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火星着陸第1号


古いSF映画のファンにはたまらないデザインのポスターは『火星着陸第1号』(1964)

えーと、SF作品にも細かく別けると色々なジャンルがあるわけで・・・

地球侵略、モンスター、タイム・トラベル、近未来などなど。中でも私が好きなのは、宇宙SFというやつ。別の惑星を舞台にした作品、あるいは宇宙探検物とでも言えばいいのでしょうか。
未来を描いたはずなのにノスタルジーを感じさせる、というのも私が古いSF作品が好きな理由の一つで、特にそれが顕著なのが宇宙SFというジャンル。
地球ではない別の惑星の風景、宇宙船の外観と内部、さらには光線銃や無線機などの小道具まで、未来的でありながらもレトロなデザインを堪能するのも古典SFを見る時の楽しみの一つなのです。
いわゆるレトロフューチャー。昔の人が考えた未来像を見るのって本当に面白い。

いきなり前置きが長くなりましたが

この『火星着陸第1号』もそんなレトロなデザインが多く見られる作品です。


宇宙船「エリナーM」は、流星群により予定のコースを外れ火星に不時着。宇宙飛行士のドレイパーとペット(実験用か?)の猿は、わずかな酸素と食料でのサバイバル生活を余儀なくされる。ある日、ドレイパーは一人の異星人と出会う。彼は火星の鉱物を採掘するために送られてきた奴隷であった。脱走を計り逃げてきた異星人に敵意がない事が分かると、ドレイパーは彼をフライデーと名付け、共同生活を始める。異星人はフライデーの居場所を突き止め、攻撃を仕掛けてくる。住居を破壊され、異星人の追っ手から逃げながら食料と水を求める苦難の旅が始まった・・・

昔テレビで放送された作品の中でもとても印象深い作品の一つで、“ROBINSON CRUSOE ON MARS”という原題からも分かる通り、これは『ロビンソン漂流記』の舞台を火星に置き換えた作品です。

さて、この作品にはいくつかの見逃せないポイントがあります。


テレビ・シリーズ『バットマン』のアダム・ウェストが出演していました。
火星に不時着した時点で事故死してしまうという脇役だったのがファンとしてはちょっと残念。

監督はあの名作『宇宙戦争』(1953)のバイロン・ハスキン。
SF・ファンタジー関連の作品では『宝島』(1950)、『黒い絨氈』(1954)、『宇宙征服』(1955)、『キャプテン・シンドバッド』(1963)などを監督しています。

そして、脚本を手がけているのが、イブ・メルキオール。
何故かこの人が絡んだ作品は不思議とツボにはまるんですよねぇ・・・。監督作品である『巨大アメーバの惑星』(1959)をはじめ、脚本を担当した『原始獣レプティリカス』(1961)、『S.F.第7惑星の謎』(1961)、『タイム・トラベラーズ』(1964)、『バンパイアの惑星』(1965)など、どれもお気に入りの作品ばかり。

監督が同じという事もあってか、異星人の円盤が『宇宙戦争』のものとソックリ。
特撮担当が違う人のせいか、全く異なるイメージで多少デザインも変更されています。光線を連射し、火星の岩肌を破壊しながら迫り来る姿はかなりの迫力で、この作品の見どころの一つ。そのすばやい動きは『宇宙戦争』のものとはまた違った怖さを感じさせました。

岩だらけの地表、火山の爆発、寂しげな夜景から雪景色まで、季節によって変化する火星の描写はとても美しく、見ていて飽きる事がありません。地表シーンのロケ地はカリフォルニアのデス・バレーだそうです。

大宇宙に一人ぼっち、というシチュエーションの映画って何故か惹かれるものがあります。
『サイレント・ランニング』(1972)や『惑星ソラリス』(1972)、『第5惑星』(1985)など、この手の作品には傑作が多いような気がします。
登場人物が少なくてストーリーがシンプルな分、観客を飽きさせないための工夫がなされているからでしょうか?

この『火星着陸第1号』も、酸素を生み出す鉱物の発見、機材を利用した砂時計の製作、相棒の猿が食料や水の発見に一役かったりと、物語が単調にならないための工夫が随所に見られました。客観的に見て、傑作とは言えない出来ですけど・・・

最後にレトロなデザインの宇宙船やメカ。


脳内麻薬物質が激しく分泌されるような快感。やっぱりいいなぁ、こういうの・・・

マックィーンの絶対の危機


『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)』(1958)は、隕石と共に飛来した宇宙生物が人間を襲うというモンスター・パニック映画。

昔は何度もテレビで放送されていた、とっても懐かしい作品です。

最初は小さな塊だったブロブ(ブヨブヨのしずくといった意味)が人間を飲み込み、みるみるうちに巨大化していく。最初にその存在に気付いたスティーブは警察に行くが信じてもらえず、自ら恋人や仲間と共に捜索を開始。人々がその存在に気付き、警察や軍隊が動き出した時には、映画館を飲み込むほどの大きさになっていた・・・

ところで、この映画のタイトル『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)』って全く記憶にないんですけど・・・

『人喰いアメーバの恐怖』

テレビで見ていた人にとっては、こっちの方が馴染みがあるかも。何時から『マックィーンの絶対の危機』になったのか。

スティーヴ・マックィーンの出世に伴い劇場公開された時か、あるいはビデオ発売時にマックィーン人気にあやかって、という事なのか私は知りませんが、まぁどーでもいいです。

この映画で印象に残る事といえば

まずはオープニングのテーマソング。

とてもモンスター映画とは思えない陽気、というか呑気な主題歌を作曲したのは、あのバート・バカラック。

なるほど、確かに言われてみれば、ですが・・・

バカラックの一番有名な作品は、『明日に向って撃て』(1969)の主題歌「雨にぬれても」あたりでしょうか。ちなみに私のお気に入りはエルビス・コステロの歌う「I'll Never Fall In Love Again(恋よ、さようなら)」これもたしかバカラックの作品だったと記憶しています。

えーと、

次はこの映画の主役、手作り感たっぷりのジェリー状のモンスター。


被害者が増えるたびに大きくなっていく、人を飲み込と赤っぽく色が変わり、通気口を通ると黒っぽくなったり、などの演出は結構効果的で、昔はそれなりに怖かったものです。

ビニール系の素材に着色したものを使用した、と何かで読んだ気がしますが詳細は分かりません。

主役を演じたスティーヴ・マックィーンですが


とてもティーン・エイジャーには見えないなぁ、と思って調べてみたら、スティーヴ・マックィーンの生まれは1930年の3月。この映画の製作が1958年だから、撮影時には若くても27歳ごろという事になります。

それにしても見事な老けっぷりは、ほとんどオッサンと言っていいかも・・・

さらに


左上の画像。映画館のシーンでは『禁断の惑星』のポスターが! 映画のタイトルは「吸血鬼とロボット」

右上の画像は若者達が映画館に集結するシーン。一人がおもいっきり滑って転びそうになっているのは爆笑もの。普通NGでしょ。

下の二枚の画像は、映画館から避難する群衆のシーンなのですが、良く見るとエキストラのほとんどが笑ってます・・・

わずか24万ドルで製作されたというこの映画。

製作のジャック・H・ハリスは『4Dマン』(1956)や『最後の海底巨獣』(1960)、『マックィーンの絶対の危機』の続編となる『悪魔のエイリアン』(1971)などのSF作品を制作している低予算専門のプロデューサー。

おそらく1950年代に多く作られたドライブ・イン・シアター向けモンスター映画の一つだと思うのですが、意外と良く出来ているなぁ、といった印象でした。

被害者の死体が無いので悪ふざけだと思われてしまい、若者達が協力して・・・、といったプロットや、キッチン・ダイナーに閉じ込められたマックィーンらの脱出劇、そして“THE END”のタイトルが形を変えて「?」マークで終わるという思わせぶりなエンディングなど、おぉー上手いなぁ、と思わせるシーンが結構ありました。

若き日のマックィーン目当てで見るものいいのですが、彼の名声に頼らなくても、充分に鑑賞に堪えうる作品だと個人的には思っております。

巨大蟻の帝国


巨大蟻の帝国(1977)

この映画の製作と監督は、本物の生物を合成で大きく見せたモンスター映画を連発し、Mr.BIGと呼ばれたバート・I・ゴードン。

バート・I・ゴードンの最高傑作は何か?

単なるビルの写真の上に実物のイナゴを這わせただけという、驚愕の特撮を披露した『終末の兆し』(1957)

爆弾の放射線を浴び巨大化、凶暴化した人間の悲哀を描いた『戦慄!プルトニウム人間』(1957)

Mr.BIGらしからぬファンタジー映画『魔法の剣』(1961)

えーと

傑作と呼べるほどの作品が無さそうなので・・・

バート・I・ゴードンの代表作は何か?

私の世代となると、『巨大生物の島』(1976)か『巨大蟻の帝国』(1977)あたりかなぁ、と。

作品の出来は前年の『巨大生物の島』の方がずっとマシな気もしますが、今回書くのは『巨大蟻の帝国』

代表作には程遠い出来栄えの作品なのですが、昔は良くテレビで放送されていて、個人的に最も印象に残っているのがこの『巨大蟻の帝国』なのです。

実際、この作品ってかなりの回数が放送されていましたよね?

映画の内容は、別荘地の下見に集まった人々が、海に廃棄された放射性物質の影響で巨大化した蟻に襲われる、というもの。

何とか逃げ延び、民家を見つけた一行がパトカーで町へ到着するのだが、どうも人々の様子がおかしい。
実はこの町の住人は、女王蟻のフェロモンによって洗脳、支配され、蟻のために働く奴隷となっていたのでした。

昆虫が大嫌いな私にとっては、子供の頃はそれなりに怖かったのですが、今みるとちょっと・・・

たとえば、「この作品を褒めろ」とか言われても

私にはとても出来そうもありません(笑)

ストップモーションのファンの私にとって、実際の動物を合成して大きく見せる、という手法には全く魅力を感じないのです。

えーと、褒めるのが難しいので、適当に思った事を綴ってみましょう・・・


この作品の主人公や犠牲者たちは、リゾート地に集められたごく普通の人々。

というわけで

巨大生物との知恵比べや武器を駆使して戦う攻防戦などの見せ場があるはずもなく、ただひたすら逃げ惑うのみ。

どちらかといえばホラー映画っぽい演出。逃げては殺され、洗脳され、ひらすらそれの繰り返しで盛り上がりに欠けます。

しかも、次に殺される人があまりにも分かりやすい・・・

蟻目線、最初は怖かったけど、こればっかしでしつこい。

実写との合成が無いと単なるどアップにしか見えない蟻の映像はどうかと思いますけど。もっと高速度撮影して、ゆっくり再生して重量感を出せばいいのに・・・

あまりにも作り物然としたハリボテの頭部で恐怖感を出そうとしても、それは無理というもの。
カメラをあまりにも激しく揺さぶってハリボテの出来の悪さをごまかそうとするなど、こんな子供だましの特撮では、とても大人の鑑賞に堪えられるとは思えません。

この作品の見せ場の一つが、巨大な砂糖工場に蟻の行列が集うシーン。


蟻に演技指導できるはずもなく、上に登ろうとする奴や空中で手足をバタバタさせる奴、さらには反対方向に引き返す奴もいて動きがバラバラ・・・

あとは

音楽は完全に『ジョーズ』のパクリですね。

ヒロイン役のパメラ・シュープ、結構可愛いなぁ・・・

などなど


えーと、批判的な事ばかり書いてしまいましたが

映画の冒頭に蟻の生態を映し出した記録映画を見せ、蟻の持つ知能とその恐ろしさを視聴者に植え付ける。そのナレーションが伏線となり後半の蟻に支配された町の出来事につながる、というのは良いアイデアだったと思います。

蟻の習性やその恐ろしさを活かした設定とストーリーの展開は見事。

ただ、凡庸な演出と低レベルの特撮のせいで全てが台無しになってしまった、という印象ですけど。

1970年代後半は動物パニック映画がブーム。1977年といえば『スター・ウオーズ』や『未知との遭遇』が公開された年。

『終末の兆し』から20年、当時と全く変わらない技術で撮影された『巨大蟻の帝国』恐るべし!

時間の浪費とまでは言いませんけど、愛すべきB級映画とも言えないような・・・

謎の大陸アトランティス


『謎の大陸アトランティス』(1961)は、ジョージ・パルが名作『タイム・マシン/80万年後の世界へ』(1960)に続いて製作、監督した作品です。

映画の舞台となるのはもちろんアトランティス。

ギリシャの猟師デミトリオスが、船が難破して漂流していたアトランティスの王女アンティリアを救助するところから映画は始まります。

何日もの航海の末にアンティリアを故国アトランティスへと送り届けたデミトリオスは、野心家の軍務大臣ザレンの策略により奴隷となってしまう。
アトランティスは高度に文明が進んだ国で、人間を半人半獣に変える科学力を持ち、太陽エネルギーを巨大な水晶に蓄え、殺人破壊光線を放つ秘密兵器を製造していた。
この殺人兵器を使い世界征服を企むアトランティス。
王女と恋仲になったデミトリオスは平和主義者のアトランティス人を仲間に引き入れ、奴隷達を扇動し、アトランティスの世界征服を阻止しようと立ち上がる。

といったストーリーなのですが、この作品ちょっと変わっています。

普通アトランティスを舞台にした映画といえば

とうの昔に海の底に沈んでしまったのだが、一部の人間がまだ生き残っていて、海底で独自に文明を発展させていた、という設定の作品がほとんど。

しかし

この作品はまだアトランティスが存在している時代の物語。そのアトランティスが火山の爆発により、一夜にして大海に没するまでが描かれています。

そして生き残った人々が船に乗り、四方八方に散らばってその文明を世界中に伝えていった・・・というのがこの映画のオチとなっています。

これは非常に珍しいですね。

私はこの作品とても気に入っているのですが、ジョージ・パル作品にしてはちょっと荒唐無稽な作品だなぁ、という印象。


夢のシーンで全身青塗りの変なオッサンがでてきたり(ハリーハウゼン作品『アルゴ探検隊の大冒険』のトリトンみたい)

不思議と音楽がアラビアン・ナイト的だったり(これはこれで結構よかったのですが)

アトランティスで行われている人体実験は、誰が見ても『ドクター・モローの島』だし・・・

しかし、プロジェクト・アンリミテッドが担当したスペクタクルな特撮シーンはさすがの一言。ジム・ダンフォース、ジーン・ウォーレン、ウォー・チャンなど、パル作品ではお馴染みのメンバーが参加しています。


魚を模った潜水艦とその窓から見えるアトランティスの風景。古代ギリシア・ローマ風の景色と建造物。巨大な水晶を使った破壊兵器などはどれをとっても素晴らしいデザイン。そして、クライマックスで見せる圧巻のアトランティスの破壊シーンはこの映画の最大の見どころ。

あと

この映画は、他の作品からのフィルムや小道具が多く流用されていることでも知られています。もしかしたら、この事実がこの作品の評価を微妙なものにしている原因かも知れませんけど。

MGMの大作『クォ・ヴァディス』(1951)からは競技場や大地震の場面。『プロディガル』(1955)から寺院の大きな像。パル自身の作品『黒い絨氈』(1954)からは蟻の群がるシーンと一部の風景、などなど。

良く見ると俳優さんの背後に『禁断の惑星』(1956)で使用されたクレル文明のメーターのようなものが・・・


遊び心あり、予算の都合もあり、といったところでしょうか。

昔は何度もテレビで放送されていたものの、パルの作品にしては低めの評価。未だにDVD化もされず、このまま幻の作品になってしまいそうな予感が・・・

SF宇宙船帰投せず!/惑星テラ不時着の恐怖


典型的なB級作品の『惑星テラ』(1973)はアメリカのTVムービー。この映画はたぶんビデオ化もされていないと思います。昔テレビで放送されたことがありますが、覚えている人がいるかどうか・・・

この映画の主人公はネイル・ストライカーという一人の宇宙飛行士。

乗っていたロケットがトラブルに見舞われ墜落。病院のベッドで気がついたストライカーは、体が回復しても外出する事は許されず、どうも様子がおかしいと思いはじめる。
病院を抜け出し、電話をしようとするが知っている番号が見当たらず、とりあえずこの場から離れようと車をヒッチハイクする。
車内から見えたのは、夜空に浮かぶ三つの月。
不時着して地球に帰還したのだと思っていたのだが、そこは地球そっくりの別の惑星だった・・・

というわけで

これは以前に書いた『決死圏SOS宇宙船』(1969)と非常に良く似た設定の映画です。

地球と全く区別のつかない「反地球」に墜落した『決死圏SOS宇宙船』とは違い、住民がテラと呼ぶその惑星は、Perfect Orderと呼ばれる全体主義政府によって支配されており、別の惑星から来たストライカーは、独裁体制の政府に追われる事になってしまう。

政府に反対する科学者の助けを借り、宇宙船を奪って惑星からの脱出を図る主人公の逃亡劇を描いた作品です。

最も印象に残るのが、ちょっとだけ切ないラスト・シーン

追手からは逃れたものの、テラからの脱出に失敗した主人公は海岸に泳ぎ着き、近くにいた夫婦に助けられます。
海の上に浮かぶ三つの月をじっと見つめる主人公。やがて彼は振り返り、歩き始める・・・


立ち去る主人公のバックに三つの月、このエンディングは一度でも見た人なら記憶の片隅にずーっと残っているのではないでしょうか。

この作品は、テレビシリーズのために準備されたパイロット版だそうです。

なるほど

だから、これからもテラからの脱出を目指した主人公の戦いは続くのだ、みたいなエンディングになっているのですね。

どことなく『逃亡者』(1963〜1967)を思わせ、『プリズナーNo.6』(1967〜1968)っぽい所もあるし、まぁ、そういった路線を狙ったのかも知れませんけど。

あとは個人的な感想でも

どうしても触れておきたいのが映画の冒頭、飛行士たちがトラブルに見舞われるシーン。

普通こういう船体が揺れる場面って、カメラを激しく動かして表現しますよね?

なんとこの作品では、俳優さんたちが単に座席の上で、自らガクガクと上下左右に震えていたという・・・

あまりの滑稽さに私は思わず吹き出してしまいました。これは酷すぎる、俳優さんがかわいそうです。

あと印象に残った事といえば

会話の多い映画だなぁ、という事。しかもほとんどが顔のどアップで。

地球とテラの風景が全く同じというのもマイナス。一応違う惑星なのだから、少しは区別したらいいのに。これではビジュアル的な面白みが全くありません。

こういったサスペンス性を持つ作品って、決して嫌いではないし『決死圏SOS宇宙船』と比較さえしなければ、とも思うのですが・・・

えーと、個人的に特に思い入れのある作品でもなく、名作とも思わないし・・・まぁ、懐かしいだけですね、これは。

色々な作品の二番煎じっぽいし、特撮はほとんど使われていないし、シリーズ化されなかったのも仕方が無いのかなぁ、といった印象の作品でした。


俳優さんたちは、そこそこ有名な人が・・・

サイレント・ランニング


『サイレント・ランニング』(1972)

地球上の植物がほぼ全滅してしまった近未来が舞台。
地球緑化計画のもと、わずかな動植物は巨大な宇宙船のドーム内で育てられていたのだが、地球政府から計画の中止とドームの爆破、そして地球への帰還命令が発せらる。植物学者のローウェルは、ドーム爆破の準備をしていた同僚達を殺害し、事故に見せかけて逃亡を図る。

という話なのですが・・・

この映画、公開当時の評価は低く、興行もヒットしなかったそうです。

ロボットとのやり取りとブルース・ダーンの一人芝居に終始する映画の後半を退屈と感じた

あるいは

主題であるはずの環境破壊、自然保護の描かれ方がちょっと希薄で、中途半端。

このあたりが評価されない理由なのでしょうか?

確かに低予算で地味。暗い内容とその独創的すぎるプロットは見る人によって評価が分かれるところでしょう。

誰もが認める名作とは言えないかもしれませんけど、私はこの作品とってもお気に入り。

胸に突き刺さるようなシーンが多く、いつまでも心に残る作品であることは間違いありません。

そして、見終わった後の余韻といったら・・・

この映画を監督したのは、特撮マンのダグラス・トランブル


SFファンならば誰もが知っているSFXのエキスパートは、『2001年宇宙の旅』(1968)でスーパーバイザーを務めた後、『アンドロメダ…』(1971)で特撮を担当。その後『未知との遭遇』(1977)や『ブレードランナー』(1982)などで特撮を担当し、その名声は不動のものとなります。『サイレント・ランニング』の予算はわずかに100万ドル。撮影期間が17日と聞いた時には驚きました。土星周辺での特撮シーンはこの映画の見どころの一つでしょう。

映画のタイトルとヴァリー・フォージ号についてですが


「USSヴァリー・フォージ」というのは、実在するアメリカ海軍航空母艦の名前で、映画に登場する貨物室や居住区などは、実際にその内部で撮影されたそうです。

「サイレント・ランニング」というのは、潜水艦用語で「深く静かに潜航する」という意味。ヴァリー・フォージ号の行動を表す言葉でもあり、これをそのまま映画のタイトルに使用したとの事。

主人公ローウェル


ブルース・ダーン演じるローウェルはひとりよがりで傲慢、やたらと怒りっぽくて融通がきかない性格として描かれています。いくら植物を守るためとはいえ、彼の取った行動はとても正気の沙汰ではありません。

映画の主人公をこれほど歪んだ性格に設定するとは非常に珍しく、これだけでも普通の作品とはちょっと違う、という事が分かります。

ローウェルは相当嫌なやつなのですが、私はそれほど気になりませんでした。

他の乗組員たちが、自然保護などには興味が無い怠け者のように描かれていたので、いつの間にかローウェルに感情移入してしまったのがその理由と思われ・・・勝手に自己分析。

こいつらは殺されても仕方がないような人物だ、といった考えがいつの間にか意識に刷り込まれてしまい、ローウェルの殺人を正当化。まるでローウェルが正義を行ったかのように錯覚してしまったようです。

冷静に考えてみると、いかなる理由があったにせよ、彼の取った行動は許されるはずのない事なんですけど・・・

あと、私がブルース・ダーンという役者さんを好きだ、という事もおおいに関係しているような・・・

三体のドローン


この作品で最も印象に残るのがこの三体のロボットたち。
ベトナム戦争で両足を切断された人が中に入って演じていた、というのは有名な話ですね。
ヒューイ・デューイ・ルーイというのは、ディズニーのキャラクターで、ドナルドダックの甥にあたるアヒルの3つ子から取った名前。
仲間の死を悲しむ様子や、怪我(というよりも破損)したヒューイを心配そうに見守るデューイの姿が健気で可愛い。
そして、一人残されたデューイが宇宙空間を見上げた後、寂しそうに歩くラストシーン・・・感情移入せずにはいられない名キャラクターでした。

えーと、

この作品を見ていて、細かい突っ込みどころがやたらと多いのが気になった人もいるかもしれません。
これは本来特撮マンであるトランブルが、自ら製作、監督、原案、特撮をこなして完成させたという事実と全く無縁ではないような気がします。

何故、政府はいきなり計画の中止を決定したのか? これは見ていて唐突な印象を受けました。えぇ!何で?みたいな。

科学者なのに植物が枯れ始めた理由に気付くの遅すぎ。 「そうか、太陽だ。日光が必要なんだ」って、そんな簡単な事が何故分からなかったのか・・・

そもそも、植物を育てようとする宇宙船が、どうして太陽から遠く離れた位置で行動しているのかも疑問。

電球を太陽の代わりにしたのはいいとして、どれくらい宇宙空間で森は生きていけるのかなぁ?

プログラムで動くドローンに感情はあるのか?

などなど

農作業するのにどーして修行僧のような服装をしているの? みたいなどーでもいい事から科学的な疑問まで、違和感を感じるシーンがかなりありました。

でも、はっきり言って

そんな事は全てどーでもいいのです。

私にとってこの作品は叙情詩(叙事詩ではなく)みたいなもの。

あの悲哀に満ちたラスト・シーンを見ていると、科学的な疑問など何処へやら、です。


デューイが手に持つジョーロの絵で悲しさ倍増・・・

バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター!


『バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター!』(1978)

『極底探検船ポーラーボーラ』から二年後、再びランキン=バス・プロダクションと円谷プロが共同製作した作品で、原題は“THE BERMUDA DEPTHS”

監督のトム・コタニは、前作では共同監督だった小谷承靖氏の英語名。特撮監督は円谷プロの佐川和夫氏。

細かいストーリーなど全く覚えていなくても、エンディングに巨大な亀が出てくる映画、といえば思い出す人も多いのではないでしょうか。

しかし、これは邦題のようなモンスター映画ではなく、ほとんどラブ・ストーリー。ジェニーと島にやって来た青年マグナスのロマンスを中心に描いた作品です。

数年前に不可解な死を遂げた父親の死因を確かめるため、子供時代を過ごしたバミューダに帰ってきたマグナスは、生物化学研究所で働く父の友人達を訪ね、巨大生物の捜索に加わる。
そんな時、マグナスは幼なじみのジェニーと出会う。美しく成長したジェニーに魅かれるマグナスだったが、現地の人たちはジェニーの名前を聞くと顔色が変わり、「彼女には近づくな」と警告する。
ジェニーは200年以上前に海難事故に遭遇し、悪魔に魂を売ることにより助かったのだが、その結果バミューダ・トライアングルで永遠に若いまま生き続けるという悲しい運命を持つ少女だった。

えーと、

簡単に言うと、巨大亀を捕獲しようとする科学者たちがいて、その亀と何かの因縁があるジェニーとマグナスが恋仲になり、板ばさみ状態。

捕獲作戦はちょっと『ジョーズ』っぽい感じ。

作戦は失敗し、二人の仲間は死亡。ジェニーは姿を消し、マグナスは失意のまま島を去る・・・みたいなお話です。

この映画は昔テレビで放送された事があるのですが、おそらくその後のビデオ発売などは無かったのではないでしょうか。DVD化も無し。

というわけで、今回は画像を中心に・・・


これは回想シーン、幼いマグナスとジェニーが海亀の甲羅に二人のイニシャルとハートマークを刻みます。貝殻の首飾りをプレゼントしたジェニーは、亀と一緒に海へと消えてゆく。


とても綺麗に撮影されていたバミューダの風景や海。映画全編に流れるヴィヴァルディの名曲が心地よい。


海から現れ海へと姿を消す、神秘的で可憐なヒロイン。


少女と亀の目が光るシーン。詳細は不明ですが、二人の間には不思議な因縁があるようです。


殺された友人たちを埋葬した墓地に、18世紀に行方不明になったジェニーの墓があった、というシーンが切ない。

島を去るマグナスがジェニーにもらった貝殻の首飾りを海へと投げ捨てると、画面は海中に切り替わります。

そこには悠然と泳ぐ巨大な亀の姿があり、その甲羅にはハートマークと二人のイニシャルが・・・

このラスト・シーンは、一度見たら絶対に忘れられないほどドラマチックなものでした。

最後に短い動画
http://palladion.fantasia.to/THE BERMUDA DEPTHS.mov

アメリカのABCで放送された際には、なんと40%という脅威的な視聴率だったそうです。

悲しき魔女と青年の実るはずのない恋。ちょっとだけ恐いけど、ロマンチックで神秘的な作品でした。綺麗な映像に丁寧な特撮。これは間違いなく名作でしょう!

最後の恐竜/極底探険船ポーラーボーラ


最後の恐竜/極底探険船ポーラーボーラ(1976)は、アメリカのランキン=バス・バスプロダクションと日本の円谷プロの合作の秘境冒険映画。

石油探査船ポーラーボーラが北極で海底変化に遭遇。唯一の生き残りであるチャックによると、北極には太古の恐竜が生き残っている世界があるという。ポーラーボーラの所有者で大石油会社の社長、世界的に有名な狩猟家でもあるマステンは、チャック、女性記者フランキー、日本人の川本博士、マサイ族のブンタと共にポーラーボーラで太古の恐竜世界を目指す。

個人的な感想ですけど

この作品は傑作でもなければ、良作、駄作などでもなく、一言でいって「珍作」

どーも、その、何かが変というか・・・不思議な違和感で溢れております。


オープニングの飛行場のシーンでは、何故か特撮のミニチュア飛行機が登場。これ意味無いでしょ?

表向きは研究目的だが、恐竜ハンティングが目的というのがミエミエのマステン。サングラスの位置、ちょっと高すぎないか?

狩猟目的のマステンを非難する役どころのチャックは、マステンの迫力にのまれっぱなしでどうにも中途半端。

北極へ行きたいがためにマステンと寝る尻軽女のフランキーは、その後マステンとチャックの間を行ったり来たり。

ドラマ部分がちょっと弱すぎるかなぁ、といった印象で、探検隊一行はとにかく仲が悪く、喧嘩ばっかし。

目的地に着いてからは

秘境なのに日本そのままの風景に唖然。上高地の大正池という典型的な日本の風景をロケ地に選んだ理由はいったい? まぁ、綺麗な映像ですけど。

そして原始人を演じているのは、全員が顔を黒く塗った日本人。

恐竜の造型は、その、何と言ったらいいのか・・・、ゴジラの声が微妙に合成されていました。

ほとんど活躍する事なく、真っ先に恐竜の餌食になる川本博士。

投石による恐竜退治は、そんなので上手くいくのかなぁ、って思っていたら、恐竜の頭部にポコーンと命中・・・そんな事でくたばるハズもなく、すぐに復活。

ポーラーボーラまで走って逃げる途中「待って、ちょっと休ませて」とフランキー。良く見るとポーラーボーラまでの距離は数十メートル・・・

劇中に使用されている音楽は刑事ドラマのBGMみたいで、最初に見た時は物凄い違和感がありました。

例えて言うならば

昔の青春映画で恋人同士がエッチしている時に、妙に気合の入った女性ボーカルのアップテンポの曲がバックに流れている時のような違和感。そこは、アップテンポじゃなくて、もっとムードを出すところだろう、みたいな。

分かりにくいですかね・・・

えーと、しょーもない突っ込みばかりしているようですが、やっぱりこういう映画は好きなのです。

この作品の一番の特徴は、着ぐるみによるティラノサウルスの独特な動きかも知れません。


円谷プロの怪獣といえば、ゴジラに代表されるように、いかにも人間的な動作が特徴ですが、この作品に登場するティラノサウルスの首から上がクネクネと曲がって動き、アゴが大きく上下に開くその様子は、あまり中に人間が入っているという事を感じさせませんでした。

最初は、首から上を操演で動かしているのかと思ったらそうではなく、人間の手で恐竜のアゴを操作する方法を考案したとの事。尻尾と小さな手は操演によるもので、こちらも違和感なし。

トリケラトプスは人間が前後に二人入って演じていたそうで、なかなかの重量感。ティラノザウルスとトリケラトプスの対決シーンは、この作品の大きな見どころの一つと言っていいでしょう。

映画の最初と最後に流れる、ナンシー・ウィルソンの歌う主題歌のタイトルは映画の原題と同じ“THE LAST DINOSAUR”

「最後の恐竜」とは、生き残った恐竜の事であると同時にマステン自身の事でもあるという、なかなか洒落たタイトルとなっています。ワンマンで横柄なマステンと「最後の恐竜」をひっかけているわけです。

歌詞は以下のような内容

Few men have ever done
what he has done.
Or even dreamed
what he has dreamed.

His time has passed.
There are no more.
He is the last dinoasaur.

Few men have ever tried
what he has tried.
Most men have failed
where he's prevailed.

His time has passed.
There are no more.
He is the last dinoasaur.

The world holds nothing new in store for him.
And things that startle you & me are just a bore to him.
The spark of life has gone.
His light grows dim.
Can there be something left in the world to challenge him?

Few men have ever lived
as he has lived.
Or even walked
where he has walked.

His time has passed.
There are no more.
He is the last dinoasaur.

彼がやったような事は、ほとんどの人は成し遂げていない
ほとんどの人は、彼のようには生きていない

彼の時は過ぎ去り、もう戻らない
彼こそが最後の恐竜

なんだか切ないですね・・・

映画のラスト

「お願い、恐竜を逃がしてあげて。あれは最後の恐竜なのよ」と懇願するフランキーに

「俺もそうさ・・・」

と言い残し、再び恐竜との戦いに挑むため、ただ一人秘境に残るマステンが格好イイ!


このマステンに感情移入できるかどうかで、この作品に対する評価が変わってくるような気がします。素晴らしいプロットが充分に生かされているとは言えないところがちょっと残念。

この作品は去年(2009年)にDVDが発売されていて、その映像特典が凄い。
監督や特撮監督へのインタビューや、メイキング、音声特典としてオーディオ・コメンタリー、さらにはテレビ放送時の日本語吹き替え版まで収録されている模様。

欲しいけど、いまさらって気もするし・・・

さらにネットで検索したら、こんなの売ってました。


何と投石器付き。ちゃちな造型まで忠実に再現しているところが凄い!

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