの。

ストップモーションは、静止しているモデルを一コマづつ撮影するので、画面に「ブレ」が無くカクカクした動きになるのが特徴です。これは「フリッカー」と呼ばれていて、独特の動きが好きな人には心地よいのですが、好みに合わない場合には単なる技術的な欠点と映ってしまいます。

その技術的な欠点を克服するためにゴー・モーションが考案されました。モデルに操演用の棒が付いていて、カメラが一コマ撮影している間にコンピュータ制御によりモデルを動かして、それぞれのコマに「ブレ」をつけるというもの。これによって、よりスムーズな動きが可能になったわけです。

ゴー・モーションの技術が最初に使われたのが、1981年ディズニーによって製作されたSFXファンタジーの『ドラゴンスレイヤー』

上の写真がそれです。もちろん特撮はILMが担当。

その出来栄えはと言うと、これはもうストップモーションの一種とは言えないほどの滑らかな動き。CGIと変わらないと言ってもいいでしょう。この映画が全体的にやけに暗いのは特撮の粗を隠すためと思われますが、本格的なゴー・モーションを使用した初めての映画という事を考えるとやはり画期的な技術だったのでしょう。

しかし、そのゴー・モーションもCGIが発達した事により過去のものとなってしまいます。実際にこの技術が使われていた時期は短いものでした。

CGIとは一味違う独特の味わいがあるストップモーションと違い、CGIがあればゴー・モーションの存在意義は無いと言ってもいいでしょう。ゴー・モーションは、半世紀以上も続いたストップモーションを完全に過去の技術にしてしまいましたが、実質的には、わずか10年余りでその役割を終えてしまったのです。

ゴー・モーションのファンってあまり聞いた事がありませんが、ストップモーションには今でも根強いファンがいるし、独特の動きを生かした作品はテレビのコマーシャルなどでもよく見かけます。手作り感覚のストップモーションはこれからも一つのジャンルとして生き残っていくのでしょう。

フレッシュ・ゴードン


フレッシュ・ゴードン(1974)

『フラッシュ・ゴードン』のパロディで、ポルノ映画。あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて比較の必要も無し。

ゴードン博士の息子フレッシュが皇帝ワンを倒すため、ポコチン型ロケットに乗ってポルノ星へと向かう・・・

何か変、この映画。異常にテンポが悪くて、音楽も変。自主制作映画みたいです。

この映画を取り上げた理由は、その特撮を担当した人たちにあります。デビッド・アレン、リック・ベイカー、デニス・ミューレン、ジム・ダンフォース、ダグ・ベズウィックといった錚々たる顔ぶれ。カスケード・ピクチャーズが中心となって作られたわけです。

これほどのメンバーが集まったのは、製作者が単なるポルノ映画ではなく、本格的な特撮を使用した大作映画にしようと考えていたからなんですが、その目論見は見事に失敗したと言えるでしょう。

どうしてこんな作品になってしまったのか・・・

やっぱり監督の力量なのか、マイケル・ベンヴェニスト監督って誰?

映画の出来はともかく、登場するモンスターはほとんどがストップモーション・アニメで動かされていて、ストップモーションのファンにとっては結構楽しめるシーンもあります。中でもジム・ダンフォースが担当したビートルメンは一見の価値あり!

このビートルメンは、前回書いたピート・ピータースンのビートルメンを流用したもので、フレッシュ・ゴードンとのチャンバラシーンはシンドバッドと骸骨剣士の戦いを髣髴とさせます。

上の写真がそのビートルメン。

この映画、公開当時普通のSF作品として上映されていたらしく、ポルノだと知らずに見た観客が昇天したという話を聞いたことがあります。親子連れとか気まずかっただろうなぁ・・・

ラリー・ブキャナン


昔、テレビ東京で繰り返し放送されていたSF映画

『恐怖の洞窟』、『悪魔の呪い』、『火星人大来襲』、『金星怪人ゾンターの襲撃』、『原子怪人の復讐』などなど・・・

SFファンならば結構見た事がある人も多いのではないでしょうか?

これらの作品を監督したのはラリー・ブキャナン。50年代のSFやホラー作品をテレビ向けにリメイクして有名になった人で、低予算映画専門の監督さん。着ぐるみ丸出しのモンスター、『奥様は魔女』の魔法のようにパッと消える宇宙人・・・とにかくショボイ特撮作品。ラリー・ブキャナンって何考えているのか、どうしてこの人が映画監督なのか???

だいたいB級とか言われる酷い作品でも、何かしら見所というものがあるのですが、これらの作品では皆無と言ってもいいかもしれません。あまりの酷さゆえにカルト人気が出てファンがついたりとかってありますね、エド・ウッドなどがその代表格でしょうか。色々な特撮関係の本を読んでもラリー・ブキャナンの名前を目にする事はありません。

どうしてこんなB級でもC級でもないSF作品が繰り返し放送されていたのかは解りませんが、その邦題がSFファンの琴線に触れる事は確かです。子供の頃はその邦題に騙されてこの人の作品をたくさん見ました。そして、7、8年前になるのでしょうか、これらの作品が一週間日替わりで昼に放送されたものだから、毎日録画して見てしまいました。

上の写真は『火星人大来襲』・・・コントとしか思えない火星人のデザイン。原題は Mars Needs Women といって子供がほしい火星人が地球の女性を誘拐しに来るお話なのですが、その誘拐方法というのが、地球人に変装して(スーツを着た普通のサラリーマンのような格好)地球の女をナンパするというもの・・・もう笑うしかありません。

B級作品が好きな人に聞いてみたいです、「これらの作品、楽しめましたか?」って

私は・・・作品によっては結構楽しんでました(^^;;

お気に入りは『金星怪人ゾンターの襲撃』

作品の解説もしんどいので、後はやめます。誰も興味ないだろうし

「ぞんとぁぁぁー」\(`o´)

・・・・・・・というわけで、ラリー・ブキャナンに詳しい人がいたら情報下さい、マジで!

フランケンシュタイン

ホームページのトラウマ映画のページで取り上げなかった作品の第二弾という事で・・・

今回は、誰もがしっているフランケンシュタイン。


原作は1816年、まだ10代だったメアリー・シェリーが怪談話に興じている時に思いついたものでした。19世紀前半に書かれた原作と、20世紀に作られた映画とでは内容はだいぶ異なります。

この怪物が登場する映画はたくさんありますが、意外とオリジナル作品を見た人は少ないかもしれません。なにしろ80年近く前の作品ですから。

1931年にボリス・カーロフが演じたフランケンシュタインが映画としてはオリジナルという事でいいのではないでしょうか。ちなみにフランケンシュタインとは、この映画に出てくる怪物を創造した博士の名前で、怪物は単にThe Monsterと呼ばれていました。

この映画で特殊メイクやセットの出来は秀逸で、フランケンシュタインのイメージを決定付けています。ボリス・カーロフというはまり役を得たおかげでこの作品は成功したと言えるかもしれません。当初、怪物役にはベラ・ルゴシが候補だったらしいのですが、ルゴシはセリフの無い役は演じたくないという理由で断ったらしいです。

雷(電気)で生命を吹き込む、首に電極(ボルト)が突き刺さっている、脳みそを取り出せるように頭のてっぺんが平らになっている、など。これ以降の作品の殆どがこれらを下敷きにしています。風車のシーンなどは、ヴァン・ヘルシング(2004)でも描かれていました。

この作品は、シンプルなストーリーながら傑作だと思っています。この作品以降のフランケンシュタイン物や他のモンスター映画を見てあらためて感じたのは、素顔を生かした特殊メイクがこの作品の成功の一因であるという事。この映画のフランケンシュタインは、怖いですよー。窪んだほほ、生気の無い目つき、本当に死人が蘇ったような恐ろしさ。ボリス・カーロフの演技を見るだけでもこの作品を鑑賞する価値はあると思います。


イブ・メルキオール



「これは面白い!」と思った映画が二本、あるいは三本あったとします。

ある時、それまで気にも留めていなかった製作や監督の名前を見てびっくり。なんと三本とも同じ監督さんの作品でした・・・映画ファンならこんな経験をした人も多いのではないでしょうか?

そうなると、今度はその監督さんの別の作品も見てみたくなります。

そして見てみるとこれがまた面白い! となれば、すっかりその監督のファンになってしまいます。

現在は最初から監督さんの名前にも注目しますが、子供の頃は作品そのものが全てで、監督や特撮担当が誰だなんてあまり気にしていませんでした。

そのような経験からすっかり虜になってしまったのが、レイ・ハリーハウゼン、ジョージ・パル、そしてイブ・メルキオールでした。

イブ・メルキオール・・・あまり聞かない名前だと思いますが、どんな作品に関わった人かと言うと、

『デス・レース2000年』(1975) 原案
『バンパイアの惑星』(1965) 脚本
『火星着陸第1号』(1964) 脚本
『タイム・トラベラーズ』(1964) 監督 /原案 /脚本
『S.F.第7惑星の謎』(1961)  脚本
『原始獣レプティリカス』(1961)  脚本
『巨大アメーバの惑星』(1959) 監督 /脚本

などなど

他には、TVシリーズ『アウターリミッツ』の脚本も手がけていました。

ほとんどの作品が、現在日本では見る事ができません。B級と言われる低予算作品がほとんどですが、写真のコピー(Man of Imagination)にもある通り、想像力を駆使したSF作品でファンを楽しませてくれました。

本当は全部の作品を写真入りで解説したいのですが、それはまたの機会に・・・とここまで書いておいて、ちょっとお知らせです。

元々、週に一回程度しか更新していなかったのですが・・・しばらく(ちょっとだけ)ブログの更新をストップします。友人のホームページ作成のお手伝いに力を入れる、というのがその理由です。

終わり次第、直ぐに再開しますので、その時はまた宜しくお願い致します。

アウターリミッツ第一話



今回はアウターリミッツ(1963〜1964)について書いてみたいと思います。

ホームページではトラウマ映画のページというのを作りましたが、そこであえて取り上げなかった作品です。

この作品には気味の悪い造形のモンスターが毎回のように登場します。それが売りだったようですけど。

ミステリーゾーンと比較される事が多いですが、アウターリミッツは若者向けに作られたためヴィジュアル志向が強く、宇宙人やモンスターが多数登場したとの事です。

ゲスト・スターも豪華でした。

モンスターなどのデザインはなかなか個性的な物が多かったのですが、実際に映像になったものを見ると、いかにも着ぐるみといった安っぽいモンスターになってしまっている物が多かったのが残念。

特撮を手がけていたのは、プロジェクト・アンリミテッド。
一話あたりの制作費が15万ドルという破格の予算にもかかわらずこの特撮はいったい・・・ほとんど、ウルトラマンの世界。

それでも、目に焼き付いて離れないモンスターは多数。

上の写真は記念すべき第一話『宇宙人現わる』に登場したアンドロメダ星雲の宇宙人です。立体テレビに映し出されたその姿が異常に怖かった。

全身が光っているように見えるのは、ネガポジを反転させて合成しているため。このアイデアははかなり効果的だったと思います。マジで怖かった・・・

実際は黒いスーツでこんな感じ。



・・・・あまり怖くない、というか滑稽な印象すらあります。

しかし、造形が不気味でも決して悪者とは限らない、というのはこの作品の特徴でもありました。この作品のテーマは「人間の心の内側に迫る」ということ。醜悪なモンスターよりも人間の方が悪かったり、という話も結構ありました。

人気番組だったのですが、制作費の高騰が打ち切りの原因になったとか・・・全49話で終了となってしまいました。

モンスターメーカーズという本



いまさらですが、洋泉社から発売されていたモンスター・メイカーズという本にちょっと触れてみたいと思います。発売は2000年頃とちょっと古い話になります。

この本は『キングコング』の影響で生まれたモンスターと、それらを作り出したモンスター・メイカー(モンスター作りを最も得意とする特撮マンを指す)たちの記録を本にしたもので、総ページ数は300ページ以上もある読み応えたっぷりの本。

ウイリス・オブライエンに始まり、レイ・ハリーハウゼン、ジム・ダンフォース、デビッド・アレンなどのストップモーションマスターから『スター・ウォーズ』、『ジュラシック・パーク』などのイフェクツマンまで網羅した充実の一冊。

ウイリス・オブライエンを例に挙げてみると、代表作以外のウイリス・オブライエンが関わったほとんど(全て?)の映画についても触れているので、『コングの復讐』(1933)から『猿人ジョー・ヤング』(1949)が製作されるまでの長い期間、ウイリス・オブライエンは何をしていたのか、といった疑問もこの本を読むことによって解消されます。また、オブライエンに雇われてモンスターを造形したマーセル・デルガドや、オブライエンの片腕としてモンスターをアニメートしていたピート・ピーターソンなどの生涯についてもかなり詳しく書かれています。

ウイリス・オブライエン以外のモンスター・メイカーについても同じで、ジム・ダンフォースがやデビッド・アレンについても、彼らがこなした数多くの仕事や、その人物像についてもよく解るほど詳しく書かれているのには驚かされます。『アウターリミッツ』の蟻型エイリアン、ザンティ星人は多くの書籍ではダンフォースがアニメートしたものとされていたが、実はこの話は間違った情報で、何故こういった誤情報が流れる事になったのかという事も書かれています。

ハリーハウゼンに関してはこれまでにも多くの書籍が出版されており、特に目新しい情報は無かったのですが・・・『タイタンの戦い』(1981)のペルセウス役にアーノルド・シュワルツェネッガーが予定されていたが、「アーノルドを使うだと?ペルセウスにはセリフをしゃべるシーンがあるんだぞ」というプロデューサーのチャールズ・H・シニアのひと言で却下になった、などの裏話は興味深かった。

でも、本当にそんなひどい事言ったのかなぁ・・・これが事実ならものすごい大根役者扱いって事でしょう?

裏話で特に面白かったのは、『キングコング』を映画で復活させる事にこだわったオブライエンの企画が、流れに流れてその権利が日本の東宝に買い取られ、『キングコング対ゴジラ』(1963)として公開されることになった経緯がかなり詳しく書かれていた事。この話はこの本を読むまで知らなかった・・・

裏話が多いのでとても興味深く、企画の段階で消えてしまった作品やそれに関わっていた人物、日の目を見る事が無かったモンスターなども数多く取り上げています。久しぶりに読み応えのある本でした。

映画に登場するモンスターを中心とした本なので、それに伴いストップモーションの技術についても多く取り上げられています。『ジュラシックパーク』(1993)でストップモーションで撮影されるだった恐竜がCGIで描かれることになった経緯や、ストップモーションとCGIの融合したシステムについても詳しく書かれている。ストップモーションファンのみならず、CGIのファン、全ての特撮ファンにもお勧めの一冊です。

好きなSF作品

コラムのページやめて、ブログ化しました。気楽に書き込もうかと・・・

最初なので、自己紹介を兼ねて好きなSF映画から代表的なものを。

かなり大雑把に。

『禁断の惑星』(1956)、『宇宙戦争』(1953)、『タイムマシン』(1960)。この時代を代表する古典と言われる作品です。

もっと古い物になると、『来るべき世界』(1936)という傑作があります。これは見てびっくりしました・・・今見ても古くささを感じさせません。モノクロ作品で映像はきれいではありませんので、そういう部分で古くさく感じてしまう、という人は仕方ないですが、未来都市や乗り物などのデザインは素晴らしいものがあります。原作は『宇宙戦争』や『タイムマシン』と同じH・G・ウェルズ。

50年代、60年代のSF映画といえば、ロボットや乗り物などのデザインが、想像力に溢れ、尚且つ洗練されていた、という印象があります。『宇宙戦争』のウォーマシン、タイムマシン、『海底二万マイル』のノーチラス号、『禁断の惑星』のロビー、『宇宙家族ロビンソン』のフライデー、バット・カー、シービュー号・・・などなど。自分がこういうの好きなだけかもしれませんけど。

60年代から70年代は、やはりレイ・ハリーハウゼンに代表されるストップモーションが非常に好みに合うのです。SFというよりもファンタジーとかモンスター物ですね。

80年代は『スターウォーズ』の影響でスペースオペラが大量に制作されるのですが、傑作と言える作品は多くないような気がします・・・SFブームなのに。

90年代以降の超大作は展開が読めてしまう作品が多いように感じます。予算が充分ある大作はマーケティングして万人向けに作られるので仕方がないですね・・・特定のSFファン(マニア)なんてターゲットにされてないでしょうから。でも結末を知ってからまた見たりすると、特撮そのものは迫力があり、大半の作品は結構楽しめるものです。

スタッフや俳優の意見が衝突して出来上がったと言われている偶然の産物『ブレードランナー』はベスト映画の一つ。この作品だけのホームページもあるし、研究本も多数出版されています。

『近未来物』って結構好きです。大抵の場合、荒廃した未来が描かれててストーリーも似たり寄ったりですが、『マッドマックス2』が最も印象に残っています。近未来と言えば『2300年未来世界への旅』という映画がありました。注目すべきは、そこに描かれている未来都市。だれもが子供の頃空想したであろう未来都市、というデザインが楽しい。ドームの中の管理された都市や、チューブの中を移動する車など・・・それだけでこの映画が好きになりました。

SFコメディーは理屈抜きで楽しめるので好きです。『ギャラクシー・クエスト』は愛すべき映画の代表格。スターウォーズのパロディ『スペースボール』もお奨め。これほどおバカな映画は見た事ない・・・という展開を本格的な特撮で見せるところが凄い。『マーズ・アタック』、『ワイルド・ワイルド・ウエスト』、『メン・イン・ブラック』などの科学的考証を一切無視した映画も大好きです。アメリカンコミックからのヒーロー物なども最近のお気に入り。『メン・イン・ブラック』の車など、どう見ても変形後の形が変形前の車に収まりきれないのは明らかなのだが、そんな事は全く感じさせないくらい格好良かった。

意外な展開を期待したいなら短編作品がいいと思います。『トワイライトゾーン』、『レイ・ブラッドベリ劇場』、『アウターリミッツ』など例をあげたらキリがなく、長編作品ではありえない結末を楽しめます。

最近のSF映画の中での注目のジャンルは『仮想現実物』。元祖はコンピュータを擬人化した『トロン』あたりでしょうか? このジャンルはストーリー、映像ともほとんどアイデアで勝負しているので、地味ながらもハマる作品に出会えるかもしれません。『ニルヴァーナ』、『13F』、『イグジステンズ』などが個人的にはお気に入り。超大作『マトリックス』もこのジャンルに入るでしょう。中でも特に好きなのは『13F』。あるビルの13階の会社が巨大なコンピューターで仮想空間を作りだしていて、そこの仮想空間に住む人間は自分で考え生活し、自分が電子で作られている事などもちろん知らない・・・という設定で、仮想空間の舞台は1930年代。この時代の映像の素晴らしさに見とれてしまいました。

最近はコンピューター・グラフィックの進歩により古い映画のリメイクが数多く作られています。また映画化は不可能と思われていた作品が数多くスクリーンに登場するようになってきました。昔の特撮は古くさくて見ていられない・・・といった感想を持つ人もかなりいることでしょう。確かに、時々そう感じることもありますが、その作品の持つ独創性やキャラクターの持つ魅力、デザイン、ストーリーなどに注目してその作品を鑑賞しているので、そんなことはほとんど関係ありません。

「半世紀前の映画にしてはすごいね」、とか「当時としては最先端の技術だったんでしょ?」などは、よく耳にするし、理解する事も出来るのですが・・・あまりそういう話はしたくない、というのが本音です。アイデアと想像力を駆使して作られた作品は、映像そのものの古さなど関係ないと思っていますから。

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