五十年後の世界 |
2011-11-21 01:14 |

五十年後の世界(1930)
この映画の舞台は1980年のニューヨーク。映画が製作された1930年から見た50年後の世界が描かれているというわけです。
注目すべきは
SFとしては世界初のトーキー(発声映画)であるという事!
で、尚且つミュージカルでもあるという・・・
ミュージカル映画をあまり好まない人は
「どうしてそこで歌うのかなぁ?」
と、多くの場合そう感じるものだと思います。
もちろん、楽曲やダンスシーンが素晴らしく、苦手な人が見ても十分楽しめる作品も数多くありますが、この映画はSF作品なわけで・・・
見終わった後の感想としては、歌う場面は全てカットして欲しかったなぁ、と。
まぁ、本格的にトーキーが流行りだした時代の作品なので、大人の事情とかでミュージカルを取り入れざるを得なかったのかも知れませんけど。
えーと、あらすじを一応書いておきましょう。
仮死状態だった男が、最新の技術により1980年に蘇生する。人々が全て番号で呼ばれる世界で、男はシングル0と呼ばれ、J21という青年と出会う。J21には愛する女性LN18がいたが、1980年には結婚相手は法廷が決める事になっており、ライバルのMT3に有利な判決が下される。その決定を覆すためには、何か優れた業績をあげなければいけない。J21に残された時間は三ヶ月あまり。そこでJ21は、友人のRT42と共に火星行きのロケットに乗り込む事を決意する。密航者のシングル0を含めた三名は無事火星に到着。最初は歓迎された三人であったが、火星人同士の内紛に巻き込まれ囚われの身となってしまう。
かなり荒唐無稽で、あらすじだけでも突っ込みどころがありますけど・・・
で、なんとか脱出して地球へと戻り、その功績が認められ、J21はめでたくLN18と結婚することになってめでたしめでたし。
この作品、いくぶんコメディータッチで描かれているものの、ちょっと中途半端な印象。いっそのこと、50年後に生き返った男の珍行動を主題にコメディーにしたほうがよかったかも知れません。
でも、ストーリーはともかく
この作品は非常に面白かったですo(・∇・o)
舞台が1980年という事は、映画全編が1930年の人が考えた未来像で描かれているという事でもあり、その未来観とデザインが非常に楽しかったという事。
なので、私は最後まで飽きる事無く見ることが出来ました。

番号で呼ばれる住民(ペット含む)
交通手段は車ではなく飛行機
テレビ電話
死体蘇生術
針のない注射器
食料ばかりか飲料までもが錠剤となっている
自販機で購入できる人工培養された子供
などなど
1980年どころか2011年現在でもほとんどが実現していないものばかりですね。
映画自体が科学的考証が皆無だという点から判断すると、1930年の人が本気で50年後にこのような未来が実現すると考えていたとは思えませんけど、どうなんでしょうか?

実験室のネオン管とか、なにやらブクブクいってる試験管類って50年代くらいまでは定番でした。
壁や窓が斜めになっているデザインも60年代までは良く見かけたものです。明らかに機能的ではないのですが、当時としては未来っぽさを表現するのには効果的だったのでしょう。
1970年代以降の近未来映画にはこういったデザインはほとんど見られなくなってしまいました。
そして愛を語る場面で歌う恋人達

あー鬱陶しい(-"-;) 普通の会話にしておけばいいのに・・・
あとは
映画後半の惑星間ロケットと火星探検のシーンもこの作品の見どころの一つ。

女性たちのダンスシーンは古い映画のキャバレーみたいでした。火星人が、優れた科学力を持っておらず、比較的野蛮な人種として描かれていたのはちょっと残念でしたけど。
というわけで
この映画は、アカデミー美術賞にノミネートされたほど評価されたわけですが、興行的には失敗作に終わってしまったそうです。
この時代にセットだけでも25万ドル、全体で110万ドルの予算って凄いですね・・・
その後、これらのセットはユニヴァーサルが買い取り、連続活劇『フラッシュ・ゴードン』(1936)や『バック・ロジャーズ』などに流用されたそうです。デザインが評価されたのか、少しでも予算を回収しようとしたのか、おそらく両方。
その後この宇宙船は『フラッシュ・ゴードン』のザーコフ博士のロケットとして大活躍していました。後部からモクモクと煙を吐き出して飛行するシーンが思い出されます。
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コメント |
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投稿者 : たあ
1930年代のハリウッドではミュージカル映画が流行してたみたいですね。猫も杓子もミュージカル(笑)みたいな。
しかし「ブレードランナー」のようにスピナーが行き交う世界は実現するのでしょうか?
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2011/11/21 21:08 |
投稿者 : パラディオン
私はミュージカル映画の事情には詳しくないので良くわかりませんが、SF映画で歌っているくらいだからよほど流行っていたのでしょう。『雨に唄えば』などは比較的その時代の雰囲気が良く描かれていたと考えて良いのでしょうか?
『ブレードランナー』というよりも、シド・ミードの描く世界ってなんとなく現実になりそうな気がします。
何の根拠も無いですけど(笑)
SFの世界はファンタジーではないので、いつかは・・・
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2011/11/21 22:07 |
投稿者 : たあ
確かに、「工業デザイナー」の視点で見た世界ですからね。「フィクション」としてではなく「こうなるであろう」という考えに基づいているかもしれませんね。
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2011/11/21 23:45 |
投稿者 : パラディオン
あー、そうかぁ、おもいっきり根拠ありましたね。
雑誌に載った『ブレードランナー』のデッサンやその他の作品を穴が開くほど眺めていたものです。
『ブレードランナー』はこの人の存在が本当に大きかったのですね。
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2011/11/22 20:47 |
投稿者 : esme
この映画、昔読んだ中子真治氏の『Film Fantastic 1』(昭和60年・講談社)で紹介されていて、「ちょっとだけ観てみたい気もするけど、一生観ることはないだろうな」なんて思っていました。この本を読んだ当時は、メジャーな作品を除く古い映画の大部分に関して、そんなふうにしか思えなかったですね。
初期のトーキーは、ウィキペディアにも「その特徴を生かすためヴォードヴィル劇やミュージカル劇を導入したものが多く」とあるように、まだ今日的なスタイル自体完成されていなかったのでしょうか。トーキー初期のアニメーションも台詞が極端に少ないパントマイム調ですし。あの『キング・コング』(1933)でさえ、若い人の感想の中には「音楽がくどい・うるさい」という意見が意外に多く見られ、驚かされます。
もっとも、上記『Film Fantastic 1』によると、この作品は1920年代にブロードウェイで次々にヒット作を放っていたミュージカルの作家トリオ(脚本・作詞・作曲の3人)が映画のためにオリジナル・ストーリーを書き下ろし、監督もミュージカル・コメディを得意とした人(後に全盛期のシャーリー・テンプル作品のほとんどを手がける)・・・ということなので(上記書籍より要約)、ミュージカル作品であるということは企画段階からの必然だったのかもしれません。
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2011/11/24 17:46 |
投稿者 : パラディオン
esmeさん、いろいろと情報をありがとうございます。
監督がどんな人かなんて気にも留めていなかったですが、作家も監督もミュージカル畑の人たちだったのですね。
なるほどおっしゃる通りスタイル自体が未完成だったというのはうなずけますね。コメディ部分、ミュージカル部分とどれをとっても中途半端で、かなり迷走しているなぁ、といった印象を受けました。
『キング・コング』の音楽ってうるさかったですかね? 私は上手いなぁという印象でしたが・・・
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2011/11/24 20:32 |
投稿者 : esme
私も『キング・コング』の音楽は素晴らしいと思います。
ところが、ネット上で若い人の映画評を読むと「やりすぎ・うるさい」と言っている人が何人もいて驚かされるのです。
彼らは、マックス・スタイナーの功績も知らないのでしょうね。
『キング・コング』と言えば、やはり若い人の映画評を読むとオブライエンの特撮を単に「古臭くてチャチ」と失笑している人が少なくなくて・・・
「若い人も、あの神業にはさぞ衝撃を受けることだろう」と思っていたので、そんな評価を読むと悲しいですorz
テレビで、VHSで、リバイバル上映で、DVDで、北米ワーナーのBOXで、何百回も繰り返し観た映画なので・・・
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2011/11/25 00:09 |
投稿者 : パラディオン
私はあまりネットなどで他人の批評を読まないのですが、少なくともあの『キング・コング』を批判している書籍など見たこともないので、漠然と評価されて当たり前だと思っていました(苦笑)
うーん、私は何度見ても完璧だという感想しか出てこないのですが、実際ブログでもそう書いてるし・・・
「古臭くてチャチ」って、そういう感想って私には理解できません(涙)
どこ見てるんだろう、って思っちゃいますけど・・・
もう遅いですけどこれから『キング・コング』見ます。
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2011/11/25 23:42 |
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しかし「ブレードランナー」のようにスピナーが行き交う世界は実現するのでしょうか?