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火星超特急


いかにもSFファンが喜びそうなポスターのデザインは、1951年製作の『火星超特急』

アメリカ合衆国が火星探査のために、ロケットを発射。目的地にたどり着いた五人の前に現れた火星人の正体とは? そして宇宙飛行士の運命やいかに・・・

この作品、SFブームをおこすきっかけになった『月世界征服』(1951)の大ヒットに便乗する形で作られたのは明らか。雰囲気も似ています。

しかし、可能な限り科学的に正確に作られた『月世界征服』と比べると、科学的考証などはどこへやら・・・

製作期間はわずかに11日! という典型的なB級作品です。

何とか火星に行き着けても、帰れる保障ないという無鉄砲な計画に唖然。なんでも登山で言う頂上征服が至上命令だそうで、人間の命よりも登頂の方が重視されるという設定。

命の保障が無い宇宙探検にも関わらず、悲壮感は全く感じられず。せめて宇宙服ぐらい着てから出発しましょう。

航行中にはお約束のトラブル発生。着陸装置の故障により、火星への胴体着陸を余儀なくされます。


物凄い勢いでロケットは頭から山に垂直に突っ込み、その衝撃で発生した雪崩に巻き込まれるものの、乗組員は全くの無傷という・・・これはもう、ほとんど漫画かコントの世界でしかありえない。

火星探検に出発する乗組員たち。ここでも宇宙服は無く、簡単なマスクだけの装備で出発。着陸地点には、偶然にも火星の総督が住んでおりました。

火星人は地球人を客人として歓迎し、宇宙船の再建を約束します。

地下に建設された火星の大都市。巨大なビルや空中を飛ぶ乗り物などの描写がちょっとイイですね。火星版エデンの園という設定。思いっきり絵ですけど・・・

通路の壁が斜めで、一列でしか歩けないのには笑ってしまいました。宇宙っぽくしたかったのでしょうが、とても機能的とは思えないデザイン。

あ、忘れてました。前から見た火星人がこれです。


どんな宇宙人が登場するのかと期待していたのですが、地球人そっくり。ビデオのパッケージに騙されました。火星人の方がしっかりと宇宙服を着ているのもなんだか笑えます。

火星にいれば火星に従え

というわけで、女性の服装は、全員超ミニスカート。地球の女性も火星人にならってミニスカート。男も火星の服を着用。これでは、はどっちが火星人だか分からん・・・

さて、友好的と思われた火星人でしたが、実は・・・

宇宙船の再建に協力すると見せかけ、発射の直前に宇宙船を乗っ取り、地球を征服しようと計画していたのでした。火星は鉱物の枯渇により滅亡の危機に瀕し、他の惑星に移住する必要に迫られていたのです。

何故、自力で地球へ行かないのか?

高度な文明を持っているにも関わらず、惑星間航行は失敗の繰り返しなんだとか・・・

どういう設定なんだ、それは?

ここから先は、宇宙船を修理して故郷へ帰りたい地球人と、宇宙船の強奪を策略する火星人の駆け引きが見どころ。

というか、一応このあたりが物語りのクライマックスなのでしょうが、イマイチ盛り上がらない。

計画に反対し、地球人の味方をする火星人の助けにより、脱出に成功。火星人の追っ手を振り切り、宇宙船が飛び立ったところで、いきなりのエンドマーク。

えぇ!? これで終わりなの? みたいな・・・

というわけで、

結構真面目に作られている、というのは分かるものの、突っ込みどころ満載というちょっと困った映画なのです。

個人的には、大好きな流線型の宇宙船がいっぱい映っていた、という理由だけでも許せてしまいます。B級SFが好きな人には、ぜひとも観ていただきたい作品ではあります。


世界が燃えつきる日


『世界が燃えつきる日』(1977)

核戦争により地球の地軸がずれ、アメリカはほぼ壊滅状態となる。それから五年後、アリゾナの空軍基地にいた生存者たちが規則的な信号を傍受。自分達以外にも生存者がいるのかを確認するため、二台のランドマスターで発信源であるニューヨークを目指す・・・

この映画の原作はロジャー・ゼラズニイの『地獄のハイウェイ』

旅の途中でさまざまな出来事に遭遇する、ロードムービーといった趣の映画で、核戦争後の世界を舞台にした作品にしては、アクション・シーンも少なく、荒廃した世界の描写もほとんどなし。

冒頭の巨大サソリ、竜巻、人食いゴキブリ、強盗、大洪水といった危機に見舞われるものの、今ひとつスリルが無いのは、旅をするメンバーの顔ぶれのせいでしょうか。

年配の軍人、黒人、若い男、若い女、子供、という典型的なファミリー向け作品のようなメンバーで緊張感を出すのは無理というもの。合成丸出しのサソリは説得力なさすぎ。

しかし、

それらの欠点を補って余りある魅力を持つのが、特製の装甲車「ランドマスター」

砂漠を疾走するランドマスターを見て燃えないはずがない!
昔はよくテレビで放送されていたので、ランドマスターの疾走シーンが印象に残っている人も多いでしょう。


給油も無しで良く走ること・・・

映画では二台登場したランドマスターですが、実際に製作されたのは一台のみ。

この車を作ったのは、SF映画に登場する車を数多く製作しているディーン・ジェフリーズという人。

トレーラーを改造して作られたというこの装甲車は、武器以外は全て実働。ギアは7段、重量は10トン、かかった費用はなんと8000万円以上!

特に印象的だったのが、トライスター・ホイール・システムと呼ばれる12輪駆動の車輪。障害物や段差で地面と接触する車輪が動けなくなると、支柱そのものが車輪のように回転する仕組みだそうで、まぁ、こんなイメージです。


元々は軍用目的で開発されたものらしいのですが、複雑な構造はあまり実用的ではなく、一般的にほとんど見られません。

どのSF関連の書籍でも駄作と評価されている『世界が燃えつきる日』ですが、何故か沢山のシーンが印象に残っていて、個人的には結構好きな作品です。


ランドマスターの勇姿はもちろん、サソリやゴキブリ、ジャン=マイケル・ヴィンセントの笑顔と美しいドミニク・サンダ、そしてあまりにも楽観的なエンディング。

個人的には嫌いじゃないんですけど、このエンディングを見ると、やっぱり駄作かなぁ、と思ってしまいますね。地軸のずれも含め、問題は何一つ解決されていないのに・・・

最後ですが、

1993年製作の『超時空兵団APEX(エイペックス)』という映画に、軍の輸送車としてランドマスターが登場しています。

本当は『世界が燃えつきる日』で崖から落とされて壊される予定だったのですが、続編でも使用できるようにと、その企画はボツになったそうです。『世界が燃えつきる日』の続編が作られなかったため、再度その勇姿を見る事が出来なかったわけですが、こんなところでゲスト出演しているとは驚きです。

ビデオのジャケットにランドマスターが映っていたからレンタルして見たのですが、武器を使用したり、高速で疾走するシーンは一切無し。


兵隊さんたちを迎えにくるタクシーのような扱いでしたが、やっぱり格好イイ。

悪魔の植物人間 THE FREAKMAKER


数十年前、何度かテレビで放送されたものの、現在では明らかに放送コードにひっかかると思われる『悪魔の植物人間(THE FREAKMAKER)』(1973)

この作品は、現在DVDで販売中ですが、タイトルは『ザ・フリークメーカー』となっています。これはおそらく「植物人間」という言葉が「寝たきりの人」を連想させ、差別的だとの判断からでしょう。

内容は典型的なマッド・サイエンティスト物。

人為的に突然変異を起こす事で、人間と植物を融合させた新人類の創造を目論むノルター教授。光と水で成長する植物人間が完成すれば、食料不足の心配は無くなる、というのが彼の考えだった。彼は人体実験を行うため、助手のリンチを使い実験用の人間を次々と誘拐する。リンチは、実験が成功すれば自分の醜い顔を直してもらえる、という条件でノルター教授に協力していたのだった。教授の人体実験の犠牲となった学生たちは、見るも無残な姿に変えられてしまう・・・

狂気の科学、人体実験をテーマにした映画は数多くあれど・・・まぁ、これほど悪趣味な映画も珍しいかと。

実験の失敗から生まれた奇形人間が、リンチの見世物小屋で公開されるくだりなどはもう、最悪。

チベットから来たトカゲ女という触れ込みの奇形人間


気持ちわりぃ・・・でも、どうして植物と合体したのにトカゲになるかなぁ?

陰険、陰鬱、陰惨、とにかくおぞましい映画です。

監督のジャック・カーディフ曰く、この作品はトッド・ブラウニング監督の『フリークス(怪物團)』(1932)へのオマージュだそうですが、結果的に『フランケンシュタイン』と『フリークス』をミックスしたような内容となっています。

巨匠といってもいい実績を持つジャック・カーディフ監督ですが、なぜかこの作品が監督としては最後の仕事となってしまいました・・・


ノルター教授を演じているドナルド・プレザンスは、悪役が多い個性派俳優。『007は二度死ぬ』の首領ブロフェルド、『ミクロの決死圏』で白血球に飲み込まれるスパイ、『刑事コロンボ』の「別れのワイン」の犯人役、『ハロウィン』のルーミス医師役などが有名でしょうか。どうしてこんな作品にでてるの? というのが素直な感想。

奇形のリンチ役はトム・ベーカー。ハリーハウゼン映画のファンとしては、『シンドバッド黄金の航海』の魔術師クーラ役が印象的でした。これだけ特殊メイクしたら元が誰だか分からん・・・

さて、この映画で最も印象的なのは、大挙出演している本物のフリークスたちでしょう。


ヒゲのある女(両性)、針を体に刺しても痛みを感じない男、むくじゃらの猿女、足の骨にカルシウムが無いという逆立ちカエル男、肌がワニのようにガサガサの女、目玉の飛び出す男、全身ガリガリ激やせ女、足の曲がり方が異常な小人などなど・・・

これらの奇形・奇病を患った人々が、見世物小屋で働く人々として出演しているのですが、特殊メイクの植物人間がかすんでしまうほどの存在感は、この映画の目玉と言ってもいいほど。もしかしたら、一部は特殊メイクの人がいたのかもしれませんが、リアルすぎて、実際の見世物小屋ってこうなのかなぁ、と思うとかなりへこみます。

ゲテモノ度数が極めて高い映画ですが、まぁ、こんな作品でもちょっとは良い所もあります。

オープニングのドキュメント作品のような植物の高速度撮影、ノルター教授が学生に講義するシーンで、進化論の基本的な事をしっかりと語っている所などは好感が持てます。

普通はホラー映画として、コワイ物見たさで見るのですが、

例えば、フリークスたちを主人公にして見ると、

ホラー映画としては不要と思われる、フリークスたちの一人の誕生会シーンは、世間から蔑まれたフリークスたちの悲哀が伝わってくる名場面となります。

世界で最も醜い顔のリンチを主役にして見ると、

自分の顔を治したい一心で悪事に手を染めてしまうリンチは、本来仲間であるはずのフリークスたちと対立。孤独なリンチが商売女にお金を払って「愛してる」と言ってもらうシーンは切なく、つい感情移入してしまいます。裏切り者となったリンチがフリークスたちに追い詰められ、犬にかみ殺されるという悲惨な最期を遂げるシーンは涙なくしては見られません・・・

というわけで、この作品が実はなかなかの名作だと思ってるのは私だけ・・・でしょうね、多分。

あと、どーでもいい事なのですが、

異性の裸を見た最も古い記憶って覚えていますか?

子供だった私が、初めて女性のヌードというモノを見たのが、おそらくこの作品。自分が記憶する限りでは、ですけど。

リンチが実験材料である女子学生の服を脱がすシーンが、子供心にも妙にエロチックだったのを覚えています。そういった意味でも私にとっては印象深い作品なのでした・・・


遊星よりの物体X


映画史上初の本格的侵略SFといわれる、『遊星よりの物体X』(1951)

アラスカの氷河で氷に埋もれた円盤が発見されるところから映画は始まります。
氷から掘り起こすために使用したテルミット爆弾が円盤に引火、円盤は爆発してしまうが、氷の中に人間のような形をした「物体(エイリアン)」が残っているのが確認される。
氷ごとその「物体」を掘り出し基地に持ち帰るのだが、やがて氷が溶けるとエイリアンは息を吹き返し、次々と人間を襲い始める・・・

この映画の原作は、ジョン・W・キャンベルの『影が行く』という作品で、蘇ったエイリアンは、ほかの生物に寄生し、どんな姿にも形を変える事ができるという設定。怪物が人間を吸収し、「誰が体を乗っ取られたエイリアンなのか?」というサスペンスがメインの作品なのですが・・・

この『遊星よりの物体X』では、寄生能力も変身能力もなく、血を吸って生きる野菜のような特徴を持った怪物という設定に変更されているため、原作の持つサスペンス性は全て排除され、エイリアン対軍人の一騎打ち、といったSFアクションのような作品になっています。

逃げ場のない基地内での戦い。なかなか姿を現さない怪物。ガイガーカウンターで怪物の位置を確かめるシーンなどの演出は秀逸で、これらのシーンは『エイリアン』(1979)にも影響を与えたと思われます。

そして、ようやく姿を現す「物体X」


悪役プロレスラーにしか見えないんですけど・・・宇宙人らしさが微塵も感じられません。

この映画の特徴の一つとして、SF作品なのに特撮がほとんど使用されていない、という点が挙げられます。

これは、エイリアンを人間型という設定にしてしまったため、単なる大男が大暴れしているだけの作品になっていまったためでしょう。

特撮らしい特撮といえば、映画のラストで「物体X」が電流で焼き殺されるシーンくらいのもの。

高圧電流を流された「物体X」がだんだんとしぼんでいくシーンは、巨人のジェームズ・アーネスと普通サイズの人、そして小人の三人の俳優さんが演じています。足元から煙を出し、放電の稲妻のアニメーションを合成して、「物体X」の最後のシーンの出来上がり・・・

他にこの作品の見どころといえば、登場人物たちの会話や人間ドラマでしょうか。

科学的な探究心ばかりで目の前の危険をかえりみない科学者と、部下の命を第一に考える軍人の対立、今となっては当たり前の演出ですが、両者の怪物に対する見解の相違など、エイリアン(未知の恐怖)へのアプローチの違いが明確に描かれたのも、この作品が最初ではないでしょうか。

ところで、

『冷戦』や『共産主義』といったキーワードで語られる事が多いこの作品では、あからさまに「エイリアン=ロシア人」のうような描かれ方をしています。

ラストのあまりにも有名なセリフ

「空の監視を怠るな!“keep watching the skies!”」というのも、

「ロシアからミサイルが飛んでくるから気をつけろ!」と言っているようなものなのでしょうが・・・

そんな事に興味が無い私にとっては、かえって興ざめ。時代背景とか考えなくても充分に楽しめる作品です。

低予算でもこれだけの作品が作れるという事を示し、この作品以降、エイリアンの襲撃をテーマにした作品が数多く作られるようになりました。

後の作品に与えた影響という点では、SFブームを作ったとされる『月世界征服』(1950)や、原爆によるモンスター映画の原点である『原子怪獣現わる』(1953)に匹敵すると言ってもいいかもしれません。

この作品のリメイク版『遊星からの物体X』(1982)ですが、こっちは原作にも忠実で、登場人物の名前から、ハスキー犬や人間への寄生、誰がエイリアンなのかといったサスペンスから、血液による判別方法、さらには隔離されていた人物が実はエイリアンで、密かに宇宙船を建造していたという設定まで同じ。

違うのは、エイリアンは人の思考を読み取る能力があるという点と、結末くらいのもので、ハラハラ、ドキドキする緊張感はリメイク版の方がはるかに上。そしてモンスターの造型は、まさに特撮マンの腕の見せ所。

原作の設定だけを拝借したオリジナルと、比較的原作に忠実なリメイク版を比較するのはほとんど無意味。どちらも面白いし、完璧に別な作品として楽しめるのが良いところでもあります。

最後は「物体X」の正体、ガンスモークのジェームズ・アーネス


続・恐竜の島


ケヴィン・コナー監督作品の『続・恐竜の島』(1977)

前作『恐竜の島』(1974)で生き残ったタイラーとリサ。彼らが海へ放った瓶入りのメッセージを受け取った友人たちが、二人を救出するために伝説の島を目指して出発する・・・

というわけで、

これは設定や登場人物をそのまま受け継いだ、本当の続編です。

前作同様に、遊園地のアトラクションのような恐竜達も登場しますが、どちらかといえば、恐竜の島に住む原住民たちとの抗争がメインの作品。

この映画の原作は、エドガー・ライス・バローズのの『太古世界シリーズ』第2作『時間に忘れられた人々』で、原題は『THE PEOPLE THAT TIME FORGOT』。ビデオのパッケージにも恐竜の姿はありません。

今回のヒーローは、『シンドバッド虎の目大冒険』(1977)でシンドバッドを演じていたパトリック・ウェイン(ジョン・ウェインの息子)

個人的な感想を言えば・・・これは、私が嫌いなタイプの続編の典型。

これ、あくまでも個人的な意見ですが、

元々続編の予定がなかったのに、作品がヒットしたから作っちゃいました、というのはどうも好きになれないんですよねぇ・・・

前作がお気に入りだったら尚更。

前作で生き残ったタイラーとリサは、ガル族と二年間は平和に暮らしたが、その後ナーガ族に捕らえられ捕虜となり、リサにいたっては処刑されてしまったという設定。クライマックスの火山大爆発シーンでは、結局タイラーも死んでしまいます。

こういうのを全部描いてしまうと、前作の余韻が全部台無し、というか、あのエンディングは何だったの? って事になりませんかねぇ・・・?

最近でいえば、『パイレーツ・オブ・カリビアン』(2003)の続編とか。

まぁ、続編というのを意識しなければ、そこそこ楽しめる作品なのは間違いありません。

客観的に評価してみると、ですね

冒険映画としては及第点、かなぁ・・・といったところ。

足手まといの気が強い女性カメラマンが旅に同行する点や、島からの脱出の際に飛行機が墜落しそうになり、「重いものを捨てろー」といってカメラも破棄されてしまい、証拠がのこりませんでした、といったオチなど、まぁ、ステレオタイプの作品と言ってしまえば、その程度かも。

良く言えば、見事にロスト・ワールト物のツボを押さえた作品。

氷の海を進む調査船、飛行機と翼竜の空中バトル、恐竜との銃撃戦、典型的なお色気担当のヒロイン(原始人)、原住民ナーガ族のとの戦い、ラストの火山大噴火シーンなど、クライマックスまで一気に見せます。


最も印象的だったのは、戦国時代の日本の武士のような鎧を身にまとったナーガ族。髑髏を模った建物に住むナーガ族と探検隊との闘争がこの映画のメインというわけです。

しかし、鎧を着た相手を素手のパンチで倒すとは・・・これほど突っ込みどころが満載な映画も珍しいですが、それも含めて楽しめるのが冒険映画の良い所でしょう。

SF映画とロボット(その2)


前回の続きです。左上から

お色気小娘カレッジへ行く(1960)

アウターリミッツ(1963〜1964)
『ロボット法廷に立つ』で殺人犯として裁かれるロボット。意思を持ったロボットが登場。

火を噴く惑星(1962)
人間以上の能力だが思考能力は無い、という意味では本当にロボットらしいロボット。

宇宙大戦争 サンタvs.火星人(1964)
ブリキの玩具・・・

ロボットの魅力って色々あると思いますが、鉄の塊、ブリキ、頭の上のアンテナ、ガチャガチャと歩く、といったようなイメージの、いわゆる無骨さに惹かれる人も多いでしょう。

野暮ったくて洗練されていない、そんなレトロ感たっぷりのロボットが見られるのはこの時代まで。

1960年代後半から70年代になると、2001年宇宙の旅(1968)のHALや地球爆破作戦(1970)のコロッサスなどの人工知能がSF作品に登場。ウエストワールド(1973)もそうでしたが、コンピューターの反乱というテーマの作品が目立ちます。

古き良き時代のドラム缶型ロボットはほぼ姿を消しましたが、コンピューター(人工知能)とロボットは別物。まだまだ人間型ロボットも健在です。


フレッシュ・ゴードン(1974)
この時代のドラム缶型はパロディ映画ならでは。股間のドリルを回転させながら、敵に襲い掛かる姿は爆笑もの。

2300年未来への旅(1976)
人間を氷付けの標本にしているのだが、意味が分からん・・・

イタリア映画スペース・ウルフ-キャプテン・ハミルトン(1977)
結構不気味でした。人工知能はこの作品にも(右側)

1977年にはスター・ウォーズが製作され、C-3POの影響もあってか、再び人間型ロボットがブームに。その影響は随所に見られます。


スターシップ・インベーション(1977)

スタークラッシュ(1978)
C-3PO型 警官ロボット

アトランチスの謎(1978)
悪そう・・・これはただの仮面だったのか、よく分からんです。

BUCK ROGERS(1979)
テレビでよくやってました、ビビビビビ・・・

ブラックホール(1979)のマクシミリアン
評判悪い映画ですね、面白いと思うのですが・・・

スペースボール(1987)
スター・ウォーズのパロディ映画。C-3PO型メイドロボット。

1980年代以降は、挙げていったらきりが無いほど様々なロボット、コンピューターが登場します。サイボーグ、アンドロイド、ヒューマノイド、レプリカント・・・その呼び方も色々。コンピューター制御の機械まで含めたら、ほとんどのSF作品にロボットが出ている事になってしまいます。

そして、ノスタルジーを感じさせるロボットは完全に姿を消しました。

というわけで、もう画像はありません・・・

最後にアニメから

これは・・・非常に興味深い、というか

ベティ・ブープやポパイなどで有名な、デイヴとマックスのフライシャー兄弟が製作した『スーパーマン』(1941)の中の『機械モンスター(MECHANICAL MONSTERS)』という話にもロボットが「悪の手先」として登場。

これ、初めて見た時にはビックリしました。

両腕が翼に変形し、頭の下のプロペラを回転させながら飛行するその姿は、『新ルパン三世』の最終話に登場したラムダにそっくり。宝石泥棒をする所まで同じとは・・・

このロボット、明らかにラムダや、『天空の城ラピュタ』のロボット兵の元ネタですね。

ちょっと比較してみましょう。上がロボット兵、中がラムダ、下が機械モンスター。


宮崎アニメが好きで、この『スーパーマン』を初めて見る人には衝撃的な画像でしょう。

これは明らかにオマージュですが、盗作、パロディとオマージュの区別って難しい・・・

SF映画とロボット(その1)


前回の『メトロポリス』(1926)には、映画史上初めて本格的なロボットが登場しました。

というわけで、今回はSF映画とロボットの話でも・・・

ロボットの歴史を語る時、必ず最初に出てくる名前が小説家のカレル・チャペック。

カレル・チャペックが1921年に書いた戯曲『RUR』(ロッサム万能ロボット社)の中で、「ロボータ」(強制労働者)と「ロボトニク」(働く者)を組み合わせて「ロボット」という言葉が生み出されました。
この言葉が作られる以前は「オートマタ」や「オートマン」(機械人形、自分で動くの意)という単語が使われていたようです。

次にロボットの定義ですが・・・

チャペックは「働く能力はあるが、考える能力の無い人間に似たもの」と定義したそうですが、現在は、コンピューター制御の装置や工業用の機械、さらには家電製品などの実用品まで、全てロボットと呼ばれる時代。
ロボットの意味があまりにも多様化してしまい、その概念は人によって様々。もはや明確な定義は無いといってもいいでしょう。
辞書で調べて、あぁ、そうなのか、とある程度納得するしかありません。

えーと、ここではあくまでもSF映画のロボットの話です。アイザック・アシモフが小説に書いたようなもの、ですかね・・・

古いSF作品では「人間が作った機械」である事と「人間に似た外見を持ったもの」というのが最も重要であるのは間違いありません。

というわけで、写真でも。

それでは、時代が古い順に、まずは1930年代。例によって、左上、右上、左下、右下の順です。


『殺人光線』(1934)
元祖ドラム缶ロボットで殺人兵器。

『五百年後の世界』(1935)の兵隊ロボット。

『海底下の科学戦』(1936)
他の作品にも流用され、20年以上に渡って活躍したドラム缶型ロボット。

『忍び寄る幽鬼/ファントム・クリープス』(1939)
これがふらふらと動くのです、しかしこのカオ・・・

1930年代のSFではは人間に操られる「悪の手先」というイメージが定着していたようです。

次は


『怪物と猿』(1945)
これもやっぱり「悪の手先」頭の上のアンテナがイイ! 無線操縦ロボット。

『ゴッグ』(1954)
世界で初めて本格的にコンピューターの反乱を描いた画期的な作品。

『火星から来たデビルガール』(1954)
このロボットは、もう、なんと言ったらいいのか・・・

『標的は地球/ロボット大襲来』(1954)

SFブームとなった1950年代は、モンスターのみならず、ロボットが登場する映画も多く作られました。地球の静止する日(1951)や禁断の惑星(1956)などの名作もありますが、ほとんどの作品は低予算丸出しのB級映画でした。

さらに1950年代の作品


『地球の静止する日』(1951)のゴート

『ボウェリー・ボーイズ、怪物達に会う』(1954)はコメディ映画。

『偉大なるトボー』(1954)
世界初のヒーロー・ロボット。

ご存知『禁断の惑星』(1956)のロビー

『クロノス』(1957)
アメリカ映画では珍しい巨大ロボット。地球のエネルギーを吸収し、他の惑星へと転送するという壮大な設定。

『ニューヨークの怪人』(1958)
脳を移植されたロボット。人間の心が残っているのは、『ロボコップ』の元祖とも言える存在。

1950年代は単なる悪の手先というだけではなく、様々なタイプのロボットが生み出されました。そして、1960年代以降は・・・いいかげん長いので次回にします。

あ、一番上の画像ですが、これはジョージ・パルのパペトゥーン作品『Ship of the Ether』(1934)に出てきたロボットです。本文とは関係ありませんが、なんとなく可愛かったので・・・

メトロポリス フリッツ・ラング


1926年にドイツで製作された『メトロポリス』

初期SF作品の最高傑作とされているこの映画の舞台は、製作時から百年後の2026年。

巨大なビルが立ち並ぶ未来都市メトロポリスでは、多くの労働者が地下の工場で過酷な労働を強いられ、一部の上流階級と支配層の人間だけが、楽園のような地上都市で満ち足りた生活を送っていた。ある時、労働者階級の娘マリアが、支配者ジョン・フレーダーセンの家に子供達を連れて現れ「彼らはあなたたちの兄弟です」と言う。
人々はマリアを追い返すが、ジョンの息子フレーダーはマリアを忘れる事が出来ず、マリアを探して地下へと降りて行く。フレーダーはここで初めて過酷な現状を目にし、メトロポリスの真の姿に気付き、父親に労働者階級の待遇改善を訴えるが聞き入れてもらえず、自ら労働者となりマリアを探す。
一方、マリアを危険人物と考えた支配者ジョンは、マリアそっくりのロボットを造り、それに淫らな行為をさせ、労働者の希望を奪おうと画策。
そのロボットを作るのはジョンとは旧知の間柄、マッド・サイエンティストのロトワング。
しかし彼は、このロボットをジョンの望み通りに使うつもりはなかった。マリアのロボットを使い労働者を扇動し、支配者階級の崩壊を目論んでいたのだった。
それぞれの登場人物の思いが交錯し、物語は思わぬ方向へと進んでいく・・・

何かで読んだ事があるのですが、フリッツ・ラング自信はこの作品をあまり好きではないようです。
理想主義すぎて、現実味に欠けるというのがその理由。ラング曰く「おとぎ話」だそうです。

あー、なるほど。

「脳」(知識指導者階級)と「手」(労働者階級)とその調停者である「心」の出現をマリアが予言し、その通りのハッピーエンド。そして、「心」の役割を果たすのはマリアの恋人役のフレーダー、とまぁ、たしかにベタなストーリーですね・・・

手塚治虫氏が言うには

支配者層と労働者階級が、結局愛で結ばれる、という結末が安易過ぎるとの事。

確かに、エンディングで三人が手を取り合うシーンはわざとらしくて苦笑させられましたけど・・・製作された時代を考えたら、これはとんでもない映画ですよ!

そもそもこの映画、ラングがアメリカに行った際にニューヨークの摩天楼に魅せられた事がきっかけで、製作につながったというのだから、これはビジュアルを楽しむ映画と言えるかもしれません。小難しい事は置いといて。


ミニチュアで作られたメトロポリスと旋回する飛行機。その中心にそびえたつバベルの塔など、未来都市の美しいこと! 延々と続く機械の群れ、過酷な労働を強いられすっかり無気力になり、うなだれながら行列を作って歩く労働者たちなどの地下世界の描写も強烈すぎ。

そして、この映画の最大の見どころは、映画史上初めての本格的なロボットの登場とその誕生シーンでしょう。


台の上に寝かされるマリア。そこからロボットにつながる何本ものコード。機械が作動すると数本の円形の光がロボットを包み込み、やがてロボットはマリアに変身する。

「映画史上最も美しいロボット」といわれるだけの事はあって本当に綺麗。登場シーンはほんの数分ながら強烈な印象を残しました。

このシーンだけでも映画を見る価値あり!

マリアに変身した後は、ブリギッテ・ヘルムがロボットのマリアと本物のマリアを演じ分けるのですが、ロボットマリアの鬼気迫る演技の迫力といったら・・・

これ以降のシーンも、妖艶な踊りを見せるマリア、群集の暴動と大洪水など、ビジュアル的な見どころは満載。


エキストラの数は約36000人。22ヶ月の製作期間と過去最大の制作費をかけた結果、映画会社は倒産・・・しかし完成した作品はSF映画の金字塔との評価を得る事になります。

製作された1926年は日本では昭和元年!

当時考えられた100年後の「未来予想図」は、見ていて決して飽きる事はありません。このビジュアル・イメージが、後のSF作品にどれほどの影響を及ぼしたことか・・・「SF映画の金字塔」という評価に完全に納得の作品です。

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