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原子人間


『原子人間』(1955)はクォーターマス博士を主人公にしたTVシリーズを、ハマー・プロが映画化権を買い取って製作した作品で世界的なヒットを記録。
ホラー映画のイメージが強いハマー・プロですが、この作品の成功でSFにも力を入れるようになり、「クォーターマス」シリーズでは『宇宙からの侵略生物』(1957)と『火星人地球大襲撃』(1967)と二本の続編も製作されました。

人類初の有人ロケットが突如地球に帰還し、ある村に墜落するところから映画は始まります。

三人の乗組員のうち生存者は一人で、他の二名は宇宙船から姿を消していた。
ロケット開発の責任者であるクォーターマス博士が調査に乗り出すが、生き残った宇宙飛行士の姿は次第に怪物へと変化していく。
彼の体には、未知の宇宙生物が寄生していたのだった・・・

未知の生物が体に付着し、地球に帰還。それが怪物に変化して地球が大ピンチ、というパターンは多くの映画に見られるありがちなストーリーと思われそうですが、この作品が作られた1955年当時としては斬新なものだったと思われます。この作品が後の同じパターンの映画のフォーマットになったと考えるのが正解かもしれません。

しかし、特撮に関しては低予算丸出し。

クライマックスとなるウェストミンスター寺院でのシーンではも、タコのように変化した怪物が姿を現すのですが、特に大暴れするわけでもなくゆらゆらと動くだけで、最後は意外と地味に殺されてしまうという・・・

この映画、明らかに特撮などのビジュアル面を楽しむ映画ではありません。優れたサスペンスとストーリーを堪能すべきでしょう。


個人的に好きなシーンその一

乗組員の唯一の生存者であるヴィクターを演じたリチャード・ワーズワースの演技。骨と皮膚が日々変化していく様子の特殊メイクは秀逸でした。

その二

主人公クォーターマス博士を演じたブライアン・ドンレヴィの演技、というか、この作品でのクォーターマス博士の人格。実験を失敗しようが、怪我した男の妻に責められようが、警察に追及されようが全くめげない。気持ちいいほど堂々とした演技。自らの実験の失敗から怪物を生み出し、多大な犠牲を出したにも関わらず、「実験再開だ」の一言を残して現場を立ち去る後姿の頼もしい事! でも見る人によっては腹立つんだろうなぁ・・・

その三

事態を重く見た政府が、ウェストミンスター寺院からのテレビ放送を通じて国民に警告を発する場面。

テレビ放送中に死体が映し出されるという緊急事態が発生。そして寺院に現れた怪物を偶然TVカメラが捉えてしまう。皆が見守る中、TVカメラを通して怪物がその全貌を現す、というゾクゾクするようなサスペンスは見ごたえあり。

この素晴らしい演出に私はマジで感動しました。

低予算だからって、この作品を他の1950年代のB級作品と一緒にしてはいけません。SFファンならは絶対に抑えておきたい一本です!

最後に、「クォーターマス」シリーズの第二作目『宇宙からの侵略生物』についてちょっと。


前作とほぼ同じメンバーで製作された作品で、内容は侵略物SF。

取り付かれた人々は意識を支配され、助けを求めて駆け込んだ警察の警視総監までもがいつの間にかエイリアンに・・・って、これはほとんど『ボディ・スナッチャー』と一緒じゃないですか。

監督のヴァル・ゲストは『ボディ・スナッチャー』の存在も知らなかったって言ってますが、真相はどうなんでしょう?

でもまぁ、面白いです。サスペンス性は前作以上、とだけ言っておきましょう。

第三作目の『火星人地球大襲撃』についてはそのうちに・・・

月世界旅行 ジョルジュ・メリエス


ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1902)といえば、世界初のSF映画とされていて、宇宙SFの歴史を語る本やビデオなどでは必ず真っ先に登場する作品です。そんな理由から、ほとんどの特撮ファンはこの作品を知っていることでしょう。

例えば、宇宙船の発射シーンや擬人化された月に砲弾型の宇宙船が突っ込む場面など


しかし、結末まで知っている人は意外と少ないかも・・・

砲弾型の宇宙船で月へと到着した六人の科学者は、巨大なキノコを発見して大喜び。やがてシレナイトと呼ばれる月の住人に出会います。
戦闘的なシレナイトに襲われた科学者たちは、持っていた傘で対抗。傘で叩くとボンッと煙になって消滅してしまいます。
なんとか追っ手を振り切って、再び宇宙船で地球へと帰る・・・

とまぁ、15分程度の作品なので、あらすじはこんなところです。

映画全編を見ていない人は、発射台が無いのにどうやって地球へ帰ったのか、と疑問に思うことでしょう。私が最初に見た時には、その意外さに結構ビックリしたものです。

想像もしなかったその帰還方法とは、なんと自然落下。

月にある崖の上から宇宙船を落とすとそこが地球の海だった、というのがオチ。地球の上にある(と思われる)月から地球まで落っこちるという・・・なんとも大らかというか、アホらしいというか。そして内部に空気が密閉されていたため海面まで浮かび上がり、蒸気船に発見されて港へと戻って映画は終わり。


こういったリアリティを一切無視した荒唐無稽ぶりは、お客を楽しませようとするメリエスならではのもの。当たり前の事ですが、決して当時の科学水準で考えられていたからではありません。

メリエスは奇術師で、自分の劇場を所有する興行主でもありました。やがて映画作家に転身したメリエスは、さまざまな映画撮影の技法を開発し、映像の魔術師と呼ばれるようになります。そして、その代表作が『月世界旅行』というわけです。

初めて「編集」というものが使用されたのもこの作品で、「複数のシーン」と「ストーリー」が存在した、というだけでも当時としては画期的な事だったのです。

長くなるのでここでは書きませんが、メリエスについて書かれた本などを読んでみると、ショーマンシップに溢れた人物で、非常に優れた芸術家でもあるという事が分かります。

奇術ショーでは大成功を収めたメリエスですが、映画の製作者としては大成しなかったようです。

時代を読むという能力に長けていなかった、といわれるメリエスの作品はステージ・ショーの域を出ておらず、同じような作品ばかりが続き、観客に飽きられるのも早かったとか。

興行主としての視点から映画を作っていたせいですかね?

確かに『月世界旅行』も舞台劇を見ているようですが、私は結構楽しめます。

映画制作で負債を重ねたメリエスは、1912年には映画界から身を引き、ついには破産してしまいます。晩年は駅のキオスクで店番をして生計を立てていたそうで、1938年に極貧のうちに死去したという事です。

この作品が作られた1902年は、日本では明治35年ですか・・・

こういった作品は、当時の観客になったつもりで鑑賞する、というのが一番いいのかも知れません。

猿人ジョー・ヤング


今回は1949年の『猿人ジョー・ヤング』

この作品はレイ・ハリーハウゼンの実質的なデビュー作で、チーフ・アニメーターとしてストップモーションのほとんど(約85%)を担当したそうです。セカンド・アニメーターはピート・ピータースン。

ストーリーは、ジョーと少女の友情物語、というありがちなものですが、個人的には「類人猿もの」の映画では最高傑作の一つだと思っております。前回べた褒めした『キング・コング』よりもこっちの方が気に入ってるくらいで、比較してみても劣っているのは全体的なスケール感の違いくらいのものでしょう。

監督のアーネスト・B・シュードサック、製作のメリアン・C・クーパー、特撮のウィリス・H・オブライエン、そして造型を担当したマーセル・デルガドは『キング・コング』(1933)とまったく同じメンバー。

『キング・コング』の大ヒットから約15年。「コングもの」の映画をもう一度作ろうという企画から生まれたこの作品は、その年のアカデミー特撮効果受賞を受賞しました。

二匹目のドジョウを捕らえようとして成功した珍しい例、と言いたいところですが、作品の評価は高かったものの、250万ドルという制作費を回収する事ができず、結局映画としては失敗作という事に・・・

この作品の見どころですが

まずは何と言っても、ストップモーションで動かされたジョーの表情豊かな顔や緻密な動き。十分な制作費と二年間という長い撮影期間のためか、ストップモーション自体がかなり長い時間楽しめるのがファンとってはかなり嬉しい。


ナイト・クラブのショーに出演した時のコミカルな仕草や困惑したような顔、檻での生活に疲れた時に見せる悲しげな表情、お酒に酔っ払うシーンや怒りが爆発した時のキレた演技など、どれをとっても最高の出来栄え。

これはマーセル・デルガドの造型とハリーハウゼンのテクニックの賜物でしょう。

モデルを掴むたびに指の跡が残ってしまう、というのはキング・コングと同じ。

ジョーが動くたびに体毛がチラチラと動くのですが、アップのシーンが多いためかキング・コング以上にはっきりと確認できます。

これって、特撮としては欠点という事になるのでしょうが、いかにも「手作り」というのがダイレクトに伝わるので、見ている方としては結構面白い。

最大の見せ場は、ジャングルを模したナイト・クラブで、ジャングル出身のジョーが大暴れするシーンでしょう。ターザンのようにロープで宙を舞い、ライオンと大立ち回りを演じ、大木をなぎ倒す姿はド迫力。『キング・コング』の重量感に対してこっちは躍動感で勝負、といったところ。合成もかなり良く出来ています。

火事で崩れ落ちる屋敷から少女を救い出すスペクタクルは最高。感動のクライマックスは涙を誘うこと間違いなしです。

故郷に帰り平和に暮らすとジルとグレッグ、そしてジョーの姿が映っている八ミリ(今のビデオレターですね)がオハラの元に送られてきて、それを見た皆が大喜びしたところで映画が終わる、というハッピーエンドがとても心に残る映画です。

さらに

ハリウッドのショーでコングと綱引き対決をする10人の力自慢の中に、実際にボクシングのヘビー級王者だったプリモ・カルネラが出演しているのも、当時の観客にとっては大きな見せ場だったに違いありません。他の9人は誰だか良く分かりませんが、もしかしたら有名なプロレスラーとか?


あとは音楽も印象的でした。

フォスターの名曲「夢路より(Beautiful dreamer)」が挿入歌として使用されています。

Beautiful dreamer, wake unto me
Starlight and dewdrops are waiting for thee
Sounds of the rude world heard in the day
Lull'd by the moonlight have all pass'd a way
Beautiful dreamer, queen of my song
List while I woo thee with soft melody
Gone are the cares of life's busy throng
Beautiful dreamer, awake unto me
Beautiful dreamer awake unto me

オルゴールの「Beautiful dreamer」を子守唄に育ったジョーはこの歌が大好き。口笛でジョーをなだめるシーンからハリウッドのショーの場面、エンディングまで効果的に使用されていました。

そういえばこの曲、学校の教科書にも載っていて、それが原因で嫌いになった人もいるのでは?

さらに半世紀が過ぎ・・・

1998年にはCG技術を駆使して『マイティ・ジョー』としてリメイクされました。

レイ・ハリーハウゼンや前作のヒロイン、ジルを演じたテリー・ムーアがカメオ出演していて、パーティ会場での二人のやりとりには思わずニヤリ。

「彼女、誰かに似ているけど・・・思い出せないわ」

「君だよ、私たちが初めて会った時の」

いいセリフですねぇ・・・

『猿人ジョー・ヤング』に対するリスペクトが随所に感じられる作品で、最初に見た時はそのCG技術に感心してしまいました。

テリー・ムーア、おばあちゃんになっても可愛い。


キング・コング(1933年版)


監督はメリアン・C・クーパー、ウィリス・H・オブライエンが特撮、ストップモーションを担当した『キング・コング』は、もはや何の説明も要らないほど有名な作品。

そんな理由から私のブログでもあえて取り上げなかった作品なのですが、先日久しぶりに鑑賞しまして・・・

いやぁー、やっぱり面白い。

特撮映画の原点ともいえる記念碑的な作品なのですが、それだけではなく現在見ても十分にたのしめる傑作です。

1933の製作という事を考えると驚異的な映像ですね、これは本当に凄い!!

南海の孤島にそびえ立つ城壁、独特のジャングルの雰囲気、コングや恐竜の出てくるタイミング、映画全体のテンポなど、どれをとってもパーフェクト。音楽も含めて文句のつけようが無いほど良く出来ています。

古さを感じるとすれば、ちょっとギクシャクしすぎのストップモーションくらいのもの。それでも、当時の人は相当びっくりしたことでしょう。モンスターを撮影するカメラのアングルが良いので、ド迫力の映像に仕上がっています。城壁を破って外に出るシーン(一番上の写真がそれ)などは本当にシビれました。


こうして書いていても、当たり前すぎる褒め言葉しか出てきませんので、個人的にお勧めのシーンでも。

コングとティラノサウルスの対決は、ボクシングの経験者でもあり、レスリングなどの格闘技が好きだったオブライエンが、その要素を取り入れる事によって生まれた名シーンです。
コングの動きがボクシングのフットワークのようで面白い。そればかりか、恐竜に対して「片足タックルで倒す」、「背負い投げで投げ飛ばす」、「バックに回って背中に飛び乗って首を絞める」などの戦い方はまるで現在の総合格闘技。モンスター同士の肉弾戦とは思えないようなシーンが続出します。

あと面白いのは、コングの毛並みが風でなびいているように見える事。
これはコングの体毛がウサギの毛皮で出来ていて、ストップモーションの撮影中にモデルを掴むたびに指の跡が残ってしまった、というのがその理由。
これはどのシーンでも確認できますが、ラストのエンパイア・ステート・ビルのシーンが一番分かりやすいかも知れません。災い転じて、というか本当に風で毛が逆立っているように見えて面白い効果になっています。

そういえば、ハリーハウゼンは自身の作品では指の跡が残らないように細心の注意を払い、なるべくカメラの反対側からモデルを動かしたそうです。

もう一つ、

オブライエンの作品にしては珍しくモンスターが「演技」をしている事。ラスト・シーンのコングの表情が切ない。

当時の最新技術を導入して製作された『キング・コング』はRKOを倒産から救い、映画史上最も有名なモンスター、コングを生み出し、レイ・ハリーハウゼンが映画界に入るきっかけを作りました。
この作品が特撮映画に与えた影響は計り知れません、そして続編『コングの復讐』が製作されることになるのですが・・・この問題作については気が向いたら、書いて・・・みようかなぁ、と

他に思った事

ヒロインのフェイ・レイ、絶叫シーンが多いなぁ、絶叫専門の声優さんの吹き替えだと思っていたら、本人の声だそうです。

どうして、オブライエンってモンスターの顔のアップをやたらと挿入するのかなぁ? ストップモーション用のモデルと造型が違いすぎて違和感あるんですけど・・・


妖女ゴーゴン


見た者を石化させるというギリシャ神話のゴルゴンが登場する映画言えば、真っ先に思い出されるのが、レイ・ハリーハウゼンの『タイタンの戦い』(1981)でしょう。

『妖女ゴーゴン』(1964)は、ハマー・フィルム・プロダクション製作、ピーター・カッシング、クリストファー・リーの2大スターが競演している怪奇映画。
何回もテレビで放送されていた事もあり、ゴルゴンといえば、この作品を思い出すも多いのではないでしょうか。

ハマー・フィルムといえば

『フランケンシュタイン』や『ドラキュラ』シリーズなど多くのホラー映画の名作を作りだした製作会社。代表作は、『原子人間』(1955)、『フランケンシュタインの逆襲』(1957)、『吸血鬼ドラキュラ』(1958)、『バスカヴィル家の犬』(1959)、『吸血ゾンビ』(1966)、『蛇女の恐怖』(1966)などなど。
ハリーハウゼン作品では『恐竜100万年』(1966)、以前に紹介したこともある『恐竜時代』(1970)もハマー・フィルムの作品です。

『妖女ゴーゴン』の時代設定は20世紀初頭、舞台となるのはドイツの片田舎バンドルフ村と、その村にある無人のボルスキ城。

この村に住む画家と恋人の女性が相次いで死体で発見されるところから映画は始まります。

ドクター・ナマロフ(ピーター・カッシング)と助手のカルラ(バーバラ・シェリー)が女性の死体を解剖室へ運ぼうとすると、死体は石と化していた。その後、警察の捜索により、画家の首吊り死体が発見されるのですが、警察は画家が恋人を殺した後に、良心の呵責に耐えかね自殺したと結論づけてしまいます。

これに納得いかないのが画家の父親であるハイツ教授。

教授は息子の汚名を晴らそうと独自に捜査を開始するが、古城に潜入した際、ゴーゴン三姉妹の一人、メゲーラに遭遇して全身を石に変えられてしまいます。
完全に石化する前に(この作品ではゆっくりと石化が進行するのです)、ハイツ教授が書き残した手紙を読んだ教授の次男ポールは、カルラの助けをかりて真相究明に乗り出します。

これにポールの恩師であるマイスター教授(クリストファー・リー)が加わり調査を進めていくうちに、驚くべき事実が明らかになっていく・・・

だいたいこんなストーリーなのですが、この作品は単なるショッカー映画ではなく、謎解きの過程も楽しめるという、なかなかの良作だと思います。

ところで

この作品では、メドゥーサ、ティシホニー、メゲーラがゴーゴンの三姉妹とされていましたが、ギリシャ神話では、スステノ、エウリュアレ、メドゥーサとなっています。
神話でのティシホニーとメゲーラは、「ゴルゴン」ではなく「エリニュス」と呼ばれる「復讐あるいは罪の追求の女神」の三人のうちの二人です。
翼を持ち、頭髪は蛇の恐ろしい形相をしている、という点は共通してますが、この作品で何故メゲーラがゴルゴンとして扱われたのかは不明。まぁ、深い意味は無いのでしょうが。

女性コーラスが不気味なオープニングの音楽、ドクター・ナマロフの医学研究施設、怪しげな村人たち、数千年も前からゴーゴンが住み着いているというボルスキ城の不気味さはいかにも怪奇映画といった趣。


ドクター・ナマロフは何故、死体が石化した事実やゴーゴンの存在を否定するのか? 全ての村人たちが真実を避けようとしている理由は何か? 伝説によればメゲーラは人の身体にとり付く事もあるという。村人の誰かの中に入っているとすれば、メゲーラの正体は誰なのか?

推理小説風に秘密が解き明かされる過程は見ごたえあり! 

しかし、

登場人物が少ない事もあり、ほとんどの人が映画の中頃には真相に気付いてしまうでしょうけど・・・

そしてやっぱりピーター・カッシングとクリストファー・リーの対決は見ごたえありますねぇ。

バン・ヘルシング教授vsドラキュラ伯爵

最近のSFファンからすると、モフ・ターキンとドゥークー伯爵ですか。

最後ですが、

ちょっと残念だったのが、ゴーゴンの扱い。あれほどのインパクトある造型(メイク)だったにも関わらず、登場シーンがあまりにも少なく、ただ突っ立っているだけでした。アップで見るとチープさが目立つからでしょうか?
そして、ラストのあっけなさは、『タイタンの戦い』の息詰まるメドゥーサとの戦いと比べるとあまりにも拍子抜け。

ミステリアスな展開が楽しめるこの作品に、クライマックスでのゴーゴンとの戦いがプラスされていたら、なんのためらいも無く「名作」と言えたような気がします。

子供の頃にテレビで見て、最も怖かった怪物の一人がこれ。


でもこれって特殊メイクというよりも、ただの「メイク」ですよね? だから尚更怖かったのかも。その辺に本当にいそうな気がします・・・

プリズナーNo.6(Part2)


前回の続きです。

いきなり余談ですが、上の写真に注目!

『プリズナーNo.6』には『新ルパン三世』の元ネタになったと思われるエピソードが二つあります。

第一話の『地図にない村』と第十三話『思想転移』がそれ。

『地図にない村』の基本設定を拝借したのが、新ルパン三世62話「ルパンを呼ぶ悪魔の鐘の音」というエピソード。
これは、ある村に囚われてしまった次元と五右ェ門をルパンが救出に行くというストーリーで、結末こそ違うものの、次元と五右ェ門がそれぞれ、「106号」「107号」というナンバーで呼ばれているところや、村から脱出を図ろうとする逃亡者を包み込んで殺してしまう球体が登場するところがそっくり!

「ナンバーなんかで呼ぶな! 次元と五右ェ門だ」というセリフにちょっと感動。

『思想転移』は、セルツマン博士の残したした機械で、大佐と呼ばれる男と「No.6」の精神が入れ替えられてしまうという話。
「No.6」は目が覚めると別人となってロンドンの自宅にいた。セルツマン博士を連れ帰らないと元の体に戻れない事を悟った「No.6」は、装置を開発したセルツマン博士の行方を捜すのだが・・・

これは、新ルパン三世139話「ルパンのすべてを盗め」とそっくりな話ですが、もしかしたら原作者が独自に思いついただけで、偶然かもしれません。

閑話休題

主人公のパトリック・マクグーハン氏についてちょっとだけ


彼は『007シリーズ』のジェームス・ボンド役の第一候補で、ショーン・コネリーよりも先にをオファーされていたが断った、というのは有名な話。

『秘密諜報員ジョン・ドレーク』(1964〜1966)で評価されたマクグーハンは、『プリズナーNo.6』では製作総指揮、監督、脚本、主演を全てこなし、その名声を不動のものとします。

映画では『アルカトラズからの脱出 』(1979)での所長役が印象的でしたが、多くの人はTVムービーの『刑事コロンボ』でのイメージがあるかもしれません。
『祝砲の挽歌』と『仮面の男』で犯人役、『さらば提督』と新シリーズの『完全犯罪の誤算』、『復讐を抱いて眠れ』、『奪われた旋律』では監督もやっています。

最後に

現在、『プリズナーNo.6』はDVD-BOXで販売されています。全部で6巻ありますが、全てのエピソードが見れなくてもいいのであれば、バラでも入手可能。

ちなみに、『プリズナーNo.6』は7話完結のシリーズとして企画されたものでした。

第一話  地図にない村

第二話  ビックベンの鐘

第四話  我らに自由を

第八話  死の筋書

第九話  チェックメイト

第十六話 最後の対決

第十七話 終結

これが、元々の企画にあった7話です。

諸事情により全17話となったわけですが、中にはシュールすぎて理解できないような話もあります。

というわけで

DVDを買うとしたら、最初と最後、一巻と六巻は必要ですね。基本的には一話完結なので、これに二巻か三巻のどちらかを買えば十分だと思われます。
四巻と五巻には上記のどのエピソードも含まれていないので、全部見なくてもいい、という人には必要ないかもしれません。

でも、ツボに入ったらハマリますよ、この作品は。

プリズナーNo.6(Part1)


『プリズナーNo.6』(原題は『The Prisoner』)は1967年にイギリスで放映されたTVシリーズで、日本でも何度か放送されていますが、これを見た事がある人は少ないのではないでしょうか。

主人公は、パトリック・マクグーハン演じる諜報部員と思われる男。
上司に辞表をたたきつけ自宅へと戻った主人公が荷物をまとめていると、何者かに催涙ガスを嗅がされて拉致されてしまう。
目が覚めてみると、彼は見知らぬ「村」にいた。
世間と隔離された「村」と呼ばれるその場所では、住人は名前を持たず全て番号で呼ばれ、村の至るところに配置されたカメラによって常に監視されていた。
彼に与えられた番号は「No.6」
姿を見せない支配者は「No.1」と名乗り、その代理人である「No.2」は「No.6」に「情報」を提供するよう強要する。

というわけで、

「No.2」が様々な手段で「No.6」から情報を引き出そうとし、「No.6」は知恵と体力を使って「村」から脱出しようと試みる、というのが基本的なストーリーになっています。

面白そうでしょ?

ただ、

良く言えば、奥が深いという事なのでしょうが、あまりにも難解で不条理。謎が謎を呼ぶストーリーは、見る者の判断よって多くの解釈が生まれ、番組終了から40年経った現在でも、熱狂的なファンがこの作品について論争を続けていると思われます。

『2001年宇宙の旅』みたいなモンですかね?

この作品について本気で語ろうとすると何ページあっても足りないので、今回は私自身の解釈は書きません。というか、良く分からんのですけど・・・

とりあえず、

見た事が無いという人向けに、簡単に書いてみましょう!

管理された社会の中で自由を得るために、個人がいかにして戦うのか・・・これが『プリズナーNo.6』のテーマであると言われています。ようするに社会批判ですね。

以下は、番組冒頭で毎回流れるセリフです。

「ここは何処だ?」
「村だ」
「要求は何だ?」
「情報だ」
「どっちの味方だ?」
「今に判る。我々が欲しいのは情報だ。情報、情報・・・」
「喋るものか!」
「何が何でも喋らせる。」
「お前は誰だ?」
「新しいNo.2だ。」
「No.1は誰だ?」
「お前はNo.6だ。」
「番号で呼ぶな! 私は自由な人間だ・・・」

というわけで、

・「No.6」はなぜ辞職し、彼が持つ「情報」とは何なのか?

・「村」はどこにあるのか?

・「No.1」の正体はだれなのか?

探偵物のような謎解きと、今回こそ「No.6」は脱出できるのか…といったサスペンス性が番組の見どころ。

主人公の素性がはっきりとせず(名前すら明かされていません)、「村」を運営している組織がどこの国なのかも視聴者に明らかにしないまま、物語は進んで行きます。

村からの逃亡を企てる者は、「ローヴァー」と呼ばれる物体に阻まれてしまいます。巨大な風船のような物体は、意思があるかのように動き回り、逃亡者を捕らえます。おそらく機械なのでしょうが、その仕組みは全く分からず・・・シュールとしか言いようの無い存在でした。

難解どころか全く理解不能と思われる話もありますが、全部で17話あるエピソードは、SF、スパイ物、西部劇、不条理劇、サスペンス、アクションとバラエティに富んでいてどれも楽しめるものばかり。

シュールで奇想天外ゆえに、なかなか古びないのもまた事実。今でも十分楽しめると思います。

長くなったので次回Part2に続きます・・・

ハゲ頭の宇宙人


今週も休み無しか、疲れたなぁ。

というわけで、

今回は映画ではなく、雑談のような・・・

宇宙人は禿げ頭

前回書いた『マーズアタック』の脳みそ剥き出しの火星人を見ていて思ったのですが、SF作品に登場する宇宙人ってほとんど禿げ頭ですよね?

爬虫類や深海魚のようなデザインが流行った時期もありました。それでも高度な知性をもったエイリアンか? と思ったりもしたものですが、古い特撮映画には人間タイプの禿げ頭宇宙人がよく登場したものです。

あとは、アンテナみたいのが二本生えているとか・・・

H・G・ウェルズの考えた火星人(上の写真右)

エド・カーティアがパルプ雑誌に書いた宇宙人(上の写真左)

FBIに捕まったエイリアン

解剖された宇宙人

『未知との遭遇』に登場した典型的なグレイ・タイプのエイリアン

こらの宇宙人は全部ハゲ頭。

その理由は、ストレスで禿げたとか、仏教徒であるとかそんなアホらしい理由ではなくて、簡単に言ってしまえば、先入観ですよね。

人間が進化した形態=究極の進化形(宇宙人)=毛が無い

という事

下の写真はアウターリミッツの「狂った進化」より、左が普通の人間で、それが進化したのが右の未来人。


猿から進化した人間は、猿よりも体毛が少ない。さらに進化していると考えられる宇宙人は、もっとたい毛が少ないだろう、という単純な発想です。

寒さをしのぐために、服を着るという事を発明した人類は、次第に体毛が必要なくなった、と。進化論的にはそうゆう事らしいです。

そういえば、H・G・ウェルズの考えたタコ型火星人の形態は、一応科学的根拠に基づいて考え出されたものでした。

高度な知性を持ので頭が大きく、諸器官が無用化し、重力が少ないので足は細いというシンプルな理由がそれ。そのイメージが未だに我々の脳ミソにしっかりと刷り込まれております。

禿げで悩む必要が無くて羨ましい宇宙人たちの写真で今回はおしまい・・・


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