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回転


ジャック・クレイトン監督の『回転』(1961)

ホラーはあまり好きではない私ですが、もちろんある程度は見ています。

映画を見る回数があまりにも多いので、ホラーっぽいのもたまに目にすると言った程度かもしれませんけど・・・

これまでに見たホラー映画といえば

『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』や同監督の『フロム・ザ・ダークサイド』などの短編。

『エクソシスト』

有名な『13日の金曜日』などは、第一作目と『 ジェイソンX』(2001) のみ観賞

ブログにも書いた『妖女ゴーゴン』とか、最近では『サイレント・ヒル』など。

あとは、

もう思いつきません・・・

まぁ、なんだかんだ言っても、ホラーテイストのSFやファンタジーなども含めれば結構見てますね。

血だらけのグロいやつは全く駄目で

『ソウ』などはパート1があまりにも面白かったので、パート2以降も全部見たのですが、進むにつれ画面を正視できなくなってしまいました・・・

たびたび目をそらしながらもシリーズ最後までなんとか観賞。

話が続いてしまうのだから、見たく無くてもしょうがない(ー_ー#)

私のホラー映画の知識は恥ずかしながらこの程度

というわけで

この『回転』もたまたま観賞したのですが、非常に印象に残った作品でもありました。

何故、わざわざこの作品を書こうと思ったのか、と言いますと・・・

私の頭の中にあるホラー映画のイメージとほぼ一致するのがこの作品だから。 

これ、あくまでも個人的な基準(^^;)

私の中では、ホラー映画というのはこういった作品を指す、という事ですかね。

人によって恐怖の対象って全く違うでしょうし、ホラー映画というものを明確に定義することも当然出来ないと思うのですが、個人的には非常に高く評価している作品であります。

特撮を駆使したり、大きな音を出してびっくりさせたりする映画とは違い、まー、単純に怖かったですね、これ。

でも

そういうのが好きな人にとっては少々退屈かもしれませんね。「セックスしたカップルは真っ先に殺される」といった類のホラーが好きな人からみたらどうなんでしょう?

ストーリーは遅々として進まないし・・・

そのストーリーですが

主人公の女性ギデンス(デボラ・カー)が家庭教師として優しい家政婦さんと可愛い子供たちがいる裕福な家庭にやってくる所から物語は始まります。


ホラーとしては定番の「屋敷物」

簡単に言ってしまえば、昔この屋敷で不幸な死を遂げた幽霊達が子供たちを操り悪影響を与えていると考えた主人公が、悪霊を追い払うために孤軍奮闘する、というお話。

こうして文章で書いてしまうと何の変哲もない作品のようですが(実際そうなのかも知れませんが)これは面白かったです。

で、この映画の何処が良いかと言うと

先に書いたように、爆音や造形で怖がらせる映画ではなく・・・

あの・・・、上手く言えません(苦笑)

何というか、人間が本能的に怖がる部分をピンポイントで刺激されるとでも言ったらよいのか・・・

最初は「何かがおかしい」といった、ほんの些細な違和感

一見無邪気そうな子供達の奇妙な言動。子供たちの無邪気な行動も見方を変えると・・・

やがて少しずつ不可解な出来事が起こり始め、「この屋敷には何かいる」という主人公の疑惑がやがて確信に変わるまでの描写は見ごたえがありました。

いかにも怪しげといった人物を登場させる事無く、それでも次第に視聴者の恐怖感を煽る演出も見事だったし、デボラ・カーの演技も凄かったですね。途中で「もしかしたら主人公が狂人だった、というオチか?」と思っちゃいましたよ。

「かくれんぼ」という遊びを利用して主人公に屋敷を探索させるシーンなどは秀逸。

怖がりの私など、音楽、視聴者への暗示方法と幽霊を映すカメラアングルだけで震えあがってました・・・


この映画も「音」が印象的な作品で、子供が口ずさむ歌 オルゴール 鳥のさえずりなどが効果的に使われていました。

結末はちょっと気になったのですが・・・

まずは、家政婦さんが霊に憑かれた少年と主人公を二人きりで屋敷に残す事にあっさりと同意した事。

まぁ、この映画の結末のためにはそういう舞台が必要だったという事で・・・

「子供に幽霊の名前を言わせる」という方法で霊から解放するのですが、

何故主人公は自分の力で幽霊を退治できると確信していたのか、また何故あんな方法で霊は去ったのか、そして何故霊が去ったあと子供は死んでしまったのか? 

いささか不可解な点もあり、多くが謎のままで終わってしまいます。
この結末と後味の悪さが府に落ちない人も多いのではないでしょうか?

まぁ、ちょっと気になったものの、そんな事は大した問題では無い、とも思っています。

意図的に謎めいた結末が用意された作品やリドルストーリーなどはあまり好まないのですが、だからといって全ての映画やその結末にに明確な答えを求めるなんてあまり意味の無い事ではないか、とも個人的には思っているので。これは深読みが苦手な私の言い訳か・・・?

個人的な嗜好の話に終始してしまいましたが、客観的にみてもこの映画は間違いなく良作ではある思います。

バンデットQ


ここ最近相変わらずの激務。なんとか仕事の合間の休日に東京まで「特撮展」とやらを見に行ったものの、入場まで3時間以上も待たされると聞き、あえなく轟沈。

隣りの公園でおにぎりを食べてそのまま帰省・・・

午後から出かけたのでそんな時間無いって! というようりも、3時間以上も並ぶ気が無かったんですけどね・・・

というわけで

気がつけばブログをひと月も放置してしまいましたが、今回は大好きな『バンデットQ』(1981)

テリー・ギリアム作品のほとんどがツボ。一番好きな作品を決めるのは極めて難しい(そんな事する必要も無い)のですが、もしかしたらこの作品を選んでしまうかも、というほど大好きな映画です。

日本での劇場公開の際、重要な部分がカットされているという事が当時からいろいろな雑誌で取りざたされていましたが、そもそも当時私が住んでいた田舎では上映すらされなかったので関係なし。テレビ放送も見ていないので、観賞するにはビデオの発売を待つしかありませんでした。

あらすじをビデオパッケージの裏側から

イギリスのとある静かな住宅街に住むケビン少年の部屋に、ある日突然6人の小人が出現する。彼らは創造主に仕えていたが、タイム・ホールの場所を示した地図を盗み出し、この地図を手にあらゆる時間・場所にワープして盗みを働こうとしていたのだ。このタイム・ホールとは神が6日間で世界をを創った時に、つい見落としてしまったエア・ポケットのことなのだ。「地図を返せ」と追ってくる創造主。6人の小人達と共にケビン少年も逃げ出した。18世紀のイタリアでナポレオンに出会ったり、ギリシャの砂漠でアガメムノン王を助けたり、突如タイタニック号の甲板に現れたり…。ケビン少年の時空を超えた大冒険が次々に繰り広げられる。しかし、行手には、悪魔が地図を横取りしようと少年達を待ち構えていた・・・

ストーリーだけ読んでみると、夢や冒険がいっぱい詰まったファンタジー映画っぽいのですが、テリー・ギリアムがそんな映画を撮るハズもなく、いや、確かに冒険映画なのですが全く型にはまらないというか、それだけでは終わらないというか・・・


そういえば

何かの本で「この作品を傑作とか面白いとか言っていると頭を疑われるので要注意!」のような事を誰かが書いていたのを思い出しました・・・

まぁ、評価されにくいのも分かるような気もします。この監督さんの独特の世界観はツボに入らない人にとってはあまり面白くないのかもしれません。ケビン少年、一緒に冒険しているというよりも、巻き込まれてるだけだし(笑)

個人的には「傑作」という評価ですが、一般的にはどうなんでしょう? 「珍作」といったら失礼だし・・・「怪作」?

おそらく『未来世紀ブラジル』(1985)あたりも、そうとう評価が分かれているんじゃないですかね?

私の場合は何というか、言葉では言い表せない不思議な魅力を感じてしまうわけでありまして・・・

とにかく大好きな作品なので、思った事をあれこれと

R2D2の中に入っていたケニーベイカーさんが素顔で出演している事でも有名ですが、まずは邦題の「Q」

冒険する「Q」たちって・・・。というか80年代なのにこのセンス? 私が知らないだけで、何か意味があったのでしょうか?

自分の寝室から冒険が始まる、というのが良い。凄く良いです! タンスから小人たちが現れ、壁がタイムホールとつながる冒頭シーンがたまらなく好きでした。

映像は面白いですね、この作品。美術が素晴らしいしスケール感もなかなかのもの。もう見ているだけで心躍ります。私などはストーリーや冒険といよりも、映像そのものにワクワクしてしまいました。


帆船を帽子のように頭に載せた巨人の映像などはビデオやDVDのパッケージにも使用されています。この映画を象徴するシーンなのにストーリー上ほとんど意味がないという・・・?

これ見た時「あ、モンティ・パイソンだ!」って

そういえば、昔はビデオ屋に「『空飛ぶモンティ・パイソン』いっぱいありました。好きだったなぁ・・・

あらすじの通りに物語は進み、いくつかの解釈が出来そうなラストシーンとなります。

なんでも日本公開の劇場版では、ハッピーエンドに見せたいという配給会社の意向により、ケビンの両親が爆発して消えてしまうシーンがカットされていたのだとか。大冒険が終わり、自分の世界に戻ってきてめでたしめでたし、と。

この映画もう30年も前ですか・・・、こんな事が許されたんですね。

で、いまさらながらオチの解釈ですが

私の場合、最初見た時は単純に「火事で両親を失った少年が、冒険を通して一人で生きていくために必要な経験と勇気を得たのだ」と思っていました。

映像で見た事は全て実際に起こった事

であり、これから一人で生きていかねばならなくなった少年に、神様が粋なはからいをしてくれた、といった解釈ですね。神様の「彼は残り、戦いを続けるのだ」というセリフから漠然とそう思ってました。

ところが

手元の本には、物語はケビンの「夢」だった、としっかり書いてあります・・・

まず「火事で両親を失った」という現実があり、正気を失いかけた少年が「現実逃避として見た夢」を映像化したものがこの作品というわけ。

つまり、両親が爆発して消えてしまうのも含めて「少年の頭の中の物語」だった、というもの

最初にこの本の記事を読んだ時、ちょっとだけがっかりしたのを覚えています。

確かに冒頭からそれらしい伏線はいくつか見られます。

冒険前にキッチンでケビンが古代ギリシャの話をしていたり、劇中に出てくるものとケビンの部屋の写真や小物との一致、そしてケビンが目を閉じて眠りに入った次の瞬間から冒険が始まるといった展開、などなど・・・

『未来世紀ブラジル』とか『バロン』を見ているとこっちの解釈の方がギリアムの意図に近そうですね。

なんでも三作合わせてギリアムの「夢の3部作」だそうです・・・

夢オチが好きではない私は、今でも「現実に冒険したのだ」と思いながら観賞しております。

まぁ、どんな解釈であろうが映像美は堪能できるし『バンデットQ』のヒットにより、テリー・ギリアムが長年あたためていた『未来世紀ブラジル』の制作へとつながったのだから、それだけでもOKです!


なんとなく『オズの魔法使い』っぽいですね?

燃える昆虫軍団


パニック映画が流行した1970年代には繰り返しテレビで放送されていた『燃える昆虫軍団』(1975)

放送されるたびに怖いもの見たさでしっかりと鑑賞していた記憶があります。

強烈なインパクトがあった作品、と言いたいところですが、単に私がゴキブリなどが大嫌いなのでそう感じただけかも知れません。

今までに見た映画の中で最も怖い、というよりも、トラウマになりかねないほど気色悪かった作品の一つです。

今ひとつテンションが上がらないのですが、どうしても自分のブログに残しておきたい作品でもあるわけで・・・

まずはあらすじをビデオパッケージの裏側から

タッカー農場に異変が起きた!! 地震による地割れから火を吹く昆虫が這い出して人や獣を次々に襲い始めたのだ。調査に乗り出したパルミーター博士は昆虫達が炭素を食物にしており、動物を焼き殺しては燃えかすを食う事を知る。そして、家もろとも妻までも焼き殺されてしまった博士は復習の鬼と化して昆虫絶滅の研究に打ち込むが…。

という作品なのですが

映画全編を通してひたすら昆虫と戦うといった内容ではなく、ちょっと異色な作品と言ってもよいのかもしれません。

映画の前半は、地震により地下から出現した発火能力を持つ昆虫が人間や動物を襲い始めるが、気圧の変化に対応できずに自ら滅んでしまうところまでが描かれています。

普通の昆虫パニック映画ですが、発火する昆虫というアイデアがいいですね。いかにも70年代風でありながら、それなりに洗練された映像も良い雰囲気です。

そして映画の後半

その生き残りを捕獲した生物学の博士がゴキブリと交配させた結果、発火能力と高度な知能を持ち合わせた新種が誕生してしまい、逃げ出した昆虫達に博士が襲われる、という展開。

次第にマッドサイエンティスト物のようなテイストになってきます。

研究シーンでも本物のゴキブリを画面いっぱいに映すものだから、気持ち悪くて・・・

気持ち悪くて、いつものように画像編集が出来ないので youtube で見つけた予告編をリンクしておきます。

虫が嫌いな人は見ない方が良いです。



リンクが切れた場合はこちらで

http://palladion.fantasia.to/bugtrailer.mp4

この作品がどのように評価されているのか知りませんけど、人によって評価が分かれそうな作品だなぁ、と感じます。

まず、虫が大丈夫な人と嫌いな人では、おそらくこの作品の見方が全然違うでしょう?

また

後半いきなりマッドサイエンティスト物へと路線変更するのも、「飽きさせないための工夫がされている」と解釈するか「一貫性がなく意味不明」と感じるか?

さらには

進化したゴキブリが知能を持つという設定


爆破シーンを見つめるゴキブリ。集団で壁に「We live」と文字を描くゴキブリ・・・

「もしかしたら現実に起こるかも」といった恐怖を感じるか、「いくらなんでもやりすぎ」と苦笑してしまうか?

昔はメチャメチャ怖かったです、これ。

そもそもゴキブリが生理的に駄目な私がこの映画を客観的に評価するのは不可能であります・・・

昆虫が嫌いなものの、個人的にはなかなか見ごたえのある作品だと思っていました。


教会での地震のシーン

まともな科学者が常軌を逸脱した精神状態になる過程の描写や役者さんの狂気の演技

地割れの部分が真っ赤に輝き、昆虫達が地下から飛び立つシーン

本当に虫が発火しているように見える特撮

猫が襲われるリアルなシーンや昆虫自体が焼け死んでしまいそうな迫力のある出火シーン

などなど

この映画には「良く出来ているなぁ」と関心してしまうシーンも少なからずありました。

映画のラストは定石通り、科学者が自ら生み出したモンスターに襲われて破滅。昆虫ともども地割れから地下に転落して THE END となります。

昆虫達が絶滅したのかは微妙・・・

最後に

この映画につかわれたゴキブリですが

多分これ。やっぱり苦手な人は見ない方が良いかと。

Gromphadorrhina portentosa

このゴキブリ、ペット用なんだとか・・・

この作品見た後には飯が食えなくなりますよ、ホント。気持ち悪いので、早く次の記事を書かなければ・・・

前世紀探検


前世紀探検(1954)

仲良しの四人組が見つけた洞窟は、前世紀への入り口だった・・・

というわけで

この作品は、時間の河を遡って古生代へと旅をする仲良しの四人組のお話です。

冒険日記を手作りしているシーンで映画は始まり、主人公の回想シーンでで映画が進行するというのはゼマン作品ではお馴染みの手法。

いつもながら、心ときめくオープニングであります・・・

最年少のイルカという子が三葉虫の化石を見つけたのが全ての事の始まり

「本物が見たいなぁ」

そんなイルカに本物の三葉虫を見せようと、四人の少年たちが生きた三葉虫を見つけるために代世界を冒険していくという内容の作品です。
河を上れば上るほど前世紀に行くという設定になっていて、ボートに乗った少年たちが河を上っていくと、周りの風景が、第三期、中生代、古生代と変化していき、マンモスやプテラノドン、そして恐竜などが順番に登場するという趣向。


私はこの手作り感にはとっても癒されてしまいます。

1954年という製作年を考えると監督の意図は違うのでしょうけど・・・

この作品、「ロストワールド」のように地上に生き残った太古の世界を発見した、という物語ではなく、タイムスリップして過去へと時間を遡っているという設定なのだと思います。

ご多分にもれず、私も古代の生物に憧れた時期がありました。ほとんどの男性は少年時代に恐竜図鑑とか食い入るように眺めたのではないでしょうか?

そんな子供の夢をそのまま映像化してしまったような作品ですね。

この映画の面白いところは、少年達がなんの疑いも持たず「河を遡れば過去に行ける」と考ているところ。

で、実際その通りに物語は進行します。

探検をすればそこに恐竜がいる、というのが前提で話が進んでいるのがなんとも不思議ですが、「いくらなんでもありえない」と突っ込みを入れるような作品でもありません。

ファンタジー作品によくある「大人には見えない」世界とでも解釈しておけば良いのかもしれません。

どういう年齢層を狙って映画を製作しているのですかね、この作品?

古代の生物などの解説を少年達のセリフを通して視聴者に提示したりしているので、おそらく若年層かと・・・

恐竜以外の古代生物もたくさん登場


この作品に出演しているのは四人の子供のみ。これはこの映画の大きな特徴の一つで、大人が一切登場しないというのは非常に珍しいですね。

なので

冒険といっても、それほど危険な目にも遭わないのです。子供だけなので激しいアクションなどあるはずもなく、沼に落っこちたり、豹の襲われそうになって逃げたり、定番のプテラノドンの空襲に遭いボートから落ちたりといった程度のものでした。

実際、博物館、テーマパークのアトラクションでも見ているかのように物語は進みます。

もしかしたら

ストップモーションの生物達を映像として見せるのが目的? とも思えるほど。

少年達が動物園かサファリパークにでも行くかのように冒険を始めるのも、自分の少年時代を思い出してちょっと「こそばゆい」ような「おもはゆい」ような・・・

そして最後にはシルル紀に到着。命の源である海にたどり着き、生きた三葉虫を発見して冒険はお終い。


全ての子供達と子供の心を忘れていない大人達へ捧ぐ・・・

この作品もそんなコピーにふさわしい名作でした。

あと

やっぱりストップ・モーションはいいなぁ、と。

何故か心惹かれます

子供心に「これってトカゲじゃん」とかショックを受けた映画とは大違い。

ところで

物心ついた時からリアルなCGの恐竜などを見ている若い人たちにとって、大人になって懐かしいと感じる映像ってどんなものなのでしょうか・・・?

未来世界


『未来世界』(1976)は名作『ウエストワールド』(1973)の続編

ロボットの反乱事件により閉鎖していた巨大レジャーランド「デロス」が、未来世界(フューチャーワールド)を加えて新たにオープンした。ある事件をきっかけに、なにやら陰謀めいたものを感じた敏腕記者のチャックは、女流キャスターのトレーシーと共に「デロス」に向かう。そこでは招待された世界中の要人を本人そっくりののロボットとすり替え、世界を牛耳ろうとする博士達の恐るべき陰謀が進行しつつあった。真実を知ったチャックとトレーシーは「デロス」からの脱出を試みる。秘密を知られた博士達は、それを阻止すべく彼ら二人のクローン人間を送り込み、本物対クローン人間の死闘が始まった・・・

昔見た時は面白かったのにしばらく経って再見したら全く印象が違っていた」という経験は誰にでもあると思うのですが、私にとってこの映画はまさにそのような作品。

そもそも『ウエストワールド』の続編であるという事も知らず、全く別の作品として見ていた訳で、先に見たのも『未来世界』の方だったと記憶しています。

昔テレビで見た時は、エンディングも含め私にとってはかなり印象的な作品となりました。本物対ニセモノって単純に面白かったですしね。

ところが『ウエストワールド』の続編というのを念頭において見てみると、これがイマイチ乗れないというか、悪くない映画だとは思っているんですけど・・・


まず第一に

わずか三年後にデロス再開、という設定に無理があるような気がしてしまいます。

そんなに早く再開できるの?

あれほどの事件があったのに何故そんなに無邪気に楽しめるの?

とか、どうしても考えちゃいます。

さらに

クローン人間ってそんなに従順なのかなぁ?

とか

クローンを作った時点で主人公を生かしておいたのは何故? とか、

あ、これは殺してしまったら映画が成立しなくなってしまうので仕方がないですね。

前作よりも話が壮大になった分だけ、余計に粗が目立つような気がします。

オペレーターが全てロボットだったり、精巧なロボットばかりでなく、クローン人間を製造する技術まで持っているという・・・

視聴者に「いくらなんでもありえない」と思わせてしまったらダメでしょう? 小説だったら完全に失格ですけど、映画ならOKですかね・・・?

これほど重大な秘密があるにも関わらず警備が甘すぎで、主人公達の侵入を容易に許してしまうのもマイナス。

もうちょっと先の未来の話にしておけば印象も変わったのかもしれませんけど・・・

登場するロボット達にしても「人間と区別がつかないロボット」ではなく、どーしても「ロボットのフリをしている人間」に見えてしまうのには困ってしまいました。

前作でのユル・ブリンナーは本当に凄かった・・・

さらにさらに

何かの冗談としか思えない東洋人とのチャンバラシーンや、前作でガンマンロボットを演じたユル・ブリンナーの登場シーンなどはほとんどが茶番に見えて仕方がなかったです(苦笑)
悪夢的な感覚を演出したかったのか、何かシュールな映像でも造りたかったのか・・・?


このユル・ブリンナーの顔 (-_-;)
どうしても出演しなければいけなかったのでしょうか・・・?

そして、この映画のクライマックスとなる本物の人間対ニセモノの人間

当然勝つのは本物の人間なのですが

それまで、大汗かきながら必死の形相で逃げ回っていた本物が、勝ったとたんニヒルに微笑んでその場を立ち去る・・・

いかにも「本物は殺されてしまいました」と思わせるこの演出が、ちょっとわざとらしくて苦笑してしまいました。

そこそこ楽しんだ作品の割には批判が多いなぁ、と反省。

『続編』というのを意識しすぎかも?

設定自体は面白いのですが、脚本やストーリーがちょっと稚拙かなぁ、というのが素直な感想でもあります。こっちにはマイケル・クライトンは関わっていなかったのですかね?

でも

スケール感はなかなかのものだったし、セットなどは前回を上回る規模で見ごたえがありました。
チャックが廃墟になった西部世界を探索するシーンなどは、「続編」と知ったからこそワクワクできたのだと思います。

個人的に一番の見どころだったのは

ヒロインを演じたブライス・ダナー(*・・*)


この女優さん、特別美人だとかセクシーというわけでもないと思うのですが、『刑事コロンボ/黒のエチュード 』(1972)で犯人の奥さんを演じているのを見て「かわいいなぁ」ってずっと思っていたので、この作品でもずっとこの人ばっかり見てました。

そういえば、『宇宙人ポール』(2010)で元気なところを見せてくれてましたね。

ここでは書きませんけど『宇宙人ポール』はすっごく楽しかった・・・

話を戻して

映画のエンディングですが

「デロス」内で主人公二人の味方となった技師のハリー(本物の人間)

相棒のロボットが何か鍵を握っているのかと思いきや、カードの相手をしているだけで出番はおしまい。ハリーもニセモノのチャックにあっさりと殺されてしまいました。

先に書いたようにクライマックスは本物対ニセモノの対決で、殺されたと思われた本物がデロスからの脱出に成功。

秘密を知った本物の人間を逃してしまったので、いずれ真相が暴かれデロスは滅ぶだろう、というのを匂わせた時点で映画は終了します。


電車に乗り込む直前のピーター・フォンダの勝ち誇ったポーズ。最初に見た時は痛快でしたねこのエンディング。

でも、現在は

デロスを作り上げたほどの組織力なら、電車内でチャックを捕らえる事ぐらい簡単なんじゃあないかなぁ・・・なんて、微妙な余韻を残すのみであります・・・

トータル・リコールのリメイクが上映中


えーと、今回は雑談であります。

先日のコメント欄で映画と原作の話をしていて、たまたま思いついたのが『トータル・リコール』(1990)

私はこの作品が結構好きで、今でも年に2.3回は見ているほど。

でも

手元にある本などではあまり評価がよろしくなくて、ポール・ヴァーホーヴェンの趣味や演出がどうだの、ダン・オバノンの脚本がどうたら・・・

たしかに原作を読んでいれば、本当もっとサスペンスを重視した作品になるはずだ、というのは分かりますけどね・・・

映画評論家風に言えば、「絵」として見せる事を重視するばっかりに、肝心の「サスペンス性」の部分がなおざりにされている、という批評にでもなるのでしょうか。

原作を読んだか読まないかで評価が変わる事もあるでしょうし、原作に思い入れが強いほど、「原作に対する冒涜」のように感じる人もいるのでしょうね。

私もたまにそのように感じる事もありますが、やはりその作品次第かなぁ・・・

ほとんどの場合、別にいいんじゃあないかなぁ、だって映画なんだから? って考えちゃいます。

ヴァーホーヴェン版『トータル・リコール』に関して言えば、

あれだけ原作とかけ離れていれば、もうどうでもいいし、サスペンス性の部分で言えば原作で十分に楽しんだので「特撮」や「絵」を見せる事を重視した映画もやっぱり楽しいなぁ、と。

シャロン・ストーンは良かったですね、数度にわたるキンタマ攻撃。ヒロインのレイチェル・ティコティンは微妙でしたけど・・・


SF映画の場合はこういった考え方になるのですが、私の好きなもう一つのジャンル「ミステリー映画」に関しては、何故か思いっきり原作と比較してしまいます。

そういえば

いまさら、な話ですけど・・・

『トータル・リコール』っていわゆる「夢オチ」ではないか、という話があったのですね。

私も再見した時には、物語のプロットや結末までもが主人公のダグがリコール社で注文したのと全く同じだという事に気が付いて、ふとそう感じたのですが、製作者の意図は「視聴者の判断にゆだねる」というものだったらしいですね。

「夢オチ」ってタブーなので、はっきりと視聴者に提示してしまったらシャレになりませんから。ダグが夢から覚めて、奥さんといつまでも幸せに暮らしました・・・とか。

それでは原作はどうなのか、というと

全く違う話なので、全然参考になりませんです。

リコール社と秘密捜査官となって火星にいきたい男の設定だけを拝借して、ヴァーホーヴェンが娯楽作品に仕上げたのがこの映画。
原作は短編であり、主人公が火星に行く事もないのですから「夢オチ」という発想すら出てきませんでした。

短編からヒントを得て、あとは監督が自分のやり方で作る。やぱっり映画はこれで良いのだと私は思います。原作の良さを生かした作品が作られると、それはそれで嬉しかったりするのだから、我ながら勝手なものですけど・・・

ただ

「おお、あの作品が映画化されるのか!」とか「なんで、こんなのが映画化されるの?」とか、映画化する際に選ぶ原作の基準というものが、未だにさっぱり分からないのです・・・

で、見終わった後に「そこまで原作と違うなら、オリジナルを考えれば?」とか思っちゃうこともしばしば。

えーと、結局今回何が言いたかったのかというと

長編の映画化はダイジェストのようになってしまうので難しいんだろうなぁ、という事と

『トータル・リコール』のリメイクが早くみたいなぁ、と。


まだ見ていないのです、この作品。久しぶりにオリジナル以上に楽しめる作品を期待!

バック・ロジャース


『バック・ロジャース』は1939年に製作されたシリアル(連続活劇)

テレビシリーズではなく、劇場で上映されていたやつですね。

連続活劇といえば、真っ先に『フラッシュゴードン』を思い出しますが、こちらの主役を演じているのも『フラッシュゴードン』と同じく水泳のオリンピック金メダリストとして有名なラリー・バスター・クラブ。

飛行船の事故により雪山に墜落したバック・ロジャースと相棒のバディ。雪山の寒さと新開発中のガスの作用により仮死状態となった二人が目を覚ましたのは500年後の未来。地球がキラー・ケーンという独裁者の圧政下にあると聞かされた二人は反乱軍に加わり、援軍を求めて土星へと向かうのであった・・・

だいたいこんなストーリーなのですが

私の世代でバック・ロジャースといえば、昔テレビで放送されていたこの作品を思い出す人も多いのではないでしょうか。


『25世紀の宇宙戦士キャプテン・ロジャース』(1979)

ツーショットの写真が腹話術に見えるんですけど・・・

まぁ、この作品はいずれ書くとして、話を1939年版に戻しますと

今回参考にしたのは『Planet Outlaws』というDVD。これは12話分237分のオリジナル・シリーズを70分程度に編集して劇場公開したとされる作品なのですが、編集で大幅にカットされているので、展開が速すぎてほとんどついていけません。

昔はテレビシリーズを編集して劇場公開するパターンって結構ありましたね。

1939年版のオープニング



ストーリーは特に語るほどでもないので、あとは感想と気が付いた事をいくつか・・・

かなり面白いのが飛行機(宇宙船)同士の空中戦。

モーターボートかセスナ機のような効果音とモクモクと真上に上がる排煙が特徴。

ロケット噴射ではなく、ほとんど花火ですね。ほとんど不時着にしか見えない乱暴な着陸の仕方にも笑わせてもらいました。

ほとんどが大気圏内のドッグファイトで、宇宙空間を飛行するシーンでも周囲が雲だらけという・・・

すげー近くから攻撃して外してるし(爆笑)


着陸している宇宙船のデザイン、ほとんど電車に見えます・・・

この作品の突っ込みどころの多さは尋常ではないのですが、1939年の作品に突っ込むのも野暮な気がするので、あとは省略。

一つだけ言わせてもらうと

肝心な時に必ず不調になる無線機

この演出多すぎです!

無線機が通じないという理由だけでバック・ロジャースは連絡のために何度も土星まで往復するはめになるのですが、無線機の修理が先だろうって何度も突っ込みたくなります。

まぁ、無線機が通じたら土星への冒険シーンが減ってしまうという単純な理由なのでしょうが・・・

ところで

古いSF作品には、単純に「これ欲しい!!」と思うアイテムがたくさんありました。

タイムマシンや物質転送機、それぞれの指に違う武器が仕込まれた手袋、腕時計型通信機、光線銃やロボット、インタロシタ・・・

これは自分が子供だったという理由だけではないような気がします。

現在のSF映画にも欲しくなるようなアイテムはありますが、科学的考証がしっかりしているので大掛かりな物が多く、とても手が届かないといった印象。

この作品にも色々なアイテムが登場しており


無重力ベルト

物を透明化する光線銃

小型のリニアモーターカーのような乗り物

洗脳ヘルメット

遠くの物を映し出すモニター

などなど

昔の方が科学的考証が適当だった分だけ発想が自由だったのは明らかですね。ドラえもん状態というか・・・

そういえば

作戦室から見える未来都市は、以前にブログ書いた事もある『五十年後の世界』からの流用ですね。『フラッシュ・ゴードン』からの流用もチラホラ見られます。主人公のバスター・クラブが流用に見えてしまうのも困ったものですが・・・

最後に

バック・ロジャースが危険な目に遭いながら何往復もしてようやく味方につけた土星人

結局、土星人は反乱軍と協定は結んだものの実際の戦いに関与してくるシーンは皆無で、ほとんどバック・ロジャースと相棒のバディの活躍で独裁者を倒してしまったという・・・

今見ても色々な意味で楽しめる作品ではありますが、さすがに「最後に正義は勝つ!」といった他愛ないヒーロー物のストーリーに夢中になる事はできませんでした。

今はSFも認められ「SFは子供が見るためのもので、大人になったら卒業すべき」と言う人も少なくなりましたが、この作品を見ていると、昔そのように言われていた理由が良く解る気がします。

私はそんなB級作品からも一生卒業できない気がしますが・・・

火星人大来襲


『火星人大来襲』(1966)

気が付けば、前回の更新から約一ヶ月が経ちました。

だいたいこの時期からクリスマスのパンフレットなど作らなければならないのでこんな事になるのですが、とりあえず仕事がひと段落したので久々の更新であります。

似たような邦題の作品もありましたが、これはラリー・ブキャナンの作品。

ラリー・ブキャナンといば、ロジャー・コーマン作品などをテレビ向けにリメイクし、もともと低レベルな作品をさらに粗悪な作品にしたことで有名ですが、ロジャー・コーマンよりも何故かブキャナン作品の方が性に合ってしまう私はやはり頭がちょっと変なのか・・・? 子供の頃から繰り返しテレビで見ていた記憶もあり、何故か憎めないんですよねブキャナン作品って。

そういえば

もう10年以上も前になりますが、ブキャナン作品が立て続けにテレビ東京で放送された事がありましたね・・・

この映画の原題は『Mars Needs Woman』

ほとんど女性が生まれなくなってしまった火星を滅亡の危機から救うため、火星人の男が5人の地球人女性を拉致しようとするお話。

5人って少ない気もしますが、とりあえず火星からやってきた5人分の伴侶、と解釈しておきますか・・・

地球に来ての嫁さん探しというと、東宝映画の『地球防衛軍』を思い出します。

火星人からのメッセージを受信してからしばらくは円盤やらどこかの施設やらが映されます。

一番上の画像がそれらのシーンなのですが、なんとなく『プロジェクトUFO』っぽい雰囲気は悪くないですね。

続いては「火星人に対して先制攻撃を仕掛けるようとする地球軍」という設定で数々の記録映像が流されます。


何だか良く分からないですけど、メチャメチャカッコいいです。

記録映像が楽しいというのもB級映画をやめられない理由の一つですね。今となっては皮肉にもこれらの記録フィルムがこの映画最大の見所ではないかと思われます。

やがて、とある工場に潜入してそこを活動拠点とした火星人。

円盤から次々と火星人がその姿を現します。


まさか懐中電灯を持って現れるとは(^^;)

頭部にアンテナがある宇宙人ってコントにしか見えないのですが、私の世代がこういった姿の宇宙人をモデルにしたコントを先に見てしまっているだけの事で、もしかしたらこの映画が製作された1967年当時の人達にとっては、これでもちゃんと宇宙人に見えた、と解釈してよいのでしょうか???

映画の後半は、地球の女性を物色する火星人の行動が延々と描かれるのですが、やっぱりコントに見えてしまうという・・・

実体化(テレポーテーション)するシーンなどが馬鹿馬鹿しいほどの原始的なトリック撮影なのもコントっぽく見える要因の一つかと思われ。

どうやって女性を誘拐するのかと思ったら、5人がそれぞれ夜の街に繰り出し街中の女性を物色。催眠術をかけて自分たちの潜入場所へ連れて帰るというもの。ストーカーっぽい行動には苦笑せざるを得ません。
映画の冒頭で数人の女性がいきなり姿を消されるシーンはいったい何だったのか???


ガソリンスタンドのレジからくすねた小銭を活動の資金源とし、空港で車泥棒、洋服屋さんで変装用のスーツとネクタイを盗み出したりと、火星人の行動がとにかくセコい。

一番ツボに入ったのは、火星人がガソリンスタンドのオヤジに見舞った必死の首筋チョップ・・・

トミー・カーク演じる火星人のリーダーが美貌の女性科学者に目をつけるのですが、その眼つきを見たとたんにオチがある程度読めてしまいました。案の定2人は恋に落ち・・・というやつですね。


最後はあっさりと円盤の所在地を知られ、軍隊に攻め込まれた火星人たちは誘拐した女性をそのまま残してあっさりと退散。
火星人のリーダーは、火星では忘れ去られた『愛』という感情に目覚め、女性科学者は愛してしまった火星人と涙のお別れ、という結末。

特撮も脚本も低レベル。馬鹿馬鹿しいと感じる人がほとんどだろうけど、作っている方はかなり真面目なんだろうなぁ、とも思える作品でした。

個人的には、2人がプラネタリウムに入り、壊れたテープの代わりにトミー・カークが火星を語り、観客から拍手をもらうシーンなどは結構好きでした。

最後は拉致された女性たち


キャンパスクイーン、画家(学生?)、スチュワーデス、ストリッパーといった面々。なんとなく共通点があるようで似ているような気も・・・? ラリー・ブキャナン監督の趣味なのかも。

ストリッパーのシーンが無意味に長かった(サービスのつもり?)のと、それを眺める火星人の顔がとても印象的でした。

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