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宇宙原水爆戦・人工衛星X号


『宇宙原水爆戦・人工衛星X号』(1956)はスイス/イギリスの合作映画。

あまりにも強力すぎて地上での実験が出来ない新型のトリトニウム爆弾。
それを宇宙空間で爆発させるという任務のもと、四人の乗組員たちが実験ロケット「スターダスト号」で宇宙空間へと飛び立つ。
爆弾をロケットから切り離し、実験は成功するかと思われたが、スターダスト号と原爆の質量が相互に作用し、原爆は機に張り付いてしまう。
一定時間後、爆発するようにセットされた原爆が爆発すれば、全員の命はない。乗組員たちはこの危機をどう回避するのか・・・

というわけで

宇人類初の有人宇宙飛行と宙空間での核実験をテーマにした作品で、至って真面目に作られた映画ですね、これ。

邦題からは、全く別の内容を想像してしまいますけど・・・

えーと、世界初のカラーSF映画といえば、1950年にジョージ・パルが製作した『月世界征服』ですが、もしかしたら、英国ではこの映画が初のカラーSF映画かもしれません。

ちゃんと調べたわけではないので、はっきりとは分かりませんけど。


優雅に大空を舞う爆撃機の映像(これは美しい!)で映画は始まり、爆撃機が降り立った基地でのとっても長い記者会見のシーンの後、それぞれのパイロットの人間ドラマが延々と続き・・・

宇宙に出発する頃には映画の半分が過ぎていました。

宇宙空間でのトラブル発生後は、スターダスト号内部で極限状態に置かれた人たちのドラマが始まり、と

ドラマがあまり好きではない私にとってはちょっとシンドイ場面も多かったのですが、1950年代の作品にしては良く出来ているなぁ、といった印象でした。

映画007シリーズのマネーペニー役で有名なロイス・マクスウェルがこの映画のヒロイン。


特ダネをつかむため機内に忍び込み、一緒に宇宙空間へ旅することになった記者を演じています。
こんな大事な実験機に簡単に忍び込まれてしまう警備の甘さに唖然・・・

それより気になったのが

この時まだ20代って老けすぎじゃないか? という事。綺麗な人ですけどね。

この映画の特撮を手がけたのはウォーリー・ヴィーヴァーズ。

『2001年宇宙の旅』(1968)の特殊効果マン(special photographic effects supervisor)として、ダグラス・トランブルとともにクレジットされている、あのウォーリー・ヴィーヴァーズです!

スターダスト号は格好良かった。


発射台はサンダーバード2号、飛び立つシーンは『地球最後の日』(1951)に酷似してます。

当時のアメリカ産SFとはまったく違う雰囲気が楽しめるのがこの作品。能天気なところが全く無い、かなりシリアスな作品でした。

ただ、

限られた時間内でどうやって危機を回避するのか、といったサスペンスよりも、明らかに人間ドラマを中心に描いたこの内容では、SFファンの関心を引くのはちょっと難しいのでは? とも感じましたけど。何故『宇宙原水爆戦』などという邦題になったのか、なんとなく分かるような気がします。

最後に

乗組員たちが爆発の危機をどうやって回避したのか、というと

全員が死を覚悟した船内。
お約束どおり恋に落ちた主人公とヒロインが熱いキスを交わしている間に、この事態を招いた事に責任を感じた科学者二人が船外に飛び出し、宇宙服のロケットを点火。なんと爆弾を抱えて機から離れるという荒業を敢行します。それを見た主人公、「二人の犠牲を無駄にするな」とばかりに、なんのためらいも無くエンジン点火。爆弾を宇宙空間に残し、一路地球へ。やがて宇宙空間で大爆発が起こり、エンド・マークとなるわけですが・・・

なんだか、素直に喜べないような微妙なエンディングでした。

ラオ博士の7つの顔


この汚い画像は、私の所有する『ラオ博士の7つの顔』(1964)のビデオ・パッケージです。

水道設備の老朽化のため、財政危機に陥ったアメリカのとある小さな町が舞台。
近いうちに町に鉄道が通るため、土地価格が高騰するという情報を得ていた不動産業者のスタークは、「町を救うために自分が丸ごと土地を買い上げる」という話を住民たちに持ちかける。何も知らない町の人々はこの申し出を巡り、賛成派と反対派に別れ議論を繰り返していた。そんなある日、ラオ博士と名乗る老人が現れ、サーカスを開催。

娯楽の少ない町にサーカスがやってきた!

住人たちは挙ってサーカスのテントに詰め掛けるが、その出し物は一風変わったものばかりで・・・

原作はチャールズ・G・フィニーの小説『ラーオ博士のサーカス』で、ジョージ・パルの監督としては最後の作品となります。これも昔はテレビで何度か放送されたものの、現時点ではDVD化されていないようです。
この作品の時代設定は、車のデザインやその他の小道具から判断すると、20世紀初頭あたりでしょうか。衣装も含め西部劇の匂いがプンプンと・・・

西部劇と東洋の神秘が融合したファンタジックな世界。それにサーカスの持つ特異な雰囲気が加わり、モンスターが現れ、と
荒唐無稽なようで、しっかりとしたストーリーがあり、「いい話だなぁ」と感動できるのがこの映画。

私はこの映画の持つ不思議な魅力の虜になってしまい、何度繰り返し見た事か・・・


というわけで、この作品の見どころですが

まずは、主演のトニー・ランドールが、サーカス一座の団員の全てを一人で演じている事。
これは後になって知った事で、テレビで見ていた当時は全く気がつきませんでした。上のビデオのパッケージは全員トニー・ランドール。

1.ラオ博士、いい味だしてます! ピーター・セラーズとイメージがオーバーラップするんですけど・・・

2.ギリシャ神話に登場する牧人と家畜の神パーン

3.同じくギリシャ神話からゴーゴン

4.呪いのせいで嘘が言えない占い師
結婚を夢見る中年の女性と、情け容赦なく残酷な未来を語る占い師とのやり取りは最高。

5.おいぼれた魔法使いマーリン

6.雪男?

7.ガラガラ蛇
これは、人形アニメでした。観客席に座る素顔のトニー・ランドールを入れて七人としておきましょう。

というわけで

現在の健全なサーカスと違って、いかにも見世物小屋、サーカスの持つ非日常的な雰囲気を上手く生かしたこれらのシーンは必見。
登場するキャラクターに無駄が無く、それぞれが重要な役割を演じているのには関心してしまいました。

このあたりの見事さは、脚本を担当したチャールズ・ボーモントの力によるところが大きいのかもしれません。
『ヒッチコック劇場』や『トワイライトゾーン』でも腕を振るった短編作家の力量がこの作品を魅力的なものにしている、と考えられます。

続いてこの映画のヒロイン、バーバラ・イーデン


SF・ファンタジー関連では『地球の危機』(1964)、『不思議な世界の物語』(1962)、『気球船探険』(1962)などに出演していますが、どれも印象が薄くて・・・
『かわいい魔女ジニー』(写真右)で知っている人が多いかも。
バーバラ・イーデン演じるお堅い女教師アンジェラがパーンに誘惑され、セクシーな女性に変化するくだりは、ジョージ・パル作品らしくないお色気シーン。

これって誰か他の人が演出したんじゃないの?

しかもこのシーンの後、あらゆる場面でアンジェラが欲求不満の未亡人のような描かれ方してるし・・・

ネッシーのようなモンスター


映画のクライマックスに登場し、嵐の中で暴れまくるネッシー。
頭部から7つの顔が生えてくる場面を覚えている人も多いのではないでしょうか。ストップモーション・ファンには感涙もの。
この映画で最も印象的だったこれらの特撮、アニメーションを手がけたのは、ジム・ダンフォース。
この作品はアカデミー特殊効果賞にノミネートされ、ダンフォースの名声は不動のものとなりました。

ちなみに、この年の受賞は『メリー・ポピンズ』

この『メリー・ポピンズ』、実は・・・

今までに見た映画の中で、最も見た回数が多いのがこの作品なのです。

まぁ、どーでもいい事ですけど

やたらと会話のシーンが多いものこの映画の特徴の一つ。

ラオ博士とエド、魔法使いと少年、がらがら蛇とスターク、スタークと占い師、どのシーンでもウィットに富んだ会話が楽しめます。
意味深、意味不明、奥が深い、理屈っぽい、説教くさくてヤダ、とまぁ、人によって感じ方はさまざまでしょうが、個人的には、ラオ博士が言葉巧みに相手をけむに巻く話術は最高だなぁ、と。

サーカスに憧れ、一緒に働きたいという少年に

「見方次第では、世の中全てがサーカスなのだよ。草や木が育ち、鳥が歌い、月の光が砂漠を照らすのも、誰もが楽しめるサーカスなんだ。手に砂を握った時、その手の中には自然の神秘と驚異がある。生きている事の素晴らしさを知る時、いつでも君はドクター・ラオのサーカスの一員になれるんだ。」

と諭すくだりは、心温まる名場面。

この町はもう終わりだ・・・。そんな寂れた町に現れた一人の老人が、住民たちに少しばかりの幸せを与えて去っていく・・・

いい映画です

思わず「ラオ、カムバァァーック」といいたくなるラスト・シーン


マーシャン・クロニクル/火星年代記


先日、ネットでこんなニュースを発見しました。

1950年に発表されたレイ・ブラッドベリの傑作SF小説「火星年代記」が、米20世紀フォックス製作で映画化される可能性が出てきた。
米ロサンゼルス・タイムズ紙によれば、「プレデター」シリーズや「アイ, ロボット」などSF映画を多く手がけてきた同社のプロデューサー、ジョン・デイビスがこのほど、「火星年代記」の映画化権を獲得したという。
同作は、火星に移住した人類を描いた連作短編集。80年に一度、マイケル・アンダーソン監督、ロック・ハドソン主演でTVミニシリーズとして映像化、日本でもDVDリリースされているが、これまで劇場映画化されたことはない。

と、ゆーわけで

今回はその1980年の『マーシャン・クロニクル/火星年代記』

えー、最初に原作についてですが

私はレイ・ブラッドベリの大ファン。

そして

全てのSF小説で一番好きな作品は? と聞かれたら迷わずこの『火星年代記』を選びます!

1950年に出版された原作は、26のエピソードが連なって一つの長編となっている、いわゆる連作短編集というやつ。

初めて火星に到着した地球人が消息を絶つという事件に始まり

伝染病による火星人の滅亡、地球人の移住、火星人の生き残りとの接触などが描かれ、地球に核戦争の危機が迫ると、植民者たちは地球へ呼び戻され、火星を放棄します。理由あって火星に残された少数の人々は、夜空に閃光を放ちながら燃えさかる地球の姿を目撃。核戦争により地球の文明は滅びてしまいます。

それから20年の時が過ぎ、生き残ったある一家族が再び火星への移住を計画。そして、自らが新たな火星人となる・・・というエンディングまで、それぞれ主人公が違う独立した物語として描かれています。

各話には1999年1月から2026年10月までの年月が付記されているので、時の流れが非常に把握しやすく、読みやすいのが特徴といえます。

この作品では、SFでは今や古典的とも言えるアイデアが数多く用いられています。

宇宙船、予知夢、テレパシー、記憶・潜在意識の実体化、時間の歪みによる異次元との交錯、肉体を超越した意識だけの生命体、ロボット、地球最終戦争、伝染病による種の滅亡、科学の暴走、地球最後の男、などなど・・・

すごいなぁ

もうこれだけでもお腹いっぱい、といったところですが

これらのアイデアといかにもSF的な小道具類がブラッドベリの手にかかると・・・

ブラッドベリといえば、その詩的で幻想的な作風から「SF界の吟遊詩人」などと呼ばれていますが、この作品も本当に読んでいてため息が出るほど美しい。その独特のテイストに酔いっぱなし・・・。うーむ、原文で読めるほど英語が堪能でないのが本当に残念です。

まぁ、私がいくら文章で書いたところでその魅力は伝わらないので、万が一にもSFファンでこの作品を読んでいない方がいたら一読をお勧めいたします。エンディングも感動的だし、はっきりいって完璧な作品でしょう、これは。

ちなみに、別の短編集に収録されている作品で、この『火星年代記』のエピソードともいえる作品がいくつかあります。
『火の玉』、『荒野』などの短編がそれで、全エピソードが26だったり、27だったりと発売された年代、出版社などにより異なる場合があります。

原作の話が長くなってしまいました。

それでは、映画の方はどうなのか、というと

三部構成で約300分。いくつかのエピソードが省かれているものの、かなり原作に忠実に作られています。


おそらく、原作のファンでこの作品に満足した人はあまりいないのではないでしょうか。

うーん、でもこれは仕方がない。個人的には、TVムービーとしては上出来かな? といったところ。原作への思い入れが強すぎて客観的な評価は不可能だと思われ・・・

ただ、原作を意識してとても丁寧に作られているところは好感が持てたし、満足できなくても失望するほど酷い出来ではないと思います。

原作にはないプロローグが付け加えられ、ロック・ハドソン扮するワイルダー大佐のナレーションで物語は進行します。
このワイルダー大佐が全編を通しての主人公に設定されているため、原作では27年間の物語が、映画では数年の話になっており、多少スケールダウンしている感は否めません。

原作と比較しながら見るのも面白かったし、原作ではそれほどはっきりと描写されていたわけではない火星人の服装や住居、都市などのデザイン、セットも神秘的でよかったです。やけに上品というか・・・

この映画の監督は『80日間世界一周』(1956)のマイケル・アンダーソン。一応巨匠と呼んでもいい監督さんなんですかね? SF関連では『ドクサベージの大冒険』(1975)や『2300年未来への旅』(1976)といったビミョーな作品を監督しています。
大どんでん返しのミステリー『生きていた男』(1958)もこの監督でした。これは・・・、ここで語る事ではないので省略。

主演のロック・ハドソンは好演ですね、さすが! コーネリアス(ロディ・マクドウォール)や『スペース1999』のバリー・モースなどSFファンにはなじみの俳優さんが出演しているのも見逃せません。

映像化されなかった「第二のアッシャー邸」というロボットが登場するエピソードがあるのですが

この手の話を見聞きしていつも思うのは、人間と区別がつかないほど精巧なロボットを作るのって相当難しい事ではないのか、という事。

どれほど科学技術が進んでも、ブラックホールの謎が解明されワープ航法が可能なほどの未来でも、たとえ、物質転送装置や重力遮断装置が発明されようが、現在のSFがほとんど現実になったとしても・・・

本人と区別がつかないロボットとタイムマシンを製造するのだけは絶対に無理

そんな気がするのですが・・・、どうなんでしょう?


長くなりましたが、最後に原作者のレイ・ブラッドベリはこの作品をどう思っていたのか、というと

1979年9月に放送予定だった『火星年代記』は記者会見での原作者による不評を考慮し一旦棚上げ。1980年1月まで放映が延期された、というエピソードが残っています。

これはブラッドベリが記者会見で「これは、ヒドイものだ。極めて退屈だ。」といった趣の発言をしたのが原因だとか。

よほどガッカリしたのですね・・・

ほかのインタビューでは、特撮の出来について「あまりにもみすぼらしかった。ロケット、砂船は哀れなくらい小さなオモチャに見えた」と語っています。

たしかに(^^;)

しかしブラッドベリは、この棚上げとなった期間を「やり直すチャンスだ」と前向きに捉え、自ら編集作業に加わります。

そしてようやく放送日を迎えた『火星年代記』を友人たちと自宅で見たブラッドベリは

「夜が更けるにつれ、私たちはあまりにも深く失望したので、ビールを数ガロンも飲んだ・・・」

との事 ( ̄_ ̄|||)

本を読んだ誰もが感じているかも知れませんが、これは活字で読んでこその作品、ブラッドベリのテイストを味わう作品であって、それを映像で表現するのは相当困難だと思うのですが? 映画でこの原作のファンを納得させるのはほとんど不可能だと思いますけど。ましてや原作者ともなれば・・・

でも本と映画はまったく別モノ。映画もそれほど悪くなかったですよ。逆に原作を知らない方がそれなりに楽しめるのかなぁ・・・?

この映画にはそれほど思い入れがないので、リメイクに期待!

宇宙の怪人


『宇宙の怪人』(1959)

原題は“FIRST MAN INTO SPACE”

映画はY-12と呼ばれる実験ロケットの打ち上げシーンで始まります。
テストパイロットのダン・プレスコットは「宇宙へ行った最初の人間」の称号を得るために命令を無視して予定高度を超えて宇宙空間へと飛び出す。
謎の物体と遭遇したロケットはコントロールを失い地上へと墜落。
ダンの兄で実験の責任者でもあるチャックは墜落した実験機を発見するが、ダンの死体は見つからなかった。
やがて墜落現場近くの農場で牛が殺されるという事件が発生。続いて血液銀行が襲われ、犠牲者となった看護婦の傷口から牛についていた物と同じ物質が発見される・・・

宇宙へ行ったパイロットがモンスターになって戻ってくる、というのはSF作品ではお約束のストーリーで、ハマー・プロの『原子人間』(1955)や『ウルトラマン』のジャミラなどと同じパターンですね。

えーと、ジャミラで思い出したのですが

先日、十数年ぶりにウルトラマンとウルトラセブン、ジャイアント・ロボなど、子供の頃に見ていた特撮作品をレンタルで鑑賞しました。旧作100円とかだったので。

特撮が大好きな私。懐かしい作品を楽しく鑑賞できるかなぁ、と思っていたら

さすがにもう駄目でした・・・

こんなに幼稚だったのか、と唖然。

どんなにサイテーなSF作品であっても、最初から子供をターゲットに作られたヒーロー物とは違うんだなぁ、というのを実感した次第であります。今度の休日は『ウルトラQ』でもレンタルしてみましょう。

さて、

宇宙開発の犠牲者となりモンスターと化してしまった主人公の悲劇を描いた作品は数多くありますが、

この作品が他と決定的に違うのは、ダンは宇宙開発の犠牲者であるものの、この悲劇は自らの名誉欲が招いたものであるという事。

他の作品の同情すべき犠牲者と違い、勇気があるもののやたらと軽薄さが目立つ性格のダン。パイロットとしての腕はいいものの、少々性格に難あり。映画の中では、はねっかえりのような描かれ方をしています。


その蛮勇ゆえに怪物となったダンと、一連の事件がダンの仕業である事を確信した弟思いの兄の葛藤を描いたドラマ部分は見ごたえあり。

この映画は一味違う・・・

かなりマイナーな作品ですが、これは結構面白かったです。

監督のロバート・デイは『ターザン大いに怒る』(1960)などのターザン・シリーズで有名ですが、『絞殺魔甦る』(1958)、『悪魔の白衣』(1958)、ハマー・プロの『炎の女』(1965)などのホラー、サスペンス、SF作品も手がけています。

見せ場の一つであるモンスターを造型したマイケル・モリスは、後にハマー・プロ作品や『エレファント・マン』(1980)などに参加するメイクアップ・アーチスト。


この造型、怖すぎ・・・
パイロットが着ている宇宙服?ごとモンスター化してしまい、片方の目と口元(歯)だけにかろうじて人間の面影を留めているという・・・。で、また監督の演出が上手いのですよ。これ見たら夜中にトイレに行けなくなりますよ、ホント。

体に取り付いた物質のため、地上ではまともに呼吸する事が出来ず、血液を求めてさまよう吸血鬼のような怪物となっていたが、わずかに人間だった頃の知性が残っているダン。
科学者たちによって高圧チャンバーへと誘導されたダンは記憶を取り戻し、なんとか会話が出来るようになると、自身の身の上に起こった事を兄に語り始めます。

モンスター化した人間が最後に正気を取り戻す、というのも珍しいですね。

そして、見守る恋人に最後の一言

“I am sorry, I just had to be the first man into space”

と言い残し、床に崩れ落ちて息絶えるのでした。


このラスト・シーンが悲しくて、不覚にも涙が出そうになりましたよ。

まさかこんなB級SFで泣かされるとは・・・

玉石混交の50年代SF映画。これほどシリアスな作品も中にはあるのです。意外な掘り出し物でした。

金星人地球を征服


ただでさえ更新の遅い私のブログ。仕事が激務のため二週間ぶりとなりました。

先週、時々お世話になっているヤフーのオークションストアから一通のメールが来ました。

その内容とは

○○さん。“金星ガニ”でお馴染みの「金星人地球を征服」のDVDを出品いたしました。

ですと(^^;)

ついにDVD化されましたか・・・、ビデオがあったので買わなかったけど。

というわけで、今回はその『金星人地球を征服』(1956)

この作品の製作と監督のロジャー・コーマンについてはもはや説明不要。B級SFファンで知らない人はいないほど有名な監督さんなのですが、私のブログでロジャー・コーマン作品を取り上げるのは今回が初めて。

その理由は、単純にこの監督さんの作品をあまり面白いと思った事が無かったから・・・いや、面白い作品はありました。ただ、どういうわけだかこの人の作品が性に合わず、愛着もわかないのです。

ロジャー・コーマン作品のテイスト、味わいがまったく理解できない私・・・

自分自身、あまりにも不思議だったのでその理由を考えてみたところ

これ、あくまでも個人的な感想なのですが、ロジャー・コーマン監督の作品が「手抜き」に見えてしまうのがその理由ではないかと。

時間も予算も無い中、一生懸命作った結果トホホな出来栄えとなってしまった作品と、最初からお金をかけるつもりのない作品の違いというか・・・

実際、ロジャー・コーマン監督ってそれなりの予算がある場合には手堅く作る印象があるし、SF以外の作品では結構面白いなぁ、と思う作品があります。
SF作品に関して言えば、特にSFに思い入れなど無く、簡単に商売になるから撮っているという印象。
間違った認識かもしれませんけど、少なくとも私自身はそう感じてしまっている、という事です。

前置きが長くなってしまいました

で、この『金星人地球を征服』なのですが

内容は・・・邦題通りの侵略物。ストーリーなどどうでもいいです。

若き日のリー・ヴァン・クリーフや『スパイ大作戦』のピーター・グレイヴスなどが見られるのは楽しい。


侵略方法は、コウモリのようなものを使用して人間の意志と人格をコントロールしてしまうという、いわゆる「ボディ・スナッチャー物」なのですが、肝心のサスペンスは全く盛り上がらず。

有名な「金星ガニ」をデザインしたのはポール・ブレイズデル。この人については長くなりそうなので、機会があったら改めて書こうかなぁ、と。

ちなみに、日本では金星ガニと呼ばれているこのモンスター。設定上はカニではなく、高い知性を持つ金星の真菌(カビとかキノコの事)だそうです。

しかし・・・

本当にお馬鹿な映画ですね、これ。爆笑と失笑が交互にやってくる感じ。

洞窟を拠点として、たった一匹で地球侵略を目論む金星人。唯一の武器が両手の大きなハサミとは、どう見ても知性的には見えない。

この金星ガニがコウモリのような怪物を操って人間を襲うのですが、そのコウモリって金星ガニのスカート、というか股の部分から飛び立つのですが・・・

最初に見たとき金星ガニがウンコしてるのかと思いましたよ。

ライフル銃が効果なしと見るや、ほとんど動かない相手に肉弾戦を挑んで殺される軍人。

ピーター・グレイヴスは金星人に洗脳された科学者達をなんの躊躇いもなく射殺。

とにかく、あらゆるシーンで「もっと他に方法があるだろう」と思える所がこの映画の特徴、と言ってもいいほど。

映画のクライマックスは、リー・ヴァン・クリーフと金星ガニの一騎打ち!


この緊張感の無さ・・・

そして相打ちで両者とも死亡。バズーカ砲も効かない金星ガニが小さいガスバーナーであっさりとやられてしまうのには唖然。

エンディングで人間の尊さのような事を大真面目にスピーチする中、でっかいハリボテと添い寝する名優リー・ヴァン・クリーフ。ほとんどコントにしか見えないのが悲しすぎる・・・


4Dマン/THE 4D MAN


『4Dマン』(1956)のテレビ放送時のタイトルは『SF4次元のドラキュラ』だそうですが、テレビ放送を見逃していたので記憶に無し。

で、レンタルビデオで鑑賞したのですが、その時のタイトルは『4Dマンの恐怖・怪談壁抜け男』

ひどいなぁ、これ(笑)

「壁抜けが出来たからって何なのよ! 何もいいことありましぇ〜ん」というコピーと脱力系のイラストが忘れられません。洋画なのに怪談って・・・

そういえば一時、こういうイラストのパッケージって流行ったような?

えーと、そんな事よりもストーリーですが

「どんな物質をも貫通させる」という技術の研究に没頭するトニー。
ある時、自分のミスで建物を出火させてしまい、研究所を失ったトニーは、兄のスコット(同じく科学者)を頼り研究施設を訪れる。
そこで自分の研究を再会したトニーは、あろう事か兄の婚約者リンダ(リー・メリウェザー)に一目惚れ、恋仲になってしまう。
恋人を取られたスコットは自暴自棄となり、弟の実験装置を持ち出し勝手に作動させ、その時偶然物質を通り抜ける能力を身に付ける。
その能力を使い気ままな行動をとるスコット。
だがその能力を使には、膨大なエネルギーを消費し、自らの老化を招くという副作用があった。
他人に触れその生気を吸い取る事によって、自分は生き延びる事ができるという事に気付いたスコットは、4次元の怪人「4Dマン」となり、次々と人間を襲い始める・・・

たしかに「ドラキュラ」であり「壁抜け男」でもあります。

トンデモな科学が当たり前のように映画化されていた1950年代ならではの作品。リアリティも何もないのに何故か惹かれてしまうのが不思議です。

この作品の製作ジャック・H・ハリス、監督アーヴィン・ショーテス・イヤワース・Jrといえば『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)』(1958)のコンビですね。

音楽やBGMがSFっぽくない所とか、作品全体の雰囲気、クライマックスの盛り上げ方とかも良く似ているし、「THE END」が「?」で終わるところも同じ。さらには突っ込みどころが満載な所まで・・・

まぁ、とにかくこの人が作るB級作品には、何故か不思議な味わいがあります。


あとは、思った事

けっこう真面目に作られているなぁ、というのが第一印象。

映画の前半は、スコットとトニー、恋人のリンダの三角関係に終始。これはかったるかったなぁ、こういうのはちょっと・・・

あからさまに恋人の前で別の男とイチャイチャするリンダ。兄が怪物になってしまうための伏線とはいえ、不愉快な描写が続きます。そのため物語が進まず、兄が特殊能力を身に付けた時点で映画の半分が過ぎてました。

発明した本人ではなく兄が怪人になってしまうというのはちょっと意外。

恋人に裏切られた挙句、怪人となってしまったスコットの悲壮感や、弾丸までがすり抜けてしまうため無敵となった「4Dマン」がどのように最後を迎えるのか、といったあたりをもうちょっと丁寧に描ければ名作になったような気がします。

誰もが「自分にこんな能力があったらどうするか?」って考えるところは「透明人間」のアイデアに通じるものがあるし・・・


これ見た時、東宝の『電送人間』とか『ガス人間第一号』を思い出しましたよ。

あまり怖くないなぁ、地面を貫通してマグマに溶かされて終わりかな? などと馬鹿な事を考えながら鑑賞しつつ・・・

それほど悪くないな、と。なかなか面白かったです。

最後に

この映画で最も印象に残ったのが、元のフィアンセに無理矢理キスをするシーン。

その直後二人の唇の間に閃光のようなものが・・・

おぉ、これはまさにスペース・バンパイアのような! 生気を吸い取るシーンの特撮、ではなくて、ただのヨダレですかね、これ?


キャット・ウーマンの嫌がる顔は何を意味するのか・・・

ゴッグ


1954年に製作された『ゴッグ』は、世界で初めて本格的にコンピューターの恐怖、反乱を描いた作品であると言われています。

舞台はミューメキシコの砂漠の地下に建造された広大な研究所。

宇宙ステーション建設のための研究が行われているこの施設の全ての装備は、ノヴァック(NOVAC)と呼ばれるコンピューターによって制御されていた。そのノヴァックの手足となって働くのが、ゴッグとマゴッグと呼ばれる二台のロボット。施設内で次々と起こる原因不明の死亡事故。その謎を解明するために二人のエージェントが送り込まれる。

コンピューターの反乱、と言えば誰もが「自我を持ち始めた機械」を連想するでしょうが、この作品は、敵国がコンピュータを乗っ取って研究所の科学者を殺そうとする、といった内容であり、機械が自分の意思で何かの目的を持って殺人を犯すといったものではありません。

とはいっても

この時代に「コンピュータ社会に対する不安」を描いているとは、やはり画期的な作品である事に違いありません。

この映画は1950年代に量産されたティーン・エイジャー向けの作品ではなく、明らかに大人をターゲットにした作品だと思われます。
製作のアイバン・トアースは科学的描写の正確さを売りにしており、この作品もしっかりと科学的考証がされていいるようです。
実際、SF映画にありがちな奇をてらったデザインなどほとんど無く、フィクション部分よりも当時考えられていた最先端の科学がはるかに多く画面に登場します。


で、作品としてはどうなのか、というと

とにかく真面目に作られた映画だなぁ、という印象なのですが、いくら科学的描写が正確とはいっても、半世紀以上も前の作品。今見ると・・・どうでしょう?

そして25万ドルという低予算。推して知るべし、といったところでしょうか。

致命的なのは、こういったテーマの作品では最も重要な要素の一つであるサスペンスが全く盛り上がらないところ。

これは予算とは無関係。

映画の前半、エージェントが研究所で科学者の説明を聞くシーンにやたらと時間を費やしているのはどうした事か? SF映画というよりも科学技術館に訪問した客が講義を聞いているような雰囲気で、これが映画の半分以上を占めています。ストーリーが全く進まず、映画も残り15分となった頃にようやく二台のロボットの反乱に気付くという・・・

台本が悪いのか、監督さんの演出が悪いのか? おそらく両方。画期的なテーマの作品なのにその恐怖が上手く描かれてなく、はっきり言って凡作。まぁ、客観的に見て駄作というほど酷くはなく、好みの分かれそうな作品です。

私は、どちらかと言えば好きなので、あとは個人的に印象に残った事でも

まずは、オープニングとエンディングに使用されたレトロなイラスト。


これはいい雰囲気です。

次はこの映画のヒロイン。


実験室で科学者の助手を務めている女性がヒロインかと思ったらあっという間に殺されて、あれ? と思っていたら次のシーンで登場するキツイ顔をした女性エージェントがこの映画のヒロインでした。

助手のお姉さん(写真左)の方がよっぽど魅力的だと思うのは、好みの問題なのでしょうか?

「新しいアルミニウム合金」でできているという反重力ベストのテストシーン。


あはは、これは間抜けなシーンです。反重力というよりも、軽業師のアクロバットにしか見えないんですけど。しかも笑顔でポーズ決めてるし。
女性が男性を持ち上げるシーンでは、男性の上半身が映らず。明らかに鉄棒にでもぶら下がっているというコントのようなシーンには笑ってしまいました。
この当時でもワイヤーの技術はあったはずなのに何故こんな事を・・・?

最後はこの映画の主役とも言える、ゴッグとマゴッグと呼ばれる二台のロボット。


キャタピラにマジック・ハンドのようなものが付いたそのデザインは個性的でいいですね。

ただ、

静止画では分かりませんが、実際に動いているのを見るとこれが陳腐というか・・・

あらゆる部品がふらふらと動くその姿はまるで重量感が無く、とても金属製とは思えません。ほとんどプラモデルみたいでした。
ポスターにも描かれているように、クライマックスではこの二台のロボットと死闘を繰り広げるわけなのですが、机の上に逃げれば大丈夫じゃないの? って思えるくらいの迫力の無さ・・・これも低予算ゆえ?

オマケに敵国スパイの飛行機。


最後に撃墜されて終わるこの飛行機。これって流線型の宇宙船では?

今回は写真が多かった

結局こういうの嫌いじゃないという事ですかね・・・

謎の空飛ぶ円盤


『謎の空飛ぶ円盤』(1950)は、マイケル・コンラッドが監督、製作、脚本、主演の全てを一人でこなした作品。

と聞けば、これはもう絵に描いたようなB級映画であるという事が分かるわけですが・・・

注目すべきは、この作品が製作された年。

1950年といえば「空飛ぶ円盤(UFO)」という概念ができたケネス・アーノルド事件からわずか三年後。

それでは「空飛ぶ円盤」が初めて映画に登場したのは? と考えてみたところ・・・

テレビ・シリーズでは『Bruce Gentry』(1949)という「空飛ぶ円盤」が登場する連続活劇が存在したようですが、映画としてはこの『謎の空飛ぶ円盤』が最初ではないかと。

たぶん

しかもこの作品が作られたのは、まだSFブームが本格化する前の事です。UFOという題材を扱った最初の主要作品であり、SF映画史にその名を残していても不思議ではない映画のはずですが、その類の本やビデオでこの作品を目にする事はほとんどありません。

それは何故か?

実際に映画を見てみると、その理由が分かるような気が・・・

アメリカ合衆国の全域で目撃される空飛ぶ円盤。ワシントンD.C.に呼び出されたマイク・トレント(マイケルコンラッド)はその謎を解明するため、女性エージェントのヴィー・ラングリーと共にアラスカへと向かう・・・

といった内容なのですが

オチを最初に言ってしまうと、これは他の惑星から飛来した円盤ではなく、ソ連が極秘に開発していたもの。


つまりこの映画は、侵略物でもなければ宇宙SFでもなく、どちらかといえばスパイ物に近い作品なのです。

ある意味これは興味深い、というか非常に珍しい映画ですね。

たしかにUFOが目撃され始めた当時は、宇宙人の乗り物という考え方とは別に、どこかの国の秘密兵器なのでは、という説も多かったようですが、実際にこういう設定の映画が存在していたのは驚きです。

それでも内容がよければ、まだ救われたのでしょうが・・・

見せ場であるはずの円盤の登場シーンがトータルでも数十秒程度だったり、格闘シーンがわざわざ相手のパンチを待っているのか、というほどわざとらしかったり、もう書くのが面倒くさいほど全てが酷い。

これでは、映画史に名を残すどころではありません。

ただ、当時の目撃例を忠実に再現したと思われる円盤の飛行シーンは結構迫力がありました。

えーと、

この作品、全く楽しめなかったのか、というとそんな事はありませんでした。

最大の見どころは、この映画全編で見られるアラスカの風景。

このアラスカのシーン、主人公がちゃんと映っているので流用フィルムばかりではなく、実際のロケしたものが多く使用されているようです。

ほとんど映画の半分くらいを占めるのでは、と思われるほど多く挿入されている風景のショットは素晴らしく、まるでドキュメンタリー映画を見ているようでした。実際、アラスカの風景を見せたいだけじゃないの?って思わせるほど不自然なくらい多いのです。

ただ、そのせいで物語が全く進行しないんですけど・・・。この監督一体何がしたいのかさっぱりわからん。

空飛ぶ円盤が描かれたポスターと、原題の“THE FLYING SAUCER”から想像されるような内容を期待していると落胆する事間違いなしですが、

アラスカの風景を撮ったドキュメンタリー映画として鑑賞するとなかなか面白いという、なんとも不思議な作品でした。

SF映画だという事を忘れていまうほど美しいアラスカの風景ショット!


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