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アトランチスの謎


ネモ船長で思い出したついでに『アトランチスの謎』(1978)

製作総指揮は1960年代にテレビでヒット作を連発した名プロデューサーのアーウィン・アレン。
『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)など、映画でも大成功を収めたものの、パニック映画のブームが過ぎ去るとその後は低迷が続き・・・
そんなアレンが、再びテレビ界へ戻って来た時期に作られた作品です。

映画の舞台は現代(1978年)
100年の人工冬眠から目覚め、伝説の大陸アトランティスを目指すネモ船長が、アメリカ海軍からノーチラス号の修理と乗組員を得る見返りとして、世界征服を企む悪の組織と戦うことになる、というもの・・・

えーと

大好きなアーウィン・アレンにも関わらず、この作品にはイマイチ乗れないのですが・・・

「奇想天外」というよりも「子供だまし」といった印象。

まぁ、そのあたりの境界って人によって様々だと思うのですが

・ネモ船長が実は冷凍冬眠で生きていた

・ジュール・ヴェルヌの本が作者の自伝だったという設定

・レーザー光線や電子バリアーを使用するノーチラス号

・黄金の仮面をつけている悪の手下ども

・人を洗脳するヘッドバンド

これらの設定、やっぱりダメです。マンガっぽいというか、幼稚というか・・・

ジュール・ヴェルヌの愛読者であり、彼の創造したネモ船長のファンである私からすると、ネモ船長を題材にした映画としては残念ながら最低の部類、ですかね。

「ルパン三世」のような軽いノリとアクションをネモ船長のキャラでやられても感情移入など出来ません。

それならば

ネモ船長ではければ普通に楽しめたのか? というと

これまた微妙ですね。

舞台設定はアレンお得意の「海底物」なのですが、チープな海底版『ギャラクティカ』といった印象です。


私には『スター・ウォーズ 』(1977)のヒットにあやかろうと製作されたB級SFの一つにしか見えませんでした。

あ、実際そうなのかもしれませんけど。

艦内の通路での銃撃戦は『スター・ウォーズ 』そっくりだし、影響を受けているのは間違いないかと。


このシーンで音楽までパクッていたのには吹き出してしまいました。

特撮がふんだんに使用されていたのはアレンらしくて良かったと思います。スタッフにはL.B.アボットの名も。

俳優さんたちの顔ぶれも楽しく

ネモ船長役はホセ・ファーラー

悪の天才科学者カニングハムはバージェス・メレディス。こういう人が悪役だとイライラしないので良いです。

アトランティスの長はホルスト・ブッフホルツ。西部劇ファンにはお馴染み。あまりの若さにビックリしました。

他にはバール・デベニングやメル・ファーラーなど個性的な役者さんも。

ネモ船長といえばノーチラス号ですが


特に感想は無し・・・
敵艦は『スペース1999』のイーグルを改造したものですね。

そんなわけで

映画の前半は悪の天才科学者カニングハムとの攻防戦がメインとなっています。

特撮がチープなのは個人的には全く気になりません。もともとアレンのテレビ・シリーズなんてチープなものでしたから。

ただ、この映画、脚本が・・・

前半の戦いが一段落してから、幻のアトランティス大陸までわずか2分弱というあっけなさには苦笑。そして、アトランティスの描写は最高評議会の会議室のみという・・・

アトランティス人はいきなり泳いで潜水艦に乗り込んでくるし、最高評議会メンバーはネモ船長を敵と決めつけ「殺せ、殺せ」を大合唱。なんだか野蛮人みたいでした。

セリフもどこか変で

100年も寝ていたネモ船長が
「以前にはこんなところに機雷は無かった」

とか

味方のスパイが乗り込んだノーチラス号を機雷に誘導しておいて
「ネモを狙ったのだ」
って、言い訳にもなっていないし・・・

突っ込みどころの多さでは、数あるSF作品の中でもトップクラスかもしれません。

でも

たくさんのアレン作品に思い出があるファンとしては笑うに笑えないです、これ。

この後、さらなるヒット作を生み出したという実績でもあれば「アレンでもこんな作品を作ることがあるんだなぁ」で済まされると思うのですが・・・

「夢よもう一度」であっけなく轟沈、といったところですかね?

嫌いな作品ではなく、ある程度は楽しめましたけど、ファンとしてはちょっと切なくなる作品でもありました。

ネモ船長と海底都市


『ネモ船長と海底都市』(1969)

まずはあらすじをビデオ・パッケージの裏側から

19世紀末、リンカーン大統領の意を受けてヨーロッパに向かった上院議員らを乗せた客船が沈没。わずか6人の乗客が生き残り、ネモ船長率いる〈ノーチラス号〉に救われ、美しい海底都市へと連れていかれるのだったが・・・。ジュール・ヴェルヌの原作を元に、SFXの技術の粋を駆使した海洋冒険映画。

というわけで

この作品はヴェルヌの『海底二万里』の設定を借りたオリジナル・ストーリーの映画。

えーと、私の場合ですね

地底や海底に別世界が在るという設定、あるいはノーチラス号という言葉の響き

これだけでも映画に感情移入できてしまいます。

我ながら本当に単純だなぁ、といつも思うのですが・・・

小学校時代に図書館で読んだジュール・ヴェルヌがトラウマにでもなっているのですかね? 悪い意味ではなく。

で、映画の出来はどうなのか、と言いますと、これが何とも微妙な・・・

オリジナル・ストーリーとはいえ、設定・キャラクターともディズニー版『海底二万哩』(1954)を意識してつくられたのでは、と感じてしまうところからしてちょっと微妙。

・船の難破

・ノーチラス号による救出、

・金塊などは貴重品でもなく、いくらでも採れる

・地上への帰還を禁じられ、ネモ船長と対立

・金を持ち帰ろうとする姑息なキャラクターの存在

ほとんど同じです・・・

ディズニーにしてはハードな作風だった『海底二万哩』にヒロインと子供を追加して、よりファミリー向けにした印象です。

これは、何と言えばいいのか・・・

アクの強さみたいなものを全く感じないというか、何と言うか、あまりにも普通すぎるといいますか・・・

あ、そうだ! 中途半端なんですよ、この作品。あらゆる面において。

って、ずいぶん失礼な事を言っているような・・・

例えば海底都市テンプルメア


海底世界の優れた科学力、地上の人間には想像も付かない別世界、ユートピアを表現したかったのでしょうが、残念ながら全てが中途半端な印象。

これらのシーンで視聴者の度肝を抜くような美術、デザインを見せる事ができたら良かったのでしょうが、出来上がったものはスケール感に乏しく、観光ホテル程度にしか見えないのが残念。
ペンギンや演技をするオットセイがいるし、ユートピアのイメージも安直すぎて、仮装パーティーにしか見えないし・・・

続いてはノーチラス号


このデザイン、好きです。ただ、内装がそれはど目を見張る出来ではないので、やっぱりこれも中途半端な印象を与えてしまいます。

でも

水中の場面はなかなか素晴らしかったです。クライマックスでのノーチラス1号、2号によるアクションシーンはなかなか見ごたえのあるものでした。

水中撮影にはかなり力を入れているようで、建設シーンや水中牧場も素晴らしい映像でした。これらはこの映画の見どころの一つと言って良いでしょう。

あと、役者さんですが

ネモ船役のロバート・ライアンはともかく、この映画のヒーローでもある上院議員役がチャック・コナーズというもの微妙


ミスキャストとまでは言いませんけど、顔がでかくて四角くて、ちょっとゴツ過ぎるというか・・・

さらには

子役の演技が下手すぎ

水と空気を作り出す装置のヘンテコなデザイン

閉所恐怖症の患者が圧力計を操作しただけで、街全体が壊滅状態

エイが巨大化しただけの怪物

などのトホホなシーンも多数・・・

でも、決して出来が悪い映画ではないと思っています。お勧めはしませんけど。

ノーチラス号のデザイン、金色に輝く海底都市テンプルメアと内部の描写

これらは私の単純な脳みそを心地よく刺激してくれました。安心して見ていられるという事もあり、じつはお気に入りの作品だったりします。

えー、最後に

この作品を見るたびに必ず思い出す事が二つあります。

一つは『緯度0大作戦』(1969)

この手の映画を見ていていつも思うのは、ここに永遠に住めと言われたら自分だったらどうするかなぁ、という事。

で、「緯度0」は住んでもいいけど、「テンプルメア」は狭すぎて嫌だなぁ、と。

二つ目はチャック・コナーズを見ている時に必ず浮かぶ「天知茂」の顔。

あまり似てないですけど・・・

地球最後の日


もー三週間も休日なしで疲れました・・・

仕事が一段落したところで、地球最後の日(1951)

地球にザイラとベラスの二つの惑星が接近。ベラスは地球に衝突するが、通過するザイラは地球と非常に良く似た環境であることが判明する。人類はザイラへの移住を計画し、ロケットの製作に取り掛かるが、乗れるのはわずか四十名のみ。地球最後の日にくじ引きが行われ、搭乗者が決定するが・・・

というわけで、

オープニングのナレーションでは聖書の一節が引用される、現代版「ノアの箱舟」ともいえる惑星の衝突による世界終末を描いた作品です。

製作は月世界征服(1950)で世界中にSFブームを巻き起こしたジージ・パル。
特撮はパル作品でお馴染みの巨匠ゴードン・ジェニングス、アーク号のデザインなどの美術はアルバート・ノザキ、マット画はシェスリィ・ボンステル

後に最高傑作『宇宙戦争』(1953)を生み出したメンバーですね。

ちなみに原作となったフィリップ・ワイリーとエドウィン・バーマーの小説は『ディープインパクト』(1998)の原作にもなっているようです(クレジットされていないとの事)

他のジージ・パル作品同様、これも大好きな映画です。

ただ、地球規模で起こる天変地異の話にしてはスケール感が今ひとつだったような気が・・・

アメリカ国内だけの話かと勘違いしそうなほど

パニック映画の割にはスペクタクルシーンはそれほど多くなく、どちらかといえば人間ドラマがメインの作品。

劇中のセリフから、各国で宇宙船が建造されているというのが分かるものの、実際に描かれていたのは、宇宙船の建造に携わったほんの一部の人間のみ。

もっともアカデミー賞を受賞しただけあって、少ないながらも特撮シーンはなかなか見ごたえはありました。


一部の人々のドラマに終始した印象があるにも関わらず、ドラマがあまり好きではない私が見ていても、決して飽きるという事はありませんでした。

パル作品がよほど性に合っているのか・・・?

いや

性に合っているというよりも、不快なキャラがあまり登場しないので、あまりイライラする事無く見ていられるということかも。

これは、ほとんどのパル作品に共通していますね。

さらに

冷静に考えてみたら「そんな馬鹿な」と思えるプロットでも、不思議と違和感を感じさせない、というのもパル作品に共通するところでありまして・・・。科学的考証に基づいたシーンを随所に挿入したりして、荒唐無稽な物語にリアリティを持たせる、本物っぽく見せるのが上手い、とでも言いましょうか。


荒唐無稽さとリアルさが程よくミックスされた印象があります。こういったパルの演出にはいつも関心してしまうのですが、そう感じるのって自分だけですかね?

でも

この作品に飽きがこない理由はそういった部分ではなく、単純に流線型の宇宙船が大好きなだけかも。

時々画面に映し出されるアーク号の姿を見ているだけで、もう夢心地というか・・・

未完成のアーク号も美しい。そして発射シーンは何度見ても血が騒ぎます。


(* ̄。 ̄*)

ところで

天体衝突をテーマにした作品の先駆的存在、というよりも映画としてはこれが世界初? まして、衝突を回避出来なくて地球を見捨てて脱出するというのも珍しい。箱舟に乗るのが全員白人というのも、なんだか・・・

日本人には絶対に作れない映画ですね、これ。日本的にはやっぱり『妖星ゴラス』(1962)のように大団円を迎えないと。南極に巨大な噴射口を作って、地球を移動させるという・・・

さて、そんなわけでアーク号は無事ザイラに到着します。


希望にあふれた新しい人類の出発を表現したと思われるこのマット画。

子供心に「これ、絵じゃん!」て思いましたけど・・・

天体画の巨匠シェスリィ・ボンステルが何故銭湯の絵のような作品を描いてしまったのか、というのは以前私なりに分析しておりますので

CHESLEY BONESTELL(シェスリィ・ボンステル)

各国から脱出に成功した人々が新惑星に集う、くらいの派手なエンディングにしてほしかったですね、この作品。

たしかリメイクの話を聞いたような気がするんですけど、どうなったのでしょう?

イット・ケイム・フロム・アウター・スペース/それは外宇宙からやって来た


イット・ケイム・フロム・アウター・スペース/それは外宇宙からやって来た(1953)

天文学者のジョンと恋人のエレンは、砂漠に墜落する巨大な隕石を目撃する。翌日ヘリコプターで隕石の調査に赴いたジョンは、クレーターの底で宇宙船と思われる物体を目撃。突然の落石により、宇宙船が埋もれてしまったため、誰にも話を信用してもらえないジョンは、一人で調査を続ける。やがて住民の失踪事件が多発するようになり、ようやく保安官も捜査に乗り出すが・・・

監督がジャック・アーノルド、製作はウィリアム・アランド、そして原案がレイ・ブラッドベリ

この顔ぶれならば、ある程度のレベル、面白さは保証されたようなもの・・・かも?

実際、それほど悪くないというか・・・

後のB級SFでもお馴染みの役者さんが多く出演しているのもちょっと楽しいです。オープニングでは隕石を吊ってある糸が思いっきり見えてますけど。

・SFでありながら怪奇ムードたっぷりの音楽

・なかなか宇宙人の姿を見せない事によって得られる効果

・宇宙人目線のカメラワーク

・人間の姿を借りる宇宙人

・宇宙人がしゃべると何故か声にエコーが

・目撃談を誰にも信じてもらえない主人公

こうして書いてみると、今となってはなんでもない事ですけど、この作品が作られた1953年という時代を考えると、その後の多くの作品のフォーマットになったのではないでしょうか?

宇宙人の目的が侵略ではない、というのも珍しいですね。

目的は故障した宇宙船の修理(笑)

失踪事件というのは、その人に成りすまし、修理の部品を調達するために人間を監禁してしただけだったという・・・

要領わるいですね、この宇宙人

宇宙人の目的が分からないまま進行する前半部分は、サスペンスの盛り上げ方もなかなか上手いなぁ、と感じていたのですが、侵略でないと分かってしまった以上、視聴者にとってもはや宇宙人は怖くも何ともないわけで・・・

それ以降は、真実を訴える主人公と、それを全く信用せずに状況を悪化させるだけの保安官とのやり取りがメインの人間ドラマの様相を呈してまいります。


このドラマ部分は、監督自身も語っているように、人間の未熟さに対する風刺の意が込められているのですが

うーん、ちょっとイラつくパターンの作品ですね。

主人公が誰にも理解されずに、嘲笑されながら悪戦苦闘する物語ってあまり好きではないので・・・

ところで、この宇宙人

高度な科学を持った生物にもかかわらず、その容姿はというと


妖怪?

しかも、移動するときらきらした物体が地面に残るという・・・。ほとんどナメクジですね。

このエイリアンをデザインしたのは『宇宙水爆戦』のメタルナ・ミュータントや『大アマゾンの半魚人』のギルマンも手がけているミリセント・パトリック。

侵略目的でもなく、友好的というわけでもなく、偶然地球に不時着してしまった宇宙人。

やはり宇宙人は外敵であったほうが盛り上がりますけど、こんな作品があってもいいよなぁ、なんて

地味な展開と少ない特撮シーンゆえに突っ込みどころも少なかったような・・・

何度も繰り返し見たくなるような作品ではありませんけど、なかなかの秀作ではないかと思っています。


やっぱりこの映画も前に三人

彗星に乗って


えー、今回書こうと思ったのは、前回のブログを書いている時に思い出した『彗星に乗って』(1970)という作品です。

唯一無二の作品である『不思議惑星キン・ザ・ザ』に何か近い作品はないものか、と思い巡らせていたところ、内容も雰囲気も全く違うこの作品を連想してしまいました。

共通点といえば

好き嫌いがはっきりと分かれそうな作品

唯一無二という言葉は当てはまりそう

ゆったりしたペースと、どこかトボけた印象

ある種の夢の中にいるような感覚を味わえる

癒されもする

よく分からんけど、おそらく風刺がちりばめられているのでは? と思えるところ

などなど、などなど

繰り返しますが、似ても似つかない映画です。

「私が若き将校だった頃、多くの事件に出会った。今思えば夢のような出来事だ。その一つに奇想天外な宇宙の出来事がある。その思い出も色あせた絵葉書にのみ残っている。」

という主人公の語りで映画は始まります。

内容をビデオ・パッケージの裏側から引用すると

1888年、アフリカのフランス領アルジェリア。フランス軍の若き中尉は、町で見かけた絵葉書の黒髪の美女にひと目惚れ。誤って海に落ちた彼を助けてくれたのは、なんと絵葉書の美女だった。その時、謎の彗星が地球に急接近、大地震とともに、町がまるごと彗星に吸い上げられてしまう。遠ざかっていく地球の影。そこは、前世紀の恐竜や翼手竜が住む世界だった…。
『盗まれた飛行船』に続くヴェルヌ原作SFの映画化。アラビアンナイトと宇宙SFが組み合わさったかのような視覚効果、ゼマンの色彩方術が冴えるファンタスティック・アドベンチャー。

というわけで

地球上で争っていた人々が彗星での新生活を余儀なくされ、再び地球へと戻ってくるまでを描いた作品です。


カレル・ゼマン監督の作品は私のブログでも何度か取り上げていますが、この作品もお気に入りの一つ。

絵葉書を一枚ずつめくって見せるオープニング。そして、絵葉書の美女と出会い・・・

ちょっと脱線しますけど

子供の頃に絵葉書、あるいは絵画など何でも良いのですが、それらの作品を、じーっと眺めているうちに、実際にその世界に入って行けそうな錯覚にとらわれた経験ってないですかね?

私の場合、実家の壁に掛けられていた水墨画の世界が、今にも動き出しそうな気がして、そこに入って行けそうな気がして、長時間空想の世界に浸っていた経験などがあります。

床に置いた鏡の中に入って行けそうな気がして、思わず足を突っ込んでみたりとか。

私が変なガキだったのか、そういう経験のある方が結構いるのかわかりませんけど・・・

そういった意味でも、この映画は私にとって非常に共感できる作品となっているわけです。

基本的には、アニメと実写の人間の合成。荒唐無稽で科学的考証など皆無。寝ている時の夢をそのまま映像化したような作品です。

で、そのアニメの部分は、銅版画風だったり、古い挿絵風だったり、人形アニメだったりするわけですが、そんなゼマンの手法が、ファンタジー色が強いヴェルヌの作品に非常に良くマッチしているという印象。


えーと、ですね

ジョルジュ・メリエスのトリック撮影を意識し、SF創世記の作品を思わせるこの映像を斬新と取るか、安っぽいと取るかはその人次第、でしょうか。
まぁ、絵そのものは古めかしいものなので、特に斬新というわけではなく、映画全体をその絵で表現した、という手法が斬新であったという事は言えるかもしれません。

昔、この作品を隣で見ていた人の苦笑が忘れられません・・・

というか、許せん( ̄W ̄;)

バックの絵がショボくて、合成はお粗末、あまりにも作り物然としたストップモーションの人形

その人の目には、そう映ったのは明らか。

さらに

物語の展開が起伏に乏しく、設定やそのスケールの大きさの割には、今ひとつ冒険心を刺激されません。ワクワクするような展開でもないので、それほど感情移入できるとも思えません。

見る人によっては、これらの全てが欠点と映ってしまうのかもしれませんが・・・

でも、

結果的に凡庸な展開になってしまった映画とは違い、この監督さんの場合、意図的にこの独特の世界観を作っているのあって

私の場合、これが完全にツボに入ってしまったという・・・

SFでありながら、おとぎ話の絵本を見ているような感覚が心地よく、どこか懐かしい雰囲気。

手作り感ったぷりのゼマン・ワールドには本当に酔いしれてしまいました。

ヒロインが可愛いのもいいですね(*・・*)

フィルターによって目まぐるしく色が変化する画面はちょっと鬱陶しかったですけど・・・


コミカルな描写はあるものの、これほど奇想天外な物語を、シニカルでありながらちょっと切ない物語として描いたカレル・ゼマンは流石。

絵葉書ではじまり、絵葉書で終わる

青年と絵葉書の美女との実らない恋物語は、大人のための寓話といった趣です。

独特のカレル・ゼマン・ワールドに魅了さるか、いまさらこんなの、で終わってしまうかはやはり人それぞれでしょう。
良い本を読んできる時のようにイマジネーションを刺激されたい方にはお勧めの一本であります。


不思議惑星キン・ザ・ザ


ブログを一度も更新しないまま夏休みも終わってしまいました。

夏休みとは

やる事が溜まっていて、普段より忙しいものなり・・・

映画もいっぱい見ましたけど( ̄ー+ ̄)y-'~~~

で、今回は久しぶりにのんびり、ゆったりと鑑賞したソ連製の映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986)

街に買い物に出かけた建築技師ウラジーミルは、バイオリンを持った青年ゲデバンに、「自分の事を異星人だという男がいるので来てほしい」と声をかけられる。
話を全く信用しないウラジーミルが男の持つ装置に触れた次の瞬間、二人は広大な砂漠の真ん中に立っていた・・・

というわけで

キン・ザ・ザ星雲の惑星ブリュクにワープしてしまったウラジミール(おじさん)とゲデバン(バイオリン弾き)が、価値観の全く違う異星人たちに翻弄されながら、地球へ帰ってくるまでを描いた作品です。

ちょっとロード・ムービーっぽい感じ、ですかね。大宇宙を又にかけた壮大なスケールの。

最初に見た時から完全にツボで、大好きだったんです、この作品・・・

ボロクソに言われてるかと思ってネットで色々と検索してみたところ、SFファンの間で結構評判が良いのには驚きました。これほど皆が好意的なレビューを書いているのならば、私は書くのやめようかなぁ、と思ったほど。

この映画を面白いと感じる自分のセンス、頭がどうかしているのでは、といった懸念があったものでちょっと安心しました。

もっとも、こんな映画に目を付けてDVDを買うなんて、一部のSFファンだけでしょうけど・・・まぁ、いいです。

この作品の何が面白いのか、と言うと


月並みな言い方をすれば、その独特の世界観に魅了されてしまった、という事なのですが・・・

現実逃避ができるという事も、私にとっては大きなポイントであります。

睡眠中に見る解釈不能な夢、あるいはその逆で、起きている状態で見る白昼夢のような感覚とでもいいましょうか・・・

そして、砂漠や無造作に立ち並ぶ無骨な建築物と、そこに現れる飛行物体などがかもし出すリアル感。

寓話の世界に入り込んだような錯覚を覚えずには・・・

・・・あら?

現実逃避とリアリティーって完全に矛盾してますね・・・

うーん、でも、とにかくそう感じたものですから。砂漠の遥か彼方から現れるペペラッツ(宇宙船)は感動ものでした。

でも、やっぱり文章では言い表せないですね、この作品。まとめようとしても、支離滅裂になりそうだし、もーあとは適当に書いてしまいましょう。

えー、おそらく社会的な風刺を多く含んだ作品と思われますが・・・

よくわかりません

ところで

コメディー作品、ですよね、これ? 

なんの予備知識も無く、邦題に『惑星』の文字が入っているというだけでレンタルしたのがこの作品との出会いで、それ以降もコメディーと思って鑑賞した事って一度もありませんでした。

あまりにも理不尽、怒りを通り越してもう笑うしかない、といった状況で大真面目に演技する役者さんたちには大いに笑わせてもらいましたけど。
あまり馴染みが無いですけど、ソ連では大御所の役者さんたちだそうですね。

見ているうちに、なんだかものすごい芸術作品のような気がしてくるのが不思議。

ゆったりとしたテンポで進む物語。不思議な間合いのセリフや演技。シュールなデザインの建物や車。そして、尋常ではない脱力感・・・

意図的にこの世界観を作り出したのだとしたら、この監督さん天才なのでは、と思ってしまいます。


見事に気勢をそがれるトボけた音楽

これまでに見たことも無いワープ・シーンの衝撃

鉄クズを組み立てたような砂漠の中のセット

ゲデバン(バイオリン弾き)のとぼけたキャラクター

赤いステテコ様

鼻に鈴を付けたままの熱演

「クー」

どれもいい味だしてます。

脱力を通り越して、癒されてしまう私の感覚ってやっぱり変なのか・・・?

独特の世界観を楽しむだけの映画と思っていたら、ちょっと感動的(感傷的?)なラストを迎えるという・・・


この映画のエンディング大好きです。

とにかく唯一無二。他に類を見ないというのは、まさにこの映画の事。類似の作品を挙げろと言われても絶対に無理ですね。
ハリウッド映画などでは絶対に味わう事のできない不思議な感覚が楽しめる作品。

もしかしたら、この映画の一番の価値ってそんなところにあるのかも知れません。

馬鹿馬鹿しい、下らないで終わってしまうか、脱力感が癖になり、至福の時を過ごせるか・・・

ツボに入るかどうかで評価が真っ二つに分かれそうな映画です。

人類危機一髪!巨大怪鳥の爪


えー、前回のコメントで宣言した通り、今回は空の怪獣つながりで『人類危機一髪!巨大怪鳥の爪』(1957)

この映画、おそらくマニアの間では、原題の“THE GIANT CLAW”の直訳である『巨大な爪』というタイトルで知られていた作品ではないかと。
「予告編集」といった類のビデオや、雑誌などでは良く目にしたものですが、どうやら日本でもDVDが発売されているようです。

監督フレッド・F・シアーズ、製作サム・カッツマンは、ハリーハウゼンの『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)のコンビですね。

ストーリーは、ニューヨークに現れた巨大な怪物がアメリカの軍隊と攻防戦を繰り広げる、というもの。

それだけ、ですかね・・・

ほとんど捻りのないストーリーなので特に書きたい事もありません。作品自体は意外とマトモだなぁ、といった印象。

俳優さんたちの熱演もあってか、ドラマ部分もそこそこ緊張感のあるものだったし、ストックフィルムの流用なども効果的だったと思います。B級SF作品ではお馴染みの顔ぶれがあちこちに・・・


原因不明の事故が続発し、原因を探っていくうちに次第にモンスターの全貌が明らかになる・・・

というのはこの手の作品では定番ともいえる演出。

ピンボケの写真などを映しておいて「何か写っているぞ」「これは何に見える?」などといったやり取りでサスペンスを盛り上げる、というアレですね。

この作品では、観測気球のフィルムを集めてモンスターの正体を探ろうとします。

皆が固唾を呑んで見守る中、観測気球のフィルムのスライドショーが始まると・・・


( ̄  ̄! ...

はっきりと写ってます。見事な連続写真で!

しかも、最後の一枚はどアップでカメラ目線という・・・

私は、このバカ面とバックに流れる恐ろしげな音楽のギャップがツボに入ってしまい、しばらく笑いが止まりませんでした・・・

そういえば

サム・カッツマンはこの鳥をハリーハウゼンのストップモーションで作ろうとしたのですが、予算の都合で適わなかったのだとか。

建物が崩壊するシーンで、いきなりストップモーションが出てきたのでびっくりしたのですが、これは『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』から流用したもののようです。

正体が判明したこれ以降は、出し惜しみなし。映画全編を通してそのバカ面を披露してくれます。その暴れっぷりの凄まじいこと・・・。人を食べるシーンは、昔のドリフのステージみたいでした。


前回のブログで、アメリカでは「怪獣」という概念が無いせいか映画に登場するモンスターがあまり強くない、といった事を書いたのですが、この鳥はとにかく強い。人類側の兵器では全く歯が立たないという設定になっております。

なんでもこの鳥、宇宙からやってきた生物で、体をバリアーで覆っているため、身ミサイルなどは跳ね返してしまうのだとか・・・

宇宙からやってきた巨大モンスターという発想自体は当時としてはかなり斬新だったのではないでしょうか。宇宙怪獣なんて日本の専売特許かと思っていたら、1957年にこんな作品があったとは驚きです。

でも、ぜんぜん怖くないんですよね、この怪物。

顔も間抜けなら動きも雑で、ほとんど操り人形そのまんま。人間を噛み砕いた時の「コリッ」という音が何とも情けないやら・・・

先に、作品自体は意外とマトモ、と書いたのですが、やはり、というか、この作品も突っ込みどころは満載。

細かいところは仕方ないとして、この作品について私が声を大にして言いたいのは

「その設定おかしくない?」とか

「そこで、そのセリフな無いんじゃないの?」といった、脚本に関する部分の不自然さがやたらと目立つ、という事!

DVDが発売されているので、興味のある方には是非見ていただきたいなぁ、と。

ヾ(-_-;) オイオイ、って絶対に突っ込みたくなりますよ(笑)

まぁ、買っても損は無い作品だとは思いますけど。色んな意味で。

この映画には、B級作品でしか味わえない楽しみが詰まっています!

と、ちょっとだけ褒めたところで

久しぶりにこの作品を見て感じた事とえいば

ハリーハウゼンが参加していたら、全く違った作品、違った評価になっていたのかもしれないけど、この映画はこれでよかったんじゃないかなぁ、という事。こういう映画があってもいいよなぁ、と。

ストップモーションだったら、これほどの暴れっぷりは望むべくも無いでしょうし、あまりにも情けないモンスターにしても、その個性的な造形(というよりも顔ですね)のおかげでSF映画史に名を残した、という面は否定できません。

映画史上もっともブサイクなモンスター、という不名誉な称号もついてきましたけど・・・

あ、顔といえば、上のポスターにも鳥の顔が描かれていないのですが、これって何か理由でもあるんですかね?

ハリーハウゼンとの再度の競作が実現しなかったサム・カッツマン。エンパイア・ステート・ビルのシーンは『キングコング』へのオマージュだったのかも。


それにしてもデカイです。もしかしてアメリカ映画史上最大?

空の大怪獣Q


『空の大怪獣Q』(1982)

まずは、この作品のストーリーをビデオパッケージの裏側から。

「Q」とは

“Quetzalcoatl”アステカ文明の神獣で翼のはえた蛇のこと

マンハッタンの高層ビルで窓拭きをしていた男が、突如窓に叩きつけられ首を切断された。二人の刑事が捜査に派遣されるが、二人は全身の皮をはぐというアステカ文明の儀式と同じ方法を使った殺人事件を別件で担当していた。高層ビルを舞台に次々と襲われ殺される事件が続発。やがて巨大な翼のある怪物が姿を現す。同じ頃、小心者の悪党クインは忍び込んだビルの屋上に巨大な巣と卵を発見する。アステカ文明と怪物との関連は?街は怪物出現でパニック状態に。モンスター・ホラーの傑作「Q」ついに日本登場。

「オリジナル予告編付き」

という映画ですが

この作品、少なくとも二回はテレビで見た記憶あります。画面が古臭いので、70年代の作品かと思っていたら1982年の作品だったのですね・・・

私のようなストップモーション・アニメのファンにとってはデビッド・アレンが特撮を担当した、という事で知られている作品かもしれません。ランディ・クックがケツァルコアトルをデザインし、デビッド・アレンがアーマチュアを製作。

ところが

モンスターの登場シーンがあまりにも、あまりにも、あまりにも少なく、ストップモーションで動かされたモンスターを堪能するには至らず・・・残念です。

えー、この作品を見ての感想は、何と言ったらよいのか、その

何を見せたい作品なのかよく分からないので・・・

とりあえず、この映画の主役モンスターの「Q」について。


都会のビルの屋上に巣を作り、卵まで産んでいるのに誰も気づかないとは・・・

それはさておき

ケツァルコアトルといえば、人間の姿で描かれているというイメージがあったのですが、この作品ではほとんど「ドラゴン」のような造形で登場。

うーん、デザインが面白くない、気色悪いだけ。こんなのフィギュアがあっても飾りたくないですね・・・

やっぱりハリーハウゼンは別格!

こういうモンスター映画を見るたびに同じ事言ってますね、私・・・

映画全編を通して古代アステカとの関係をほのめかしてはいるものの、ケツァルコアトルが単なる怪物だったのか、神の類だったのかという描写は無かったように思います。

「Q」目線の空撮映像はよかったですが、マシンガンであっさりやられてしまうとはちょっと弱すぎ、かな? 予算の関係で特撮のパートが少なかったのかもしれませんけど。

もっとも予算に関係なく「人間側の兵器が効かない」といった描写は海外の映画ではほとんど見られません。どんなに凶暴なモンスターでも、あくまでも恐竜の延長線上、といった印象です。

日本のように「怪獣」という概念が無いから、と考えて良いのでしょうか?

なにしろアメリカ版では「ゴジラ」がミサイルを打ち込まれて死んでしまうのですからね・・・

あと、海外のモンスターを見ていていつも思うのが、声がシンプルだなぁ、という事。

「ギャー」とか「ガァァー」とか動物が吠えているといった印象のものがほとんど。これもおそらく同じ理由(怪獣という概念が無い)でしょうけど。

まぁ、これは日本と比べて個性が無いという訳ではなく、リアルさを主眼に置いているからでしょう。

「怪獣」ってやっぱり子供向け作品の概念だと思うので。

・・・脱線したので、話を映画に戻します。

次に作品の内容なのですが


サスペンス・タッチで始まり、別々に進行する二つの事件が、アステカ文明の儀式という接点から次第にリンクし始める。謎を追って進められるプロットは良かったし、前半部分はなかなかテンポもいいなぁといった印象。

でも、肝心の「謎」の部分が映画を見る前からバレバレなので・・・

正体が明らかにされないモンスターの件も含め、これではサスペンス・タッチで描く意味がありませんね。

サイコホラーっぽい演出もちょっとグロいだけで中途半端。なかなか全貌を現さない「Q」にしても、あえてモンスターを見せない事によって恐怖感を煽る、といった効果を意図的に狙ったとも思えません。

結局、この作品で描かれていたのは、クインとその恋人ジョーン、そしてシェパード刑事たちの間で繰り広げられる人間模様がほとんどだったという・・・

この映画の主役は「Q」では無く、クインだったのですね。

このクインという悪党、とても視聴者が感情移入できるタイプの人間とは思えないんですけど?

小心者とはいえ「憎めない」とか「愛すべき」とかいった類の悪役ではなく、本当のダメ男。なんでこんな男に惚れるの? みたいな。

人間のクズのような男の描写を延々と見せられて、結構ストレスが溜まりましたよ・・・

低予算映画だから特撮のパートが少ないというよりも、監督さんが元々こういった人間ドラマをメインに描きたかったとしか思えないほどの充実ぶり(ちょっとだけ嫌味含む)

・・・あ

また書いている作品のこと全く褒めていませんでした。結構好きな作品で、5〜6回は見ているのに・・・

まぁ、いいです。DVD未発売も納得の作品なので。

あと、思った事といえば

キャンディ・クラークは結構かわいいなぁ、とか

役者さんたちが皆プロレスラーみたいだなぁ、とか

ラストの「Q」の落ち方は「キングコング」を意識しているのかなぁ? など

あとは特になし。

そういえば、クインのピアノ演奏を聴いて、なぜかロバート・ジョンソンを思い出してしまいました・・・

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